ユグドラシル悠仁の訃報、それを初めに聞いた五条悟が抱いたのは……底知れぬ喪失感であった。
つい先日自身と戦い、敗北こそしたもののここ数年間で…否、ともすれば『最強』となってから最も苦戦したと言って良い相手。
久方ぶりに、熱くなれた相手
久方ぶりに、隣に立つかもしれなかった相手
初めて…剥き出しの自分を、理解してくれるかもしれなかった───相手
「僕を超えるんじゃなかったのかよ……嘘つき」
そっと、掛けられた布を取り払う。
全身に痛々しく遺る火傷や打撲痕…あの夜から考えるに、相当強い相手だったのだろう。
「五条さん…すみません、私が行かせたばかりに……」
伊地知が目を伏せて、震えた声で呟く。
「……いや、実力的に特級案件なら悠仁を行かせるしか無かった
上も腐ってるとはいえ、将来有望な術師をむざむざ潰そうとはしないだろうしね」
そう、今回の人選にミスは無かった…むしろ、上が噛んでるにしてはマトモ過ぎて驚いたくらいだ。
だからこそ……
「僕が、出るべきだった」
自分なら、確実に勝てていた筈だ
悠仁はこんなところで死んで良い人材じゃなかった…
…………結局、あの時から何も変わっちゃいない
僕は───俺は、また…助けられなかった。
「五条、暴れるんなら外でしな」
煙草をくゆらせながらため息混じりに硝子が言う。
「わかってる……」
その言葉とは裏腹に、漏れ出る呪力がミシミシと窓や壁を鳴らす。
「五条」
「わかってる!!!」
窓ガラスに一斉に罅が走る。
硝子は首を振りながらお手上げと、手を振る。
「…………役立てろよ、硝子」
「誰に言ってんの」
呪物を取り込める特異体質…研究対象としては超一級品だろう。
せめて、どんな形だろうと……少年の死を無為にしてはならない
ただ、それだけは…
ソレは皆が口を閉ざしたまま、再び少年の遺体へ布をかけ直そうとした瞬間だった。
「これは…!」
突如として、少年の遺体が…跳ねた。
陸に打ち上げられた魚のように、身体を弓なりに大きく跳ねる。
「まさか…カウンターショックか!?
五条!この少年は一体……」
周囲に立ち込める鼻をつく不快な匂い。
自身の肉体すら焼く程の高圧電流を心臓に流し込み、少年は今…無理矢理に戻って来ようとしていた。
硝子はすぐに反転術式を施しながら五条を見る。
視線の先には────
「五条、お前……なんだ、その顔は…」
期待と、不安と、羨望と、絶望と、希望と、執着と
雑多な感情全てが綯い交ぜになった五条が、目を見開いて立っていた。
まるで、これから起こる全てを…ほんの一瞬すら見逃さないとでもいうように。
「ガハッッ…!!う、ゲェ……!」
数分に渡る電撃の末、少年が口から血と炭化した肉片を吐き出しながら飛び起きる。
「ふぅ……流石に、今回ばかりは死ぬかと思ったな」
『あんま動くなよ悠仁、俺の反転じゃ血管は繋げても内臓までは治せねぇからな』
ぐっ、と身体を起こしながらまるで寝て起きたとでも言わんばかりに平然と話す少年。
「……やれやれ、人間の身体はラジコンじゃないんだけど」
硝子は肩をすくめながら煙草に火を点ける。
その顔は、安堵に染まっていた。
「お帰り、悠仁」
「ん?……ああ、ただいま」
五条は、少年に向けて手を差し伸べ笑う。
少年も一瞬呆けたものの、その意図を理解したのか差し出された手を握る。
「相当強い相手だったみたいだね…
僕とやり合ってまたすぐだなんて、随分羽振りが良いじゃんか」
五条は努めて普段通りにおちゃらけてそう笑う。
「その事だが………今、この場に居る人間はアンタにとって信用できるか?」
しかし…少年の真剣な眼差しに、直ぐ様口元を一文字に引き締める。
五条は何も言わずに伊地知と硝子を見遣る。
二人は少し怪訝な表情を浮かべるも何も言わず、頷く。
「問題ない…この二人は信用できるさ、賭けても良い」
「………高専…いや、もっと上かもしれないがまず間違いなく───裏切り者が居る」
伊地知が聞かなければ良かったと顔を顰め、
硝子がハァ…と大きく煙を吐き出し、
五条が目隠しの下でスッと目を細めた。
「根拠は?」
「俺を襲って来た相手が、俺の特異体質…呪物への耐性を知っていた
高専に入るまでに
淡々と少年の口から告げられる事実に、五条の心が急激に冷えていく。
(あぁ…本当に────殺してしまおうか)
呪術総監部は腐ったミカンのバーゲンセール
保身や足の引っ張り合いに塗れたあのクズ共の温床に、裏切り者まで居るときた……
鏖殺、シンプルにして確実
五条悟にとって最も簡単でお手軽なリセット方法
勿論、ただ殺すだけでは別のクズにすげ変わるだけだが…今回に限っては一々確かめて選別するより十把一絡げに始末する方が余程早くて確実だ。
そこまでを一瞬で弾き出した五条の思考は…少年の次の一言で完全に停止した。
「ああ、それと恐らくだが───呪霊を操る術師が居る
俺を襲って来たのも呪霊だったからな」
「……………………………は?」
五条の目が目隠し越しにもわかる程に見開かれ、呆けたように口が開く。
「五条、呪霊を操る術式は他にもあるだろう…アイツは確かにお前が──」
固まる五条を気遣ってか、硝子が声を掛ける。
だが、少年の報告はまだ…終わっていない。
「呪霊が出した名だが…夏油、と言っていた」
「んなわけねぇだろ!!」
怒声と共に、五条が少年に掴み掛かる。
「アイツは…傑は、俺が殺したんだ!!
間違いなく、この手で……!」
「……死体は?」
「……死体…?」
無敵とも言われる五条の、唯一のウィークポイント
彼の心の最も柔らかい部分に無遠慮に突き刺された言葉に犬歯を剥き出しに、感情も剥き出しに吠える五条。
しかし、少年は一切表情を変えずに淡々と返す。
「鹿紫雲から聞いた…【肉体を渡る術式】を持つ術師が居る、と
もう一度聞くぞ───夏油の死体はどうした?」
五条の手から力が抜けズルリ、と掴んでいた少年が落ちる。
口をパクパクと開閉しながら、ゆっくりと考えを纏めている様子の五条。
「…………………死体は……知らない」
「なら…もしかするかもな」
もしかする、ではない
この場の全員が……五条ですら、わかっていた
夏油傑の肉体を、
『わからねぇな……お前はこの先、何が起こるか知ってんだろ?
じゃあなんでこんな回りくどい言い方やらやり方ばっかり選んでんだ…?』
あの後、やる事が出来たと五条が場を去った事で少年は一先ずその生存を秘匿する運びとなった。
相手が上層部に内通者を持つ以上、この場で事を収める必要がある…その上、明確に狙われている少年の生存など報告する方が馬鹿らしい。
そう判断した硝子による案であった。
「鹿紫雲は何も知らない奴からお前は満足して死んだぞ…と言われて、ああそうですかと返すか?」
『……………なるほどな』
渋い顔で相槌を打つ鹿紫雲。
少年はとりあえず…と高専の一室にて過ごしていた。
「これで、一つ向こうの手札を潰した…
だがまだまだ足りない、この程度なら容易に代替案を出してくる筈だ…」
少年はぶつぶつと呟きながら頭の中を整理していく。
「もっと取り返しのつかない、致命的な損害を与えるには…」
ギィ、と木製の椅子に体重を預ける。
天井を仰ぎ見ると、打ちっぱなしのコンクリートの無機質さがほんの少しもの寂しく…気を引き締めてくれる。
「………やっぱり、それしかない……か」
少年の決意に染まった顔を見て、鹿紫雲は笑う。
『…で?次はなにしようってんだ?』
「差し当たり───触られたら即死の呪霊を祓って死滅回遊を阻止する」
『だから間を言え間を!!!!』
今日も、鹿紫雲の叫び声が木霊する。
「やっぱり駄目だった…か
漏瑚が祓われちゃったけど…どうする?真人」
額に縫い目のある男は軽い調子でそう問い掛ける。
『………そっかぁ…漏瑚、死んじゃったんだ』
全身に継ぎ接ぎのある呪霊は目を閉じてゆっくり噛み締めるように呟くと、ぐっと身体を伸ばす。
『次は、俺が出るよ』
一見すると、青い髪をした青年のような風体。
失明しているかのように濁った色の右眼と、甘い…蝕むように粘度のある雰囲気が特徴的な、そんな呪霊
人が人を呪う感情から生まれた…最も人に近い呪霊
真人は、そう言って笑った。
「そうかい、なら…イイコトを教えてあげようかな」
『あれ?止めないんだ…?』
「止めても聞かないだろ?」
男の言葉にさも意外そうに返すと、笑いながら諭される。
『流石にね…いくらバレないようにって言ったってさぁ
富士の樹海やらの自殺スポット回って人間集めてなんて…めんど臭くて飽き飽きだよ』
「でも、そのお陰で術式の理解は進んだろう?」
『そりゃね…でも、やっぱり
こう…インスピレーションってヤツ?』
口から出した小さなナニカをまるで飴細工のように手で捏ねながら真人は笑う。
『そもそもさぁ…ここまで気を付けてやんなきゃダメだったの?
適当にそこら辺の人間拐ってもバレなくない?』
「バレるバレないじゃない…真人、ギャンブルは勝率じゃなくて負けた時のリスクを考えるべきだ
もし五条悟に見付かってたら…今頃祓われてるよ?」
『はいはい、わかってますよーっと』
デフォルメした五条の顔…らしきナニカを作りだし、ソレを右手の指で貫く。
グリグリと、血飛沫を撒き散らしながら。
『そうだ!折角だし───何体か
「……そうだね、相手が相手だし…二、三十体程見繕っておこう」
ラッキー!と笑いながら何処かへ歩いていく真人の後ろ姿を見ながら、男は──羂索は嗤う。
その手元には、一冊のボロボロのノートが丁重に開かれていた。
「さながら、死海文書…と言ったところかな
真人は強いよ…君を釣り上げる為に、丁寧に育て上げたんだから」
くつくつ、と愉快そうに…心底嬉しそうに、嗤う
『■■■■■■■■■』
そんな羂索に、別の呪霊が声を掛ける。
意味も、正確な発音すら聴き取れない言葉でありながら…羂索の脳内に直接意味が送り込まれる。
随分と、
そう、問われた
羂索はにこやかに、滑らせるように口を開く
「そりゃね…なにせ私は───彼が
底知れぬ悪意は、暗闇にそっと───口を開く