※作者は単行本勢
※なんでも許せる方向け
×0 奇譚
――その日まで、
東京都内の公立高校に通う、普通の学生。所属する高校のサッカー部ではエースをやっており、都内ではそれなりに名の知れた選手ではあったが、それもあくまで「普通」の範疇。変わった風貌も、時代遅れの実家も、大衆の常識から少し外れた程度の普通さ。本人も来たる受験に向けて、普通の学生と同じように気合を入れていた時期のことだった。
「東京・渋谷で謎の大災害発生」。
「死傷者数不明」「東京都内は立ち入り禁止」。
「東京都内には『
周囲と同じようにそのニュースに慄く
「
とある呪詛師が仕組んだ術師どうしの殺し合いに、
「おい押すなって」
「マジで避難するとか、そんなに危険なのかよ東京」
「誰か今足踏んだ!」
「呪霊ってホントに存在するの? テレビ局の捏造でしょ?」
「なんで交通インフラ軒並み死んでんだよクソが!」
東京都内。ざわざわと好き勝手に騒ぎながらも、ひと固まりになって歩く集団が居た。都内全域に出された避難命令に従い、東京の外へと疎開する都民たちの姿である。
時刻は真昼。呪霊が活発化する夜を避けて行われた集団疎開の人の波の中に、その少年の姿はあった。
「……」
人波が動くたび、長い尾にも似た金髪が揺れる。
線の細い風貌、『少年的』と『華奢』の中間に立つかのような細身の体躯は、何処か猫科の獣を思わせた。ひとつに纏めた長い後ろ髪、美しいと形容して差し支えない整った顔立ちも、血統書付きの家猫のよう。ただその険しい表情だけが、周囲を警戒する野生の獣じみていた。
そんな彼に、隣を歩いていた少女がふと顔を寄せる。
「な、なんだか大変なことになってるね、
「そうだなー」
遠慮がちな少女の声とは対照的に、少年の声は間延びしていた。先程見せていた警戒の表情も、気の抜けた笑顔に変わっている……たがその声音の芯には隠しきれない凛々しさがあった。それをあくまで隠しきるように、フランクな口調で彼は続ける。
「つい一週間前まではこんなこと想像もしてなかったぜ。てか想像出来てた人居ないんじゃね?
「う、うん。一緒に来てる」
そういうと少女、篠田
八壱が人混みに合わせて歩く中、それに追従するように隣に並ぶ麻里は少し迷い、そして再び口を開いた。
「ねぇ、八壱くんは信じてる? その、」
「『呪霊』のこと?」
「! う、うん……っ」
呪霊。渋谷の一件からメディアがこぞって報道し出した、普通の人には見えない怪物。映画に出てくる幽霊や妖怪のようなその存在を信じているものは、しかし多いとは言えなかった。東京にしか出現しないという内容も含めて、未だフェイクニュースだと騒ぎ立てる連中の方が多い程だ。内容が内容だけに仕方ないのかもしれないが……。
がやがやと五月蠅い人の群れの中。道脇にまばらに立つ、黒い服を着た人やスーツの大人に誘導されながら、少年と少女は声を抑えながら会話する。
「その、信じられないかもしれないけど……わ、私ね、見た事あるかもしれないんだ」
「呪霊を、ってことか?」
「……あの、これは誰にも言ってないんだけどね。私、ちょっと霊感あって。小学校くらいの時、お墓で幽霊みたいなのと目が合っちゃったり……でも、これはそんな昔のことじゃないの。ほんとに、昨日の夜の話」
少女はつっかえながらも語る。大人以外で最も頼れる知り合いであり、普段から淡い感情を抱く相手に。
「昨日の夜、寝れなくてトイレに行った帰りにね……玄関のチャイムが、鳴ったの。深夜の3時くらいだよ? それで、なんだか怖くて動けなかったんだけど……その間もチャイムは鳴り続けてて。ピンポーン、ピンポーン、って、ずぅっと」
「……」
「お父さんもお母さんも起きてこないし、しーんとした廊下にずっとチャイムの音だけが響いて……凄く怖かったんだけど、でも、そんなに鳴らすってことは何か急用がある人が居るのかな、って思って。出来るだけ足音が鳴らないように、ゆっくり玄関まで行って……そッ、それで」
そこで昨夜の恐怖を思い出したのか、口元を抑え蹲りそうになる麻里の体を八壱は咄嗟に支えた。
「落ち着いて、篠田。無理に言わなくても良いって」
そう言って背中をさする八壱だったが、少女の意思は固いようで言葉を続けた。いや……自分1人では抱えきれない恐怖を吐き出してしまいたかったのか。それはともかく、麻里は言う。
「うんん……それで、それでね。誰がこんな事してるんだろうって、玄関のドアスコープを覗き込んだら――
震えながらそう告げた少女に、八壱は真剣な顔になった。野良猫の表情に緊張感が走る。
「ただの夢かも知れないんだけど、私、怖くて……!」
「……いや。信じるよ」
「ほ、ほんと?」
「うん。俺も信じてるから、呪霊」
顔を上げた少女が見たのは、しかし柔らかい笑顔だった。
八壱は先ほど見せた真剣な表情を隠しつつ、麻里を支えながら人混みの中を歩く。
「ほら、今は避難に集中しようぜ。東京を離れたら、きっとその
「うん……ありがとう、八壱くん」
顔を赤くする少女の笑顔に、八壱が頬を掻いた時だった。
「ぐああ!」と誰かの悲鳴。
べしゃ、と集団の横、八壱から5mほど離れた道の端になにかが落下した。
それは赤だった。
それは黒だった。
それは、ぐちゃぐちゃになった人の死体だった。死体の顔は恐怖に歪んでおり、首と胴と四肢は黒い服が赤く染まる程
突然の異常事態に誰もが固まる中、避難誘導していた黒服・黒スーツたちが最も早く再起動した。
「呪霊だ! 3級術師が1人やられた!」
「まだ昼間だぞ!?」
「言ってる場合か! 監督役はすぐに市民の避難を!」
「対象の呪霊、推定等級は2級以上! 周囲の術師に応援を要請してください!」
やにわに色めき立つ場。
「し、死体だ!」
「どけ、早く行けって!」
「ちょっとこれ何!? どうなってんの!?」
「逃げろ、とりあえず逃げろ!」
死体に気付き、我先にと逃げ始めるパニックになった市民。
そんな中、動けなかった者が居た。一点を見つめ呆然と立ち尽くす篠田麻里と、彼女を支えた九々等八壱。
麻里は青い顔で、震える歯の根で、傍らの八壱に
「あ、あいつだ……」
「!」
「八壱くん、あいつなの! あいつが昨日、玄関前に居た――!」
それは、なんと呼べばいいのだろう。
最も近い表現は「人面人腕の大百足」か。六つの瞳を持つ顔は巨大で、人間をすっぽりと咥えた口がギロチンのように閉じられると、下半身を失った人間の死体が地面に落ちる。腕は一本一本がひょろりと長く、2mほどもあるそれが蛇のように細長い体の両側に無数についている。全長30mを超えるだろうその怪物は、眼下の人間たちを見下ろしながら悍ましく鳴く。
「お と ど け 、も の で ぇ す」
その姿は、所業は、正に
かくり、と力の抜ける体を支えた八壱は、何も居ない虚空に叫んだ。
「
すると、彼の頭の横辺りに何かが出現する。それは虫にも似た、小型犬程のサイズの「なにか」。
それは普通の人には聞こえない人語で問いに答える。
『残念ながら無関係だぜ! ここは
「チッ、なら単純に不運って事か……!」
舌打ちした八壱は周囲を見回し……近くに居た黒スーツの、明らかに「ばけもの」を視認している男性を発見した。一見サラリーマンにしか見えない、七三分けに眼鏡の男性……だがその体をうっすらと覆う「力」を、九々等八壱は視認して。
「あの、この子をお願いします!」
その男性の傍に麻里を座らせると、「ばけもの」に向けて歩き出す。
彼の姿を、「呪霊が見えていないが故にその方向に逃げてしまう一般人」に見えるその姿を視認した黒スーツ――呪術高専補助監督は思わず叫ぶ。
「!? 君、そっちは駄目です! 反対側に逃げないと――」
黒スーツの男性は彼を制止しようとして、
「大丈夫」
その体から立ち昇る力、『呪力』に制止の声が止まった。
黒スーツの男性、
「あの
呪霊と向き合うその表情は、若獅子の如き自信に満ちていた。
「――ええ、はい。応援は大丈夫です。はい、いえ、おそらく彼は術師ではなく……はい。夏油傑によって術式を得た一般人かと」
約十分後。
「いえ、彼はもう……名前を聞く暇もありませんでした。おそらく『死滅回游』に参加するためにここを去ったのだと思われ……はい。金髪の長い髪を後ろで纏めた細身の少年です。年齢は恐らく高校生ほど……強さ、ですか? それは――」
問われ、伊地知潔高は首ごと視線を傾けた。彼が向くのは十分前に百足呪霊が居た場所……その奥。
ビルの壁面に出来た、呪霊の血が飛び散ったクレーター。それを作ったかの少年の一撃を思い返しながら、冷や汗と共に補助監督は告げる。
「――おそらく、1級術師クラスです」
百足呪霊は少なくとも2級の強さがあった。それを
一方、その横にへたり込む篠田麻里。
彼女は今しがた
「八壱くん……」
己にとっての恐怖の象徴を一撃で吹き飛ばしたそのヒーローは、しかし自分の傍に留まってはくれなかった。
『ごめん篠田。オレ、行かないと』
そんな短い別れの言葉を残して、彼は東京の奥へと消えていった。その背が去った方向を、黒い柱のようなものが屹立する空を見ながら、麻里は不安に鳴る胸を押さえる。
「大丈夫だよね。帰って、くるよね」
別れ際に言えなかった言葉が、東京の空に吸い込まれて消えていった。
11月9日、東京第1
天まで伸びる黒い円柱状の結界の前に、1人の少年が立っていた。
尾のように揺れる、後ろで纏めた長い金の髪。華奢に見える肢体を動きやすいパーカー付きのジャージで包んだ彼の横に、ぽん、と虫に似た式神が出現する。
『よう、俺はコガネ!!』
結界に近づいたことで出現した式神、死滅回游
『この結界の中では死滅回游って殺し合いのゲームが開催中だ!! オマエは既に
――その日まで、
彼は漆黒の結界を前に、その中で行われているであろう殺し合いを想像し。
己に与えられた『術式』を脳内で検めて。
「ああ。問題ない」
尾のような髪を揺らしながら、結界の中へと足を踏み入れた。
――その日から、九々等八壱は普通の学生から逸脱した。
彼が足を踏み入れたのは呪術師の世界。呪い呪われ、
そんな世界への境界を、今、跨ぐ。
とぷん、と黒い壁は新たな
異物・
死滅回游
〈
1、
2、前項に違反した
3、非
4、
5、
6、
7、
8、参加または
泳者 九々等 八壱
術式:冪乗呪法