『血塗られた月のクドラク』〜余命わずかな病を克服するため、闇の王へと堕ちる話〜 作:人見 広介
――ギイイイィィィイイイイィィィィ……!
薄暗い水路の中に、悲鳴のような音がひびいた。赤い水門が降りていく音だ。
両脇に続く道が塞がれていき、水がせき止められたせいで水量がみるみる減っていく。
いまだ、前方には闇への道が続いている。
鉄錆びた音を聞きつけたか、水面から二匹の魚が顔を出した。
変身したクドラクとクルースニクだ。
「……クドラク君」
「気づかれたか。……前への道だけ開いているのが気になるな。普通は逆だろうに」
前方の道は中枢部へ続いている。まっさきに塞ぐべきルートのはずだ。
(こんなに厳重な防衛システムを築いているんだ。無策で水門を閉めたわけじゃないだろう。さて、何をしてくるつもりだ……?)
敵の動向をうかがっていると、通路の天井から、わらわらと何かが降りてくる。
花火のように幻想的な光を放つ、半透明のクラゲ型業魔「スペクター」達だ。
赤・紫・青――美しい色合いのクラゲ達が、宙にふわふわと浮かんでいる。
「おおっ、スペクターだ! きれいだね!」
「……見た目だけは、な。釈迦に説法だろうけど、奴らの水鉄砲は威力が高いから、注意してね」
小声で話すうちに、事態は進行していく。
色とりどりのクラゲ達は、イルミネーションじみた傘をふるわせ、けたたましいサイレンを放った。
――ゥウウウウゥゥゥゥゥ……!!――
《プロトコルΣ「海嘯」を発動する。
平坦で無機質な声が、サイレンと共に聞こえる。一部のスペクターが別の音声を流しているようだ。
《――プロトコルΣ。思い切ったわね》
反響するサイレンの中、ニーナの声が耳に届く。どこか切羽詰まったような声だ。
《敵があなた達の侵入に気付いたわ。でも、位置までは把握できていないから、区画をピンポイントで隔離することもできない状態なの》
「……だから、前方への道が空いたままなのか。それなら全区画を水没させればいいのに」
《流水管理区画の貯水量が足らないから、それは無理なのよ。――だからこそのプロトコルΣよ。二人とも、全力で走って》
「えっ? 隠れてやりすごさないの?」
《もう隠れる意味がなくなったわ。だって――》
ニーナが説明を続けようとした時、後方で爆発音がとどろいた。思わず振り返る。
クラゲ達が浮かぶ闇の向こうでは、天井からまばゆく発光する水の奔流が降り注いでいる。
どうやら天井の一部が崩壊し、滝のように水が落ちているようだ。
とは言え、幅数十メートルもある大水路にいるのだ。そう易々と水量が増えたりは――。
――どさっ、と滝とともに何かが降りた。
水を浴びながら鎌首をもたげる「それ」は、カラフルな配色の
とぐろを巻いてなお、広々とした水路を半分埋める程度には巨大な怪物だった。
翠色のヒレが、頭から尾まで波打っている。
ぎらりと赤い双眼を光らせ、海蛇は水路の奥をにらみつけた。
大蛇の周囲に水が集まり、通路中を覆い尽くすような渦状の水刃ができる。
回転する水圧カッターが、秒間に十数回は壁の同じ傷跡を斬りつける。
数十枚のグラインドカッターが狂い哭くような、凄絶な斬撃音を前にして、クドラクは目を見開く。
「……そういうことか! クルースニク、走れ! あいつら、水路全体を切り刻む気だ!」
「……!? 隠れる意味がないってそういう――」
言い終わる間に、海蛇がつんざくような叫び声を上げる。背筋が凍りつくような絶叫だった。
水圧カッターの本数が増え、互いに重なり合い、一つの巨大な竜巻のように融合しはじめる。
ギチギチギチ、と海蛇が牙をかみ鳴らす。
――そして、勢いよく前方へと飛び出し。
あっという間にトップスピードに乗り。螺旋のように回転しつつ。
格子状の床を粉砕しながら、こちらへ奔流となって進軍しはじめた。
「「【影よ踊れ。狼王の形を成せ!】」」
二匹とも狼へ変身し、格子状の床をぶち抜いて、全力で通路の奥へと疾走しはじめた。
轟音とともに竜巻が迫りくる。
背後から放たれる咆哮に、全身が総毛立つ――!
ぐんぐん加速しはじめる二匹に、宙を浮かぶスペクターからの視線が突き刺さる。
《――発見。F-Γ15区画に侵入者あり。中枢部へ向かって疾走中。隔離措置を実行する――》
風となって走る狼達の前方で、赤い水門が耳障りな音を立てて揺れる。
しかし、一向に降りない。
その下を難なく二匹は通過し、遅れて螺旋状に回転する濁流が水門をひしゃげさせる。
《……。エラー。水門が降りない。隔離措置を実行できない。整備ミスか――待て、これは……》
抑揚のない声が、最後だけ驚きに揺れる。
《――全区画が強制隔離された? そんな操作はしていない。なぜこのような――ザザッ》
スペクターからの音声が途切れた。音声の向こうで何かハプニングが起きたようだ。
――ニーナが伏せ札を開示したか。
今ごろ、各区画では水門がしまっていき、内部の業魔達が混乱して騒ぎ立てていることだろう。
《少々早いけど、仕込みを発動させたわ。各区画から来る増援の対処は任せて》
林立する石柱の間を走っている最中、白狼となったクルースニクの内部から声がする。
《各水門の部品には、私の氷細工を噛ませてある。壊すも閉めるも思いのまま──だけど、開ける動作は無理だから気をつけて》
「オッケー! やるんだね、ここで!」
「雪から身を守ればいいんだな」
《ええ。大概の業魔は殺せるけど、
黒狼は風のように走りながら、赤いヘビの目で後方を確認した。
竜巻は水路の水を取り込み続け、太い石柱を砕きながら取り込み――加速しつつある。
渦に飲み込まれる木っ葉のように、スペクター達が回転に巻き込まれるが、おかまいなしだ。
「クドラクさん、手前を乗せたまま走れますか?」
黒狼の体内から、リトーの声がひびく。
「ああ、できるけど……妨害するつもりか?」
「はい。お二方は走るのに集中してほしいッス。それでは、失礼して!」
黒狼の背中がふくらんで、毛皮を突き破ってリトーが現れる。
そのまま後ろ向きに狼に乗って、足の力と重心だけでしっかり体を支える。
紺色のマントが激しくはためき、浅黒く筋肉質な半裸の体が露わになる。
白髪の狼少年は、七色の宝石があしらわれた腰の大曲刀を、ぬらりと抜き放った。
「さて、一仕事だ。手前の守りを抜けると思うな」
対する竜巻からは、つんざくような咆哮が返ってきた。びりびりと大気が振動する。
水圧カッターの一本が竜巻から飛び出て、リトーの喉元まで迫る。
「【黒旋風よ吹け。王命によりて踊り狂え】」
瞬間、黒く染まった気流が発生し、羽衣のようにリトーの体をとりまいた。
風のメスと水圧カッターがかちあい、激しく飛沫を散らしながら拮抗する。
だが、気流は微動だにせず、乱れる様子もない。
「手前の呪いは『嵐』。出力と圧縮性だけを磨き抜いた暴風っス。お二方ほど多芸じゃねえが、呪いの力比べには自信がある。この程度の水鉄砲――」
羽衣の一本がうねり、リトーの手にした大曲刀にからみつく。
そのまま刀を振り抜くと、羽衣によって形成された風のメスが、竜巻めがけて放たれた。
「――子供の水かけと同じっスよ」
黒い風刃が、竜巻の上半分を切り飛ばす。遅れて血のような瘴気が渦巻のように飛び散った。
手傷を負った
そして、地を転がりながら後方へ遠ざかった。
「ブラボー! 決まったね!」
「さすがだな。一太刀で防ぐとは」
《いい仕事ぶりね。じゃあ、またのお越しを》
ちょうど通り抜けた水門が降り、がしゃんと音を立てて大蛇をさえぎった。
遅れて、爆発したみたいな衝突音が、水門の向こうからひびいてきた。
おそらく濁流が水門に衝突した音だろう。
「ふふん、他愛ないっスね。先の街じゃ不手際をさらしたっスが、戦に関しちゃあ――」
《浸っているところ悪いけど、前にまだいるわよ》
「えっ? ――うおっ、マジっスか」
体勢を変えたリトーの目に飛び込んできたのは、スペクター達がレーザーを照射して、網目状のトラップを構築している光景だった。
いや、レーザーではなく、発光する水を用いた水圧カッターのようだ。
「なんの、軒並み斬ってやりゃあ!」
リトーが呪詞を唱えようとした直後、スペクター達の横にある壁が爆発した。
中から吹雪がスペクター達に吹き付け、それに怯んだ業魔達がレーザー網の照射を中断させる。
クラゲ達の体に雪が付着すると、傘や刺胞が音を立てて凍て付いていく。
ピキピキと氷に包まれながら、クラゲ達は叫ぶ。
【――? ――!】
スペクター達が雪をはらいのけようとする隙に、二匹の狼達は駆け抜けていく。
今や、通路中の壁が破裂しており、血潮のように吹雪と冷水を撒き散らしていた。
「おっ、こりゃあ……ニーナさんの雪か」
《――私の呪いは『雪』。今、施設中にはり巡らされているパイプは、私の作った雪によって詰まり、あちこちで破裂している》
リトーの荒々しい口上とは違って、ニーナは愉快そうにうそぶいた。
これぞ、業魔滅殺の一手。
大水路中に巡らされたパイプを破裂させ、隔離された区画に吹雪を吹き荒れさせた。
《しばらく氷吹雪を楽しみなさいな。季節外れの冬もおつなものでしょう? ……リトー、風のバリアを。二人に雪を近づけさせないで》
「合点承知っス! 【黒旋風よ吹け。手前らを颶風で覆い隠せ!】」
黒い半透明のバリアに包まれながら、二匹の狼は雪景色の中を走り抜ける。
凍りかけのスペクターが、やぶれかぶれで突進してくるが、風のバリアに弾かれる。
でたらめに放たれる水圧カッターを避け、壁のあちこちから噴出する吹雪を飛んでかわす。
冷水のシャワーが降り注ぐ中、水鉄砲がほおをかすめて、後方の石柱や壁を貫く。
たまに両断された石柱がゆらりと傾き、疾走中の狼達スレスレに倒れ、格子状の床を叩き割る。
「リトー、振り落とされるなよ!」
「無論っスよ! この程度で落ちるほど情けない鍛え方はしてないっス!」
黒い獣毛にしがみつくリトーを気にしながら、筋肉も裂けよとばかりに速さを増していく。
気温が零下を突破したのを感じながら、ひたすらに闇の奥へと駆ける。
怪物の喉を思わせるような大水路が、だんだんと幅を広げていき、石柱の本数も増えていく。
中枢に近づいている。あと、もうすぐだ――。
「クドラク君、横から敵が来るよ!」
並走する白狼が警告した直後、大水路の両壁が泡のように弾け飛んだ。
流氷混じりの冷水が通路になだれこむ中、身も凍るような叫び声が大気を震わせる。
つんざくような絶叫――
「……っ、複数体いるんスか!?」
《そりゃ一匹ってことはないわよ。プロコトルΣなんて大層な名前を冠するくらいだし》
声の主を振り返ると、ちょうど色鮮やかな大蛇が二匹ほど飛び出してきたところだった。
波状に体をくねらせつつ、冷えきった水流に乗ってこちらへ迫ってきた。
「リトー、迎撃を――」
「だめ! 二時方向、防御を固めてっ!」
「へっ? りょ、了解ッス!」
指示通りにリトーがバリアを集中させるのと、二時方向の壁が吹き飛ぶのが同時だった。
吹き飛んだ石の破片にまぎれ、何本もの水圧カッターがこちらへ飛んでくる。
何本かがバリアに当たり、甲高い音を立てる。
「野郎、まだいやがるのか――」
のたうちながら壁穴から這い出てきたのは、後ろの連中と同じく
尾を振るって流氷をこちらへ飛ばしてくるが、狼達は跳躍して回避する。
左方で氷塊が石柱を貫き、また柱が倒れる。
「走り抜けるぞ! 追いつかれるなよ!」
あちこちでミチミチと音を立てはじめた通路を、速度を早めて駆け抜けんとする。
視界の端で石壁が砕けていき、あちこちから水流が噴き出して、中から大蛇が飛び出てくる。
総じて体をくねらせながら、後ろから迫りくる奔流に合流していく。
《もうじき中枢よ! 最後の水門を通過するわ!》
「よし、逃げ切れそうっスね!」
「……クドラク君、通路の奥に何かいる。沸騰するお湯みたいな邪気を感じる。どうする?」
警告してきた白狼と目をあわせる。
(……僕達を待ち構えているってことか? なら、この状況はまずい。挟み撃ちにあうかも)
奥にいる連中がバリアか何かを張れば、自分達は後ろの濁流に押し潰される。
一斉攻撃でもされたら、避けるのは難しい。
「……クルースニクは前方に警戒を。攻撃が来そうなら、狼化を解除して迎撃してくれ」
「わかった! クドラク君は?」
「後ろの連中を殺る。水路を抜ける瞬間、大技でまとめて吹き飛ばしてやる……」
不可視のエネルギーが風となり、速度を増していく黒狼にからみつく。
常よりも精神を研ぎ澄ませて、呪詞を唱える。
「【紅き月よ来たれ。『
宙に赤い閃光が走り、真紅の満月のような光球が出現して、黒狼に追随しはじめた。
エネルギーの風を貪欲に吸い、みるみる輝きを増し、破壊力を内側に凝縮させていく。
その名は、『
かつて、大業魔アバドンの率いる蟲軍を殲滅し、根城ごとこの世から消し去った必殺技。
全力でやるつもりはないが、後ろにいる連中を吹き飛ばすくらいの威力は出すつもりだ。
『
――ふっと、旅立つ前の草原で聞いた、Dr.サルトゥイクの説明を思い出す。
『武装? このデカブツを?』
『左様。大技用の大砲として、腕に装着することができるのです。呪詞の威力を増幅させ、指向性を限定させることができますな』
(……これが初のお披露目だ。死霊王サルトゥイク謹製の大具足、その効果を見せてもらおうか……)
サルトゥイクの説明を想起しながら、技のセットアップが終わったのを確認する。
同時に、リトーが前を指差した。
「見えてきたっス! 出口だ!」
なるほど、トンネルの終わりが見えてきた。
出口の向こう側には、発光する貯水池のようなものが見えている。
――そして、池の水面に立つ影の群れも、またクドラク達の目に映った。
【敵手が来たぞ! 開演の準備だ!】
影の一人が高らかに叫ぶと、獣のような鬨の声が向こう側から迫ってくる。
同時に、貯水池に色とりどりの恒星が生じ、水を蒸発させながら肥大化していった。
こちらへ一斉掃射するつもりだろう。後ろから迫りくる濁流と挟まれる形だ。
「……っ、派手な歓迎っスね!」
「リトー君、このバリアの強度は!?」
「爆風くらいは余裕で凌げるっスが、直でブチかまされるときついっス!」
返答を聞いた白狼は、迷いなく即答した。
「オッケー、全力でバリアを固めて! 爆風が防げればそれでいい! 私はあの火球を全部撃ち抜く! クドラク君、後ろは任せたよ!」
「任された。殲滅してやる。――僕の栄光の贄になれ、怪物共」
いつもと同じことをやるだけだ。
敵を殲滅し、血で化粧をして、誉れを勝ち取る。
「クルースニク、タイミングを合わせるよ。1……2……3っ!」
二匹の狼は勢いよく飛び、宙に身を委ねた。滞空時間の間に、事を終わらすつもりだ。
「「【影よ戻れッ!】」」
その体が霧散して、中から二人の子供が現れる。
「【白き月よ来たれ! 我に千本の矢を!】」
白いベレー帽を被った金髪の少女が、純白のマントを翼のようにはためかせながら、貯水池めがけて光の弓を引きしぼった。
狙うは、向こう側に浮かぶ恒星の集団だ。
「【――
礼服を着込んだ黒髪の少年が、黒いビロードのマントをはためかせつつ、後方へ右手を伸ばす。
――人差し指につけた指輪から、ぞわりと背骨のような触手が現れた。
腕に巻きついていき、手の平を覆っていく。
またたく間に、山羊の角を持つ竜の頭骨が、ビキビキと音を立てて形成される。
腕をすっぽりと覆った
随伴していた紅い月が、竜の口に吸い込まれる。
「『
竜の喉奥から赤い閃光が放たれ、あまねく水路全てを血の色に染めていく。
クドラクの赤い蛇の目が、すっと細まる。
「――【
竜の口がかっとまたたき、直後に真紅のエネルギーをほとばらしらせた。
瞬間的に大気を裂き、通路中に広がっていく、目に沁みるほどの強烈な光――。
熱と破壊力をともないし、血塗られた月光の奔流が、通路中に満ち満ちていく。
石柱を粉微塵に吹き飛ばし、壁を根こそぎ削り切り、水を蒸発させていく。
そして、大蛇達の体を飲み込み、まとっていた水を蒸発させ、通路ごと粉微塵に吹き飛ばした。
熱がこもったエネルギーの風が、蛇達の断末魔をかき消しながら、三人の子供達を前へ押しやる。
矢のように出口から飛び出る瞬間、クルースニクが裂帛の気合いとともに弦を弾いた。
「【落ちろっ! 『
一天に射す日差しのように、まばゆい閃光のレーザーが闇を白く染めた。
空中でぱっと分かれた光が、無数の矢を形成し、イワシの群れのようにうねりながら――。
落ちようとしていた恒星群を、過たず撃ち抜く。
【なにっ!? 総員、防御体勢!】
影達がひるんだ瞬間、色とりどりの大火球が大きく膨れ、轟音とともに爆ぜ狂った。
灼熱の風が貯水池を満たし、殺人的なスチームを発生させながら、影達を飲み込んでいく。
水面から突き出ている構造物を焼いていく。
――しかし、影達も並ならぬ強者だったか。
炎の風が吹き荒れた後、蒸気の中から影達は飛び出し、コウモリの翼で宙に羽ばたいた。
さしたるダメージを負っているようでもない。己の術で死ぬ愚者はおらぬということか。
【おっほう! 今の一撃、見たか!?】
【一手で脅威を退けおったわ。なかなかに多芸な連中よ――奴らはどこにおる!?】
【蒸気に飲まれたか?】
【探せ! 久方ぶりの上物だ、生きているはず!】
影の一人、赤い道化師のようなアークデーモンが、歌劇のごとく高らかに叫ぶ。
彼だけは翼を持たず、超自然的なエネルギーによって空中浮遊しているようだった。
山羊頭の頭骨を持つデーモン達が、欲深い目を下方のスチームへとこらす。
――ゆらめく蒸気の奥から、幼い声がした。
「……ずいぶん手厚い歓迎だ。痛み入るよ」
デーモンの軍勢が目をやる先に、貯水池の水面から突き出た巨大な鳥居がある。
先の爆発で、鉄製の鳥居は若干焦げているが、内側にある空間の歪みをみるに機能は健在。
その鳥居の上に、子供が三人立っている。
「それで、出迎えの花火はさっきので終わりか? デーモンにしては慎ましいんだな」
マントをはためかせ、蒸気のヴェールをまといながら、クドラクが異形達をにらんでいた。
赤い蛇の目に、残忍な歓声を上げる悪魔が映る。
【まさか! もっとサプライズを用意していたのに、これで終わるかと危惧しておったのよ!】
【まだ子供なのに、いい男ぶりではないか! これは殺し甲斐があるぞ……!】
【シュールカ様、挨拶をお願いしたく!】
水を向けられたアークデーモンが、曲芸のような動作で一回転し、子供達の前に落ちる。
――ピタリ、と空中で静止してみせ、シュールカは闘牛士のように一礼をしてみせた。
【これは失礼した。お客人は目が肥えてらっしゃるようだ。出し物は他にも用意しているゆえ、楽しみにしてくれたまえ】
「それはどうも。……こちらとしては、手短に終わってくれてもいいんだが」
【ふふふ、そうつれないことを言うな。せっかくの永い夜ではないか。……申し遅れた、我が名は炎獄のシュールカ。貴公らの名をお聞きしたい】
まるで俳優のようによく通る声だが、裏には残忍な殺意と狂気がこもっている。
叩きつけるような戦意に怯まず、三人は答えた。
「クドラク・スヴォロフ」
「リトー・ソバキンっス」
「クルースニク・ヴォルスカヤだよ。短い付き合いになるだろうけど、よろしくね」
【クカカッ、さてさて――貴公らの魂を食うとなれば、ある意味で末永い付き合いになるがな】
冗談めかしてクルースニクが締めると、道化師はにやつきながら姿勢を戻した。
【ようこそ、メテフィラ殿の水中邸宅へ。……此度の来訪の目的は、これから開催する予定の『祭り』のことと考えてよいかね?】
明け透けな問いだ。もはや、何を企んでいるか隠すつもりもないらしい。
あるいは、時間稼ぎでもしているつもりか。
「……ああ。後、ここの支配人にお聞きしたいことがあって、こちらに伺った次第だ」
【ほお? 音に聞く月光の狩人殿が、我らに何を聞こうというのだね。この素敵な出会いの礼として、答えられることは答えよう】
基本的に、デーモンは戦に関しては信用ならないが、それ以外のことで嘘をつかない。
――この場で聞いて、反応を伺ってみるか。
クルースニクをちらりと見て、少し逡巡した後にクドラクは答える。
「……ある物を探している。太古にいた二柱の祖神――ヴェレスとペルンの欠片を。メテフィラ氏が持っているかもしれないと考えている」
【――なるほど、あれをお求めか。確かにメテフィラ殿はお持ちだったはずだ】
拍子抜けするほどに、あっさりと首肯された。
どくん、と心臓が喜びに逸るが、表情だけは務めて冷静さを維持する。
「……やはり、ここにあるのか」
【少なくとも一年前に見た。かのお方は、お飾りのコレクションとして欠片を有していたが……さて、今はどれだけ残っていることやら】
シュールカは考え込む素振りを見せた。
【尖塔郡の蟲もどき――失礼、タルサデューク公がコレクションを買い取っていたはずだ。己の力を強化するためにな。……メテフィラ殿も奴の体をたまに診て、強化のアドバイスをしていたはず】
今の話に、引っかかりを覚える。
ずいぶんとシュールカは公を侮っているようだ。口調に蔑みと嫌悪が混じっている。
そして……「尖塔郡の蟲もどき」だと?
(……なんのことだ? タルサデューク公に、イドリシチェ尖塔郡と密通していた話は無かったはずだが。邪教圏でも忌み嫌われる場所などに)
今の口ぶりを聞くに、尖塔郡ではそれなりに有名な人物だったのだろうか。
だとすれば、二十数年前の惨劇は、思った以上に公を狂わせていたのかもしれない。
まるで、別人になったと思わせるほどに。
「へえ、メテフィラさんって人は、ずいぶん公と仲がいいんだね」
【まさか! 目的のために手を結んでいるだけ、金を積まれたから助言しただけだろうさ】
赤い道化師が、裂けた笑みを深める。
ちりちりと空気が殺気でひりつきはじめた。
【そして、この私もまた雇われの身でね。侵入者を殺すよう仰せつかっている。聖体の在処を知るためには、我らがサーカスを突破せねばならぬわけだ】
「だろうな」
【さあ、そろそろ幕を開くとしよう――お客人達、あちらをご照覧あれ】
トランプを持つ手で、シュールカが遠くにある鳥居を指差す。
ゴウン、ゴウン――と音を立てて、その鳥居の内側がけばけばしい光を増している。
周囲の空間が歪み、風景がねじれていく。
「……クドラク君、あれは?」
「冥府への門が開く予兆だ」
【クカカッ、後数時間も遅れてくれれば、全門稼働と相なったのだが……今はあの門と、その他に数台だけが稼働できる状態でな】
デーモン達を殲滅しながら、稼働していく門も的確に破壊せねばならない。
メテフィラと一戦交える前の肩慣らしには、ちょうどいいだろう。
右腕と一体化した
「まとめて壊すまでだ。……さっさと来い。時間の無駄は好きじゃないんだ」
【おや、それは失礼! それでは御託もやめにしよう。いざ、狂い火サーカスの開演だ……!】
宙で勢いよく跳ねて、シュールカは高所に戻る。そしてトランプを構えた。
【どんな演目をご覧に入れようか? 焼死・溺死・四肢切断――いや、お三方は特別なお客様だ。フルコースをとくと味わエエエエエッ!!】
トランプが風のごとく投げつけられ、宙で煙をたなびかせながら、巨大な火弾へと膨れ上がる。
そして、クドラク達の手前で爆ぜ、地獄の炎が雨となって降り注いできた。
――地獄のサーカスが開演したのだ。
TIPS:『スペクター』
美しくも妖しい水棲業魔。色とりどりの個体が群生し、闇夜をきれいに彩る。
意外にも犬並みの知能があるとされ、仲間達とテレパシーで会話することができる。
水を操る「水明の呪い」を有する。
メテフィラ・ボギンスカヤもまた、南方の王朝を操っていた一匹のスペクターだ。
竜宮城じみた邸宅も、鳥居じみた門も、全て大陸南方で建築方法を学んできた。
邸宅内部も、壺から茶室までオリエンタルな装いになっているという。
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