『血塗られた月のクドラク』〜余命わずかな病を克服するため、闇の王へと堕ちる話〜 作:人見 広介
【……驚天動地。三番カメラで計測中のエネルギー波形データ、数値群に見覚えがある】
【――?】
【通達。しばらく私はここで調べ物をする。戦況に変化があれば報告せよ】
霊的ホログラムが宙に浮かぶ大広間の司令席に、影のようなオーラをまとう業魔がいた。
黒くぶよぶよしたクラゲの傘を被る、青白い髪を伸ばした小柄な少女――。
大陸南方の黒い宮廷装束をまとい、手には仙人が持つようなねじれた杖を持つ。
【命令。生体書架を起動せよ。古代神話系列の試験データを参照する必要有り】
闇夜に星がまたたくような、黒い眼球にある白い瞳が上方の闇を見上げる。
がしゃん、と起動音がしたと思えば、天井から鎖で吊られた鉄製のリングが降りてきた。
司令席から立ち上がって、少女――メテフィラ・ボギンスカヤはふわりと浮かび上った。
輪状機械の中央まで到達すると、機械の上にぐるりと設らえられたモノが見える。
――灰色の脳だ。ぶるぶると震える剥き出しの脳が、輪の上に等間隔で固定されている。
【古神系サンプルのデータ閲覧。十五番系列。……手動で探した方が早いか?】
少女が被っているクラゲの傘から、青白い触手がずるりと現れる。
ずぷり、と灰色の脳の一つに入り込み、くちゅくちゅと優しくかき回し始めた。
途端に、輪状機械を取り囲むように、霊的ホログラムがいくつも出現する。
彼女からすれば日常的な操作だが、多くの者がおぞましいと感じる光景だった。
輪状のバイオライブラリだけではない、ほぼ全ての設備が狂った造形をしていた。
彼女の下方にある、華やかなスペクター達が弄っている灰色の機器群を見よ。
キチン質の光沢感がある外殻には、大小様々な灰色の脳や、骨や眼球でできた操作パネルがある。
消化管じみた太いパイプが機器群を繋ぎ、音を立てながら何かを流し込んでいる。
【――。――】
【――?】
あどけないスペクター達が、触手で機器群を操作しながら、羊皮紙に何かを書き込んでいる。
記号と図形の集合体――点で構築された模様――グラフらしき何かの模様。
機器から抽出したデータを、スペクター独自の言語で記録しているのだ。
これぞ、メテフィラの水中御殿。
灰色と黒で彩られたシステム群と、華やかで美しいクラゲ達のコントラスト。
ともすれば宇宙的恐怖にも通ずる、グロテスクとエロシズムの混合物が、この生体空間なのだ。
【照合完了。古神系甲型サンプル「ヴェレス」、乙型サンプル「ペルン」の試験テストで得られたエネルギー波と近似している……実に興味深い。なぜ、かの狩人達が祖神の力を持っているのか?】
メテフィラが、貯水池を映しているホログラムを見る。
静謐だった水上ではあちこちで爆発が起こり、衝撃波で大波が立っていた。
時折、煙を裂いて赤と白のビームが乱射され、黒い竜巻が生じている。
(……この様子だと、門は跡形も残らない。プランは失敗に終わったな。だが、別に構わない。私にとって本命の「アレ」さえ成せば)
冷めた目で、鳥居が壊されゆく様を見る。
手塩にかけたシステムではあるが、その気になれば同じ作品は作れる。
タルサデューク公
元より、計画の成り行きなどどうでもいい。
ただ、「アレ」をプランにねじ込んで、どさくさに紛れて成就するために参加したまでだ。
(アラク=マハの大聖堂。巫女達の拠点になっているあそこを落として、アレを成就する時間さえ稼げれば、後はどう転んでもいい)
いや、事が成った後、この地の下衆共を殺戮しまくるのも一興か?
友人に下衆を働いた者達の子孫も、タルサデューク公として活動中の虫ケラも。
汚らわしい物は、全て灰に帰せばいい――。
(……否定。思考がカーミラに似てきた。そうだ、上方にいる彼女達へ水を流さなければ。もう、あちらで始めてもらった方がいい)
眼下のスペクターに指示を出そうとして、ふっと違和感を覚えた。
他の者達が計測機器に集まっている中、一匹だけ離れたところでスペクターが仕事をしている。
(……疑問。あの生体機器類は、異界全土の流水量を調整するためのものだったはずだが)
今は、流水量を調整する必要はあるまい。何をしているのだろう?
注意するために口を開きかけた時――ぞわっ、と背筋に怖気が走った。
【……。まさか――
ねじれた木の杖から水圧カッターを噴射し、スペクターの頭部を射抜いた。
機器類に叩きつけられる同族を見て、周囲のスペクターが硬直する。
【!? ――?】
【――! ――!】
【静止。騒ぐな。……傀儡の可能性がある】
宙を泳ぐようにして、メテフィラがはぐれスペクターの付近に降りる。
頭を穿たれて痙攣しているクラゲを持ち上げ、青い傷跡を覗き込んだ。
傷穴には、妖しくきらめく結晶が詰まっている。
【解析。これは――氷か? こんなものが詰まって、生きていられるはずはないが】
傷穴に指を突っ込むと、ピキピキと指先が凍っていくのを感じた。
ただの氷ではない。疫病のように伝染し、触れたものを凍らせる力があるようだ。
(……壁内のパイプを破裂させた氷塊に似ている。狩人達の呪いによる産物か。強力な呪いとは感じていたが、よもや業魔の思考を乗っ取るとは――)
傀儡が弄っていた機器類に目を移す。
よく見れば、機器類の隙間に氷が入り込んでおり、ボタンやレバーを固定化している。
この操作が意味するものとは――メテフィラはすぐに思い当たり、霊的ホログラム群を見上げた。
【……全門解放。貯水池の水を全て抜き、各区画に配分していくつもりか】
推測は当たっていたようだ。
貯水池内部の壁穴がいっせいに開き、水をどんどん飲み干していた。
《おう、水位が下がっていくぞ!?》
《メテフィラ殿! 水を抜いたら、獲物共が御殿に侵入してしまいますぞ!》
爆発音がひびく画面群から、デーモン達の静止が聞こえてくる。
あえて貯水池の中に御殿を作ったのは、狩人達の侵入を防ぐためでもあった。
もし池に潜ろうものなら、飼っている水棲業魔の餌になる他はないはずだった。
【賞賛。よもや、私の防衛システムをこうも無力化してくるとは。久しぶりに脳が揺れる。……前からこの個体に寄生していたのか?】
瀕死のスペクターを機器類に乗せ、青い傷跡の中に詰まった氷をのぞき込む。
【返答求む。遠隔操作できるタイプの呪いなら、この音声も届いているはずだ】
《――お察しの通りね。貴女が注意を逸らしてくれてよかったわ。ずっと好機を伺っていたの》
くすくす、と傷跡に詰まっている氷が笑う。
結晶同士がすり合わさって、幼い少女の声を作り上げているようだ。
《もう、この操作は中止できないわよ。生きた神経でシステム網を構築しているようだけど、生物を乗っ取るのは得意なのよ》
【感心。システムの構造も察しているとは。対処策も用意している。貴女に優評価を下そう】
ぱちぱち、と無表情でメテフィラが拍手する。
期待していた反応と違ったのか、氷は少し沈黙して、訝しげに問うた。
《……割と余裕そうね?》
【無論。水を抜く程度では、攻略の最低条件を満たしたに過ぎない。だが、その条件を満たした者は、未だかつて見たことがなかった】
このシステムは今回の計画にあたってこしらえたものだが、設計思想は前からあったものだ。
大陸南方の王朝で、彼女はこのシステムを売り込み、ある男を皇帝にしたことがある。
どこの軍隊も、彼女の守りを抜けなかった。
【感謝。貴女達の試行錯誤をもって、私の設計思想はより完璧に近づく。……新たな知見の贄となる貴女達に、最上級の労いを贈ろう】
今日はとてもいい日だ。
魅力的な生体サンプルが四つ来てくれたし、死蔵していた防衛設備をお披露目できる。
どんなに自慢の玩具でも、見せる者がいなければ存在しないのと同じだ。
デーモン達が防衛戦をしている間に、上方のカーミラに合流しようとも思ったが――気が変わった。
彼らの試験をした後でも、遅くはないだろう。
【要求。早く御殿まで来い。……貴女達の性能に生で触れる時を、愉しみにしている】
それまで無表情だったメテフィラの目と口が。
にちゃあ、と三日月の笑みを浮かべた。
――――――――――――――――――――
貯水池の水位が下がり、水中にあったメタリックなパイプと内臓機械群が露出していく。
大腸を模したパイプ群が露わになり、そこに四人分の影が飛び移った。
そのうち三匹の影が、一人の少年へ飛びかかる。
(……水位が下がるペースが早い。思ったより早く、御殿へ侵入できるな)
レッサーデーモン三匹と斬り結びながら、クドラクは他の場所を盗み見る。
巨大な内臓やパイプに囲まれたこの場所では、あちこちで爆発や戦闘音が聞こえていた。
時折、業魔達が足場から落ち、水面へ墜落する。
【よそ見するとは愚かな! 死ねい!】
闇に包まれたパイプ上で、レッサーデーモン達が別々の方向から切り掛かってくる。
頭をそらして初撃をかわし、脇腹への突きを左手でつかんで止める。
その隙に、大車輪のように縦回転しながら、正面からレッサーデーモンが回転切りを繰り出す。
【ヒャアアアッホオオーーーッ!!】
「見栄えはいいんだが」
右手と一体化した
【グオオッ熱ARRGHHHHッ!?】
火に巻かれた正面のレッサーデーモンが、悲鳴を上げながら下方にダイブする。
その隙に、ぐいっと握りしめた刃を引き、たたらを踏んだレッサーデーモンを蹴り飛ばす。
【オオオッ!?】
横合いから迫っていた大火球に、レッサーデーモンが衝突した。
真っ赤な爆炎が辺りに吹き荒れ、爆発音がデーモンの悲鳴を掻き消す。
クドラクの姿も、吹き荒ぶ炎風に覆い隠される。
「【
ぱちん、と指を鳴らして、二撃目を放とうとしていたデーモンに斬撃波を飛ばす。
カウンターが決まったようで、正中線を切り裂かれた悪魔は断末魔を上げ、虚空へ溶けていった。
この程度の攻勢なら、一人でも対処できる。
――問題なのは水中からの攻勢だ。
下から水を跳ねる音がしたかと思えば、右足に何者かが食らいついてきた。
「づっ!?」
焼けるような激痛をこらえ、すぐに別の足で噛みついてきた者を踏み潰す。
熱帯魚のごとき鮮やかな色合いの業魔――レモラが潰れた悲鳴を上げた。
途端に、パイプの下で水飛沫が上がり、四方八方からレモラの大群が飛び上がってくる。
「ちっ、下からちょろちょろと……!」
こちらも飛び上がり、真下に
焼き魚が空中で燃えながら、しかしクドラクに追いすがらんとする。
加えて、まだ次の群れが水面から跳ね上がる。
(こいつらに特別な力はないが、数がとにかく多い。早いところ対処しなければ)
「【
別の足場へと飛び移りながら、追いすがるレモラ魚群に砲撃を撃ち込む。
密集しながら飛びかかってきた魚群は、まとめて粉微塵に吹き飛んだ。
「クドラク君、危ないっ!」
近くにあった足場から白いレーザーが放たれ、クドラクの横を通り過ぎた。
ぢゅん、と空気を焼く閃光は、骨盤じみた足場にいた遠くの
放とうとしていた水圧カッターを噴きながら、海蛇が下の水面へと落ちていく。
「ありがとう、クルースニク! お返しだ! 【
援護射撃をしてきたクルースニクの方へ、左人差し指から赤いレーザーを放つ。
彼女に突進していた
互いに無事を確認しあう、その一瞬にも満たぬ隙をついて、頭上からデーモン達が襲いかかる。
【隙をさらすものではないなアアアッ! 歌い踊れ狂炎よォ、
【【――『
はっと頭上を見れば、すさまじい熱気とともに大火弾が降り注いできていた。
避けられる距離ではない! このままでは二人とも丸焼けになってしまう!
反射的に、クルースニクを【
「間に合え……っ!」
「【黒旋風よ吹け。神風の籠を放て!】」
突如、横合いから飛んできた大きな風球が、クドラクをすっぽりと包み込んだ。
「うわっ!?」と驚くのも束の間、別の足場にいたクルースニクまで球は飛ぶ。
「おっ、ナイス! リトー君!」
少女が風の球に飛び込んで、クドラクの横にするりと入り込む。
同時に、頭上から降ってきた焔が膨れ上がり、けたなましい轟音とともに爆ぜた。
熱風と衝撃波がこちらを飲み込み、風の球を彼方へと押し流す。
ぐるぐると風球の表面は回転するが、内部はいっさいブレていない。
紅蓮の炎風が球を焼こうとするが、表層で熱が遮断されているため、中は涼しいものだった。
「……こっっっっわ! クドラクさん、あいつらヤバいっスよ! 火力が尋常じゃねえっス!」
クルースニクとクドラクの横で、幼なげな少年の声が聞こえた。
白髪の狼少年リトーが、青ざめた顔で球の外を見つめている。
「ありがとう、リトー。……貴方が作った風の防御も、負けてはないと思うが」
先程からリトーの戦況もまめに気にしていたが、とにかく彼は防御力が高い。
黒い風の羽衣で攻撃を弾くし、打撃が体に直撃してもけろっとしている。
「暴風を扱う」という呪いの特性が、常時まとっている不可視のエネルギー膜を強化しているのか。
「嬉しい言葉っスが、今のを集中してかまされるとまずいっスね。……デーモンってのは、兵卒まであんな大威力の技を使えるんスか?」
「うん、あれが彼らの十八番でね。仲間内で呪いを増幅させあって、一気に解放させるんだ」
あれぞ格上殺しの集団芸術。派手さと高威力ゆえに、サーカスと称されている。
並いる竜や大業魔でさえ、
「なるほど。雑魚に気を取られている間に、大技を食らう可能性もある訳っスね。……っと、クドラクさん、ちょっと失礼」
リトーが、腰のポーチから薬瓶を取り出し、クドラクの右足に開いた傷跡へ水薬を垂らす。
冷やりとした感触の後、じくじく傷んでいた傷跡がみるみる癒えていく。
「手前もさっきレモラに噛まれたもんで。備蓄ならいっぱいあるので、いつでも言ってください」
「ありがとう。さすがは商人」
「へへっ、お代は無しにしとくっス。……道具ってのは偉大だ。風力しか芸のない半端者でも、戦術のレパートリーを増やしてくれる」
やがて、爆風に押し流された風球は、貯水池の壁側で泡のように弾けた。
胃袋を模した足場の上に降り、三人して物陰に隠れながら、遠くの様子を伺う。
(……グロテスクな施設だな。このパイプや鉄の内臓が働く先は、最上部にある『門』か)
内臓群の最上層を見上げると、複数の鳥居が妖しげに発光しているのが見えた。
小さく見える『門』から、ごぽりと影の群れがあふれ出てきた。
冥府にいた業魔達が、現世になだれ込んだか。
(あれを潰さないと、雑魚が無限に湧いてくる。潰しにいきたいが……デーモン達に囲まれるか)
メタリックな構造物の隙間を縫うように、コウモリの羽を広げた悪魔が飛び交う。
おそらく自分達を探しているのだろう。
「上からは火炎と軍勢、下からは水棲業魔の攻勢か。ほぼ360°が鉄火場だな」
「……どっちから処理していく?」
「上の門を潰していきたい。……よし、速攻を仕掛けよう。【死霊の王がここに命ず。『
右腕と一体化した
実体なき影が数十体ほど脇に控える中、クドラクは
「【
骨竜の形が変わっていき、ドクロの意匠をした指輪に変わっていく。
同時に、クドラクの体が影に飲まれて、つややかな毛並みの黒狼へと変わった。
二人を乗せることを想定してか、常より大きい。
それに併せて、居並ぶ影法師の姿が変わり、クルースニク達や黒狼の姿を増しはじめる。
顔面がぼやけているのが難点だが、よほど近づかないと偽物とは気づかないだろう。
「デコイに紛れて上に向かう。クルースニク、僕に騎乗しながら『門』を狙撃できる?」
「余裕! 任せてよ!」
「デコイと言うなら、ナイトストーカーに霊酒をかけとくのはどうっスか?」
リトーがマントの内側に手を入れ、金属製の酒瓶を取り出す。
容器には「
「名案だ。業魔寄せの効果は、自我の無いナイトストーカーには効かないからな。……それにしても、どこにしまっていたんだ?」
「このマント、異空間に繋がってるっスから。族長が手織りしてくれた呪具でして」
リトーが酒瓶を開けて、デコイに振りかける。
スピリタスのアルコール臭と共に、魂の飢えが喚起されるような香気がただよう。
「じゃあ、早速やろう。【散れ!】」
号令とともにデコイが散り、クルースニクとリトーが大きな黒狼に飛び乗る。
そのままクドラクは駆け出し、足場を飛び移りながら上層へと向かった。
血管じみたパイプを走る内に、あちこちで咆哮と爆発音が響きはじめる。
連中がデコイにかかりはじめたか。
こちらにもコウモリのごとき影がやってきて、走行中の黒狼に追いすがりはじめた。
【こっちにもいるぞ! 本物か!?】
【とにかく攻撃すればよい!
「やらせないよ!」
クルースニクが白い光の弓をつがえ、レーザーでデーモン達を射抜く。
断末魔を上げた敵が、虚空に還っていく。
それらと入れ替わりに、ボロ布を被った死神のようなリッチ達が飛来してきた。
【シシシ……食事の時間といくか】
【待て、あそこの連中の方が……いい香りがする。あちらが本物ではないか?】
だが、すぐに別の場所に飛んでいった。
そちらを見ると、デコイが無数の業魔に追われているのが見える。
業魔寄せの効果が、いささか効きすぎているか。
デコイに夢中になっている連中を尻目に、難なく上層部の『門』付近へと近づけた。
「まずはひとぉつ!」
クルースニクがレーザーで鳥居を吹き飛ばす。同時に怪しげな光も霧散した。
また足場を転々とし、「ふたつ!」「みっつ!」の掛け声とともに鳥居を落としていく。
やがて、貯水池の中央部にある、最後の鳥居を射程内に入れた。
「楽勝! これで最後!」
意気揚々とクルースニクは門を射抜き、粉々に吹き飛ばした。
これで脅威の一つは消えた――その時、クルースニクはすっと顔色を変える。
「あっ、やばい。リトー君、防御全開!」
「了解ッス! 【黒旋風よ吹け! 手前らを颶風で覆い隠せ!】」
即座にリトーが黒いバリアを展開した瞬間、どこからともなくトランプが飛んできた。
すばやく黒狼達を取り巻き、高速でサークルを作りはじめる。
(これは、あのアークデーモンの……!)
【――歌い踊れ狂炎よ。
瞬間、トランプの内側が真っ赤に染まり、腹にひびく大爆発を起こした。
風の球が弾き飛ばされ、空中でかき消える。あまりの威力に、技が維持できなくなったのだ。
「あっ、まずっ……!」
「リトー、風で適当な場所に運んでくれ!」
三人バラバラに落ちはじめる中、クドラクはリトーに向けて叫んだ。
「……いいのを貰っちまったっス。今、お二方を運び上げるっスよ! 【黒旋風よ――】」
【通らんよ、それは。そこの少年を借りるぞ】
しかし、音もなく赤い影が飛来してきて、クドラクの鳩尾に飛び蹴りを喰らわせた。
「っか――!?」
意識がグラッと来るダメージとともに、一人だけ別の場所に弾き飛ばされる。
「クドラク君!?」
「クドラクさん!」
仲間達の姿が遠ざかっていく。やがて、円盤状の巨大な設備に叩きつけられた。
即座に上へとよじ登り、迎撃の態勢を整える。
「かっは……くそっ、クルースニクとリトーは?」
見たところ、二人は無事に風に乗り、別の足場に着地しているようだった。
下方にいる彼らが、こちらに叫んでいる。
「だいじょうぶ!? 怪我はない!?」
「こっちに降りてくれたら、受け止めるっスよ!」
彼らに叫び返そうとした時――ダンッ!という着地音とともに、鋭い殺気が後方から放たれる。
どうやら、合流は許してくれそうにないようだ。
「……僕は平気だ! しばらく雑魚の相手をしておいてくれ! こいつは――僕がやる」
叫び返した後、後方へ向き直る。
「……それが望みなんだろう?」
【クカカッ! さすがに三人がかりは分が悪いからな。すぐに殺されては、生を実感できん】
トランプのサークルを背にして、深紅の道化師が広い足場の中央に立っていた。
目も鼻もない白面いっぱいに、裂けた笑みを浮かべている。
【もっとも、多対一も燃える展開だがね。一年前はすこぶる楽しかった。……押し寄せる狩人の群れを相手に、たった一匹でゲリラ戦をするのはな】
今の発言内容を、前に聞いたことがある。
クドラクは眉ひとつ動かさずに問うた。
「かつてこの地を焼き、『
【然り。よくご存知だ】
「……アークデーモンが相手なら、半壊で済んだ彼らはいい狩人だったんだろうな」
災厄級とはいかぬまでも、デーモンの長は歴戦の強者であることが多い。
目の前の業魔も、類い稀なる戦士だろう。
【彼らは哀れだった。仕えている者が、まさか敵の首魁だったとは思わなかっただろうな。……あの蟲もどきには惜しい奴らだった】
「タルサデューク公が狩猟団の壊滅を狙った理由は、今回の祭りの布石か」
ホリフツィにいた狩猟団は、『
おそらく、狂奔を支援するような外道達を、狩人と偽ってとりいれたのだろう。
地上に戻れば、連中の仔細を確かめなければ。
「……聞かせてくれ。魂も領地も売り渡して、公は何を願っているんだ?」
【クカカッ、自分で奴に聞くがいいさ。私は奴の狙いなどにとんと興味はない。……私が気にかけるものは、誇り高き者だけさ】
アークデーモンがぱちんと指を鳴らすと、円形の足場の縁から炎が噴き上がった。
即席の闘技場だ。リング外へは逃げられない。
【これで
「……ロマンチストが」
【さて、確かめようか。貴公と私、炎の劇場で最後に立つのはどちらか!】
言うや否や、道化師はトランプを放った。閃光のような速さでクドラクの喉元に迫る。
最小限の動作で回避して、風のように相手の間合いへ入り込む。
「【烟月よ燃えろ! 炎剣を我に!】」
抜きざまに放った剣閃が炎を帯び、闇を灼熱の色に染める。
対するアークデーモンがトランプで刺突を放ち、真っ向から剣と打ち合った。
つば迫り合いの圧力で、火花と炎が散る。
【ほう!? 貴公も炎とは!】
「……炎の劇場と言ったのはそちらだ。貴方の得意でやりあおう」
【デーモンを相手に熱でやりあうつもりか! 余裕の表れかね?】
「まさか。これは手向けだよ。戦狂いの武人への」
きいん!と鋭い音とともに、互いに身を離す。
次の瞬間、両者ともに色付きの風となり、火花を散らしながら連撃を交わしあった。
剣戟の軌跡が燃え上がる様は、まさに高速で演じられるファイアーショーだ。
徐々に速度を増していく剣の舞踏に混じり、焔が至近距離で放たれ合う。
灼炎を皮一枚でかわすと、熱で肌がひりつく。
汗の粒がほおを伝うのも構わず、クドラクは攻撃の応酬に全神経を集中させた。
【中々の剣技だ! だが、お客人。私の札は爆発することを、よもや忘れてはおるまいな!?】
袈裟斬りを半身でかわした道化が、こちらへトランプで構築した盾を繰り出す。
ガードを固めた瞬間、まばゆい爆発が起きた。
閃光と熱に吹き飛ばされたクドラクが、数m先までじりじりと後退させられる。
(……っ、だが距離を取ると――)
【そらそらそらそらアッ! 追加だ!】
矢継ぎ早に道化がトランプを投げる。
横っ飛びに避けた直後、クドラクのいた場所で連続爆発が起きる。
そのまま大回りに走り続け、トランプを避けながら、相手の隙を伺う。
(トランプが邪魔だが、こちらも炎を扱えるんだ。爆発するものには遠隔で火をつけられる)
「【烟月よ燃えろ。奴の武装に熱の波動を!】」
走りながら赤い波動を放つと、こちらに迫っていたトランプ群が誘爆する。
それだけでなく、敵が放とうとしていたトランプ群も音を立てて爆ぜた。
【むっ!? こう来るか!】
(――ここだ!)
炎と黒煙の中を突っ切って、クドラクが道化へと接敵する。
あえて横薙ぎに放った剣を、道化がにやりと笑いながら裏拳で弾き返す。
【貰った! このまま……ッ!?】
――弾かれた勢いを利用して、剣を逆手に持ち変え、逆向きの回転斬りを放った。
辛くも道化は飛び退るも、胸に横一文字の傷が走り、血飛沫のような瘴気を噴き出した。
【ぬうっ!? ……私が一本取られるとは!】
「外された。筋がいいんだな」
【ククッ……クカカッ! ハハハハハッ!! たぎる! たぎるぞ! 我が霊体がいきり立つ!】
アークデーモンが大笑いしながら、流れる瘴気に指をひたし、己の唇に黒いルージュを引いた。
【余裕ぶっていたのは私の方だったようだ。これで死に化粧はできた……! 歌い踊れ狂炎よ!
道化師から赤い光が放たれ、直後にまばゆい紅炎が噴出した。
円盤状の足場が熱せられ、全体から火が立ち上りはじめる。
じゅーっと靴底が焼かれる音を聞きながら、クドラクは目を細めた。
(『
焔の化身が膨らんでいき、体長4mほどの大猿じみた形を取る。
炎の翼がめりめり音を立てて生え、火で作られた羽をそこら中に撒き散らす。
山羊じみた頭骨に、残忍な眼光が灯った。
「……【烟月よ燃えろ。焔を遮断する膜を張れ】」
陽炎のような帳がクドラクを包む。これで炎の化身と殴り合う準備はできた。
瞬間、空中をただよっていた火の羽が輝き、流星のようにクドラクへ迫ってきた。
横っ飛びに閃光を避けると、地面に着弾した羽が破裂音とともに爆ぜる。
【歌い踊れ狂炎よ!
焔の化身が飛び上がり、大車輪のように回転しながらクドラクへ突っ込む。
「【烟月よ燃えろ。五の凶月を放て!】」
対する狩人の少年も、大きく横に移動しながら爆発球を放ち、回転する焔にぶち当てた。
爆発は起きるが、車輪は回転を緩めない。
炎を外へ振り撒きながら、足場全体を高速でバウンドしはじめ、クドラクへ追いすがる。
(……レッサーデーモン抜きで助かったな。連中と相互に威力を増幅しあってたら、こんな小規模な爆発じゃ済まなかったはずだ)
炎の大車輪が地を跳ねるたび、花火のような爆発が起きて、火の粉が飛沫のように散る。
火の羽が車輪から常時撒き散らされ、クドラクの軌道を追尾してくる。
闘牛士のように羽をかわし、炎を撒き散らす大車輪を横にかわし続け、ひたすらに攻め所を探す。
(見たところ、奴のまとう炎は鎧の役割を発揮している。炎を消した瞬間に攻撃するか)
「【烟月よ燃えろ。かの者の炎を消せ!】」
敵の呪いに干渉するように、己の呪詞を放つ。
バウンドしたばかりの奴の体から、ふっと一瞬だけ炎が消えた。
深紅の獣毛が生えた巨獣の姿が露わになる。眼窩の奥にある鬼火の目が見開かれた。
【ぬうっ!?】
「そこだ!」
落下しかけるタイミングを狙い、横合いから飛びついて、炎剣を横っ腹から突き刺した。
そのまま胴を両断しようとするも、すんでで大悪魔がクドラクをつかむ。
そして、着地と同時に地面へ叩きつけた。
「ぐっ!? ぐくくっ……!」
熱せられた地面に触れた部分が、じゅーっと音を立てて焼かれる。
陽炎の帳がなくば、焼肉と化していただろう。
【捕らえたぞ……砕けろ!】
クドラクを押さえつけたまま、巨獣は別の手で彼を殴りつける。
何度か拳をお見舞いされ、その度に足場がひび割れていく。
隕石が落ちたかのように陥没していく。
(……っ、この程度なら耐えられるぞ……!)
しかし、クドラクは顔を両腕でガードしており、いまだ致命打が通った様子はなかった。
陽炎の帳に防御力があるのと、身にまとうエネルギー膜を全力で厚くしているためだ。
【いい構えだ! だが、いつまでその防御を維持できるかな。……炭と化せ!】
大猿のような腕でクドラクを押さえたまま、道化の巨獣が口から炎を吐きかけた。
高熱が連続するゆえか、徐々に陽炎の帳がはがれていき、ついに灼熱が体を炙っていく。
炎に巻かれるまで、後数秒もないだろう。
「……【烟月よ燃えろ。炎の吐息を放て!】」
浴びせかけられる炎の奔流に、あえてクドラクは手をかざし、火炎の風を放った。
二つの奔流が拮抗するポイントが、徐々にアークデーモンの方へ近寄っていく。
火の粉と波動が、周囲に撒き散らされる。
【オ、オ、オオオッ……!?】
「………………っ!!」
巨獣が炎を吐くのに躍起になっている内に、クドラクは自らを押さえつける手に触れる。
「【烟月よ燃えろ! 凶月を放て!】」
まばゆい爆発が両者の間に起こった。
巨獣の腕を吹き飛ばされ、ドス黒い瘴気が傷跡から噴き出す。
同時にクドラクも吹き飛ばされ、数m先へと転がっていく。しかし、すぐに身を起こした。
【オオオオアアアッ!】
「ぐっ……さすがに効くな。だけど――」
何回か血混じりの咳をした後、クドラクは焼けた地面を駆け出す。
「――これで終幕だ。ご退場願おうか!」
【まだだッ! まだ片方あるぞ!】
巨獣が残った片腕を振り上げ、拳の先に炎を集中させる。太陽のような光が拳から放たれる。
「【烟月よ燃えろ。凶月をこの手に】」
こちらも炎の月を拳にまとわせながら、真っ向から接敵する。
【全霊の一撃──味わうがいい!】
迎え撃つアークデーモンは、隕石のごときストレートを放った。
熱で空気が膨張し、光がクドラクの目を焼く。
(……横にかわせばいい、って考えるのは罠だな。その直前で爆発させるつもりだ。なら――)
活路は前へ。爆発が起きる前に、相手の懐へ入っていればいい。
わずかに残った陽炎の膜を、靴底に集中させる。
「――【爆ぜよ!】」
爆発させたエネルギーで、瞬間的にアークデーモンの至近距離まで潜り込む。
【なにっ!?】
「吹き飛べ……!」
渾身の力で巨獣の腹に拳を叩き込み、同時に炎の月を炸裂させた。
アークデーモンの腹が爆ぜ、大量の瘴気とともに大穴が空いた。
【GRAARRGHHHHHッ!!】
巨獣が絶叫しながら、ロケットのように足場の端まで吹き飛ばされる。
そのままボロ雑巾のように転がり、血反吐のような瘴気を吐いて――動かなくなった。
ふっと、足場を囲む火が消える。
クドラクは巨獣の近くに歩み寄り、問うた。
「遺言は?」
【………貴公、に……礼を。炎同士でやりあうのは、最高にアツかった。燃え上がった……】
「……それはどうも」
アークデーモンの体に火が灯る。ぼうっと体中が燃えていく。
【炎として生き……風に消える定めか……。よき生であった。貴公が最後に立つのも含めて、な――】
めらめらと焔が巨獣の体を覆っていき、火の粉がクドラクの中に吸収されていく。
やがて、炎が消えた後には、何も残らなかった。
(……時間的に危なかったな。石化が始まる)
首筋に触れると、硬い感触があった。
石の鱗――忌まわしい代償が顔を覗かせてきた。その感覚が自分でもわかるのだ。
すぐにでも、激しい苦痛が彼を襲うだろう。
(クルースニクに合流しないと……)
体中に痛みが走っていくのを感じながら、クドラクはきびすを返す。
――その瞬間、足場全体が淡く光りだした。
どこかスペクターの放つ光に似ているような、妖しい光だった。
「……っ? これは――」
驚いて足を止めた瞬間、足元から青白い触手がわさっと這い出る。
瞬時にクドラクの全身にからみつくと同時に、繭のように彼を覆っていく。
「……っ!?」
完全に不意を突かれた。激しい戦闘の後だからか、気が緩んでいたのだろう。
体をひねってもがこうとする少年の耳に、抑揚のない無機質な声が聞こえる。
《――賞賛。見事な戦いぶりだった。貴方達三人がかりで来られると、この私でも厳しそうだ。……先に貴方だけを御殿に招待しよう》
耳元に這い寄る触手から聞こえているのだ。
「……この声は、通路での……っ!」
《歓迎。ヴェレスの力を得ている理由、そして貴方の力量。じっくりと診させてもらおう――》
足元がめくれあがり、ぬらぬらと光る灰色の中身が剥き出しになる。
大きなパイプの中身が露出したようだ。発光する水が中に流れている。
(こいつ、この中に引きずり込むつもりか?)
「【
口に触手が入り込んできて、反射的に詠唱を中断してしまう。それが仇となった。
繭と化したクドラクが、勢いよくパイプの中へ引き倒される。
瞬く間に水の中へと消えていき、足元もみちみちとひとりでに修復していく。
やがて、何事もなかったかのような静寂が、足場に訪れた。
TIPS:「城塞都市アラク=マハ」
蜘蛛の形をした都市区画が有名な、タルサデューク公領中央の巨大な都市。
聖ワシリイ教会にある聖樹の庇護のもと、数十万人の領民がのどかに暮らしている。
親達が犯した罪も忘れたまま。
名の由来は、数十年前に公領を焼いた
彼は獄中で育ち、恥辱と暴力を受け、虫やネズミの類しか口にすることを許されなかった。
その報復をすべく、公領を焼いたのだ。
彼には姉と慕う大業魔がいた。
カーミラ・マルシャークと言う、幻影と蝶を操る劇狂いのロマンチストが。
──今、彼女は街に戻ってきている。
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