助けてください。
俺には女神様の考えがわかりません。
女神様の心は、神のみぞ知るってやつですか? ……女神だけに? やかましいわっ。勘弁してください。
俺はベッドの中で抑えつけられて、動けずに凝り固まった身体をなんとか解きほぐそうと身もだえる。一晩中、身体を動かさないって結構キツイ。全身の関節が痛くなる。
ぬぐぐ……あ、ポキって鳴った。どこ? 腰? 羽?
「ん……んんぅ……なんの、音ぉ……?」
「!?」
俺の真後ろから聞こえてくる、浅くなった寝息。
お、起きた……?
「すぅ……すぅ……」
「……は、ふぅ」
よし、起きてない。
女神様は変わらず、気持ちよさそうに就寝中。
というか……無理があるだろ。
一つのベッドで女神様と抱き合って寝るとか、不可能だろ……! 常識的に考えて!
俺はいま現在、後ろから全力で女神様に抱き着かれております。その上から女神様の柔らかく大きなお羽で包まれております。
俺の小さな羽より二回りも三回りも大きい。
初めて見せてもらった時は、女神様に俺の羽と並べられて、比べられて、なんだか負けた気分を味わわされた。
てか女神様も羽あったの? 知らなかったんだけど。そう聞いたら邪魔だから基本的に寝るとき以外は消して隠してたらしい。
え? それはつまり、他の誰も見た事ない女神様の大事な所を、俺にだけ見せてくれている!!?
あ~……妄想が滾るんじゃァ……。
しかも、いい匂いがするんじゃァ。
女神様の翼で全身を包まれて、ふわふわ、あったか。ぬくぬく気持ちヨシなんじゃァ……。
「布団いらずだぁ、これぇ」
……っなんて、和んでる場合じゃないんだよっ!
添い寝なんかしてたら堕天するっちゅーねん!
女神様の大事な所で包まれて、俺が色欲で頭おかしなるっちゅーねん!
でも敢行されました。
女神様と俺で行われる禁断の同衾。淫欲に満ちた静かな
やりたいって言いだした女神様のせいデース!
俺はあわあわしてただけだから、完全無罪デース!
もはや気分はテディベア。俺は女神様愛用のお人形。
そういうことにしておかないと、俺の理性が大変なことになる。
……いったいどうしてこんな事になったのか。
話は、俺と女神様が2人で人間界に遊びに行った時にさかのぼる。
路地裏に悪魔がいたから、殺そうと思った。
だってそうでしょう? 自分の部屋にゴキブリが出たら殺すでしょ。
友達と遊びに行って、蜂が飛んで来たら追い払うでしょ。「わー蜂さんだぁー! えへへぇー!」なんて言ってたら刺されるわ。アホか。
でもその判断が、女神様の不興を買った。
女神様が「悪魔なんていいから私と遊ぼう」と誘ってくれたのを、俺は断ってしまった。悪魔が危険だから優先して処分したかった。
それが、女神様のプライドを傷つけた。
「私と遊びに来てるのに、そんな愚図を優先するのか」的な神様的価値観を俺が理解していなかった。
女神様は優しい人だから表面上は笑顔でいてくれる。この人は、俺に直接的な暴力を振るわない。
だけど、明らかに、あのタイミングから女神様の態度が変わってしまった。
具体的には……俺に対する距離感がバグってもうた。
今までは、それこそ同じ部屋で寝起きするがベッドは別々。ボディタッチも最小限。互いのプライバシーは守られてた。俺が女神様の羽のことを知らなかったのもその証。
なのに突然、それが大幅変更。
一緒に一つのクレープを食べさせあって、プリクラを撮る時は頬と頬をくっ付ける。
カラオケでは一昔前のラブソングばかり歌うし、ボーリングではストライクを取るたびハイタッチ。
なんてことだ……!
怒った女神様が、俺を堕天させようとしているぞ……っ!!
だってそうだろう?
俺は煩悩で堕天しそうになってるというのに、女神様は全力で俺を誘惑するんだぞ。
昨日は俺の気持ちを知った上で振っておいて、今日になったら突然「大好きです」……? 明らかに女神様の言動がおかしくなった。
『神にとって天使は道具でしかない』。図書館の書物にイヤという程載っていた。
理想郷っぽい天界で、天使にもなったのに、ここでも俺が道具なのだけ変わらない。
この女神様だって一見温厚だけど、きっとその本性は他の
俺が彼女のお気に入り(?)の道具とはいえ、天使ごときに不遜な態度を取られたら、そりゃ怒る。
やってしまった後で気付いた俺は慌てて謝った。
女神様を蔑ろにして、伸ばしてくれていたその手を振り払い、悪魔なんかを優先してしまった。その後で。
「怒らせた? ごめんなさい……でも、絶対殺さなきゃって思ったから……」と謝罪した。
だけど、女神様は許してくれなかった。
感情を押し殺した目で、今にも俺の死を想像したような顔つきで。
「ううん、大丈夫だよ。私は怒ってないよ、ただ悲しかっただけだから……」なんて、そんな意味深なことを言う。
あっ……(察し)
これヤバい奴~。
その後で態度の急変だからね。俺は全てを察したね。
「……私、女神様に、嫌われたぁ!」
もう、終わりだよっ……!
俺は女神様の手で、堕天させられる運命なんだよ……っ!
「堕天したくないよ、助けてよ」って泣きついた。女神様は優しい顔で「大丈夫、大丈夫だよ」って俺の頭を撫でるだけだった。
ねえ、一体なにが大丈夫なの!?!?
俺を堕天させようとしてるの貴方でしょ!??
まあ百歩譲って、この誘惑を振り払うことで「その言葉が聞きたかった!」とばりに俺の心を試してるのかもね。
堕天を治すには誘惑を振り払うのが効果的らしいし、もしかしてこれは全て、女神様が俺の為にとやってくれていることかもしれないね。
ないけどね。
だって……そうだろう。
なんで女神様が、そこまで俺を気遣うの?
お気に入りならともかく、飽きた壊れかけの
古いモノから捨てていき、新しいモノと入れ替えて、使えるならばそれで良し。
厳しい考えだけれど、"ここでも"それが普通の思考なんでしょ?
いや……まあいい。
まあいいんだそんな事は。大した問題ではない。
千歩譲って、女神様マジ女神だったとしよう。
本当に俺の心を鍛えているだけと仮定しよう。
……いや~、それも無理っしょ。ムリムリ、不可能よ。
だってこのまま女神様に誘惑され続けたら俺、色欲で堕天するから!
もしくは解脱する!
俺が超越者みたいな精神力を会得して、女神様の誘惑を振り払い、天使試験にも合格したとして。
そうなったら俺は全ての性欲を失って、代わりに宇宙の真理を悟ってる。
そうじゃなきゃ合格できないほど女神様の誘惑が凄いのだ。
そして天使試験に合格した俺は、代わりに性欲と『女体への興味』も失っちゃうんだ!
俺は心身共にかわいい女の子になっちゃうんだ……!
「……いや、だぁ……!」
俺、女の子になんてなりとうない! まだ俺は、心の中は男の子でありたいよぅ!
今も背中に感じる、女神様の二つのふにょんふにょん。
思わず自分の背中を押し付けた。
「ぁ……柔らかい……」
はぁ~、堕天するんじゃぁ……。
「っハ!?」
やばいやばい!
俺まーた無意識に変態行為してるよ! 学べよ!
「翼は? え……く、黒くなってる!?」
うわっ、夜だから暗くて気付かなかったが、もう翼の大部分が黒いじゃないか!!
白が1分に、黒が9分! いいか! 白が1分に黒が9分だ! 堕天のため翼の白が見えない……!
…………いや、冗談言ってる場合じゃなくて!
不味いです! これは不味いですよ女神様!
貴方の忠実な僕が煩悩で堕ちる! 色欲オバケになっちゃいます!
……あー、もう!!
これ以上、女神様の部屋にはいられない!
ここにいたら堕天するか、(男としての俺が)殺される!
「もう、無理!」
慌てて俺の身体から感情関連の機能をシャットダウン。精神への影響は少ないが、余計なことを少しでも考えないようにする。
女神様を起こさないようにと遠慮していた気持ちも吹き飛んで。俺は跳ねるようにベッドから飛びのいた。
これはもう、逃げねばなるまいて!
「っ、ザラキエル!?」
女神様を起こしてしまったが許してね。
勢いよく窓を開け放ち、窓際に足を突いて飛び立つ準備。だけど呼び止められ、思わず振り返る。
「待ってザラキエル!? その翼の色は一体!?」
「ごめん……もう、無理。これ以上、私がここに居たら……たぶん、私、殺しちゃう(男としての自分を)」
男としての俺が死ぬとかマジつらたん。泣きそう。
でも、すでに体から感情を消し去ったから、もう俺の表情が変わることは無い。
「まさか……我慢、できなくなっちゃったんですか?」
「そう。私は今にも堕天しそう。そうでなくとも……女神様のことを襲いそう」
女神様が辛そうな表情で俯いた。
「なら、どうするんですか。そうやって窓を開いて、貴方は一体どこへ行く気なんですか!?」
「もう私の羽と光輪は最低限、癒えた。だからこれまで通りに戻るだけ。前みたいに1人で働いて、独りで生きていく。悪魔を殺して、怪我したら休んで、私は好きなように生きるんだ」
「いいえ! いいえ! 治って見えるのは見た目だけ! 完全に機能を取り戻すには、まだまだ長い時間がかかります! それでなくとも貴方は欲にまみれてる! 1人になるなんて危険です!」
「……そう。私は欲深い。だけど、これまでだって、ずっとそうやって生きてきた」
働くのは嫌い。怠けたい
女神様は好き。愛されたい。だけれど
俺はもう、やりたいようにやれる子供じゃない。
そういった
「女神様と一緒にいれた、この数日間は私の宝物。その気持ちは嘘じゃない。だから……ここで、さようなら」
「待ってください! それでも貴方はその欲望を、がんばって抑えてる! ほら見なさい、私は無事ですよ! 私はまだ傷一つなく、ここにいる! だから……だから待ってザラキエ――!」
「――うるさい」
俺は、もう1人になりたいのに。
ずっと変わらない宝物だけ抱きしめて、貴方の元から去りたいのに。
どうして、貴方はそうやって引き留めるのだ。
いい加減にしてほしい。
俺だって、そろそろ、怒るのだ。
「うるさいっ……!」
かつてないほど翼が黒くなったから? ほぼ堕天しているせいだろうか?
なんだか、胸の奥底から変な怒りがドンドンと湧いてくる。
「女神様が私に襲われない? そんなの、ただの偶然。私がその気になれば貴方なんて、簡単に押し倒せる。あっという間に傷ものにできる。やってみる?」
「っ!」
欲と理性は対立しない。
人間は様々な想いを同時に抱えて生きている。だけど、いつか理性が途切れる時もある。
なんで俺がこんなに我慢してるのか、分かってるのか女神様。そうやって俺を誘惑して弄んで、楽しいか。
「待ってください! もうちょっと、もう少しだけ! 今はザラキエルの堕天を治す段階で――!」
俺の堕天を治すため? そんなの詭弁だろう。
だったらこれまで通りでいいじゃないか。昨日までのように
わざわざ今日、誘惑を強めた理由が無いだろう……! 不遜な俺に、貴方がムカついただけだろう!
それで女神様も、もう俺が要らなくなったんだ!
「女神様、弱いね」
「っ……ザラキエル、何を!?」
俺は怒った
抵抗されない様に抑えつけて、股の間に膝をいれる。馬乗りになって真上から女神様を見下ろした。
酷い罪悪感と、申し訳なさに襲われる。だけどもう止められない。
「どうしよっか。初めての体験は痛いって聞くよ。女神様、初めてでしょ?」
「……っ! バカにしないでください。これでも戦ったことくらいあります! 女神だって誰かと争って傷つくこともあるんです!」
「ふぅん……痛みには慣れてるんだ。じゃあ、大丈夫か」
女神様の服に手を掛ける――訳には行かないので、その振りだけにして首筋を撫でてみた。
簡単にへし折れそうな、細い首。
少しだけ力をいれてみた。それで女神様もやっと、俺に犯されると気付いたのか顔に恐怖の色が宿る。
無論、これは本気じゃない。
だけど女神様がこうやって天使を弄び続けるのなら、それはいつしか業となって彼女の元にはね返る。
図書館に本だけ遺して消え去った神々のように。女神様も最期は誰かに反逆されて殺される。
――そんなのは、イヤだった。
「ほら……今、女神様は、私の手の中に居る。今度は貴方が弄ばれる」
だから、これは俺が女神様へと贈る最期の忠告だ。
「どんな気分? 貴方は馬鹿にした天使に、こうやって仕返しされるんだ」
「っ私は、馬鹿になんか――!」
「バカにしてるよ! 私はこんなに苦しんでるのに、分かってるはずなのに、それでも貴方は解放してくれない。ずっとその腕で優しい檻に閉じ込める。なんで、そんなことするの? 私は楽になりたいだけなのに……! 貴方のことを好きなままでいたいのに……!」
女神様に褒められて嬉しかった。
貴方がくれる優しさだけが、心地良かった。
だけど、もう俺は女神様と一緒にいられない。
昼間、俺は彼女を怒らせた。
今こうやって彼女に手を上げた。
ならばきっと、
ならばいっそ、彼女に嫌われても構わない。
それでも女神様には生きて欲しい。これを教訓に次の天使は大切にしてほしい。そう思ったから、俺は彼女に手を出した。
「だって、だって! それでも私はザラキエルに生きて欲しいから――っ!」
なのに女神様は叫ぶように、俺の予想と違うことを話し出す。
「……え?」
「貴方がいま苦しくても、それをなんとか乗り越えて欲しかったから! もし堕天すれば、ずっと満たされない欲望に狂うことになる! 自制も理性もなくなって、人格すら歪んだ貴方は地獄に墜とされる!」
「……っ!」
なんで……。
「愛も情も無くなって、知能まで劣ったら、そんなの獣と変わらない! ずっと独りで永遠に癒されない孤独に浸るなんて。私は貴方にそんな目には遭って欲しくない……っ!」
なんで……なんでだよ。
今、女神様は俺に襲われてるのに。なんで自分じゃなくて、俺の心配なんかするんだよ。
貴方は今、俺の下にいるんだぞ。怖がってるじゃないか。こんなに震えてるじゃないか……!
なら命乞いするんじゃないのかよ。止めろって怒鳴るんじゃないのかよ……っ!
「私は貴方に笑っていて欲しい! 美味しいものを食べて、綺麗な服着て、面白ければ声に出して笑顔になって! ずっと、そのままの貴方でいて欲しい! 願って祈って、そうやって天使を――貴方のことを守るのが
なんだよ、これ……。
こんなの本で読んだ"神様"の性格とぜんぜん、違うじゃないか……っ。
「な、んで……!」
女神様の首へと沿えた手が震える。
「なら……なんで女神様は、私をこんなに苦しめるの? 私のことが嫌いになったんじゃないの? 今日なんて好きにさせてもらえず、その優しい腕で掴まえて……! 一緒に寝るなんて方法で、我慢してる私を無防備に誘って! ホントは堕天させて、貴方も私のことを殺したかったんだ……っ!」
「そんなわけない! でも……ごめんね、私が性急すぎたんだ……。勝手に焦って、貴方の気持ちを蔑ろにして。だから……ごめんなさい。私は貴方に無理をさせ過ぎた。でもそれはザラキエルに早く良くなって欲しかっただけだから……決して、貴方に傷ついてほしかった訳じゃない……それだけは、信じてほしい」
「……う、ぁ……ぁあ」
ああ――簡単なことだった。
結局、俺はずっと信じられていなかったのだ。人間も、女神様のことすらも。
人間時代からずっと、そうだった。
過労死するまで誰にも相談できず、逃げだすこともできず、ずっと全てを自分の中に抱え込んで、最期は孤独に死んだ。
きっと、どこか内心思ってた。
女神様は優しいけど、それでも所詮は『神様』だからって。
会ったこともない奴の本だけで知ったかぶって。女神様は目の前にいたのに、それには見ない振りをして。
優しい女神様にも必ずどこか性格に悪いとこがあるって。プライドを傷つけて怒らせたなんて。それらしい理由だけを選んで、並べて。
俺はずっと一線を引いていた。
"好き"という気持ちを教えてくれた、この人のことだけは裏切られたと思いたくなかった。俺がただ傷つきたくなかったから、代わりに女神様を疑った。
だけど、ちがった。
彼女は正真正銘、俺のことだけを考えてくれていたんだ。
「あ……ぅぁ……」
本当に彼女の誘惑は、俺の心を鍛えるためだった。
今日のちょっと強かった誘惑も女神様が焦ってただけ。俺に早く良くなって欲しかっただけ。それ以外に他意なんて無かったんだ。
思い返せば、今日の女神様の笑顔にはあの時からずっと、どこかぎこちないものがあった。無理して演技で作ってるようなものが有った。
だけど俺はそれに気付けなかった。だって俺は、女神様のことを見てるようで、なんにも見てなかったから。
俺が弱かったから、女神様を信じられなかった。
だから……俺はまた……こうやって間違えた……。
「一緒に遊んだときに見せてくれた貴方の笑顔にウソは無かった。ザラキエルは本当はとても心優しい子だから。私は――!」
感情を殺している筈なのに、勝手に涙がこぼれる。
ぽつりぽつりと女神様の服が濡れていく。
「――ザラキエル?」
女神様も俺の異変に気付いたようだ。
その声を、静かにしていく。
「なんで、なんで、首元を抑えられて……私に
「言ったでしょう? だって私は、貴方のことが、大好きだから」
「……うぁ……ああっ……!」
俺のことを真っすぐ見つめる澄んだ瞳と、慈しむような声色で。
そんなことを言われたら、もう駄目だった。
俺の羽が、なんだかおかしい。
背中が焼けるように熱い。
「ごめん、ごめんなさい……! 私は、女神様を……疑って、襲おうとして……っ!」
俺は自分がどれだけ子供だったのか思い知る。
勝手に大人になったつもりの。愚かで、守られてばかりの、小さな子供。それが本当の俺だった。
「……いいんですよ。みんな転んで、間違って、人は学んでいくのです。貴方はまだまだ子供でしょう? だから、たくさん間違えていいんです。それは許されることなんです」
「わ、ぁ……う、わぁ、ああ……」
「我慢なんかしないで、辛かったら泣いていいんです。痛い時は立ち止まったっていいんです。だって、それを支えるのが私の役目なんですから、ね? だから私をもっと頼って、私に貴方を支えさせて……よしよし」
「あぁああ……!! うあぁわぁあ……!!」
出したこともないほど大きな声で、何分も、何十分も、俺は泣き喚く。
女神様のお腹に顔を埋めて、しゃくりあげる。
後悔と感謝と、初めて知った感情が渦を巻く。
自分でも纏められなくて意味をなさない言葉を泣きながら声に出す。それすら女神様はしっかりと受け止めてくれた。優しく抱き留めてくれた。
「ひっ……く、……ぅっ」
「落ち着いた? なら、まだまだ夜は長いからね。ほら、また一緒に寝ましょう? ザラキエル」
「ぅん……」
この日。俺はもう、女神様にイヤらしい気持ちなんか抱けなかった。彼女の腕と羽で
微睡んで薄れゆく意識の中。最後に思った。
俺にもお母さんがいたのなら、こんな感じだったのかな……なんて。そんなこと。
▼
「……眠っちゃいましたね」
思ったより早く眠りについたザラキエルの背中をぽんぽんとリズムよく叩く。
私に子供はいないけど、いたら、こんな感じなんだろうなぁと。どうしてもそんなことを考えてしまう。
ザラキエルは他の天使達と違って、なんというか、幼いのだ。
天使とは思えないほど感情豊かで、見ていられなくて、守ってあげたくなってしまう。
そのせいでどうしても他の子より優先してしまう。本当は良くない事なのに。
「ご無事でしたか、女神サーヴィトリー様」
「あれ? いたんですか熾天使さん」
「……いましたとも。なんなら、最初から最後まで見ていましたとも。御身の警護は私の役目でありますから」
「あ、あはは……ごめんなさい。すっかり忘れちゃってました」
ザラキエルを起さない様に小声で話す。
私のお腹の上で泣き疲れて眠ったザラキエルを起すわけにはいかない。
どかすこともできず、どうしようかと悩んでいたら、熾天使さんはベッドの近くで片膝を突いて目線の高さを私に合わせてくれた。
「大天使ザラキエルの翼は、また白に戻ったようであります。しかし――」
「熾天使さん、それは……」
「いいえ。言わせて頂きます。奇跡は三度と続きません。次にザラキエルが女神様へと手を掛けようとした時、私は……必ずコイツを斬り捨てます。翼だって黒くなったらもう戻りません」
「だけど、二度あることは、三度あると言いますよ?」
「そんなことが起きるなら、私は鼻からスパゲッティでも食べてみせましょう。殺人癖由来の堕天とは、それほどのものなのであります」
「……」
「先ほどのザラキエルは、黒翼が
……分かってる。
それは、先ほどザラキエルの悲嘆を聞かされて身に染みた。
彼女に抑えつけられた首が少しだけ痛い。たぶん赤くなったかな。
「では、どうしましょうか。熾天使さんはどうすればザラキエルを救えると思いますか?」
「……難題であります。それは私達天使でも解決できなかった問題ですので」
「少なくともこれ以上、私の部屋に抑留するのは、ダメですよね……はぁ……またザラキエルには"仕事"をしてもらうしかないかな……」
「禁煙と一緒でありますな。いきなり殺人を全部やめるのは土台無理。徐々に減らしていくのです」
「……熾天使さんはタバコを吸うんですか?」
「言葉の綾であります」
「その方法で禁煙できたんですか?」
「できないであります」
ダメじゃないですか!
「ゴホン! それはともかく、女神様も覚悟しておいてください。先ほどの様子を見る限り、大天使ザラキエルの症状は、かなり進行している様子。殺人癖も……おそらく相当、強まっている可能性が高いです」
「はい」
「暫くは私の方でザラキエルの面倒をみますが……もしも堕天させてしまったら、申し訳ありません」
「……はい。分かりました。その覚悟は、しておきます」
そうして夜が明けた後、私はザラキエルの復帰を許可した。
彼女の傷ついた光輪と翼が、最低限の戦闘に耐えられるだけに治癒しているのを確認して、熾天使さん護衛の下に限り、彼女に仕事の許可を出す。
頑張ってねと抱きしめて「堕天しない様に、欲望を耐えるんだよ」と何度も何度も強く言い聞かせる。
「うん! 頑張って、天使らしくマジメに仕事こなすね! 女神様のために私、沢山がんばるね!」
なんて彼女は可愛らしく言ってくれた。
その顔を見て。きっと彼女なら、戦闘欲を抑えて帰ってきてくれる。そう信じて見送った。
だけど――やっぱり駄目だった。
ザラキエルは、これまで以上に好んで悪魔を殺す様になっていた。
つまらない戦いでも構わない。戦闘にもならない――彼女が傷一つ負わない、もはや駆除でしかない――仕事も彼女は進んで行うようになってしまった。
今まで歯牙にかけなかった矮小な悪魔すらザラキエルはもう見逃さない。周囲に蔓延る悪の悉くを彼女は斬り捨てた。
完全に、我慢させ過ぎた弊害だ。
彼女は我慢した分だけ悪魔への殺戮を楽しんだ。
「女神様! ほら見て見て! これが今日の成果だよ! 私、いっぱい殺せたよ! だから、ね――いっぱい褒めてっ!」
悪魔を殺すたび満面の笑みで帰還するザラキエルを見て、私の心はどんどん辛くなる。
ザラキエルが元々持っていた戦闘欲に加えて、酷い殺人欲が乗っかった。昔よりも目に見えて強まった。
その隣では熾天使さんが、頭の痛そうな表情で顔を抑えていた。
ああ、やっぱり。
もうザラキエルは、ダメなのかも、しれない……。
私はちょっとだけ、泣いちゃった。
あとがきが有りましたが、皆様を混乱させると悪いので削除しました。
次回投稿は三連休中を目指します