9×9=   作:龍川芥/タツガワアクタ

25 / 60
×3 択滅

 踏み込む足が硬い地面(アスファルト)に沈む。

 びしり、と道路の横幅一杯に罅が入ったのは一瞬で、即座に罅は断裂、爆発的な破壊へと変貌する。灰色の道路を蹴り砕き瓦礫を高々と舞い上がらせるその一撃は、しかし()にとってはただの踏み込みでしかない。

 地を砕く巨人の如き力は、そのまま空を裂く突進の勢いと変わる。

 即ち、その一歩は()を黄金の砲弾へ。

 

 脚力:81倍――

 

「そこを退()けええええええええ!!!」

 

 吼える砲弾、九々等(くくら)八壱(やいち)の狙いは、立ち塞がる羂索。彼我の距離10mなど一瞬で跳躍し、引き裂かれるように後ろに流れる景色の中心で目を見開く羂索の顔を捉える。

 振るわれる武器は、今しがた道路を砕いた剛脚。人体など容易く両断する威力に更に速度が乗ったそれは、「必殺」の二文字を纏って敵の胴へと襲い掛かる。

 其は破壊の大槍にして地を這う流星、如何なる回避も許さずあらゆる防御を貫く、絶死絶命の蹴撃也――!

 

 ――八十一倍神滅脚(クリロナ・インパクト)!!!

 

 故に、羂索が迫る蹴りと己との間に呪霊を挟み込むことが出来たのは、事前に警戒・準備していたが故の奇跡と言えた。

 羂索が虚空から取り出した呪霊の姿は、2mはあろう体を持つ巨大な蛞蝓のよう。てらてらと粘液が覆う軟体の盾、その中央少し右辺りに九々等の飛び蹴りが命中し――。

 

 柔らかな盾との接触で尚、蹴撃は轟音纏う必殺であった。

 バギャア!!! という奇怪な破裂音と共に空気が吹き飛び、駆け巡った衝撃が周囲の道路や窓ガラスにまで伝播して砕け――合わさっていた影が二つに分かれる。ひとつは蹴り抜いた姿勢で真っ直ぐに飛んだ九々等、ひとつは後ろ斜め横に吹き飛んだ羂索。

 羂索は建物の壁に衝突し、崩れる瓦礫の雨の中立ち上がる。呪霊を構えるのに使った右腕は肘から先が消失していて、その呪霊の姿は既に跡形もない。右頬の皮膚も抉れ、貫通した衝撃が掠った横腹は吹き飛び、その余波で肋骨は3本骨折。ぼたぼたと傷口から血を流しながら、しかし羂索は薄笑いで九々等を見やる。

 

「(滅茶苦茶だね……対物理攻撃特化の体と術式を持ち、尚且つ私の呪力で強化された蛞蝓呪霊を消し飛ばした上で、背後の私にこのダメージを与えるとは)」

 

 柔らかい呪霊の体をクッションにし、直撃を避け衝撃を逸らして尚この威力――直撃であれば受けた胴が丸ごと消し飛び、反転術式を使う間もなく絶命していただろう。

 

 対する九々等。アスファルトに両足を付け、ぎゃりぎゃりという音と10mに及ぶ焦げ跡を作ることで何とか突進の勢いを殺した彼は、ちらりと羂索を見て……直ぐに視線を逸らした。彼が向くのは新宿の方角。

 九々等の目的は宿儺と戦う五条悟への助力。事は一刻を争うと、羂索を鎧袖一触に場を去ろうとしているのだ。

 

「(正に『規格外』。でも――)」

 

 九々等の最高速度は約マッハ5。待ち伏せはともかく、追う側になれば追い付くことはほぼ不可能。

 それでも、羂索に焦りは無かった。ただ左手で取り出した魚のような呪霊を地に落とす。

 

 しゃがんで力を蓄えた九々等の足が離れる一瞬前。

 その足元に奈落が開いた。底知れぬ大穴が、ぽっかりと口を開けて獲物の落下を待っている。突如足場を失った九々等の体は、重力のままに下へと墜ちる――。

 

「な(これはさっきの――!?)」

 

 ズシャ! と成すすべなく地面に倒れ込む。そう、地面。足元を見ても、先の奈落は白昼夢であったかのように消え失せていて、そこにはただざらざらした灰色のアスファルトだけがあった。

 そんな九々等の元に歩み寄る影。

 

「鯰が地震と結び付けられ怪異として語られたのは江戸中期。地中の大鯰が動くことで地震が起きると考えられていたんだ」

 

 反転術式で傷を治しながらそう語るのは当然、羂索。術式の開示に類する情報を婉曲に語る彼を睨み、九々等は立ち上がると同時動く――。

 しかし、此度も先手は羂索。九々等の脚が地から離れるよりも一拍速く、周囲の風景が塗り替わった。

 明らかに近代の街並みとは違う、無限に続きそうな地平と多数突き出した四角い足場、ねじくれた松が点在する見慣れぬ光景に、九々等は驚愕に包まれる。

 

「(領域展開!? (イヤ)、違う、これは――みたいな結界術、なのか?)」

 

 身構える彼に、羂索は微笑みながら、傍らに呼び出した()()()()()を紹介するように示しつつ語る。

 

『空性結界』。知っているかな? 元来様々な『縛り』で数を増やし薨星宮の守護・隠匿に使われていた結界だが、即席でも君を閉じ込めるくらいは出来る。何せここ近辺には薨星宮と皇居、天元が張った浄界がふたつ存在するからね。()()()()ならその力を借りるのに何の不都合も無いということさ」

 

 人型呪霊――呪霊操術により支配下に置いた天元を、六角形が集まったような奇怪な空間の隙間に移動させることで隠しつつ、羂索は手元から虫のような呪霊の群れを召喚する。

 

「呪霊操術の強みは手数の多さだ。仕留める事に固執しなければ、君相手でも足止めするくらいは可能だろう」

 

 戦闘中に似合わないゆったりとした説明口調に、九々等が焦りを覚えるのは当然と言えた。

 

「……時間ねえんだ。講釈も結界も、マトモに相手してらんねえよ! 出れない結界だろうが、術者倒せば終わりだろ!」

 

 焦りの中でも判断が的確なのは、天性のセンス故か獣じみた本能のなせる業か。

 

 しかし。

 ぶわ、と闇が視界いっぱいに広がる。違う、それは闇ではなく、不気味な声と共に呪力を撒き散らす呪霊の群れだ。突如差し向けられた呪霊の大軍が、九々等の反撃の気勢を削ぐ。

 眼を蝕むような呪霊の醜悪さ、耳に残る意味の無い言葉の羅列、肌を刺す濃密な呪力。蠅頭や4級の低級呪霊から、巨体がウリの2級呪霊まで、とにかく数えるのも馬鹿らしい程の呪霊が九々等に襲い掛かる。

 

「クソッ!」

 

 拳が一度飛べば呪霊が5体は纏めて祓われ、蹴りが薙げば10の呪霊が霧散する。

 蠅を払うような動作で呪霊が祓われる。正に鎧袖一触。9倍あるいは81倍という倍率に強化された肉体は、羂索の呪力で強化され連携まで取ってくる呪霊を物ともしない。だが、九々等は100を超える呪霊たちの特攻に確実に足止めされていた。

 呪霊を適宜追加しながら、羂索は焦燥を煽るように底意地の悪い声を出す。

 

「そう逸らず、もう少し付き合って欲しいね。君にとっては私を仕留める貴重なチャンスでもある訳だし。ほら、私を殺せば天元と日本国民全員の同化は防げるよ?」

「知らねえよ、今は先生優先!」

 

 その即答に羂索は思わず片眉を上げる。彼の薄ら笑いが崩れたのは、戦闘開始からこれが初めてだった。

 

「……君、もしかして他人には非情なのかい?」

「ハァ!? 今ヤバイのは五条先生だろ!? 先生助けたら改めてぶっ飛ばしてやるから道開けろ! 結界解け!」

 

 迷いなど微塵も無い声に、羂索は目を白黒させた。

 

「……成程。面白い判断基準だ」

 

 九々等八壱の特異性。「誰も呪わない」と評した彼は、しかして理想論を自然と語る。

 『最強』とはいえ1人の人間と、1億人を超える日本の非術師全員。どちらを優先するべきかなど自明のハズだ。だが九々等は迷いなく「両方」を選ぶ。今まさに命の危機にある五条悟を()()救い、その後改めて1億人を助ければ良い……そんな判断を一瞬で、無意識のうちにこなしてしまっている。

 それは異常だ。普通、1億の命を背負うとなると、少なからず苦悩を抱き天秤が揺らぐ。しかし彼にはそれが無い。何故なら――恐らくは、本気で「失敗」の可能性を考えていないから。

 

 かつて九々等八壱は語った。「どんな無理難題であれ、諦めるのは失敗してからでいい」と。それは一切の嘘偽り無く、九々等の精神を表している。

 失敗を知らない訳ではない。挫折と縁が無かった訳でもない。

 それらの味を知って尚、彼は「次は成功させる」と豪語する。疑うことなく宣誓する。

 傲慢か、それとも無知か。そのどちらも違う、と彼を知る者は言うだろう。

 九々等八壱を突き動かすのは、「どんな困難であろうとも必ず成し遂げて見せる」という、不撓不屈の決意のみ――。

 

 そこまでを察した羂索は、しかし仮面の微笑の裏でほくそ笑んだ。

 強固な意志、鋼鉄の決意は、翻って彼の中で焦りを生んでいる。

 絶対に助ける、助けたいという決意の強さと、しかしその人の元に辿り着けていないもどかしさ。二律背反が心に焦燥を抱かせ、呪力のキレを奪っていた。

 

 術師に覚醒して約1ヶ月。修羅場は超えていても圧倒的に実戦経験が不足している九々等は、まだ己の精神状態がそのパフォーマンスを落としている事実に気付けていない。のらりくらりと通常攻撃が必殺の術師に対処する羂索に、徐々に焦りを募らせていく。

 ズガ! と九々等の足が群れの最後の呪霊を踏み潰した。足止めに使った呪霊しめて1371体、一匹残らず全滅。1級術師ですら屠る物量を用いて尚、稼いだ時間はたったの61秒。

 だというのに、羂索に焦りや動揺は見られず、ただ面白そうに目の前の九々等を観察している。

 

「クソ、余裕かよ黒幕坊主!!」

 

 焦る九々等に対して、羂索にあるのは余裕と策。

 獅子と同じ檻に自ら入ったのと同じ状況にある彼は、しかし知恵を使い猛獣を退ける狡知卓越の呪術師であった。

 

「いいや? いくら私でも、君と一対一なら不覚を取る可能性は十分にある。だから()()を連れて来た」

 

 景色の一角、カシャンという木札が擦れるような音を合図に空間に穴が開き、そこから誰かが飛び込んでくる。

 シン、とうなじに冷たいものを感じたのは、乱入者の呪力の高ぶりが肌で感じられたから。

 

氷凝呪法(ひこりじゅほう)――」

 

 『霜凪』!!

 

 声音は氷のように怜悧で透き通り、次いで吐かれた息の色は氷河の青を纏った霜の雪白(せっぱく)

 九々等の所まで届いたその霜の息は、瞬間彼を絶対零度の氷山に閉じ込めた。ガキィン、という音の残響は、余りにも涼やか過ぎて全身の熱を奪うよう。

 冷たく硬い氷の牢獄に頭以外の全身を殆ど呑まれながら、九々等は現れた乱入者を見やる。

 

 赤色が混ざった白い髪に、中性的な美しい顔立ち。格好は羂索のそれにも似ている和服。

 その姿を知っていた九々等は、白い息と共にその名を叫ぶ。

 

「氷の術師……確か、裏梅!」

「宿儺様の前で恥を晒した恨み、思い知れ九々等八壱!」

 

 九々等の敵意にその十倍はあろうかという憎悪で返した裏梅。

 彼女の参戦を手引きした羂索は、いつも通りのどこまで真剣か分からない軽い口調で、

 

「さて、出し惜しみは無しだ。宿儺が五条悟を殺すまで、頑張って時間を稼ごうか」

 

 そう、薄ら笑いを浮かべながら嘯いた。

 

 

 

■参■

 

 

 

 「宿儺に対し単騎の五条悟を当てる」……その高専側の判断は概ね正しい。

 宿儺の領域展開『伏魔御廚子』が発動すれば、半径200m周囲の術師が一掃される恐れがある。先の渋谷事変で見せたそれを警戒し少数精鋭での戦いを仕掛けるのは妥当な判断といえた。後詰めを警戒させ全力を出させないという目論見も実際効果的だろう。

 あるいは呪術全盛平安の世なら、宿儺に1秒の隙を作る為に何人もの術師が決死の特攻を仕掛けたかもしれない。だが今は術師が隠れ住む泰平、いうなれば呪術衰退の時代。術師ひとりの命が重い現代では、安易な人材の喪失は愚行だ。昔と今とでは命の価値観も全く違う。足手纏いは寧ろ、五条の方に隙を作ってしまうだろう。

 故に羂索は、高専側の動きをほぼ最適解であると見ていた。

 彼らの誤算はひとつ――九々等八壱の存在である。

 

 九々等八壱は魔虚羅(まこら)の天敵だ。

 適応こそが真価である魔虚羅(まこら)に対し、それを徒手の一撃で破壊できる九々等との相性は最悪に近い。宿儺が五条の無下限呪術を破る手段として魔虚羅(まこら)を使う以上、九々等の存在は余りにも大きな脅威と成り得る。

 「最悪」は、超高速移動での奇襲で魔虚羅(まこら)が即破壊されること。そのポテンシャルが九々等にある以上、彼を五条の助太刀に行かせてはならないと羂索は睨む。

 魔虚羅の適応で無下限呪術を攻略しなければ碌に攻撃を当てられない五条悟。魔虚羅を一撃で破壊する攻撃を溜め無しで連発できる九々等八壱。考え得る限り最悪の組み合わせだ。もし無限適応前に五条と九々等が合流し、尚且つ九々等が全力の『御廚子』に耐えられたならば……その時点で宿儺の勝率は三割以下に落ち込むだろう。

 

 そもそも高専側は宿儺の正確な能力・力量を把握していない。また九々等の強さも測りかねている状況。完璧な判断をするには情報不足であるし、結局この手の問題は結果論でしか語れない。

 それでも各々が得ている情報で高専側は五条単騎での決戦を選び、羂索はリスクを負ってでも九々等を足止めするべきだと判断した。

 

 五条悟の助太刀をさせない為に、九々等八壱を足止めする。

 しかしこれは、羂索が殺されずに九々等をあしらえることが大前提。

 

「(なかなか、どうして――)」

 

 ――怪物。

 

 ばしゃ、と九々等の周囲の氷が融ける。

 体温:81倍により約3000度の体温を獲得した彼は自身を蝕んでいた氷結を一瞬で融解させると、そのまま脚力:81倍を発動、地団駄を踏むようにその足元に放った踵落としの衝撃が走り抜け、ズギャ!! という轟音を伴って地面ごと氷山を粉砕する。

 震脚に浮かぶ瓦礫、それらを「球」あるいは「弾」に見たて、九々等はその黄金の足を構える。

 

シュート力:81倍――」

 

 高校サッカーにおける関東屈指のストライカーであり「漆門寺高校の若獅子」という異名を持つ男、その技量が呪術に増幅され、平安の術師に牙を剥く。

 

八十一倍蹴球砲(バルセロナ・インスタントシュート)!!!

 

 球が瓦礫であり、その威力が投石器など遥かに超える破壊の砲弾であることを除けば、それは美しいシュートだった。

 ボパッ!! と空気が弾けるような音が聴こえ、その時には既に瓦礫(ボール)(ゴール)の目の前に。つまり、最初に狙われた裏梅の目の前に。

 

「くっ!?」

 

 ばちん! という何かが弾ける音。赤。

 瓦礫のシュートが、咄嗟に顔を守った裏梅の腕を肘から消し飛ばしていた。

 呪力の籠っていないただの物体が、しかし呪力によって強化された術師の腕を破壊する。それ程の威力。代償として瓦礫の(ボール)も跡形もなく粉砕されたが、そんなものは何の問題もない。

 瓦礫(たま)は、まだ九々等の周囲に沢山あるのだから。

 

 落ちた瓦礫をリフティングの要領で胸元にトラップし、

 次の動作で瓦礫は砲弾と化す。

 

 ズガン!! という音が幾度も響く。

 文字通りの「必殺シュート」の連打を、反転術式で腕を治しながら必死に躱す裏梅と、巨大な呪霊を呼び出し「壁」とすることで防ぐ羂索。

 

「いくら破壊力があろうと、呪力の無い攻撃では呪霊を祓うことは出来ないよ――」

 

 呪霊の壁の後ろで涼し気に言う羂索……しかし彼は咄嗟に身を躱した。瞬間、彼の頭目掛けて降ってくる「曲がる軌道」の瓦礫シュート。左斜め上から降り足元を抉るその一撃は、僅かに掠った髪の先を焦がす程の威力を持つ――もし頭に当たって居たら柘榴のように赤い花を作っていたことは想像に難くない。正に間一髪。

 

「(回転をかけてシュートを曲げたのか! いやはや、油断も隙もないね!)」

 

 冪乗呪法は概念に作用する。術式対象がシュート力の場合、足から離れた瓦礫(ボール)の威力も81倍となるのは当然として、その技量も向上する……例えば歪な形の瓦礫でも、普段以上のコントロールを発揮できるように。

 

 反射的に呪霊の壁を増やしながら、羂索は即座に思考。

 空性結界の内部構造は術者が自由に設定できる虚構でしかない。だがそれも結界内という異界では実物と変わらない性質を持つ。それは九々等にとって有利に働いていた。

 

「(利用されるような舞台は避けた方が良いな)」

 

 羂索が念じれば、結界内の光景ががらりと変わる。

 無限に続きそうな地平はそのままに、多数突き出した四角い足場は平坦な砂場に、ねじくれた松の代わりに足元には潮騒を鳴らす穏やかな浅瀬が広がり、ちゃぷりと波が足首を濡らす。

 開示しない術式情報。空性結界は結界術に長けた者ならある程度中の構造を設定できるのだ。

 

「(陀艮(だごん)の領域が丁度こんな感じだったかな。柔らかい砂と足元を覆う水で近接戦闘をやりにくくし、障害物を用意しないことで物体の利用を封じる案だが……)さて、どうかな?」

 

 羂索が呪霊の壁の隙間から見守る中。

 突如として周囲の風景が切り替わり、足元の瓦礫(たま)も失った九々等は、ざざーん、という音を聴き困惑を覚えるも――次の瞬間、その肉体は敵を倒す為に再度動き出す。

 

「フィールドが変わろうがやる事は変わんねえだろ!」

 

 その威勢が微塵も削がれていないように、脚力:81倍の突進の勢いは、水に覆われた砂地という踏み込みに適さない場所でも殺しきることは出来ない。水と砂が爆発したように吹き飛ぶと同時、九々等の肉体は先の瓦礫よりも尚恐ろしい砲弾となって駆けていた。

 羂索を守る巨大呪霊、10m程の体高を持つ巨体の盾に迫るのは、腕力:81倍での拳。

 

八十一倍神殺拳(マラドーナ・インパクト)!!!

 

 金の流星が空間を貫く――。

 否、一直線に世界を奔った衝撃が、そんな錯覚を抱かせただけだ。

 だがその衝撃自体は紛れもなく現実のそれで、後には胸に大穴どころか上半身が丸ごと吹き飛んだ呪霊の残骸が、一拍遅れてようやく自分が祓われたのだと気付いたのか呪力の(チリ)となって霧散した。

 

「(予想はしていたが、大型2級呪霊では私の呪力で強化していたとしても盾にすらならないか!)」

 

 羂索は己を守るための呪霊を複数呼び出し――その全てが、顕現から0.1秒と経たず弾け飛んだ。

 

「――!?」

 

 同時、羂索の頬に拳が突き刺さる。神殺し(はちじゅういちばい)の一撃ではない、単純に呪力で強化した拳。だが九々等の膂力と淀み無い呪力操作が加わった拳はそれなりに重く、何より。

 頬とほぼ同時に顎、胸、横腹、鳩尾、と容赦なく急所に拳が入る。余りの速さに拳の残像が残るそれは、一瞬羂索の脳裏に「千手観音」という言葉を過ぎらせた。

 ぴた、と超高速のラッシュを叩き込んでいた九々等の動きが一瞬止まる。しかしそれは連撃の終わりではなく、一呼吸を置く一瞬の「間」でしかない。

 

八十一倍神速拳(スタープラチナ・インファイト)

 

 何かが閃いた、と思った時には、全身に拳が叩き込まれた後だった。

 速度:81倍により不可避必中と化した、無情なまでの神速の拳、その百を超える連打。本人すら意識が追い付かない速度で放たれる連撃は投射呪法にも似ていたが、「早回し」の拳には速度が力として乗らないこと、そして何より投射呪法の最高速度を優に超えているという点が異なっていた。

 

「(ぐ、速、すぎる! 呪霊(わざ)を出す前に速度で潰されるか!)」

「オラオラオラオラオラオラァッ!!」

 

 毎秒都度400発。拳の乱打が暴風雨のように羂索の全身を襲う、襲う。永遠に続くと思われた拳の濁流は、しかし1秒経過するとぴたりと動きが止まった。投射呪法のそれと同じように、一瞬静止して周囲の状況を見極め、新しい動きを設定し直しているのだ。

 

「もう()()――」

 

 九々等のそれは、殆ど死刑宣告であった。

 口から血を流し、全開の反転術式でギリギリで意識を保つ羂索――しかし回復速度よりも全身にダメージが蓄積してく方が早い。当然神速の拳をまともに防御するなど不可能。次の400発(いちびょう)を受ければ耐えきれず意識を失うかもしれない……九々等が動かない刹那の間にそう思考した彼は、しかし(わら)う。

 九々等はその笑みの意味をすぐさま知る事となった。

 

 ――パキィン!!

 耳を突く快音と共に景色が白く染まり、冷気が全身を包み込む。ガキッ、と停止する体。見れば足首を濡らしていた浅瀬が、今は冷たく硬い氷となって足にしっかりと噛み付いていた。

 

「遅いよ、裏梅」

 

 羂索のその軽口に、九々等も凍土を作り出した下手人が誰かを理解する。

 海を地平線まで凍らせた術師、裏梅は、手を足元に付けたままさらに呪力を込める。

 

 と、九々等の周囲に上向きの氷柱のようなものがよっつ出現した。それはみるみるうちに太く長くなり、人を貫くに十分な鋭さを持った槍となる。

 

「宿儺様は貴様の生死について特に命じられなかった……故に殺す、九々等八壱!!」

 

 憎悪に塗れた声を合図に、氷の槍が四方から伸びて九々等の体を貫く――。

 そう見えた。だが実際は、九々等の体に触れた氷が一瞬で融けたが故にそう見えただけ。

 

「もう氷は効かねえんだよ!」

 

 体温:81倍で3000度の熱を放つ彼は苛立ち混じりにそう叫ぶと、即座に反撃のアクションを取ろうとして、

 

「でもその間は別の攻撃が効くようになるんだろ?」

 

 羂索の蹴りがその腹を打ち抜いた。接触は一瞬、羂索の足は軽い火傷のみのほぼ無傷であり、九々等は衝撃に「ぐ」と苦悶の声を漏らす。今の攻防だけを見れば、負ったダメージは明らかに九々等の方が上であった。

 冪乗呪法の弱点。術式対象は通常時で2つ、極の番『冪』ではたったひとつだけ。つまり攻撃や防御、術式への対応など、複数の事柄を同時にこなすことは出来ない。羂索の前で体温:81倍を使ったのは、仕方ないとはいえ失策だった。

 だがその失策は、痛みは、戦闘開始してからずっと焦りに支配されていた彼の思考を覚ます結果となった。

 

「(クソ、焦るなオレ。敵の連携が厄介なら……分断して片方ずつ倒す!)」

 

 羂索が新たに呼び出した呪霊を飛び道具のように差し向けて来る。

 飛来する呪霊を速度:81倍で躱した九々等は、その勢いのまま羂索の真横を取り術式対象を変更。その一瞬の隙に羂索は盾替わりの呪霊を彼我の間に呼び出すことで「冪」での超威力攻撃に備える……見事とさえ言えるその迅速な判断を、しかし九々等は上回っていた。

 

 構える右手は握らず、平手で張り手の構えを取る。それは相手を倒すための技ではなく、ただ土俵から吹き飛ばすための技。

 ノックバック力81倍――

 

八十一倍押出掌(ヨコヅナ・インパクト)!!!

 

 攻撃の威力は防御に使った呪霊を祓えない程度。

 しかしその張り手は、いっそ理不尽とも言える勢いで呪霊ごと羂索を後ろに吹き飛ばした。九々等が散々放った瓦礫シュートを思わせる速度で吹き飛ばされる羂索にダメージは無い。障害物にぶつかりでもすれば別だろうが、この結界内にそのような障害物は無い――。

 

 彼の狙いは手傷を与える事では無く、吹き飛ばしによる敵の分断にあった。羂索と裏梅、どちらか片方を彼方にまで吹き飛ばし、その隙に援護が無くなったもう片方を戦闘不能にする。いわば「一対二」の状況を「一対一」にするための策。

 しかしその策は幸か不幸か、盤面に意外な結果を齎した。

 

 ともすれば地平線まで吹き飛ばされるのでは、という羂索の姿は、突如として()()()()()()に吸い込まれた。カシャン、と木札が擦れるような音と共に開いた空間の亀裂、その向こう側には現実の街並みが。

 

「!?」

 

 驚愕したのは九々等。

 

「(結界が……割れた!?)」

 

 彼の脳裏に羂索の言葉が過ぎる。

 

「空性結界」。知っているかな? 元来様々な「縛り」で数を増やし薨星宮の守護・隠匿に使われていた結界だが、即席でも君を閉じ込めるくらいは出来る』

 

 今の今まで術式の開示だと思っていたが、その実――。 

 

「クソ、騙された!」

 

 羂索の術式開示には嘘があった。

 空性結界の構造には「循環定義」が大きく関わっている。一見外殻など無いようなこの結界は、その実ふたつの定義の循環によって成り立っていた。つまり「空性結界の内部は術師(a,b)を含むこの範囲(C)である」と定義を設定し、「この術師(a,b)が居る場所は空性結界の内部のため、結界の範囲は(C')である」と結界範囲を再定義、それにより「空性結界の内部は術師(a,b)を含むこの範囲(C')である」と結界理論を再構成する……という一連を無限回繰り返し結界を補強しているのだ。これにより内部の術師が移動しようとそれに合わせて結界は移動・伸縮するが、循環定義に織り込まれた内部の術師のいずれかが高速で移動したり等をした場合、定義の循環が間に合わず結界に綻びが発生する場合がある。

 つまり空性結界は、相手を閉じ込めるものとしては領域に大きく劣る。さもありなん、結界術は内からの耐性を上げる程、外からの力に弱くなる。空性結界におけるその内と外のバランスは領域よりも「外」に寄っており、実質的な結界内部外殻強度は結界の完成度に比べると非常に脆くなっていた。

 何故ならこの結界の目的は薨星宮を『隠す』ことにあり、真のメリットは結界内部の情報を結界主が細かく把握できることであるからだ。

 つまり、空性結界は九々等を閉じ込めるには不十分。良くて数分の足止めが行える程度の結界に過ぎない。

 

「(この結界、術者倒さなくても出れる系かよ! 術式開示にブラフ混ぜるとか、やっぱ信用ならねーわ黒幕は!)」

 

 「結界外への脱出」。除外していた思考が再び選択肢に上がる。

 

 即座に脚力:81倍を発動、征く手を阻むように現れた氷の壁をぶち破り、九々等は結界の裂け目とも言える空間が閉じる前に、そこを潜ることに成功した。

 

 空性結界から脱出した九々等が見たのは、呪霊に自分を受け止めさせ吹き飛んだ体が障害物に衝突することを避けた羂索の姿。彼もすぐに己を見る九々等の姿を視認する。

 

「(空性結界が破られたか。思っていたよりも早かったね。循環定義を見抜いたようには見えないが……万が一にも天元が(こわ)されるリスクは避けたいし、ここからは彼女(あれ)無しでの戦略を組み立てなければならないかな)」

 

 幸運にも九々等の視界外に居た天元をすぐに消し、代わりに様々な呪霊を呼び出す羂索。

 術者が居なくなったことで、空性結界が音を立てて崩れ、中から裏梅が現れる。

 依然、二対一。

 だが数的不利状況である九々等は、今回は隙を見て逃走するという素振りを見せなかった。

 

「(……よく考えたら、コイツら五条先生のとこに引っ張ってくワケにもいかねえな。特に縫い目ヤロー、コイツは未知数過ぎる。助太刀は最低でも両方戦闘不能にしてから、か)」

 

 新宿への急行、五条悟への助太刀……本来の目的を封じ、目の前の戦闘に集中する覚悟を決めた九々等。

 だが、彼と相対している術師にとって、それはわざわざ思い直すまでも無く、最初から抱いていたものである。

 

氷凝呪法(ひこりじゅほう)――」

 

 ぞあ、と九々等が背中に呪力の高まりを感じると同時、羂索が九々等に距離を詰めて来た。

 

「(は!? 接近戦はオレの土俵だろ!?)」

 

 一瞬行動の意図を読めず困惑する九々等は、しかし羂索が間合いに入る前に意識を切り替える。

 

「(オレを逃がさまいと焦ったのか!? なら好機(チャンス)、カウンターで戦闘不能に――)」

 

 だが、その構えた拳が放たれることは無かった。

 ズン!! と全身が鉛にでもなったかのように重たくなる。まるで巨大な手に思いきり全身を押さえつけられるような圧力に、九々等は耐えきれず膝を付いてしまった。

 

「ぐぅ……ッ!? (なんだコレ!? 物理的にデカい呪霊に押さえつけられてるワケじゃねえ……操ってる呪霊の術式を使ったとかか!?)」

 

 予想外の「攻撃」に彼が膝を付くと同時、羂索の拳がその顔面を捉え。

 

「――直瀑(ちょくばく)!!」

 

 飛来した氷の塊が、巨大な怪物の尾のように九々等を打ち据え、その重い体を更に氷で拘束する。

 次いで九々等に当たらなかった氷の塊が螺旋を描くように空中に舞い上がり、その全てがギラリと輝く氷柱の雨に。

 圧倒的な質量攻撃。しかもどういう訳か、

 

「(落下が速え……!? てことはこの術式は――)」

 

 空を覆う氷柱の群れ、その落下速度は異常であった。九々等がそこから自らを襲う謎の術式を推理すると同時、氷柱は地面に衝突し、けたたましい破壊音を輪唱した。

 

 舞い上がる粉塵に、砕けた氷の破片が混ざりキラキラと光る。それが晴れた後に残る破壊の痕跡は凄まじいものだった。固い道路に呪力で作られた巨大な氷柱が突き刺さり、巻き込まれた人間が居ればタダでは済まないだろう。

 それでも、その惨状を眺める2人の術師は臨戦態勢を解かない。

 裏梅は、視線の先のどこにも血の色が無いことに気付いて。そして羂索は、先程まで九々等が居た場所に、やけに断面が綺麗な穴が開いていることに。

 ピシリ、と羂索の足元のアスファルトに罅が入る。

 そこから地面を突き破って出て来る金色の人影を、予期していた羂索はひょいと躱した。

 

 飛び出して来たのは九々等。地面を突き破り、あわよくば羂索にアッパーカットをかましてやろうという彼の拳は空を切ったが、その体に特に傷は無い。

 

 先の一瞬。

 九々等は術式の正体を察し、体の重さと氷柱の落下速度に回避が出来ないと判断するや否や、咄嗟に足元の道路に大きさ(サイズ):1/81倍を発動。その際、呪力を纏わせる範囲を横から見たとき三角形のようになるよう調整することで「坂」を生成。重い体のまま坂を転がり落ちることで氷柱の落下攻撃範囲から逃れたのだ。

 

 そのままの勢いで行った地中からの奇襲は失敗に終わったが。

 

「ちぃっ」

「やるね。やっぱり私達だけで仕留めきるのは無理かな?」

 

 舌打ちする裏梅、面白がるような羂索。

 そんな両者を警戒心を隠さない顔で油断なく睨みながら、九々等は脳内で先の分析を形にする。

 

「(――今の羂索の技は『重力』の術式、だろうな。それならオレの体が滅茶苦茶重くなったのも、氷の塊の落下速度やオレが坂を転がり落ちる速度が死ぬ程早かったのも説明がつく。今のは防御力:81倍でも無傷で済んだかどうか……クソ、マジで厄介だ。やっぱどっちか片方を先に倒さねえと)」

 

 新たに解放した重力の術式呪霊操術で近中距離と隙が無く、あといくつ隠し玉を忍ばせているか分からない羂索。

 氷の術式・氷凝呪法による移動阻害を中心とした中遠距離サポート型で、捥いだ四肢を再生させるレベルの反転術式を使うことが分かっている裏梅。

 

「(……先に潰すなら氷の術師だな。反転術式を使わせないように、一撃で戦闘不能にする!)」

 

 作戦は決まった。

 九々等の得意は近接戦闘。中遠距離サポートタイプの裏梅なら、重力術式を持つ羂索よりは倒しやすいだろう。それに羂索は何をしでかしてくるか分からない不気味さがあるので、できれば一対一で集中して倒したい。

 

 戦闘は再開される。

 今度は九々等が先に動いた。

 狙いは裏梅。動きは速いが「神速」ではない。術式を他の何かに回しているのだと2人にも察せられた。

 

「舐めるな……!」

 

 裏梅の反応は素早かった。遠距離タイプである自らが狙われることを想定していた彼女は『霜凪』で応戦。氷の吐息が九々等にかかり、それが巨大な氷塊へと変貌する。

 が。

 

「(氷結が甘い……!?)」

 

 九々等の体には僅かに霜が付いた程度で、凍り付くどころか動きが鈍りもしない。

 防御力:81倍氷凝呪法を防げることを確認した九々等は裏梅に肉薄。しかし裏梅も接近戦が出来ない訳ではない。自分の手に息を吹きかけることで素早く「氷の剣」を生成し反撃。透き通る白刃が閃き、避ける素振りの無い九々等の体を袈裟に斬り裂く――。

 

「(体温:81倍!)」

 

 ジュワ! と音を立てて、九々等を襲った氷の剣が蒸発した。そのまま冷気を弾き飛ばす高熱の腕が裏梅の手首を掴み、高熱の鉄板に水を落としたときのような異音が響く。

 

「そら!」

 

 そのまま九々等は、3000度の拳を腹に叩き込む。逃走を封じた裏梅にその拳を避けることは出来ない。呪力で強化された拳は打撃として痛手を与えこそしたものの……。

 

「(思ったよりダメージが少ねえ……てか熱のダメージが通ってねえ? なら攻撃力:81倍で――)」

 

 訝しむ間も別の手段を講じる間もなく、九々等の体を上から押さえつけるような圧力が襲う。羂索の重力の術式。その圧力で立ち上がれなくなる前に、咄嗟に脚力:81倍を発動し九々等は距離を取った。

 

「(体が軽い……重力の術式には効果範囲があるっぽいな。クッソ、早いとこ超重力の攻略法も見つけねえとな……)」

 

 離れた位置で体の状態を確認する九々等に対し、助太刀に入った羂索は腹部を抑える裏梅に安否を確認する。

 

「大丈夫かい?」

「……ち、この程度問題無い!」

 

 その怒りに満ちた言葉は、しかし紛れもなく事実であった。

 

 裏梅は自らの術式により自分自身に冷気を纏わせることで、九々等の高熱攻撃の威力を低減していた。結果彼女が負ったダメージは純粋な打撃によるもののみ。痛みはともかく、傷自体は反転術式で回復できる程度でしかない。

 そのことを九々等も看破する。

 

「(クソ、確かに『熱』と『氷』じゃ相克か……3000度パンチじゃ火力が足りねえ。しょうがねえ、()()やるしかねえか!)」

 

 九々等には、この修行期間で習得した、超高威力あるいは超高等技術の「必殺技」が3つある。

 1つ目は1人では使用できない、五条悟との「合体技」。

 2つ目は弱点を克服するために開発した「遠距離技」。

 3つ目は未完成、机上の空論でしかない「自爆技」。

 

 今回九々等が「使う」と決めたのはその3つ目。

 ぶっつけ本番だがやるしかない、と口の中で呟き、彼は脚力:81倍で空中に飛び上がった。ゴパッ! と地面が吹き飛び、舞い上がる粉塵の中から何かが彼方へと飛翔。その尾できらりと金色が光る。

 人影、九々等八壱が向かったのは、近くにある高層ビルの屋上。

 もしや我々を無視して五条悟の助太刀に、とすぐに裏梅も氷で足場を作って後を追う。

 

「逃がすものか!」

「(いや、新宿は逆方向。何かあるね――)裏梅、あまり先走るな」

 

 飛行できる大型の呪霊を呼び出しながら羂索が言うが、裏梅の耳には届いていないようで、彼女の追走の勢いは緩まなかった。

 聴こえてないね、と呆れたように呟きつつ、羂索も遅ればせながら呪霊の背に飛び乗った。

 

 視点は九々等へ。

 屋上に飛び乗った目的は、相手からの視界を切るのと追う速度の差で分断するため。目的地が割れている九々等は既に方針を「逃走」から「撃破・撃退」へと変更している。だが最初は本気で逃げようとしていたため、まだそのことに気付かれていない可能性が高い。そうなれば九々等が移動したとき、彼等は「逃げた」と勘違いして本気で追ってくるだろう。その際移動速度の差で分断できれば御の字、ということだ。

 

 そこまでを考えて屋上に着地した九々等は、いの一番に此方に迫る呪力が裏梅のものだと感知し、それが羂索の呪力とある程度離れていることを察して「作戦通り」とほくそ笑み。

 

「氷の弱点といえば炎だろ!」

 

 屋上の床に右手の手のひらを付け、九々等は術式を発動する。

 発動するのは極ノ番ではなく術式順転『積』、術式対象はふたつ。

 摩擦力:9倍×腕の燃えやすさ:9倍

 そして九々等は、床に押し付けたままの手を思いっきり手前に引いた。

 

「ぐゥ――らァ! 燃えろオレの腕!!」

 

 ざりぃッ! と柔らかいものをすりおろす嫌な音が響く。

 そうして床に押し付けたまま思いっきり引かれた腕は、地面から離れたときには赤い炎を纏っていた。術式で強化した摩擦熱により、自らの腕に着火したのだ。無理矢理擦ったことにより皮膚が裂け、傷口から飛び散った血は火花のように空気を染める。

 

 そこで裏梅が追い付いた。氷の足場に乗って屋上まで迅速に辿り着いた彼女は、九々等の右腕の肘から先が赤く燃えているのを目にする。

 

「(火の術式!? まさか術式を隠して……いや、これは――呪力が感じられない、普通の火?)」

 

 予想外の光景に一瞬裏梅の動きが止まる。

 九々等はその隙を見逃さず彼女に肉薄。間合いに入るや否や、燃え盛る腕を裏梅の体に押し当てる。それが可能だったのは、呪力が全く籠っていない火を、平安時代の術師であった裏梅が警戒しきれなかったからだろう。

 

「(一瞬! 発動するのは一瞬だけだ! そんですぐに防御力に切り替える!)」

 

 以前、調べた事がある。拡張術式の対象として何が効果的かを。

 その時に知った。炎の温度は最低約600度ほどだと。また、世にある高熱のものがどれくらいの熱さかを。そうして3つ目の、試すまでもなく封印した「必殺技」が生まれたのだ。

 その禁を、今、一度限りの限定解除する。

 

 炎の温度:81倍――

 

 今九々等の腕に宿り裏梅に押し付けられたソレは、万象を滅無へと帰すもの。

 全てを浄する炎にして、涅槃へ導く神の業火。

 即ち。

 

「燃えろ――八十一倍煉獄殺(ニルヴァーナ・インフェルノ)!!!!

 

 摂氏5万度、太陽の表面温度の約9倍を誇る、地上に輝く恒星なり!

 

 カッ!! と世界に閃光が奔る。

 それは時間にして、0.2秒にも満たない顕現であった。

 だが――紅蓮、爆発。

 

 全てが過ぎ去った後に残されたのは、半径50m程の焦土と、右腕が肩の先から炭化した全身火傷の九々等八壱。高層ビルなど跡形もない。裏梅は爆発の衝撃で吹き飛ばされたのか、それとも灰すら残らず消し飛んだのかは分からない。それ程の惨状であった。

 

 空中、呪霊の耐熱壁で爆発を凌いだ羂索は、消滅する呪霊の奥から顔を出すと、目の前の光景にただ感嘆する。

 

「……特級の看板に偽り無し、か」

 

 もし術式の効果時間がもう少し長ければ……日本を灼熱地獄に変えることすらできたかもしれない。尤も、術者である九々等八壱が消し炭になった後でだが。

 焼け跡の中、1人の男が近付いて来る。

 全開の呪力と即座に切り替えた防御力:81倍でダメージを最小限に抑え、失った右腕や全身火傷を反転術式で回復、再び五体満足となった九々等八壱は、真っすぐに羂索を見据えていた。

 

「これで一対一(タイマン)だな、黒幕坊主」

 

 獅子を思わせる、闘志が黄金色に燃え猛る眼――。

 ピリ、と羂索の首筋に何かが奔る。果たしてそれは恐怖か、それとも感動か。

 

 最強の覚醒型泳者(プレイヤー)、術式覚醒1ヶ月で特級相当へと昇りつめた呪術師、九々等八壱。

 最凶にして最悪の呪詛師、特級術師夏油傑の肉体を乗っ取り死滅回游を企んだ黒幕、羂索。

 

 両面宿儺と五条悟、その最強同士の決闘の裏で、彼等の決戦もまた始まろうとしていた。

 

 互いに睨み合い、動かない。

 達人の間合い……下手に動けばそれが敗着の一手となる空気の中、両者は相手のことを分析する。

 

「(呪力を纏わせて強化した呪霊で致命傷を防ぎつつ、幅広い手数でこっちの出足を挫いてくる。術式開示にブラフ織り込む性格悪い戦略家で、何より厄介なのは重力の術式。アレのせいでオレが有利だった近接戦闘が潰されてる。なんとかして弱点と対抗策を見つけるとして……問題は他にも何か隠し玉があるかどうかだ。クソ、マジズルいな術式複数持ち……)」

「(倍率9倍の冪乗呪法、思ったよりも対応力があるな。炎の爆発――彼曰く八十一倍煉獄掌(ニルヴァーナ・インフェルノ)はタメが大きい上に自爆技、喰らえばタダでは済まないだろうが私に使ってくることは無いか? 極ノ番を併用した近接攻撃は恐らくどれも即死級、今の所有効な反重力機構(アンチグラビティシステム)による超重力もいつ対応されるか……)」

 

 戦術思考の結論が出るのは同時で、そして内容も同じだった。

 

「「(面倒だ……!)」」

 

 互いに互いが容易く御せぬ相性の悪い相手。

 故に、先に動くのはそういう相手との戦闘経験が多い()の方。

 

「いやいや。互いの術式が煙たいのに領域を展開しないのは、領域の押し合いに自信がありませんって言ってるようなもんでしょ」

 

 千年続く、竜戦虎争にして合従連衡の「呪いの世界」を生き抜いて来た術師、羂索は、戦闘時の九々等ですら思わず見逃してしまうほどの、ごく自然な動作で掌印を組むと、

 

領域展開

 

 胎蔵遍野(たいぞうへんや)

 

 羂索の呪力が世界を包む。

 悍ましく歪んだ人体の塔、領域のシンボルであるそれを背に背負いながら、呪詛師は笑う、哂う、嗤う。

 

「本気の呪い合いといこうじゃないか、九々等八壱」

 

 最凶にして最悪の呪詛師は、実に愉しそうに呪いを吐いた。

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