『血塗られた月のクドラク』〜余命わずかな病を克服するため、闇の王へと堕ちる話〜   作:人見 広介

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6-3:地下水路にひびく嗤い声③

 

 

 

 

【……驚天動地。三番カメラで計測中のエネルギー波形データ、数値群に見覚えがある】

【――?】

【通達。しばらく私はここで調べ物をする。戦況に変化があれば報告せよ】

 

 霊的ホログラムが宙に浮かぶ大広間の司令席に、影のようなオーラをまとう業魔がいた。

 黒くぶよぶよしたクラゲの傘を被る、青白い髪を伸ばした小柄な少女――。

 大陸南方の黒い宮廷装束をまとい、手には仙人が持つようなねじれた杖を持つ。

 

【命令。生体書架を起動せよ。古代神話系列の試験データを参照する必要有り】

 

 闇夜に星がまたたくような、黒い眼球にある白い瞳が上方の闇を見上げる。

 がしゃん、と起動音がしたと思えば、天井から鎖で吊られた鉄製のリングが降りてきた。

 

 司令席から立ち上がって、少女――メテフィラ・ボギンスカヤはふわりと浮かび上った。

 輪状機械の中央まで到達すると、機械の上にぐるりと設らえられたモノが見える。

 ――灰色の脳だ。ぶるぶると震える剥き出しの脳が、輪の上に等間隔で固定されている。

 

【古神系サンプルのデータ閲覧。十五番系列。……手動で探した方が早いか?】

 

 少女が被っているクラゲの傘から、青白い触手がずるりと現れる。

 ずぷり、と灰色の脳の一つに入り込み、くちゅくちゅと優しくかき回し始めた。

 途端に、輪状機械を取り囲むように、霊的ホログラムがいくつも出現する。

 

 彼女からすれば日常的な操作だが、多くの者がおぞましいと感じる光景だった。

 輪状のバイオライブラリだけではない、ほぼ全ての設備が狂った造形をしていた。

 

 彼女の下方にある、華やかなスペクター達が弄っている灰色の機器群を見よ。

 キチン質の光沢感がある外殻には、大小様々な灰色の脳や、骨や眼球でできた操作パネルがある。

 消化管じみた太いパイプが機器群を繋ぎ、音を立てながら何かを流し込んでいる。

 

【――。――】

【――?】

 

 あどけないスペクター達が、触手で機器群を操作しながら、羊皮紙に何かを書き込んでいる。

 記号と図形の集合体――点で構築された模様――グラフらしき何かの模様。

 機器から抽出したデータを、スペクター独自の言語で記録しているのだ。

 

 これぞ、メテフィラの水中御殿。

 灰色と黒で彩られたシステム群と、華やかで美しいクラゲ達のコントラスト。

 ともすれば宇宙的恐怖にも通ずる、グロテスクとエロシズムの混合物が、この生体空間なのだ。

 

【照合完了。古神系甲型サンプル「ヴェレス」、乙型サンプル「ペルン」の試験テストで得られたエネルギー波と近似している……実に興味深い。なぜ、かの狩人達が祖神の力を持っているのか?】

 

 メテフィラが、貯水池を映しているホログラムを見る。

 静謐だった水上ではあちこちで爆発が起こり、衝撃波で大波が立っていた。

 時折、煙を裂いて赤と白のビームが乱射され、黒い竜巻が生じている。

 

(……この様子だと、門は跡形も残らない。プランは失敗に終わったな。だが、別に構わない。私にとって本命の「アレ」さえ成せば)

 

 冷めた目で、鳥居が壊されゆく様を見る。

 手塩にかけたシステムではあるが、その気になれば同じ作品は作れる。

 

 タルサデューク公()()()()()()()()()は、この有様に激昂するかもしれないが、それこそ知ったことではなかった。

 元より、計画の成り行きなどどうでもいい。

 ただ、「アレ」をプランにねじ込んで、どさくさに紛れて成就するために参加したまでだ。

 

(アラク=マハの大聖堂。巫女達の拠点になっているあそこを落として、アレを成就する時間さえ稼げれば、後はどう転んでもいい)

 

 いや、事が成った後、この地の下衆共を殺戮しまくるのも一興か?

 友人に下衆を働いた者達の子孫も、タルサデューク公として活動中の虫ケラも。

 汚らわしい物は、全て灰に帰せばいい――。

 

(……否定。思考がカーミラに似てきた。そうだ、上方にいる彼女達へ水を流さなければ。もう、あちらで始めてもらった方がいい)

 

 眼下のスペクターに指示を出そうとして、ふっと違和感を覚えた。

 他の者達が計測機器に集まっている中、一匹だけ離れたところでスペクターが仕事をしている。

 

(……疑問。あの生体機器類は、異界全土の流水量を調整するためのものだったはずだが)

 

 今は、流水量を調整する必要はあるまい。何をしているのだろう?

 注意するために口を開きかけた時――ぞわっ、と背筋に怖気が走った。

 

【……。まさか――水斬(ラズレーズ)!】

 

 ねじれた木の杖から水圧カッターを噴射し、スペクターの頭部を射抜いた。

 機器類に叩きつけられる同族を見て、周囲のスペクターが硬直する。

 

【!? ――?】

【――! ――!】

【静止。騒ぐな。……傀儡の可能性がある】

 

 宙を泳ぐようにして、メテフィラがはぐれスペクターの付近に降りる。

 頭を穿たれて痙攣しているクラゲを持ち上げ、青い傷跡を覗き込んだ。

 傷穴には、妖しくきらめく結晶が詰まっている。

 

【解析。これは――氷か? こんなものが詰まって、生きていられるはずはないが】

 

 傷穴に指を突っ込むと、ピキピキと指先が凍っていくのを感じた。

 ただの氷ではない。疫病のように伝染し、触れたものを凍らせる力があるようだ。

 

(……壁内のパイプを破裂させた氷塊に似ている。狩人達の呪いによる産物か。強力な呪いとは感じていたが、よもや業魔の思考を乗っ取るとは――)

 

 傀儡が弄っていた機器類に目を移す。

 よく見れば、機器類の隙間に氷が入り込んでおり、ボタンやレバーを固定化している。

 この操作が意味するものとは――メテフィラはすぐに思い当たり、霊的ホログラム群を見上げた。

 

【……全門解放。貯水池の水を全て抜き、各区画に配分していくつもりか】

 

 推測は当たっていたようだ。

 貯水池内部の壁穴がいっせいに開き、水をどんどん飲み干していた。

 

《おう、水位が下がっていくぞ!?》

《メテフィラ殿! 水を抜いたら、獲物共が御殿に侵入してしまいますぞ!》

 

 爆発音がひびく画面群から、デーモン達の静止が聞こえてくる。

 あえて貯水池の中に御殿を作ったのは、狩人達の侵入を防ぐためでもあった。

 もし池に潜ろうものなら、飼っている水棲業魔の餌になる他はないはずだった。

 

【賞賛。よもや、私の防衛システムをこうも無力化してくるとは。久しぶりに脳が揺れる。……前からこの個体に寄生していたのか?】

 

 瀕死のスペクターを機器類に乗せ、青い傷跡の中に詰まった氷をのぞき込む。

 

【返答求む。遠隔操作できるタイプの呪いなら、この音声も届いているはずだ】

《――お察しの通りね。貴女が注意を逸らしてくれてよかったわ。ずっと好機を伺っていたの》

 

 くすくす、と傷跡に詰まっている氷が笑う。

 結晶同士がすり合わさって、幼い少女の声を作り上げているようだ。

 

《もう、この操作は中止できないわよ。生きた神経でシステム網を構築しているようだけど、生物を乗っ取るのは得意なのよ》

【感心。システムの構造も察しているとは。対処策も用意している。貴女に優評価を下そう】

 

 ぱちぱち、と無表情でメテフィラが拍手する。

 期待していた反応と違ったのか、氷は少し沈黙して、訝しげに問うた。

 

《……割と余裕そうね?》

【無論。水を抜く程度では、攻略の最低条件を満たしたに過ぎない。だが、その条件を満たした者は、未だかつて見たことがなかった】

 

 このシステムは今回の計画にあたってこしらえたものだが、設計思想は前からあったものだ。

 大陸南方の王朝で、彼女はこのシステムを売り込み、ある男を皇帝にしたことがある。

 どこの軍隊も、彼女の守りを抜けなかった。

 

【感謝。貴女達の試行錯誤をもって、私の設計思想はより完璧に近づく。……新たな知見の贄となる貴女達に、最上級の労いを贈ろう】

 

 今日はとてもいい日だ。

 魅力的な生体サンプルが四つ来てくれたし、死蔵していた防衛設備をお披露目できる。

 どんなに自慢の玩具でも、見せる者がいなければ存在しないのと同じだ。

 

 デーモン達が防衛戦をしている間に、上方のカーミラに合流しようとも思ったが――気が変わった。

 彼らの試験をした後でも、遅くはないだろう。

 

【要求。早く御殿まで来い。……貴女達の性能に生で触れる時を、愉しみにしている】

 

 それまで無表情だったメテフィラの目と口が。

 にちゃあ、と三日月の笑みを浮かべた。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 貯水池の水位が下がり、水中にあったメタリックなパイプと内臓機械群が露出していく。

 大腸を模したパイプ群が露わになり、そこに四人分の影が飛び移った。

 そのうち三匹の影が、一人の少年へ飛びかかる。

 

(……水位が下がるペースが早い。思ったより早く、御殿へ侵入できるな)

 

 レッサーデーモン三匹と斬り結びながら、クドラクは他の場所を盗み見る。

 巨大な内臓やパイプに囲まれたこの場所では、あちこちで爆発や戦闘音が聞こえていた。

 時折、業魔達が足場から落ち、水面へ墜落する。

 

【よそ見するとは愚かな! 死ねい!】

 

 闇に包まれたパイプ上で、レッサーデーモン達が別々の方向から切り掛かってくる。

 頭をそらして初撃をかわし、脇腹への突きを左手でつかんで止める。

 その隙に、大車輪のように縦回転しながら、正面からレッサーデーモンが回転切りを繰り出す。

 

【ヒャアアアッホオオーーーッ!!】

「見栄えはいいんだが」

 

 右手と一体化した造魔竜(ジルニトラ)を構え、ドクロの大口から灼炎をほとばしらせた。

 

【グオオッ熱ARRGHHHHッ!?】

 

 火に巻かれた正面のレッサーデーモンが、悲鳴を上げながら下方にダイブする。

 その隙に、ぐいっと握りしめた刃を引き、たたらを踏んだレッサーデーモンを蹴り飛ばす。

 

【オオオッ!?】

 

 横合いから迫っていた大火球に、レッサーデーモンが衝突した。

 真っ赤な爆炎が辺りに吹き荒れ、爆発音がデーモンの悲鳴を掻き消す。

 クドラクの姿も、吹き荒ぶ炎風に覆い隠される。

 

「【三日月宝剣(レズヴィエ・ルニ)】」

 

 ぱちん、と指を鳴らして、二撃目を放とうとしていたデーモンに斬撃波を飛ばす。

 カウンターが決まったようで、正中線を切り裂かれた悪魔は断末魔を上げ、虚空へ溶けていった。

 

 この程度の攻勢なら、一人でも対処できる。

 ――問題なのは水中からの攻勢だ。

 

 下から水を跳ねる音がしたかと思えば、右足に何者かが食らいついてきた。

 

「づっ!?」

 

 焼けるような激痛をこらえ、すぐに別の足で噛みついてきた者を踏み潰す。

 熱帯魚のごとき鮮やかな色合いの業魔――レモラが潰れた悲鳴を上げた。

 途端に、パイプの下で水飛沫が上がり、四方八方からレモラの大群が飛び上がってくる。

 

「ちっ、下からちょろちょろと……!」

 

 こちらも飛び上がり、真下に造魔竜(ジルニトラ)の火炎を浴びせかける。

 焼き魚が空中で燃えながら、しかしクドラクに追いすがらんとする。

 加えて、まだ次の群れが水面から跳ね上がる。

 

(こいつらに特別な力はないが、数がとにかく多い。早いところ対処しなければ)

 

「【砕月(ルニ・クラフ)砲撃式(ストレルバ)!】」

 

 別の足場へと飛び移りながら、追いすがるレモラ魚群に砲撃を撃ち込む。

 密集しながら飛びかかってきた魚群は、まとめて粉微塵に吹き飛んだ。

 造魔竜(ジルニトラ)の大口から放たれた一撃は、常よりも威力が大きいようだ。

 

「クドラク君、危ないっ!」

 

 近くにあった足場から白いレーザーが放たれ、クドラクの横を通り過ぎた。

 ぢゅん、と空気を焼く閃光は、骨盤じみた足場にいた遠くの大海蛇(マルスコイズメイ)の脳天を射抜く。

 放とうとしていた水圧カッターを噴きながら、海蛇が下の水面へと落ちていく。

 

「ありがとう、クルースニク! お返しだ! 【月閃(ルニ・スヴェト)!】」

 

 援護射撃をしてきたクルースニクの方へ、左人差し指から赤いレーザーを放つ。

 彼女に突進していた水山羊(カプリコン)が頭を射抜かれ、足場の下に転げ落ちた。

 

 互いに無事を確認しあう、その一瞬にも満たぬ隙をついて、頭上からデーモン達が襲いかかる。

 

【隙をさらすものではないなアアアッ! 歌い踊れ狂炎よォ、演目(ノーメル)ッ!】

【【――『火劇:紅蓮大炎祭(オグニェンノエ・ショウ)』ッ!】】

 

 はっと頭上を見れば、すさまじい熱気とともに大火弾が降り注いできていた。

 避けられる距離ではない! このままでは二人とも丸焼けになってしまう!

 反射的に、クルースニクを【月天宮(ルニ・フォルト)最大出力(マキシム)】で覆おうとする。

 

「間に合え……っ!」

「【黒旋風よ吹け。神風の籠を放て!】」

 

 突如、横合いから飛んできた大きな風球が、クドラクをすっぽりと包み込んだ。

 「うわっ!?」と驚くのも束の間、別の足場にいたクルースニクまで球は飛ぶ。

 

「おっ、ナイス! リトー君!」

 

 少女が風の球に飛び込んで、クドラクの横にするりと入り込む。

 同時に、頭上から降ってきた焔が膨れ上がり、けたなましい轟音とともに爆ぜた。

 熱風と衝撃波がこちらを飲み込み、風の球を彼方へと押し流す。

 

 ぐるぐると風球の表面は回転するが、内部はいっさいブレていない。

 紅蓮の炎風が球を焼こうとするが、表層で熱が遮断されているため、中は涼しいものだった。

 

「……こっっっっわ! クドラクさん、あいつらヤバいっスよ! 火力が尋常じゃねえっス!」

 

 クルースニクとクドラクの横で、幼なげな少年の声が聞こえた。

 白髪の狼少年リトーが、青ざめた顔で球の外を見つめている。

 

「ありがとう、リトー。……貴方が作った風の防御も、負けてはないと思うが」

 

 先程からリトーの戦況もまめに気にしていたが、とにかく彼は防御力が高い。

 黒い風の羽衣で攻撃を弾くし、打撃が体に直撃してもけろっとしている。

 「暴風を扱う」という呪いの特性が、常時まとっている不可視のエネルギー膜を強化しているのか。

 

「嬉しい言葉っスが、今のを集中してかまされるとまずいっスね。……デーモンってのは、兵卒まであんな大威力の技を使えるんスか?」

「うん、あれが彼らの十八番でね。仲間内で呪いを増幅させあって、一気に解放させるんだ」

 

 あれぞ格上殺しの集団芸術。派手さと高威力ゆえに、サーカスと称されている。

 並いる竜や大業魔でさえ、演目(ノーメル)を直で食らえばひとたまりもないと言う。

 

「なるほど。雑魚に気を取られている間に、大技を食らう可能性もある訳っスね。……っと、クドラクさん、ちょっと失礼」

 

 リトーが、腰のポーチから薬瓶を取り出し、クドラクの右足に開いた傷跡へ水薬を垂らす。

 冷やりとした感触の後、じくじく傷んでいた傷跡がみるみる癒えていく。

 

「手前もさっきレモラに噛まれたもんで。備蓄ならいっぱいあるので、いつでも言ってください」

「ありがとう。さすがは商人」

「へへっ、お代は無しにしとくっス。……道具ってのは偉大だ。風力しか芸のない半端者でも、戦術のレパートリーを増やしてくれる」

 

 やがて、爆風に押し流された風球は、貯水池の壁側で泡のように弾けた。

 胃袋を模した足場の上に降り、三人して物陰に隠れながら、遠くの様子を伺う。

 

(……グロテスクな施設だな。このパイプや鉄の内臓が働く先は、最上部にある『門』か)

 

 内臓群の最上層を見上げると、複数の鳥居が妖しげに発光しているのが見えた。

 小さく見える『門』から、ごぽりと影の群れがあふれ出てきた。

 冥府にいた業魔達が、現世になだれ込んだか。

 

(あれを潰さないと、雑魚が無限に湧いてくる。潰しにいきたいが……デーモン達に囲まれるか)

 

 メタリックな構造物の隙間を縫うように、コウモリの羽を広げた悪魔が飛び交う。

 おそらく自分達を探しているのだろう。

 

「上からは火炎と軍勢、下からは水棲業魔の攻勢か。ほぼ360°が鉄火場だな」

「……どっちから処理していく?」

「上の門を潰していきたい。……よし、速攻を仕掛けよう。【死霊の王がここに命ず。『影の大隊(アンブラ・レギオン)』よ、出でよ】」

 

 右腕と一体化した造魔竜(ジルニトラ)が、ドクロの大口から多数の影を吐く。

 実体なき影が数十体ほど脇に控える中、クドラクは造魔竜(ジルニトラ)に触れる。

 

「【造魔竜(ジルニトラ)、通常フォーム移行。……影よ踊れ。狼王の形を成せ。加えて、我らが姿をナイトストーカー達に写せ】」

 

 骨竜の形が変わっていき、ドクロの意匠をした指輪に変わっていく。

 同時に、クドラクの体が影に飲まれて、つややかな毛並みの黒狼へと変わった。

 二人を乗せることを想定してか、常より大きい。

 

 それに併せて、居並ぶ影法師の姿が変わり、クルースニク達や黒狼の姿を増しはじめる。

 顔面がぼやけているのが難点だが、よほど近づかないと偽物とは気づかないだろう。

 

「デコイに紛れて上に向かう。クルースニク、僕に騎乗しながら『門』を狙撃できる?」

「余裕! 任せてよ!」

「デコイと言うなら、ナイトストーカーに霊酒をかけとくのはどうっスか?」

 

 リトーがマントの内側に手を入れ、金属製の酒瓶を取り出す。

 容器には「охотничий(アホートニチイ)」――「狩猟用」の文字と、太陽の意匠が刻まれている。

 

「名案だ。業魔寄せの効果は、自我の無いナイトストーカーには効かないからな。……それにしても、どこにしまっていたんだ?」

「このマント、異空間に繋がってるっスから。族長が手織りしてくれた呪具でして」

 

 リトーが酒瓶を開けて、デコイに振りかける。

 スピリタスのアルコール臭と共に、魂の飢えが喚起されるような香気がただよう。

 

「じゃあ、早速やろう。【散れ!】」

 

 号令とともにデコイが散り、クルースニクとリトーが大きな黒狼に飛び乗る。

 そのままクドラクは駆け出し、足場を飛び移りながら上層へと向かった。

 

 血管じみたパイプを走る内に、あちこちで咆哮と爆発音が響きはじめる。

 連中がデコイにかかりはじめたか。

 こちらにもコウモリのごとき影がやってきて、走行中の黒狼に追いすがりはじめた。

 

【こっちにもいるぞ! 本物か!?】

【とにかく攻撃すればよい! 演目(ノーメル)――】

「やらせないよ!」

 

 クルースニクが白い光の弓をつがえ、レーザーでデーモン達を射抜く。

 断末魔を上げた敵が、虚空に還っていく。

 それらと入れ替わりに、ボロ布を被った死神のようなリッチ達が飛来してきた。

 

【シシシ……食事の時間といくか】

【待て、あそこの連中の方が……いい香りがする。あちらが本物ではないか?】

 

 だが、すぐに別の場所に飛んでいった。

 そちらを見ると、デコイが無数の業魔に追われているのが見える。

 業魔寄せの効果が、いささか効きすぎているか。

 

 デコイに夢中になっている連中を尻目に、難なく上層部の『門』付近へと近づけた。

 

「まずはひとぉつ!」

 

 クルースニクがレーザーで鳥居を吹き飛ばす。同時に怪しげな光も霧散した。

 また足場を転々とし、「ふたつ!」「みっつ!」の掛け声とともに鳥居を落としていく。

 やがて、貯水池の中央部にある、最後の鳥居を射程内に入れた。

 

「楽勝! これで最後!」

 

 意気揚々とクルースニクは門を射抜き、粉々に吹き飛ばした。

 これで脅威の一つは消えた――その時、クルースニクはすっと顔色を変える。

 

「あっ、やばい。リトー君、防御全開!」

「了解ッス! 【黒旋風よ吹け! 手前らを颶風で覆い隠せ!】」

 

 即座にリトーが黒いバリアを展開した瞬間、どこからともなくトランプが飛んできた。

 すばやく黒狼達を取り巻き、高速でサークルを作りはじめる。

 

(これは、あのアークデーモンの……!)

【――歌い踊れ狂炎よ。演目(ノーメル)炎冠(コローナ)』】

 

 瞬間、トランプの内側が真っ赤に染まり、腹にひびく大爆発を起こした。

 風の球が弾き飛ばされ、空中でかき消える。あまりの威力に、技が維持できなくなったのだ。

 

「あっ、まずっ……!」

「リトー、風で適当な場所に運んでくれ!」

 

 三人バラバラに落ちはじめる中、クドラクはリトーに向けて叫んだ。

 

「……いいのを貰っちまったっス。今、お二方を運び上げるっスよ! 【黒旋風よ――】」

【通らんよ、それは。そこの少年を借りるぞ】

 

 しかし、音もなく赤い影が飛来してきて、クドラクの鳩尾に飛び蹴りを喰らわせた。

 

「っか――!?」

 

 意識がグラッと来るダメージとともに、一人だけ別の場所に弾き飛ばされる。

 

「クドラク君!?」

「クドラクさん!」

 

 仲間達の姿が遠ざかっていく。やがて、円盤状の巨大な設備に叩きつけられた。

 即座に上へとよじ登り、迎撃の態勢を整える。

 

「かっは……くそっ、クルースニクとリトーは?」

 

 見たところ、二人は無事に風に乗り、別の足場に着地しているようだった。

 下方にいる彼らが、こちらに叫んでいる。

 

「だいじょうぶ!? 怪我はない!?」

「こっちに降りてくれたら、受け止めるっスよ!」

 

 彼らに叫び返そうとした時――ダンッ!という着地音とともに、鋭い殺気が後方から放たれる。

 どうやら、合流は許してくれそうにないようだ。

 

「……僕は平気だ! しばらく雑魚の相手をしておいてくれ! こいつは――僕がやる」

 

 叫び返した後、後方へ向き直る。

 

「……それが望みなんだろう?」

【クカカッ! さすがに三人がかりは分が悪いからな。すぐに殺されては、生を実感できん】

 

 トランプのサークルを背にして、深紅の道化師が広い足場の中央に立っていた。

 目も鼻もない白面いっぱいに、裂けた笑みを浮かべている。

 

【もっとも、多対一も燃える展開だがね。一年前はすこぶる楽しかった。……押し寄せる狩人の群れを相手に、たった一匹でゲリラ戦をするのはな】

 

 今の発言内容を、前に聞いたことがある。

 クドラクは眉ひとつ動かさずに問うた。

 

「かつてこの地を焼き、『聖炎(プラーミャ)』を半壊させたデーモンは貴方か」

【然り。よくご存知だ】

「……アークデーモンが相手なら、半壊で済んだ彼らはいい狩人だったんだろうな」

 

 災厄級とはいかぬまでも、デーモンの長は歴戦の強者であることが多い。

 目の前の業魔も、類い稀なる戦士だろう。

 

【彼らは哀れだった。仕えている者が、まさか敵の首魁だったとは思わなかっただろうな。……あの蟲もどきには惜しい奴らだった】

「タルサデューク公が狩猟団の壊滅を狙った理由は、今回の祭りの布石か」

 

 ホリフツィにいた狩猟団は、『聖炎(プラーミャ)』の補充を外部から取り入れたと言っていた。

 おそらく、狂奔を支援するような外道達を、狩人と偽ってとりいれたのだろう。

 地上に戻れば、連中の仔細を確かめなければ。

 

「……聞かせてくれ。魂も領地も売り渡して、公は何を願っているんだ?」

【クカカッ、自分で奴に聞くがいいさ。私は奴の狙いなどにとんと興味はない。……私が気にかけるものは、誇り高き者だけさ】

 

 アークデーモンがぱちんと指を鳴らすと、円形の足場の縁から炎が噴き上がった。

 即席の闘技場だ。リング外へは逃げられない。

 

【これで一対一(サシ)だ。敵地に乗り込んできたお客人に敬意を払い、我が身一つでお相手しよう】

「……ロマンチストが」

【さて、確かめようか。貴公と私、炎の劇場で最後に立つのはどちらか!】

 

 言うや否や、道化師はトランプを放った。閃光のような速さでクドラクの喉元に迫る。

 最小限の動作で回避して、風のように相手の間合いへ入り込む。

 

「【烟月よ燃えろ! 炎剣を我に!】」

 

 抜きざまに放った剣閃が炎を帯び、闇を灼熱の色に染める。

 対するアークデーモンがトランプで刺突を放ち、真っ向から剣と打ち合った。

 つば迫り合いの圧力で、火花と炎が散る。

 

【ほう!? 貴公も炎とは!】

「……炎の劇場と言ったのはそちらだ。貴方の得意でやりあおう」

【デーモンを相手に熱でやりあうつもりか! 余裕の表れかね?】

「まさか。これは手向けだよ。戦狂いの武人への」

 

 きいん!と鋭い音とともに、互いに身を離す。

 次の瞬間、両者ともに色付きの風となり、火花を散らしながら連撃を交わしあった。

 剣戟の軌跡が燃え上がる様は、まさに高速で演じられるファイアーショーだ。

 

 徐々に速度を増していく剣の舞踏に混じり、焔が至近距離で放たれ合う。

 灼炎を皮一枚でかわすと、熱で肌がひりつく。

 汗の粒がほおを伝うのも構わず、クドラクは攻撃の応酬に全神経を集中させた。

 

【中々の剣技だ! だが、お客人。私の札は爆発することを、よもや忘れてはおるまいな!?】

 

 袈裟斬りを半身でかわした道化が、こちらへトランプで構築した盾を繰り出す。

 ガードを固めた瞬間、まばゆい爆発が起きた。

 閃光と熱に吹き飛ばされたクドラクが、数m先までじりじりと後退させられる。

 

(……っ、だが距離を取ると――)

【そらそらそらそらアッ! 追加だ!】

 

 矢継ぎ早に道化がトランプを投げる。

 横っ飛びに避けた直後、クドラクのいた場所で連続爆発が起きる。

 そのまま大回りに走り続け、トランプを避けながら、相手の隙を伺う。

 

(トランプが邪魔だが、こちらも炎を扱えるんだ。爆発するものには遠隔で火をつけられる)

 

「【烟月よ燃えろ。奴の武装に熱の波動を!】」

 

 走りながら赤い波動を放つと、こちらに迫っていたトランプ群が誘爆する。

 それだけでなく、敵が放とうとしていたトランプ群も音を立てて爆ぜた。

 

【むっ!? こう来るか!】

(――ここだ!)

 

 炎と黒煙の中を突っ切って、クドラクが道化へと接敵する。

 あえて横薙ぎに放った剣を、道化がにやりと笑いながら裏拳で弾き返す。

 

【貰った! このまま……ッ!?】

 

 ――弾かれた勢いを利用して、剣を逆手に持ち変え、逆向きの回転斬りを放った。

 辛くも道化は飛び退るも、胸に横一文字の傷が走り、血飛沫のような瘴気を噴き出した。

 

【ぬうっ!? ……私が一本取られるとは!】

「外された。筋がいいんだな」

【ククッ……クカカッ! ハハハハハッ!! たぎる! たぎるぞ! 我が霊体がいきり立つ!】

 

 アークデーモンが大笑いしながら、流れる瘴気に指をひたし、己の唇に黒いルージュを引いた。

 

【余裕ぶっていたのは私の方だったようだ。これで死に化粧はできた……! 歌い踊れ狂炎よ! 演目(ノーメル)道化王(クロウナーダ)』ッ!】

 

 道化師から赤い光が放たれ、直後にまばゆい紅炎が噴出した。

 円盤状の足場が熱せられ、全体から火が立ち上りはじめる。

 じゅーっと靴底が焼かれる音を聞きながら、クドラクは目を細めた。

 

(『道化王(クロウナーダ)』……アークデーモンが使う変身()()術。彼らにとって人の姿は擬態だ。これから真の姿が現れるか)

 

 焔の化身が膨らんでいき、体長4mほどの大猿じみた形を取る。

 炎の翼がめりめり音を立てて生え、火で作られた羽をそこら中に撒き散らす。

 山羊じみた頭骨に、残忍な眼光が灯った。

 

「……【烟月よ燃えろ。焔を遮断する膜を張れ】」

 

 陽炎のような帳がクドラクを包む。これで炎の化身と殴り合う準備はできた。

 瞬間、空中をただよっていた火の羽が輝き、流星のようにクドラクへ迫ってきた。

 横っ飛びに閃光を避けると、地面に着弾した羽が破裂音とともに爆ぜる。

 

【歌い踊れ狂炎よ! 演目(ノーメル)回転火葬(ボヴィトリャニ)』!】

 

 焔の化身が飛び上がり、大車輪のように回転しながらクドラクへ突っ込む。

 

「【烟月よ燃えろ。五の凶月を放て!】」

 

 対する狩人の少年も、大きく横に移動しながら爆発球を放ち、回転する焔にぶち当てた。

 爆発は起きるが、車輪は回転を緩めない。

 炎を外へ振り撒きながら、足場全体を高速でバウンドしはじめ、クドラクへ追いすがる。

 

(……レッサーデーモン抜きで助かったな。連中と相互に威力を増幅しあってたら、こんな小規模な爆発じゃ済まなかったはずだ)

 

 炎の大車輪が地を跳ねるたび、花火のような爆発が起きて、火の粉が飛沫のように散る。

 火の羽が車輪から常時撒き散らされ、クドラクの軌道を追尾してくる。

 闘牛士のように羽をかわし、炎を撒き散らす大車輪を横にかわし続け、ひたすらに攻め所を探す。

 

(見たところ、奴のまとう炎は鎧の役割を発揮している。炎を消した瞬間に攻撃するか)

 

「【烟月よ燃えろ。かの者の炎を消せ!】」

 

 敵の呪いに干渉するように、己の呪詞を放つ。

 バウンドしたばかりの奴の体から、ふっと一瞬だけ炎が消えた。

 深紅の獣毛が生えた巨獣の姿が露わになる。眼窩の奥にある鬼火の目が見開かれた。

 

【ぬうっ!?】

「そこだ!」

 

 落下しかけるタイミングを狙い、横合いから飛びついて、炎剣を横っ腹から突き刺した。

 そのまま胴を両断しようとするも、すんでで大悪魔がクドラクをつかむ。

 そして、着地と同時に地面へ叩きつけた。

 

「ぐっ!? ぐくくっ……!」

 

 熱せられた地面に触れた部分が、じゅーっと音を立てて焼かれる。

 陽炎の帳がなくば、焼肉と化していただろう。

 

【捕らえたぞ……砕けろ!】

 

 クドラクを押さえつけたまま、巨獣は別の手で彼を殴りつける。

 何度か拳をお見舞いされ、その度に足場がひび割れていく。

 隕石が落ちたかのように陥没していく。

 

(……っ、この程度なら耐えられるぞ……!)

 

 しかし、クドラクは顔を両腕でガードしており、いまだ致命打が通った様子はなかった。

 陽炎の帳に防御力があるのと、身にまとうエネルギー膜を全力で厚くしているためだ。

 

【いい構えだ! だが、いつまでその防御を維持できるかな。……炭と化せ!】

 

 大猿のような腕でクドラクを押さえたまま、道化の巨獣が口から炎を吐きかけた。

 高熱が連続するゆえか、徐々に陽炎の帳がはがれていき、ついに灼熱が体を炙っていく。

 炎に巻かれるまで、後数秒もないだろう。

 

「……【烟月よ燃えろ。炎の吐息を放て!】」

 

 浴びせかけられる炎の奔流に、あえてクドラクは手をかざし、火炎の風を放った。

 二つの奔流が拮抗するポイントが、徐々にアークデーモンの方へ近寄っていく。

 火の粉と波動が、周囲に撒き散らされる。

 

【オ、オ、オオオッ……!?】

「………………っ!!」

 

 巨獣が炎を吐くのに躍起になっている内に、クドラクは自らを押さえつける手に触れる。

 

「【烟月よ燃えろ! 凶月を放て!】」

 

 まばゆい爆発が両者の間に起こった。

 巨獣の腕を吹き飛ばされ、ドス黒い瘴気が傷跡から噴き出す。

 同時にクドラクも吹き飛ばされ、数m先へと転がっていく。しかし、すぐに身を起こした。

 

【オオオオアアアッ!】

「ぐっ……さすがに効くな。だけど――」

 

 何回か血混じりの咳をした後、クドラクは焼けた地面を駆け出す。

 

「――これで終幕だ。ご退場願おうか!」

【まだだッ! まだ片方あるぞ!】

 

 巨獣が残った片腕を振り上げ、拳の先に炎を集中させる。太陽のような光が拳から放たれる。

 

「【烟月よ燃えろ。凶月をこの手に】」

 

 こちらも炎の月を拳にまとわせながら、真っ向から接敵する。

 

【全霊の一撃──味わうがいい!】

 

 迎え撃つアークデーモンは、隕石のごときストレートを放った。

 熱で空気が膨張し、光がクドラクの目を焼く。

 

(……横にかわせばいい、って考えるのは罠だな。その直前で爆発させるつもりだ。なら――)

 

 活路は前へ。爆発が起きる前に、相手の懐へ入っていればいい。

 わずかに残った陽炎の膜を、靴底に集中させる。

 

「――【爆ぜよ!】」

 

 爆発させたエネルギーで、瞬間的にアークデーモンの至近距離まで潜り込む。

 

【なにっ!?】

「吹き飛べ……!」

 

 渾身の力で巨獣の腹に拳を叩き込み、同時に炎の月を炸裂させた。

 アークデーモンの腹が爆ぜ、大量の瘴気とともに大穴が空いた。

 

【GRAARRGHHHHHッ!!】

 

 巨獣が絶叫しながら、ロケットのように足場の端まで吹き飛ばされる。

 そのままボロ雑巾のように転がり、血反吐のような瘴気を吐いて――動かなくなった。

 

 ふっと、足場を囲む火が消える。

 クドラクは巨獣の近くに歩み寄り、問うた。

 

「遺言は?」

【………貴公、に……礼を。炎同士でやりあうのは、最高にアツかった。燃え上がった……】

「……それはどうも」

 

 アークデーモンの体に火が灯る。ぼうっと体中が燃えていく。

 

【炎として生き……風に消える定めか……。よき生であった。貴公が最後に立つのも含めて、な――】

 

 めらめらと焔が巨獣の体を覆っていき、火の粉がクドラクの中に吸収されていく。

 やがて、炎が消えた後には、何も残らなかった。

 

(……時間的に危なかったな。石化が始まる)

 

 首筋に触れると、硬い感触があった。

 石の鱗――忌まわしい代償が顔を覗かせてきた。その感覚が自分でもわかるのだ。

 すぐにでも、激しい苦痛が彼を襲うだろう。

 

(クルースニクに合流しないと……)

 

 体中に痛みが走っていくのを感じながら、クドラクはきびすを返す。

 ――その瞬間、足場全体が淡く光りだした。

 どこかスペクターの放つ光に似ているような、妖しい光だった。

 

「……っ? これは――」

 

 驚いて足を止めた瞬間、足元から青白い触手がわさっと這い出る。

 瞬時にクドラクの全身にからみつくと同時に、繭のように彼を覆っていく。

 

「……っ!?」

 

 完全に不意を突かれた。激しい戦闘の後だからか、気が緩んでいたのだろう。

 体をひねってもがこうとする少年の耳に、抑揚のない無機質な声が聞こえる。

 

《――賞賛。見事な戦いぶりだった。貴方達三人がかりで来られると、この私でも厳しそうだ。……先に貴方だけを御殿に招待しよう》

 

 耳元に這い寄る触手から聞こえているのだ。

 

「……この声は、通路での……っ!」

《歓迎。ヴェレスの力を得ている理由、そして貴方の力量。じっくりと診させてもらおう――》

 

 足元がめくれあがり、ぬらぬらと光る灰色の中身が剥き出しになる。

 大きなパイプの中身が露出したようだ。発光する水が中に流れている。

 

(こいつ、この中に引きずり込むつもりか?)

 

「【月天(ルニ・フォル)──】……もがっ!?」

 

 口に触手が入り込んできて、反射的に詠唱を中断してしまう。それが仇となった。

 繭と化したクドラクが、勢いよくパイプの中へ引き倒される。

 瞬く間に水の中へと消えていき、足元もみちみちとひとりでに修復していく。

 

 やがて、何事もなかったかのような静寂が、足場に訪れた。

 

 

 





TIPS:「城塞都市アラク=マハ」

 蜘蛛の形をした都市区画が有名な、タルサデューク公領中央の巨大な都市。
 聖ワシリイ教会にある聖樹の庇護のもと、数十万人の領民がのどかに暮らしている。
 親達が犯した罪も忘れたまま。

 名の由来は、数十年前に公領を焼いた混血(ドレカヴァク)から来ている。
 彼は獄中で育ち、恥辱と暴力を受け、虫やネズミの類しか口にすることを許されなかった。
 その報復をすべく、公領を焼いたのだ。

 彼には姉と慕う大業魔がいた。
 カーミラ・マルシャークと言う、幻影と蝶を操る劇狂いのロマンチストが。
 ──今、彼女は街に戻ってきている。


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