転生TS天使ちゃんは怠けたい   作:テチス

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前哨戦

 

 コンクリート作りの一室に、闘気が満ちていく。

 

 意識があるんだか無いんだか呆けているザラキエルと、それを人質のように抱える私――"色欲のアスモデウス"に対して、怒りを向ける熾天使のサラフィエル。そして絶望の表情を浮かべた女神サーヴィトリーに、混乱中のアルマロス。寝てる猫。

 

 なんだこれは! もう状況は滅茶苦茶だ!

 

「アスモデウスさん……私は、貴方のことを信じたのに……どうして……なん、ですか」

 

 女神が、今にも泣きそうな表情で私を睨みつけてきた。

 え、冤罪よぉ~!? なんでこうなるの!?

 

「お、落ち着きなさい! いま治すから!」

 

 盾のように抱えたザラキエルを手放すわけにはいかない。

 何がなにやら分からないが、今の状況は完全に私が裏切ったような構図になっている。

 ザラキエルを手放せば最期。私は弁明の時間さえ許されず熾天使に斬り殺されてしまうだろう。

 

 まずは疑惑を晴らすのだ。私は、慌てて懐から『催欲剤』を取り出した。

 たぶんザラキエルの状態は、制欲剤が効きすぎた結果。急激に欲望を失い過ぎたことで生じた症状だから、これをちょっと飲ませれば治る……と思うのだ。たぶん。

 

「や、止めてください!! やっぱり、ザラキエルを堕天させる気じゃないですか! そんな毒薬を取り出して!」

「ち、違うわ! 制欲剤が効きすぎたのよ! 過剰摂取だったの! これを飲めば、元に戻るはずよ!」

「信じられるか! いますぐその薄汚い手を放せ、アスモデウス!!」

 

 サラフィエルが邪魔なテーブルを蹴り飛ばして広い場所を作る。完全に戦闘態勢だった。

 彼女が抑えていた魔力を解放。部屋中に破邪の光が漂ってチリチリと私の肌を焼く。

 

 まずいぞ、まずいまずい! これは、まずいわ!

 釈明する機会すら貰えない! 死んでしまう! 死んでしまうわアスモデウス!

 

 ――っだめだ! ここで殺されるのだけは駄目。

 私は世紀の裏切り者待ったなし! もう二度と話を聞いて貰えなくなる!

 

「そうだ! そこのアルマロスに聞いてみなさい! 彼女なら私の真実を知ってるはずよ!」

 

 この部屋でただ一人、無表情に佇む智天使のアルマロス。

 彼女には私が考案した『天界魔界の仲良し大作戦』の全貌を説明してある。私が泣いて縋ったら、彼女も渋々ながら賛同してくれた。

 アルマロスの本心は知らないが、それでも、できる限りの協力はすると言ってくれていた。だからきっと私を庇ってくれる。そう思ったのだ。

 

「おい、なんでお前なら知っているんだ? アスモデウスの言葉はどういう意味だ、答えろアルマロス!」

「……ぁー」

 

 熾天使の疑惑の目がアルマロスに向く。だけど、それは一時的。

 アルマロスが説明してくれたら、全ては誤解と解けるはず。まあ、そのためには彼女が内通していたことを明かさなきゃなのだが。

 

「……」

 

 アルマロスは、まさかの無言だった。

 むしろ「可哀想だけど、お前はもう終わりだね」なんて目で見てくる? こ……これ、は……まさか!?

 

「――女神様っ! あんな悪魔の甘言に惑わされてはダメなのです! 私達は完全に騙されていたのですよ! アスモデウスは最初から、私達と仲良くする気なんて無かった! ザラキエルだけが狙いだったのです!」

 

 こ、こいつ!? 自分に火の粉が降り掛かると思ったら、刹那で私を切り捨てやがった!?

 ……いいだろう! そっちがその気なら、私だって禁断のカードを切ってやる!

 

「最後の取引材料よ! そこのアルマロスを見なさい! あいつ女神の味方面してるけどねぇ、その本性は醜悪よ! アイツこそが本物の『色欲』の悪魔なの! 私はただの影武者よ!」

 

「黙れ、この悪魔! ――女神様! 敵は欺瞞情報で私達の分断を狙ってます! 所詮こいつは救いようのない悪魔だったのです! 仲良くなんて出来ないのです!」

 

 あーうるせぇ! うるせぇ! 悪魔が悪魔を悪魔呼ばわりするな! お前が黙ってろ悪魔筆頭の本物アスモデウス!

 いいかげん、()()()()()()()! 私が本当のアルマロスだったんだ! お前のせいで私の一生は滅茶苦茶だ!

 

「私を信じてサーヴィトリー! 最後にもう一度……もう一度だけでいいの! お願いよ!」

「……まず、ザラキエルを返してください。話はそれからでしょう」

「じゃあその熾天使止めなさいよ! 返したら、絶対に斬り掛る気でしょう!」

「当たり前だ! お前は、殺すと決めたんだ! アスモデウスッ!!」

 

 怒声に次ぐ、怒声。

 喧噪激しくなってきた部屋で、暢気な声がした。

 

「んー……うるさいなぁ、ボクが気持ちよく眠ってるのに……あれ!? 主ー!?」

 

 黒猫だ。

 いままで暢気に寝ていたコイツは、状況を把握しようとキョロキョロした後、よたよたとこちらに近寄ってきた。

 ザラキエルの足元に落ちていた空きビンを嗅ぐと一舐め。顔を歪めた。

 

「なんだよこれー! ど、毒薬!? こんなの飲んだら、ボク死んじゃうよ!! ……え!? まさか主、これ飲んだの!? 正気!!?」

 

 空気が凍るとはこの事だ。

 

「アスモデウスさん……それ、やっぱり毒薬だったんです、か?」

「は……はは」

 

 何というタイミングで、何ということを言ってくれるんだ、この黒猫悪魔!

 そりゃ天使以外が舐めれば猛毒に決まってるだろう!

 

 説明すれば納得してもらえるか? いいや、もう無理だ。

 熾天使のみならず、女神の目にも敵意が乗った。女神が私の裏切りを確信した。ならばもう挽回は不可能だ。こんなの笑う他ない。

 

「アはハハ! アハハハハッ!!」

 

 ――なんだこれは!! どうして、そうなるんだ!! 私は仲良くやりたかっただけなのに!

 頬が引き攣って凄い笑みになる。もはやこの場での弁明は不可能と判断。方針転換する。

 

「もう、終わり! 全部終わりよ! 来なさい『嫉妬』! アンタが望んだ展開よ、好きなだけ暴れなさい!」

 

 女神との直接会談だ。戦闘リスクは高かったのだから、私だって幾つも保険は掛けてある。

 合図とともに、私の影から1人の小さな女の子――"嫉妬の悪魔"レヴィアタンが飛び出した。彼女は笑いながら女神たちへ飛び掛かる。

 

「きゃはは! よくやったわ『色欲』、ついにあの狂天使(ザラキエル)を殺せるって訳ね! ……あれ、誰!?」

 

 私の影から飛び出した『嫉妬』の先に居たのは、怒り心頭の熾天使だった。

 ザラキエルは私の腕の中に居るからね。それより遠くの影から前方に飛びだしたら、そら、そうなるわよね。

 

「キサマッ、邪魔をするな! 殺すぞ!」

「あんた誰よ! 邪魔するんじゃないわよ! 殺すわよ!?」

 

 剣と爪の応酬。二人が戦っている間に、こちらは逃走準備。

 横目にアルマロスが魔法を放とうとしているのが見えた。無言ながらも、その目に宿す意志が隠せていない。

 

 ――私を消すつもりだ。

 変な証言をさせないように。いま、ここで、私を完全に消し去る魂胆。無論そんなこと許すつもりはない。

 

「させないわ!」

 

 悪魔の封印や完全消滅を目論む魔法の発動は手間がかかる。

 アルマロスの魔法発動よりも先に、私は()()()()()()魔法で切り飛ばした。そしてそれを代償に技能(フィート)を回す。

 

 さあ、私は一つ失った。次は得る番だ。世界よ答えろ!

 

「身命を賭して、供犠となせ――『呪禁の惨』」

「――っち! さすがに早いですねぇ!」

 

 一瞬にして世界が書き換わる揺らぎ。アルマロスが準備していた魔法が霧散して無駄となる。

 彼女は慌てて近接戦闘に切り替えようとするが、もう遅い。私を逃がすまいと包囲に動き始めたアルマロスを蹴り飛ばした。

 

「邪魔よアルマロス! 退きなさい! 魔法の使えないアンタなんて、ただのザコ!」

「あぐっ! ま、不味いのです! アスモデウスが止められない! 窓から逃げる気ですよ!」

 

 私の技能(フィート)――『呪われし体躯』は代償の呪い。

 腕か足か、どこかの部位を犠牲にすれば、相応の効果を発動できる。

 

 今回の『呪禁の惨』は、私以外の魔法発動を禁止する世界法則(ルール)の制定。

 これで厄介なアルマロスの魔法は封じた。女神であるサーヴィトリーも、魔法が使えなくなったことでオロオロと慌てている。

 『嫉妬』も何よコレー! と騒いでいるが……まあいいわ。アンタは捨て駒よ。

 

「っく! 逃げるな! 逃げるなァ! アスモデウス! ――ええい、邪魔をするな『嫉妬』!」

「邪魔してくるのはアンタじゃない! 私にザラキエルを殺させろォ! フッザケンじゃないわよ!」

 

 よし、よし。

 厄介な熾天使は『嫉妬』が相手してくれている。

 

「ザラキエル! ――あぅ!」

 

 女神が捨て身で体当たりしてきたが、あまりに貧弱。

 私は何もしてないのに、勝手にはじき返されて尻もちをついていた。

 

「うおー! 主ー!?」

 

 かと思えば、近くで猫がぴょんぴょん跳ねていた。ザラキエルの服に爪を立てて猫が引っ付いた。

 

 な、なんだこいつは? ……まあこいつはいい!

 時間がないから、猫がくっ付いたままのザラキエルを私の影に収納して、私はビルの窓から飛び出した。大きく悪魔の翼で羽ばたいて滑空。

 

 最後の嫌がらせに、女神たちが残る部屋へと爆裂魔法を投げ込んだ。

 このままでは爆風に巻き込まれるので、私もすぐさま着地。

 

 轟! と炎が舞い上がり、吹きすさぶ爆風が私の背中を押す。同時に周囲のガラスのことごとくが砕け散って、煌めく雨が降る。

 

【挿絵表示】

 

「アスモデウスッ、貴様ァ――!!」

 

 煙の隙間からサラフィエル先輩が全員を守っている様子が見えた。何か叫んでたが、あまりにも目が怖かった。

 というか、あいつ……もう私の『呪禁の惨』を破ってる。

 なんでまだ10秒も経ってないのに、防御魔法使えるのよ……! 意味分かんない!!

 

「何事だ!? あの悪魔を止めろ! 発砲は……許可……で、できんが、とにかく止めろ!」

 

 大罪悪魔との会談に当たり、女神が日本政府に話を通していたのだろう。

 ビルの下では多数の警察車両が止まって規制線を張っていた。爆発という異常事態で何か察したのか、一人の警官が私を指さして叫んでいる。

 

 『英雄候補』と呼ばれる武装した人間も多数見受けられるが、こいつらに止められる程、私は軟じゃない。

 

「邪魔よ邪魔! 退きなさいニンゲン共!」

 

 人間はまだまだ弱すぎる。ならば大々的に攻撃する理由もないか。

 まだ和平の望みが繋がる可能性もゼロじゃない。……というか、和平できないと私の命がかなりヤバイ。

 これ以上、女神の怒りは買うまいと。人間の犠牲者だけは出さない様に警察車両を踏みつけて跳躍しながら規制線を超えていく。

 

「ふんっ、まだまだ人間ごときに負ける気はないわ!」

 

 片腕が無いからって舐められたものだ。

 中身は違うが、これでも体は大罪悪魔のモノ。膂力にモノを言わせて、飛び掛かってきた人間を蹴り返す。骨の何本かは折れただろう。

 

 そして私はなんとか逃げ切った。

 

 

 

 

 

 

 黒く焼け焦げた部屋に煤の臭いが充満する。

 爆圧によって崩落した天井があちこちに散乱。大きく抉れた外壁の鉄骨はむき出しで、もはやこのビルは倒壊寸前だった。

 会談場所を借りた国の政府へ、周辺住民の退去をお願いしてあった事に安堵する。

 

「女神様……申し訳、ありません。私がおりながら……みすみすと、敵を逃がしてしまいました……ザラキエルのことも、申し訳ありません……」

「いいえ……熾天使さんに非は有りません。私が、アスモデウスを信じてしまったのが、そもそもの失敗だったのです……」

 

 戦闘が終わり、慌てて外を見たが『色欲』の姿はもうどこにもなかった。慌ただしくなった警察車両だけが右往左往している。

 熾天使さんが憎々し気に、手に持った『嫉妬』の首を睨みつけた。

 

「せめて、コイツがいなければ……! もっと早く殺せていれば!」

「いいえ熾天使さん、違います……ぜんぶ私が悪いんです」

 

 まさか二人目の大罪悪魔が現れるなんて、想像していなかった。いや……それも私が甘かった、だけだろう。

 敵の言う通り他の護衛の皆を下げなければ、よかった。

 悪魔の言葉なんか信じないで、ザラキエルに薬を飲ませなければ、よかったのだ。

 

 どうして、自惚れてしまったのだ。

 他人の悪意ぐらい読み取れるなんて驕り高ぶって……。私は、私を信じてくれたザラキエルを犠牲にしたのだ。これじゃあ、昔の神族と何ら変わらない!

 

「ザラキエル……」

 

 敵はザラキエルを堕としたいはずだから、殺されてはいないはず。攫って行ったのだってそれが理由。

 だけど、相手は『色欲』。碌な目に遭ってるとは思えない。

 いや……まだそうと決まったわけじゃない。希望を捨ててはいけない。私は頭を振って最悪の想像を振り払う。

 

 そして、心配なのはザラキエルだけじゃない。

 熾天使さんだって今、どう見たって普通じゃない状態だった。

 

「あの……熾天使さん、凄く申し上げにくいのですが、翼……大丈夫ですか?」

 

 『嫉妬』との戦闘が始まって、熾天使さんが興奮し出してから、どんどんと彼女の翼は()()()()()()いった。

 彼女の翼はもう半分ほど黒くなっていた。

 

 堕天症状はザラキエルだけじゃない。熾天使さんすら蝕んでいたのだ。

 私はそれに全然気付くことができなかった。それがまた不甲斐なくて情けない。問題が起こり過ぎて、どこから手を付ければいいのか分からない。

 

「え? ……ああ。そうでありました。いま、直しますね」

 

 だけど、熾天使さんは大したことじゃないと言わんばかりに、自分の羽を手でぺっぺっと払うと、元の真っ白い羽へ戻ってしまった。

 

「え……え?」

 

 ど、どういうこと?

 そんなのありなの!?

 

「女神様、心配ないのですよ。サラフィエルのこれはもう千年以上昔からです。大戦末期からずっとこんな感じだから、どうせ堕ちないのです」

「……はい。私の技能(フィート)によるものです。まあ、私は、こんな天使ですので。ザラキエルに負けず劣らず、どうにも欲望が多いらしく……」

 

 そう言ってタバコに火をつける熾天使さん。

 煙を吐き出しながら、説明してくれる。

 

「私の技能は『諸行無常』。ありとあらゆるモノを変化させ、消滅させるという効能をもっております。が、それは正常発動時の効果。()()()()すれば、ありとあらゆるモノの状態を完全に停滞させるのです」

 

 故に自分は昔から堕天の真っただ中だったが、常時、技能(フィート)を発動し続けることで修正したり、止めていたという。

 だが、それは常に技能を全力で回している――力の大半を制限し続けているという事であり、先ほどのような本気を出す時は解除しなければいけない。

 だから、熾天使さんは久しぶりに翼が黒くなったという。

 

 はえ~……すごい。

 初めて熾天使さんの力を聞いたが、そんな事ができたのかと感心してしまう。そして思いつく。

 

「熾天使さん……! も、もしかして、その技能なら――ぁ。いえ、なんでもありません」

 

 彼女ならザラキエルの堕天を止められたのではないか。

 そう言いたくなったが、そんなことができるなら、熾天使さんはとっくにやっているはず。私は途中でそのことに気付いて、言葉を止めた。

 だけど、彼女には伝わってしまった様で、

 

「……そうですね。昔から、何度も言われましたよ。堕天が始まった同僚から『私も助けてくれって』って。『なんで見殺しにするんだ!』って――率直に申し上げます。無理です。これは自分自身を対象にすることで、なんとか常時発動しているのです。一時的な修正ならともかく、根本的に他者を救うことは……申し訳ありません」

 

 熾天使さんが本当に苦しそうな表情で俯いた。

 アルマロスさんが、庇うように言う。

 

「そ、そもそも反転起動できるだけで大したものなのです。こんなこと、中々できる人は居ないのですよー?」

「……」

 

 優しい言葉で、余計に熾天使さんは辛そうな顔になる。

 

「自分の停滞だけでサラフィエルは常時、その力の半分以上を浪費してるのです。二人も同時に停滞させるなんて、そもそもが無理なんです。だから――」

「――そんなこと! 何の慰めにもならん!」

 

 熾天使さんが『嫉妬』の首を床に投げつけた。

 悔しそうな顔で、泣きそうな表情で。彼女はもう耐えられないと床にへたり込んだ。

 

「無理、なんだ……所詮私は、誰かを殺すしか能の無い軍人だ。昔から仲間の誰一人、救えない……! ザラキエルだって守れやしない!! こんな苦しくなるくらいなら、やっぱり、私はあいつとも関わるべきじゃ無かったんだ……!」

 

 みすみすとザラキエルを奪われたせいだろう。いつも強気で、頼もしかった熾天使さんが、初めて弱音を吐いた。

 零れる涙。引き裂かれそうな言葉から、彼女の過去が視えてくる。

 

「サラフィエルさん……」

 

 熾天使さん――サラフィエルはずっと苦しんでいた。

 ザラキエルを救えない事じゃない。きっと彼女と出会うそれよりも、ずっと昔から。

 

 自分だけが助かって、周囲から怨みを向けられて。それでも変化の止まった心と体では、折れることもできなくて。

 堕天する事はできず、かといって無垢な天使でもいられずに。彼女は一人、誰も居なくなった天軍で孤独に生きてきた。

 

「サラフィエルさん……!」

 

 どうして彼女が天軍に固執するのか、ずっと分からなかった。だけど今その理由が少しだけ分かった気がした。

 彼女の時間は遥か昔から動いていなかったのだ。堕天が始まって、止めてしまったその時から。彼女は歩みを進めないでいる。

 

『色欲に奪われたザラキエルは、もう助からない。私なんかじゃ助けられない。もう、それならいっそ、私も――』

 

 ――そんな、サラフィエルの嘆きが聞こえた気がして、心が痛くなる。

 だけどそれは大間違い。馬鹿な考えを吹き飛ばそうと、私は大きな声を出す。

 

「サラフィエルさん!」

 

 この想いを知って欲しくて、声が荒くなる。

 

「違います! 皆がそうであったように、貴方も貴方の価値を分かっていない! だって、サラフィエルさんはついさっき私達を守ってくれたじゃないですか!」

 

 魔法が使えなくなった状態で。あんな大爆発を喰らえば、私だって無事では済まなかった。

 サラフィエルは救ってくれたのだ。大罪悪魔の罠に嵌められて、失いかけた私の命を。天使の未来そのものを!

 ――なのに彼女はそれを、なんにも分かってない!

 

「仮に他の誰が認めてくれなくても。私だけは分かってます! 私には貴方が必要なんです! ――サラフィエル!」

 

 彼女の折れかけてしまった心の支えになりたいと。へたり込んでしまったサラフィエルを抱きしめた。

 

 攫われたザラキエルが心配だが、目の前で初めてやっと本心を見せてくれたサラフィエルだって無視できない。

 

 ザラキエルといい。サラフィエルといい。

 私の子たちは、問題児ばかりで心配になる。みんな放っておけない子ばかりで。だけど、それだけ可愛い子供達なのだ。

 

「だから……大丈夫です。大丈夫なんですよ……貴方は、もう苦しまなくていいんです。過去に、どんな怨みをぶつけられて来たのか。私には想像もできないけど……それでも今、貴方が苦悩していることは分かります」

 

 凄惨な戦争で。仲間が次々と堕天していく中で。

 敵だけでなく、かつての仲間すらも自分の手で終わらせなければいけなかった。

 助けてくれと言われても、なにもできずに。ただ殺すことだけが救いだった。そうやってサラフィエルは俯きながら生きてきた。

 

「だけど貴方に与えられた使命は殺す事じゃない。サラフィエルは私を守ってくれたじゃないですか」

 

 私達の一生は、一人で進むには長すぎる道のりだ。

 孤独に生きれる人なんか誰も居ない。掛け替えのない者が隣に居てくれて、やっと一緒に歩いていける。

 私はザラキエルと、サラフィエルと歩いて生きたい。一緒に手を繋いで。煌めくような感動も、転んだ痛みも、皆で分かち合って。一歩ずつ。

 

「だから貴方も、そろそろ前を向いて。もしも辛かったから私にぶつけていいから。サラフィエルだって私の子なんだから、もっと私を頼ってくれて良いんです」

「サーヴィトリー……様」

 

 なんとか顔を上げてくれた熾天使さんに対して、不安な顔は見せられない。

 ザラキエルのことは任せておけと自信満々に言ってやる。

 

「私はこれでも、偉い神様なんですからね! 一人でも、二人でも救ってみせますよ! ただ、ごめんなさい……今だけはザラキエルを優先させてください。サラフィエルは、ほんのちょっとだけ、待っててくださいね!」

 

 大嫌いな神専魔法――その『転移魔法』を発動。

 行先は無論、ザラキエルの元。

 

「それじゃあ、行ってきます! すぐに帰って来ますからね!」

「さ……サーヴィトリー様! ちょっと待って欲しい! 私も一緒に――」

 

 神の目は世界を見通すものだ。

 どこに逃げ隠れたって、見逃さない。アスモデウスの逃げた先なんか分かってる。

 

 まずはザラキエル。貴方を取り戻す。

 1秒でも早く行かなければ、彼女がどんな酷い目に遭うか分からない!

 

 

 

 転移した先――どこかの山奥だろうか。

 そこで目に映ったのは、視界全部を埋め尽くすような、悪魔の群れだった。

 

「あら? サーヴィトリーじゃない。もう来たの? でも丁度良かった。歓迎の準備は万端よ」

「……これは、ちょっとやっちゃいましたかね」

 

 木々の隙間から数百を超える鋭い目が、一斉に私を見据えた。

 『色欲』の悪魔を筆頭に、名だたる悪魔が並び立つ。

 

 対するのは私一人。

 サラフィエルと、智天使さんは置いて来てしまった。だって急いでいたし……そもそも転移魔法は1人用だし。

 この短時間で、こんなことになってるとは思わなかったし……。

 

 いや、ただ私が馬鹿なだけか。相手は最初からこちらを騙す気満々だった悪魔なんだから。用意周到で当たり前。

 うーん……だけどこれは、結構、不味い。

 

「一人で来たのなら丁度いいわ。少し、お話しようじゃない」

「あの……ごめんなさい、ちょっと帰ります」

 

 アスモデウスが何か言っている間にもう一度、転移魔法を発動。私は慌てて逃げ帰った。

 

 再び、視界が荒れ果てたコンクリート作りの部屋に変わる。

 消えたと思ったら、すぐ帰ってきた私を見て、熾天使さん達が目をぱちくりと。

 

「あ、あの……ごめんなさい。二人にお願いがあるんですが……ザラキエルを救うの、手伝ってもらっていいですか?」

 

「――当然であります!」

「はーい。いいのですよ~」

 

 結構恥ずかしい……。

 あんな啖呵を切っておいて、すぐ皆さんに頼っちゃう。

 顔が赤くなっていないかな。

 

 

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