これは俺が天使にTSした時の話。
まだ女神様から優しさを教わるよりも、ずっと前。俺が今より少しだけ荒れていた時の話。
――あの部長、ぶっ殺す。
それが俺の人間としての最期の思考だった。
なんで仕事を終わらせたと思ったら、次の仕事が出てくるんだ。おかしいだろ!?
時計を見ろ! 時計を!
もう会社に出てきて、短針が二周したぞ!? どうなってんだこの会社!?
時計も読めない馬鹿しか居ないのか! ならば外を見ろ! もう明るいぞ!?
うがーってなって、机をバンバンしてたら、隣に敷かれた寝袋から「静かにしてくれぇ……」という亡者の鳴き声が聞こえた。
「あれ? お前生きてたの? 勝手に休みに入ったから、死んだのかと思ってたわ。いいよ、そのまま死ねば? 俺は気にしないよ」
なんて同僚を罵倒してたらね、はい死んだの俺でしたー! ってオチ。……どう?
同僚が俺の言葉にブチギレて帰った後。1人で仕事してたら突然、胸が痛くなって、俺は察したんだ。
あ、これ心筋梗塞ってやつだ! うあぁ、部長のクソ野郎のせいだぁ! ぶっ殺す! って――そう思いながら俺は死にました。どう?
目の前で、俺の話を聞いていた天使の顔が青ざめる。
「ひ、ひぇえええ!! 生まれたばっかりの天使がもう人間を殺してるよぉー! どうやったの!? でも、どおりで人間の死臭がすると思ったらー!!」
「あれ? ねえ、俺の話聞いてた? 俺は殺してないけど……むしろ殺された方で……あれ、どこ行くの? ねえ!」
小さな女の子――それも天使の様な羽と光輪を持つ少女――が、飛んでいった。
手を伸ばして制止するが、彼女は聞く耳もたずと去って行く。
……なぁにこれぇ?
死んだと思ったら、原っぱみたいなとこに居た。
しかも姿が変わってる。金髪の少女、それが今の俺。
鏡は無いけど何となく分かる。
細くなった手足、長くなった髪、真っ裸で晒してる胸と股間を見て把握した。はいはい了解、TS転生ね。了解了解。
ついでに自分の背中から生える一対の小さな翼を見て把握した。はいはい了解……これは……え? これはなに!?
力を入れれば、小さな羽がなんだかパタパタと情けなく羽ばたいた。
飛べる気がしないな。あの女の子、どうやってこんなので飛んだんだ?
どうしようと周囲を探ると頭上で光ってる輪っかに気が付いた。
……なーるほど、天使だこれ。さっき逃げた少女と一緒。
俺、死んだと思ったら天使になっちゃった。
でも親が居ないんだけど……?
気が付いた時に近くに居た女の子は、「あ! 新しい子が生まれた! じゃあ私が
あまりにも早い。俺でもびっくりの"新記録更新"だ。
さて……それなら、どうすればいいんだろう。
周囲を見れば、地平線まで広がる穏やかな草原。人工物は一切なく、何キロも続くだろう雄大な自然が広がっている。
こんなのパソコンのデスクトップ画面でしか見た事なーい!(Windows XP感)
「これどこ行けばいいんだよ……てか、俺はどうすればいいんだよ……誰か天使が何かの説明してくれよ」
人は死んだら天使になるのか。それとも俺が異常なのか。
誰かに聞いてみたくても、その人がいる場所が分からない。
歩いて移動するの? 目的地も分からないのに? この小さな歩幅で?? むーりー。
背中の翼をなんとか使えないかと模索を繰り返す。全力で力んで、なんとか空中に浮き上がる。
そしてちょっと慣れたなと思って滑空を始めたら、やっぱり墜落して、全身擦りむいて。傷だらけの血だらけになった頃。ようやく俺は一つの建物に辿り着いた。
大きいコンクリート造り。要塞のような見た目で無骨な雰囲気を持つ建物だ。
入り口は重厚だ。TSしたせいか、腕力も弱くなった俺が全力で押せば、何とか開いた。
「っ!? 止まれ! お前、名前と所属は!? なんだその血と臭いは! なぜ裸なんだ! お前一体、誰を殺してきた!」
「……?」
「動くな! 今すぐ止まれ! 私の質問に答えるんだ!」
「はあ」
なんか玄関近くにいた赤髪のポニテ天使さんに剣を突き付けられて、
鼻先で剣を揺らされて、俺はめんどうになってため息を漏らす。名前も知らない天使はビクリと体を震わせた。
ハッキリ言おう。めんどくさい。
もう過労死した段階で、だいぶ何もかもがどうでも良くなったのに。TSした上で、こんなに苦労して、頑張って。一体この先なにがある?
ここで天使に斬り殺されても遺恨はない。堂々と言ってやる。
「入るなと言うなら、入らんよ。俺は自分の名前も所属も知らないし、興味もない。それでなに? ここから出て行けばいいの?」
「名前を知らない……!? 所属が無い!? ふざけるな! そんな天使がいる訳ない! お前の"親"は何処だ! 一体どういう教育を受けたんだ!」
「俺に親なんか居たことない。教育なんか、あるもんか」
たぶんあの逃げた少女天使が「親」だったんだろうなぁと漠然と分かる。だけど、それは認めたくない。あんなのが親なら俺には必要ない。
そして俺はこいつとも会話する気が無くなった。
威圧的な奴は好きじゃない。気性の荒い奴も好きじゃない。
俺はすぐさま踵を返すと建物を出る。
「待て!」とか「どこに行く!?」と後ろから言われたが、知った事ではない。
お前に止められる筋合いはない。これから先の人生は、俺が勝手に決めるんだ。
だけど建物の外に出て、何も無い野原を見てため息を吐いた。
やっぱりどうすればいいか分かんないねぇ……。
再び建物の中へと戻って赤髪天使に聞いてみる。
「ねえ、この辺に図書館ないの? 俺でも使えるといいんだけど」
さすがにプライドよりも実利が勝った。
この天使が教えてくれたら助かるけど、ダメならそれでもいい。適当に空を飛ぶ。
「……その血塗れの体は流して行け。それで図書館は……無くは無いが……
「いいって」
「………………あっちの方角だ」
めっちゃ溜めるじゃん。
凄いイヤそうに答えるじゃん。
まあ、いいや。行くとするか。
図書館までの道中で川でもあるといいんだけど……そう思っていたら、赤髪天使に止められた。
建物から出る前に「おい、どこに行くんだ」と呼び止められて腕を掴まれる。
「その血を流せと言っただろう。シャワー位なら、使わせてやる」
「……ありがと」
「全身傷だらけじゃないか。人間と争ったのか?」
「……転んだだけ」
「ふん……天使が転ぶか、馬鹿者め」
ブツブツとやかましい文句を行ってくる、長身の天使。
翼は俺よりも大きく、その数も多い。3対6枚……熾天使だろうか?
いや上位天使が全部3対なんだったっけ? そもそも熾天使以外の上位天使って何だっけ? ぜんぜん覚えてない。
一度中学生の時に学校のパソコンで調べた以来の過去知識だ。
この天使の名前はなんというのだろう。熾天使なら、もしかして俺が知っている名前が出るかもしれない。
ガブリエルとか、ミカエルなんて名前なら有名で俺でも知っている。引っ張って弾くんだ。ゲームでやった。
ああ、いや。そう言えば俺の名前が無いな……どうすればいいんだろう?
「ねえ、俺の名前は、どうすればいい?」
「……親につけてもらえ」
「親なんかいないって、俺さっき言わなかった?」
「…………ザラキエルとでも……名乗っておけ」
「ふーん、貴方の名前は?」
「すぐ死にそうなやつに教える名前はない。私のことは好きに呼べ」
熾天使が俺を見ることは、あんまりない。
だけど、たまに振り返って俺のことをチラっと見ては、イライラしたように頭を掻き毟る。
そしていよいよ彼女のストレスが限界になったのか、ポケットからタバコとライターを取り出したら火をつけた。
熾天使が大きく吸い込んで、煙を吐き出した。非常に煙い。臭い。死ねばいいのに。
「はぁぁー……やっぱり、ここは碌な事がない」
「天使がタバコ吸っていいんだ?」
「……お前だって人間を殺しただろ。なんだ、人間がムカついたか? それとも何かされたのか?」
「殺してないって。殺したい奴ならいるけど」
「ふん、少しはその死臭を隠してからモノを言え。お前、人間の魂の残滓が全身にこびりついてるぞ。バレバレだ」
「??」
案内された浴室はあちこちに黒カビが生えた古臭い場所。
聞けば、もうこの建物を使う人も少ないそうだ。同僚は殆ど死ぬか堕ちるか、辞めるかしてしまったらしい。
今の時代"天軍"なんか流行らない。赤髪の熾天使がそう嘆く。
熾天使は俺がシャワーを浴びている間、ずっと扉のすぐ外にいた。
浴室の入り口に背を向けて、寄りかかるように腰かけて。彼女はそうやって扉越しにずっと俺に何か語り掛けてきた。
その時、何の会話をしたのか覚えていない。たしかどうでもいい世間話だった気がする。
いつ生まれたのかとか、どこで生まれたのか、俺の身に一体何が有ったのか。そんなことを無駄にたくさん聞かれた
でも、俺はコイツのことを信用していなかったから、適当に相槌を打って聞き流した。なんとなく、それだけ覚えてる。
そして、俺が自分の血で汚れた身体を流し終わった後。浴室を出ると熾天使がタオルを投げつけてきた。
実に暴力的だ。好きじゃない。
「服は? どうせないんだろ。昔"天軍"で使ってたお古だが……これでも持っていけ。戦いの臭いが染み込んでるが気にするな」
「あー……ありがとう」
そういえば、俺はずっと裸だった。
何も無い原っぱで生まれて、親に――いいや、訳の分からん少女か――に置いていかれて。空を飛んだけど、やっぱり墜落して。俺はずっと裸で血塗れになっていた。
熾天使はそんな俺の様子を怪しくも不憫に思ったのか、怪訝な顔つきで黒い軍服を何着か渡してきた。
それは、素直に助かったから頭を下げる。
「お前が裸で血塗れだった理由は聞いていいのか?」
「……女が裸で、血濡れなら、理由は聞かない方がいいんじゃない?」
理由を説明するのがめんどくさいから、適当にそう言った。
「それもそうだな。知ったところで、いい気分にはならなそうだ……ただ、全部ケリは付けたんだろうな? 天使に手を出した人間なんて、生かしておけない。もしまだなら私が"処分"してくるが?」
「つけたつけた。全部おわった」
んー……。
この服どうやって着るんだろう? あ、いけそうだ……いや、やっぱいけないわ。なにこれ、チャックもボタンもないじゃん。かぶり式?
「貸せ」
あたふたしてたら、熾天使に服を奪い取られた。
「魔力式だ。服を着るための解除には魔力を流せ。……ここだ。ここにお前の魔力を流して登録しろ。脱ぐ時も一緒だ。……魔力は分かるか?」
「……分かんない」
「はぁ……お前の親の顔を見たいよ私は。どうなってんだ一体。……魔力は光輪で"回せ"。それは天使の証だ。全ての基礎になる。……『天使の輪』は絶対に傷つけるなよ。割れたら死ぬと思え」
「ふぅん……」
「あとは、そうだな。欲望は翼で抑えろ。睡眠欲は必要ないだろ。食事は仕事しながら大気中の神気をつまんで喰ってろ。性欲なんか不要だ。いますぐ消せ」
「??」
「……お前、私の"子"になるか?」
「ならない」
「そうか」
誰が名前も知らない奴の子供になんてなるものか。
いい加減、コイツの話を聞くのも飽きてきた。
本は知識の倉庫。
本はいい。大好きだ。アイツ等は誰にでも平等に知識をくれる。1人で静かに学ぶことができるから。
それにどうせ、この場で聞ける話の内容なんて限られる。それならさっさと図書館に行って勉強したかった。
ぶっきらぼうで暴力的。それでいて小うるさい熾天使には別れを告げて、俺は教えてもらった図書館へとやってきた。
なんでも「ここには司書として智天使が居るはずだから、そいつに詳しく教えてもらえ」と言い聞かされている。
もし誰も居なかったら、必ず戻ってこいとも言われてるが……ハハっ。
図書館の入口をくぐると、大きなカウンターが目に入る。
司書が利用する机だろう。その上に大きな張り紙がされていた。
『ただいま仕事で留守にしてます。ご用件のある方は、フランスかドイツ辺りに居るので来てください。そこに居なかったら、南米辺りに居ると思います。by司書』
「外国じゃん」
すごい埃をかぶった張り紙だ。
一体、何か月前のモノか分からない。というか所在地がおおざっぱすぎる。何の意味もない張り紙だよ。これを張った奴はたぶんバカ。
「というか……俺、文字、読めるんだ」
天使にTS転生したせいか? それとも別の理由なのか。俺は知らない文字を自然と読めている事に気が付いた。
読めない可能性についても考慮していたから、それは助かった。
ならばとまずは図書館の規則やルールを探す。
たぶん、カウンター近くにあるだろう。あった。
「『神書』は危険なため、自我の確立していない生後20年以下の天使は閲覧厳禁。それ以外でも可能な限り上位天使の監視下で閲覧を行うこと……?」
うーん……たぶん、おっけー。
俺は20歳を超えているし、熾天使も図書館では司書の言う事聞いて気を付けろと言っていたから、たぶん許可されてる。
というか、周囲を見ると『神書』と書かれた棚ばかり。何それと思ったら、どうやら神様が書いた本らしい。
人間の本は無いし、天使が書いた本の棚はごくわずか。天使は執筆が嫌いなのかね?
「書籍類は"統一言語"での執筆を依頼しているが、神の中には敢えて"エノク語"で書く者もいるため、要注意……とは?」
うーん……その言語の違いが判りません。まあ読めればヨシ。
さて歴史書から攻めるか、天使という種族の概要を探すか。
よく分からないから、俺はとりあえず目についた棚の一冊を手に取った。
どうやらある神様の日記帳らしい。
表紙にはこれまで俺が読めていた文字と同じ形式で、「わちしの日記」と書いてある。
わちしってなんだよ。とりあえず俺は表紙を開けてみた。
▼
今日から日記を書くえ~。
父上は教育熱心で困るえ。勉強の為に日記をつけるようにって……そんなことしなくても、わちしはきちんとエノク語をマスターしてんだえ~。
とりあえず、父上からのめんどうな指示を伝えてきた天使は処分だえ~。羽をもいで、泣き叫ぶ様子を見るのは楽しいえ。
理由は無いえ。
ただ、めんどうなこと言われて、むかついたんだえ~。
あんな
▼
1ページの半分も見ない内に勢いよく本を閉じた。
「気持ちわる……っ」
知識でなく、心で理解した。
統一言語とエノク語の違い。それは、どうやって文章の内容を相手に理解させるかの違い。
おそらく両方とも、言語を習得していない相手にすら内容を理解させる力が有る。
だがその過程が違う。統一言語は知識として、エノク語は心理でもって、読者に内容を理解させる。
つまりこのエノク語で書かれた日記を読むという事は、著者の心理や思想を直接、読者の心に叩き込むという事。
なるほど、これは注意喚起されるわけだ。
意識をしっかりもっていなければ、読者は"著者"に取って代わられる。洗脳なんて軽いものじゃない。成り代わりに近い、精神への上書きだ。
1ページにも満たない今の一瞬で、この日記を書いた神の思想が俺の精神を蝕んだえ~……。
「……エノク語の本しかないのかな」
目につく棚は「神書」と書かれたものばかり。
イヤな予感がする。
はい、予感が当たりました。
とりあえず神様ってやつは全員クズだ。死ねばいい。
どいつもこいつも、人を人と思わない劣等生物だ。あの部長に近い。いや……ギリ、勝ってるかもしれない最悪な連中だ。
やべぇな、あのクズ上司を上回る怪物が天界にはゴロゴロしてるのかよ……。地獄の間違いじゃない、ここ??
天使になっちゃった俺が神々に見つかったら、良くて道具。最悪は拷問の練習台。
絶対に見つかりたくないな……。そう思っていたが、図書館で文献を調べてる内に、その心配は少ないことが判明して来た。
神々の殆どが既に報復されている。
その大半が、馬鹿にしてきた天使に反逆されて殺された。
魔界――別名は地獄――との大戦中に、悪魔に殺されるのではなく、天使に背中から刺されることが多かったようだ。
ざまあみろという感想しか浮かばない。
他にも歴史書を見て回り、神のクソみたいな紙切れを流し読みして、天使達の怨嗟に塗れた呪物を漁る。
中でも、復讐心に染まった天使達が遺した記録は参考になる。
――次にバトンを握る者のため。
どうやって神を殺すか。力を得るための手段。戦いの定石。効率的な殺し方。その技法。
普通ならば、読んで理解できたとしても、すぐに実践はできない。言葉だけじゃ伝わらないこともある。
だけど本が教えてくれた。死した著者達の執念がエノク語を通して、俺の心と連鎖する。
「天使の力は、光輪で回せ……。翼を通して自己を改竄せよ」
熾天使が教えてくれたことはあっさり習得できた。
やはり本だ。本こそが、俺に知識をくれる。
とりあえず、目標は図書館全ての蔵書を読破すること。……は、無理だ。ムリムリ、たぶん俺死んじゃう。
油断したら、あっという間に自我が死ぬ。
ある程度読んで満足したら終わりにしよう。
そして昼夜を問わず、蔵書を読みふける日が続いた。
飯は要らない。大気中の神気――神様の力――を喰ってりゃ天使は生きられる。
睡眠も要らない。必要ない。そもそも天使は寝ずに働くのが基本らしい。下手にサボると殺されるから。
怖いね、天界。
と思ったけど、俺の人間時代もあんま変わんなかった。じゃあ、いっかー。
何度も何度も日が暮れては、夜が明ける。
その間、図書館を訪れる人は1人も居なかった。
まあ、用事ねぇわな。こんなクソみてぇな書物しかない図書館なんて。
「んで……この復讐記の最後は……」
面白そうだからという理由で、親友を生きたまま解体させられた天使が神に復讐する物語。
神に対する懐疑や殺意は、天使をあっという間に堕天させる。
天使の食べ物が、神の力そのものだからこそ、それを心が受け付けなくなった天使は瞬く間に別の存在へと成り果てる。
翼が黒くなって堕天して、同胞の天使達すら敵にして。それでも諦めず目につく全てを殺せば、いつかは復讐対象も死ぬだろうと暴れまわる『殺意の天使』の物語。
そんな彼女の最期は――
「っ!」
背後から殺気を感じて、椅子から飛びのいた。
唐突に後ろから放たれた斬撃は空を切り、副次効果による猛烈な突風が図書館の中で吹きすさぶ。
『失敗、シタ! 失敗シタ! あはは、あハはハ! オ前を殺セナかった!』
「……殺意の、天使」
両目をくり抜かれて血の涙を流す1人の堕天使がそこに居た。
俺が落とした「天使の復讐記」を胸に抱き、狂ったように笑ってる。
『失敗! 失敗しっぱイ! アハハは! 失敗! 失敗失敗!』
本人?
いいや、違う。本人が遺した執念だ。アレは復讐記に取り付いて、成仏することもできず、ずっとここにいる。
本を手にした者を殺す為、ずっと待っている。
『復讐記』は彼女の全てを俺に教えてくれた。
この天使は復讐に成功している。
親友を虐めた神を
だけどその殺意は収まることはなく、そのまま目につく全てに牙を剥き。最期は仲間だった天使に殺された。
それでも執念と化して、もう目的も何もかも分からなくなっても、殺意だけは止まらない。
彼女には周囲の全てが怨敵の神に見えている。だから彼女の敵討ちは終わらない。永遠に。彼女はもう、満たされない。
「あ……帰った」
俺への奇襲に失敗したから一時撤退したようだ。復讐記の中に吸い込まれるように、殺意の天使は消え去った。
やはり神殺しに成功するだけあって、いろいろと聡い。こんなにも弱い俺を相手に一切油断しない。
……助かった。いま襲われたら、たぶん死んでいた。
それはそれでも構わないけど……生きたい訳ではないから。でも、別に俺は死にたい訳でもない。
特にあいつに捕まると、楽には死ねなそうだし……。
「これ以上は、危険かな」
少しずつ強い呪物を読んでいたが、もう俺の手に負える範囲から逸脱しはじめた。まだまだ天使の本は半分以上残っているが、それはまたいつか。
殺意とかを無理やり教え込まれるのも、結構キツイ。
なんだよ殺気を感じるって……中二病かよ……でも、分かるようになっちゃったよぅ……。
ぷるぷると疲れた頭を振って、考える。
大体必要な知識は集まった。もう暫く図書館に用事はないだろう。
天使の生態も、神の悪性も理解した。これ以上の長居は精神への負荷が大きすぎる。今でさえ、ちょっと俺の自己概念が揺らいでる。
――ああ、そういえば、やはり最初にあった少女は俺の親ではなかったらしい。
天使は神気から生まれる。天界に一定以上の濃度の神気が溜まると、「神気溜り」となってちょっとしたきっかけで天使へと変化する。
その切っ掛けとは、他の天使が近くにいること。既存の天使を触媒として神気が反応、新たな天使を生み出すのだ。
天使はそれを便宜上"親"と呼び、"子"に対しては何年も付きっ切りで、天界の知識や常識、魔法の教育を行うのが習わしだった。
まあ、もう終わってしまったことだから、無駄知識でしかないな。
とりあえずアレは生物学的にも、道徳概念上でも俺の親でなかった。それには少しだけ安堵した。
どっちかというと天使の素である「神気」を放つ神様が俺の親の気がする。
今はもう1柱を除き、天界から神性は消滅している。それが女神『サーヴィトリー・サラニュ・サティヤヴァット』だ。
彼女が生まれる前の神々は、全て1人の堕天使が殺しきった。まあ、その時には大戦で半分以下にはなっていたらしいが、残ったゴミを纏めて処分した堕天使がいたらしい。
そして神気の供給が無くなった天使も絶滅の縁に追いやられ、緩やかに餓死する最中に件の女神は生まれ落ちた。
だから、いま生まれる天使の「親」は、きっとその女神ただ一人。
どんな神様なんだろうという疑問はあるが、そこまでの文献は図書館に存在しなかった。
気になる。でも会いたくはない。……幻滅したくないから。
俺の生物学的な母親――である可能性が高い存在が、どんな悪性か。俺は知りたくない。
とりあえず、今は疲れたから、ゆっくり休みたい……。
天使も生後1年くらいは仕事しないらしいし、まあ殺されはしないだろう。大丈夫。大丈夫……きっと。
そうだな。1年ぐらい、ゆっくり休養しようかな……。そうすれば、ちょっとは荒んだ心も落ち着くだろう。
"親"が居ないのに働かないからサボってると思われて、先輩天使に仕事を渡されたザラキエルが社畜に戻るまで後100日。