9×9=   作:龍川芥/タツガワアクタ

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×2 邪魔

「先生、開幕ぶっぱするんならオレの領域も使えんじゃね? 呪力出力81倍にしてぶっ放すとかさ」

「……いや、止めとこう。やるのは伊地知の結界を使った『不意打ち』だからね。流石に領域を見逃すほど宿儺は鈍くないだろうし、そもそも八壱の存在を察知されれば宿儺がなりふり構わず仕掛けてくるかもしれない。そうなればみすみす不意打ちのチャンスを失う。あと、初撃後も援護は要らないよ」

「いやでも、折角『合体技』も開発したんだし、1人じゃ――」

「大丈夫」

 

「僕、最強だから」

 


 

 

 12月24日、新宿。

 約束されていた五条悟と両面宿儺の決闘は、伊地知(いじち)潔高(きよたか)(いおり)歌姫(うたひめ)両名の助力による『200%の虚式・茈』を合図に開始された。

 「現代最強の術師」と「史上最強の術師」の戦いを高専内で見守る術師たちの中には、不安げな顔を隠しきれない九々等(くくら)八壱(やいち)の姿もあった――。

 

 新宿の街を破壊しながら、戦闘は進む。

 無下限により斬撃の術式すら防ぐ五条と、領域展延による体術で無限の突破を目論む宿儺。両者の戦いは規格外で、互角に見える勝負の均衡がどう転ぶかは予測がつかなかった……領域展開が行われるまでは。

 両者同時の領域展開。

 無限の情報量を脳に流し込み行動を封じる五条悟の『無量空処』と、範囲内の全てに延々と斬撃を浴びせ続ける宿儺の『伏魔御廚子』。領域勝負は、一見今まで通り互角に思われた。

 しかし。宿儺の領域の効果範囲が五条の領域の()に及んだ結果、その天秤は崩れることとなる。

 硝子が割れるような音と共に、五条悟の領域展開が破られた瞬間――。

 

 九々等八壱は立ち上がった。がたり、と腰掛けていた椅子が転がる。

 画面内で斬撃を浴びる五条悟の姿から眼を逸らすように振り返り、部屋の外へ駆け出さんと足を踏み出す。目的地は当然言うまでもない。

 その足がたった一歩で止まったのは、横合いから電気(じゅりょく)混じりの殺気をぶつけられたから。

 

「戻れ、邪魔すんな」

 

 ばちりと電撃の属性を持つ呪力と共にそう告げたのは鹿紫雲(かしも)(はじめ)。彼は九々等を睨みつけながら続ける。

 

「少なくとも、次はオマエじゃねえ」

 

 火花を散らしながら猛る呪力と反して、声は静かに、だからこそより迫力を帯びて響く。

 その声に、呪力に、ぴたりと足を止めた九々等が振り向く――。

 

「――は?」

 

 空気が罅割れる。倍以上の怒気が、向けられた殺気と激突する。ぴしり、と床が天井が悲鳴を上げて、吐血するみたいに埃を吐き出した。

 物理的圧すら伴って憤怒する男、九々等八壱は、鹿紫雲を強く睨み獣が唸るように言う。

 

「ざけんな。こうしてる間に手遅れになったらどうすんだテメェ」

「そうなったら()が出るだけの話だろうが」

「――ガチで言ってんなら殴るぞ、オイ」

「――オマエこそ本気で言ってんなら、とんだ見込み違いだな」

 

 獅子と麒麟が睨み合っている。今にも飛び掛からんとお互い牙を剥き出して。

 その様子を見ていた中の1人、日下部(くさかべ)篤也(あつや)が慌てて静止の声を上げる。

 

「おい落ち着け。九々等、だったか? 五条の助太刀に行くつもりなら辞めとけ」

 

 ぎろり、と琥珀の瞳に睨まれ、日下部は怯みながら「藪蛇だったか」と後悔する。

 そんな彼を援護するように、今度は冥冥(めいめい)が横合いから口を挟んだ。

 

「いいかい、宿儺と五条君じゃ勝利条件が違うんだよ。

 五条君は宿儺にさえ勝てばいいんだ。羂索(けんじゃく)は我々が束になればなんとかなるかもしれないからね。

 だが宿儺は違う。五条君に勝っても、その後間を置かずに私達と戦わなきゃならない」

「つまり、絶対に温存している切り札がある。俺達が出ればそれを切ってくるかもしれない」

 

 言葉尻を掻っ攫うように引き取ったのは(はかり)金次(きんじ)

 強力な援軍を得た日下部は、こほんと息を吐いて体勢を立て直し、己を含めた3人の意見を纏めて締めくくる。

 

「裏梅とかいう化け物も控えてるしな。全てを出し切るわけにはいかない宿儺に、足手纏いなしの全力の五条を当てる。今この状況が1番勝率が高いんだよ」

 

 そんな、冷静さを保つ年長者3人の論理的な説明を受けて。

 

「――それで?」

 

 九々等の瞳を金に滾らせる熱は、全く鎮火の気配が無かった。

 

「それでって、おまえなぁ……」

「だから、五条先生を独りにするって? 切り札が何かも、五条先生に有効な技かも分からないのに?」

 

 呆れたような日下部の声を、九々等の反論が迎え撃った。

 思わぬ反撃に鼻白む日下部、他二名に、九々等は真っ直ぐな視線を向けながら真っ直ぐに続ける。

 

「オレは呪術師とか正直良く分かんねえよ。けどさ、()()が何かは分かるぜ。それは『五条先生が死ぬこと』だ。それだけは間違いないんじゃねえのか」

 

 ――違う。()()は宿儺相手に全滅し、羂索の企みを阻止出来ないことだ。

 日下部はそう諭そうとして、しかし何かに気付いて口を噤んだ。

 

 ……確かに、最悪は全滅、つまり「敗北」だ。

 だが「勝利」を念頭に置いた場合、最も戦力としての価値が高い、失えばこれからの呪術界(たたかい)にとって痛手になる駒は――間違いなく、五条悟。

 

 しかし日下部は頭を振る。それは宿儺を倒せる前提の考えだ。それに、目の前の男はそういうことが言いたいのではないと何となく分かる。

 九々等(コイツ)が言いたいのは勝敗がどうのとか呪術界がどうのとかではない――()()()()()()()()()()()()()と、ただそれだけを言っているのである。

 

 余りにも普通(マトモ)な意見を聞きながら、しかし日下部は「狂っている」と喉を引き攣らせる。

 九々等八壱は大局など見ていない。正しく日本陥落・人類生存の瀬戸際で、それでも目の前の命を優先させる暴挙。異常の中でさえ平常と変わらぬ天秤で物事を量るということは、これほどまでに異常なのかと彼は改めて見せつけられた。

 そんな日下部らの怯んだ隙を突くように、九々等は持論を展開し追撃する。

 

「あと見た限り、裏梅ってのが来ても五条先生に何かできるとは思えない。オレは急所(あたま)にさえ当てれば宿儺を殺せるから、助っ人のレベルでは負けてない」

 

 これも反論が難しい。現状宿儺・裏梅両名と戦闘した九々等の言葉は、このような状況においても簡単に否定することのできない説得力を持つ。

 趨勢が傾き出したのを見逃さなかったのか、九々等は更に言葉を重ねた。

 

「それに。五条先生と宿儺で、明確に先生が勝ってる所があるなら、それは『味方の数』だ。

 宿儺は裏梅以外の味方が居ないと思う。アイツは悪い奴だからな。

 でも、五条先生は良い人だ。ここに居る皆、先生の味方だろ。それは五条先生が先生として、色んな人を助け導いてきたからじゃねえのか。それが報われなくてどうすんだよ」

 

 「最強」と呼称される程規格外の強さを持つ2人の術師、両面宿儺と五条悟。しかし他者を顧みず傍若無人に力を振るう宿儺に対し、五条は呪術界の行く末を憂い後進を育てることに尽力した。

 力を己の為に思うままに使う宿儺と、他者の為に自己を抑え人を助けた五条。どちらが最終的に報われるべきかなど、九々等にとっては言うまでもないことであった。

 そのような思いを込め、決定打のつもりで放った九々等の言葉は、しかし逆に反論の隙を作ってしまった。

 

「……そうか、九々等おまえ特級相当なんだっけか? あのな、誰もがおまえや五条、乙骨みたいにバケモンじゃねえの。てか特級相当だろうと、五条の前じゃ誰もが足手纏い。いいか――()()()()()1()()()()()()()()()()()()

 

 五条悟に助勢など不要、寧ろ邪魔である。誰もが九々等(じぶん)と同じように強いのだと思うな……日下部のそれは説得の為の言葉だったが――これもまた、完全に逆効果であった。逆鱗に触れた、地雷を踏み抜いた、とさえ言えよう。

 ぎり、と歯を鳴らし、九々等八壱は思い出す。五条悟の月下の告白を。

 

『強くなるって、思ってるより侘しいかもよ?』

 

 ……嗚呼、やはり自分は馬鹿で、彼の相談相手としては失格だった。その言葉に込められた苦しみを、今になってやっと理解できたのだから。

 誰かを救っても、自分を救う者は居ない。彼我を隔てる()()を見て、救われた者が「あなたのため」と手を引いてしまうから。そこに感謝が無い訳ではない。賛辞も志も充分にある。応援だってもらえている。だが、最強の彼を救う者だけがどこにも居ない。かつて居ただろうそんな誰かも、今はもう。

 

 馬鹿野郎、と辛うじて口で留まった言葉は、一体誰に向けたものなのか、九々等本人にも分からない。

 ただ、今度は内に留めていられないその言葉を、吐く。

 

「――独りじゃないといけないなんて、そんな悲しい人間が居てたまるかよ」

 

 それは、悔しそうに悲しそうに紡がれたその言葉は、きっと祈りの声だった。九々等は何となく、己では五条を救えないと察している。己の領分を外れた願いを前に、人は弱さを知り祈るのだ。

 だが。九々等八壱は、祈りだけで満足できる男ではない。

 

「(五条先生……)」

 

 誰かが彼に手を差し出さなければ。誰も居ないなら、今はオレが。それがどれだけ危険だろうと、ほんのささやかな助けにしかならなくとも、それは尻込みする理由にはならない。

 ――絶対に、独りにしない。

 その思いに背を押され、九々等八壱は歩き出す。五条悟の戦う場所へ。

 

「とにかく、オレは行く。アンタらが言う『ヤバイ切り札』がホントにあったなら、代わりに喰らって死んでやるさ。それで文句ないだろ」

 

 滅茶苦茶だ、という誰かの呟きに、しかし九々等は振り向かなかった。とっくに固まっていた意思が「決意」と化した彼の耳には、静止の声などもう届かない。

 だから彼の足を再度止めたのは、物理的に前に立ちはだかった男の姿。

 

「待て」

「……なんだよ」

 

 鹿紫雲一。バチバチと呪力を滾らせる男は、如意を手に九々等の前を塞ぐ。

 

「これは五条悟のための戦いだ。どうなろうと割って入るのは野暮ってもんだ」

 

 苛立ち混じりのその声が空気を焼く紫電とするなら、返る硬質な声は全てを砕く金剛石(ダイヤモンド)か。

 

「……五条先生が死んでもか」

「ああ。当たり前だ」

 

 九々等の問いには即答し。此処に、鹿紫雲と九々等の対立は決定的なものとなった。

 

「……テメェとは徹頭徹尾分かり合えねえな」

「全くだ。現代(いま)の術師は腑抜け過ぎる」

「一回だけ言うぞ。退()け」

「嫌だね」

 

 どちらともなく、呪力が高ぶる。みしり、と嫌な音を立てて床が軋み、ばちり、と火花が空気を焦がす。

 呪術界に疎い九々等八壱も、これくらいは分かっていた。

 言葉で分かり合えないなら、

 

「なら――押し通る」

 

 呪い合うしかない。それが、呪術師。

 

 分かり易いゴングは無かった。

 ただ、一瞬にして九々等の足元の床が弾け飛び、その肉体が疾風となった。

 黄金の尾を引く一陣の疾風(かぜ)。その速度、刹那の内に千里を駆ける。

 故に、迎え撃つ鹿紫雲が迅雷の如く(はや)さで動くのは必定であった。

 

「シッ――」

 

 振るうは如意。予め溜めていた電荷を指向性無く放出し、棒状の(いかづち)となった如意を超速で迫る九々等の胴に神速で打ち込む。

 意気は全霊。威力は必殺。籠った雷撃は敵の肉体を焼き焦がし、その行動を阻害する。

 術師すら止められぬ刹那。回避も許されず、如意は狙い通りに命中する――。

 

 ばちぃッ! と鳴った炸裂音は雷鳴にも似て、その実如意が九々等の腹を打ち据えた音。

 更に、偽の雷鳴に追従するように雷撃が闇を散らしながら吼える。紫電が九々等の全身を駆け巡り蹂躙する。

 

 如意の打撃と合わせて致命傷。少なくとも即座の反撃は無い。

 そんな鹿紫雲の確信は、

 

 無言で放たれた九々等の拳に腹を打たれることで吹き飛んだ。

 ずん、と腹に浸透する衝撃。

 

 皮肉にも、というべきか、九々等の狙いもまた鳩尾。腹筋を貫通して背中まで衝撃を通す一撃の痛みは、電流よりも尚鮮烈に鹿紫雲の全身を貫いた。そのまま拳に押し出されるように、鹿紫雲の体が後方に吹き飛ぶ。

 対する九々等は、無傷。如意は腹の上で完全に威力を殺されており、電撃はその肉体に如何なる痛痒も与えてはいない。

 

 刹那の交差の際。

 九々等は脚力:81倍で鹿紫雲に接近。直ぐに術式対象を防御力:81倍に切り替えることで如意と電撃を受けながら、速度を乗せたクロスカウンターの一撃で鹿紫雲の腹を打ち抜いたのだ。

 

 ――冪乗呪法は術式対象を防御力にした場合、発動中に受けた攻撃に対してのみ、それに追随する副次的効果も同じ倍率ぶん低減できる。電撃による移動阻害は、その「副次的効果」に含まれていた。

 

 吹き飛んだ鹿紫雲に一瞥もくれず、速度:81倍で走り出した九々等を止められる者は、今度こそ誰も居なかった。

 ただ、床に大の字に倒れた鹿紫雲一は、口の端に血を滲ませながら、

 

「チッ、いいモンもってんじゃねえか」

 

 と、ただ一言、天井を見ながらそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

「(待ってろよ五条先生――)」

 

 曲がりくねった建物の中を抜け。

 和風の街を一秒で、生い茂った森を一秒で踏破し。

 高専結界を抜け、東京の街を「81倍速」で疾走する。

 

 矜持も。

 覚悟も。

 道理も。

 全て知った事ではないと置き去りにして、彼――九々等八壱は走る。

 必要なければそれでいい。五条が望んでいなくとも構わない。ただ、彼が転びそうになったとき、咄嗟に支えられる場所に居られればそれでいい。それが「心配する」ということであると、九々等八壱は考えているから。

 

 81倍速の最高速度。音の5倍の速さで疾駆するその体は、文字通り風さえ追い越して新宿へと進む。

 高専結界突破から約10秒で、九々等八壱は決戦の地・新宿へ到達する――その筈だった。

 

 ――九々等八壱の足元に、巨大な生物が大口を開けたみたいな穴が開いていた。

 

「――は?」

 

 ズシャ! と広いアスファルトの道路で転び、即座に立ち上がる。半ば無意識に速度:81倍は解除、防御力:81倍に術式対象を切り替え周囲を警戒。

 下手人は態々探すまでもなかった。

 

「落ちた、と思ったかい? 傍から見れば君が勝手にひっくり返っただけなんだがね」

 

 どこか面白がるような口調で、その男は九々等八壱の前に現れた。まるで、立ち塞がるみたいにして。

 

「高専結界から新宿まで、主要なルートは私の呪霊が抑えているよ。もっとも、この最短の道を選んだということは、君の性格は私の読みの通りかな」

 

 滔々と語るのは、背の高い袈裟姿の男。格好は僧そのものだが、端正でありながらどこか暗さを感じさせる顔立ちと黒の長髪、額の大きな縫い目がその印象を歪めている。

 男は薄く笑いながら、知り合いに街中でばったり会ったみたいな仕草で九々等に挨拶した。

 

「や、初めまして九々等八壱――混沌の中で最も輝いた可能性、最強の覚醒型術師である君に逢えて嬉しいよ」

 

 瞬間――九々等の脳裏を電流が駆け巡る。

 

「あ、んたは」

 

 知っている。その顔を、姿を知っている。特徴的な額の縫い目は中々忘れられるものではない。

 何より――唯一の心当たり。呪術、そして死滅回游について何か知っているだろうと探していた謎の男。

 

「あんたは――!!」

 

 そして、高専で正体を知った今は。

 その名さえ推測出来てしまう。即ち、死滅回游の首謀者にして天元と人類の同化を目論む諸悪の根源。

 ――羂索(けんじゃく)

 

「五条悟に助太刀したかったんだろう? 悪いけどさせられないよ。私の見立てでは、五条悟と両面宿儺の戦いは宿儺に分がある。けれど君まで出張ってこられると十中八九宿儺は負けるだろう。それだけの力、いいや怖さが君にはある」

 

 羂索の口調は、どこか教壇の上の教師を思わせた。威圧感も敵意も放たず、つらつらと言葉を並べ立てる。嘘の気配も秘匿の匂いも感じられない、穏やかにさえ聴こえる声。

 なのに、どうしようもなく背筋が粟立つ。耳に百足が入り込んで来ているのに痛みも異音も感じないみたいな、そんな不気味な違和感だけが積み重なっていく。

 

「本当はこの間に結界内の術師を皆殺しにしたかったんだけどね……五条悟が生き残ると、流石に計画成功の可能性は潰える。だから私手ずから、君の助太刀を阻みに来たという訳だ」

 

 こちらの心情を知ってか知らずか。そこまでを一方的に言い放って、羂索はこちらに目を向けた。その視線もまた、親密な相手に向けるように険が無い。むしろそこにあるのは敵意では無く好意……だというのに、ぞわぞわと際限なく不安が背筋を這い上がってくる。

 その時初めて九々等は気付いた。

 

 ――違う。アレは虫を見る目だ。

 視線の中にある好意は実験対象に向ける研究者のソレで、放つ声は全部が自分に向けた独り言。

 

 何となく、思う。

 目の前に居るコレこそが、真に孤独(ひとり)になった人間――生きることも人であることも放棄した、知性の成れの果てなのだと。

 途端、目の前の男の姿が歪んだ気がした。そこに立っているのは人間ではなく、奇怪な怪物が寄り集まって人間の姿を模倣しているだけのナニカなのではという錯覚が脳にするりと入り込んでくる。黒い袈裟が闇を吐くように膨れ上がり、端正な顔の微笑が悪魔の凶相に変わった気さえした。実際には袈裟の男は薄笑いでこちらを見ているのみ。今の幻視はただ、九々等が気圧されたというだけだ。

 

 脊椎を悪寒という蛇に嘗め回されながら、九々等はなんとか喉から声を押し出した。

 

「……アンタが、オレに術式をくれたのか」

「その答えは是であり否だ。私はあくまで、君の脳を術師の仕様に整えただけ。術式自体はずっと君の中で眠っていたんだ」

 

 返ってくる声は淀み無く、それが却って不安を増幅させる。情報開示による能力の底上げを狙っている様子もない、駆け引きも何もない説明口調は、きっと聞き手さえ求めていない。問いを投げかければ、石が落ちた湖面が波立つように必ず答えが返るのだろうという確信。その余りにも非人間的な行動原理に喉が鳴る。唾と一緒に安易な言葉が呑み込まれる。

 何かを払いのけるように、九々等は強い口調で言葉を重ねた。

 

「アンタが、死滅回游を仕組んだのか」

「それは是だ。死滅回游は私の目的の為に必要な儀式、といった所かな」

 

 漸く。

 そこまで聞いて、漸く九々等の腹は決まった。

 相手が人だろうが怪物だろうが……それが大勢を苦しめる邪悪の徒であれば、九々等八壱がやるべきことは変わらない。

 ……嗚呼、そうだ。今はこれも訊いておかなければ。

 

「退くつもりは、無いか」

「当然」

 

 つまり――目の前の男は無辜の人々を苦しめる悪であり、己の邪魔をするモノだ。

 

「なら、」

 

 対処法など決まっている。

 

「ぶっ飛ばしてでも通らせてもらう!!」

 

 呪力、猛る。

 若獅子が牙を剥き出すように、九々等八壱は羂索(てき)に吼えた。





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