『血塗られた月のクドラク』〜余命わずかな病を克服するため、闇の王へと堕ちる話〜   作:人見 広介

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7-1:彼岸にそびえる竜宮城①

 

 

 

 

 暗闇の中、自分を包む繭がパイプ内を流される音だけが聞こえる。

 口に詰められた触手を噛み切ろうとするも、うまいこと噛み切れない。

 しかたない。久しく使わなかった技術だが――。

 

(――【月天宮(ルニ・フォルト)!】)

 

 口を使わず魂のみで叫ぶと、真紅の月光がバリア状に放出され、触手達を断ち切った。

 同時にバリアが爆発して、繭の向こうにあるパイプや壁材をも破裂させる。

 光が中に差し込む方へと、クドラクは転げ出た。

 

 べしゃりと彼が落ちた先は、水中御殿の内部通路のようだった。

 壁穴から水がさんざんに降り注ぐ中、クドラクはよろよろと立ち上がる。

 触手の残骸を吐き出して、周囲を見渡した。

 

「けほっ、けほっ……ここは……通路か」

 

 水族館と宮殿を混ぜたような、青と漆黒を基調とした建物の中にいるようだ。

 宮廷建築様式の内装は黒く彩られ、丸い格子作りの窓から先は水中の景色が見える。

 水で撹拌された光が、通路に降り注いでいる。

 

 青い絨毯に濡れた足跡を残しながら、黒漆塗りの円柱の間を歩く。

 夜景を模したインテリアや、天井から吊られたクラゲのごとき青提灯が目を引く。

 楓の花に似た香りが、通路にただよっている。

 

(……通路に敵がいない? 哨戒中の業魔くらいはいるはずだが、別の場所でも見回りに――!?)

 

 瞬間、刺すような痛みが肺に生じる。急速に喉元まで血の味がせり上がってきた。

 

「……っ、げほっ! ぐっ、――かはっ!」

 

 真っ赤な咳を吐くと、さらに痛みが増す。

 肺だけではない。生きたまま全身を切開されているような、鋭い痛みが体中に生じてきた。

 ピキピキと音を立てて、顔の左半分が石化する。

 

「……はっ、はっ、はっ――くそっ……」

 

 持病がぶり返してきた。頼みの綱のクルースニクは、貯水池で苦戦している最中だ。

 独力でこの窮地をなんとかせねばならない。

 

(……痛い、痛い、痛い……吐き気がしてきた。意識がとびかけてる……)

 

 柱に手をついて、じっと吐き気をこらえる。胃が痙攣しているのがわかる。

 がたがたと手足は震え、呼吸も満足にできない。

 

「ひゅっ、ひっ――早く、慣れなければ……」

 

《……残念。私の部屋まで流されてくれれば、スムーズに拘束できたものを》

 

 ――ふいに、天井から少女の声が聞こえた。

 

「……やっぱり見えているんだな。それはそうか。屋内に監視を巡らせていないわけがない」

 

 天井の暗闇をにらみつける。梁の間に、青白いスペクターが潜んでいるのが見えた。

 先程の音声は、この個体が中継したものか。

 

《歓迎。死地へようこそ。私の名前はメテフィラ・ボギンスカヤ。この施設を設計した者だ》

「僕は――」

《Mr.クドラク。貴方のあいさつは省略する。身元と力量は把握している。会えて光栄》

 

 抑揚のない声で矢継ぎ早に言われる。無礼なのか律儀なのかわからない人物だった。

 

《警告。今すぐに投降せよ。抵抗は無意味。すぐ私の配下に鎮圧されるのがオチ》

「……試してみるか?」

《笑止。今の貴方には異変が起きている。戦えるような状態には見えない。加えて――》

 

 バン、と格子状の丸い窓から音がした。

 そちらを見ると、室内をのぞきこんでいた巨大な蛇の瞳と目が合う。

 黄色い邪悪な瞳――ヒュドラのものと気づく。

 

《――窓の外にあるのは、私が作った水中異界。海棲業魔の群れが、常に貴方を監視している》

「……」

《二度目。投降せよ。抵抗は無意味。こちらも貴重なサンプルを壊したくない》

 

 自分を「サンプル」と言うような輩に、おとなしく降伏するとでも思っているのだろうか?

 ましてや、まだ仲間が貯水地で戦っているのに。

 

「……ご配慮痛み入るが、ヒュドラやレモラ相手に殺られるような腕はしていない。この体で数年間、ずっと戦ってきたんだ」

 

 赤い蛇の瞳が、ワインじみてにごる。

 殺意と憎悪のにごりだ。

 

「……まかり出て剣のサビとなれ、雑魚共。手負いの獣の恐ろしさを、全身に刻んでやる」

 

 ――返答は無かった。

 

 ただ、パリン!と音を立てて、通路中にあった窓が勢いよく割れ――。

 大量の水とともに、業魔達がなだれ込んできた。

 

 

 

第七話

彼岸にそびえる竜宮城

 

 

 同時刻、貯水池内部――。

 

《……面倒なことになったわね。クドラクが敵陣に引きずり込まれた。手厚い歓迎を受けているわ》

 

 懐から聞こえたニーナの報告に、クルースニクは思わず目を丸くした。

 

「えっ!? ――あっ、確かにいない!」

 

 すぐさま彼の気配を探るも、周辺にはそれらしき気配はなかった。

 つい数分前までは、デーモンの頭領と熱戦を繰り広げていたはずなのに。

 

「分断されたってことっスか。ニーナさん、あの人がどこにいるかわかるっスか?」

 

 クルースニクの後ろを守っていたリトーが、こちらに振り向いてくる。

 

《……連中の話を聞く限りでは、邸宅の地下にいるみたいね。具体的な位置はわからない》

「施設内にある端末で、クドラク君を探せない?」

《探せるわよ。先にあの子と合流してるわ。居場所がわかれば連携する》

 

 氷結晶の端末から、ニーナの気配が消えた。

 邸宅に忍ばせた端末に意識を移したのだろう。

 

(となると、こっちは――別行動であの建物に入る形になるかな)

 

 パチパチ、と青い電気をまといながら、クルースニクは遠方にある御殿を振り返った。

 現在、貯水池の水位は下がっており、水底にあった構造物が露出している段階だ。

 御殿の屋根だけが、水面から顔を出している。

 

(そろそろクドラク君の症状が出る。分断されたままだとまずい! 助けに行かなきゃ!)

 

【SHHHHHHHッ!!】

 

 突如、水面から勢いよく飛び出してきたのは、青黒い獣のアーヴァンクだった。

 肝臓じみたメタリックな足場にいる二人に、隙をついて踊りかかる。

 

「チッ! そうは――」

 

 それに気づいたリトーが剣を抜く前に、ゆらりと少女が業魔に近寄った。

 ビーバーめいた頭をつかみ、地面に叩きつける。そのまま首をもぎ取った。

 

「……リトー君、霊酒を私にふりかけて」

「はっ??」

「もう雑魚に構っている暇はなくなったから、一気に仕留めるよ。……ちょっと痛いけど」

 

 バチバチ、と彼女のまとう蒼雷が勢いを増す。

 慌ててリトーは金属製の酒瓶を取り出し、スピリタスに似た液体を彼女にかけた。

 

「こっ、こうっスか!?」

「ありがとう。少し離れててね」

 

 平坦で抑圧された声を聞いて、ぶるりと肩を振るわせながら少年が距離を取る。

 ――業魔寄せの香りが、水中で気を伺っていたレモラやカプリコンを呼び寄せる。

 ざぱりと水を割って、大量の怪魚がクルースニクに食らいついた。

 

【【GRRRRRッ!】】

 

 自らエサになろうとでもいうのか?

 体中に牙を食い込ませながら、無言でクルースニクは水辺へと寄る。

 水中には、大量の影がうごめいていた。水棲業魔が彼女に殺到しているのだ。

 

(……今までの戦いで、貯水池中の業魔が集まっていたのは知っていたよ。私達の強さに手が出せず、今まで隙を伺っていたのも)

 

 ゆっくりと拳を振り上げると、ジジジという異音とともに拳から電撃が放たれる。

 

「――最大出力。ブっ飛べえええぇぇッ!

 

 隕石のごとく水面を殴りつけると、雷が落ちたような閃光が視界を染めた。

 体中を引き裂くような痛みとともに、十数万アンペアの稲妻が水中へほとばしる。

 

「………………ッ!!」

 

 肌全体にリヒテンベルグ図形が刻まれた後、閃光が急速に消えていった。

 元の暗闇が戻った時には、感電死した業魔達が大量に虚空へと消えていった。

 水中にいた影も、とろりと消えていく。

 

「――っつ〜〜〜! 本気の電撃は久しぶりだよ。めちゃくちゃ痛いから嫌いなんだけど……」

 

 大げさに拳を振ってみせるクルースニクを、白髪の狼少年は呆然と見ていた。

 明らかに、雷が落ちたとの同じ威力が、彼女の体から出ていた。

 なぜ、生きていられるのだろうか?。

 

「……えっ、えっ? ご、ご無事っスか!?」

「まあね! 長いこと体質に向き合っていれば、電流の逃し方くらいは身につくんだよ」

 

 雷の図形が痛むのを感じながら、クルースニクは御殿の方をにらみつける。

 

「そんなことより――リトー君、私達はあの屋根から侵入するよ! 地下でクドラク君と合流する!」

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 他方、水中御殿の最深部――玉座の間。

 

 闇に包まれた100m四方の部屋は、全域が発光する水に浸されている。

 黒漆の円柱には光が投げかけられ、ハスの花が水面をゆるやかに踊っている。

 

 部屋の中心部では、館主のメテフィラが玉座に腰かけていた。

 彼女の前には、霊的ホログラムがいくつも展開され、館内の様子を映している。

 

【……賞賛。手負いでここまでやれるか。あの歳で大成するだけのことはある】

 

 今、賓客(クドラク)は通路を走り抜け、前方で待ち受けるカトブレパス達に接敵している。

 『爛れ眼の呪い』と言う邪視を持つ水牛達は、横一列で彼に邪視を浴びせていた。

 

(興味。奴らの邪視にさらされれば、肉体と魂が分離して即死するのが定め。それを――)

 

 対するクドラクは、体中を影でおおっている。それで邪視から身を守っているのだ。

 彼は砲弾のように前へと跳ね、カトブレパス達の首めがけて回転切りをしかける。

 水牛達の首が宙に飛び、体が虚空へと溶けた。

 

(……獣じみた剣技。移動の勢いを利用して、慣性で剣を振っている。まともに腕が動かないからか)

 

 コマのような回転を止めると、勢いのままに剣が弧を描く。

 体の表面にまとわりついていた影が、ぼたぼたと力無く落ちていくと――。

 憔悴しきったクドラクの姿が表れた。

 

《――けほっ、ぐっ……おえええええっ……》

 

 そのまま彼は床に嘔吐した。

 胃液と血を吐いているが、消化中の内容物はほとんど見受けられない。

 おそらく、体表にある石の鱗のような物が、胃をめちゃくちゃに荒らしているのか。

 

(館内での戦闘で、彼はダメージを負っていない。あの症状だけが彼を消耗させている)

 

 メテフィラはあごに手を当てる。

 

(……呪いの使い方が抜群にうまい。移動時、足裏でエネルギーを爆発させ、推進力を得ている。その速さで攻撃を振り切っているな)

 

 剣を振るにせよ、攻撃をかわすにせよ、彼は慣性や推進力に任せている。

 自分の筋力は使っていない。腕を動かすのも痛いから、使えないというのが正しいのか。

 貯水池での戦闘スタイルとは、明らかに異なる。

 

(……痛みに耐えるために編み出した魔技、か。すさまじい。敬意を払うに値する――この大渦のメテフィラが、手ずから試験すべき対象だろう)

 

 だが、まずは面白いものを見せてくれた賓客に、益になる情報をくれてやるべきだろう。

 彼がヴェレスを求める理由は、大体読めたから。

 

【Mr.クドラク。貴方は祖神の落とし子だな】

 

 出し抜けに言うと、ホログラム上に映されたクドラクがこちらを見上げる。

 彼の顔に生えた石灰質の鱗は、ヴェレスの形質が半端に表れたものだろう。

 本来なら、鱗は黒曜石のように美しいはずだ。

 

【呪いと鱗で察しがついた。貴方が要求した父君のサンプルは、私の手元にある】

《……話が早いな。譲るつもりは?》

【回答。私の試験を突破できたなら、くれてやってもいい。調査完了済のサンプルに用はない】

 

 事実、大半のサンプルは、タルサデューク公に高額で売り払った後だった。

 ――今、玉座の横に置いているガラス製の円筒には、最後のサンプルを入れてある。

 

【在庫はペルンと併せて一つずつ。手元にある物以外は、タルサデューク公に売却済。それでもよいか、イリヤ・ムーロメツの末裔よ】

 

 目に見えて、クドラクが怪訝そうにする。

 

《……イリヤ・ムーロメツの子孫?》

【違うのか? 公が子孫を混血(ドレカヴァク)に作り変えていたのは知っている。貴方が当時の実験体ではないかと考えていたが】

 

 タルサデューク公領の破滅という一大事に、かの蛇の血を継ぐ子供が来る理由となると、その因縁くらいしか思い浮かばない。

 

《……そうとは聞いている。それで?》

【あの家系は、魔王殺しの英雄――イリヤ・ムーロメツの血を引いている。その名に聞き覚えは?】

《ある。叙情詩によく出てくる英雄だ》

 

 四百年前、大陸を統べた覇王が殺された。

 彼の名はチェルノボグ。史上初めて、業魔の軍勢を組織化した者だ。

 彼は苛烈な圧政を敷いたが、やがて反乱軍によって弑逆された。その反乱軍の首魁がイリヤだ。

 

 反乱軍には、今の楽園公――パラスケヴァ・ピャトニッツァも参加していた。

 当時の出来事は、かの生き証人によって多く語り継がれている。

 

【当時、反乱軍に属していた娘の一人が、イリヤ・ムーロメツとの間に子を産んだ。その子がマヤコフスキー家の祖となった】

《……そう言えば、そんな話を貴族達のパーティーで聞いたことがあるな》

【その様子だと、なぜあの男が子孫を混血(ドレカヴァク)にしたかも知らないか】

 

 そう言うと、クドラクは目を丸くした。「そこに繋がってくるのか」と言わんばかりの顔だ。

 

【実験体となった公の子息は、全員死亡したと聞いていた。その例外がここにいる。……赤子の頃に、何かの手違いで外に持ち出されたと推測する】

《…………》

【別の場所で育ったのなら、公の狙いについて疎いのも道理。雑談ついでに話してやろう】

 

 メテフィラは淡々と話を続けながら、少年のプロファイリングを終えようとしていた。

 父親の一端を求める理由も読めた。体が石化してゆく代価を無くしたいのだろう。

 

【質問。イリヤと契った娘が、実は魔王の私生児ということはご存知か?】

《……いや、初耳だ》

【当時は公然の秘密だったが、その娘は魔王の側女から産まれた。両親を裏切ったわけだ】

 

 王の血を引く娘が、英雄イリヤと恋に落ちた顛末は触れずに置こう。

 語りきれぬ物語が、あの時はあった。

 四百年前、自分がただのスペクターだった時に。

 

【即ち。貴方の血脈には、魔王チェルノボグと英雄イリヤの血が混じっている。……この事実は、ヴェレスとペルンへの親和性に繋がっている】

《…………?》

【魔王と呼ばれた男は、元はキンメリアの暗き野原から出でた蛮族だった。……彼は放浪の果てに、かつて竜が棲んでいた谷を訪れた】

 

 当時、チェルノボグはただの呪い師であり、剣と呪いのみを頼りに谷を踏破した。

 谷の遺跡に押し入り、墓守の竜を征伐した先に、彼は神秘に見えたのだ。

 

【そこで、彼はヴェレスの精神に見え、呪いの真髄を会得した。幾年もの歳月を、大いなる蛇との修行に費やした】

《…………》

【谷から出た後には、男は無敵の存在――高次元暗黒を操る不死の魔王と化した。後は史書のとおり】

 

 業魔の軍勢を従えたチェルノボグは、諸国に大攻勢を仕掛け、遂には大陸全土を支配した。

 人魔の区別なく、強者にのみ人権を認める国政を敷き、弱者は容赦なく淘汰した。

 政治的能力や技能など考慮せず、ただ戦が巧みな者だけに特権を与えた。

 

【魔王。その存在の不死性は、蛇神ヴェレスの再生力から来たものだった。これを突き止めたイリヤは、対となる神の力を求めた】

《……人の祖、ペルンか》

【然り。試みは成功した。イリヤだけが、不死たる魔王を弑逆しうる力を得た】

 

 四百年前、反乱軍によって血路を開かれたイリヤは、チェルノボグに決戦を挑んだ。

 多くの仲間の支援もあったが、それでも相打ちが精一杯だったようだ。

 ――やがて、戦場には聖女パラスケヴァしか残らず、他の者達は全滅したそうだ。

 

【この二柱にまつわる遠い血脈に、タルサデューク公は夢想を抱いた。ヴェレスとペルンの力、両方を継ぐことができるのではないかと】

 

 いわば光と闇の力。コインの表と裏。

 二つ同時には制御できぬ権能が、マヤコフスキーの者にはできるのではないかと。

 

【研究は難航した。狂った実験が次々と行われた。貴方もその産物の一つだ。……しかし最終的に、公は一定の成果を得た】

《……どんな成果だ》

【それは自分で確かめるといい。もし私を退けたなら、やがて戦場で目にするだろう】

 

 そう締めくくると、クドラクは考え込んだ。

 

《……貴女は僕達の出生にどこまで関わっている。実験に協力したのか?》

【否定。出生の情報は、公が成果を見せびらかしてきた時に聞いたものだ。……もう一年前になるか。そこで今回の計画について勧誘された】

 

 メテフィラは奴と親しい訳ではない。むしろ私的には嫌いな人物に入る。

 研究サンプルを売却し、何回か体を診てやったが、その程度の関係性だ。

 

【サンプルを売却した二十数年前から、奴は独自で試行錯誤を繰り返していた。……以上、知りうる情報はそのくらい】

《……教えてくれ、公の目的はなんだ? なぜ、祖神の力を得ようとしたんだ》

 

 真剣な顔で聞いてこられるが、期待に添える回答はできそうになかった。

 真実は知っているが、あまりにも陳腐だ。ここで口にするには味気なさすぎるほどに。

 

【回答拒否。自分で奴に確かめればいい】

《そうか。……後、色々と教えてくれてありがたいが、なんで話してくれたんだ?》

【気紛れ。興が乗ってきたから、雑談したかっただけ。身構える必要はない】

 

 メテフィラからすれば、あらゆる意味でイレギュラーな子供だった。

 その身に培った技術も、直面するだろう定めも、全て見応えのあるものだ。

 そして、ヴェレスの血を引くという事実も。

 

【Mr.クドラク。察しはついていると思うが、祖神の血を引く混血(ドレカヴァク)は短命だ。重すぎる代価で次々と死んでいく】

《……それは、僕の兄弟達のことか?》

 

 公の実験に供された子供達のことを言っているのだろう。血縁的には兄弟にあたるはずだ。

 

【それだけではない。ヴェレスやペルンの後継を産む実験は、全てが失敗に終わっている。……公と同じことを考えた勢力はいくらでもいる】

 

 なにせ、天地開闢に関わった二柱の神の力だ。手にすれば絶大な権能を得られるだろう。

 それは、チェルノボグとイリヤが証明している。

 

混血(ドレカヴァク)だけでなく、己の魂にヴェレスの欠片を移植したり、呪具に取り込もうとした者もいたが……どれも被験体の石化に終わった】

 

 かつて、イドリシチェ尖塔郡などの邪教圏でも、神の子を産む実験は行われていたのだ。

 だが、今は研究は下火となっている。どう試みても移植した対象が崩壊するのだ。

 蛇の血を引く者は石となり、人の血を引くものは発電体質で焼かれた。

 

《だが、魔王は成功したのだろう》

【人類史上、魔王()()成功していない。……うまくいけば、貴方が二つ目の例外になる】

《……それには、貴女のサンプルが必要なのだが》

 

 一貫して無表情だったメテフィラは、ここに来てかすかに口元を歪めた。

 

【肯定。私の試験を超えれば得られる。ただ……事によってはサンプルを穏便に譲渡してもいい】

 

 そう言うと、クドラクは怪訝そうな顔をした。

 

【私に協力しろ。しばらく検査を受けてくれれば、望みのものを差し上げよう】

《……解剖でもするつもりか?》

【否定。苦痛を伴う実験はしないし、暮らしに不自由はさせないと誓う】

 

 生かせば魅力的なデータが取れるのに、なぜ殺す必要があるのだろう。

 彼は自由にさせた方が面白い。きっと、観察しがいのある諍いを多く起こしてくれるだろう――。

 

【貴方が望むのなら、魂を束縛する類の契約書に一筆書いてもいい。いかがか?】

《……公の企みを阻止した後なら、考えてもいい。貴女がこの件から手を引くのが条件で》

 

 彼の出してきた条件は、少し具合の悪いものだった。腕を組んで考え込む。

 

【……交渉。一つ譲れない殲滅目標がある。それを潰し終わった後なら、手を引いてもいい】

《それはどこだ?》

【アラク=マハ。あそこだけは潰す必要がある。他の街についてはどうでもいい】

 

 あの街を滅ぼすために、計画に参加したのだ。メテフィラだけでなく友人もだ。

 今さら自分の都合でやめる訳にもいかない。

 

《……十万人規模の街じゃないか。それを見逃してもらおうなんて無理筋だよ》

【残念。ならば、交渉決裂だ】

 

 Win-Winの関係を築けるかと思ったが、実力で押さえ込む必要があるか。

 なに、例え彼が試験で死んでしまっても、自分の呪いならば蘇生はできるはずだ。

 今はただ、かの者の性能を味わうとしよう。

 

【楽しい雑談は終わり。では、テストを再開する。――貴方の命数、我が秤にて量ってしんぜよう】

 

 青白く小さな手が、謎めいた印を結んだ。

 

【我は甘露に浴する者。北極星より万象を喰らえ、『忌み夜叉(デモノヤクシャ)』】

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 メテフィラの呪詞が聞こえたかと思えば、クドラクの首筋に水滴が落ちた。

 ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。

 

(上から来る!)

 

 すばやく飛び退るのと、天井から水の槍が降ってくるのが同じだった。

 雨のように槍が次々と刺さった後、遅れて不恰好な形状をした巨人が降りてくる。

 

「…………ロオオォォ…………」

 

 身の丈は4m以上ある闖入者は、大陸南方の明光鎧を着込んだ戦士のようだ。

 キチン質の外殻で作られた鎧の下に、つやつやと光る灰色の肉体が見える。

 その体中から、イソギンチャクじみた青い霊体の花を咲かせていた。

 

「……これは……肉体を持っているのか?」

 

 明らかに異質な点が、それだ。

 触手が融合したかのような歪な肉体は、明らかに物質的なリアリティを持っている。

 霊的生命体である業魔にはない精彩があった。

 

《肯定。私の研究成果の一つ。肉体を持つ業魔『忌み夜叉(デモノヤクシャ)』……貴方の前にいるのは、その七つある作品の一つ。『禄存(フェクダ)』》

 

 名を呼ばれた明光鎧の巨人は、触手が集合したような無貌の顔から咆哮を上げた。

 びりびりと大気が震え、心胆を寒からしめる。

 

《一つ講義をしてやろう。テーマは肉体と魂の関係性について。受講料は貴方達の身柄だ》

「……ちっ、骨が折れそうな相手だな」

 

 口元から垂れる血をぬぐいながら言った時、天井から冷たい何かが首筋に落ちた。

 「ひえっ?」と思わず声を上げる間にも、拳大のゴツゴツしたものは服に潜り込んでくる。

 

《――そんなに驚かないでよ。私よ、私》

 

 くすくすと服の下で何者かが笑う。

 ニーナ・スネグラーチカの声だ。となると、さっき服下に入ったのはニーナの端末か!

 

《調子が悪そうじゃない。助太刀してあげる。クルースニクも遅れて合流するわ》

「助かる。貴女達がいれば百人力だ……!」

 

 クドラクは笑みながら、獣のような構えをとる。

 この痛みだと造魔竜(ジルニトラ)も持てない。剣一本でやってのけるしかないが――。

 味方が側にいてくれるから、なんとかなる。

 

《ふふん、まあ心配しないでよ。貴方を勝たせてあげるわ。この雪の王女がね》

 

 周囲に氷の槍が浮かぶのと同時に、『禄存(フェクダ)』なる怪物が飛びかかってきた。

 ――試験開始。己の実力を示す時が来たのだ。

 

 

 





TIPS:『イリヤ・ムーロメツ』

 かつて、一匹の狼とともに業魔の軍勢を滅ぼし、魔王チェルノボグと争った若き英雄。
 のんきで気前のいい飲兵衛だったが、一度弓箭を持てば鬼神と化したと言う。
 「空裂く稲妻の呪い」にて、電源と磁力を操ることができた。

 魔王と相討ちになった後、彼の相棒だった雌狼は北へと旅立った。
 北方森林地帯──イリヤ・ムーロメツの生まれ故郷に、彼の弓を埋めに行ったのだ。
 その狼の名は、ジーヴィッカという。


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