『血塗られた月のクドラク』〜余命わずかな病を克服するため、闇の王へと堕ちる話〜   作:人見 広介

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6-1:地下水路にひびく嗤い声①

 

 

 

 老いた日が山陵に沈み、闇が空を支配した。

 影に染まった森に活気が満ち、どこからともなく業魔達が姿を現すようになる。

 これより、生者は決して家の外に出てはならぬ。

 物忌みの時間――永い夜が訪れたのだ。

 

【――ギャッギャッ! だども、耳聡えことだ。後数日でおっぱじめえとこだったのに、大喰らいが飛び入りで参加なんぞよぅ?】

 

 ある朽ちた廃村では、四足歩行の巨大な影を、何匹かの業魔が先導していた。

 耳長のサルのような業魔――コボルトの先導者は、後方にいる怪物に語りかける。

 

(ズメイ)なんぞよぅ、おらは久々に見たぜ。冥府じゃたまに飛んでたがよ】

【客ならもてなさにゃなあ。そら、この前に捕らえた妊婦はまだおるか!?】

【おらが食うたぜ。腹を裂いてよぅ、赤子を目の前で引きちぎった。女の悲鳴がおもろくてよぉ!】

 

 酔ったようにゲラゲラ笑い、コボルドの一匹が【やめてええ〜〜】と声真似をしはじめた。

 仲間のふざけた振る舞いに、腹を抱えて業魔達が爆笑する。残虐性がにじんだ笑い声だった。

 

【ギャギャッ! でもよぅ、後数日もすりゃあ、もっとたらふく食えるんだろぅ?】

【旦那もいいタイミングで来られたもんだぁ、この地の肉共をたらふく食えるかもしんねぇ――】

 

 足を止めたコボルド達の後背に、ぬっと巨影が近づく。

 狼のような低いうなり声とともに、冷え切ったよだれが彼らに垂れる。

 

 振り返った彼らが目にしたものは、黒い鱗におおわれた山羊角の竜だった。

 眼窩には、赤い鬼火がらんらんと光っている。

 

【――だ、旦那? なんだよぅ?】

【失礼。もう腹が減って我慢できないんだ。悪く思わないでくれよ】

 

 おもむろに竜は大口を開けて、果物でも食べるかのようにコボルドの一匹に食らいつく。

 先程、妊婦を殺したと言ったコボルドだ。

 

 ごりっという不快な音が響くともに、足がびくびくと痙攣する。

 やがて、べちゃりと下半身だけ崩れ落ちた。

 

 ぐちゃぐちゃという咀嚼音が、静まりかえった廃村内に響く。

 コボルド達も呆気に取られた後、恐怖に引きつった絶叫をあげ始めた。

 

【あいえええっ!? ウルチを食いやがった!】

【おいおい待て待て待て! おら達食ったって、なにもまんねえぞ!?】

【ひえっ……く、食うなら人間を……!】

【いや、貴方達もおいしそうだ。さっきの妊婦の話みたいに、腹を裂いてから食うとしよう】

 

 逃げようとするコボルドの一匹を、竜は前足で押さえつける。また大口を開けた。

 その時、廃村の奥から静止の声が飛ぶ。

 

【待て! その者共は味方だ。食うてはならぬ。……飛び入りの参加者というのは汝か?】

 

 声の先、家々の影からぬっと現れたのは、肥え太ったミノタウルスだった。

 コボルドと比して三倍は大きい図体から、蒸気のような霊気がほとばしっている。

 傍らには、コボルドの一匹がちぢこまっている。

 

【おぉ、ミノタウルスじゃ! 『大水路』の案内人を呼んできたんか!】

【……『大水路』?】

 

 竜が首をかしげると、牛頭の怪物は鼻を鳴らす。

 

【この先にある我らの拠点よ。腹が減っているなら、そこで食わせてやる。かわりに、事を起こす際には一働きしてもらうがな。ついてこい!】

 

 毛むくじゃらの指で前を示しながら、ミノタウルスが先導しはじめる。

 遅れて、のそのそと竜は後を追いはじめた。

 

【へえっ、お待ちを! そういや、まだおら達は紐つきのチェックをしちゃりゃせんで!】

 

 恐れにおののいていたコボルドの一匹が、思い出したかのように叫んだ。

 二匹がぴたりと止まる。心なしか、竜は警戒したような視線をコボルド達に向けていた。

 

【おい、だらずが! 黙っとれ!】

【言わんでもいいことを……!】

【で、でもよぅ……あの竜が使い魔かどうかチェックするのが、門番のおら達の役割だろ?】

【メテフィラ様はそう言ったがよ、あんな食に見境ねえ奴に誰が近づくってんでえ?】

 

 コボルド達は、おののきながら竜を見つめた。

 計画に加担する業魔の身元チェックを、門番たる彼らは担っていたのだが――。

 検査には時間がかかる。その間、誰かがあの竜に喰われるはずだ。

 

【……竜を使い魔にできる者はおらぬ。確かめるまでもない。この場のチェックは不要とする】

 

 結局、ミノタウルスの一言で不問となった。ほっとした様子のコボルド達が離れていく。

 場の空気をしきり直すかのように、冷たい夜風が残された二匹の毛をすいた。

 

 ――ふわりと持ち上がったミノタウルスの毛の下に、小さな氷の結晶が生えていた光景は。

 ついぞ、誰も目にすることはなかった。

 

 

 

第六話

地下水路にひびく嗤い声

 

 

 

《――そりゃ、関わったら面倒そうな荒くれ者を演出しろとは言ったけどね。検査を抜けるために。でも、門番を食べるとは思わなかったわ》

 

 騒ぎを起こした竜――造魔竜(ジルニトラ)の胴部には、クドラク一行が詰めていた。

 先程の会話は、クドラクが竜に喋らせたものだ。コボルドを竜に食べさせたのもわざとだった。

 

 真っ暗闇の内部では、宙に形成された氷細工の薄板のみが光を放っていた。

 薄板はニーナが中継する『造魔竜(ジルニトラ)の視界映像』を表示していた。

 画面の光によって、三人の顔が照らされる。

 

「すまない、奴の言葉が気に障ったもので。……でも、あれで何とかなったのかな?」

《まあ、この竜が造りものだってバレるリスクは無くなったわね》

 

 現在、スケルトン状態だった造魔竜(ジルニトラ)には、クドラクの影で作った皮膚をかぶせてある。

 そうしなければ、肋骨からクドラク達の姿が丸見えになってしまう。

 それなりに精巧に作ったはずだから、はた目からはいかめしい黒竜に見えるだろう。

 

 だが、触れられると隠し通せるかわからない。

 なにせ、竜の皮膚など触ったこともないのだ。大体のイメージで皮膚を作るしかなかった。

 コボルド達に「あれ? 竜の鱗ってこんな柔らかかったっけ?」と思われる可能性がある。

 

 そのため、チェック自体がうやむやになるよう、一騒ぎを起こしたのだ。

 

《さて、地図を表示するわ。事前に内部構造は調べてきたから》

 

 側に置かれた手のひらサイズの氷結晶から、きらきらした雪の粒子が噴き出る。

 氷の粉は複雑な形をとり、またたく間に『大水路』の立体マップを形どった。

 施設の模型を見て、クドラクが目を丸くする。

 

「……立体地図も作れるのか、すごいな」

「ニーナは雪とか氷で好きなものを作れるんだよ。すごいよね!」

「このお方は雪そのものっスから。核となる大結晶以外は、自由に形を変えられるとか」

 

 両者の補足に、氷の端末から《ふふん》と自慢げな声が聞こえる。

 

《で、今からの侵入ルートだけど……メテフィラは施設最深部の「流水管理区画」にいるの。そこ目がけて進んでいく流れになるわね》

 

 『大水路』のマップは、水平に広がる根のような形状をしていた。

 末端部分が地上の各所につながっており、根本にあたる部分が地下へと伸びている。

 

 その根本部分――丸い形状の地下空間が、彼女のいう「流水管理区画」なのだろう。

 クドラク達は最上部――末端部分から通路に入り、これから最奥へと向かう。

 

《門の予定地もそこよ。貯水池みたいな場所があって、そこに設備が設けられているわ》

「どこまで仕上がっている?」

《今夜中には開くって感じね。私が寄生した人員が作業を遅らせているから、まだ準備は済んでない》

 

 先程のミノタウルスにしてもそうだが、彼女は体の一部を寄生させた者の思考を操れる。

 中枢部にも宿主がいるそうで、幹部連中の動きを監視しているそうだ。

 

「そもそも、なんで業魔達は拠点を水路みたいにしてるんだろ?」

「画面を見ればわかると思うっスよ」

 

 リトーは、宙に浮かぶ氷の薄板を指した。

 

 今、怪物に先導された造魔竜(ジルニトラ)は、トンネルらしき空間を進んでいる。

 半円状の空間の天井には、もみしだかれ、撹拌された光のうねりが踊っていた。

 その光源は、格子状の床から見える流水だ。

 

 流水はぼんやりと光っており、星々のような輝きを無数に内包している。

 ゆらゆらと水面から霊気が上り、怪物達の足であやしげに踊っている。

 普通の水ではない、とクドラクは気づいた。

 

「この水は……魂が溶け込んでいるのか? 霊気が立ち上っているとは」

「ご明察っス。公領全体の魂を吸収して、自動的に中枢部へと運ぶシステムっスね。ここの支配者――メテフィラが構築したらしいっスが」

 

 なるほど、だから水路と呼ばれているのか。

 栄養となる魂を中枢に運ぶ様は、やはり植物の根のような印象を受けた。

 

《道中、赤い水門が何枚も設けられているわ。侵入者が現れた時、水門を閉めて奥に行かせないようにする構造らしいの》

 

 立体マップを見ると、水路が合流するポイントが水門で区切られていた。

 中枢部付近でも同じで、等間隔で水門が設けられている。

 

「水門が降りると、その先にはいけないんだったな。避難路みたいなのはないのか?」

《ないわ。水門をぶち抜かない限り、先には進めない構造よ。おまけに隔離された区画は、中枢部の操作で水没させられる》

 

 そして、侵入者は溺死するのか。つくづく合理的な設計思想だった。

 道中で騒ぎは起こさないのが吉だろう。

 

 ──本来ならば。

 

《――まあ、今夜に限っては、()()()()()()()()()()()()()()()わけだけど》

 

 ぼそっとニーナが呟いたのは、夜が来るまでに練り上げた作戦のことだろう。

 施設内にいる全業魔を殺しうる策を、彼らは持参してきていた。

 そして、システムを無効化する策も。

 

「……異界内に生きた人間はいないんだよね? 中枢以外は全滅する手筈だけど」

《いないわ。連中にとっちゃ、生きた人間を貯蔵するより、そこの水をすすった方が滋養になる》

 

 内部構造を把握してなお、生者が見当たらなかったということは、本当にいないのだろう。

 

《ひとまず水路を進んでいくわよ。中枢に行く分には一本道だから、案外早く着くかもね》

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 

 だんだん水路は広くなっていく。赤漆に塗られた水門も何回か通り抜けた。

 水門の側には、武装したゾンビ達がいた。水門を閉ざすまでの足止め係のようだった。

 敵がいないからか、全員がおしゃべりや賭け事に興じていた。

 

【誰かレシピ本を持ってねえか? どの拷問をすれば辛めの魂に味付けできるか、忘れちまってよう】

【オ腹空イタナア……】

【ここに詰めているのも飽いたぞ。他の連中みたいに、こっそり適当な村を食いに行かぬか?】

 

 連中の会話内容に耳を傾けながら、あやしく光がうねる地下水路を進んでいく。

 大祭の前日のような、そわそわした空気が水路内にただよっている。

 

 すれ違う業魔の数も増えてくる。ゾンビ・スケルトン部隊が多かったが、珍しい業魔もいた。

 魚の尾を持つ巨躯の白山羊――カプリコンや、ピラニア型業魔のレモラなどだ。

 

(この場所で水妖と戦いたくはないな……。水中に引きずり込まれると面倒だ)

 

 やがて、何度目かの水門をくぐった先で、それまでの様子が一変した。

 神殿じみた太い柱が立ち並ぶようになり、幅も四十メートルを越した。

 天井も高くなったからか、撹拌される水の光も届かない。暗闇だけが澱んでいる。

 

 通路には多くの業魔がたむろしていた。騒々しい音が耳いっぱいに広がる。

 両側で開かれている市らしきものから、怒号や矯正が絶えずひびいている。

 

《この辺りは仮の宿泊区画よ。祭りを目当てに来た業魔達が、一時的に雑魚寝する場所の一つ。こんな場所が水路内に無数にある》

 

【さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 今日は新しい拷問器具を紹介するよ!】

【イヒヒヒッ! さけはぁ!? れいしゅをもっともってこいよぉっ!】

【祭りの当日、ここに行かぬ奴は全員馬鹿だ。この街は激アツぞ? 狩人の平均戦闘力が高く――】

 

 呪具を売る露天商のリッチ、人間の死体で作ったおもちゃを売るケットシー――。

 霊酒でトリップしているアル中ゾンビ達、道端で乱闘しているヘルハウンドの群れ――。

 大きな地図を壁に貼り付け、どの街を襲えばいいか話し合う道化師のような業魔――。

 

(……ん、あれはレッサーデーモン?)

 

 壁に地図を広げている一団をよく見る。

 山羊じみたドクロの頭に、道化師のような奇妙な衣服を着ている連中だった。

 蹄のある脚と、コウモリのような羽、そしてロバのような尾も目を引く。

 

 頭骨に洒落たペイントを施し、獣毛の一部をトランプ柄やチェック模様に染めている。

 全体のまがまがしいフォルムと、派手なペイントのアンバランスさが印象的だ。

 一部の連中は、大道芸の小物も腰に吊っている。

 

【シュールカ様は、巫女を直接襲おうと言っておるぞ。そっちの方が強いからと】

【女子を斬って何が楽しい? 戦いの喜びは、筋骨隆々の益荒男と戦ってこそよ】

【いやいや、それは男尊女卑というもの。巫女の技術はすばらしいぞ。斬られ甲斐がある――】

 

 眼下の奥でらんらんと光る目が、ふっとこちらに集まった。視線に気付いたのか。

 

【……ん、竜だと?】

【ほぉ、久しぶりに見たわ! 昔殺し合った一匹を思い出す!】

【はて、おかしいな? かつて『中間世界』の竜とやりあった時は、もっと……こう――】

 

 一匹が、食い入るようにこちらを見つめる。

 

【――鱗がつややかで、浮かび上がる筋肉も美しくて、殺し甲斐がありそうなイケメンであったが……奴はどうにもそそられぬな……】

 

 他のレッサーデーモン達も顔を見合わせる。

 

【言われてみれば、目に覇気がないな】

【牙もぎらついておらぬぞ】

【ふむ、竜に似た何かではないか? 姿形を偽装しているのやもしれぬ。箔付けのために】

 

 

【【【……確かめるために、一戦交えるか?】】】

 

 

「――ッ、まずい」

 

 すっと視線を外して、造魔竜(ジルニトラ)を足早に急がせる。

 前足が当たった業魔がよろめいて、こちらに抗議の吠え声を浴びせかけるのも構わず、人混みの流れをかき分けていく。

 

「厄介な奴らに目をつけられた。逃げる姿を見て、興味を失ってくれると嬉しいんだが……」

「あいつら、デーモンの一種っスよね。お目にかかるのは初めてっスが」

 

 訝しげにリトーが問いかけてくる。

 

「そんなに強いんスか?」

「強いというより面倒だ。連中は揃いも揃って戦闘狂でね。場所を選ばず戦いを挑んでくる」

 

 今とて、さしたる必要性もなしに、ごく普通に死闘をしかけられようとしていた。

 デーモンにとって戦は本能であり、快楽であり、人生の命題そのものである。

 

《喧嘩なんてして注目を上げすぎると、このままの潜入が困難になるわね》

「そうだ。この場でやりあいたくない」

 

 そもそも、この造魔竜(ジルニトラ)は搭乗したままでの戦闘を想定されていない。

 今でこそ皮を被せてはいるが、元々の姿は骨むき出しのスケルトン状態なのだ。

 また、即席で作った皮膚自体も、強烈な攻撃を受けたらたやすく剥がれ落ちる。

 応戦するにしても、自分達は発見されるだろう。

 

「……もう逃げるのは無理だね。後ろから邪気が何体かついてきてる」

 

 目を閉じたクルースニクが呟く。彼女の周りで、ぱちぱちと青白い電気が踊っている。

 彼女が勘を研ぎ澄ませる時は、よく電気が放たれる。レーダーの役割でも果たしているのだろうか?

 

《中枢部はまだまだ先よ。この先は、また人通りが少ない通路に入る》

「むう。竜の中に隠れたままやりあうか、このまま逃げ続けるか……いっそ外に出るかだね」

「……通路内に監視の目は?」

《ある。中枢部から全区画の様子を見ることができるわ。喧嘩の様子も中継されるわね》

 

 となれば、万が一にも喧嘩の際に皮膚が破れ、クドラク達の姿が露わになるとまずい。

 

「連中の殺気が膨れ上がったよ。たぶん、この先でしかけるつもりかな」

「……人混みに紛れるなら今、か」

 

 本来なら、竜に乗ったまま水門に向かい、放水路に入れてもらいたかったが……しかたない。

 

「クルースニク、今から呪詞を送る。それを使って脱出しよう」

「オッケー、お願いね!」

「リトー、少しの間だけじっとしていてくれ」

 

 彼女に念を送ると同時に、リトーに体を寄せる。彼がこちらをきょとんと見つめた。

 

「どうしたんスか――」

「「【影よ踊れ。野鼠の形を成せ】」」

 

 クドラクの体に影が集い、猪ほどもある巨大なネズミの形を取った。

 ぐばっと大口を開け、リトーの頭にかじりつく。そのままのしかかり、丸呑みにしようとした。

 

「のっ――のわあああああっ!!?」

 

 じたばたリトーの脚が暴れるが、構わず頭を上に振って、器用に丸呑みにしていく。

 やがて、脚が喉の奥に消えた頃合いで、しゅるしゅると妖怪ネズミは縮小していった。 

 

 『踊る影の呪詞』は、使用者や物品を異界に隠し、影で作った姿を自在に変化させるものだ。

 今、飲み込んだリトーは、クドラクと共に異空間内部に詰まっていた。

 

「――よし、今から造魔竜(ジルニトラ)を指輪に戻す代わりに、ナイトストーカーを詰める。そいつらが竜に擬態していたとでも勘違いさせよう」

 

 普通のサイズになったドブネズミが、クルースニク扮するハツカネズミに目を向ける。

 手際がいいもので、何も言わずともニーナの端末を飲み込んでくれたようだった。

 

「準備はいいかい?」

「いつでも!」

《……無茶苦茶やるわねー、あなた。そういうところがクルースニクと相性がいいのかしら?》

 

 ハツカネズミの腹の中から、ニーナの呆れたような声が聞こえる。

 彼女が察したとおり、クドラクは相方に負けず劣らずの脳筋である。

 土壇場で策が通じなくなった時、すぐ手数の多さでゴリ押しする癖がある。

 

「【死霊の王がここに命ず。戻れ、造魔竜(ジルニトラ)。出でよ、『影の大隊(アンブラ・レギオン)』】。仕事の時間だ」

 

 造魔竜(ジルニトラ)に命じ、スケルトン状態からドクロ意匠の指輪へと戻させる。

 代わりに、黒い影が中に充満し、骨の代わりを人知れず果たしていく。

 完全に満ちる前に、二匹は影の覆いへ潜った。

 

 仮初めの皮膚を抜けて、ぼとりと床に落ちる。すぐさま通路の両側へと走り寄った。

 仲間と談笑していたゴブリンなどが、こちらに気づいて、手を伸ばしてくる。

 それを器用にかわし、無事に端へとついた。

 

 ネズミの視界になっているからか、ほとんどの業魔は天をつくほど大きく見える。

 巨獣たちの足元を通り抜け、ます目の大きな格子状の床を走る。

 歩幅は小さいが、その分だけ全力疾走し、人混みから離れた。

 

(動きやすい形態に変わりたいが、大型の獣に変身すると中枢部の監視に引っかかるか。なら――)

 

 ちらりと下の水路を見やる。この水流は、中枢部の貯水池に続いているはずだ。

 

「水流に乗れないか試してみる。【影よ踊れ。霊魚の形を成せ】」

 

 格子状のます目をくぐり、下の水流へと落ちる。同時にネズミの体が不定形にうごめく。

 水飛沫をあげて着水した時には、つややかな黒魚に変化していた。

 

「えっ? それ、入って大丈夫なやつなの? なんか発光しているけど……」

 

 ハツカネズミが下を覗くのと、水面から魚が顔を出すのがほぼ同時だった。

 

「毒性はあるかもしれないが、この肉体も影で作った偽物だから。生身に触れなければ問題ない」

「ああ、なるほどね。中に水を入れなきゃいいってことかな?」

 

 もっとも、得体の知れない水に潜ることに、抵抗感を覚えないでもないが……。

 効率的な進軍のためには、我慢すべきだろう。

 

「注意点が一つ。あくまで魚の姿は模倣だ。えら呼吸ができるようになった訳じゃない。息継ぎに水面に出る時は、水を飲まないよう気をつけて」

「おっけー! 【影よ踊れ。霊魚の形を成せ】!」

 

 ハツカネズミも水面へ身を踊らせて、見事な白魚となりながら着水する。

 そのまま、二匹で中枢部へと泳いでいった。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 『大水路』中枢部――「流水管理区画」と呼ばれる場所の中央には、貯水池が広がっている。

 発光する水面に照らされ、されど全体が闇に包まれている地下空洞がシステムの中枢部だった。

 

 水面から鳥居じみた構造物が突き出ており、内側に空間の歪みをたたえている。

 それらの根本にはパイプがからみつき、液体から抽出された霊的エネルギーを注いでいた。

 ゴウン、ゴウン――と静かに音がひびくにつれ、鳥居は妖しげな光をまとっていく。

 

 水面を見下ろすと、昼間のように明るい――されど透き通っている水中施設が広がっている。

 大小のパイプと構造物で作られる、鈍色の内臓群がこの流水管理システムを構築していた。

 

《――うむう、ナイトストーカーだと? どんな強者かと思えば、またずいぶんと肩透かしな……》

 

 ――そして、内臓じみた構造物の下方には、豪奢な庭園に似た水中世界が広がっている。

 

 アクアリウム庭園の中央──。

 そこにチェレンコフ光じみた蒼光をまとう竜宮城がある。

 左右対称な建物の周りには、熱帯魚のようなレモラが群れをなして泳いでいた。

 

 今、竜宮城内部にある管制室――暗い天井に浮かぶ霊的ホログラムに囲まれた大広間に、レッサーデーモン達の当惑した声がひびいた。

 

《シュールカ様、空振りに終わりましたぞ》

【なんだね。やっぱり竜じゃなかったのか?】

 

 H.R.ギーガーの作風を思わせる生体機械群の中央で、パイプが無数につき刺さった鉄の玉座に座る影が応答する。

 深紅の道化服に身を包み、洒落たジェスターハットをかぶった、白面の業魔――。

 顔には裂けた笑みを浮かべる口しかなく、目鼻の類は確認できない。

 

《実はナイトストーカーが化けていたようで》

【ほお? 影法師に擬態する知恵があるのか。そんな知性は無いと思っていたが】

 

 シュールカと呼ばれたアークデーモンは、ホログラムを見上げる。

 通路全域に潜むクラゲ型業魔「スペクター」が、ある区画にいるレッサーデーモン達を映し出す。

 

 この異界全域にスペクターは潜んでいる。彼らの視界が全て管制室に中継されているのだ。

 侵入者がいれば、その区画を水門で閉ざし、中を水で満たす手筈となっている。

 

《にしても、期待はずれよな! 前夜祭の出し物くらいには楽しめると思ったものを》

《あれなら、あえて攻撃せんでもよかったな》

 

 レッサーデーモン達が、戯れに黒竜へ死闘を挑もうとしていたのは知っていた。

 なにせ、自分が最終的に承認したことだからだ。

 

 この地下施設の中間管理職としては、明確に否を出すべき行動だったが――。

 デーモンたるもの、格上を見れば血がたぎるものだ。死闘の嘆願を無下になどできない。

 シュールカもまた、戦狂いの破綻者なのだ。

 

《そこのミノタウルス、お主はこやつの正体を知っておったのか》

《知らなかった。驚いておるよ。いきなりお主らが攻撃してきたことも含めて》

 

(……ふむ、ふむ。引っかかるな)

 

 今、万の戦を経験してきたシュールカの嗅覚が、報告内容に戦の香りを嗅ぎ取った。

 

(ナイトストーカー共は人間の魂が摩耗したもの。わずかに残った知性が、強者への擬態を可能にしたと見ることもできるが……)

 

 己が不勉強なだけかもしれないが、あまり聞いたことのない事例だった。

 ゴーストと共に食物連鎖の最下層にいる者共に、そんな上等な策が取れるだろうか?

 

 もっと納得できる可能性が一つある。

 そのナイトストーカー共が狩人の使い魔で、連中によって偽りの皮膚を着せられていた、とか。

 

【その者共、入り口でチェックは受けたのかね】

《受け申した。我が目で見ましたぞ》

 

 ミノタウルスが淡々と報告する。

 言語化はできないが、奴の声音とリアクションがどうにも気にかかる。

 考えを巡らせる前に、赤い道化師の後ろから声がひびいた。

 

【不信。コボルド共の目利きなど信頼すべきではない。奴らは獅子と猫の区別もつかない。……質問。ささいなことでもいい。何か変わったことは?】

 

 鈴の音のように愛らしい声――平坦で無機質、氷のような冷酷さを感じ取れる声。

 その声を聞いたシュールカの背に、冷水を浴びせられたような悪寒が走る。

 

 ――化け物がすぐ後ろにいる。

 深海よりも澱んだ魂が、背後の暗がりにいる。

 

《む……変わったことですか》

《賊の気配など特にはしておらぬし、どこぞで小火が起きた話も聞かぬ。強いて言うなら――》

 

 レッサーデーモン達も気圧されながら、皆して頭をひねった。

 

《先程、「ネズミがいたぞ!」というゴブリン共の声が聞こえましたが》

【……矛盾。全区画は定期的に水没させ、使い魔となりうる生命体を駆除している。本来、生物はこの異界にいないはず。……疑問。ネズミの発見場所と発見時刻は?】

《ほんの数分前、ここからほど近い滞在区画で見つけましたが……》

 

 シュールカの後ろから、青白い半透明の触手が何本ものびてきた。

 ぬらりと粘液をまとう触手が、自分の前に置かれた生体機械群を操作する。

 

【計算……予測……演算終了。B-Δ52番以降の通路を隔離すべきと判断】

【……メテフィラ殿? 広範囲に隔離するということは、まさかプロトコルΣを】

【実行する。その価値があると判断する】

 

 プロトコルΣ――侵入者の居場所が不明で、隔離できない場合の広範囲迎撃戦術。

 今、各通路の画面では、鉄錆びた水門がつんざくような音を立てて閉まっていった。

 

【紛れ込んでいるにしても、小動物なら偵察用の使い魔でしょう? いささか過剰では】

【否定。偵察ではなく攻撃の可能性が高い。生半可な対応は危機をまねく可能性あり】

【……なんと?】

【疑問。偵察目的なら、ナイトストーカー共を紛れ込ませるだけで事足りる。あえて竜の形態を取り、他者を威嚇する必要があったと考えるべき】

 

 ナイトストーカーに擬態させるにしても、竜など目立つ格好をさせる必要はない。

 他者を威圧し、近寄らせないための形態のはず。

 

【推測。何らかの荷を運んでいたと考えれば、大型の業魔に擬態した説明がつく。しかし、現場には影法師以外には何も見えない。同区画近辺で発見されたネズミが荷である可能性が高い】

【ネズミを? なんのために……?】

【回答。偽りの皮膚を作る相手なら、致命的なものをネズミに見せることも可能かもしれない。――さしずめ中身は爆弾か狩人と推定】

 

 いわばトロイの木馬。

 致命毒のごとき脅威を仕込んだ、偽りの味方。

 

【ゆえに、不確定要素を潰す。プロコトルΣにて進路上の一切合切を破壊させる】

【――ほお、ほお。それはそれは……楽しそうな相手ですな。祭りを待つのも退屈していたところだ】

 

 シュールカは笑みを深くする。

 待ちに待っていた敵襲だ。また、殺し殺されあう甘美なひと時が来たのだ。

 

【命令。貯水池で陣を張れ、アークデーモン。敵が隔離を突破してきた時のために】

【クカカカッ! 御意に……!】

【私はここで戦ぶりを見ている。新しいモルモットがやってきた。戦闘試験をしなければ――】

 

 触手がレバーの一つを下ろすと、施設全域に潜むスペクター達がアラーム音を奏でる。

 ずるりと影のごとき存在が前へ出てきて、生体機械群に向かって抑揚のない声をひびかせた。

 

【プロトコルΣ「海嘯」を発動する。大海蛇(マルスコイズメイ)に伝達。至急、B-Δ52番以降の隔離区画を掃除されたし。繰り返す、大海蛇(マルスコイズメイ)に伝達――】

 

 画面上で、ある区画の壁が吹き飛び、洪水のごとき大量の水が通路へとほとばしる。

 ――水の中に、海蛇のような影が見えた。

 ぎらりと赤い双眼を光らせ、濁流とともに通路の奥へと進軍を開始する。

 

(クククッ……敵手がどう対応するかも見たいが、こちらはこちらで陣を張れとの指示だからな)

 

【同胞達よ、話は聞いていたかね? 戦だぞ!】

《おおっ! 待ちに待った戦ですな!》

《ようやっと殺し合えるのか! ここの連中と同士討ちしあうのは、もう飽きてきたからな……!》

 

 レッサーデーモン達が目を輝かせ、一目散に画面外へと駆け出した。

 赤い道化師も席を立ち、画面への名残惜しさを振り切って、管制室に背を向ける。

 

(さあ、血と喝采の時間だ……! 一年前よりはるかに大きな花火を、このシュールカがくれてやる。我がサーカスの元へと来い、愛しい敵手よ)

 

 ――かつて、タルサデューク公領に未曾有の被害をもたらした一匹のデーモンが。

 裂けた笑みを浮かべながら、先の尖った靴を打ち鳴らして、リズムと共に去っていった。

 

 





TIPS:『デーモン』

 業魔の一種。派手な戦をひたぶるに求める傾奇者達で、三食よりも戦闘が大好き。
 格上を殺すのを至上の喜びとし、よく軍勢を成して大業魔に挑んでいる。
 レッサーデーモンという兵卒を、アークデーモンという指揮官が支配する。

 道化じみた装いは、いわば死化粧である。
 自分達を殺した敵を楽しませるために、自分達に殺される敵を笑わせるために。
 楽しく、刺激的に──敵をも楽しませるために、あえて彼らは道化を気取る。
 

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