「そっちのタイミングでいーよ!」
ズボンのポケットに両手を突っ込み、目隠しを外す事すらせずに五条は言う。
「そうか…ならお言葉に甘えよう」
ユグドラシル少年は肩に担いでいたバッグを降ろすと中の呪物を鷲掴みにしそのまま口に放り込む。
まるでリスのように頬を膨らませながら、幾つもの呪物を手当たり次第に呑み込む。
(……へぇ、元からかなりの呪力量だったけどコレは──)
「……ふぅ…お待たせした」
鋭い、刀剣を思わせる気迫。
凡そ、高校生が放って良い雰囲気ではない。
「スゴイね…単純な呪力量だけなら──僕より多い」
不敵な笑みと共に自身の師が口にしたセリフに、伏黒は思わず目を見開く。
「マジか…!五条先生より呪力量が上、乙骨先輩並って事か…!?」
(この上昇量…呪物の持つ呪力を単純に吸収してるワケじゃなさそうだ
幾つか縛りでも掛けてるのかな?もしかしたら呪力を得られるのは消化するまでという時間制限が簡易的な縛りになってるのかも…
どちらにせよ、彼が敵じゃなくて良かった…恵はおろか憂太でも怪しかったかもしれない)
軽薄な笑みの下で、五条悟は歓喜の笑みを浮かべていた。
強く、聡い仲間を…それが五条悟の目指す教育の果て。
力を持つ一人が全てを変えるのではなく、皆が力を持ち重責を分かち合う…そんな未来を思い描いてきた。
三年の秤金次、二年の乙骨憂太…そして、眼の前の彼。
全員が、自身を超えるかもしれない逸材…
そう、突出した個は……碌な事にならない。
だから……仲間が必要なのだ。
強く、聡い……一人でも多くの仲間が。
「俄然、君をボコボコにして高専に連れて行く気が湧いてきたよ!」
「そうか…俺も俄然、貴方への敬意が薄れてきたよ」
28歳の成人男性が15歳の高校生をボコボコにすると笑いながら言う…世も末である。
その戦いの幕を切ったのは、少年の投石だった。
否、投石と言う程に大きくはない…グラウンドに落ちていた砂利を呪力で覆い、さながら散弾銃の如く五条へ放った。
たかが砂利と侮るなかれ…ユグドラシル少年は呪力による強化無しでも砲丸投げの鉄球を軽く数十メートル投げる強肩。
その肩力を呪力で強化し、更には呪力で砂利を鋼鉄もかくやと言わんばかりに強化した状態で放つそれは…並の術師ならば膝から上が瞬時にミンチとなる正しく殺人級の威力を持つ。
しかし───その砂利の散弾は五条からほんの数センチ離れた位置にてピタリと停止して落下した。
「……厄介な術式だ」
「お褒めいただきどーも!」
未だに身動ぎ一つせずに笑う五条。
その顔は、暗に語る──掛かってこい、と。
「上等!!」
グラウンドが爆裂する程の踏み込みと共に、ユグドラシル少年が駆ける。
まるで美しい舞踏のように洗練された動きで繰り出される、右ハイキック。
しかし、それも…五条のこめかみ数センチ手前で停止する。
「ハァッ!!」
即座に停止した右足を振り下ろすと、強く踏み込み両の腕にて乱打を仕掛ける。
けたたましい騒音が鳴り響き、激しい殴打の音が響く。
(凄いな…当たってないよな?
この音……音速の壁を叩いてるのか)
その全てが掠りもしない…しかし、五条は内心舌を巻いていた。
呪力で強化しているとは言え、術式らしい術式もないというのに音速を超える打撃を放つなど…自分でも出来るかどうか。
音の壁を超えた証拠…ソニックブームがグラウンドやユグドラシル少年の服を引き裂く。
しかし、未だ五条は服にチリ一つ付けず立っている。
「フンッッ!!」
ユグドラシル少年が勢いよく脚を振り下ろすと、まるで水面を叩いたようにグラウンドの土が巻き上げられる。
水柱ならぬ土柱を作りながら、ユグドラシル少年は凄まじい速度で五条の周囲を旋回する。
(強い…けど、搦め手が足りないな
術式が無い以上、僕の無限を抜く事は出来ない)
五条は少年の想定以上の強さに驚かされはしたものの、自身の勝利は揺るがぬと余裕を崩さない。
その余裕が崩れたのは…少年の旋回が大きな空気の渦を作った後の事だった。
(……目眩まし…か?確かに、僕の無限にも目眩ましは有効だけど…そこからの決め手が無い以上は……)
「ゴボッ…!?」
最初に感じたのは…頭が割れるような痛み。
次いで、五条の鼻と目から血が噴き出した。
「ご…これは…っ!?」
五条悟は、絶えず術式を発動させる為に自身の脳を反転術式により常に修復し続けている。
故に、【頭痛】などあり得ない…しかし、現実としてドボドボと鼻と目から血が流れ立つのも困難な程の頭痛が襲う。
「く……まさか、
五条は遅まきながら、ようやく自身に起こっている異常の正体に行き着く。
人間は、常に大気圧により全身を圧迫されている。
故に、大気圧が低くなると圧迫されていた様々な部分がほんの少し膨張する…さながら山頂でのポテトチップスの袋のように。
そう、それは──血管も例外ではない。
(音速で走ってるんだ、無限に阻まれて僕には伝わらなかったが尋常じゃない熱が発生していたのか…っ!
そこに加えてあの竜巻クラスの空気の渦!!その2つで僕の周りに超低気圧の空間を作ったワケだ…!)
五条悟に物理的な攻撃は意味を為さない。
しかし、もし仮に五条悟を宇宙空間に放逐できたとすれば…瞬時に絶命せしめるだろう。
五条悟の持つ無下限呪術はあくまでも対象との間に無限の距離を作り出すのみ…
故に、周囲の大気圧を物理的に変化させられては…いかに五条悟と言えどどうしようもない。
「さて…ようやく動いたか」
「……やるじゃん」
しかし、タネが割れれば対処は可能である。
五条悟は、ただ移動すれば良いだけの事。
高温と旋回による空気の渦で周囲の大気が巻き上げられる事で発生する超低気圧空間は、あくまでも局所的なもの…五条が動かない事が前提なのだ。
五条は血に塗れた目隠しを脱ぎ捨てると宝石のような目を見開く。
全てを見通す、美しき破滅の瞳…名を
呪術界に身を置く者ならば…喉から手が出る程に渇望する、異能である。
(いつぶりかな…自分の命に、手が掛かったのは)
拭い取った血を舐め取りながら、妖しく嗤う。
「少し、本気を出そうか」
五条は…教職者として、そして何よりも──今は亡き唯一の親友からの言葉を守る為、軽薄ながらどこか超然とした態度をとってきた。
しかし、五条の本質は───
「よく言う…少しで済む顔ではないぞ」
──生粋の、戦闘狂。
「アハッ!バレちゃった!!」
瞬間、グラウンドに
五条が、少年の頭を力の限り地面に叩きつけた為に。
「さぁ…!愉しくなってきた!!」
「そっちの方が良いな…少し、敬意が湧いてきたよ」
叩きつけた少年の頭を躊躇なく蹴り飛ばす五条。
少年は瞬時に頭との間に手を滑り込ませ蹴りを受けるも、破滅的な威力を殺し切れず紙屑のように吹き飛ばされる。
少年が吹き飛ばされた先には…それを待ち構える、五条が居た。
「グッ…!!」
少年は空中で無理矢理身体を捻ると拳を振りかぶる五条へ向き直る。
ガギィ!!と、金属がぶつかりあったような硬質な音と共に交差した少年の腕と五条の拳がぶつかり合う。
一瞬の均衡の後に、弾丸のように弾き飛ばされた少年がグラウンドに新たなクレーターを作る。
五条は肉食動物が浮かべるような獰猛な笑みを、更に深める。
「君…やっぱ───嘘つきだね」
「そりゃ嘘つくさ……呪術師なんだから」
少年を殴り飛ばす際に、少しでも威力を上げる為無下限によるバリアを解き少年に直で接触した五条の手が、黒く焼け爛れ…痺れていた。
少年の周りでは、放電によるスパークがバチバチと音を立てる。
「良い加減、そろそろ起きろ…
「喰ってんじゃんか!特級呪物!!!」
少年の眼のフチに落雷を思わせる意匠が浮かび上がる。
『おい、悠仁……コレは、俺がやって良いんだな!?』
ユグドラシル少年の雰囲気が、ガラリと変わる。
その顔には、奇しくも五条と同じ……獰猛な笑みが浮かんでいた。