『血塗られた月のクドラク』〜余命わずかな病を克服するため、闇の王へと堕ちる話〜   作:人見 広介

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2-3:白い月の少女クルースニク③

 

 

 

 Dr.サルトゥイクから早めの朝餉をいただく。夜明け時には出立するつもりだった。

 羊肉の入った麺料理や、濃厚なミルク粥を前にして、二人は獣のようにがっついた。

 喉を鳴らしてミルクを飲んだ後、クルースニクは喜色満面の笑みを浮かべる。

 

「……おいしい。クドラク君、これおいしいよ!」

「チーズもイケるし、肉も出汁が染みている……さすがは遊牧民族。肉料理がうまい……はむっ」

「クハハハッ! 食が捗るようなら、もう体調は回復したようですな。お気に召したなら幸いだ」

 

 Dr.サルトゥイクはひとしきり笑い、麺料理を口に運んだ。

 黄金の覆面が水のように波打って、手元のフォークを口まで透過させる。

 

 食事の最中でも覆面を外さないことは、すでにクドラクは知っていた。

 クルースニクは初めて見たようで、物珍しげにDr.サルトゥイクを見つめる。

 

「……不躾な質問だったら申し訳ないけど、なんでおじさんは食事中でも覆面を外さないの?」

「昔からの癖ですな。今でこそ『サルトゥイク』と名乗ってはいるが、昔は別の名と地位を得ていたものでして。昔の吾輩を知られるのが嫌なのです」

 

 彼は正体不明であることを好む。

 素性に関する質問をのらりくらりとかわし、風呂以外の片時も覆面を外そうとしない。

 数年来の付き合いであるクドラクも、同部族の者すらも素性を知らない。

 

(……教授が歴史の表舞台に立ってから、ざっと百数年は経っているはずだが。実年齢はもっと年上ってことなんだろうな)

 

 深入りすべきではない、とは感じていた。

 藪蛇になるからではない。相手が触れられたくない以上、余計な詮索は不躾である。

 

「まあ、長く生きてきたおかげで、実力だけは相応に身についているつもりです。本来ならお二方の旅に同行したいのですが……」

「狂奔の後始末をしなければならないだろう。あまり僕のことは気にしないでほしい」

 

 旅の方針をはっきりさせてくれただけでも、かなりの恩義を感じていた。

 この上に同行いただくようなら、クドラクの方から申し出を断るつもりだった。

 

「面目ない。代わりと言ってはなんですが、吾輩の指輪をお渡ししましょう」

「指輪……?」

「内部に込めた死霊を呼び出して、従えることができます。戦闘時の秘密兵器も込めておりますぞ」

 

 Dr.サルトゥイクは、懐から指輪を取り出す。ドクロの意匠が施された鉄の指輪だ。

 

「どう使うかは、後でお教えしましょう。六百あまりの死霊を詰めているから、数合わせの雑兵はこれで足りるはずだ」

「……これ、前に話していた『影の大隊(アンブラ・レギオン)』か? 僕が使ってもいいのか」

 

 Dr.サルトゥイクの研究は多岐に渡る。この指輪も研究の産物だ。

 死霊の軍勢を操る指輪、と聞いている。

 

「クククッ、特別ですぞ。戦闘で壊れても構いませんから、好きに使い潰してくだされ」

「……ありがとう。何から何まで」

「お気になさらず。まあ、吾輩の玩具を上回る逸物が、公の邸宅で襲いかかってくるかもしれませんからな。それが役に立つといいのですが」

 

 太古にいた業魔の子を産み出してまで、『何か』を公は求めている。

 それが何かは知らないが、実験の副産物が故郷で牙を剥く可能性は充分にあった。

 

「……もし公が実験をしていたとして、楽園国の法律ではどう裁かれるんだっけ?」

「重罪扱いだ。少なくとも本人の死罪は免れない」

 

 ハリストス楽園国は狩人の国だ。

 『業魔から民を守ること』が国是の一つであり、聖林主導で日夜業魔を狩り続けている。

 それもあって、業魔を活用する研究は基本的に違法であり、混血(ドレカヴァク)の製造も重罪となる。

 

「マヤコフスキー家は、魔王統治時代の反乱軍に属していた狩人からの系譜……今代の公も、清廉潔白な人物と評判だったはずなんだが」

「確か、四十歳の頃は優秀な狩人でしたぞ。領内に沸いた業魔の群れを、民をかばいながら命からがら討伐した武勇伝があったはずです」

 

 過去や素性については知っているが、人格や素行となると聞いた覚えがなかった。

 英雄旅団(ボガトゥイリ)でも、彼に関する情報はほとんど入ってこなかった。

 彼の領内で起きた業魔災害は、基本的に内々で処理される。こちらに依頼が来ることはなかった。

 

 ただ、各地の公が開くパーティに呼ばれた際、ある程度の話は聞いたことがある。

 

「……彼には二人の娘がいた。どれも二十数年前に業魔災害に遭って、全員が死亡している。他に子供はいなかったはずだ」

「二十数年前……なら、私達の産みの母親は?」

「わからない。他に私生児でもいたのかも。……それにしたって腑に落ちない話だが」

 

 仮に公が人体実験に関与していたとして、被験体が血縁者である必要があったのだろうか?

 普通なら、身内を使い潰すのはリスクがある。

 

「ともかく、行けば全てわかることです。旅立つ前にいくつかのアドバイスを伝えておきましょう」

「お聞きしよう」

「まず、お二方を結ぶ管について。吾輩の見立てによれば、管の有効距離はせいぜい100m程度。それ以上離れると、思念が充分に届かぬ恐れがある」

 

 つまりは、再び体が石化しはじめるのだ。互いに揃って行動する必要があるだろう。

 

「次に、お二方の呪いについて。お互いに『月』を本質とする呪いを得ておるでしょう」

「……少し珍しいよな。『炎』とかの自然現象がテーマの呪いなら、本質が被る事例は聞いたことがあるけど、『月』は彼女が初めてだ」

 

 呪いの本質とは、その呪いが引き起こせる超常現象の特性を指す。

 『炎』が本質の呪いなら炎を操る、と言った具合に、呪いには特性があるのだ。

 狙い通りの現象を起こすには、『呪詞』というエネルギーへの命令文を魂から発する必要がある。

 

 例えば、クドラクが得た『紅い月の呪い』は、文字通り『月』が本質の呪いだ。

 月にまつわる諸事象を引き起こすことができ、使う呪詞も月に絡んだ物で占められている。

 

「私が使う『白い月の呪い』は、光を武器に変えたり、レーザーを放つけど……クドラク君は私より多芸だったよね?」

「技の種類は人より豊富だな。狼などの動物に変化したり、水や火を操ったり……他にもできるが」

 

 やけにクドラクが多芸なのは、ひたすら技のレパートリーを増やす訓練をし続けてきたからだ。

 影を操って姿を変化させ、月と海の親和性から水を操る――。

 種類の豊富さは、彼の努力と試行錯誤の証だ。

 

「確か、僕達の親は対になっているんだったね」

「左様。古文書を見る限り、同じ性質の呪いを使っていたそうです。であれば……クドラク殿と同じ技をクルースニク殿は使えるのではないですかな」

 

 教授の指摘は一理ある。自分のノウハウが彼女に活かせる可能性はあるだろう。

 

「少し試してみなされ。管に意識を集中して、イメージや記憶を送り込むのです」

「……わかった」

 

 目を閉じて、精神を研ぎ澄ませる。

 クドラク含む全ての呪い師は、『霊体の視覚』とも言うべき第三の視野が発達している。

 冥府に適応したことで、霊的な感覚が身につくのだ。

 

(ああ、こうして集中するとわかりやすいな)

 

 瞼の暗闇の向こうで、赤色と白色の管がそれぞれ浮かび上がっていた。

 管の向こうには、白い満月のような魂がある。

 その魂に向けて、クドラクは知識を込めた思念を送った。一瞬だけ、赤い管がまばゆく光る。

 

「おおぅっ!?」

 

 ビビッと来たのか、クルースニクが変な声を上げる。クドラクは目を開けた。

 

「一個だけ、僕が使っている『呪詞』を送ったけど……どう? 使えそう?」

「んー、ちょっと待ってね。……【月影よ踊れ! 狼王の形を成せ!】」

 

 少女が『呪詞』を口にすると、その体が急速に白い体毛に覆われ、骨格が変形していく。

 すぐに湖面のような碧眼を持つ白狼に変化した。

 

「これ、クドラク君と会った時のやつだ!」

「……すごいな……本当にできるのか」

「お二人の管を活用しながら、旅を進めるのがよいでしょう。……最後に一つだけ忠告を」

 

 変化を解いたクルースニクを見ながら、Dr.サルトゥイクは声をひそめる。

 

「今、各地で業魔共が活発になっているでしょう。ウチでも小火騒ぎが起きましたが」

「……ああ、そうだね」

「奴ら、草原の動物共も狩ったのですが……一部の業魔達がその魂を蓄え込んで、楽園国の北西方面へと向かっていくのを見まして」

 

 北西方面――今行こうとするタルサデューク公領のある場所だ。

 

「現在、奴らを泳がせながら、後を尾けさせております。……ルートから見ると、タルサデューク公領が終点になると吾輩は見てましてな」

「……現地で一波乱が起きるかもしれないと?」

「左様。同じことに気づいた勢力は複数おりますな。『聖林』の巫女部隊も、騒ぎを起こした群れの一部をわざと逃すことが多くなった」

 

 『聖林』の巫女部隊となると、最高権力者たる楽園公の指示で動いているのだろうか?

 思い当たる節があったため、クドラクは頷いた。

 

「出奔の数日前、楽園公からそんな手紙が師父に届いたな。師父に業魔達の動向を聞いていた」

「……ほう、知り合いで? 姿も正体も知られぬ、御簾の向こうの最高権力者と」

「師父はあの人の友達だから。たまに僕も茶会に呼ばれて、少し話をする機会があった」

 

 茶会で見た彼女は、淡い翠色の髪をなびかせる、白い絹の衣をまとった聖女だった。

 人好きのする能天気な少女で、延々と冗談や世間話を喋っていた。

 ただ、彼女は公的な場では姿を隠す。限られた者しか人となりを知らないはずだ。

 

「へー、すごい人と知り合いなんだね。たしか四百年くらい前から生きている人でしょ?」

「魔王統治時代が終焉する前に生まれたから、そのくらいになるだろうね」

「……くれぐれも、吾輩と親しくしているとは奴に言わないでくだされ。少しばかり因縁がある仲なので、クドラク殿の印象に悪影響があるやも」

 

 Dr.サルトゥイクが口元に指を立てる。心なしか少ししゅんとしているようだ。

 

「因縁? しかし、あの人は公に姿を露わさないだろう。貴方と絡む機会はないような……」

「ごほん、話を戻しますぞ。……他にも北方森林地帯の者が楽園国北西に向かっております」

「うん? 私の故郷からも現地に行ってるの?」

「極北の永久凍土から、冬の王ジェド・マロースの一人娘が。ご存知ですかな?」

 

 クルースニクがぽんと手の平を打つ。

 

「ニーナのことだね。私の友達だよ。なんで楽園国まで遊びに来てるんだろうね」

「後は、イドリシチェ尖塔群の狂科学者や、各地の強盗団などが北西部に移動しております」

「……それらの行き先がタルサデューク公領なら、現地で鉢合わせる可能性もあるか」

 

 魂を輸送する業魔達、同時期に集う人間達、うす汚い所業に手を染める公――これらは災厄の前兆なのだろうか?

 

「……業魔共の動きが特に気がかりだな。何が起きようとしてるんだろう」

「何が起きたとしても、他勢力より先に父君の欠片を確保するのです。巫女共に破壊されたらたまったものではない」

「わかった。後、クルースニクの父親の欠片も、どうにか見つけてくるよ」

 

 そう言うと、横のクルースニクが目を瞬かせる。

 

「私のお父さんの? 何に使うの?」

「貴女の発電体質をどうにかできないかなって……苦労しているんだろう?」

「あー、それか。……んー、昔はともかく、今は生命の危機はない訳だし……二の次でいいよ」

 

 「これはこれで便利だしね」と言って、クルースニクは電気で空中に文字を描いてみせた。

 『ありがとう♡』と書かれてある。

 

「体質は変えれぬわけだし、体に電流の耐性を付与するかどうかの問題になりますな。……アプローチは同じのはずだ。雷はペルンの領域だから……」

 

 ぶつぶつとDr.サルトゥイクが呟きながら、思考の海に意識を潜らせていく。

 

「……うむ、わかりました。ペルンの欠片を見つけたら、吾輩に一報くだされ。可能な限り電流のダメージを減らしましょう」

「あっほんと? それはうれしいな。……ただ、余力があったらやる感じで!」

「クククッ、わかっておりますとも」

 

 Dr.サルトゥイクの金の目が、にやりと笑う。飢えた獣がご馳走を夢想する時の目だった。

 

「しかし、楽しい旅路になりそうですな。きっと多くの血が流れる。忘れられぬ体験となるでしょう」

「……うらやましいかい?」

「ものすごく。吾輩も参加したいくらいだ。何歳になっても戦いは楽しいものですからな。……貴殿らは存分に楽しんでくるといい」

 

 彼は殺し合いが大好きだ。血の沸くような戦闘を大いに好む。

 今の発言にしても他意はないはずだ。

 

(……教授が負った代価は、『殺戮中毒』だったか。代価の中ではポピュラーな部類のものだ。殺しと戦闘が楽しくてたまらなくなる)

 

 彼が率いる黒仏氏族は、『殺戮中毒』を負う確率が非常に高いことで知られる。

 全員が呪い師である彼らは、同時に戦闘狂の集まりなのだ。

 人間だろうが、業魔だろうが、血を流す敵はなんであれブチ殺す――それだけを誇りとしている。

 

(大なり小なり、呪い師は精神に異常を来たしている。代価として恐怖症や倒錯癖を獲得したり、感情の一部が欠落したり……よくあることだ)

 

 だから、呪い師は同族の汚点に目をつぶり、友好的かつ紳士的に接しようとする。

 自らも、呪いの代価で何かが歪んでいるから。

 

 

――――――――――――――――

 

 

 簡単な旅道具をまとめた荷袋を背負い、夜明け時の草原に二人は出た。

 涼やかな風が草を散らす中、昇りつつある朝日へと馬も連れずに歩く。

 

 今のクドラクは礼服じみた白シャツと黒ズボン、黒いビロードのマントを着ている。

 風がマントをめくる度に、赤い裏地が見える。

 

 対する金髪の少女は、首元が花びらのような形をした、純白のマントを着ている。

 白いブラウスの上に、丈が短い黒のコルセットワンピースを身につけている。

 足には獣皮のロングブーツを履いていた。

 

 白いベレー帽を被った頭には、青白い薔薇の髪飾りをあしらっている。

 見慣れない色合いの薔薇を見つめていると、アクアマリンのような碧眼がこちらを見返した。

 

「いやー、奇妙な話だったねー。情報量がいっぱいで疲れちゃったよ」

「僕もだ。……見知らぬ故郷への旅、か。どうにも先行きが不穏だな」

「ま、何とかなるよ! 何が降りかかってこようが、実力で跳ね返してやればいいんだ」

 

 自信満々な言葉に、クドラクは頷いた。

 行く末に怯えても仕方ない。彼らはレールに乗った。終点まで走り切るだけだ。

 障害物は蹴散らす他無いのだ。

 

「それにしても……貴女がいとこか」

「実感ないでしょ?」

「ない。昨日会ったばかりだからかな」

「私もだよ。お互いに、育て親以外に家族はいない状態で育ったじゃん。いきなり言われてもねー」

 

 肩を並べて草原を歩いていると、傾斜の下に広がる丘陵地帯や、地平線の向こうの太陽が見える。

 草原に茂るクローバーの葉に陽光が照り映える。

 

「えへへ、でも二人旅なんて初めてだよ。ちょっとワクワクしちゃうね!」

「……? ずっと一人で旅していたのか」

「うん。故郷を出てからは、ずっと一匹狼だった。人生で初めての旅仲間なんだよ、君は」

 

 楽しげに笑うクルースニクに、目をやる。

 

「なぜ、一人で?」

「気ままに生きたかったから! 誰に縛られるでもなく、色んな場所を旅したかったんだ」

「……なるほど、貴女らしい」

「でもね、今はそれをちょっと後悔してるんだ。やっぱ、旅の仲間っていうのはいいね」

 

 上機嫌なクルースニクは前へ出て、夜明けをバックにクドラクへ振り向いた。

 

「なんでだろうね? 故郷の群れにいた頃よりも、今の方が楽しいんだ。……クドラク君はどう? これから二人旅をする訳だけど」

 

 クドラクは目をぱちくりさせた後、心臓の鼓動に耳を澄ませた。

 一度は止まった心臓のビートは、いつもより軽やかなリズムを刻んでいる。

 

 旅団在籍時は重苦しい音に思えた。寿命を刻む時計の音のように思えた。

 今は、中々悪くない音色のように思える。

 

「……たぶん、僕も楽しい。少なくとも、旅団にいた頃よりは気が楽だ」

「えへへ、そう? やっぱり気が合うんだよ。お互いに似た者同士なんだ。だから楽しいんだよ」

 

 クルースニクは笑いながら両手を広げた。

 

「ねえ、おまじないをしない?」

「どんな?」

「昔、お母さんから聞いたおまじないなんだ。お互いに一つの約束事を交わすんだよ。どんな苦難に遭っても、それだけは破らないようにする」

 

 『何が起こっても』――彼女の口調に反して、重い誓いのようだ。

 口にしたからには、身命を賭してでも守らねばならないように思える。

 

「明け方の太陽に誓って。吹き荒ぶ北風に誓って。約束を守ろうとする限り、同胞の心は自分と共にある。色あせない絆とともに」

「へえ、いいね。やろう」

 

 クドラクはほほ笑む。こう言う験担ぎは、あまりやった試しはなかった。

 

「貴女は何を誓ってくれるのかな」

「そうだなぁ……厳しい旅になるだろうしね」

 

 数瞬だけ考えて、クルースニクはドヤ顔で言う。

 

「どんな苦難があろうとも、君の隣にいること」

「では、僕は――どんな強敵と戦うとしても、貴女と一緒に勝つことを。験担ぎにはいいだろ?」

 

 腰に佩いた直剣を抜き、夜明けを背に立つ少女へ掲げる。

 彼女は懐から骨製の短刀を取り出し、闇を背に立つ少年の刀身にあてた。

 

「僕からは、明け方の太陽に誓って」

「私からは、吹き荒ぶ北風に誓って」

 

 一陣の風が辺りに吹いた。しばらく刃を合わせた後、互いに剣を降ろす。クドラクが肩をすくめる。

 

「まあ、これからよろしくね。頼りにすることも多いと思うけど、僕も力を尽くすから」

「うん!」

「さて、遠出になるな。ここからタルサデューク公領は遠い。馬を走らせても一ヶ月はかかる」

 

 クルースニクは首を傾げて問うた。

 

「そう言えば、移動手段をおじさんにお願いしてなかったね。歩きでのんびり行くの?」

「いや、馬より速い移動手段がある。さっき君に教えた呪詞のことだよ」

「ああ、狼に変わるやつ!」

「そうだ。【月影よ踊れ。狼王の形を成せ】」

 

 クドラクの体は膨らんで、つややかな黒毛を持つ巨狼へと変化した。

 慌ててクルースニクも呪詞を唱えて、まばゆい白毛を持つ天狼に変わる。

 

「この形態、馬より速いっての?」

「おまけに馬以上の持久力を持つ。早く走るならうってつけの形態さ」

 

 黒狼は高く跳ねて、クルースニクの前方に着地した。到底、馬ではなし得ない跳躍だった。

 クドラクが尾を振って、白狼を先導する。

 

「行こう。夜が来ると業魔が湧く。光を忌み嫌っていた連中が、闇の大地を埋めるだろう」

「それまでに、適当な寝ぐらに着かないとね!」

 

 二匹の獣は、夜明けの光に向かって駆け出した。

 一陣の風とともに草原を駆け、やがて痕跡も残さずに立ち去っていた。

 

 





TIPS:『呪詞』

 呪いを行使するにあたり、冥府のエネルギーに命令する技法。出力内容を詳細に規定できる。
 詠唱する手間こそかかるが、術者の意思に沿って呪いを使用することができる。
 呪詞を発さずにエネルギーを操る場合、ごく簡単な技のみしか使えない。
 
 戦場では、わずかな隙が命取りだ。
 呪詞にしても短く簡素なものが求められる。二文以上の呪詞は、大技以外では歓迎されない。
 呪詞のワードや組み合わせによって、効力は違ってくるため、この辺は呪い師の試行錯誤が物を言う。


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