良い人になりたかった。
例えば飯を食って寝て、夜に天井見ながら急に大声で泣き出したりしないような。
良い人になりたかった。
例えば挨拶をしても罵倒や無視以外が返ってくるような。
良い人になりたかった。
例えば自分よりも下を必死に探して、息切らして蔑まなくても生きていけるような。
良い人になりたかった。
生きてても何も出来やしなくて、何かを残せる訳でも無いから。
そのくせ死にたくなかった。
死んだら、全部終わりになるのがたまらなく怖かったから。
…………なんにも無い空っぽの人間のくせに、何も初めてすらいやしないくせに、それでも一丁前に人一倍終わるのだけは怖かった。
良い人になりたかった。
そしたら、死にたくないって言えるから。
昔から、見えてる地雷を踏みに行くのが好きだった。
だって、面白くないものを見ると安心するから。
俺より下が居るんだって、俺より惨めで最悪な奴が居る…だから俺はまだ全然大丈夫だって安心できた。
面白くないゲームに面白くない本、面白くない映画に面白くない音楽…全部最悪で安心する。
俺だって生きてても良いんだって言い訳できるから。
良い人になりたかった。
言い訳しながら生きていかなくてもいいような、そんな人になりたかった。
いつだって、なりたいって口だけでなにもしないから、死にたくなった。
死にたくないのに、死にたくて
死にたくて、死にたくなくて、死にたくて、死にたくなくて、頭がぐしゃぐしゃで、ぐしゃぐしゃで、許して欲しくて、言い訳して、見下して、蔑んで、自分はまだ大丈夫だって言い訳して、死にたくなって、泣き喚いて
どうしようもない自分に絶望した。
だから、チャンスだと思った。
クソみたいな世界でも、主人公で、力があって、どうしようもなく『善人』な虎杖悠仁になれたんだから…今度こそ、俺みたいなどうしようもない奴でも良い人になれるんだって。
嬉しかった、人助けをするたびに褒められて、認められるのがたまらなく心地よくて、もっと認めて欲しくて、もっともっと褒めて欲しくて───
小学4年の夏、どのチャンネルでも同じニュースが流れた。
下校途中の小学生を狙っての連続暴行殺人、犯人は見つかっておらず注意を…そんなニュースキャスターのセリフを聞き流しながら何気無く見たテレビの画面。
「ゔお゛ぇ…っ」
褒めて欲しかった。
最近身体がだるくて…そう言ったお隣のお兄さんの肩に、気味の悪い呪霊がお兄さんの首を締めるように纏わりついていたから────俺は、それを、祓った。
お兄さんは身体が楽になったって喜んで、何度も俺を褒めてくれた。
俺はそれが嬉しくて、褒めて欲しくて、認めて欲しくて、良い人になりたくて。
何度も、何度も、何度も、何度も。
お兄さんはいつの間にか呪霊に憑かれてた。
だから、俺は、それを祓って……
警察がお兄さんを逮捕したのは、俺が13匹目の呪霊を祓った後だった。
良い人になりたかった。
今度こそ、良い人に…
呆然と立ち尽くす少年へ、その一撃は呆れる程に容易くそして深々と突き刺さった。
黒い火花は、微笑む相手を選ばない。
『どーせオマエは!!』
吐瀉物に塗れ、蹲る少年の横腹を蹴り上げながら真人は嗤う。
高らかに、呪いのように陰鬱に。
『害虫駆除とか!!RPGのレベル上げとか!!』
手は使わず、執拗に蹴り続ける。
反撃はおろか受け身すら取らない少年を嘲笑うように。
『その程度の認識で
甘ぇんだよクソガキが!!』
飛び散った吉野順平だったものに擦り付けるように顔を踏み躙る。
『これはな戦争なんだよ!!
テレビやマンガなんかじゃねぇ!現在進行系で起こってる殺し合いなんだよ!!』
踏みつける、踏み躙る、踏み潰す、踏み砕く。
執拗に、執拗に、執拗に…二度と立ち上がりたくなくなるように。
『誰も彼もが1秒先の安全をかなぐり捨てて!!
殺し合ってその最後の最後に残るのはどっちかっつーそういう戦いだ!!』
くしゃくしゃに丸めたちり紙のようにぐずぐずになった少年に、真人は微笑みかける。
『そんな事にすら気づけないで、命も賭けてない奴が…どうして俺に勝てるよ』
優しく、壊れ物を扱うように…真人はその両手で少年の顔へ────触れた。
「うぶ…っ!げぇ゛ぇっ!」
瞬間、触れた真人の手が弾かれ少年が虫けらのように這いながら逃げ出す。
真人は熱傷を負った手と繰り返し嘔吐する少年を観察する。
(初めての感覚だ…一つの肉体に複数の魂!
このガキ、最初から呪物を呑み込んで来てたな?呪物達の魂に邪魔されてコイツ自身の魂にはほとんど触れる事が出来なかった)
だが、と真人は嗜虐的な笑みを…呪いらしい凄惨な笑みを深める。
(ほんの少し触れただけだが…わかった!
コイツはなぜかは知らないが肉体と魂との繋がりが
真人の視線の先では、少年が見るも悍ましい数々の呪物をその口から吐き出し続けていた。
『2回…いや、黒閃を経験した今の俺ならもう1度触れるだけでお前をもっと
赤かった顔が酸素欠乏により青く変わりながらも、少年はいまだに嘔吐し続けている。
とてもではないが人間一人の胃に収まるとは思えない量の呪物が既に吐き出されているというのに、いまだに少年の口からは指や髪、眼球に歯といった呪物が止め処なく溢れ出す。
(目に見えて魂が減った…残るはあのガキ自身と、漏瑚が戦ったっていうヤツかな?)
自身の勝利を半ば確信しながらも真人は焦らずにゆっくりと歩を進める。
相手の攻撃は効かず、こちらはワンタッチで仕留められる…この状況で焦る必要がないというのが一つ。
そしてなによりも…少年の目に、ドブで溺れ死を待つだけのネズミのような無力極まる色を見たからである。
良い人になりたかった。
褒められて、認められて、貶されなくて、煙たがられない…そんな人になりたかった。
じゃあ、もうダメじゃん。
小沢優子の死に、心底絶望した。
助けられなかった後悔や少女の身に起こった悲劇を憂うよりも先に、彼女の死で取り返しのつかない
虎杖悠仁でいるなんて耐えられなかった。
俺は結局、なんにも変わってなんかいなかった。
助けた人間が人を殺すかもなんて考えられなくて、無責任に手当たり次第助けるだけの薄くて弱い人間だった。
伏黒君も、釘崎ちゃんも、そして虎杖悠仁にも…俺は似ても似つかない偽物のままだった。
それでも、がむしゃらに…助けられれば、と思ったんだ。
吉野君も、七海さんも、みんなを助けたくて……俺は…
眼前まで迫る真人に、しかし少年の身体は動かない。
生を諦めた目に、真人はただ笑みを浮かべ…その手を伸ばす。
『ったく、手間のかかる』
真人の手が再び弾き飛ばされたのと、その声が少年の口から漏れ出たのは同時だった。
『ぐだぐだぐちゃぐちゃと考えやがって…!
悠仁、お前は何を託された…思い出せ、倭助の奴はお前になんて言った』
紫電を纏うその身姿に、真人の総身に怖気と緊張が走る。
確信、目の前の存在が死に行くドブネズミではなく
『お前は、悠仁がつけるべき「ケジメ」だ
本来なら俺がしゃしゃり出る場面じゃねぇ…』
知らず、後退り距離をとる真人に鹿紫雲は言う。
『場面じゃねぇが…不甲斐ない弟子の代わりだ
遊んでやるよ、三下!』
瞬間、真人の頭部が
意識の外、超高速にて繰り出されたハイキックにより舞う血飛沫を眺めながら…鹿紫雲は自身の生得領域内の少年を見る。
膝を折り、蹲る子供を。
全てに挫折し、縋るべきよすがすら失った男を。
自身の、弟子の姿を。
『思い出せ、お前が託されたものを
それがお前を…一歩、前に連れて行く』
そう言って、鹿紫雲は…少し笑った。
『もっとも、アイツは前に連れてくって柄じゃねぇな
物心がついた時には、もう祖父と暮らしていた。
祖父は…一言で言うと昔気質な人で滅多に感情を表に出さなかった。
それでも、男手一つで俺を育ててくれた恩人で…たまに見せる不器用な笑顔が俺はとても好きだった。
高校に入る少し前に、祖父は体調を崩して…入院生活を送る事になった。
本人は酒もタバコもする以上仕方ないと言っていたが、それでも俺は悲しくて…寂しかった。
「花なんか一々買うな、貯金しろ」
高校終わりに毎日病院まで走った。
祖父はあまり良い顔をしなかったが、それでも来るなとは一言も言わなかった。
あの日も、そうだった。
「悠仁、オマエは小さいガキの頃から何でも出来たな」
花瓶の水を替えていた俺に、祖父はそう話し掛けてきた。
「要領が良いっつーか、勉強も運動も人付き合いも…手間の掛からねぇガキだった」
空手をやってて、太かった腕も脚も、すっかり細くなっていた祖父は…それでも手招きで俺を呼び寄せて──頭を撫でてくれた。
「な…にを……」
「思えば、親らしい事なんてしてねぇからよ」
まぁ、ジジイらしい事もしてねぇけどなと笑いながらすっかり薄くなった胸に抱き寄せて…頭を撫でてくれた。
「オマエは強いし何でも出来る…けどな、だからって何でもかんでもオマエがやらなきゃならねぇ訳じゃねぇ」
節くれだった指で、もうあげるだけでもだるい手で、俺を撫でてくれた。
「出来るってのはしなきゃならん理由じゃねぇ
世の中案外適当に出来てんだ…オマエがやんなくったって他の出来る奴が勝手にすんだよ」
それは、虎杖悠仁へ遺した言葉じゃない。
どころか…正反対とすらとれる言葉だった。
「それでも、オマエが誰かを助けるんなら──俺の孫を、助けてくれ
すぐに泣く寂しがりのくせに、変に強がる奴でな」
それは、
「俺の、自慢の孫なんだ」
「俺は…でも、人殺しで……吉野君だって、助け、られなくて……」
いまだに立てず蹲る少年の前に、傷とマメだらけの無骨な手が差し出される。
『立て、悠仁』
「駄目だ…師匠、俺は……もう、俺が信じられない
駄目なんだ…もう、俺は……もう…っ!」
『なら、信じるな』
蹲る少年の胸ぐらを掴み、鹿紫雲は軽々と持ち上げる。
『お前はこれから一生自分を許すな、人殺しの畜生だと責め続けろ』
鋭い、刺すような目で鹿紫雲は言う。
『どれだけ人を救っても、どれだけ人に感謝されても責め続けろ…お前だけは何があってもお前を憎め』
ぼろぼろと大粒の涙が溢れ、少年の顔をぐしゃぐしゃにしていく。
『そんで、お前は────俺を信じろ
お前を信じる、俺を信じろ』
「し、しょう……」
掴まれていた胸ぐらを離され、尻から落ちた少年は呆然と鹿紫雲を見る。
『それとも、お前の前で俺は──信じるにも値しない男だったか?』
言いたい事は、無数にあった。
それでも、嗚咽しか出ない喉と口を恨めしく思いながら…少年は立ち上がる。
涙はもうない。
なすべき事は────決まった。
『行ってこい、馬鹿弟子』
「はいっ!師匠」
今はただ、感謝を。
反撃───開始!!