『血塗られた月のクドラク』〜余命わずかな病を克服するため、闇の王へと堕ちる話〜 作:人見 広介
涼風が吹き渡る広大な平原を、二匹の狼は矢のように駆け抜けた。
鏡のような水たまりをはね、たけの低い草むらに寝転がる野牛の群れを過ぎ、一路にタルサデューク公領へと向かった。
道中、猛獣の群れに何度も襲撃されたが、返り討ちにして獣肉のご馳走にありついた。
やがて、翌日にはカシヤーン草原地方と楽園国の境目に到達した。
草原にまばらな木々が生えはじめ、遠くの山陵に広がる森が見えるようになる。
気候性による植生の違いが、二国をわかつ曖昧な境界線になっていた。
(……来る途中は気づかなかったが、なかなか景色がいいな。乾いた風も心地いい)
心境の違いだろうか、視界の彩度が上がっているように感じられる。
秋口の陽射しは柔らかく、わずかに肌寒い気温を絶妙に中和してくれる。
風に波打つ草むらも、葉擦れの音でささやきあう木々達も、どれも息づかいすら感じられた。
(そろそろ楽園国に入った頃合いだな。街道を見つけて、『喉の大河』の下流へと向かおう)
『喉の大河』とは、楽園国を横切って『獣の海』へ伸びている川のことを指す。
海の形が怪物の口に似ているため、大河も喉と呼ばれている。
北東に進む進行ルートだと、川を抜ければタルサデューク公領に入れるだろう。
街道沿いを走り、城塞都市や田畑を過ぎ去り、獣道や悪路を難なく走破する。
数日後の正午、二匹の狼は『喉の大河』に出た。
第三話
タルサデューク公領への道
街一つ分の横幅はある巨大な河川だった。
雲のグラデーションがかかった彼岸の世界には、森や野山が広がっている。
透き通った水面に近づくと、岸付近を川魚の群れが悠然と泳ぐ様がくっきり見えた。
「この川を越えれば、タルサデューク公領まであと少しだ。……そろそろ休憩してもいいかもな」
「なら、お昼にしようよ! 何が食べたい?」
「たまには魚肉を食べたいな。……【暗月よ開け。獅子の血肉をここに】」
クドラクが手を振ると、水面の上に暗黒空間が開かれ、中から滝のように血肉が流れ出た。
数日前に草原地方で獲った血ではあるが、『寒月の呪詞』で冷凍保存していたため、まだ新鮮さを保っている。
鉄錆びた匂いに惹かれて、赤く染まった辺りに川魚が集まり、細かく切った獣肉を食べはじめた。
「その『呪詞』、便利だよねえ。異空間に物を保存してるんでしょ?」
「ああ。長旅では役に立つね」
「いいなー、多芸なのがうらやましいよ。じゃあ、ちゃちゃっとシメちゃうね」
白いベレー帽を被った短い金髪の少女が、つぷりと水面に手をいれる。
瞬間、水面にバチっと稲妻が走った。
電気ショックで何回もけいれんした魚達が、ぷかっと水面に腹を出す。
「ふふん、便利でしょ?」
「……その技は痛いんじゃなかったか」
「まあ、多少の痛みは慣れてるよ。電流の量が多くなければ、しびれるくらいで済むしね」
二人で魚を集め、その場で捌いて内蔵を取り、きれいな水でたんねんに洗う。
「草原でも話したけど、私って呪詞のレパートリーが少ないんだよね」
「呪いの性質を増やさなかったのか?」
「うん。月光を操るだけで満足していたからね。でも、他に使える性質があれば便利だよねー」
呪いの性質とは、すなわち発現できる超常現象のバリエーションを指す。
二人の呪いの本質は『月』であり、そこから月光を操る性質や、天体の引力を操る性質、水を操る性質などを発展させられる。
性質の発展には、多大な労力と模索が必要だ。
一つの性質を行使する場合、それ専用に開発した呪詞を使う。
異空間を開く性質は『暗月の呪詞』。炎を撒き散らす性質は『烟月の呪詞』――呪い師のセンスに応じて、呪いは様々な側面を見せる。
「複数の性質を扱える呪い師は珍しいよね。クドラク君の歳だと、特に」
「まあ、それなりに修行したしね。お望みなら、僕が見出した性質を貴女に教えよう」
「おっ、頼もしいね。ありがとう!」
「まずは火でも起こしてみるか」
水洗いした魚を串に刺して、岸付近の木陰に移動する。丸石の輪を作った後に、折った枝をピラミッド状に組んだ。
互いを繋ぐ赤い管に『烟月の呪詞』を送ると、クルースニクがピクッと反応した。
「なるほどなるほど……【烟月よ燃えろ。小さな火種を起こせ!】」
彼女が伸ばした手から、群青の花火が咲く。灼熱の花が二人に降りかかった。
「うひゃあっ!?」
「……っ」
慌ててマントで火花を防ぐ。火傷は負わなかったが、黒煙を吸い込んでしまった。
「げほ、げほっ、……大丈夫かい?」
「そっちこそ! ごめんね、火傷しなかった?」
「問題ない。鍛錬を続けよう」
昔の自分と同じだ。扱えるエネルギー量が多すぎるために、制御に難儀する。
呪いの威力は、冥府のエネルギー量をどれだけ扱えるかによる。
魂を喰らって成長していくほどに、呪いの威力は底上げされていく。
「新しく得た性質は、加減を知らないから暴発しやすい。それでも、じきに慣れるさ」
「なんで暴発したんだろう? ちゃんと呪詞で『小さな火種』って規定したんだけど……」
「冥府から引き出せるエネルギー量が多いんだろう。悪いことじゃない。力が有り余ってるだけさ」
過去に師匠と修行していた時、自分も何回か山火事を起こしそうになった。
「んー、ちょっと離れてて。次は大きめの火球が飛び出るかもしれないから」
「いや、ここは一緒にやってみよう」
クルースニクの横に立って、互いの腕を引っ付ける。そうして二人して呪詞を唱えた。
「「【烟月よ燃えろ。小さな火種を起こせ】」」
冥府から引き出された不可視のエネルギーが、奔流となって二人の手のひらに渦巻く。
クルースニクに引き出されたエネルギーを、クドラクが必要な量になるまで霧散させていく。
やがて、少量のエネルギーだけが残った。
「手を離すよ。この状態の感触をつかんでから、火種に変えてやるといい」
「わかった! ありがとね」
そのまま火種が指先に生じて、雫のように焚き木へと落ちていく。パッと真っ青な炎が灯った。
「あっ、これでもちょっと火力が強いね」
「焼き目をつける分には問題ないさ。さて、ご馳走に預かるとしよう」
クルースニクの側で腰を下ろそうとした瞬間、ピクリと彼女の肩が震える。
ぐいっと体を引っ張られ、二人して後方に数mほど飛び退る。
「っ? クルースニク、何を――」
直後、上から何かが降ってきて、先程起こした焚き火の上で爆発した。
閃光が視界を塗りつぶし、爆発音と衝撃波が二人の体を打ち、灼熱の炎が皮膚に吹きつける。
河で獲った川魚達も、爆発の余波で手から弾き飛ばされ、土や泥にまみれてしまう。
とは言え、直撃ではないためダメージは少ない。
炎が過ぎ去った後には、服が煤けただけで無傷の二人が立っていた。
地面に残り火が燻る中、鋭い目で空を見上げる。
「……よく攻撃に気づいたな」
「
クルースニクの体で、パチっと静電気が爆ぜる。何かを彼女に知らせるかのように。
「さっきのは爆弾か。頭上から爆撃されたってことは、敵は空にいるな」
彼らの視線の先には、猛禽のような影の群れが飛んでいた。低高度を旋回している。
「【白き月よ来たれ。光の弓を我に】」
クルースニクが手に光の弓矢を作り、上方に向けて次々と矢を放った。
猛禽達が光条に射抜かれ、霧散する。
脚の爪からぽろっと落ちた物が、遠くの地面に落ちて爆発音を響かせた。
「昼間に出るのは、普通の業魔じゃない。使い魔だね。裏で人間が操っているんだと思う」
「……盗賊の類か? 川辺では出やすいからな」
呪いを悪行に使う者は一定数いる。
呪い師は職業名ではない。単に忌まわしい力を得た者達の総称でしかない。
当然、鍛治屋や料理人の呪い師もいるし、強盗や暗殺に呪いを使う者もいる。
悪党が『喉の大河』に集うのは、よく知られた話だ。ここは稼ぎ場なのだ。
日中に河を渡ろうとする隊商を求め、腹を空かせた野盗共がピラニアのように集う。
(高所からの爆撃……奇襲としては上策だが、金目のものが吹っ飛ぶ恐れがあるし、ただの賊が好む策とは思えない。なにが狙いだ?)
「一匹だけ残したよ。あいつを追おう」
確かに、一匹だけ空を旋回する猛禽が、慌てたように川の向こうへ飛び去っていくのが見える。
「もう、せっかくのお昼ごはんが台無しだよ! ぶちのめして敵の食糧をいただかなきゃね!」
ほおを膨らませたクルースニクが、川の水面へと走りだそうとする。
「待った。空を飛ぶ方が追いやすい。……【月影よ踊れ、コウモリの形を成せ】」
クドラクの体が影でおおわれ、縮みながら黒い大コウモリへと変化する。
目を丸くする相棒の前で、彼は羽ばたいた。
「うへえっ!? そんなのもできるの?」
「やってみなよ。貴女にもできるさ」
呪詞を込めた念を彼女に送ると、クルースニクはとまどいながら唱える。
すると、白い影が彼女をおおって、雪のような毛並みのコウモリへと変化した。
「うわっ!? ほんとにできたよ! これ、私の本体ってどうなってんの?」
「異空間にある。今は貴女の影が実体化して、望みの姿を取っているだけさ。……僕についておいで」
黒いコウモリは、猛禽を追って青空へと昇っていく。慌てて白いコウモリも後に続く。
最初はクルースニクも飛び方がぎこちなかったが、すぐに風に乗るコツをつかんだようだった。
猛禽の影を追ううちに、二匹は青黒い大河を超えた。眼下に新緑の森が広がるようになる。
やがて、街道から少し離れた場所に、件の猛禽が急降下する様が見えた。
「あそこか。獲物を張っている最中なのか?」
「降下地点に天幕が複数見えるよ。その付近に哨戒中の賊が数人……大した装備じゃないね」
降下地点付近で旋回しながら、木々の間を無警戒に歩いている賊達を数える。
ズボンやチュニックを着ている男達で、弓矢や剣を装備しているようだ。
天幕付近には幌馬車が置いてある。
「ひい、ふう、みい……賊にしては小綺麗だね。衣装も新品って感じだよ。商人みたいだ」
「……隊商のフリをしているだけだな。道を行く獲物に近づくための偽装だろう」
「へえ、わかるの?」
「馬車付近の轍が多すぎる。何度も行き来しているような跡だ。一時的に野宿しているには不自然だ」
そもそも、昼間から野宿しはじめる隊商はいない。獲物を待っていると考えた方が自然だ。
「使い魔は……あそこか」
彼らが追っていた猛禽は、大きな天幕の中に入っていった。中にいる人物の誰かに報告でもするのか。
「とりあえず降りて、相手の反応を見てみる? 万が一にも無関係の人達だった場合を考えて」
「まあ、あのレベルなら、先手を取られても対処できるか。一緒に降りよう」
二人して枝葉の間を抜けて、地面で変身を解く。
黒いビロードのマントをまとう黒髪の少年と、純白のマントをまとう金髪の少女。
小屋群の中央に現れた二人に、ぼーっと哨戒していた賊の一人が真っ先に気づいた。
「………………あ? なんだ、ありゃ」
「あん? どうしたよ」
「気のせいかな。ガキが二人いるんだが……誰か、さっき殺った家族のガキでもさらったか」
「何? いったい何を」
正常性バイアスで麻痺した相方の言葉に、慌てて周囲の賊がこちらへ振り返る。
数秒凍りついた後、賊は剣を抜いた。
「――てっ、てきしゅッ!」
「ざーんねん。もう遅いよ」
クルースニクが雑に土を蹴り上げ、剣を抜こうとした賊を小石で撃ち抜いた。散弾でも喰らったかのように賊が吹き飛ぶ。
さっきの敵の発言から、ここに張っている賊なのは間違いなさそうだった。
クドラクも敵に接近し、こちらに駆け寄ろうとする巨漢の頭を蹴り飛ばす。
「がっ……!」
「敵襲! 敵襲! ブッ殺せ!」
「何の騒ぎだ、ミハイロフ!?」
いっせいに賊が叫びながら駆け寄ってきて、他の小屋から男達が外に飛び出してくる。
慌てふためきながら、数人がクドラクへ刃を振るう。刃筋を読んで避け、手近な一人のアゴを蹴り上げ、もう一人の膝を蹴り砕く。
別の者の足をはらって、倒れ込んだ相手の意識をストンピングで刈り取る。
「うらあっ、クソガキが!」
両手剣を持ったたくましい男が、クドラクの後頭部へ刃を叩きつける。
フルスイングで打ち抜かれた彼の頭は、しかし両断されないどころか、血の一滴も流さない。
ぎょろっと赤い蛇の目が男を見ると、剣を振り抜いた姿勢で男が硬直する。
「てっ、てめえ、無傷――」
「……旅団に入る前を思い出したよ。さんざん鍬や鋤でボコボコにされた。おかげで」
ふっとクドラクの体が消えると同時に、男のみぞおちに隕石のごとき拳が叩きつけられた。
くの字に吹き飛んでいく男を見ながら、憮然とした顔で少年が手をひらひらと振る。
「頑丈さは身についたんだが。……呪い師を殺すつもりなら、そんななまくらは使わない方がいい。薄いバリアを常時展開しているからね」
魂に刻まれた呪いによって、呪い師の体には常時エネルギー膜が張られている。
呪いを鍛えるほどに、この膜は厚くなる。
今の攻撃は痛かったが、刃先が膜に絡め取られていたし、衝撃も膜全体に分散されていた。
「やべえ、こいつら呪い師かよ!?」
「お頭! お頭! 出番ですぜ、奴らを――」
猛禽が入った天幕に駆け込もうとした賊が、直後に風船のように膨らんだ。
同時に、クドラク達に襲いかかってきていた賊共も、いきなり破裂しそうなほどに膨張する。
「えっ……!?」
「――飛び上がれ、クルースニク!!」
本能的な警鐘に従い、二人は飛び上がった。
眼下で賊達が大爆発を起こし、爆風が下から噴き上がってきた。
衝撃で天幕や木々が吹き飛ばされ、黒煙と炎が周囲に撒き散らされる。
――煙に満ちた地面に、再び二人は着地する。
「……っ、人間爆弾ってこと?」
「『爆破』が本質の呪いか――っ、そこか!」
警戒する二人の後ろから、黒煙を裂いて手が伸びてきた。
辛くもクドラクは避けるも、黒髪の一部が手とかすってしまった。
瞬間、髪の先端が爆ぜて火花を散らす。
「おや、外したか」
「喰らえっ!」
剣を抜きざまに襲撃者へ斬りつけるも、皮一枚で影にかわされる。
黒煙で視界が邪魔される中、身なりのきれいな若者が二人から距離を取った。
彼から、呪い師特有の不吉な気配を感じる。
「まあいい。この中は俺のグラウンドだ。いずれタッチする機会が訪れる」
「……君が私達を襲ったってわけ? 部下とまとめて爆殺しようとするなんて……」
「岸辺で大人しく死んでくれれば、こいつらが死ぬこともなかったんだがな。かわいそうに」
煙の向こうで、馬面の男がせせら笑う。クルースニクは嫌悪を抑えきれていないようだ。
「まあ、所詮は爆弾用のストックとして雇った手駒だ。本分を果たしてくれたと思おうか」
「……初対面の呪い師だな。なんで僕らを襲った。因縁がある間柄でもないだろう」
「お前達だけじゃない。昼間に河を訪れる奴は、例外なく殺している。雇い主がお望みなのさ」
男が指を鳴らすと、煙の中から低級の業魔――半透明の霊体じみた『ゴースト』が現れる。
冥府ではプランクトンじみた立ち位置にいる、食物連鎖の最下層にいる者達だ。
男はゴーストを撫でながら言う。
「ここを通る奴は見境なく殺せ――雇い主はそう仰せでね。理由なんか知らないが、首証を見せる度に金貨十枚の報酬をくれる」
「ボロい商売だな。雇い主は誰だ?」
「さあ? えらく金払いがいいのは確かさ。俺にとっちゃそれが全てだ」
地域や世情によってレートは変動するが、大体の金貨は銀貨の十倍価値があり、銀貨は銅貨の十倍価値がある。銅貨一枚で白パンが買える。
この衛兵がいない無法地帯で、一人を殺って金貨十枚なら、まあ割のいい商売になるだろう。
「だが、爆撃で仕留めきれなかったのは初めてだ。お前らの首証はもっと値がつくだろうな」
「【紅き月よ来たれ。処刑人の剣を我に!】」
「【ゴースト共よ、前へ】」
直剣に赤い光をまとわせた瞬間、ガスのようなゴースト達がこちらに殺到する。
一刀のもとに両断したが、直後にゴースト達が爆発する。
衝撃波と灼熱が身を焼くが、構わず二人は前方へと飛び出した。
「クルースニク、触れられるなよ!」
「爆弾にされちゃたまんないからね! ――クドラク君、右だよ!」
黒煙の帳を裂いて、ゾンビ犬が飛び出してきた。クドラクの首元をめがけて跳躍してくる。
「邪魔だッ!」
真っ赤な光をまとう剣を振り抜くと、横一文字の光波がゾンビ犬達を吹き飛ばす。
対するクルースニクは男に接近戦を挑むが、その際に男は手から何かを投げつけた。
「っ、砂? ――なるほどね!」
高速で移動しながら砂を避けると、砂塵が閃光玉のように爆ぜる。
どうやら、事前に爆破の念を込めていたものを、小道具として使ってくるらしい。
懐に入ったクルースニクが男を殴りつけるが、服の上で爆発が起こり、拳の威力を相殺する。
「俺の防御膜は爆発する。チェック――」
「まだまだあ!」
別の拳が放たれ、男の体を撃ち抜いた。エネルギー膜が薄くなった部分をピンポイントで殴ったのだ。
側の木をへし折りながら吹き飛び、男が地面に転がるも、すぐに体勢を立て直す。
何度か血を吐いた後、男は少女を睨みつけた。
「――効いたぞ。お前、何者だ? 呪い師どころか人間の膂力じゃないな」
「かなり手加減した方だけどね。次はひき肉にするよ。おとなしく投降しなよ」
「いい脅し文句だが、さっき俺に触れたな? ……お前を先に殺せてよかった」
その言葉に、ハッとなったクルースニクが自分の手を押さえる。
だが、体表に触れただけで発動するにしては、今までの攻撃は手で触ることに固執していた。
さっき、彼女は手で触れられていないはずだ。
「クルースニク、今のはブラフだ! 奴の呪いは手が起点のはず――」
「そうだ、嘘さ。
瞬間、バトルフィールドを形成する木々が、いっせいに爆発した。全方位から破片が飛んでくる。
対応が遅れたクルースニクに飛びつき、地面に押し倒す。
頭上で破壊の嵐が過ぎ去り、あちこちで破片が他の木々を撃ち抜く音が響く。
「――【月影よ踊れ。仮面の形を成せ】」
小さく呟いた声は、破壊の音に紛れた。クドラクの体を影が包み、偽の皮膚を形成していく。
やがて、粉塵に覆われた世界が静かになる。クドラクはゆっくり身を起こした。
慌ててクルースニクも立ちあがろうとする。
「……ごめっ、クドラクく――」
「捕らえたぞ。これでお前は花火だ」
彼女の目の前で、少年の頭がわし掴みされる。
身なりのいい若者が彼の後ろに立っていた。無抵抗の少年が男に持ち上げられる。
「――っ」
「油断したな。代償はお前達の命さ。【何もかも綺麗に爆ぜろ。こいつを――】」
言い終わる前に、クドラクの体が真っ黒に染まり、風船のように膨らむ。
「……なに!?」
慌てて手を離そうとするが、もう襲い。
クドラクの側面から槍が飛び出し、男の全身を串刺しにする。
貫通した防御膜が爆ぜるが、穂先の軌道を変えたわけではなかった。
「……ごぼっ、お まえ」
「僕は影をまとって変身する。貴方が爆弾化したのは、僕の皮膚や髪に張り付いた影さ。……爆弾化された箇所は、その槍にこめておいたよ」
真っ黒な部分が虚空に溶けて、礼服の土ほこりを払うクドラクが出てくる。
クルースニクに手を差し伸べると、彼女は手を取って身を起こした。
「注意を払えば、即席で作った皮膚なんか見破れたはずだ。……油断したな。代償はその命さ」
全身に突き刺さった槍を抜こうとしながら、男はよろよろと後退る。
途中で、槍が真っ赤に赤熱して、直後に音を立てて爆発した。
男の姿が砕け散りながら、爆炎に消えていった。
「大丈夫、クドラク君!?」
「問題ないよ。……僕を触りに来るって予想してたんだ。カウンターが決まってよかった」
黒煙をバックにしながら、二人でひと息つく。
人が焼ける嫌な臭いにアドレナリンが引き、徐々に飢えを自覚しはじめる。
「くそっ、よけいにお腹が空いた。この惨状だと食料なんて望むべくもないな。……まあいいか。まだ暗黒空間に保存食は残ってるし」
「それ食べよっかあ……獲りたての肉を焼くほうがおいしいんだけどなー」
「ここで食べるのは気が滅入る。どこか手頃な場所を見つけよう」
黒ずんだ地面を後にしようとする。その直前で、クドラクは残り火が燻る広場へ振り返った。
(……あいつ、僕達以外にも見境なく旅人を殺していたって言ってたな。なんで、あんな危険人物が野放しになっていたんだ?)
この場所近辺で行方不明者が多発していたなら、近辺の領主――すなわち、タルサデューク公が私兵を派遣しているはずだ。
貴族にとって領内の安定は重要課題だ。町や村にいる自警団の手が及ばない場所に悪党がいるなら、子飼いの狩人に征伐を命じるはずだ。
(領内近辺の凶行には、公直属の狩猟団が対応するはずだ。連続殺人の調査はするはずなんだが……)
なんにせよ、きな臭い話だ。
森の向こうに続く薄暗がりが、妙に不吉なものに思えてならなかった。
TIPS:『ハリストス楽園国』
魔王チェルノボグの圧政が終わった後、『獣の海』南東部沿岸で興った宗教国家。
地母神『ゼムリア』を崇める大地の巫女が、聖なる樹海にて国を統治している。
巫女の長は『楽園公』と呼ばれ、国中に豊穣をもたらしている他、業魔災害への対策を講じている。
建国当初から楽園公は生きており、『聖林』の中央で亡き戦友達の墓守を務めている。
魔王統治時代の終焉時、多くの狩人が魔王率いる業魔軍に挑み、当時の楽園公だけが生き残った。
「ハリストス楽園国」の名は、彼女の決意の表れであり、亡き戦友達の悲願そのものでもある。
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