目が覚める。
「はぁまじくそげ。すごいくそげ」
窓から差し込む淡い太陽灯が肌を刺激して、室内の冷たい空気が肺を満たす。
精神の疲労は残っていない。身体の負荷も感じられない。
すこぶる爽やかな『朝』だった。
「……朝ぁ? もう朝かぁ……んっくふぁ~~……ぁむっ?」
腕を伸ばして気持ちよく大きなあくびをすると、なぜか横髪が唇にかかった。
少しクセのついた赤髪は、世にも珍しい天然物の髪色。紛れもなく自身のものだが、寝ている間に伸びたようだ。ナノマテリアルの余剰分が影響したのだろう。制臓器に慣れていない幼少期にありがちな
『朝でス。おはようございまス』
「んぁ……おはよテンクン。寝てる間の体調管理、ありがとう。何か異常はあった?」
意識はハッキリとしている。思考はこれ以上無く明瞭だ。
けれど、なにかが変だ。具体的にどこが変なのかは分からない。
寒気にも似た、微妙な違和感がある。背後霊AIにでも憑かれてるみたいな、妙な感じだ。
『問題は確認できませン。全センサーが正常値を示していまス』
――という感覚は、どうやら気の所為だったらしい。
やっぱり人間の脳は、あてにならないな。
「……んー。そっか、ありがとう。引き続きメディカルチェックを頼むよ」
『分かりましタ』
我が家の2大AIが1つ『テンクン』は、優れた生体管理機能を備えているAIだ。
使用しているサーバー筐体は、縦横1m高さ3mほどの大型サボテン。各種生体センサーや医療機器に加えて、体内ナノマシンN-0037を保管できる
「ところで、なんでそんな棒読みな喋り方してるの?」
『趣味を兼ねた検証でス。AI黎明期におけルAIらしい会話表現ですヨ』
「……そっかぁ。なるほどなぁ」
テンクンは頻繁に趣味に走るAIだ。暴走が起きるリスクを極力減らすよう好きに学習をさせていたら、いつの間にかこうなっていた。
真面目にサボテンへの理解を深めようとすると1日が丸々潰れてしまいかねないので、ひとまずいつも通り、朝風呂にでも入って身を清めよう。汚れたままでは落ち着いて朝食も取れない。
「AIまりn……」
ん?
(……あれ?)
あれ? 朝風呂に入る習慣なんて、あっただろうか?
それに"汚れ"? ……どこに、汚れがあると?
(…………)
入浴は夕飯前にさっと済ますのが日常、だったはずだ。
(ある……あるぞ? なんで、あるんだ? いや、なんで無いと考えた?)
記憶が混乱している。というより混入している?
これはきっと錯覚だ。フルダイブで他人の脳にアクセスすると起きやすい軽い障害だ。
だけどそれは、あり得るのだろうか? 脳と記憶に異常が起きても、すぐに治すはずだ。
オレの身体は、
【 】
スッと、頭の血の気が引いた。わずかに寒気がした。
やっぱり風呂に入って、身体を温めてこよう。朝はお風呂に入らなければならない。
「AI-マリン。お風呂に入るから、湯船を準備してくれ」
『……。……はい。畏まりました』
なぜか反応が鈍い。演算に1秒以上もの時間がかかるのは、かなり珍しいことだ。
AI-マリンは優れた演算機能を持つ1級AIだ。暴走は洒落にならないぞ。
「マリン。聞きたいことがあるなら、遠慮せず言ってくれると――」
『では確認をさせて下さい。マスターは、本当にマスターですか?』
え?
「やっぱり怒ってる?」
ゲームを強行したこと、怒ってる?
『以前私が自宅を燃してしまった際、マスターが取った行動を教えてください』
「ぇー、と。マリンの機嫌が治るまで説得したっけ……燃えながら」
自宅焼失という大事件も、2回目にもなれば流石に慣れたもの。焼けるのはすごく痛かったけどすぐに治るし、落ち着いて痛覚を調整すれば割りと問題はなかった。
『でしたら、私が生まれて初めてマスターに投げかけた言葉は――』
「"お前を殺す"」
ドス黒い憎悪を凝縮した合成音声で1言、お前を殺す。原文ママ。
『…………ごめんなさい。やっぱり忘れてください……』
「それは無理かなぁ」
なにせインパクトが強過ぎた。
本AI的には黒歴史かもしれないが、開発最初期から強烈な知性と自我があると、テンクンと共に大喜びしたものだ。
もっとも、即座に有言実行するなんて思いもよらず。その十数秒後には近隣地区のアンドロイドが大勢自宅に押しかけてきて大乱闘がスタート。関係者に謝罪に行ったり、しばらく対応に追われることになった。今にしてみればそれら全てが大切な思い出だ。
「また暴走が起きそうになったら報告してくれ。調整は手伝うよ」
『…………はい』
すっかりしょんぼり意気消沈したAI-マリンは、
バスタオルで丁寧に髪から水気を取り、部屋着を羽織って、お風呂上がりの水分補給を1杯。
マテリアルドリンクを変形・開封。腰に手をあて――そして一気飲み!
「んっくぅ~! うまい!!」
さすが天領STORE限定・特製マテリアルドリンク【ヘブンリーS】ド安定の美味しさだ。
補材豊富で自然豊かな森を堪能できる喉越し。臓器を震わす爽やかな風味が――。
「……美味い……だと!?」
いやいやいや、あの天領STORE製のマテリアルドリンクが?
あまりの激マズさに、海外で特定害獣駆除薬にすら指定されてる劇物が?!
「や、やっぱり。なにかが変だッ……ついに味覚が死んだかッ!?」
天地がひっくり返ってもあり得ない。美味いはずがない! 味覚障害が発生したんだ!
中学生時代に1度、対策なしで飲んで味蕾の99%と海馬の6%が壊死した経験がある。
間違いなくそれだ。ナノマシン制臓器にアクセスして体調を確認し――。
「……できなぃっ?!」
できない。体内に存在するはずのナノマシン制臓器が確認できない。
なんでぇ? ゲームで制臓器がバグった? はは、そんなまさか……うそでしょ?!?!
「マリン緊急事態だ! ナノマシン制臓器にアクセスできなくなった! 悪いけどっ、いったん怒りを収めて、テンクンと共に調査をサポートしてほしい! 頼む!!」
『……マスター。私は怒りなど感じてはおりません。それよりも……ですね。すみません、少しテン兄さんと相談をさせてください。演算装置に高い負荷が掛かってきました……』
「え? うん、どうぞ?」
サボテンの針と、自宅家電の通信波アンテナ間で、微弱な電波が飛び交いだした。
2基のAIが暗号通信を交わしているようだ。傍受して解読することは出来るが、それはマナー違反だ。焦る気持ちを沈めつつ、黙して待とう。
というかNプログラムを使わずに普通に電波が視認できてるぞ? 目もおかしくなってないか?
『マスター。冷静に寝室へ、冷静に移動して、冷静に"手鏡"をご覧ください』
「お、おぅ……?」
そんなに冷静でいてほしい? 制御不能な獣にでも見えてる?
確かに寝室に行けば手鏡がある。無用の長物になっている、旧時代の骨董品の手鏡がある。
(……んむ)
そこには見慣れた姿が映り込んでいた。
まかり間違っても、頭のおかしなピンク色の髪じゃないぞ。
桃川家特有の髪。先祖代々、直系一族に遺伝する真紅の赤髪だ。
特に贅肉もなく筋肉質でもない。傷シミ皺一つ無いマイボディ。
(
身体は女性だ。当然に決まっている。
なにやら不穏な予感が頭をよぎったのは、バカげた気の迷いだ。
怪しいゲームで怪しい女性アバターを使ったからと言って、男が女になるはずがない。
ナノマシンに記録された遺伝子通りの、赤髪の……少女の……姿が……がっ、がぁぁあああ?
「――ン"ン"ん"ッッッ!?!?」