『血塗られた月のクドラク』〜余命わずかな病を克服するため、闇の王へと堕ちる話〜 作:人見 広介
――水中御殿内部:大通路にて。
現在、クドラクは業魔『
「オオオオオオオオオッ!!」
明光鎧をまとった巨人が、ムチのように右腕を叩きつけてくる。
対するクドラクは獣のように跳ねながら、迫る右腕を斬り飛ばした。
「ギイイイィィィッ!」
「【烟月よ燃えろ。かの者を焼け!】」
ぬめった肉体に張り付き、鎧の隙間に炎を噴射する。瞬く間に敵が火に飲まれた。
肉が焼かれる嫌な臭気と、踊る炎のきらめきが神経を逆立たせる。
まとわりつく炎を払おうとする『
さて、攻撃の効果はどうだ?
「……火もダメだな。効果が薄い」
皮膚が焦げた端から、みちみちと新しい肉が新生していくのが見える。
明光鎧の下から霧が噴射され、体にからみつく炎を鎮火させていく。
斬り飛ばした右腕も、瞬く間に生えてくる。
(再生力が異様に高い。切っても焼いてもダメージは与えられず、吹き飛ばしても肉片が自律行動する。おまけに、この臭気は――)
クドラクはそでで鼻をおおう。揮発した薬毒の匂いが通路中に満ちていた。
(毒の体液か。吸えば命取りになるのだろうが、僕はエネルギー膜で毒を防ぐことができる。……薬臭い以外は、問題なく呼吸ができる)
とはいえ、一般的な狩人であれば対処できない初見殺しとなるだろう。
奴は脅威だ。ここで始末した方がよい。
「シイイイイイッ……!」
分析を進める間にも、『
直後、洪水めいて触手の槍衾が放たれ、奔流となってクドラクを圧殺しようとする。
「【
前方に放った赤い光刃が槍衾を切り裂き、奔流の中にわずかな隙間を作る。
そこに体を潜り込ませ、敵の中心部で赤いエネルギー光を放った。
「【
通常はバリア状に固めているエネルギーを、爆発力に変換して解き放つ。
光の爆発が『
「ギイイイィィィッ――」
宙に舞う肉片から、虫じみた声がひびく。
そのまま肉の雨が通路中に降り注ぎ、びたびたとのたうち始めた。
灰色の血霧に汚れたクドラクが、膝に手をつきながら成果を確認する。
「……けほっ。まだ生きてるな……しんどいからさっさと死んでほしいんだけど……」
今も体中が石化し、内臓を蝕んでいる。全身に焼けるような痛みが走っている。
体中を駆け巡るアドレナリンのおかげで戦えているが、実態としては死に体に近い。
とは言え、やる気はまだ衰えていない。
――この難所を超えてボスの身柄を押さえれば、治療の目処がつくかもしれない。
メテフィラの持つ祖神ヴェレスの欠片、それが石化の変異を止めるのに必要だ。
《群体っぽいわね。ミミズみたいな連中が寄り集まった存在だから、急所自体が存在しない》
懐に入れた端末から、ニーナの声がひびく。
「となると――ニーナさん」
《私の出番ね。【銀嶺の花を手向けましょう。凍土の霜よ、地を白く染めなさい】》
懐の端末が震えたかと思うと、目の前でキラキラ光る銀の霜が生じた。
冷気のヴェールが地面に触れた瞬間、一瞬で周辺が凍てついていく。
そこにのたうっている肉片も含めて。
「ピギッ……キイイッ――」
断末魔の声すらも凍りつき、やがて『
その異常な冷却速度に、クドラクは着目する。
(……凍らせるのが速い。冷却技術を極限まで磨き上げてなきゃ、こうはいかない。彼女も多芸よりは一芸を極めるタイプの呪い師か)
雪の結晶生命体という出自だからか、ニーナの冷却技術には凄みがある。
物を凍らせる力を持っているから、なお自分と彼女との隔たりがわかる。
(僕の『寒月の呪詞』でも、冷却にもっと多くの時間を要するはずだ。彼女には一歩劣るな)
クドラクは多くの呪詞を持ち、汎用性を重視した戦闘スタイルを確立している。
言い換えれば、ニーナのように一芸を極めるような鍛え方はしていない。
凍結に関しては、彼女に任せるのが吉だ。
『復活する気配がないわね』
「肉体機能ごと停止させたからか? 氷が有効のようだ。さて――」
完全停止した肉片群から視線を外し、クドラクは通路の奥をにらむ。
青い行燈に照らされた先から、水死体のごとく肥え太った巨大な首なし力士が這ってきていた。
「……RRRRRrr……」
「新手か。こいつも肉体持ちだな。そして――」
力士に随伴するように、明光鎧を着た戦士のような怪物達がついてきている。
先程の『
「……まさか、こいつら――」
《見ての通り。この群れを構成する触手群も『
天井から無機質な声が届く。ここの館主メテフィラの声だ。
《そこの肥満体は『
『
中からわさっと現れたのは、色とりどりのクラゲ型業魔――スペクター達だ。
「これは……寄生している? その肥満体を操っているのは、スペクター達か?」
《肯定。我々が寄生するための理想的な肉体、それが今目にしている実験物の存在意義》
さらっと気味の悪いことを言うものだ。
だが、『
思考の役割を、スペクターが担うということか。
《肉体はすばらしい。魂を食わずとも、物質を消化したエネルギーで生きていける。そういう進化を現世の生物は選んだ。冥府に生きる我々と違って》
本来、魂は別の魂を食らい、生きていく。
しかし、肉体を持った現世の住民は、互いの肉のみを食らいあって生きていける。
食物を消化したエネルギーのいくばくかを、魂に供給し続けている。
《肉体を子に分けあたえてきた貴方達とは違い、こちらにそんな財産はない。ゆえに、一から作ることにした。頑強でエネルギー効率のいい肉体を》
『
瞬間、青白いレーザーが球から発射され、反射的に身をそらしたクドラクの半身をかすめた。
《肉体を呪具化させることで、呪いの威力を底上げできる。今のレーザーはその産物だ》
「……こんな趣味の悪い研究をしていたのか。貴女の著作では見たことがない内容だが」
呪いの威力強化に関する論文を、彼女は何作か著している。
『複数人による呪いの複合発動』『効果的な呪詞の開発法』等、戦闘法が主眼の著作ばかりを。
《当然。本で公開している内容は、私個人の鍛錬成果をまとめたもの。……対して、この実験成果はスペクターという種族に捧げた公的なもの》
「……?」
《私は強者に憧れている。強くなるのが好きだ。しかし、スペクターという種族自体は弱小で、私のように成長できる個体は一握りにすぎない》
己の種族を卑下する割には、彼女の声音に何の感情も混ざっていない。
《どの研究もテーマは同じ。私達のような弱小種族がどう強くなるか、どう生き延びていくか。後者のアプローチとして肉体の保有は有効》
「……種への貢献か。殊勝だな」
《貴方達の戦闘データも、これからの研究に取り入れさせてもらう。協力に感謝する》
前方にいる
(……いちいち殺すのも面倒だ。しかたない)
対する少年は、獣のように四つん這いになる。
「ニーナ、これから通路を駆け抜けるから、援護射撃を頼む。貴女の氷はよく効くから」
《いいけど、貴方も冷気をわけてほしいわ。端末越しだと火力が出ないのよ》
冷気をわける――クドラクが持つ『寒月の呪詞』で作れということだろうか。
こちらで産み出した冷気を、彼女が有効利用するということだろう。
「了解した。【寒月よ輝け。凍てつく霧を放て】」
寒々しい冷気の霧が辺りに満ちる。場を冷やすしか能がない、ただの冷たい霧だ。
《そのまま出し続けて。【
その冷気をニーナが使う。
彼女の呪詞によって、クドラクの背中に冷気が集まり、カマキリじみた鎌を形成した。
《目につく奴を切り刻んでいくから、回避と移動に集中してていいわよ》
「わかった。【
普段はバリア状に展開しているエネルギーを、赤いオーラのように分散させる。
防御力を捨て、移動力に転換したオーラ――それが足裏と手の平に集まってきた。
基本的に、筋肉組織に石が混じりつつある現状では、四肢をまともに動かすことは困難だ。
そんな状態でも戦えるように、彼は筋肉に頼らない戦闘スタイルを確立していた。
四肢に集めたエネルギーを爆発させ、その推進力と慣性によってのみ移動するのだ。
「「「ギイイイィィィッ!」」」
ミニ
瞬間、足裏に集めていたエネルギーを爆発させ、狼のように飛び出していた。
すれ違いざまに、氷の鎌が一瞬で怪物達を切り捨てる。
「ピギッ――」
空中でミニ
雷光のようにジグザグに、大鎌が振り抜かれる銀の軌跡を残しながら。
一匹残らず斬りつけた後、敵陣を突っ切った。
「……LOOOOO……」
触手兵士を抜けた先に、
周囲に浮かんでいた複数の圧縮水球が、クドラクを潰さんと迫ってくる。
本来は、
それ故に、この状況では一手遅い。
「しいっ!」
蛇の威嚇音じみた短い息とともに、クドラクは前方へと一直線に飛び出す。
もう
「RRRr――!?」
思わずのけぞる肥満体を、氷の両鎌がX字に切り裂いた。
灰色の血液がほとばしるも、首の断面にある球からカウンターのレーザーが飛ぶ。
見事、閃光はクドラクの額を撃ち抜く――前に、クドラクは腹這いになってかわした。
(機動性に難ありだな。肉に寄生している以上、反応が一手遅れるのか)
背中の大鎌が縦に振り抜かれ、
ピキピキと肉体が凍っていく中、でっぷりと膨れ上がった腹が破裂した。
【――!】
中に寄生していたスペクター達が、クドラクに飛びかかってきていた。
対するクドラクは人形のように右腕を持ち上げ、ぎこちなくスペクター達へ振るう。
オーラをまとった指先が、彼らを切り裂いた。
(ぎっ――くそっ、痛むな)
割れるような痛みが腕全体に走るが、それでもスペクターを仕留めることはできた。
虚空に溶けていくクラゲを見るに、個々の戦闘力はさほど高くはないようだ。
(……スペクターの真価は、集団戦闘にある。彼らはテレパシー網を使い、リアルタイムで戦況と命令を共有できる。今の状況も伝わっているはずだ)
先程から、スペクターの一個体がメテフィラの声を中継しているのも、その能力によるものだ。
(すぐに増援が来るはずだ。今のうちにメテフィラの下へ急行するか、クルースニクの所まで行くか。……安牌なのは合流だが……)
背後を振り返ると、ぞわぞわと蠢きながら業魔達が近づいてきていた。
対して、今活路を開いた前方に敵はいない。逃げるならこちらヘ、と言わんばかりの隙だ。
(当然、対策されているな。逃げる方向が限定されている。まず合流ルートを潰しにかかるはずだし、彼女の所に行くとなると骨が折れるか)
向こうの狙いに乗りつつ、メテフィラの下へと急行するのがよいだろうか。
合流ルートほどの敵数は無いように思えるし、どうせ向こうで彼女と合流できるだろう。
(……クルースニクと出会った当初、僕は心停止により臨死した。もう、その対策はしてある。短時間なら戦闘続行可能だ)
ならば、このまま虎穴に入るか。
病で死ぬ前に、敵の息の根を止めればいい。
「……ニーナ、このまま中枢部へ突っ込もう。さしあたって聞きたいことが一つ」
《何かしら?》
クドラクは声をひそめて言った。
「空気を凍らせるなりして、即席の酸素ボンベのようなものを作れないか? ……できるようなら、中枢まですぐに着ける方法を知っている」
――――――――――――――――――――
同時刻、クルースニクとリトーは、壁や床を破壊しながら館内を進んでいた。
「おらあああっ!」
何発も石壁を蹴りつけると、ようやく轟音とともに壁材が吹き飛んだ。
空いた穴の向こうに控えていたのは、僧服をまとったクラゲ頭の宦官達だ。
「@$#&*%!?><ッ!」
「うわっ、やば」
突如として飛んできた水圧カッター群を、クルースニクは壁に身を隠すことで逃れる。
対するリトーは、マントから砲丸のようなものを取り出し、隙を見て穴へ放り投げる。
「クラゲどもが! これでも食らえッス!」
赤い閃光とともに爆風が穴から吹き出し、壁向こうから悲鳴が聞こえる。
すぐに二人は穴の中に入り、煙が立ち込める部屋内を蹂躙しはじめた。
「討ち入りだあっ! 退かなきゃ死ぬよっ!」
回し蹴りでクラゲ頭の宦官を粉砕し、爪を振るって別個体を六頭分する。
残骸から出てきたスペクターを踏み潰し、背後から迫ってきた敵を裏拳で仕留める。
「おっ? ……いい長物じゃん。借りるよ!」
壁に立てかけてあった長刀を取り、霊気を込めて振り抜く。
飛びかかってきた業魔達の頭がスライスされ、灰色の体液が地面にぶち撒けられた。
(……うへぇ〜〜、汚い血の色だなあ。普通とは違った変な臭いもするし……)
例えるなら膿と薬液が混ざったような、生理的に吐き気をもよおす臭いが漂う。
鋭敏な感覚を持つクルースニクには、常人以上に嫌悪感をもよおす臭気だった。
「――&*%!?>――」
切ったはずの肉塊がうぞうぞ蠢き、でたらめに再生しはじめようとする。
すかさず、懐から氷結晶を取り出す。
「【
結晶を軽く振りながら命ずると、きらめく白い雪風が辺りに満ちた。
肉塊がピキピキと凍っていき、中に潜んでいたスペクターごと氷の彫像と化していく。
「いちいちとどめが必要なのが、どうもねー」
「面倒っスよね。何の材質で作られた肉なのか知らないっスけど、再生力がうっとおしい」
ボヤいていると、天井から声がかけられた。
《見事。その種類は『
天井から無機質な解説がひびく。
先程からちょくちょく解説を入れているが、クドラクにも似たようなことをやっているのだろうか?
「ずいぶんとお喋りなんだね。そんなに手持ちのオモチャを自慢したかったの?」
《肯定。研究の秘匿性ゆえに、これまで成果物をお披露目する機会がなかった。解説できて嬉しい》
挑発してみたが、効果はなかったようだ。
素直というか天然というか……彼女には言葉や感情をつくろう素振りが見当たらない。
モルモットとして自分達を認識しているからか?
《もっとも、貴女達には簡単すぎてつまらない相手だったか。別の者に応対を任そう》
後方の穴向こうにある廊下で、湿った何かが落ちる音がした。
振り向くと、あらゆる海産物を集積したかのような醜悪な肉塊がうごめいていた。
体長は10mほど。四つん這いの猿じみた骨格をしており、イソギンチャクが密集したような頭部をぶるぶる振るわせている。
《玩具紹介。『
フジツボに覆われた背中から、無数の小さな魚型業魔が吐き出され、宙を舞い始めた。
体中から生えたタコの触手が鎌首をもたげ、闇を攪拌するかのようにのたうつ。
(……面倒そうなヤツ。避けて通りたいところだけど、前にも何か来てるな)
パチパチと耳元で静電気がささやき、直感が前方にある危険を知らせる。
直後、天井を吹き飛ばしながら、巨大な灰色の触手がぬらりと現れる。
その穴から、ぼとぼと落ちてくるのは『
「……質はともかく数が面倒っスね」
「一々関わってられないよ。……出入り口が塞がれた。また壁を壊しながら進むよ」
「了解っス」
背中合わせに構えながら、ひそひそと打ち合わせを行う。メテフィラの呑気な解説が続く。
《補足。今いる御殿そのものが生体業魔の一種であり、全ての防衛戦力は壁の内にある血管パイプを伝って全部屋に送れる。その巨大な
館内の全勢力を自在に配置できるわけか。おまけに敵はこちらの位置を常に把握できる。
《自己修復も可能で、スペクターへの滋養を産む生産設備にもなる。畑と要塞の両側面を持つ。無駄のないシステムだと思わないか?》
大水路自体の設備もそうだったが、メテフィラは巨大な人工生物を作る能力に長けている。
パイプはキチン質の血管で、貯水池の管理設備は巨大な内臓でそれぞれ造っていた。
これが彼女の研究テーマということなのか。
《他にも玩具は揃っている。死なないうちに投降した方が――ん?》
ふっとメテフィラが沈黙し、一瞬だけ何かを叩くような音が天井から聞こえた。
《――ほう。Mr.クドラクが館内から消えた》
(……え?)
《面白い。呪いに透明化の作用があるか、物に擬態できるのか。はたまた》
その時、手に持っている氷の端末が震える。
それが音声通話の示しであると、ニーナと付き合いの長いクルースニクは知っていた。
敵に内容を聞かれないよう、耳元に当ててニーナの小声を聞く。
《――クドラクは中枢に向かっているわ。今から言う方法で合流しに来て。まず――》
――――――――――――――――――――
スペクターにはテレパシー網がある。これは呪いとは関係ない、種族としての特性の一つだ。
それゆえか大半のスペクターは個の意識が希薄で、アルファ個体の命令に絶対服従しやすい。
その特性をさらに強化するのが、この御殿や大水路を構成する生体機械だ。
内部の神経系を使って、大脳部位――御殿最奥のコントロールルームやメテフィラの私室に情報を集約させ、リアルタイムで状況を把握できる。
それでスペクターを動かしつつ、館内の状況を把握しているのだが――クドラクの姿が無い。
手勢の業魔に消失ポイント付近を探させてはいるが、やはり見つからないようだ。
(ふむ……危惧。この間に私室まで来られると具合が悪い。私とて戦闘には自信があるが、彼レベルの狩人を相手取ると万が一があり得る)
物量での封殺が理想だったのだが、と玉座のメテフィラが霊的ホログラム画面に目を走らせる。
【待て。O201、壁際の亀裂を見ろ】
一匹のスペクターが中継している視界が気になった。消失ポイント近くの御殿廊下にて、壁際に薄く亀裂が走っている。
壁からの滲出液によって塞がりつつある傷だが、つけられてそう時間は経っていない。
(……パイプの中に潜り込んだか。館に引き込んだ時とは違って、彼を触手で拘束してはいない。自由に動けるというわけか)
となると、心臓めがける静脈の血流がごとく、この最奥部に迫ってきているのか。
(予想外の一手だ。普通の生物と同じく、この館に血流を止める機能は無い。……息継ぎのタイミングでパイプ外に出たところを捕えるか? いや、呼吸の問題は解決しているかもしれない)
侵入を止める方法を考えて、数秒で「不確実」との結論を出す。
効くかわからない一手を打つよりは、防衛に力を回した方がよい。
相手がこちらに来るのは許容して、出現したタイミングで確殺できる体制を整える。
確実な一手は、水没だ。
部屋を水に沈め、海棲業魔で防御を固める。
霊体の自分は呼吸を必要とせず、狩人達は呼吸せねば生きていけないからだ。
(貯水池の水を引き込むことはできない。敵の工作で空になっているからだ。……水量が足らないなら、この部屋のみピンポイントで水没させるか。それでも半分だけが限度だ)
玉座の肘かけに露出した神経網に、生白い細指を沈ませる。
四方の壁に穴が開き、滝を部屋に注ぐ。
妖しく発光する滝が、ハスの花が浮かぶ水面をみるみる上昇させていく。
(……だが問題ない。配下をここに集中させ、その物量をもって水中戦を仕掛ける。地形と兵数がこちらの味方だ)
玉座で目を細めるメテフィラの姿が、ゆっくり発光する水に沈んでいった。
水中の透明度自体は高く、プール内のように部屋全域を問題なく見渡せる。
壁の穴から落ちてきた水棲業魔が、どぼんと音を立てて水中に飛び込んできた。
(来るがいい。物量で圧殺されに、な……)
カプリコン。レモラ。スペクター。
他にも自分が作った
彼らが殺気だって集合し、メテフィラの周囲でファランクスじみた陣形を取る。
そのまま待つこと数分――どぽんと音を立てて、一匹の魚が水中に飛び込んできた。
普通の魚が住めるような環境ではない。メテフィラは杖を魚へと向ける。
【やれ。おそらくあれが敵だ】
瞬間、配下の業魔達がいっせいに呪いを練り、水圧カッターを剣山じみて放った。
たちまち魚影が幾度もうがたれ、肉が散り散りに四散する。
そこから何かが起こる気配もない。
(本当にやっただと? ずいぶんと無抵抗な……)
違和感を覚えたメテフィラが、魚が四散した辺りをじっと見つめる。
黒い影のようなものが、不可思議な光をたたえる透明な水に溶けていく。
その時、第六感が警鐘を鳴らした。
(――後方!)
杖を後方へ薙ぐのと、周りを固めていた部下達の頭が破裂するのが同時だった。
傷跡には、霊体の花が咲き誇っている。桃色の淡い燐光とともに甘い香りが漂う。
水中なのに匂いを感じるなど異質だ。そういう呪いを使えるのだろう。
花が咲いた死体の一つ、
縦に割れた胴部の傷跡から、ぬるりと黒髪の少年が躍り出て、鍔迫り合いの体勢に入る。
【……配下の肉に潜んでいたか。私の行動は読まれていたかな】
蛇の目がこちらを見据える。水中という死地においても、焦っている様子がない。
その口元には氷の面頬がある。一眼見て、メテフィラは内部構造を把握した。
(酸素を凍らせたものを中に入れ、解凍させながら呼吸している? なら、水中でも行動できるのか)
だが、地理的優位性が損なわれた訳ではない。まだ水中での機動性は己が上だ。
敵は病み上がりであり、水中での高機動戦に耐えられない可能性が高い。
すぐに杖を手放して、距離を取らねば――手が杖から離れない。
(むっ!? まさか!)
氷に張り付いているかのように、剥がそうとすると痛みが走る。
手元を見ると、ピキピキと杖の周りにある水が凍っているのがわかった。
よく見ると剣も氷でできており、その柄には大きな氷結晶が埋まっている。ニーナの端末だ。
【――氷か! インファイトが狙いだな!?】
「……当たりだ……動き回られると、貴女に攻撃できないからな……【寒月よ輝け! 周囲に檻を形成せよ!】」
苦しげにうめきながら、クドラクがメテフィラのえりをつかむ。
そのまま玉座に押し付けながら、自分とメテフィラを包むように氷の繭を形成した。
TIPS:『肉体』
太古、冥府より現世に移住してきた業魔達が、塩の海より精製した物質の鎧。
物質を消化して霊的エネルギーを生じさせ、中の魂に栄養を補給する機能を持つことが多い。
特にヴェレスとペルンは肉体製造技術に長け、自らの子等に惜しみなく肉体を与えたという。
当時の設計図は方々の遺跡に散っており、メテフィラは400年前からそれらを探索していた。
結果、南方にて「北斗星君」と呼ばれていた古代生物の遺体を発見し、当時の技術の一端を復元できた。
『忌み夜叉』が北斗七星の名を冠するのは、こうした背景から名付けられている。