天界にも朝や夜の概念は存在する。
人間界と同様に朝になれば日が登り、夜になると月がでる。
ただし天使に昼夜の概念はない。
あいつら「え、こっちって今、夜なんですか!? じゃあ地球の裏側行きますね! そっちなら働けますね!」とか言って、仕事できないなら、仕事を求めて移動しやがるから頭がおかしい。
たぶん天使とは、太陽と共に動く新種の異星人。
価値観が違い過ぎて、理解しようとすると頭がおかしくなって死ぬ。あれはもう、ああいうものと見て笑うのが正しい扱いだ。
……うん。分かっては、いるんだけどね。仕事を渡されると、どうにもね。俺も働かずにはいられないのよね。
あ~あ、社畜の辛いとこね、これ。
死にたい。死ぬ。
なーんてのは、今から1年以上も前の出来事だ。
悪魔狩りという天職に出会って、女神様に癒されて。生まれ変わった俺の一日は優雅な朝から始まる。
ちゅんちゅんという小鳥のさえずりで起床。カーテンの隙間から差し込む日の光を見て、今の凡その時間を把握。うーん……朝6時。
なんと、日が昇るまで俺は寝ていられるのだ。かつての職場や、そもそも就寝時間が存在しなかった初期の天使時代と比べると、破格の待遇だ。
「ん~……!」
丸まる様に眠るタイプの俺は、起きた後に背中が固くなった気がして一度大きく伸びをする。
羽をピンと張って、へにょりと垂らす。数度繰り返すと、眠気はバッチリ無くなった。ただ、気になった事が一つ。
「……羽、痛いなぁ」
右の羽の付け根が痛い。スジを伸ばすと燃える様な灼熱痛が走る。我慢できないレベルじゃない。けど気になる。
たぶん昨日の戦闘の後遺症。治りかけで爵位級2体は無理をし過ぎたか……。
一晩たてば良くなるだろと思いきや、寝て起きたら悪くなっていた。
さて……どうしよう。
「女神様に報告……する? しない?」
報連相とかいう、クソ制度。
報告すると、無駄な時間を取らせるなと怒られて。
連絡すると、どうでもいい事を一々言うなと睨まれる。
相談したらしたで、お前は無能なのかとネチネチ文句を言われる始末だ。ちなみに返答はもらえないから、はぁ~ほんまクソ。
無論。女神様はそんな塵にも劣る元上司とは比べるまでもなく、いい人だと分かっている。
俺が羽の痛みについて相談すれば、きっと真摯に話を聞いてくれる。なんだったら、また休みをくれるかもしれない。
でも……なぁ……。
言いたくない。非常に……言いたくない。
気分は、土日ではしゃぎ過ぎた新社会人。月曜日になって熱が出たので休みますとか「社会舐めてんの? 休みの間何してたの?」って思われる大罪だ。
休み明けの初日で敵の攻撃を貰ったわけでもなく。ただ自分が調子に乗った結果の怪我など情けなくて言えやしない。
仕事を怠けるには、怒られないし呆れられない、しっかりした理由が欲しいのだ。
「なにを悩んでる。どうせ羽が痛いんだろう、早く言え」
なんか熾天使さんに怒られた。
「……いたの? 熾天使さん、寝てないの?」
「天使は眠らない、当たり前だろう。むしろ、何故ザラキエルは眠るんだ? もっと働きたいと思わないのか。……好きなだけ戦えるんだぞ?」
なんか恐ろしいことを言われました。思わず二度見。
お、お前も労働星人だったのか熾天使さん……。俺はつい、不良天使だとばかり……。
「眠りたいから、寝るんだよ。お腹が空いたらご飯だって食べたいし、仕事をサボりたくなる時も、ちょっとは、ある」
「……そうか。お前もかなり欲望が強いな。自制心を失うなよ。堕ちるぞ」
「ん」
むしろ、三大欲求の全てを失っている天使達は、どうやって生きてるんだよ。
欲望って悪く思われがちだけど、それは生きる原動力だと思うのだ。欲望があるからこそ人間は何かを為したいと思う訳で、それが0になったら人は生きる屍になるんじゃないかなって。
まあ、天使は別種族だからね。
昆虫みたいに「正義と仕事」という本能だけで生きてるのかも知らん。深く考えても分からないことは気にしない。
「それで、羽の報告はまだか? 私はまだ、お前から何も聞いていない」
「……何で分かるの?」
「昨日あれだけ動いたんだ、多少の影響は出るだろうなと思っていた。それに動作を見ればわかる。右の翼、庇っているだろう」
「んー……」
俺の指導員さんが優秀で困る。
しょうがない。正直に相談するとしよう。
それはそれで怒られるかもしれないが、休めるかもと思うとニヤけてしま――っハ!?
いやいや、俺は煩悩に負けてはいかんのだ!
もっと神妙な顔で、しょうがなく休むんだといった体で報告しなければ。気を付けよう。
「ちょっと右の羽、痛めちゃった」
「え!?」
女神様が起床後、落ち着いたころを見計らって俺はそう切り出した。
「み、見せてください! うわっ……ほんとだ。癒着しかけてた部分が赤くなってる……! どういう時に痛みますか? 動かすとどうです?」
「んー、伸ばすと痛いよ。動かしても……痛い。まあ、我慢できるけど」
「ああ、良いです良いです無理しないで。うーん……これは、どうしようかなぁ……」
女神様が俺の羽を見ながら悩んでる。
もしかしたら、休んでいいよって言ってくれるかもしれない。ちょっと、ドキドキしながら女神様の裁定を待つ。
「ザラキエルは、どうしたいですか?」
「え……!?」
まさかの俺への投げかけだった。
こ……これは、どう答えるのが正解なんだ?
正直休みたいです。女神様と一緒に、また人間界に遊びに行きたいなって思ってます。でもそんな欲望丸だしの返答が、堕天的に正解とは思えない。
女神様も俺が『怠惰と色欲』で落ちかけている事を知っている。だからギリギリの返答で攻めてみる。
「じゃ、じゃあ今日は……私の、自由にしていい日……にする」
『休日』なんて単語は意地でも言わないぞ。
そんなこと言って自分の欲望を刺激したくない。どうせ女神様は俺が怠惰なのを知っているんだから、これでも伝わるはず。
……チラッと、羽を確認。よしよし、まだ黒くなってない。
「いいよね? ほら、羽も黒くなってない。大丈夫」
「うっ……じ、自由にしていい日って……一体、なにする気なの?」
返答に困ったような女神様の顔を見上げる。だけど、すぐに否定されなかった。
どうやら女神様的にも、この怪我は休んで良い日に値するようだ。
―― 勝った! 勝った! 今日は休日だ! 休めるんだ! よくやったぞ、クマさん悪魔! よく俺を痛めつけた!
「フっ……くっ……ふは」
たった一日出勤したら、また休み。
なんだこれは天国か。嬉しくなって、笑みが零れそうだ。
いや、駄目だ、まだ笑うな。堪らえるんだ、しかし……!
「ダ、ダメです! いけません!」
「え?」
えっ、だめなの?
……え!? 俺、休んじゃダメなの!!?!
「な、なんで……!?」
「ザラキエル。私は怒ってます。どうして貴方はそうなのですか。なんですか、その怪しい笑みは。もっと周りの天使さんを見てください、貴方みたいな人がほかに居ますか?」
「うっ……」
「みんなできる範囲で仕事をやっているんです。無理を言わないで、問題を軽く考えないで。翼を傷めたのなら、たまには他のことをしたっていいんですよ?」
きびしい……女神様の説教が心に痛い。
無理を言うなって「この程度の怪我で休みたがってんじゃねぇ」ってこと? 羽が痛ければ、戦闘がない仕事をすればいいじゃない、ってことぉ!?
……いいじゃん! だって羽が痛いんだもん! 休んだっていいじゃん!!
「だって……だって、私は……」
そりゃ、デスクワークなら問題なく働けるだろうさ。羽なんか使わないもんね。そりゃそうさ。
正しいことを言ってるのは女神様で、怠惰な俺への正論パンチが痛すぎる。でも他の仕事とかしたくないの! 俺は休みたいの!
「っ……! ザラキエル、貴方……羽が……!」
「え? あ、黒」
毛先がほんのりと黒くなってきた。女神様と熾天使さんの目が見開かれた。
やばい……俺、怠惰に支配されかけてた? うあぁ。
「うー……っ!」
理性と欲望のせめぎ合い。それは、妥協点のさぐり合いだ。
俺は他の天使と同じ仕事なんかしたくない。だけど、女神様の言ってることも理解できてしまう。だからこそ悩ましい。
……あーもう! いいだろう。
働いてやろうじゃないか、久しぶりの通常業務! ただし――
「女神様も、一緒」
あんな辛いこと、隣に癒しが居てくれないと死んでしまう。だから、
「女神様も、一緒なら……いいよ。私は普通の天使の仕事も……やる」
「ザラキエル!? ――はいっ! じゃあ、今日は一緒にお仕事しようね、ザラキエル!」
気付けば俺の羽は再び真っ白に戻っていた。
そりゃそうだ。こんなに泣き出しそうな心を押し殺して、頑張ってるんだ。堕天が止まってくれなきゃ、そりゃ困る。
なんか熾天使さんは、信じられないものを見たような目で。何度も眼を擦っては、俺の羽をジロジロと見てきたが。
……なんだよ。なんか文句でもあんのかよ。
▼
女神様の神殿から東に少し行った所に天導院の総合本部は建っている。
天導院とは文字通り『天界が人間を導く』ことを良しとしている思想の職場である。
職務の内容は主に犯罪者の監視や宗教活動、神へ救いを求める人の元へ下りて天啓を授ける――まあ、人生相談みたいなもの――をやる事が多い。
俺が悪魔狩りをする前に、主として活動していた仕事内容でもあった。
天導院の本部に来る事はあまり無かったが、入ったらどうせまた死臭がするとか、血の臭いがどうたら、とか言われるんだろうなぁと。入る前から憂鬱だ。
「じゃあ、クロと女神様はここで待っててね。ちょっと行って仕事貰ってくるから」
「はーい。じゃあ私はクロちゃんと遊んで待ってますね、いってらっしゃい」
クロを胸に抱いた女神様はそう言うと、天導院の入り口から脇に逸れた。
遊ぶ……女神様と遊ぶ。いいなぁと二人の様子を少しだけ見ていく。
地面にクロを降ろした女神様は、神力で謎の猫じゃらしを創り出した。
なるほど、それを振って猫と一緒に遊ぶのか。と思いきや、女神様は全身でぴょんぴょん跳ねだした。特に猫じゃらしを振るとかない。
え? なんで?
その手の猫じゃらしは何のためにあるの?
女神様が手に持ってるだけで、無意味に揺れている。猫じゃらしは?
だけどクロも女神様に釣られて連続ジャンプ。
二人で向き合ってぴょんぴょん、ぴょん!
な……なんだこれは……? これは一体どういう遊びなんだ!?
もしや女神様は猫じゃらしの使い方をご存じない? 猫との遊び方をご存じない!? な……何がなんだか分からんが、なんだか可愛いぞ!?
「ほら、女神様の心配をしてないで行くぞ。大丈夫だ、クロに襲われても問題無い。女神様には他の護衛が付いてるだろう」
「え、護衛? ……いる?」
「なんだ気付いてなかったのか。ふっ……まだまだ、だな。隠れ潜んでるのが5人、探してみろ」
いや……そう言う意味じゃなくて。
あのアホ面でジャンプしてる怠惰猫のクロが、女神様を襲うとは思えないという意味で護衛が必要か聞いたのだ。
しかも隠れてる護衛は5人じゃなくて、7人ぐらい居ないか? 格好つけてるところ悪いけど、大丈夫か熾天使さん。
「……」
「ふふ、そう見つめるな。これでも私はお前よりも長く生きてるからな……この程度はできるんだ」
照れてるみたいだけど、俺は呆れてるんですよねぇ。
ごめんね俺の表情が分かりにくかったね。ごめんね……。
なんだか俺の方が恥ずかしくなって来たら、小走りで建物の中に逃げ込んだ。こっちの方がまだマシだ!
「アメリカ支部より増員要請よ。各教会での説法待ちが一月を超えたわ。直ちに手隙の天使を派遣して」
「手隙? そんな奴はいない。それよりインドの犯罪係数が増加しているぞ。監視員は何をやっている? グラフも見難い。この資料を作った奴は誰だ、いますぐ作り直せ!」
「日本政府から支援要請きました。『英雄』が引退するから、都市部での悪魔の蔓延が懸念とのこと。上位天使の追加派遣を希望しています」
「あほですか! そんなのは統制局の仕事でしょ!? そっちに回してください!」
入口を跨いだ瞬間、喧騒に包まれる。
受け付けの奥では鳴り止まぬ電話対応に追われて、駆け回る職員の姿が多数みられた。時折、書類が空を舞っては怒鳴り声が響く。
「あー……懐かしい光景」
前世の職場を思い出して、気が滅入るね。この感じ。
「熾天使ガブリエルはどこに行きました!? どこ探しても居ないんですけどー!?」
「なんかさっき仕事してくるって言って人間界に下りてったよー?」
「はあ!? なぁあんで、熾天使が現場に降りるんですかー!? いいからお前は書類の判子だけ押してろっての! 誰かあの馬鹿を引き留めてよ! 決裁が止まるでしょ!?」
ワイワイ、ガヤガヤと。
仕事量の調整や現場への指示。書類作業に電話対応、外部との調整。可愛らしい女の子たちが懸命に働く姿は、ちょっと見ただけなら微笑ましく感じるね。
だけどここは、24時間いつ来てもこんな状況だからね。
試しに半日ほど、どんなもんかなぁって彼女たちの働きぶりを見ていた時があるが……俺の方が気が狂うかと思ったわ。あいつら飯休憩もトイレ休憩もねんだわ。睡眠? ある訳ない。
ああ……精神への負担が大きい。あまり長居したい場所ではない。
早々に仕事を貰って行こうと、受付の近くに居た子に挨拶。
「久しぶり……なにか、仕事ある?」
「うわっ! なんか来た!? ちょ、ちょっとストップ! それ以上こっちこないで! 穢れるわ!」
はい、さっそくバイキン扱い喰らいました。ふぁっきゅー……ぶち殺すぞ。
「ひっ……! お、おーい! ザラキエル担当ー! 早く来ーい!」
「えー? あ、はいはい」
奥の方のデスクで顔を上げた子と目が合った。
逃げていく子とは対照的に、親し気な表情で近づいてくる1人の天使。
「や。久しぶりだね、ザラキエル。なんでも悪魔祓い始めたんだって? もう来ないかと思ったよ」
「や」
天使に転生した俺がせっかく、野原でごろごろ昼寝してたのに……。「なにしてるの!? もしかして仕事無いの!? じゃ、じゃあこれあげる!」って言って、書類の束を押し付けてくれやがって……一生忘れんぞ、お前。
しかも事あるごとに俺を見つけては仕事を押し付けてくるし……許さんぞお前。
「えっと……今日は、天軍のサラフィエルさんと一緒なんだね。どうしたの?」
「まあ、ちょっとね。仕事なにかある?」
「あー、今日はザラキエルの方から欲しがるんだ、珍しいね。……いいよ。沢山あるから。少し持ってこようか?」
「お願い」
「はーい。承り~」
自分のデスクに戻って書類を漁り始めた天使の子の背中をみる。相変わらず、ひどい翼だ。
羽が不揃いで形も大きく歪んでる。生まれつきの奇形らしいが、初めて見た時は、つい痛そうだねって言ってしまったほど。
まあ、見た目だけで機能的には問題無いそうだが。
「はい、どうぞ! ちょっと少なかった? でも、ごめんね、今あげられるのはこれ位かな。もし足りなかったら、また明日きてね!」
「ん……ありがと……え、少し?」
……これで少量なのかぁ。でもこれ、たぶん今日中に終わらんよ?
両手でしっかり抱えないと零れ落ちそうになる紙束を持たされて、俺は内心ドン引きしながら建物を後にした。
そして外に出ると、まだ行われていた女神様と猫による謎の遊びが目に入る。
「ジャンプ、ジャンプ、ターン! ジャンプ!」
「ほい、ほい、しゅーん、ほい! ……たははっ! らっくしょー!」
「偉い偉い! じゃあご褒美にオヤツをあげますね!」
「猫缶でいい。3つでいいよ。あと撫でて」
女神様の指揮に従ってクロが踊ってた。しかもすげー安物で買収されている。
それでいいのか悪魔。
今のお前は完全に女神様の下僕だぞ。本当にそれで、いいのか……? 悪魔のプライドをどこに捨ててきた……?
ま、まあいいか。
それでは仕事に行くとしよう――そんな時に彼女はやってきた。
「あ、いたいた! すみません女神様! 大至急、対応お願いするのですよー!」
紫髪でメガネをかけた天使。
図書館の司書長をやっている、アルマロスさんが大慌てで飛んで来たと思ったら、女神様の前に着地して息を整えながら報告する。
「ま、魔界の大悪魔『色欲』のアスモデウスが女神様へお目通りを望んでいます! ど、どうすればいいでしょうかー!?」
女神様と熾天使さんの間に緊張が走る。
二人は互いに目配せすると、重々しく頷いた。
……どうやら俺の今日のお仕事は、もうそれどころではなくなったようだ。
ちょっとだけ嬉しいのは……内緒。