(灰原、私は結局何がしたかったんだろうな)
抉られた腹部からの出血、産土神との戦闘でのダメージ、心理的動揺…それらの蓄積は1級術師たる七海をして限界を超えていた。
意識は朦朧とし、気を抜けば立つこともままならない程に力が抜ける。
(逃げて、逃げたくせに…やり甲斐なんて曖昧な理由で戻ってきて)
だが、それでも長年鍛え抜いた身体は自身に向かってくる産土神の攻撃を避け反撃を加える。
振るわれた鉈は7:3の線分を的確に狙い打ち、産土神の腕が宙を舞う。
しかし、それだけ
切り飛ばした腕は直ぐ様呪力によって治癒され、産土神は再び七海に向かってその豪腕を振るう。
辛うじてそれを躱すも、足元は既にがくがくと震え、酩酊したように覚束ない。
土地神、産土神は人の信仰に根差す呪霊
その術式に名は無い
その術式に明確な形がないから
その術式はただ一つ
自身を知る者の畏れを自身の呪力へ換える
たったそれだけ、多くに知られねば…畏れられねば
この場には───友を亡くした男が居る
ずっと、南の方の…物価の安い穏やかな国で早期リタイアでもして暮らす事を考えていた
呪術師に後悔の無い死は訪れない、それが恩師の口癖だった
それはそうだろう…なにせ、呪術師は寿命で死ねないとまで言われる──新人呪術師の一年内での離職率は5割を超えるらしい
呪術師を辞める者が多い…のではない
生きて帰ってこないのだ
マラソンゲーム、かつての先輩はそう例えた
ならば…私は途中棄権したのだろう
ゴールに絶望して、脇道に逸れた先輩
走る途中で斃れて行った多くの人間達
その先頭を、一人で走り続ける…先輩
それを尻目に、私は一人で降りたんだ
全て、投げ出して……
なら、私は何故帰ってきた…?
産土神が、一際大きく腕を振りかぶる。
七海を叩き潰さんと、大きく、大きく…
やり甲斐?それもある…人に感謝されたかった?それもあるかもしれない
だが、一番は……一番、私を動かしたのは───
『七海』
産土神の姿が、過去のソレと重なる。
思い出したくもない苦い記憶
幾度となく思い出してきた記憶
「灰原…」
あの時、灰原が遺した言葉
耳に焼き付いたそれは、私の在り方を変えてしまった
別に、恨んではいない
むしろ、恨まれているとすれば私の方だ
『七海、後は頼んだよ』
私は逃げてしまった
全てから、目を背けて
先輩から、灰原から、呪霊から───自分からすらも
今さら現場に戻って、遮二無二呪霊を祓っても過去は変わらない
私が見殺しにした誰かが生き返る訳じゃない
私が破った友との約束が都合よく果たされる訳でもない
なら……私は何故帰ってきた…?
『他人の指図でお前は呪いに立ち向かうのか』
産土神が両手を握り合わせ七海へと振り下ろす。
呪力量だけで言えば、特級は下らない呪霊の全霊
その一撃は、満身創痍の1級術師に対処できる範疇では──
『七海、自分が呪いに殺された時も…そうやって灰原のせいにするのか』
振り下ろされた産土神の腕が…止まった。
否────止められた。
「何故…?そんなもの、わかりきっているでしょう」
産土神の豪腕が、頭上にて大鉈を構える七海に受け止められていた。
両者の力が拮抗───否、徐々に…徐々に
七海が産土神を押し返していた
「灰原に言われたからでも、五条さんに助けてもらったからでもない…私がやりたいから──自分勝手にやっているんだ!」
1級術師、七海建人は自身に縛りを課している。
平常時の呪力出力を全開時の80〜90%に抑えることで、特定の条件下に限り自身の全力以上の実力を発揮できるように
その条件とは、時間外労働
任務開始から八時間以降、七海は120%の実力を発揮できる。
だが、1級術師である少年との連携とまるで
しかし、七海の全身から溢れんばかりの呪力が無制限に湧き上がる。
七海健人は、時間による縛りを自身に課している。
任務開始を始業とし、八時間の経過をもって自身の全力を超える力を引き出す縛り。
仮定、もしも…呪力を制限する時間が途方も無い長期間に及んだとすれば?
仮定、もしも…任務開始から途方も無い時間が経過していたとすれば?
仮定、高専二年七海健人が受けた産土神祓除の任務…失敗で終わった筈のソレが───未だ、終わっていなかったとすれば?
「ここからは────
勝ったとて、友が帰ってくる訳では無い
復讐にすらならぬ自己中心的な
七海の冷静な部分がそう告げる。
しかし、同じ程に…否!冷静な声を掻き消す程声高に、自身の何かが叫ぶ
逃げるな!今度こそ、今度こそ勝て!!
何の為に戻ってきた?あの日を後悔したからだろう!
命を投げ出す覚悟を
復讐に、意味などない
成したところで、故人が生き返る訳でもあの世とやらで喜んでくれる訳でもない
ましてや、この産土神はあの時のソレではなく真人が術式で再現しただけのもの
ならば──七海の怒りは不当で理不尽なものか?
否、断じて否!
復讐とは、今を生きる人間───残された人間が、過去に区切りをつける為にある
後ろを向き、死んだように生きる──生きるように死んでいる七海が、過去を呪わずに…自分を呪わずにいられるようになる為に。
親友の言葉を『呪い』にしない為に
過去の鎖を離せぬ男が、過去から未来へ
青い春を忘れられぬ男が、後ろから前へ
友の言葉を違え苦しむ男が、南から北へ
向き直る為にこそ、復讐はあるのだ
七海の振る大鉈が、産土神の四肢を斬り裂いていく。
だが、産土神もまた
獣のような咆哮と共に大鉈を弾き飛ばす…
しかし、それよりも大きな咆哮が七海の喉を引き裂くように溢れ出る。
歓喜も、憤怒も、憤懣も、痛痒も、悔恨も、高揚も、悲喜交交の全てを籠めて、七海は拳を振り上げる。
その『現象』は打撃との誤差0.000001秒以内に呪力が衝突した瞬間に起こる。
空間は歪み
呪力は黒く光る
友との別れを惜しむように、決別を祝すように
極限の集中が齎した100万分の1の火花
名を───『黒閃』
その威力は、平均で通常時の2.5乗。
産土神の身体が弾け飛び、消失反応の煙が立ち上る。
『ふーん…倒せるんだ』
ぜぇぜぇと、肩を揺らす七海を薄ら笑いで見る真人。
縛りによる呪力の増強は…既に、終了していた。
途端に全身が負傷を思い出したように重くなり、握り慣れた大鉈が手放したくなる程に重く感じる。
『いや〜!感動しちゃったよ!!
アイツとの絆が俺に力をくれる〜ってヤツ?』
ぱちぱちと嘲るような拍手と共に真人が嘯く。
『だからさ…もっと見せてよ』
薄ら笑いが鳴りを潜め、酷薄な笑みが浮かぶ。
その周囲には、10を超える数の産土神が七海を睨みつけるように佇んでいた。
「まったく…本当に、人の話を聞かない……」
七海は、真人と産土神達から視線を切って呆れたように天を仰ぐ。
『なに、壊れちゃった?』
七海の行動に真人は首を傾げながらも産土神達へ指示を飛ばす。
産土神達が、七海を始末せんと殺到するも…七海は動こうとすらせずに独りごちる。
「五条さんといい…
産土神達が、七海の目前まで、迫る───
「待機と言った筈ですが?」
下水道の壁が、爆ぜる。
真横にいた産土神達の大多数がその爆裂に巻き込まれ、一瞬にして塵と化す。
そして、残った産土神も電撃が付与された瓦礫が散弾銃のように飛来し消滅していく。
七海はブチ抜かれた下水道の壁を見遣る。
その先には───淡いオレンジとも、ピンク色ともとれるような髪をした少年が戦杖を構えて立っている。
「それなら、俺も言ったでしょう?
待機ってのは肌に合わないもんで…なにせ、全力投球が若者の美徳ですからね」
少年は七海の前に立ち、真人を睨みつける。
七海はそんな少年の後ろ姿に、かつての最強を幻視し…ため息のように笑う。
「本来ならば、作戦行動をとれない事に説教でもするべきでしょうが……助かりました」
優しい笑みと共に、七海は少年に一つの言葉を贈る。
『呪い』ではない…全てを少年に任せてしまう事への謝罪と、ほんの少しの僻みと共に
少年が、無事に戻ってこれるよう『お
「後は頼みます」
少年の目が見開かれる。
意外そうに…そして、少し嬉しそうに。
この言葉の意味など、分かる筈もないというのに…何故か、全てが伝わったような気がした。
『ようやくメインディッシュ…ってとこかな?』
「そんなに腹が減ってるならしこたまに喰らわせてやる
だが…俺は少し刺激が強いぞ」
走り去る七海に一瞥すらなく、少年は真人と対峙する。
真人は少年を一目見て…少年の背後、走り去る七海へと槍のように腕を伸ばした。
『アハッ!!』
嬌笑、真人の顔が喜悦に歪む。
任せられたくせに俺に殺されてんじゃん!!お前は何も守れない!
串刺しにした七海を眼の前に突き出してそう笑ってやろう
なんならそのまま改造人間にしてやっても良い!
思い描くステキな未来に真人は笑みが抑えきれない。
『…え?』
瞬間、真人に…雷が落ちた。
否、落雷ではない…紫電を纏った少年の右拳が、真人の頬を打った。
けたたましい爆音と共に真人の頭が爆ぜる。
手榴弾のように四散した頭部は電撃により灼け爛れ、黒く煤けていた。
「お前のような下衆の考えそうな事だな
俺に注意を向けたような言動からしてブラフ、お前は最初から最後まで七海1級術師しか狙っていない」
少年は唾棄するように真人を見下ろす。
「にしても…お粗末だな、そんなブラフではお前のような下衆しか釣れまい」
ミチミチと、逆再生のように四散した真人の頭が修復されていく。
『御高説どうも…お前の耳障りな声より効きもしねぇパンチ一発当てられたのが、そんなに嬉しかった?』
術式【無為転変】を持つ真人には、通常の攻撃は一切が無意味。
魂を強く保つだけで、肉体の損傷は修復されるのだから。
真人を祓うとすれば…五条悟のような規格外による肉体を構成する呪力が尽きる程の猛攻──若しくは、魂そのものへ攻撃を加える必要がある。
修復された真人の頭部、それは───
『効かねぇんだよ!テメェの御自慢の馬鹿力なんてな!!』
少年が魂を知覚できない事を、如実にあらわしていた。
「だろうな…俺は、虎杖悠仁じゃないからな」
少年は瞑目し、呟く。
誰に聞かせるでもない、自分に言い聞かせるような呟き。
濃密な死の気配を纏い、真人が少年と対峙する。
「だから…すり潰してやるよ、腐れ外道!」
『やってみろよ、出来るもんならなぁ!!』