『血塗られた月のクドラク』〜余命わずかな病を克服するため、闇の王へと堕ちる話〜 作:人見 広介
1-1.紅い月の魔狼クドラク①
――ざぷり、と冷たい水が顔にかかった感触で、クドラクは目を覚ました。
バネのように飛び起きると、そこは
丸石の上に寝転んだまま、体だけを冷たい黒水に浸けて、気を失っていたか。
水温で体が冷え切ったせいで、がちがちと歯の根が噛み合わない。
どうしようもなく寒い。
肩を抱いて震えを鎮めようとしていると、喉の奥から温かく不快な何かがせり上がってくる。
「……ごぼっ――ゲホッ! カハッ――」
思わず自分の服に血反吐をぶちまける。むわっと鉄錆びた臭いが鼻をつく。
病気なのだ。余命はもって数ヶ月。
今も体中が痛い。全身を生きたまま切開されるかのような鋭い痛みが、内臓と筋肉を責め苛む。
「――はっ、はっ……寒い……痛い……ここは、どこだ? 僕は……何をしていたんだったっけ……」
なぜ夜の河に身一つで浸かっていたのか。
血反吐で汚れた手を地面につき、子鹿のように震える足でよろよろと立ち上がる。
(……何も思い出せない。寿命が近くなったせいで、頭の具合もおかしくなったか? 後何ヶ月、僕は生きられる?)
血咳を手で抑えながら、クドラクは辺りを見渡した。どうも荒野の中にいるらしい。
前方に果てしなく広がる大河と、後方に果てしなく広がる草一つない荒れ野。
暗い野原にひとりぼっちだ。
(持病が悪化して死にかけたとか? 今の『石』の状態はどうなっている……)
河辺に近寄って、水面をのぞきこむ。揺らめく黒鏡のような水面に鏡像が映った。
顔の左半分にびっしりと石の鱗が生えた、15歳の黒髪少年がそこにいた。
血のように真っ赤なヘビの両目が、じっと自分を覗き込んでいる。
黒いビロードのマントをまとい、その下に礼服のシャツとズボンを着ている。
腰に佩いた年季者の直剣が、夜会にでも出かけるような衣装とアンマッチしている。
およそ伝承の吸血鬼と同じような出立ちだ。
(戦闘用の衣装だ。どこかの野盗か『業魔』と戦っている最中に気を失った? 狩猟団の他メンバーはどこにいるんだろう?)
ひとまずクドラクは礼服のボタンを外し、前をはだけさせた。
腹や胸にも石灰質の鱗じみた石が生えている。体表の半分以上を覆っているようだ。
そでをまくると、そこも石灰質に覆われていた。
「……多少、ひどくなっているか」
やがて、石は心臓に生え、鼓動を停止させるだろう。寿命は残りわずかだ。
……今年で15歳。この短い生の中で、自分は何を得られたのだろうか。
考え込みながら身だしなみを戻すと、ふいに背後から冷たい光が照射された。
後方を振り向いたクドラクは、眉をひそめる。
「……『
いつの間にか、重厚な石造りの庁舎がそこにあった。クドラクの属する狩猟団の支部だ。
数日前にトゥマニグラード公領へ派遣された際、この支部に挨拶をしたはず。
それ以来、公領内で暴れる『業魔』達を狩り続けていたはず。その先の記憶はないが……。
鬼火が灯ったランタンが両扉の脇に吊られ、扉に塗られた血文字を浮かび上がらせる。
「
「ここは出口ではない」という意味の血文字。
(……なんで、こんな場所に職場の施設が? とりあえず入ってみるか……)
光に誘われる蛾のように、クドラクは庁舎の扉までよろめき歩く。
服にぶちまけた血反吐の臭いが、吐き気と涙と頭痛をもよおす。
動く死体のようにぎこちない足取りで、邸宅の扉へ着いて……体重をかけながら開く。
ぎい、と音を立てて開いた扉の先には――薄暗い路地裏が広がっていた。
土の匂いを運んだ風が、呆気に取られるクドラクの黒髪を撫でる。
(……屋内じゃない? ここはどこだ。なんで狩猟団の入り口が外に繋がっているんだ)
石棺のような建物が左右にそびえ立ち、その屋根でカラス達がかしましく鳴き声を交わす。
曇天の薄明かりが照らす中、日の光が届きにくい細道で何かがうごめいていた。
――絨毯のように重なった蛇達だ。
地を這いずる音の協奏曲が、路地に響いている。
蛇達が群生している場所の中央に、一人の幼子がうずくまっている。
ウェーブがかった黒髪の子供――。
紅い蛇の目を持ち、串に刺したネズミをむさぼり食べている、うす汚ない身なりの孤児。
「……あれは……」
見間違えようもない。まだ、忌み子として各地で迫害を受けていた時の――。
八歳の頃のクドラクの姿だった。
第一話
紅い月の魔狼クドラク
垢のついた白シャツに、擦り切れたぶかぶかのズボンがみっともない子供だった。
ネズミを頭からかじりながら、赤く濁った瞳を路地の壁に投げかけている。
たまに、ネズミの肉をむしり取って、自分の頬をなめる蛇達に差し出している。
この姿は、生まれ育った『淫婦街』の薄闇から抜け出た後のものだ。
五歳の頃に、自分を『飼育』していた売春宿のオーナーを殺し、街々を放浪しはじめたのだ。
「なぁ、そこの君……」
思わず声をかけようとした瞬間、ずっと遠くにある路地裏の出口から怒号が響いた。
夢の中のように、声がエコーがかっている。
『おい、あそこだ!』
『あの野郎が病気を運んできてんだよ!』
当時の自分は顔を上げて、声の方角へ目をやる。その足元にいる蛇に矢が突き刺さった。
『動くんじゃねえッ! ブッ殺すぞッ!』
『こっちが何人いると思ってんだ! てめぇが病を撒き散らす前に針山にしてやる!』
光さす出口をはばむように、服を着崩したゴロツキ共がつどっていた。
彼らは手にボウガンやナイフを持ち、ゆっくりと八歳のクドラクににじり寄ってくる。
計十三人。そろって頭の悪そうな顔をしている。
(この光景は――覚えているぞ。流行病の感染源として、駆除されかけた時の……)
今のクドラクはうめきながら、後ろ手に扉を閉める。扉はふっと消えてなくなる。
いきなり荒れ野に現れた庁舎に、過去の光景の再演。どれも普通の現象ではない。
夢のように脈絡がない光景――ここに来てクドラクはやっと自覚した。
(今、わかった。これは走馬灯だ。昔の記憶がフラッシュバックしているんだ)
予想以上に自分の状態は悪いらしい。死を前にして半生の振り返りをしはじめるとは。
次に現世で起きられる保証は、もうない――。
『なんのようですか?』
たどたどしい言葉で、当時の自分が問いかける。蛇達が鎌首をもたげる。
男達はなまった罵声で返すだけだ。
(確かこの頃、ハリストス楽園国に疫病がはやった。風邪に似た熱病だったはずだ。僕の体を蝕む病理とは、全く異なる症状だった。……しかし、街の人々はそうは思わなかった)
『
『業魔共のガキが、人の街に近づくんじゃねえ!』
男達が叫んだ言葉が、全てを現していた。
クドラクは怪物の血を引く忌み子だ。親の顔など知らないが、おそらくそうだろう。
『石』が生える奇病など普通ではないし、赤い蛇の瞳を持っている。明らかに常人ではない。
(彼らにしてみれば、僕は蛇を操る謎の孤児だ。それに人外の眼を持っている。いかにも不吉を呼び込みそうな外見だ)
彼らの根底にあるのは、自分達とは違う者に対する嫌悪と恐怖だ。
今は過酷な時代だ。業魔が人を食い、時には国を滅ぼす。
こうした時世では、少しでも不吉な輩は排除するのが最良の自衛策だった。
特に混血児は忌み嫌われている。業魔の血を引くがゆえに、悪徳と狂気を好むという迷信がある。
クドラクもまた、他の混血児と同じように忌み嫌われてきた。
どこに行っても汚名を着せられ、感情的に罵倒され、街々を一人でさまよってきた。
蛇達だけが、どの街でも自分に懐いてくれた。
(だから、襲撃された。僕みたいな不吉な怪物が流行病を広めたんだって思われたから)
こんな仕打ちなど日常茶飯事だったが、それでも当時は人間の集まる街に惹かれていた。
街には残飯があるし、雪や風を凌ぐ建物もある。街の外よりは生きやすかった。
街を訪れる度に争いが起きた。こちらを殺しにかかる住民達を返り討ちにしてきた。
赤い絨毯を地面に作って、ほうほうの体で逃げて、街を移動して――ここでも同じことをする。
『死にやがれ! 忌み子が!』
大人達が駆け出そうとした瞬間、八歳の頃の自分はふっと消えた。
一瞬の間に、彼らの懐に入り込んでいた。
『えっ――』
『【あかきつきよきたれ。かのものどもにしを】』
当時の自分が呟くと、紅い羊膜のようなバリアが瞬時に展開する。
いならぶ大人達がバリアに押し潰され、パキャッという音と共に壁の染みへとなった。
紅い閃光が収まった時、路地裏に静寂が訪れた。
真っ赤に染まった壁に、血肉のペーストがこびりついている。地面にも血が飛び散っている。
暗がりにいた蛇達が血の海に殺到し、血肉をすすり喰らいはじめた。
『……しんだ……おかねはある?』
血の海に転がった巾着袋を見つけ、幼子が袖をまくって袋を拾い上げる。
露わになった腕には、石灰質のウロコがびっしり生えている。蛇を思わせる様相だった。
これがクドラクが魔の血を引く証であり、生まれながらに背負った呪いの代価だった。
(……この頃は、そんなにひどくないな。病が内臓系を侵す前のことだったか)
今となっては、石化は内臓にまで及んでいる。多機能不全におちいる一歩手前の状態だ。
『まだ無事な頃の自分』に嫉妬していると、唐突に光さす出口から声が聞こえた。
『おーい!
『
楽しげな子供達が通り過ぎていく光景が見える。幼子はじっと出口を見つめた。
『……
冥府から来た霊体の侵略者――『業魔』を狩る狩猟団の中でも、特に高名な団体の名だ。
昔、どの城塞都市を訪れた時も、
楽器を弾き鳴らしながら、英雄譚を語っていた。
十二の首を持つ巨躯の
暗黒物質を操る怪人「黄泉鴉ヴァディーム」。
そして、災厄級業魔を幾度も下した
彼らは、世界の主役のような脚光を浴びて、大勢の人々から慕われている。
自分とは大違いだった。人々に忌み嫌われて、ドブネズミのように死んでいく自分とは。
『……ぼくと、どこがちがうんだろう?』
ふらっと幼子は立ち上がり、光がさす路地の出口へと歩いていった。
今のクドラクには、彼の気持ちがわかる。
――本音を言えば。欲を言えば。
誰かに愛されたいのだ。
抱きしめてもらって、頭を撫でてもらって――価値を認められたかった。その温もりを知りたい。
『【あかきつきよきたれ。われにくさりを】』
『呪詞』を呟きながら手を振ると、幼子の両手から赤い鎖が飛び出る。
霊体で構成された鎖を屋根にひっかけ、するすると鎖を上った。
(……あの子を追いかけるか……)
今のクドラクも飛び上がって、難なく風が吹き付ける屋根に出る。
二人して屋根を飛んでいき、商人や職人が働く地区まで来た。
小綺麗でゴミ一つない区画だ。自分のような浮浪者が生きられる空間ではない。
円形広場をのぞむ建物に着地し、赤茶色の瓦の上に座って、眼下の大通りを見下ろす。
『来るぞ! 英雄達がやってくる!』
眼下で歓声が上げる。群衆が割れて、悠々と広場に近づいてくる一団を迎え入れた。
横の幼子はじっと彼らを注視する。列を扇動する黄金の騎士に夢中なのだ。
今のクドラクもまた、その騎士を見つめた。
屈強な黒馬に乗った、威風堂々たる戦士だった。
黒いマントを風に舞わせながら、配下を引き連れて先頭を行進していた。
人々から喝采を浴びる中を、颯爽と通り過ぎていく。カリスマが具現化したような存在だった。
『……あれが、
横の幼児が呟いた。
「きっと」の先に続くはずだった言葉を、今のクドラクは正確に覚えている。
きっと――心を占める寂しさも、魂が死んでいくような閉そく感もマシになる。
他の子供達に劣等感を覚えずに済む。町の人達に石を投げつけられずに済む。
偉大な存在として君臨し、名声を人々から勝ち取れば、きっと誰かに愛してもらえるようになる。
『きめた。ぼくはえいゆうになる』
暗い野心の炎を灯した瞳で、汚らしい幼児は英雄達の行進を目に焼き付けていた。
――――――――――――――――――――
ぐわんと視界が歪み、周囲の輪郭が溶ける。場面が切り替わろうとしている。
次の瞬間には、クドラクは古びた書斎の壁際にたたずんでいた。
本棚に囲まれた中央では、昔の自分が隠者めいた老人の机の前に立っている。
(……ずいぶん場面が飛んだな。10歳の頃の記憶じゃないか。正式な『呪い師』になるために、高名な人に弟子入りした時のものだ)
明晰夢めいて輪郭がぼやけた室内を見渡しながら、クドラクは二人の会話に意識を向ける。
『ほう、英雄になりたいのか。なぜじゃ? 万人から愛されるためか』
『……愛されたいです。笑えるでしょう。どれだけみじめな願いかなんて、わかってるんですよ』
『みじめとは?』
『僕を蔑んできた人達に尻尾を振って、芸をしてみせて、褒めてもらいたいんです。心の底から憎くて、いっそ皆殺しにしたいって思ってる人達に』
安楽椅子に座る老人の前で、当時の自分は左右非対称の苦しげな表情を見せた。
『……憎い……みんな、僕を受け入れてくれない。でも受け入れられたい。いっそ骨の髄まで恐怖させて、嫌悪という感情すら塗り潰してやりたい』
『…………』
『でも、どうしようもなく愛されたい。
今でも、クドラクの心は引き裂かれて、傷痕が化膿しきっている状態だった。
自分を迫害した民衆への憎悪と、愛と称賛を乞う承認欲求が、常にない混ぜになっているのだ。
『……お前を苦しめる石化の鱗――他の
安楽椅子に座ったまま、『呪い師』の老人は酒瓶をあおった。
学院の元教授職で、現在は辺境都市の郊外で隠居中の変人――当時、探すのには苦労した。
『我ら呪い師は、お前の能力を「呪い」と呼んでおる。冥府のエネルギーを操る権能を指す言葉だ。この能力を得るには代価を伴う』
『代価――それが、この石の鱗ですか?』
『うむ。滅多にないことだ。普通の人間は、修練を経て冥府に魂を近づけていくからの』
冥府のエネルギーを操る能力を『呪い』と言う。
強力な超常現象を発現させられるが、それに比例して肉体や精神が変質していく。
その『呪い』を得たものを『呪い師』と言う。
冥府の住民――業魔の血を引く
その代償に肉体が変質する訳だが、クドラクはその代償が致命的に重かった。
その分、絶大な力を獲得していた。
『お前に興味が湧いた。ワシの弟子にしてやることも、やぶさかではないほどに』
『……そうですか』
『ただし、伝えておくべきことが一つ』
老人は鋭い目で幼子を見つめる。
『お前の代価は重すぎる。長生きはできぬだろう。道半ばで死ぬ覚悟をこの場で決めておけ』
重い声音で発せられた言葉に、幼子は淡々と問い返した。
『猶予はいつまで?』
『長く見て五年。十五歳の頃には死ぬ。激痛で動けなくなるのは、それよりもっと早い』
『充分です。生きた証を立ててみせます』
――ふいに周囲の世界が溶け出し、影のような汚泥となった。
クドラクは暗い荒れ野に戻っていた。
冷たい風がマントをはためかせ、血反吐のこびりついた礼服を冷やす。
三途の川のせせらぎだけが聞こえる。
(終わったか。次はどうなるんだ? 運よく現世で目覚められるか、このまま冥府行きか)
おそらく、この河を渡った先が冥府だ。クドラクは両界の狭間にいるのだろう。
荒れ野の方に戻れば、現世に戻れるだろうか。
(もしこの場所が冥府に近いなら……奴らがいるはずだ。迷い込んだ魂を喰らう連中が)
荒れ野に何かないか見渡すと、三時の方向から黒い何かが迫ってくるのが見えた。
よく見ると、その「何か」はどれも異様な姿形をしていた。
蹄を持つ単眼の魔犬プソグラ、鱗を持つ半魚人の兵士ヴォジャノーイ、とぐろをまく
(いた。冥府に棲まう者達。現世に入り込んでは、生物の魂を喰らう悪霊――『業魔』。顔も知らない父親と同じ種族のやつら)
クドラクにとっては、狩り慣れている獲物だ。
老人より鍛錬を受けた自分は、十歳の頃から狩人として活動しはじめた。
ハリストス楽園国中をめぐって、ひたすらに獣共を殺していった。
三途の川のほとりに立つクドラクへ、業魔達は歓声を上げながら近寄った。
このままでは魂を喰われる。現世で目覚めるためにも、まずは悪霊共を殺さなければ――。
「……【紅き月よ来たれ。かの者共に死を】」
冥府のエネルギーを手に凝縮させ、力ある言葉で物理現象に変換してやる。
全方位から飛びかかってきた怪物達に、紅いエネルギーの波動を放った。
波動に触れた者共が、塵のように散っていく。ズキンとクドラクの体が痛みできしむ。
(……痛い。きつい。体中の石がすれる。興奮に身を任せろ。痛みを忘れて戦え……)
構わず腰に佩いた剣を抜き放ち、前方から押し寄せるゾンビの群れに斬り込む。
一秒に数回は剣を振るって、すれ違いざまに死霊達の首を刎ねていく。
唐竹割りでスケルトンを両断し、貫手でプソグラの頭蓋を串刺しにする。
『……業魔を狩ればいいんだ。そうすれば、人々から認められる。憧れの
耳元にノイズがかった声が届く。変声期を迎える前の自分のものだ。
脇を見ると、ノイズがかった自分の影が、荒れ野の上でぶつぶつと妄言を呟いていた。
『
狩人となるにあたり、クドラクは一切の過去を葬った。
それ以来、偽の皮膚で石化を隠し、目に被せるレンズで瞳の形を丸く見せた。
全ては、万人から愛される英雄になるために。
『愛されるために。皆に適合するために。それが、僕が生きる意義』
「……うるさいな、気が散るんだけど」
ノイズがかった幻影に文句を言いながら、ゾンビの頭を裏拳で吹き飛ばす。
くずおれるゾンビの背後に、六つの目を持つ魔犬の怪物が走り寄ってくるのが見えた。
ヘルハウンドだ。計四体ほどいる。
「【烟月よ来たれ。聖火を地に灯せ】」
大火球を手のひらに構築して、ボールのように群れに投げつける。
火薬庫に火がついたかのような爆発が起き、熱波と衝撃波がヘルハウンド達を吹き飛ばす。
戦っている内に、全方位からわらわらと黒い影が迫ってくるのが見えた。
(出口はどこだ? このまま戦い続けるのは得策じゃない。いずれ多勢に無勢になる)
迫りよる群れを睨みつけるクドラクの足元で、ゴゴゴ――と地面が揺れ出した。
即座に後方へ飛び跳ねた瞬間、先ほどまでいた黒い地面が大波のように撒き散らされ、象ほどの図体もある怪物が飛び出してきた。
難を逃れたクドラクは、思わず瞠目する。
「……!? こいつは……」
宙に飛び上がった怪物は、透き通ったアメジスト色の翅を震わせ、カマキリのごとき鎌をすり合わせながら威嚇音を放つ。
体長五メートルはあろう蜂に似た業魔が、
ホバリングの風圧が、クドラクの髪をなでる。
(災厄級業魔アバドン……バカな、こいつは数年前に殺したはずだ。これもフラッシュバックか?)
12歳の時分に殺したはずだ。あれは一公領を崩壊させるほどの大事件だった。
単身、クドラクがアバドンの軍勢に突っ込み、全ての蟲を討ち滅ぼしたのだ。
その功績をもってクドラクは召し抱えられた。憧れの狩猟団『
わからない。自分は本当に三途の川にいるのか、狂える夢に囚われているのか。
今はただ、自らの狂気も判然としないまま、無我夢中で戦うしかない……!
【ギギギッ、ギュギイイイイイッ!!】
こちらに飛びかかってくるアバドンが、大鎌を振り抜いた。横っ飛びに回避する。
続く斬撃を剣でいなし、相手の甲殻を斬りつけ、何度か打ち合いを演じる。
赤い月の下、踊るように二匹は戦い続けた。
周囲の業魔が飛びかかってくるが、クドラク達の殺陣に巻き込まれて両断されていく。
霊体の血が飛び散る中、つんざくような全身の痛みをこらえて剣を振るう。
歯ぎしりを漏らす。思わず血咳を吐く。内臓にできた石が体の中を切り裂いていく――。
「ゲホッ、カハッ――」
【ギイイイイイッ!!】
振るわれた鎌状の『死』を、身を地面スレスレに伏して回避する。
続いて縦に振るわれた大鎌を、バック転で避ける。その勢いのままに飛び上がった。
(もう身が保たない。まとめて殲滅する!)
「【紅き月よ来たれ。『
赤い月を背に飛び、手を空にかかげる。
真っ赤な光を放つエネルギー球が生じ、瞬く間に直径数十メートルになるまで肥大化した。
荒れ野全体が血塗られたように照らされる。
ルビーのような色合いの月が、周囲の物を引力で引き寄せる。
土くれがふわりと持ち上がり、眼下の業魔が月に吸い込まれていく。
アバドンとて地面にしがみつくのに精一杯だ。
「【天より落ちよッ!】」
巨大な光球を地面に投げつけると、まばゆい閃光が世界を埋め尽くした。
つんざくような轟音とともに、災厄級業魔アバドンが蒸発していく。
断末魔すらも轟音の中へ溶けていった。
赤一色の視界。目を焼く鮮烈な光。
全てが真っ赤な月光の中へと消えていく――。
『信じられない……一人でアバドンを倒したのか』
『はい! すごいですよね!?』
ふっと周囲の音が消え失せて、ノイズがかった声が耳に届くようになった。
とまどうような若い男の声と、弾むような自分の声。過去の記憶から再生された声。
12歳の頃、クドラクはアバドンを討滅した際、同じく迎撃に来ていた
『にわかには信じられないが……とにかくウチの本部に来てくれないか? 今回の一件について聞きたいことがあるんだ』
『いいですよ。事情聴取をする際は、ホルス・デルジャーヴィン様を呼んでいただけませんか?』
これが好機とばかりに、当時のクドラクは自分を売り込んだ。災厄級を討伐しうる自分の実力を。
『ああ、いいけど……その理由は?』
『僕を旅団に加えてもらうよう、お願いするつもりなんです。あの
――真っ赤に染まった世界が、ガラスのように砕け散った。ぐわんと視界が歪む。
(……っ、また場面転換か……)
クドラクが目を閉じながら夢の不条理に耐えていると、場面は一転し終えた。
青く透き通った雲空が現れ、地には春風にさざめく野原が広がる。
果てしない緑の大海は、波を起こしながら地平線まで続いている。ここは草原地帯なのだ。
『近接戦闘術が様になってきたな。呪いの腕と並行して鍛えよ。土壇場で活きてくるだろう』
聞き馴染んだ声の方向を見ると、青い原っぱの上に大人と子供が腰を下ろしていた。
一人は、黒いビロードのマントを羽織り、貴族のような礼服を着た昔の自分だ。
剣を野原に突き立てて、息を荒げながら休憩を取っている。
顔つきからして、一年前くらいの自分だろう。
もう一人は、黄金の鎧を身につけた騎士だ。あぐらをかいて昔の自分を見つめている。
『はあ、はあ……まだまだ未熟ですよ。今まで近接戦に縁がなかったもので』
『我流で技を極めたがゆえの弊害だな。まあよい。これから鍛錬を積めばよかろう』
クドラクは後衛のエキスパートだった。
大規模な超常現象を起こし、距離を取りながら業魔達を滅するスタイルを好む。
そのせいか、接近戦の技術が足らなかったため、黄金の騎士に稽古をお願いしていた。
『業魔は冥府より来た侵入者――基本的には霊体で活動する生物だ。闇雲に剣を振り回しても、奴らの体をすり抜けるだけだ』
『物質的な実体がないことが多いですしね』
『故に、己の霊気を武器にまとわせよ。それで冥界の存在を叩くことができる』
これも呪いの応用技術だ。騎士も己だけの呪いを有しており、あの世の怪物達を葬ってきた。
『……ベルガブルク公領の東端に、巨大な巣が観測された。近日中に狩りにいく必要がある』
『敵の詳細は?』
『業魔スケルトンの群れが二万匹ほど。山間部に骨の城を作っておる。……お前は俺の横に配置する予定だ。今のうちに、鍛錬を済ませておけ』
偉大なる黄金の騎士――
彼の言葉に、あちらの少年は笑みを浮かべる。
(ああ、この時が一番幸せだったな)
離れた場所で彼らを眺めながら、今のクドラクは目を細める。
旅団に入って以降、少年は武勲を上げ続けた。
同時にホルスへと接近した。
彼に教えを乞い、戦闘で貢献し続けた。
ホルスは生真面目な男だった。
ただ真摯に戦い続ければ評価してくれた。
首級を上がるたびに、旅団での地位は上がった。武威があれば尊敬を勝ち取れるのだ。
この黄金のような光景は、その成果だ。
今となっては、二度と実現できないが。
「……もういいだろう。誰か、そろそろ僕を現実に戻しておくれよ。過去の光景は見飽きた」
冷たい風が通り抜ける原っぱの中で、いもしない何者かに声をかける。
出口はどこだ?
(そもそも、僕は現実で何をしていたんだっけ。直前までの記憶は確か……)
ゆっくりと思い出す。
先日、トゥマニグラード公領に湧き出た業魔の群れに突っ込み、本拠地を攻略していたはずだ。
たった一人で戦場に陣取り、傷だらけになりながら呪いを使い続けていた。
他の仲間は連れて行かなかった。そもそも死ぬことが目的の戦いだったからだ。
クドラクは15歳になった。
寿命が来たのだ。
最近、ふいに心臓が止まることが多くなり、物も食べることができなくなった。
それでも、クドラクは石化の症状を隠した。
明かせば
名誉と武勲が失われるからだ。
そうなるくらいなら、激痛にのたうち回りながら死ねばいい。命など何も惜しくないのだから。
どうせなら、華々しい最期を遂げたい。
最も望ましいのは、業魔に殺されて、遺体をめちゃくちゃにしてもらうことだった。
石化の症状がバレず、悲劇的な最期によって伝説を遺せる。一石二鳥の死に方だ。
だから、独断専行で本拠地に深入りし、適度に武勲を上げた後に討ち死にするつもりだった。
(……そうだ……体に一撃を喰らって、やっと死ねそうな時になって仲間が助けに来たんだ)
薄れゆく意識の中、失踪した自分を探しに来たキーラやミハイールが――服の破れた姿を見て――。
見て……見られた?
あの半身が石化したおぞましい姿を、見られた?
見られた。見られた。見られたくなかった。
石の鱗に蝕まれた忌み子としての姿。
英雄には程遠い姿、見られてしまった!!
「まさか、今の僕は」
青い世界から光が消え去って、まぶたの内側のような暗闇へと戻った。
――――――――――――――――――――
割れた天井から差し込む陽光で、黒マントの少年クドラクは目覚めた。
長椅子から起き上がると、隣に座っていた黄金騎士――ホルスがようやく口を開く。
「今日限り、お前の任を解く」
「……」
「これより
彼らは廃教会の中にいた。
剣戟の余波と見られる裂傷が、ステンドグラスや石床に刻まれていた。
二人は夜通し剣を交えていた。
クドラクが勝てば『願い』を叶え、騎士が勝てばおとなしく指示に従うというものだ。
だが、クドラクは勝てなかった。もう全盛期の力など発揮できなかった。
「……なぜ」
「昨夜、俺は何百回も説明したはずだ。お前が『実力を見せれば思い直す』と言い出して、何度も打ち合ってからも。……これをどう説明するつもりだ」
少年の黒い髪をかき上げると、顔の左半分にびっしりと石の鱗が生じていた。
焦天の合わない目が義父を見つめる。重度の麻薬中毒者が浮かべる死相だ。
(……呪いで作った偽物の皮膚が、なくなっているのか。本来の肌が剥き出しになっている……)
今まで、ヘロインを使って激痛を緩和し、偽物の皮膚を貼り付けて石化を隠していた。
さも持病など存在しないかのように、無理矢理に体を動かしてきた。
「『石化の変異』。呪いの代価で肉体が変質したことによるものだ。つまり、お前は……」
兜の奥にある師父の目は、悲しげだった。
「……
――石化のことがバレた。
今日をもって、クドラクは旅団から除名され、静養地に送られる。
これまで築き上げてきた『理想の英雄像』が、憧れの英雄の前で瓦解していく音が聞こえた。
TIPS:『冥府』
全ての霊魂が行き着く領域。
現世とは別の位相に広がっており、魂を喰らう霊的生命体『業魔』がひしめいている。
生者の魂が死後に還る世界でもある。
そこには莫大なエネルギーが渦巻いている。
霊魂の意思に呼応し、自在に具現化できる万能のエネルギーがある。
出所や由来はわからない。まるで海原のように、太古からそこに蓄えられていた。
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