『血塗られた月のクドラク』〜余命わずかな病を克服するため、闇の王へと堕ちる話〜 作:人見 広介
いと甘美なる歌の調べ。りんと鳴る鈴の音のごとく、燃える街に響き渡る。
罪・咎・憂いを抱きしめるような、嘆き・悲しみに沈んでいくかのような。
ソプラノ調の調べが、燃える街に響き渡る――。
【――夜天に満ちる
常世の月ぞ照り渡る
友よ、いざ来たりませ!
恵みあふるる夜ぞ来たれり――】
ここは城塞都市「アラク=マハ」。この地で蜂起した反逆者の名を冠する、罪人の街。
都市の中心部にある「聖ワシリイ大聖堂」の、一番高い大鐘楼の尖塔で、風にあおられながら一人の少女が歌っていた。
黒と青藍の二色で織られた、薔薇のごときドレスを涼風に揺らしている。
ツインテールに束ねた黒髪が、時折、月の女神めいて整った顔をくすぐる。
歳は十代半ば。明らかに高貴な出の少女であり、その所作一つ一つがたおやかであった。
【――星辰そろいて
「罪ふかき世に災いあれ」と
友よ、いざ目覚めませ!
咎人喰らいの刻ぞ来たれり――】
街中で身をよじる炎の海も、所々で響く剣戟や怒号も意に介さず、ただ歌いまつる。
降誕祭を彩る歌姫のように、彼女の声ひとつで教会付近をしんと静まらせる。
パチパチと木材が爆ぜる音すら、その歌声の前には息を殺す――。
【――ああ、尽きることなき怒りと闇よ
この星匂う夜に成就を願わん
狂い抜いて死ね、狗共よ
『惨劇王』の声を聞け
今宵、汝らに神はいない……】
やがて、
小高い場所に建てられた大鐘楼の屋根からは、街全体が一望できる。
街中で踊る炎に、多種多様な業魔の影が見えた。犠牲者を求めて地を這いずっている。
忌まわしい晩餐会――「狂奔」の最中なのだ。
少女は胸いっぱいに息を吸い、血と煙の臭いが乗った夜風を堪能する。
緊張を解放し、ほう、と息を吐いた時――ふっと彼女は自らの吐息に意識をやった。
……白みがかっている。真冬に外へ出た時のように、吐息が白くなっている。
【……ふむ? まだ秋口のはずなのに、もう息が凍てつくものかな】
小首を傾げた少女のうなじに、はらりと白い雪が舞い落ちる。
珠のような白肌にぴとりと吸着し、溶けることもなくピキピキと肥大化しはじめた。
少女の霊的エネルギーを吸って、結晶型に育っていき、氷の棘を身に食い込ませていく。
【ほうほう、これは……もしや、敵の攻撃かな】
ピキピキとうなじで成長する氷に目もくれず、少女は街の様子を見渡した。
まだ降り始めではあるが、しんしんと雪が風に乗って舞い降ちている。
今はまだ、炎の海に飲まれる程度。それでも雪の量が増せば鎮火も叶うだろう。
少女は背後へ振り向いた。城塞近くの広場に、空へ噴き上がる巨大な水柱が見えた。
青白く光っている水柱の飛沫が、風に乗って雪として方々に散っているようだ。
空から降っている雪ではない――つまり、この現象は人工的なものだ。
陶芸品めいた白い指を唇に当て、少女は夜空へ噴き上がる水柱を見つめる。
その背後に近寄ってきたのは、水色のクラゲ型業魔――「スペクター」だ。
街全体の監視・伝令役を務めている。
【スペクター君。メテフィラは?】
【――。――――――】
【なるほど。施設自体は落ちたのかい?】
【――――】
【ふむ、すぐに迎えの子を送ると伝えておいてくれ。なんにせよ無事ならよかったよ】
ほっと安堵のため息をついた後、少女はぱちんと指を鳴らした。
ブゥゥン――と傍らの空間がノイズがかり、フードを目深に被った少女が現れた。
【お呼びですかね、カーミラ様】
【ローラよ。ボクの友よ。そろそろご客人が到着するようだ。歓待の準備をしておいてくれ】
薔薇衣装の少女――カーミラは、自らの忠実な僕に親愛の目を向けた。
薄ピンク色のフード付きケープをまとい、その下にフリルのついたブラウスと、黒いホットパンツを着用している。
侍従――ローラは、兎耳のついたフードの奥から、マゼンタ色の瞳を主人に向けた。
【メテフィラ様からの通信でもありました?】
【うん。『地下はもう落ちたからよろしく』と。あの子は施設内部で捕まったようだ】
【人質に取られたってことですかね? あたしが地下へ行ってきましょうか】
【いや、別の子を向かわせよう。さっきマドウェイが『楽園公』の分身と痛み分けに終わった。休憩させるついでに、地下へ向かわせようか】
先ほどは、アークデーモンの中でも当代最優とうたわれる『皇帝』マドウェイ・ザミャーティンと、この国を治める『楽園公』の分身による、大迫力の一騎打ちが行われていた。
街の一角は消し炭にした戦は終わり、今は演目の途中の小休止といったところ。マドウェイはズタボロの状態で休んでいる。
場の空気をどう保たせるか考えていたところ、新たな役者が街に来ると知らされたのだ。
【そう易々と結界の檻は壊せないだろうが……今のところ人道的な扱いをされているようだし、安全だけ確保できればいいさ】
【じゃあ、お客人はあたしら二人で?】
【それがいいだろうね。連戦続きになるが、せいぜい気張ろうか】
チェスの駒を弄ぶように指をかすかに動かしながら、カーミラは街全体の戦況を見る。
【スペクター君、『繭』の状態は?】
【――――――】
【それなら直にトリのイベントが始まるだろうね。後は流れさ】
【その前に、この雪を何とかできませんかねぇ。チクチク痛いんですよね。敵方にいる冬のお姫様が降らしているものなんでしょうが】
敵手の名はニーナ・スネグラーチカ。公の手勢によって先日処刑されたはずの人物。
生きていることには二人とも驚いていない。
冬の姫の肉体を破壊しただけで、とどめを刺せたと信じ込むのは、物を知らぬ愚か者だけだ。
【止める必要あるかい? こんなにきれいな冬の夜じゃないか】
【そりゃカーミラ様は『きれい』で済みますがね。木っ葉の業魔は、これに触れただけで全身が凍りついて回ってるんですよ】
【なおさら邪魔しちゃダメさ。美しく死ねる機会を得たのだから。美は全てに優先する……】
カーミラが口を吊り上げる。その体から、ゴキリと異様な音がした。
ゴキ、ゴキ――と骨が折れるような音とともに、カーミラの背が膨れ上がっていき――。
ぺりっと皮膚が裂け、モルフォ蝶じみた翼が鱗粉を散らしながら生える。
【雪降る街なんて舞台を来客が整えたのに、水を差すなんて無粋というものだろう? むしろ礼を言いに行かねばね】
【……その翅を出すってことは……まさか、この雪の中を飛ぶおつもりで?】
【ご客人はあの水柱に乗ってくる。ボクがエスコートするのが礼儀というものさ。行ってくるよ】
ブゥン――と残像のみを残して、突風とともにカーミラの姿が屋根からかき消えた。
風にはためくフードを手で押さえながら、ローラが夜空を見上げる。
星々がまたたく空へ、構造色の翅をはためかせながら、巨大なモルフォ蝶が飛んでいく……。
【……『美は全てに優先する』なんてよく言えたもんだ。まぁいい、不在の間はここを守りますとも】
頻繁に巫女がこちらへ攻め入ってくるのだ。この教会に何があるか知っているのだろう。
礼拝堂の隠しエレベーターから地下へ行くと、カタコンベじみた施設へつく。
その最奥に、「例の繭」が鎮座している。
【ですが、こうも拠点を留守にされると、化け物が来た時が困るじゃないですか。敵は巫女や狩人だけじゃないんですよ? ククク、ほらぁ――】
ローラが笑いをこらえながら見る先、遠くの星空にぽっかりと暗黒の空間が開く。
ここからは豆粒ほどにしか見えない黒暗。
その縁をがしりと脚でつかんで、「何か」がずるりと闇から這い出てきた。
山羊のごとき多脚を持ち、でっぷりと肥えた体で浮遊する肉塊の島とでも言うべきものだ。
タルサデューク公の作品、「アルゴス」。多くの邪眼を持ちし『浮遊する死』。
あの肉塊の中から、腐った死骸のような悪意が街全体に向けられているのを感じる。
【――蟲もどき公のお出ましだ。これで四つ巴になっちゃいましたよ。ハハハハハ……】
「タルサデューク公」と呼ばれているモノが、この街に到着した。
狩人と巫女を殺すために。
そして、勝手に暴発した自分達を殺すために。
第八話
終わらぬ夜祭のアラク=マハ
コックピットの外は蒼白一色。ゴポゴポと水をかきわける音だけが響く。
一寸先も見えない状態だが、これでも巨大なパイプを高速で泳いでいるはずだ。
灰色の肉塊めいたコックピットに詰めるクドラク達からは、今の道程がわからないが。
《うふふふふ、いい混乱ぶり。爽快だわぁ》
脳をくり抜いたような座席には、巨大な氷の塊が寄生している。ニーナの端末だ。
先ほどから彼女は愉快そうに笑っている。アラク=マハの街を先んじて攻撃しているらしい。
「どしたのニーナ。その笑い方は絶対なんかやってるでしょ」
《貴女達が来るまでの間、ここの水の霊的エネルギーを使って、街中に雪を降らせているのよ。敵がみるみる減っていくわねぇ》
「水路内の敵を全滅させた時のアレか? 無差別に攻撃していないか、それ……?」
狭いコックピットに三人で身を寄せ合いながら、クドラクが頬を引きつらせる。
水路内でニーナが吹雪を吹かせたときは、リトーの風なくばクドラク達もダメージを負っていたはずだが。
《巫女には許可を取ってるし、一般人はもう地上を出歩いてないし、大丈夫よ。巫女はフードローブを着ているから、雪は服の上で溶けるしね》
「確かニーナさんの雪は、生物や霊魂に寄生する類のものだったッスよね。無機物に遮断されると無効化されるんでしたっけ?」
《そうね。服越しとかもちょい厳しいわ》
「無機物に遮断されると無効化される」――地下施設の生体機器に寄生できたのは、それらが生物だったからなのか。
となると、地上では同じようにはいかないかもしれない。
「……地上の建物は石造りが多い。それらの屋内だと雪は効力を発揮しないということか?」
《正確には寄生できないだけね。氷の塊で物理的に破壊するとかはできるわよ。屋根に雪を集中させて、重みで天井をぶち抜くとかも》
やっていることがほぼ気象そのものだが、逆に言えば単体の目標を仕留めるには向かない呪いなのかもしれない。
知恵の回る業魔が相手なら、ダメージは限定的なものになるだろう。
《まぁ広範囲に満遍なく雪を降らせている現状だと、細かい操作は効かないから……屋内にこもられると面倒ね》
「それでも被害は抑制できるッスからね」
「敵が集中している場所はわかるの?」
《わかるわよ。地上に出たらナビゲートするから、順繰りに穴熊している連中を殺せばいいんじゃない。私もすぐに合流できるし》
その言葉を聞いたクルースニクが、嬉しそうにほほ笑む。
「本体の核がそこにいるってこと? いいね、また一緒に戦えるんだ」
《そういえば、最後に貴女と冒険したのは春頃だったかしら。月日が立つのは早いわねぇ》
「……? 今の話を聞くに、端末越しじゃなくって直接僕らに合流できるのか?」
《そのとおりね。実力は期待してくれていいわよ》
これまで端末越しのやり取りだけだったが、本体と街で落ち合えるらしい。
ホリフツィで聞いた彼女の人相は、確か「オーロラのようなマフラーを身に着けた青白い髪の少女」だった。
会えばすぐ彼女だとわかるだろう。
《……そろそろパイプを抜けて、水流に乗りながら街の上空へ飛び出す。適当な場所で下ろすから、戦闘準備をしておいて》
「「「了解」」」
ゴウン――と音を立てて、今乗っている生体機体『
ヒレや背部のスラスターからジェットを吹き出し、蒼白の水流をぐんぐんと登っていく。
加速によって三人が座席に押し付けられる。
やがて、バシュッ!と音を立てて、噴水の中から機体が飛び出した。
コックピットを濡らす青白い水膜の向こうに、満月が照り輝く星空が見える。
数時間ぶりの地上だ。
『
星空だけだった視界が下がっていき、徐々に街の様子が目に入ってきた。
――あちこちで火の手があがる街の様子が。
円形の城塞に囲まれた雪降る新都は、降雪の中でなお黒煙と炎を噴いていた。
血に塗れた通り。
家々の窓際で影のごとくうごめく業魔達。
半分近くの建物が倒壊しており、火炎旋風が愛しげに瓦礫をなぞっている。
「うっ、こいつは……」
「生存者がいるか疑わしくなる惨状ッスね」
《普通にいるわよ。死傷者は住民の一割だけだし》
ニーナの言葉に、逆の意味で三人は驚いた。
「えっこの惨状で一割? 死傷者ってことは、死者はもっと少ないの?」
《地下施設を攻め入る前に、クドラクが巫女に使い魔を出して状況説明していたじゃないの。あれから各街で巫女が厳戒態勢に入ったのよ》
その言葉だけでクドラクは現状を察した。
元々、彼は巫女の退魔部隊に派遣されていたことがある。
「『
「
「大きな街によくある防衛設備。街の各所に植えた世界樹の苗が、業魔災害が起こった瞬間に住民を異界へ避難させる」
数十年前から大都市を中心に配備されている、『楽園公』珠玉の防衛兵器だ。
世界樹の苗が土地に根付くまで長い時を要する等、配備までの課題が多くあるものの、一度根付いてしまえばその街は不落と化す。
「おそらく、厳戒態勢に入った時点で、巫女は街に植えた世界樹を起動させたんだろう。世界樹は花粉を散らし、生者の服や気管に「マーキング」を行った。後は、異変が起こった瞬間に異界を作り、街の人々を中に転移させるだけだ」
こうした業魔災害に対する防衛インフラ構築も、ゼムリアの巫女の務めだ。
祈祷だけが能の集団では決してない。
「つまり、連中の襲撃は失敗したッスか?」
「……人的被害は抑えられただろうが、メテフィラの話にあった本命の目的は完遂されそうだな」
「アラク=マハの復活のこと? まぁ、街の崩壊ぶりを見る限り、さっきまでは業魔が優勢だったみたいだしね」
むしろ、万全の状態で迎え撃った巫女をして、業魔達を止めきれていないと言うべきだ。
普通は秒で鎮圧してみせるはずだ。クドラクは巫女達の熟練度をよく知っている。
……予想以上に敵が強大なのだろう。
雪の中で燃える街を見るに、いくつかの瓦礫の山では人影と業魔達が熾烈に争っていた。
雪でダメージを受けているのか、大概は業魔が屋内に退いていく。
すでに民間人を避難させたからか、建物の損壊など全く気にせず巫女達は戦っているようだ。
(戦況が変わったとはいえ、敵兵は数が多いみたいだな。まだ家々の窓に多く見える)
さて、どこから攻めるべきか――クドラクが考えていると、クルースニクがふいに呟いた。
「……ねぇ、皆。あれなに?」
彼女は、星がまたたく夜空を指差す。
美しい天の河から青い星雲までが、宝石箱のようにさんさんと輝いている。
その中央には、薄雲のヴェールをまとった満月が昇っており、たおやかに口元を雲で隠している。
……クルースニクの指の先をよく見ると、青白い尾をたなびかせる彗星が落ちていた。
深みのある青の構造色をした彗星で、星空を裂きながら満月へと落ちていく。
一瞬だけクドラクは彗星に見惚れた。
「……きれいだな。こんな時でなければ――?」
二の句は継げなかった。深みのある青の彗星が、満月をバックにぴたりと止まった。
満月をバックに――つまり、あの物体は宇宙をさまよっているわけではない。
街の空を優雅に飛んでいたのだ。
ばさり、と音を立てそうな勢いで、彗星は青白い翅を展開した。
優雅で巨大な四枚の羽を、満月をバックにひらひら動かしながら、浮遊している。
……その物体は蝶のように見えた。遠近感が狂っているほど巨大なモルフォ蝶だ。
蝶が翅を動かすたびに、星雲めいた鱗粉が出る。
「なんだ、あれ。蝶にしては――」
「ごめん自己解決した。敵だよ。たぶん、今まで会ったやつの中で一番強い」
「「……え?」」
「来る。皆、衝撃に備えてッ!」
クルースニクが叫ぶと同時に、巨大モルフォ蝶の姿が残像のみ残して消えた。
どこへ――眼前に迫っている。『
青色の複眼がコックピット内をのぞいてくる。
「「《――は》」」 ――速すぎる――。
「危ないッ!」
クルースニクが、クドラクとリトーの両肩を抱き寄せた瞬間、轟音とともに機体が三回転した。
青白い巨大蝶が右ヒレをもぎ取りながら、機体を蹴り飛ばしたのだ。
コックピット内の景色が勢いよく回転して、遠心力で三人の体が透明な膜にぶち当たる。
「ぐうえぇぇえああっ!?」
「……ッ!」
「――ぐっ……なんだ、今の速さ……!」
《姿勢を戻すわよ!》
コックピット内の氷塊がチカチカ光って、『
水平に戻った空間で、三人は座席の上に落ちた。
「あだっ!? あ、ありがとうございます……クルースニクさん……」
「二人とも無事!?」
「……僕は問題ない。ありがとう、クルースニク。やばい奴に目をつけられたな」
コックピットには亀裂が走っている。後一度でも今の衝突を食らえば空中にダイブするだろう。
正気づいたクドラクが外の景色に目を走らせる中、リトーが内部の生体機器をつかむ。
「【黒旋風よ吹け! 神風の籠を展開しろ!】」
黒い颶風が『
このバリアの堅牢さは地下水路で知っている。次の攻撃には耐えられるはずだ。
「当て逃げとはナメた真似をする奴っスね。今どこにいるッスか?」
「見えない……星空以外は何も……」
《左後ろよ》「左後ろについてきてるッ!」
ニーナとクルースニクが警告したその時、コックピットの作法が青く輝きはじめた。
星雲のごとくきらめく鱗粉を放ちながら、彗星めいた巨大蝶が前へ出てくる。
『
【やあ、遅かったじゃないか。メテフィラから話を聞いてるよ。相当に腕が立つんだってね】
鈴のように笑う少女の声――このモルフォ蝶めいた怪物は、どうやら女性らしい。
星空のような複眼でコックピットを見つめてきた怪物は、慄然とする一行をじっと見つめた。
【クドラク君とクルースニク君は、そこの白黒コンビかな? 英雄の相が出ているね。犬耳の子もいい面構えをしている】
「撃て、ニーナ!」
言い終わる前に『
ほぼゼロ距離射撃だったが、瞬間、巨大蝶は残像を残してかき消える。
どこに消えた? クルースニクが叫ぶ。
「右側にいる! ニーナ、振り切って!」
「馬鹿な、どうやって反対側まで――」
【お初にお目にかかる。ボクの名はカーミラ。この大祭の主催者代理だ】
確かに巨大蝶――「カーミラ」と名乗った業魔は、コックピットの右側に移っていた。
純粋なスピードで攻撃を振りちぎった? 動きも捉えられない速さで?
【今宵はボク達の舞台へようこそ。君達のような貴人をお招きできて光栄だよ、「
「
雅なあだ名を考えつくものだ。こうした余裕ぶった手合いは例外なく強敵と決まっている……!
《ちっ。振りちぎってやる……!》
『
体が座席に押し付けられる。Gから分析するに先ほどまでの三倍は速度が出ているはず。
……なぜ……巨大蝶が自分達の前へ出ている!?
《お尻を振ってるんじゃないわよ!》
『
カーミラは砲塔から放たれた生体弾をかわし、不規則な軌道を描いてひらひらと飛ぶ。
かと思えば、また残像だけを残してかき消え、次に現れたのは――はるか前方の星空。
ここからは豆粒大にしか見えない――。
「今の速さ……やっぱりおかしいッス。この距離から瞬時に距離を離せるなら、音速以上で風を押し除ける衝撃波が出るはずっス。今の加速でもさっきの衝突でも、それが出ていなかった!」
風を操る呪い師ゆえか、リトーが喝破する。
確かに先ほどの衝突にしても、そんな衝撃波の音は聞こえなかった。
特に今の加速はほぼ無音に近かった。
「多分、空間転移に近い呪いっス!」
「私もそう思う。いきなり別の場所へと消えたみたいな移動の仕方だった」
《なおさら対処のしようが無いじゃないの。あいつまた突っ込んでくるわよ》
巨大蝶は彗星のごとく旋回し、夜天であでやかにほほ笑む満月を背にした。
くるりと優雅に翅を回転させ、蒼白の鱗粉を雲のように撒き散らす。
はるか遠くから殺気がこちらに届く。
「ニーナ、逃げ切れる?」
《無理ね。こっちの至近距離までワープしてくるってんでしょ? なら――》
『
同時に薄い膜のようなバリアをまとう。
《――迎え討つ。防御を固めておいて》
「了解。【紅き月よ来たれ。結界の膜を張れ】」
「【黒旋風よ吹け! 神風の籠を重ねろ!】」
「【白き月よ来たれ。結界の膜を張れ!】」
コックピット内に結界が張られるのと同時に、モルフォ蝶がまたかき消える。
次の瞬間には、『
(
カーミラという名前には聞き覚えがある。特徴的な呪いを有する災厄級業魔だったはずだ。
その力に思い当たったクドラクは、慌ててニーナへと叫ぶ。
「待った! やっぱり避けた方が――」
《もう方向転換できないわね!》
『
即座に穴だらけのミンチと化した巨大蝶が、青い鱗粉の大爆発を起こす。
鱗粉でできた霧の中を、一行は突っ切った。コックピットに満ちた緊張感がゆるむ。
「……やった、っスか?」
《やったわけないでしょ! 呆気なさすぎる!》
突如、がくんと機体が揺れる。巨大な何かにつかまれたかのように。
機体に青白い鱗粉の雲がまとわりつき、そこから出現した脚がこちらを拘束したらしい。
鱗粉の雲が固まって、また巨大なモルフォ蝶を再構成した。
【空を飛び続けられるのは具合が悪くてね。恐縮だけどいったん地上席へご案内しよう】
『
ぐんと負荷が体にかかり、一瞬だけ意識が振り切れそうになった。
今、機体は下方へと加速している。
(これは……地面に叩きつけるつもりか!)
そのまま巨大蝶はぐんぐんと下降し、燃え盛る街めがけて落ちていく。
「飯綱落とし」――落下時のGに耐えるクドラクの頭に、ふっとその言葉が思い浮かんだ。
《この距離なら!》
砲火やビームが巨大蝶を射抜くも、青い鱗粉が散ったかと思えばすぐに体が元通りになる。
まるで幻影に攻撃しているかのようだ。この間にも地面が迫りくる。
墜落まであと数秒といったところ。
「どういうカラクリで生きてるのさ! 至近距離で攻撃されてるのに!」
「……カーミラ・マルシャーク。別名『
過去に読んだ文献をそらんじつつ、コックピットを覗き込んでいる怪物をにらむ。
「あの鱗粉をまとっている間、カーミラは幻に近い存在になる。肉体が非実体化するんだ。攻撃は通らなくなる。……交戦記録に載っていた」
【ふふふ、よくご存知だ! さらに教えておくと、幻の体なら質量はないし、物理座標だって好きに弄ってワープできるのさ。驚いたかい?】
芝居がかった言葉を吐きながら、ガラスの向こうでカーミラが複眼を笑ませる。
空想の実体化による幻想的弾幕と、この本人の言動から、『
【しかし、君達は実にタイミングがいい。ちょうど役者がそろったところなんだよ。なにせタルサデューク公の手勢がさっき到着したのさ】
「何……!?」
【君達にとっちゃ因縁の相手だ。どんな物語を生み出してくれるのか期待してるよ。もっともボクとも踊ってほしいものだけどね】
死体が積まれた広場が迫ってくる。もう墜落は止められない。
コックピット内の全員が墜落衝撃に備える中、カーミラは自殺的に速度を上げていく。
【なにせ、こんなに星が匂う夜なんだ。皆と踊り狂わなきゃ損だ。アラク=マハの再誕を祝うこの夜祭を、ぜひ特等席で楽しんでくれ……!】
「皆、落ちるよ! 衝撃に備えて!」
クルースニクの言葉に従って、三人は生体機器にしがみつきながら防御を固める。
『