基本的に天界は晴れていて風も心地よい。
暑すぎず、寒すぎず。通年を通して過ごしやすい気温に創られた、この世界は今日も今日とてお散歩日和。
あんまり部屋に引き籠っていてはつまらない。俺は久しぶりのお出かけ中だった。
背中を見れば、以前よりも二回りほど小さくなってしまった天使の羽。
手の平サイズしかない俺の羽では、あんまり速度も出ないからクロを抱えてのんびり空中遊泳だ。
「お、お、落とさないでよ!? 手を離したら一生恨むからね!?」
「ふーん?」
高所が苦手なクロは全力で俺に抱き着いた。
でも、そう言われると脅かしたくなるのが人情というもの。
クロを全力で上に投擲してみた。
「ひにゃあぁあああ!!?」
突如、空中で敢行された高い高い。
キャッチ。
もう一度、高い高ーい。
「みぎゃぁああああ!!」
オーライ、オーライ。
あれ? ちょっと高くやり過ぎたかな。
あ……やばい。クロの着地点が遠い。間に合うかな、俺の羽小さいからなぁ……うーん。むり。
俺の横を通り過ぎて行ったクロの自由落下に追いつけない。
魔法でなんとかするか。
と――思ったら、遠方から急速に接近してくる天使が見えた。落下していくクロを拾い上げて、速度を落とすことなくUターン。俺の元までやってきた。
「あ、悪魔とはいえ、あんまり、イジメるのは感心しない」
黒髪で、垂れ目の自信なさげな少女天使だった。彼女はクロを差し出して、そう言った。
おお……知らない天使に話しかけられた!
いままでは怖がられて逃げられるだけだったのに!? なに、奇跡!?
「怨みが有っても、左の頬を叩かれたら、右の頬を差し出す……らしい、よ?」
「意味がわからない。貴方はするの?」
「し……しない! ぶっ殺す!」
何だコイツは……。
殺意高いな。天使なのに。
「おーい! アズラエル、何を遊んでる! 今は――なんだ、ザラキエルじゃないか」
謎の天使と無言で見つめ合っていたら、熾天使さんがやってきた。
『アズラエル』……? この謎天使の名前だろうか。彼女は俺の名前を聞いて、驚いたように目をぱちくりしていた。
「ああ、紹介しよう。コイツは天軍の新規募集で応募して来た、主天使のアズラエル。今は適性試験の最中だ」
「へえー」
ちょっと……いや、かなりおどおどしている女の子といった雰囲気。とてもじゃないけど、軍人らしくない。
だけど
ちなみに俺は大天使で。つまり下の中の階級で……うむ。下っ端だぁ!
「どうも」
ぺこりと頭を下げると、彼女もぺこぺこしてくれた。
「ど、どうも……ザラキエルさんの噂はかねがね聞いてます……!」
「噂?」
「あ、はい。智天使さんの本で読みました……か、カッコいいですね!」
か、かっこいい……??
初めていわれたぞ、そんな事。
「私も、本当は、好きだったんです。戦う事。だってカッコいいじゃないですか。でも、あんまりそういう事、言っていい雰囲気じゃないし……堕天に繋がりかねないから、危ないし。私はずっと自分を抑制して生きていたんです」
だけど、堕天抑制剤ができて。天軍の復活と聞いて。
ましてや智天使の同人誌で俺の働きを読んで、あこがれが止められなくなったそう。
「爵位級103体。大罪級1体。下位悪魔の討伐は数知れず……! こんなの一天使の働きじゃない! す、すごいです!」
うーん……先日、図書館で読んだあの本、もう刊行されていたのか。だいぶ嘘で塗り固められた描写が多々あったが……。
俺の実績については本当だ。いや倒した悪魔なんて数えて無いから知らないけど、たぶん合ってるはず。
だけど、こうも尊敬するような目で見られるのはこそばゆい。
「どうやって大天使なのに、そ、そんなに強くなったんですか? ザラキエルさんは、まだ生まれて2年でしょう?」
「え……っと……が、がんばった! 死ぬほどがんばった!」
「な、なるほど!」
図書館で本読めばいいよ。そうすると天使としての尊厳を代償に戦闘技能と魔力を得られるから……なんて言えるわけがないので、そういうことになった。
ていうか、緊張する。
俺に憧れる子なんて初めて会ったし、こんなにキラキラした目で見られるのも初めてだ。変なこと言ってないかな。気恥ずかしくなって少し目線を逸らして前髪を弄る。
「あ、あのサラフィエル総帥! 私、ザラキエルさんと戦ってみたいです! それを試験にしませんか!」
「え?」
「いいぞ」
「ええ!?」
なんかそういう事になった。
……俺の意見は!??
「あの……私、凄い弱体化してるんだけど。本当にやるの?」
女神様によるキレイキレイで、まじで生まれたて天使なのだ。今の俺。
一方の模擬戦相手は中位天使、そのトップ、主天使のアズラエル。俺との魔力差は何十倍か下手すりゃ100倍を超えるだろう。
身体の時間が巻き戻った事で羽の傷も、光輪の傷も無かった事になったから、俺も全力機動を取れるが……でも普通にやったら無理じゃなぁい?
「天使の魔力量は、基本的に生きた年齢に比例する。分かるなアズラエル」
「は、はい!」
「だが先日までのザラキエルは私に匹敵する魔力を有していた。何故だと思う、アズラエル」
「わ、分かりません!」
なんかあっちは良さげな師弟会話してるし……。チクショウ、ちょっと格好いいじゃねぇか……。
熾天使さんは俺の指導員でしょ! なんで敵方に付くの! 俺にも決め顔で助言ちょうだいよ!
「熾天使さんは頭が悪い。分かるねクロ」
「うん」
「だが総帥をやっている。何故だと思う、クロ」
「うーん! コネかな!」
クロとのおふざけ会話。
熾天使さんのこめかみに血管が浮かんだ。
「何度も死線を超えたからだ! よかったなぁ、ザラキエル! お前の好きな強敵との激戦だぞ! もう一度死線を超えて強くなれ! ――やれッ、アズラエル! ふざけたアイツ等をぶちのめせ!」
「は、はいぃ!」
熾天使さんは短気。ハッキリわかんだね。
よく分からない開戦の合図で、アズラエルは草原の上を超低空飛行で滑るように迫りくる。
彼女の目を見ながら考える。
相手の武器は刃引きされた剣。魔法を使う様子無し。
うーん……。舐められてる。
正面からやる訳ないでしょう。
それにアズラエルは緊張しているようだ。俺の目をジッと見つめて瞬きしないから……うん――
そんなの視界を奪ってくれって言ってるような物。
魔法で風を起こして、微小の砂を混ぜてみるか。
無からの創造なんて魔力馬鹿喰い、燃費ワルワル魔法を今の俺が使える訳がない。ポケットの瓶から軽い砂を撒いてみた。それを風に乗せてアズラエルの目元へと飛ばす。
「っ! 砂が!?」
こんなの時間稼ぎでしかない。視界が無くとも、相手は探知魔法で俺の場所を探るだろう。視界だって、すぐに回復するはずだ。
俺も次へ次へと繋げていく。
「そ、そこ!」
アズラエルは目を開けられず涙をこぼしているが、俺を発見したと言わんばかりに突撃して来た。
これは……うーん。
魔力探知……かなぁ?
あまりに行動が予想通り。純粋すぎて裏が有るのか心配になるレベルだった。
俺は魔力を隠蔽。代わりに人型に魔力を固めたデコイを置いてたら、そこへアズラエルは突っ込んでいった。
魔力に直接触れられる訳もなく、アズラエルの剣はブォンといい音を立てて空を切る。
「うわぁ!?」
「……」
アズラエルは予想外の結果に足をもつれさせて、小さな悲鳴をあげていた。
うーん……。
傍から見ると、すごい間抜けな絵面。
でも格上への接近は怖い。
そんな時、取り出したるは分銅鎖~。
これをブンブン振って投げれば、ほら、アズラエルの剣に巻き付いた。そして引っ張り合い。
「うおー……!」
「う、ぬっー!」
幼女と幼女の綱引きだー!
当然、魔力量で負けている――身体強化が劣っている俺に、勝ち目なんか有るわけ無い。
目潰しも効果が切れたのか、意欲に燃えるアズラエルの瞳と見つめ合う。俺は小さく笑って、いいタイミングで鎖を手放した。
「うわっ!?」
勢い余って後方に倒れ込んでいくアズラエル――ウソだな。隙を晒して誘っているようだが、どうせ翼でバランスを取る。
天使が転ぶはずがない。こんなところで突っ込めない。
でも――だからこそ、行く。
「うおー」
「か、掛ったね! 私の勝ちだよ、ザラキエル!」
転びかけていた体制を羽ばたくことで一気に戻して、アズラエルが剣を振りかぶった。
地面から踵、膝。そして彼女の腰まで力が伝達する。きちんと芯の通った重い剣戟が――しかし俺の目と鼻の先を通り過ぎていった。
「――え?」
まあ予測してたからね。
俺はアズラエルの剣先リーチぎりぎりで急停止した訳で。攻撃を空ぶったアズラエルは隙だらけになる――と、思うじゃん? ジャイアントキリングの大チャンスと思うじゃん?
違うんだなぁ、これが。
「っ! 緊急展開、広域殲滅!
天使とは魔法生物。故に、魔法術式との親和性は他の追随を許さない。人間や悪魔より遥かに速く、強く魔法を放つことができる。
アズラエルは攻撃を外した隙をどうしようもなくなったと判断、俺に突っ込まれる前に広範囲魔法で押し潰すことを選択したようだ。
――こいつ、負けそうになった瞬間にプライドを捨てやがった。
アズラエルが魔力を巡らせてから、術式展開まで掛った時間――ゼロコンマ、数秒。
彼女を中心に地平線の彼方まで覆うような、巨大で、黒い魔法陣が地表に浮かび上がる。
うーん。死ぬ?
この魔法を無視してアズラエルに突っ込めば、俺は魔法を防げない。死ぬ。
かと言って、俺が全力で防御に取り組んでも……うん。まあ防げないよね。たぶん死ぬ。
大天使と主天使との差とは――魔力量の差とはそれだけ歴然なのだ。
どれだけ戦闘を優位に運ぼうが、こんな作戦も何も無い、力任せのごり押し魔法ひとつで絶体絶命に追い込まれる。
はー、まじ卑怯。
「降参してください。わ、私の、勝ちです……!」
ちょっと嬉しそうに、だけどそれ以上に失望したような目でアズラエルがそう言った。
でも、まだ。
アズラエルが"俺"を見ている内に、彼女の背後――その地中から、もう一人の俺が飛び出した。彼女の隙だらけの背中に剣を突き立てる。
「ぇ――ぁが」
特殊な魔法が籠められた短刀が、彼女の心臓を刺し貫いた。
予想外の出来事にアズラエルの魔力制御が乱れる。地面の魔法陣は儚くも消え去った。
さすがに激痛の中で魔法を維持するような胆力は無かったか。
「な、なんで……?」
「それは私が二人いる事? それとも、アズラエルを殺したこと?」
「ふ、ふ……たり、居るのは?」
「ずっと見てた方の私は幻影。最初の目潰しで本体は地中に隠れて、後はずっと幻影と念動力の魔法だけで戦ってた。せめて一太刀……私に触れてれば、気付けたかもね」
目潰し程度で優位が取れれば苦労しない。
本体が地中に潜んだ位置を罠として、あとは分銅鎖で相手が倒れ込む方を誘導。背中を向けた隙に心臓に一太刀入れる。
天使は魔法生物だが肉体を持つのだ。それを壊せば天使は死ぬ。
まあ……たまに外法や禁呪を使ってバケモノになってる奴はいるし、魔法で心臓の代わりに血液循環させることもできるけど……それは例外。
少なくともアズラエルにそんな技量は無さそうだ。
「ああ……やっぱり、ザラキエルさん……凄いなぁ――」
心臓を失ったアズラエルは、そんな事を言って――
「ああ……やっぱり、ザラキエルさん……凄いなぁ――」
そんな事を言ってアズラエルは、地面でスヤスヤお休み中。
凄いな。全部寝言で教えてくれたから彼女が夢で見ていた戦闘内容が丸分かり。なんで自分の夢で戦って、勝手に負けているのだろうか?
頬をツンツンついてみるが一向に起きる気配がない。クロがお腹の上でぴょんぴょん跳ねるが、それでもダメ。
気持ちよさそうに涎まで垂らして、まあ。
うーん……
「ザラキエル。戦闘開始と同時に幻術を掛けるのは、戦いにならないから止めてやれ……」
さて――。
突然だが、俺の得意技をひとつ紹介しよう。邪視である。邪眼ともいう。
今回はその中で、目線を合わせることにより相手の意識を奪うモノを使用した。相手の望むような夢を見せることで、目覚めにくい作りとなっている。
ごめんね、戦闘開始からあまりに無防備に目が合うから、つい。やっちゃった。
そもそも俺は図書館から得た莫大な魔力こそ失ってしまったが、積み重ねられた歴戦の戦闘技能や魔法技術は覚えてる。
それは圧倒的不利な状況から神殺しを為した屈指の堕天使が遺したものばかりで。何十倍の魔力差があろうと、素人の天使に負けるわけがない。
彼女が夢で見た戦い方も、できたけど……なしてアズラエルを殺さなきゃならんねん。
こいつは俺を一体なんだと思ってるんだ。夢の中の俺は殺意が高すぎる!
「しかし不甲斐ない。邪眼など予測していれば問題無いだろう! 天軍たるもの常在戦場。何があろうと油断してはいかんのだ! これは基礎訓練からだなアズラエル!」
「熾天使さんなら防げた?」
「当然だ! 仮に目が合っても、幻術を防ぐなど簡単だぞ!」
プンプンと怒り心頭といった熾天使さん。
んー……。
「熾天使さん、私、勝ったよ」
何となく、俺はぐっと握りこぶしを作って熾天使さんに向けた。
それを見て熾天使さんは苦笑い。でもちょっと嬉しそうに褒めてくれた。
「ああ、そうだな。よくやったぞザラキエル」
何故か熾天使さんも握りこぶしを作って、俺の手と手をくっ付ける。いえーい……って、違う違う。そうじゃない。
俺は熾天使さんに向かって握りこぶしを開いて見せた。そして手の平から現れる
「ばあ」
「ん? お前それは――」
目と目が合った。
「――ぐぅ」
「寝た」
倒れ込んできた熾天使さんをキャッチ。落とさない様にゆっくり横にする。
熾天使さん……なんで油断してるの。邪眼も防げるんじゃなかったの?
俺の眼球が二つだけとは限らないでしょ。マイナーではあるが肉体改造の魔法だって存在するのに。
その気になれば足先だろうが、背中だろうが、俺は自由自在に目玉を作れる。常在戦場はどうした。幻術にだって対抗しなよ。
俺は、ちょっと残念過ぎる熾天使さんの頭をぽんぽんと叩いて勝ち誇る。いえ~い。勝利~。
「主ーどうするの? 二人ともまだ起きないよー?」
そして数時間が経過した。
……どうしよう。二人が全然起きてくれない。
いつになったら幻術破りしてくれるのかと期待して待っていたんだが、二人ともニヘニヘ笑って気持ちよさそうに就寝中。
いい加減、帰りたい。
かと言って幻術を解いてあげるのは優しすぎる。
少しは抵抗力を持ってもらうためには、自力で起きて貰わなきゃ。
……ちょっと夢見を悪くしてみるか。今度は逆にその人が見たくない事、抱いている不安を夢にして見せる。それなら起きるだろ。
「そ、そんな……ザラキエルさんが悪魔に、負け、た?」
「女神様、こ、この大盛スパゲッティは一体……? え、全部鼻から? 私が!? ……ええっ!?」
それでも一向に起きない二人組。めちゃくちゃ苦しそうな表情で唸ってる。
……これ天軍の将来は大丈夫かな。
トップの熾天使さんがこれだから、すごい搦め手に弱い軍隊になりそうだ。そんな不安を感じながら待ち続ける。
二人が起きたのは結局、夕方を過ぎてからだった。
それも、俺が全力で往復ビンタしてなんとか起きた。
二人の顔が真っ赤になってたが、俺も手が痛い……。
もうちょっと特殊技に耐性を持ってくれーい……。