冷えた鉄を当てられているような緊張感が場に満ちていた。
村人達にとっても、そしてヒンメル達にとっても衝撃的だったこの事実を明かしたテイターに集まる感情は、疑念と非難と怒り、そして『仮に彼が魔族だとして、今まで村を守っていた彼をここで殺すのか』という躊躇だ。
この場で彼の処遇を内心でも全く迷わない人物は二人だけ。
フリーレンと旅の男だけだった。だが、
「お前、今すぐ殺してやる」
逆上する旅の男の肩を掴みハイターが止める。
「落ち着いてください。それでは貴方が乗っ取られるだけです」
「魔族は生き残るためならどんな事も言う。親の概念も知らないその口で父の形見だとか
旅の男は経験則からそう反論するが、更にそれをアイゼンが引き留める一言を差し込んだ。
「だがコイツの肉体は確かに人間のものだ。少なくとも事実無根として無視出来る状況じゃない」
それを聞くと旅の男は苦悶の表情でテイターを睨む。
そしてその情報が齎す障壁は甚大だ。これはつまりヒンメル達ですら、彼をまともに滅ぼす手段を持ち合わせていない事を意味するのだから。
その停滞を見越してテイターは言う。
「その通りだ。この場の人間には俺を殺せない。しかし、かと言って俺が勝てるという状況でも無い。だから見逃してくれないか。この村には二度と近付かないから」
「ふざけるな。こんなに狡猾な魔族を放置出来るものか。僕達がここから去った後にお前は村を滅ぼすだろう」
「その気なら先に滅んでたとは思わないか?」
ヒンメルの反論にテイターは即答で切り返すが、彼には目に見える動揺は無い。しかし村人の一人が恐る恐る口を開いた。
「待ってください勇者殿。彼はずっとこの村で普通に暮らせていました。今後この村に危害を加えるつもりとは限らないのでは」
「ヒンメル」
村人の言葉の直後、戒めるようにフリーレンが一言名を呼んだ。
似たような状況に於いて魔族を一時見逃したヒンメルは、その後二度と同じ轍を踏まないようにとあの日に決意した。
その悲劇を思い出させるかのように、旅の男も村民に反対する意見を尖った声で主張する。
「もう既に一人の人間の皮を被ってるんだぞ。コイツの安全性が一体何処にあるんだ」
事実として今まで救われ続けてきた村人の気持ちもヒンメルや旅の男には分かるのだが、相手が魔族と名乗り犠牲者が存在する事を認めた以上、それとこれとは話が違う。
いずれ何処かで決定的に価値観の食い違う瞬間が来て、それが悲劇のトリガーとなる。たとえ魔族が人間との相互理解や共存を望み善意で行動したとしても、それはほぼ必ず殺人という出力になる。
稀に長期間人と過ごせる魔族は居る。
だが人と理解し合える魔族は居ない。
もしかしたらとその固定概念を疑った結果が正に、あの日の子供の魔族の悲劇だったのだ。
「分かってる。コイツは魔族だ」
ヒンメルは決意を固め直す。あの後悔をやり直したくはない。
村人の言葉を無視するのはヒンメルにとって辛くもあるが、今は自分のこの数日間の印象も飲み込んで剣を構え続けた。
だがテイターは彼らの心の安定が崩れているのを見て、出来る限り戦闘を起こさないように言葉を並べる。
「最初は魔族じゃなかったんだ。けどもう魔族の肉体を経由してしまってるし魔族として人を殺した事もある。だからこそ出来る事なら人を殺したくはない。俺はこの体の持ち主を乗っ取った以上、この体が守れる筈だった人々を守らなくちゃならないんだ」
自分の手の平を眺めて話すテイターにヒンメルは問い質す。
「お前にだけは罪と罰の概念があると言いたいのか」
「ヒンメル、それ以上会話しちゃ駄目だ!」
すぐにフリーレンが制止するが、今この場で相手が告げた魔法を破る手段が一時凌ぎ以外見つからない。
呑まれかけていたとヒンメルが気付き剣を構える腕に力を籠めたとは言え、まだ解決策が無い状態で無暗に剣は振れない。それを理解しているからこそテイターは構わず語る。
「俺はもう二度と人を殺したくない。ヒンメル、俺に罪を償わせてくれ。人を助ける生き方を俺に選ばせて――」
「アイゼン、今すぐコイツを遠くまで投げ飛ばして」
フリーレンがそう言った瞬間、アイゼンは小柄な剛腕で彼の服の後ろ襟を掴むと彼方へ投げ飛ばす。投げたアイゼンが水上を走るほどの走力ですぐに追いかけ、何百メートルも先で墜落の衝撃をいなすようにキャッチし、その勢いのままに振り回して死なない程度まで緩めてからテイターを地面に投げ飛ばした。
全身打撲程度だが生命活動に問題は無い。テイターが投げ飛ばされた先は森で、他の三名が来るまで少し時間が出来た。
体の痛みを堪えながらテイターは彼を褒める。
「上手いな」
「それは皮肉か」
「……言ってから気付いたよ」
テイターが木の幹に凭れ掛かるように座ってようやく立っているアイゼンと目線が合う。ドワーフとの体躯の差はそれだけあるというのに、身体能力ではまるで敵う気はしなかった。
妙な動きに即対応出来るように武器と素手の両方を構えているアイゼンに、彼は出来るだけ無抵抗な姿勢のまま語り掛ける。
「俺の事は少なくとも今は見逃すしかない。これはそういう魔法なんだ。俺はただ死にたくないだけで人を殺す気は無いんだよ」
痛みで声が歪むテイターを見下ろし、鈍い声で彼は告げる。
「そう言った魔族がそうだった試しは無い」
「あの村では誰も死んでなかっただろう」
「俺達はあの村で起こった全てを知っているわけじゃない」
アイゼンは鉄のように断固として曲がらない。目の前の存在に油断する事無く完全に敵と定めている。しかしだからこそ今この場でテイターを殺せはしない。
だからテイターは語る事が出来る。
「昔、村に行ったんだ。その時の俺は戦士の肉体だった。俺が見つける間もなく一瞬で俺を殺すほどの戦士だった。その後俺が行った村にはその戦士の知り合いが居た。名前はシーデン。戦士の方は本当はエントって名前だった」
アイゼンは彼から目を離すわけにもいかず、その話を黙って聞くしかなかった。
「その村で俺は記憶喪失という事にしてしばらく過ごした。そこで俺はエントが世界を平和にするために戦士を目指し、シーデンがそれを邪魔しないために一度エントの告白を断った事を知った。どんな思いで見送ったか、その後帰って来た俺にどうして優しくしてくれたかを知って、ようやく自分の罪を理解した。その贖いとして俺は絶対にシーデンを守らなければならないと思った」
「それがあの村って事か?」
「……いや、その村は七崩賢に滅ぼされた。俺が戦っている後ろで村人達はそのまま死んでいった。最後に残った俺は逃げ出した。初めから俺が罪に気付いていれば未来は違ったかもしれない。それを今でも悔やむんだ」
一通りを語り終えるとテイターは大きく息を吐いた。悔恨の念に苦しむ彼の表情は真に迫るものだったが、それを認めた上でアイゼンは彼に告げた。
「だったら何故今別の人間の肉体を乗っ取ってるんだ」
「彼も優秀だったからだ。魔族の言葉に耳を傾けず、ほとんど会話する間もなく殺した。俺が自分の魔法を説明すると彼は即座に作戦を切り替えて事故で殺そうとしたが、結果的に事故を起こした彼の体を俺の魔法は乗っ取った」
その話の終わり際に森の奥から足音がして、この場にヒンメル達が到着した。曇り空の下に沈む森は酷く薄暗かった。
「アイゼン、問題は無いか?」
「ああ」
真っ先に隣まで来たヒンメルが訊き、フリーレンとハイターも魔力を見て乗っ取りが発生していないのを確認した。
ひとまずこれで村人が人質に取られたりするような事も無いが、状況が好転しているかというとなんとも言えないままで、困り顔のハイターが周りに確認を取る。
「しかし彼、どうするんですか。本当に」
「どうもこうも無いよハイター。こんなに危険な魔族は野放しに出来ない」
そう答えてフリーレンが杖を構えた。
「俺は魔族じゃない。元々は人間なんだ」
「だとしてもどこの国でもまず極刑だよ。そしてお前は刑では殺せないし、お前を牢に閉じ込め続けるのも危険過ぎる」
テイターの弁明を飲み込んだ上で、フリーレンは彼の理屈を叩き潰す。実際テイターは脅迫されたとはいえ村を三つ滅ぼしている。そして過去三人の人間の肉体を渡って来た。その罪の重さを彼は理解している。
だが同時に、死にたくないと思ってしまう。
もし過去に戻って、自分が殺した人々を殺さない事を選ぶ事が出来たとして、いずれをやり直してもテイターは死ぬ。
死ぬからこそ、死にたくないからこそ、テイターは人を殺めていたのだ。
「俺は人類の味方で居たいんだ」
彼はぽつりと呟いた。心からの言葉で、心にも無い言葉だった。
「ならこのまま大人しく封印されるべきだよ」
そうフリーレンが答えると、テイターは自分の体が動かなくなり始めているのをやっと自覚する。
もう既に立ち上がるための部位が固まり、まともに行動出来ない状態まで封印が進んでいた。
それは彼が魔法を学んだ師とも呼ぶべき存在、クヴァールも辿る末路だ。このパーティには倒せない敵に対してこういう対処法がある事をテイターは知っていた筈だったのに、こうなる可能性を失念していた。
テイターは、油断していた。
「待ってくれ、俺は……俺が乗っ取ったこの体の人間が守れたであろう多くの命を、俺は代わりに守らなくちゃ駄目なんだ」
震える声でそう呟く様子にヒンメルは顔を仄かに顰める。だが無表情でフリーレンは封印を掛け続け、やがてテイターの肉体は石像のように固まった。
完全に封印が完了すると、アイゼンが彼の封印体に向けて言葉を掛ける。
「自分で殺した人間に成り代わって、そいつの代わりに人々を守ろうとするなんてのは、もうまともな人間の行動じゃない」
そして杖を下ろしたフリーレンも彼に同意するように、浅く頷いて言った。
「そうだね。本当に魔族じゃなかったとしても、テイターは人類とは分かり合えない所まで来てしまっていた。今はもう封印するしかない。どうやって倒すかは後で私が考えておくよ」
かつて南の勇者はテイターに向けて、自分がどう見えるかを自覚するべきだと告げた。だが結局テイターは、今の自分が他者からどんな存在に見えるのかを客観視する事は出来なかった。
村に戻ったヒンメル達は村人に彼の事を説明した。
今までずっと彼に守られ続け、ボーデンと呼ばれる男の事も全く知らない村人達は、旅の男とは流石に認識が異なる。
村人の内に混ざる気持ちの具合は、今まで魔族が近くに潜んでいた事への衝撃と嫌悪が混ざった感情が七割。彼が本当に裁かれるべきだったのかという疑念と彼を庇おうとする感情が三割だった。
「信じてください、彼は本当に今まで何もしてない!」
村人の三割に旅の男は厳つい表情で反論する。
「信じるさ。だが村に来る前にはボーデンの体を乗っ取ってる。しかもボーデンの最後の仕事は村を壊滅させた魔族の討伐だぞ。この村はたまたま今日まで無事だっただけだ」
その旅の男を中心として村人同士でさえも意見は衝突する。
「そうだ。我々の全員に正体がバレた以上、もう奴が大人しくする理由は無い」
「だが我々が今までに受けた恩を仇で返すようなこんな事……」
「そう思わせてでも騙すのが魔族という存在だ。俺は魔族と子供達を同じ村に住まわせるなんてごめんだぞ!」
決して誰も理性を失っているわけではない。どの意見も人間が抱く感情としては一定の正当性のようなものがある。だがその様子をフリーレンは少しだけ遠巻きに見て呟いた。
「封印を解くなんて言ってる人はあの魔族に騙されてるよ」
「それは僕達もだフリーレン。あの旅の人が来なければそのまま村を立ち去っていた。それにあそこまで真剣な村の人達の意見を無視は出来ない」
全ての意見に律儀に耳を傾けようとするヒンメルの服を掴み、彼女は無機質に事実を突き付ける。
「全員の総意じゃない。奴を始末したい人は村人にも居るし、なんならそれは多数派だ。結局はどちらかの意見を捨てなくちゃならないんだよ」
「そうだね。だけど君はあの日魔族を村に受け入れた時に、僕の意見を無視する事も出来たのにそうしなかった。僕とは違って。だから僕は今でも君の事を迷わず信じられるし、そのために皆で話し合うんだ」
だがそう彼女に説くヒンメルの顔は暗かった。
彼はテイターの言い分はほぼ全く取り合わなかった。
だが現実問題として魔族に対しては『相手の話を聞く』という事が最も悪手だ。今にして思えばヒンメルはもう心の中で三割以上、テイターの言葉に言いくるめられてしまいそうだったと自己分析できる。
ヒンメルはフリーレンに助けられた。あの日フリーレンの言葉を聞かなかった事を後悔した今でもなお、彼女が決断してくれなければ自分が今日どんな選択をしたか今でも分からなかった。
その後何十分も意見を交わし合った結果、最終的には村長の提案と責任によってテイターは封印措置となる。中にはその決定に対し彼への同情を持つ者も残ったが、それでも村人の安全のためだと村長が諫める事でひとまず納得は得られた。
また今後しばらくの村の守護は旅の男が買って出ると、村人もそれを受け入れた。
昼前に村を出立して再び旅路を歩き始めたヒンメル達は、その道中で彼の事を話した。
「結局彼はあの村で何がしたかったのでしょうか」
最初にそんな疑問を口にしたのは、何処か後ろめたい表情をしたハイターだった。それに対して淡泊にフリーレンは言い返す。
「考えたって答えが出るわけじゃない。あいつが言った魔法が本当かどうかを確認するわけにもいかないし、仮にどんな存在でも封印した事が間違いだとは思わない。魔族を名乗ったんだからね」
「ああ。あのまま村に放っておけなかった。今はそうとしか判断出来ない。もし旅の途中で封魔鉱を見つけたらあの村に戻って奴を倒すか、戻れない距離だった時は村に届けて貰って、他の冒険者がテイターを倒せるようにするしかないだろう」
ヒンメルの言った以上の方針を提案出来る者は居なかった。思わぬトラブルが潜んでいたあの村の方角をフリーレンが目線で気にしていると、彼女にアイゼンから声が掛かる。
「しかし意外だったぞフリーレン」
「何が?」
彼女が訊き返すとその話題にヒンメル達も耳を傾け、アイゼンの言葉の続きを聞く。
「お前がテイターを本当に魔族じゃなかったかもしれないと言った事がだ。俺はお前ならてっきり、魔族の言葉に耳を傾ける価値は無いみたいに言うと思った」
「ただの仮定だよ。別に思ったから言った言葉じゃない」
だが確かに普段のフリーレンであれば間違いなくそういう対応をしていただろう。ああいう言い回しは珍しくはあるが、あの程度の命乞いをする魔族もザラに居る。
しかし彼女はその部分に対して、何か言葉に出来ない大きな引っ掛かりがあった。言われてみて自分でも意外なほどにテイターを魔族と見切る事が出来ていなかった。
それを考えこんでいるとヒンメルが言った。
「きっと名前じゃないか?」
「あいつの名前がハイターの名前に似てたからって事?」
「だとすると複雑な気分なんですが」
ふざける様子も無く真顔でフリーレンがそう聞き返し、ハイターは苦笑いする。そしてそこに彼女の天然が追撃した。
「別にハイターに似てるんなら私普通に倒せるけど」
「だとしても複雑な気分なんですが」
眼鏡の奥の目が光に隠され、ハイターの口元に見える笑みの元気が妙に薄いが、特に誰かが慰めるという事も無かった。
そしてヒンメルは先頭から最後尾のフリーレンへ振り向いて、少しだけ哀し気に語った。
「ボーデンの名前が書かれてる部分を杖から取り外したのに、処分せず保管してた事だ。これは魔族の合理性じゃない。そういう部分に僕は凄く人間味を感じた。それに村で実際に彼と関わってる間はベトルークが……テイターが魔族だなんて全く思わなかった」
確かにその辺りが決定的なのかもしれない。それこそフリーレンの目からしても、テイターの言動は魔族のそれとはかけ離れていた気がした。
そしてだからこそ彼を村には置いておけない。
例外的な挙動をする魔族は、危険性が測りにくいという点が正に高い危険性を持つ。それが理解出来ているフリーレンですら本当に魔族だったのかを疑うほどの擬態能力なのだから、放置などあり得なかった。
「私は彼を人類とするつもりは無いよ」
フリーレンはそう三人に告げて、自分の中に渦巻く猜疑心を心の片隅へ押し込んで保管する。それを受けてヒンメルは三人を見ずに空へ語った。
「勇者は誰かを裁くための正義を保証する肩書じゃない。僕達の使命は魔王を倒す事だ。もし僕達が間違えていたならきっと今度は僕達が償う番になる。ならせめて、それまでは前に進む事が大切だ」
四人は魔王討伐の旅を続けた。
その一ヵ月後に森の中でテイターは目覚めた。
封印が解除され石のようになっていた肉体が機能を取り戻し、やがて視界に一人の女性の姿が映る。
その幼さを印象に持つ女性は両手の指先を合わせて、楽しそうな満面の笑顔で彼の瞳を捉えて言った。
「今度は人類の肉体の貴方とお話し出来そうね」
彼の前に居たのはソリテールだった。