転生TS天使ちゃんは怠けたい   作:テチス

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1章
戦う理由


 

 

 皆さんは天使と聞かれてどんな存在を思い浮かべるだろう。

 神の奴隷? 神託の遣い? あるいは人間を審判して戒める存在を想像するかもしれない。

 

 ノーノー。

 違うんだなぁ、これが。

 

 天使っていうのはね、もっとこう、社畜なんですねーって。

 過労死したと思ったら天使にTS転生してた俺が言うんだから間違いない。

 

 あいつ等暇さえあれば悪人を探して天罰下したり、困った人のもとに行って相談に乗ったりしている。

 

 休みとかないから。

 年中無休、眠らず働けますかってのをガチでやってる異常者連中だ。

 

 悪人に天罰とかめんどいねん。

 現行犯が基本だから悪そうな人見つけたら、めっちゃ監視しないといけないねん。ストーカーみたいでイヤやねん。

 

 困った人の相談とか無理やねん。

 金が無い、仕事をクビになった、そんな人生相談されてどうするん。こちとら天使やぞ、目の前で泣かれたって、紹介する仕事は何も無い。

 

 お前も天使やってみる?

 一度、無職で自殺しそうになってたおじさんを勧誘してみたけど、3日でやめて転生してた。ハハっ! 俺も転生してー!

 

 そんなこんなで、天使の仕事は俺には向いてない。

 

 と、思ってたんだけどね。あったわ。一つ性に合う仕事内容。

 

 

 ――悪魔狩り。

 それこそ俺にピッタリな天使の仕事だった。

 

 まず悪魔が雑魚い。

 あいつ等口はうまいけど、戦えば俺でも勝てるぐらいで大して強くない。

 戦闘は二の次で、人間を騙して利用するってのが悪魔の本業なんだろうね。

 

 じゃあ話なんて聞かなきゃいいじゃん、って。サーチ&デストロイ。見つけたら即殺が手早くてよろしいです。

 

 とはいえ殺し合いなので、そこそこ怪我しちゃうけど、そうなったら女神様が悲しそうな顔で「元気になるまで、ゆっくり休んでね」って言ってくれるのです!

 

 なんと! 天使にあるまじき休暇です!

 

 まじかよ。仕事に休暇って存在したの!? 都市伝説じゃなくて!?

 人生初めての休日で、びっくりしたわ(社畜脳)

 

 休暇という黄金を一度体験した俺はもうだめだった。

 戦闘は好きじゃないけど、休暇欲しさにどんどん強い悪魔と戦い続けて、ボロボロになるたび笑顔で帰還。

 

 大怪我であればあるほど嬉しくなっちゃう。自分の怪我で血塗れとか最高です。

 

 今回なんて、天使の証明たる羽をもがれて、光輪が割れた状態で帰還したけど、思わず笑っちゃったよね。

 お土産に持ってきた悪魔の首を放り投げて女神様にたまらず報告。ほらほら見て! 俺こんなに一杯怪我したよ!

 

 女神様はポロポロ涙をこぼしながら、抱きしめて褒めてくれました。

 

 俺も嬉しくなって、次はもっと頑張るねって。もっと強いやつ狩ってくるねって言ったら、なんか軟禁されました。

 

 ……はい???

 

 

 

 

 

 

「どうしてこうなった」

 

 自室として用意された部屋。柔らかいベッドの上で胡坐をかいて考える。

 

【挿絵表示】

 

 なんで俺は軟禁されてるん?

 

 素直に考えれば、女神様が戦いでボロボロになった俺を心配して、治るまで出ちゃだめだよって言ってるんだろうが……ハハっ、またまた御冗談を。

 

 俺はバカじゃない。休めと言ってくれれば、喜んで休むって。

 むしろ合法的に休みたいが為に頑張って悪魔狩りしてるんじゃい、こちとら。

 

 それに、女神様が天使を労わるなんて天界の価値観と合わない。

 

 女神様は優しい人だ。どんな者に対しても慈愛の心を持っている。だけど、公私の区別はしっかりついている。

 神、天使、人間という種族間で線引きをしているし、過剰に想いを寄せるという事もしない。

 

 偉大な神様が一々、生まれては死んでいく人間のために涙を流すか? そんな訳がない。それは奉仕種族たる天使に対しても変わらない。

 

 神は、世界を統治する存在。

 天使は、神を支える存在。

 

 天使とは、人間界の規律を正し、悪を滅する処刑人。

 天使の役割は、命を賭して正義を為す事。

 

 そう思ってる。

 というか天界の図書館でそういう記述を読んで、学んでる。

 

 かつて起きたという魔界と天界の大戦争でもそうだったように、天使とは究極的には消耗品だ。

 

 神さえいれば幾らでも補充の利く便利な存在。神のための刃であり、正義を為すための武器。それが俺たち天使の宿命。

 という事らしい。厳しいね天界の倫理観。

 

 だから……女神様がそこまで俺を労わる理由は無くて、俺が軟禁されている理由は療養じゃなくて……うーん、分からん。

 

 なんで俺は軟禁されてるん??

 

 まあ、聞いてみればいいか。

 窓を開いて外を眺めていたら、丁度近くを哨戒班の天使が通りかかったので手を挙げて挨拶。

 

「ねえ、少しいい?」

「ひっ!!? 殺されるー!!」

 

 なんか逃げられました。

 

 ……なぁんでぇえー??

 俺が何かしたかよ、コラ! 殺さねぇよバカ!

 そう言う前に幼い天使は遥か彼方まで飛んでった。

 

 なんか昔からそうなんだよねぇ。

 ぼっちはさすがに寂しいから、同い年くらいの天使に声を掛けたけど、みんなして一目散に逃げていった。

 

 「こっち来ないでー!」とか、「この人殺しー!」とか、めっちゃ言われた。あほか。人殺してねぇよバカ。

 

 だから友達は一人もいません。

 俺は生来のボッチちゃん。寂しくない、です。

 

「うん……寂しく、ないし」

 

 口に出してみたけど……ごめん、実はちょっと寂しい。

 少しくらい雑談できる友達が欲しい。

 

 目つきか? 俺のちょっと鋭い目つきが、人殺しに見えるのか?

 でも別の子には「死臭がするよー怖いよー!」とも言われたしな……何だよ死臭って。俺の体臭が死ぬほど臭いってイヤミ?

 

 くんくんと自分の体をかいでみる。……分からんな。

 戦闘後とかはちょくちょく血塗れになるけど、風呂に入って落とした今じゃあ石鹸の良い匂いしかしない。あー、分からん。

 

 ……いや、あれか!

 俺が自分で、自分の体の使わない機能を制限したのが悪いのか!

 

 天使って一種の魔法生物だから普通の生物と違って、身体機能の集中と配分というか、どこを重視するか自由に調整できるのだ。

 パソコンの演算みたいなもん。他の機能を抑えることで、より画像出力を優先するとか、計算速度を優先するか設定するみたいな……違うか??

 

 まあ、そんな訳で俺は悪魔と戦い始めてから、いらない身体の機能をめっちゃ切り捨てた。

 戦闘能力に極振りする代償として、表情とか、感情表現とか、言語機能とか、殆ど捨てた。

 

 だって……友達いないから、そんなの要らないし……。悪魔との戦闘が楽になるんだもん……。必要になったら戻せばいいしね。

 

「いや、私が友達いないの……生まれつきか」

 

 じゃあこれも理由違うかー。

 

 あー! やっぱり分からん!

 というか思考の趣旨がどんどんズレてきたじゃんか。

 

 問題は俺がぼっちな事じゃない! どうして軟禁されてるかなのだ! 俺の恥部に触れるんじゃなぁい!

 

「……こっち行こ」

 

 窓がダメなら扉を開ければいいんじゃない。

 軟禁されているとは言え、鍵までは掛けられてない。ただ門番がいるだけで部屋の出入りは自由。

 

 俺は部屋の扉を開いて門番の顔を見た。彼女はぎょっとしたような表情で慌てて言う。

 

「っな、なんの用だ! 非常事態か!?」

「いや別に……」

 

「ならば今すぐ部屋に戻れザラキエル!」

 

 なんか思いっきり剣を向けられました。

 

 もうさ、これ絶対なんかあるよね。なんで俺は同僚に敵意向けられてるん?

 

 こんなん絶対、療養のための軟禁じゃないじゃん!

 ねえ女神様! 理由を教えてよ! 秘密主義の独断専行なんてクズ上司の始まりですよ!?

 

「何をしているのですか!!」

 

 あ、そう言ってたら女神様きたわ。しかも怒ってる……なんでぇ……。

 

 

 

 

 

 

「何をしているのですか!!」

 

 部屋の入り口で、警護の熾天使と争うザラキエルの姿が見えたので慌てて駆け寄る。

 

 彼女はまだ絶対安静の治療中。

 もしも戦闘になれば、くっ付いたばかりの羽がまた取れてしまいかねない。今度は修復不可能なほど光輪が砕け散るかもしれない。

 そうなれば、()()()()()()のだ。

 

 両者を宥めるように私はザラキエルと熾天使の間に割って入った。

 

「何があったのですか! なぜ護衛の貴方が、護衛対象と争うのですか! 訳を話しなさい!」

「ッハ! 大天使ザラキエルが無断での外出を企てておりましたので、私はそれを制止したまででありますっ!」

 

「……は、え? が……外出、ですか? 貴方、まさかこの子の外出を止めるだけで、剣を抜いたの?」

「左様です! こいつは有ろうことか、部屋にいるようにとの御主の命に背いたのです! 止めるためには必要な措置でした!」

 

「えぇ……」

 

 あまりの理由に私は頭を押さえたくなったが、馬鹿にするような態度を見せてはこの熾天使の子にも失礼だ。

 怒りを吐き出したいのをなんとか自制して、私は努めて冷静に指摘する。

 

「それは剣を抜くに足る理由とは思えません。自分の役割を思い出しなさい。貴方は警護役なのですよ」

 

「ハイ! 私は、この神殿の警護を任されているのです! 故に、この危険分子を排除する義務が有るのです!」

「……そうですか」

 

 彼女は本気でそれを正しいと信じてる。

 私はこの子に『ザラキエルの警護』を依頼したはずなのに、どこでどう曲解したのか、ザラキエルから神殿を警護する役目だと思い込んでいる。

 

 ため息をつきたい。怒りに任せて叱責したい。でもそれはできない。これは、私の責任でもあるのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()責任。

 

 血と闘争に酔いしれて、二度と拭えない死臭に塗れた天使など、もう仲間は同類と見做してくれない。

 熾天使の彼女からすればザラキエルは、まだ翼が白いだけの堕天使と一緒なのだろう。

 

 扉の影に隠れるように、ジトっとこちらを窺うザラキエルの視線から読み取れる感情は殆どない。私ですら、彼女の事がまるで感情が欠落した人形の様にみえてしまうのだから。

 

 

 

 

 私がザラキエルと出会ったのは、彼女が初めて悪魔を殺してしまった時のことだった。

 

「突然襲われたから、倒しちゃったんだけど……ど、どうしよう!」

 

 悪魔との戦闘によって血と死臭に塗れ、オロオロと涙目で狼狽えるザラキエルは、まだその時は普通の天使のようにみえた。

 私はザラキエルに大きな怪我が無いことを確認して、ほっと息を吐いた。そして彼女に休養を命じた。

 

 天使とは穢れから最も遠い存在だ。生命を殺傷して良いことは、あまりない。

 過去の大戦時代ならともかく、今では天使達の間でも殺生は最も忌避する行為と定められている。

 

 だから私は彼女の精神安定のために十分な休養を取って欲しかったのだが……それが甘かった。

 私はザラキエルの異変を見逃してしまった。

 彼女はこの時すでに、天使にあるまじきイケナイことを学んでしまっていたのだ。

 

 

 

 

「あっ、女神様! 見て見て! ほら! 私、また倒せたよ!」

 

 次に私がザラキエルと会ったのは、そんな事件から僅か1週間後のこと。

 天使達が騒ぐから何事かと思って行ってみたら、ザラキエルが嬉しそうな表情で悪魔の死体を引きずっていた。

 

「な、なにをやっているのですか……貴方」

「悪魔祓い! 私、頑張ったよ! 怪我は……あ、腕と、足を少し斬られちゃったかな! えへへ、見る? 見る!?」

 

 彼女は何がそんなに嬉しいのか、私に自分の傷を見せつけた。

 

【挿絵表示】

 

 明らかに楽しんでいた。

 彼女は生死を賭けた闘争を悦びと捉え、血の味を覚えてしまっていた。

 

「止めなさい!!」

「……え?」

 

「もう戦わないで。もう、無理しないで。それ以上は貴方が大変なことになってしまいます……だから、お願いだから、危険な事は、もう……しないでください」

「だいじょうぶ」

 

 私にとって天使はみんな我が子のような存在だ。

 ザラキエルを抱きしめて懇願する。だけど、その想いはもう、伝わらない。

 

「大丈夫だよ。次は私もっと頑張るから。ちょっと休んだら、また悪魔を殺すから」

「っ……!」

 

 彼女の戦闘行為は日を経るごとにエスカレートしていった。

 

 生まれたばかりの最下級天使でしかなかった彼女は次々と強敵に手を出した。

 彼女は自分が怪我するのも楽しい様子で、雑魚じゃあ物足りないと同格以上の悪魔ばかりと戦った。

 生死を賭けた闘争が癖になっていた。

 それは瞬く間に彼女を成長させた。1年が経つ頃には爵位持ちの大悪魔すら狩りだした。

 

 弱い悪魔になんか目を向けない。

 悪魔にたぶらかされる人間を減らすとか、世界平和のためとか、そんな理由じゃない。これは誰かの為じゃない。

 

 彼女はただ、己がためだけに。

 娯楽としての戦闘を(たの)しんだ。

 

 止めなかったわけじゃない。だけど彼女は私の言葉を聞いてくれなかった。

 血に酔いしれてはいけないと注意しても「大丈夫だよ~」と笑って聞き流す。「別に私は戦いが好きな訳じゃないんだよ」なんて嘘を平気で言う。

 

 彼女の友達からも言って貰おうと、友達を探してみたが一人も見つからない。

 噂では、ザラキエルは友達をみんな殺してしまっただとか、そんな恐ろしい話まで耳にする。

 

 もう、私はどうすればいいか分からなかった。彼女が『堕天』してしまうのは時間の問題だった。

 

 強引に手元に置けばいいのか。ザラキエルが一人で勝手に行動しない様に抑留するのか? 駄目だ。それをするだけの理由がない。

 

 天界は法治であるべきだ。

 法に照らし合わせればザラキエルの行動は、むしろ称賛されて然るべき偉業だった。

 

 今は小康状態とはいえ、天使と悪魔は絶滅戦争をするような敵対関係。

 大戦争時代という古代に作られた法であるが、悪魔を殺すことは天使にとってこれ以上ない誉れであり善行と明言されている。彼女を諫める理由にならない。

 

 ならば私の側仕えに雇用して、勝手に戦闘行為をしない様に見守るか。……ダメだ。ザラキエルの階級が足りない。

 いくら力が強くても、彼女はまだまだ生まれたばかりの幼天使。主神の側仕えは上位天使であるべきと定められている。

 

 どうすれば、おかしくなり始めたザラキエルを救えるか。

 

 何かいい案はないかと天界の大図書館で蔵書をひっくり返して調べたが、埃をかぶった古臭い精神論の書物ばかり出てくる始末で意味がない。

 

 なにが、天使は消耗品だ。

 なにが、天使は武器でしかない存在だ。

 

 すでに殺されて消滅した神々の戯言が、今でもこうして図書館に残っている。それがまた腹立たしい。本を放り投げて途方に暮れた。

 

 

 手をこまねいて時間ばかりが過ぎていく。

 

 そして今日、ついに恐れていた事態がやってきた。

 

 

「女神様、ただいま」

 

 そう言って帰ってきたザラキエルは、かつてないほどの大怪我を負っていた。

 片方の羽をもぎ取られ、光輪が割れている。表情を失って声にも生気がない。明らかな異常事態だった。

 

「ザラキエル!?」

「ちょっと……苦戦した」

 

 そう言って、彼女が放り投げた首は『大罪悪魔』のもの。魔界の7大重鎮の一人にして、世界最強の一角。それを彼女は単騎で屠ってきた。

 神殿の護衛天使が騒めいたが、今はそれどころではない。

 

「貴方、羽は!? 光輪は!?」

「壊れちゃった」

「そんな、あっけらかんと! 大丈夫なのですか貴方!」

 

 天使の羽も光輪も、決して飾りではない。

 あれは天使としての存在を確立する補助具。天使が天使らしくあるために必要な部位。

 

 それを無くしたという事は、ザラキエルは天使としての存在が揺らぎかねない瀬戸際にいるということ。

 簡単に言えば、彼女はもう、いつ堕天してもおかしくない状態に追い込まれたということ。

 

「はは、アは…………あれ、うまく笑えない……ちょっと機能を削り過ぎた? 待ってね、いま、戻るから」

 

 そう言って不思議そうに自分の顔を揉み解すザラキエル。

 

「あはは……ハハ、アハハッ! ほら、ほら見て凄いでしょ、女神様! 私、こんなに怪我しちゃった! 凄い戦いだったんだ!」

「……っ」

 

 何がおかしいのか、歪んだ笑みを浮かべるザラキエル。

 

 私は黙って見ている事なんかできなかった。

 飛ぶように彼女の下まで行くと、力一杯抱きしめる。

 

「がんばったね……っ、そんなに一杯怪我して、痛くない……?」

「ん、大丈夫。もう痛くない。でも酷い怪我したから、これで私は、たくさん休まなきゃだね、えへへ…………あれ? 女神様、泣いてるの?」

 

 彼女に残った真っ白な片翼が、その欲望に影響されて黒く染まり始めるのが見えた。

 私の腕の中で1人の天使が死んでいく。

 

「そうですね。貴方がこんなに傷つくからですよ……」

「ごめんね……これは私がやりたい事だったから、しょうがない。……でも、心配かけたのは、ごめんなさい」

 

 『堕天』とは天使が欲に呑まれることで生じるもの。

 その欲が醜く、残酷であればあるほど急速に進行して、堕ち切ってしまえばもう戻ることは無い。

 

 唯一助かる道は、堕ち切る前に己の欲に打ち勝って正義を示す事だが……それは堕天の切っ掛けとなった欲と同一、もしくはそれ以上の"欲"に抗わなくてはならない。

 

 彼女のような殺人と血に酔った戦闘狂なんて一番最悪だ。堕天が始まれば、もう取り返しがつかない。

 周囲の護衛天使が次々と剣を抜いていくのは仕方ないことなのかもしれない。

 

「よく帰って、来てくれましたね……。無事、とは言い難いけど……。ザラキエル、貴方にまた会えてよかったです」

「うん……女神様に褒めて欲しかったから……私のがんばった姿を、見て欲しかったから」

 

 彼女が抱いた『殺し合いを悦び』とする戦闘欲では、戦闘中に堕天してもおかしくなかった。

 だけど彼女は帰ってきた。私に会いに来てくれた。それが、嬉しくて、悲しくて。

 

「何か欲しいものは無いですか? 私にできることなら、何でも叶えてあげますよ」

「……え!? な、何でも? え、えっと……??」

 

 せめて最期は苦しまない様に。怖いものも見なくて済む様に。

 ザラキエルの頭を抱えて、私の胸で包み込む。

 

「ふひゃぁ!?」

 

 ザラキエルが可愛く悲鳴を上げた。

 なんだか、ちょっと堕天の進行が早まった……気がした。

 

「何でもいい……何でも、いいの?? じゃ、じゃあ、女神様の体……うぅぅう……いや、ダメダメ。そんなこと、要求しちゃダメ」

 

 彼女は悶えるように身を震わせると、意を決したように私を突き飛ばした。

 

「要らない。私は、何も要らない! これは私が勝手にやったこと! でも……戦いで疲れたから、ちょっと休憩は……する」

「……ザラキエル、貴方」

 

 私はその時、信じられない光景を見た。

 ザラキエルの黒く染まりかけていた翼が、ゆっくりと白に戻り始めていた。

 

 天使の堕天が止まった。

 それは本来、あり得ない現象。

 

 命の奪い合いを楽しむという、どうしようもない戦闘欲に打ち勝った?

 いや……今、彼女は戦いなんかしてないから、それとは別の何か強い欲を振り払ったのだろう。

 

 思いつくのは、先ほど彼女が発しかけた言葉。そしてやっぱり要らないと拒絶したもの。

 

「ザラキエル、もしかして貴方は私が欲しかったのですか?」

「ふぇ!? あ、うぅっ…………うん」

 

 チラチラと彼女の視線が、私の首元に注がれる。そしてゆっくりと頷かれた。

 

 なるほど……彼女の戦闘欲は留まるところを知らないらしい。

 ザラキエルは悪魔相手では物足りず、女神たる私のこの身を味わいたくなったのだ。

 

 自分の実力を試したくなったのか、それとも神殺しを為したかったのか。そこまでは分からない。

 だけど彼女は自分の主――女神(わたし)に手を掛けるという大望を振り払った。

 

 ――神殺し。

 天使にとって戦闘欲に匹敵するほど有ってはならない禁忌の欲望で、だけど、振り払ったからこそ彼女の堕天を抑える鍵となった。

 

 彼女は堕天をその瀬戸際で踏みとどまったのだ。

 

「なら、間に合いますね」

 

 ザラキエルに道徳は残ってる。まだ私を敬ってくれている。

 彼女はまだ引き返せる場所にいた。ならば、もう私はなりふり構わない。

 

 規律だ、私情だなんて文句は言わせない。

 

 私はこの子を救ってみせる。そう決めた。

 

 

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