魔界の大深層。その一画に古びた城塞が聳え建つ。
かつては荘厳だったであろう庭は長年手入れされずに蔦が生い茂り、城壁は崩れて風化している。窓ガラスは割れ放題、天井には大きな穴まで開いている。
もはや落城の様相を呈するこの城は、魔界七大重鎮が一人『色欲』のアスモデウスの居城だった。
城の玉座で二つの影が絡み合っていた。
まるで男にしなだれかかるような女の姿。だが、男の方は干乾びていた。体中の水分が抜けたように骨と皮だけのミイラとなって、ピクリと身じろぐこともない。
「あら……? ふぅ~ん、もうこれはダメかしら?」
白髪と褐色の肌。コウモリのような翼が生えた美しい女だった。
褐色の女が何かに気づいたようにピクリと体を震わせると、つんつんと男の頬を突く。反応は一切ない。
女はあからさまに大きくため息を吐くと、つまらなそうに言った。
「ダメね。誰かいる? この枯れ木を捨てておいて。次は、もうちょっとマシな人間を連れてきなさい」
ポイっと、片手で軽々と放り投げられた男が床にぶつかると粉々に砕け散った。
かつては天使だったが堕天して悪魔まで堕ちた存在――『色欲』を司るアスモデウスの夜の相手など、普通の男にはこなせない。
魔力も生気も全てを吸い取られて、飽きたら捨てられる。それがアスモデウスに見初められた男の末路だ。
「ありゃりゃ、何も殺すことはないのです。私にくれれば、有効活用したのに。勿体ない」
そんな男の亡骸を踏み締めて歩み寄る影が一人。
「あらぁ~? なんで魔界に怨敵たる天使が居るのかしら? 不愉快だから、その姿を見せないで頂戴な、
「酷い言いぐさなのです。私と貴方の仲なのに」
笑顔を絶やさずに玉座の前に進み出る1人の天使。
紫色の髪をしたメガネの天使は、ザラキエルに色々と助言をした天界図書館の司書長アルマロスだった。
背中側で折りたたまれた純白の大翼を見つめて、アスモデウスが嫌そうに眉をひそめる。
「あら貴方、まだ翼が白かったのね。不思議だわ~。なに? もしかしてペンキでも塗ってるの?」
「その程度で誤魔化せれば、
「……言ってくれるじゃない」
「おや、何を怒るのですか? 私がこうやって天使として頑張っているから、貴方も私も自由を得られるのです。ちゃんと天界にも優秀な司書として『アルマロス』の名が残る。一体、どこの何が不満なのですか? 良いこと尽くしじゃないですか」
口元に手を当てて、首をかしげるアルマロスの表情は心底不思議そうだった。
本当にwin-winと思っているのだろう。むしろ善行を積んだとさえ思っているかもしれない。そう言う奴なのだ。こいつは。
アスモデウスは、イライラを隠さずに――むしろ見せつけるように――足を揺らして問いかける。
「それで今日は何の用? 私は色欲するので忙しいんだけど? 用が無いなら帰りなさい。邪魔よ」
「色欲するって何ですか? 馬鹿な言動は、見てる私が恥ずかしくなるから止めて欲しいのですよ……まあ、いいですけどね。今は貴方が『色欲』な訳だし」
だけど、と。
アルマロスは床に散らばる男の破片を指して問うた。
「こんな
アルマロスが先ほど投げ捨てたモノ。
一見、枯れ切った人間の亡骸に見えるモノ。しかし、それは人間の男を模しただけのマネキンだった。
「気付かれたか!?」とアスモデウスの頬に冷や汗が流れる。
「あ、あら~? 私の吸精が強すぎたかしら? いつの間にか人間が植物みたいに枯れちゃってたのねぇ~」
「……アスモデウスさん、ちゃんと他の人と魔力を混ぜてます? 堕天して光輪は無くなったけど、堕天使の性行為も魔力を混ぜ混ぜすることなのですよ? 理解しています?」
「してるしてる。超してる」
「人間みたいに肉欲を貪っても良いのですよ。人の男女は性器同士を擦り合わせるそうですよ。試してみました?」
「あー……あれね。はいはい。結構やったかな。でも、飽きちゃったからもういいわ」
「へー、どうでした?」
「え? ぁー……あーん、って感じ?」
「……」
「な、なによぅ?」
無言で突き刺さるアルマロスの視線に耐えられず下を向く。
「嘘っぽい……確認しますね」
「え、っちょ!? ちょっと待って! 確認ってなに……どこ見る気!?」
怪しげな手をして忍び寄ってきたアルマロスに思わず、アスモデウスは立ちあがった。
己のズボンを引っ張ろうとする変態女に必死で抵抗。
肉体に執着しない天使――元、であり今は堕天使であるが――のアスモデウスでも、陰部を見られるのは普通にイヤだった。
なにより、この変態女が性的に襲ってきそうでイヤだった。
「やめ、なさいー! アンタ、人のパンツは見ちゃいけないって親に習わなかったの!?」
「私が最初に見たパンツは親のモノでした! 気になったので!」
「知らないわよ、そんな情報! いいから止めなさいっ、って! この変態女がぁ!」
ガンッと思いっきりアルマロスの頭部を蹴り飛ばす。彼女は眼鏡を吹き飛ばされながら、地面を滑って壁に激突。
そのまま死ねとアスモデウスは毒づいた。
「はぁ、はぁ……! ほんと嫌い、この女……! 欲望に忠実過ぎるのよ! 少しは理性を持ちなさい!」
「……私達に理性なんか無いのですよ? 欲しいと思ったら躊躇しないのです。あなたも悪魔なのだから、そろそろ理解するのです」
「イヤよ。私はまだ天使よ」
「では試してみます? 証明方法は簡単なのですよ」
「……ふん」
にこやかにアルマロスが自分の翼を指さして言ったが、アスモデウスは答えない。
これ以上の対話に意味はない。アスモデウスは嫌そうな顔を浮かべて、崩れた玉座に腰かけた。
「アンタは気楽そうでいいわねぇ。……私がどれだけ苦労してるか知らないでしょ! この前なんてねぇ――!」
アスモデウスの口から、大量の愚痴が流れ出る。
『嫉妬』から援軍要請があったこと。天界に攻め入るぞ、共にあのクソ天使を殺そう! という物騒なお誘いを受けたこと。それを宥めるので大変だった事。
『怠惰』がいつも寝ている場所から消失して、どこかに遊びに行って行方不明になってしまったこと。その結果、魔界の第8層が戦国時代に突入した事。
『憤怒』は常にブチ切れて興奮してるから、会っても何喋ってるか理解できない事。
『暴食』には食事ばかり誘われて、最近、太ってきた事。
『強欲』からは謎の"リボ払い"とかいうシステムを勧められたが、よく分からなくて悩んでる事。
『傲慢』がキショイこと。
アスモデウスの口からそんな愚痴がとめどなく溢れ出す。
濁流のような不満を聞かされたアルマロスはうんうんと頷くと、笑顔で言った。
「――楽しそうで何よりですね!」
「ぜんぜん楽しくないんだけど!!? アンタ、話聞いてた!?」
「はい、アスモデウスさんが大罪悪魔のみんなと仲良くやれてるようで、一安心なのです」
「は……? ま、まあ? 私は社交的だからね。周りとの仲も悪くないかもね。……アンタ以外とはね」
堕天する前はあんなにも恐れていたのに――それこそ、悪魔と取引を結んでしまうほど――いざ堕ちてしまえば悪くない。
仕事をしない。欲まみれで、好きなことばかりして過ごす日々。
ムカついたら怒る。気に食わない奴は殺す。誰にも縛られない自由を謳歌する。
天使の価値観から見れば、異常も異常だろうが。
――もっとも、これさえなければ、だが。
「うんうん。いい感じに欲望を謳歌してますね。じゃあ、あとは肝心要の『色欲』ですね。はい、入れますよー、力抜いてー?」
「ちょ、ちょっと!? 待ったぁ! 止めなさい、私に触れるんじゃない! ――うあぁああ! 入ってきた! 私の中に、アンタのキモい魔力がヌルっと入ってきたぁ!」
アルマロスが抱き着いて、その魔力を全身に流し込んできた。
突然の凶行にアスモデウスは顔をこわばらせて、身もだえる。
「ひっ、やぁ……気持ち、悪い……!」
自分の中に他人が入ってくるような錯覚。全身が泡立つような不快感。
「ほらほらアスモデウスさん、私にも下さいな。そうしないと終わりませんよ?」
「このっ、クソ女っ……!」
ぐりぐりと顔面に光輪を押し付けてくるアルマロスに、怒りを籠めたパンチと全力の魔力を叩き込む。
ビクンとアルマロスの体が跳ねた。
「う、ん~! こんなの、ただのお遊びと頭では分かっているんですけどねぇ! それでも、やっぱりキますねぇ! 自分で自分に犯されるような、この感覚! 濡れますねッ!」
「やかましい! 終わったら、さっさと退きなさい!!」
馬乗りになっていたアルマロスを蹴り飛ばし、立ちあがる。
無理やり注ぎ込まれた魔力を慌てて放出。こんなのを体内に入れたままなんて、気色悪くて堪らない。
「あ~勿体ない。魔力を貯め込めば、貯め込む程、強くなれるのに」
「みんながみんな、アンタみたいな変態じゃないことを理解しなさい。アンタ、魔力を詰め込み過ぎて光輪ガバガバのゆるゆるになってるわよ」
堕天使となって、悪魔と化して。様々な悦楽を経験してきたアスモデウスだが、いまだにこれだけは慣れなかった。淫欲の良さだけ全然、分からない。
「もう~、今は貴方が『色欲』なのですよ? もっとちゃんとしてください! この程度のお遊びできないでどうするのですか!? 」
「お遊びじゃないわよ! これは本番っていうのよ! す、好きな人とだけする行為なの! そうじゃないとやっちゃダメなのよ!」
「おこちゃまか……」
やれやれと肩をすくめるアルマロスに、怒りが込み上がった。
人の事情を知ってるくせに考慮しない。
「ふん、アンタみたいな淫乱の翼が白いままなんだから、さぞかし、現代の天界の風紀は乱れているのでしょうね。あの新しい女神のおかげかしら? きっと、そいつも淫乱ね!」
「……」
「どうせあの美貌を使って、色んな天使を誘惑してるんでしょう。アンタも存分に可愛がってもらったの? ひどく女神に傾倒してるものね、そんなに気持ちよかったんだ。思い人が同類のビッチで嬉しいでしょう?」
「……」
「あら? だんまり? さては図星ね。私が現役の天使だった時は分からなかったけど、そろそろアイツも醜い本性を現わして――」
「うーん、そろそろ不愉快ですねぇ」
顔面を掴まれて、無理やり口を閉じさせられる。
「ッ!?」
「私が言い返せないから黙ってると思いました? まあ、そう言う時もありますけどね~。今のは、ただ馬鹿な人の妄言に返事するのが面倒だっただけなのです」
上位天使が放つ、本気の威圧が『色欲』を務めるアスモデウスの全身を貫いた。
内向的で線の細い体に、戦闘とかけ離れたポヤポヤした緩い顔。ましてやインドアの極致のような司書長という職務をこなすアルマロスだが、その実力は並ではない。
「人が黙っていてあげたのに、調子に乗り過ぎるのは良くないのですよ~? 慢心、軽口は身を滅ぼすのです。いくら悪魔だからって、それは悪行が過ぎるのです」
そもそも人員不足などの例外を除けば、上位天使には文武両道でなければ就任できない。アルマロスは伊達や酔狂で智天使をやっていない。
「私の翼が白いのは女神様と無関係。堕天の機序すら知らん愚昧が、分かった振りして女神様を語るとは……良くないですね~」
「……!」
「いいですかぁ? サーヴィトリー様は私の神になってくれるかもしれない存在なのですよ。古代神族の愚図共とは違い、崇拝しているのです。アレは私のモノなのです」
「ひっ……! わか、った……分かったから!」
悪魔に理性なんか存在しない。
つい先ほど、アルマロス自身が放った言葉だ。
悪魔にあるのは損得勘定。だが、それは理性よりもかなり緩い自制心。
欲望によって一度強くアクセルを踏み込んでしまったら、早々に自分を律することなどできない。悪魔が一度そうと決めたなら、己の気分を害した者を生かしておくことはない。
アルマロスの手が顔から、首へと移り行く。明確な殺意の籠った目が覗く。
「あっ……が……!」
徐々に首が締め付けられて息が漏れる。もう声を上げることすらできない。
「一度死ねば、その頭は回るようになりますか? 貴方は自分の立場を思い出せますか?」
「ぐっ……あ、ぇ……」
――殺される。
アスモデウスは心で理解した。恐怖に竦んで体が動かない。涙があふれ出る。
意識が混濁して、膀胱が緩む。もう、命の火が消える。その寸前――
「――なーんて。ウソウソ。冗談なのですよ。私が貴方を殺すはずがないのです、便利な道具は大切に使うのです」
「がひゅ! ゲホゲホっ……え、ぅ……ぁ?」
「理性は、頑張って会得したのです。もっと人間レベルで理性が欲しいけど……中々難しいですねぇ。思わず殺しちゃいそうになったのです。反省です」
欲望が強いのは悪魔よりも人間の方だ。
だが、より悪事をなすのは悪魔の方。なぜなら人間は欲望相応に理性と自制心を持つからだ。
欲望も理性も弱くてバランスを取っているのが天使ならば。
強い欲望と、強い理性でバランスを取っているのが人間だ。
一方で、欲望だけが強く、理性を持たないのが悪魔。コイツだけバランスが取れてない。だから、頭がおかしいのだ。今みたいに、突然キレる。
「理性は良いですよ。コレがなければ、天界に居られないのです。気を抜くと、誰かを襲っちゃいそうで……困りものですね」
もしも、このバケモノが完全な理性を得たのなら。
きっと天使や悪魔を超越した怪物になるに違いない。アスモデウスは、何となくそう思った。
「……それで、アンタは何しに来たのよ。私をイジメに来たの? 久しぶりに来たのに、用件も話さず、もう何なのよ……!」
「あ、そうでしたそうでした。ちょっと楽しくなっちゃいました。すみませんね~、申し訳ない」
心にも思ってないような謝罪を貰い、アスモデウスは頬をひきつらせた。
アルマロスが、こういう見た目だけでも下手に出てくる時は大概、碌な事を言い出さないのだ。
なんだ? 金の無心か?
それともまた、天界に侵攻させないため『嫉妬』の怒りを抑えろと言う無茶振りか?
どんなことを言われても驚かない様に心積もりする。
「では、単刀直入に言いましょう。アスモデウスさんは今後、熾天使のサラフィエルさんに命を狙われますので、頑張ってくださいね。今日はその報告でした」
「……は?」
ほらきたぞ、と思ったが。予想外が過ぎた。
アスモデウスは顔を大きく歪めて、怒りの声を上げた。
「はぁあああ!!?」
無情の天使サラフィエル――長く生きた悪魔でその名を知らぬものなどいない。
サラフィエルは今でこそ半消滅している"天軍"で、ただ飯ぐらいをやっているが、かつての大戦では、最先鋒で猛威を振るって暴れまわった天界最高戦力の一角だった。
当時は中位の『主天使』だったはずなのに、いつの間に昇格したのか。
アスモデウスも堕天する前に会ったことはあるが。あいつ……昇格試験の座学、ようやく受かったか。そんなことを呆然と考える。
「い、いやそうじゃないわ! 私がサラフィエル先輩に命を狙われる!? なんで!? どうして!!?」
「いやー……まあ、それはいいとして」
「良くないわよ! ぜんっぜん良くない! だって私なにも悪い事してないじゃない!」
もしも、サラフィエルと相対したとしよう。
もう長らく会っていないため今の彼女の実力は不明だが、当時と一切変わってないと楽観的に仮定しよう。
アスモデウスは1分と生き残る自信が無かった。
己もかつては『智天使』として戦場で轡を並べたことがあるが、その実力は雲泥の差。階級の差が実力差でないという事を、まざまざと見せつけられた相手である。
「いや! イヤよ! サラフィエル先輩に命を狙われる!? そんなの私、死ぬしかないじゃない!?」
「いいじゃないですか。どうせ、再誕するでしょう?」
「痛いのは痛いのよ!? 魔力も霧散しちゃうから、ちょっと弱体化するし! 最悪は復活と殺害をループされることよ! いやー! リスキルはマナー違反よ! いやぁー!」
狂人天使に一度殺された『嫉妬』が怒り狂っているのは、それが理由である。
もしも首を返還されなかったら、もっと弱体化していただろうし、軍団を率いて天界への侵攻も辞さない構えだった。
かと言って返されたら返されたで「馬鹿にされた!」とか「お前の首なんかいらねぇよって訳!?」とか言って怒ってる。どうすればいいのか、アスモデウスにはさっぱり分からない。悪魔の感性は複雑怪奇なり。
「そうだ! アンタ以前、
「あー、はい。……いやー、見事に失敗しましたねぇ。おかしいなぁ、絶対上手くいったと思ったのですけどねぇ」
「ハァン!? どこで失敗したのよ、取り返しはつかないの!?」
せめて女神が堕天――するかは不明だし、たぶんしないが――したら天界は大混乱待ったなし。
最後の女神を失った天使は再び存亡の危機に陥るし、人間だって後ろ盾の天使が総崩れで、人間界は悪魔が支配する暗黒時代に移り変わる。
サラフィエルが自分を狙う余裕も無くなるだろう。そう思って作戦のいきさつを聞いてみたのだが。
「いやぁ……計画自体は完璧だったんですけどね。召喚術式に齟齬があったみたいで……肝心の召喚段階で失敗しました」
「……そもそも、どうやって女神を堕天させるつもりだったのよ。アンタ何を召喚したの?」
「ほら、以前説明したでしょ。三界や異世界を含めた多次元世界の中から、『女神を苦しめて、堕とす』可能性が高い存在を呼んだのです。召喚陣だって発動したのですよ」
「じゃあ、成功したんじゃないの?」
「いやぁ……それが、陣が発動しても何も現れなかったのですよねぇ……どんなバケモノが召喚陣から出てくるかとドキドキ期待したのですが……肩透かしなのです。失敗なのです」
「ならダメかぁ」
そうなると、どうすれば自分が生き残れるか。
アスモデウスは一生懸命考える。そして判断した。ムリ。
「アルマロス……ちょっとお願いがあるんだけどね?」
「イヤなのです」
「せめて聞いて頂戴よ! なんでダメなのよ!」
「今の私はザラキエルさんの堕天治療で手一杯なのですよ。女神様に頼られちゃったら、私も頑張るしかないのです!」
堕天の治療?
天使を堕落させる側の悪魔が……なんなら、女神すら自分と同じところまで堕とそうとした性欲オバケが。お願いされたからって堕天の治療……???
聞き間違いかと思って、アルマロスの顔を見る。
なにやら女神に頼られてまんざらでもなさそうな表情を浮かべていた。むふんと息を吐いて自慢げなのが、非常にムカついた。
「悪魔が女神の味方をするな! この盲愛野郎!」
「失礼ですね、純愛ですよ」
やかましい! 純愛な奴は、相手を堕落させようとしない!
アスモデウスはぎゃぁぎゃぁと騒いで喚き散らした。アルマロスは嫌そうな顔で耳をふさいで聞かぬふり。
二人きりの騒がしい廃城で。こうして魔界の夜は更けていく。
▼
一方その頃。
「んぅ、ぁ……むー」
「あら、ザラキエル起きちゃったんですか?」
「んー……女神様、どこぉ……」
「はいはい、私はここですよ。ごめんね、調べものしてました」
ベッドの上でむくりと身体を起して、親を求める雛鳥のようなザラキエルを見た女神の頬が緩む。
机の上に読みかけの本を置いて、添い寝を要求するように両手を伸ばすザラキエルを抱き留めた。
それを見た、猫用ケージに閉じ込められたクロが文句を言った。
「ねー、主の扱いに対して、ボクの扱いが雑じゃないー? なにこれ、完全に猫待遇じゃん。おかしくなーい?」
「黙れ。女神様の寝室に悪魔が入れたことが奇跡なんだぞ。少しは我慢しろ」
「うるさいなぁ……どうせお前が不寝番するんだから、なにも檻に閉じ込めなくていいじゃん……うおぉー! ボクを解放しろー! エサ寄越せー!」
「止めろ! 騒ぐな! ザラキエルが起きるだろ!」
「うー……うるさい、熾天使さん」
「ほら見ろ! ザラキエルが起き――え!? わ、私が悪いのか!?」
ガヤガヤと賑やかになってきた周囲に、女神は思わず笑みをこぼした。
自分の寝室で夜中に何人も集まって話し込む。ほんの一ヵ月前では想像できなかった生活だ。
これを嫌だと思う人もいるだろう。けれど、女神にとっては悪いものじゃなかった。
「全部、貴方が切っ掛けなんですよ。ザラキエル」
ずっと天使たちから一線引かれていた。
欲望が希薄なせいだろう。どこか機械的で、仕事一筋の天使達とは、ずっと深い仲になれなかった。
関わろうとしても「女神様は座っていてください」なんて大事にされるだけだった。
それがどうだ。
今は、みんな感情を隠さずに、あるがままを魅せてくれる。楽しい時間をくれる。
切っ掛けは全部、全部ザラキエル。代わり映えしない日々に彼女が新たな風を吹き込んだ。それは苦しくて、痛くて、辛くもあるが。それ以上に嬉しくて、愛しい時間。
「だから、ね。早く良くなって、また一緒に遊ぼうね。ザラキエル」
愛情を求める様に抱き着いてきたザラキエルの背中を撫でながら、考える。
この子を落とさなきゃいけないのに。
戦闘よりも
――これじゃあ、私の方が先に落とされそうだ。
女神はそう笑って眠りにつくのだった。