帳の外。
独り取り残された夏油傑には珍しく焦りがあった。
「(呪物の呪力にあてられた呪霊……特級呪物から漏出する呪力を餌として肥えたのだろう、無条件で降伏できる個体はほぼ居ないな)」
焦りの原因は周囲を呪霊に囲まれているから……
「(帳による分断で私だけが取り残され、呪霊に足止めされているこの状況……間違いなく悪意ある『誰か』に仕組まれている。帳を使う呪霊が居るとも思えない)」
手持ちの呪霊を操って襲い掛かってくる呪霊を迎撃しながら、夏油は聡明な頭脳をフル回転させる。
分析するのは戦闘のことではなく、これまでの任務の状況と今急変したこの状況のこと。
「(……状況的に人間に奪われた呪物。悟と九々等先輩だけを閉じ込めた帳。そして初対面時、悟のことだけを既に知っていた様子の九々等先輩。私の予想が正しければ、この策謀を仕組んだのは――)」
菅原家。
かの家が御三家・五条家から更に分派した術師の家系で、五条家に変わって御三家へ成り上がることを目的としているのは有名な話だ。
件の一族は五条家へのコンプレックスを募らせた結果、祖先にして日本三大怨霊・菅原道真から性を取って「菅原」を名乗り、禪院家のような術師選民思想を持つ。しかしながら家が継ぐ相伝の術式の格はお世辞にも高いとは言えない。要するに、御三家に相応しい強さは無い。
呪術界に数多存在する腐敗の温床。呪霊とはまた違う形で術師の足を引っ張り不幸を振り撒く悪意の一族。
そして、これはあくまで噂だが。菅原家は術師よりも呪詛師を多く輩出しているとの声がある。それが問題にならないのは、歴代当主が総監部と懇意にしているからである、と。
真偽不明の噂。だが夏油はこれが真実なのでは無いか、とかねてより思っていた。火のない所に煙は立たぬ、という言葉もある。噂全てが真実でないにせよ、一部真実が含まれている可能性は高いのでは、と。
五条家へのコンプレックスを募らせ、御三家への成り上がりを渇望する衰退した術師の家系。
そんな家に突如として生まれた麒麟児と、五条家に生まれた1000年に一度の天才。
あらゆる情報が結びつき、夏油の脳内で一本の線となる。
「(もしや菅原家ひいては九々等先輩の目的は『悟の抹殺』――!?)」
――呪物を盗まれたように見せかけマッチポンプ的に捜索任務を発生させ、総監部経由で五条悟を指名、手駒たる九々等八壱を同行者としてねじ込む。そして任務中の不慮の事故に見せかけて、五条悟の背中を刺し彼を殺害する。1000年に一度の天才である跡取り息子を失った五条家の地位は失墜し、麒麟児・九々等八壱を有する菅原家がその後釜を狙う――。
そんなシナリオが夏油の脳内で組み上がる。
「(九々等先輩の謹慎の原因らしい『重大な呪術規定違反』の事もある。最早『悟の抹殺』が荒唐無稽な妄想と言い切れない程状況証拠が揃ってしまった。とにかく、すぐに帳を破壊して悟と合流しなければ――)」
真偽はどうであれ五条悟との合流が最優先。
そこまで思考した夏油の前で異変は起こる。
バシュ!! と帳が上がった。否、破壊されたのだ。
「悟!」
夏油はすぐに呪力を探り五条悟の方を振り向く。そして目を見開いた。
彼の視線の先には、刃物で斬られたような腹の傷から血を流す五条悟の姿。そしてその背後、親友に向かって突進していると思しき姿勢の、刀を構えた九々等八壱。
「(刀傷! そして九々等先輩が持っているのは刀――帯刀はしていなかったがどこから取り出した、呪具なのか、どうやって悟の無下限呪術を突破した――いや、そんなことはどうでも良い、最早疑いは確信に変わった!)」
止まった時の中そこまでを考え、呪霊を呼び出して九々等を攻撃しようとするも、この距離ではとうてい間に合わない。九々等が刃を振るう方が早い。
九々等の刀が奇妙な呪力を纏い、刃を巨大化させるように勢いよく放出される。
余波で周囲の呪霊が祓われる/それはまるで巨人の剣。
彼が必死に伸ばした手の先で/白刃、閃く――。
「悟ーッ!!」
夏油傑の絶叫が迸ると同時。
九々等八壱の放った一撃が、勢いよく山肌を薙ぎ払った。
時は少し遡る。
『帳』内部。夏油と分断された五条・九々等の前に、呪物を取り込んだらしき特級呪霊が出現していた。
「喜べ。こっちが本命っぽいぞ」
帳に閉じ込められて夏油と分断され、未登録の特級を前にして――九々等八壱は楽し気に笑った。
シャラン、と不浄を祓うような涼やかな音が響く。
五条が見れば、九々等がいつの間にか抜き身の刀を握っていた。
「(刀? どっから取り出した?)」
今の音は刀を鞘から抜き放った音だろう。だが、と五条は訝しむ。
九々等は帯刀していた訳ではない。竹刀ケースのような荷物も持っていない、正真正銘の手ぶらだった。ならば今まで一体どこに、刀身1mを超える刀を隠し持っていたのか。地面に投げ捨てられた鞘でさえ、九々等の細身で隠し持てるとは思えない。
気になる。が、気にしている場合でもない。
「(……今はそんなことどうでも良い。どうせ呪具か何かだろ)」
五条は九々等から視線を外し、改めて特級を睨んだ。顔の右側、仮面のようになった部分に上下ふたつの眼があるのが不気味な呪霊は、しかし九々等の刀を警戒したのか未だニヤニヤとこちらを眺めているだけだ。
そんな特級呪霊を前に、九々等は不意に背後の五条へと振り向かず問う。
「帳と呪霊、
呪霊から目を放さないままの簡潔な問い。その真意は明らかだった。
――帳の破壊と呪霊の相手、どちらをやりたい?
つまり九々等の作戦は、どちらか片方が帳を破壊しに行き、どちらか片方がその間呪霊を相手取る、というものであるらしいと五条は読み取った。
だが五条が読み取ったものはそれだけではない。彼の六眼は帳と特級呪霊の関係までもを看破していた。
「……見た感じ、帳の強度は
「オッケー、オマエが呪霊な」
「はぁ!? オイ!」
だが五条の助言を無碍に、九々等は帳の縁のほうに凄い速さで走っていってしまった。
「チッ (人の話聞けよ……俺もあんま人の事言えねえけどさ)」
その場に取り残された五条は、悪態と共に特級呪霊へ向き直る。
「まあ良いや、元から期待してねーし。結局、俺が1人でアイツを瞬殺すれば解決だろ!」
無限の収束――
ぐんっ、と特級呪霊の体が五条悟へと急接近する。それは特級呪霊が突進したのではない。収束する無限が呪霊の体を強制的に引き寄せたのだ。
急接近する彼我の距離。そして高速で引き伸ばされる世界の中呪霊が見たのは、呪力で強化された五条の拳――!
と、打撃!!
ズガン! と拳が特級呪霊を捉える。
無限の収束による「吸い込む反応」と呪力で強化した拳打による不可避の攻撃によって戦端は開かれた。
1級呪霊だろうと祓う五条悟の打撃。
だが五条は拳から伝わる手応えに違和感を感じる。
みしり、と体の奥を軋ませながらも、呪霊は呪力で強化した腕で五条の一撃を防御していた。
「(
流石は特級呪霊。さしもの五条悟といえど、一撃で仕留めることは出来なかった。
拳の反動で彼我の距離が開く。
反撃とばかりに動いたのは特級呪霊。離れた五条に対し掌を向ける。
ジリッ、と呪力が焼け付く音。
「『
呪霊の声と共に放たれたのは「飛ぶ斬撃」。
冴え渡る鋭利な呪力は、舞う木の葉さえ二つに裂いて標的を襲う――。
ばつんっ、とどこか間の抜けた音と共に、斬撃は五条悟に命中する直前で虚しく霧散する。
「効かねえ、よ!」
反撃の五条の拳が特級呪霊の頬を捉えた。
そのまま両者は肉弾戦に以降。五条の打撃はどれもが特級呪霊の体を捉え、特級呪霊の攻撃は全てが命中の直前で停止する。
それこそが無下限呪術による防御。五条悟に対する攻撃は、現実に出現した「無限」によって無効化される。
特級呪霊が相手であろうと、五条悟に緊張感は無かった。僅かに心を焼く焦りは夏油傑と分断されているが故のもの。
それは言わば慢心と焦燥。
果たして、1秒後の光景はそれが齎したのか。
――無下限呪術を制御するには非常に複雑な呪力操作を必要とする。それはニュートラルな無下限呪術による無限の防御も同じ。「無限」で全てを遠ざけてしまえば、光も空気も触れられ無くなる。故に五条悟は「何を無限で阻むか」の条件を選択し、それに合わせた呪力操作を行わなければならない。
呪力操作の手間と脳への負荷を減らすため、発展途上の五条悟は無下限呪術による防御が反応する条件をできるだけ簡潔にしていた。
今回の条件は「可視光以外の一定以上の速度を持つもの」。これならば打撃・銃撃などの攻撃から大抵の術式までを無限で阻むことが出来、条件の穴を付く低速攻撃は一度躱してから改めて無下限呪術の条件を変更すればいい。
未完成の最強に残されたほんの僅かな「穴」。それを知ってか知らずか、呪霊はその術式を行使した。
ぴた、と五条悟の腹に呪霊の手が当てられる。
攻撃にもならない、ただ触れるだけのゆっくりとした動作。ギリギリで無下限呪術が反応しないが、当然触れられただけでは何の問題もない。
だがその呪霊は、取り込んだ呪物によって
「『
ざしゅ! と斬撃が五条の肉体に奔る。
舞う鮮血。慣れない痛みが五条悟の思考を空白に染める。
「ぐ――!」
傷は致命打ではない。せいぜい皮膚を裂かれた程度。だが彼我の呪力量差を考えると、30cmを超える傷の幅は五条悟の油断の産物に他ならない。
嗤う特級呪霊が更に術式を重ねる――前に、五条悟は反射で術式を行使した。
「離れろッ!」
無限の収束!!
ぐん! と呪霊の体が後ろに吹き飛ぶ。そのままドゴォ! と轟音が鳴る勢いで山肌に叩きつけられる特級呪霊。
軽傷、と言えなくもない傷口を抑えながら、五条悟は怒りのままに呪霊を攻撃しようとして。
バシュ!! と闇が祓われた。
夜が如き暗さが緩和され、木々に弱められた陽光が視界に飛び込んでくる。
何が起こったのか、五条悟は上を見上げてすぐに理解した。
「帳が――!?」
帳が破壊されたのだ。
要として強度を底上げしていた呪霊は未だ健在なのに、どうやって。
そんな思考を挟む間もなく、五条の耳に声が飛び込んでくる。
「――先輩命令だ、そのまんま抑えとけ後輩!」
瞬間、視界を横切る金の閃光。
九々等八壱。
『帳』を破壊した彼は、その足で山肌に刻まれたクレーターの中心で藻掻く特級呪霊に向かって突進する。
その手には刀。薄闇に銀の残光を刻む刀身に、彼は握ったのと反対の手を添わせる。
「『南無』『天満大自在天神』」
呪詞の詠唱。刀を金色の呪力が包み込む。
それがただの呪力ではないことが、六眼を持つ五条悟には分かった。
かくて刃は振るわれる。
其の一刀、不浄を祓う退魔の剣。
其の一撃、回避能わぬ伸縮自在。
其の一瞬、音も光も全ては遅れ。
九々等八壱、停滞した刹那を裂いて必殺の剣技を抜き放つ――!!
御三家
「『
『
破邪の光、地平を薙ぐ!
横一閃に放たれた攻撃範囲半径約10mを誇るその一撃を回避する術は、「無限」によって地面に縛られた特級呪霊には無く。
せめてもの抵抗として腕を交差させて防御姿勢を取ったものの、まるで豆腐が崩れるみたいにその肉体は抵抗なく両断され。
斬撃から1秒後に残されたのは、呪霊の消失反応と、ころんと地面に転がる宿儺の指だけだった。
一撃必殺。
一刀で特級呪霊を祓った九々等八壱は、呪霊の消滅を確認すると、振り向いて背後の後輩に笑いかける。
「ナイスアシスト、後輩」
にィ、と得意気に口角を吊り上げる彼に、しかし五条は反骨心を露わにする余裕なくその蒼い眼を見開いていた。
「今のは……」
五条の視線が刀に向けられていることを九々等も察知。
「あん? ああこれね。刀に反転した呪力を流し込んで、対呪霊に特化した『退魔の剣』を作り出す技だ。『縛り』の関係上治癒には使えないんだが、呪霊には効果抜群だぜ」
説明した後、役目は終わったとばかりに、フッ、と蝋燭の火が消えるように刀に纏わされていた「反転した呪力」が霧散する。
成程、山肌を薙ぎ払った一撃は、しかし木々などの地形には一切傷を付けず、呪霊のみを消滅させていた。それは通常の呪力と異なり、呪霊に対してのみ有効な反転した呪力が故の特性だろう。
だが九々等の説明には不足があった。刀に「反転した呪力」を纏わせるだけなら、斬撃が伸びた――正確には刀身ではなく「反転した呪力」だけが10m程の長さに伸びた説明が付かない。
「(あの帳をこの短時間で? それに今の『伸びる斬撃』――)」
六眼によって何かを見抜けそうだと考え込む五条から視線を外し、九々等はこちらに駆け寄ってくる足音の方を向く。
「悟! 無事か!?」
「――傑。ああこれ? こんなん全然余裕、掠り傷だ」
ざあっ、と土を巻き上げながら慣性を殺すほど勢いよく駆け寄ってきた夏油に対し、五条はあくまで余裕をアピールした。
そんな彼の顔と、五条から少し離れた場所でこちらを眺める
「……呪霊にやられたのか?」
「はぁ? 油断しただけだわマジで。あのままやっててもぜってー俺が勝ってたし」
「……そうか」
五条に、九々等に対する警戒心が微塵も無いのを見て、夏油はようやく己の誤解に気付いた。
「夏油くんも無事っぽいな。何より」
振り向けば、そこには宿儺の指を摘まんで包帯に似た封印用の呪符を巻き付ける九々等の姿。いつの間にか持って居た刀は消えており、その体勢・呪力共に臨戦態勢とは思えない。
「これにて特級呪物・両面宿儺の指も回収。
任務は狂言、九々等の目的が五条の殺害……というのは完膚なきまでに誤解だった。
夏油は溜息と共に全身から力を抜くと、九々等に対して頭を下げた。
「……先輩、すみませんでした」
「は? 何? 急に」
「いえ、その……」
「分断されて役に立てなかったってか? 真面目だなー夏油クンは」
「……」
まさか「あなたが悟を殺そうとしていると疑ってました」とか言えるハズも無い夏油に対し、真意を勘違いしたままの九々等はのほほーんとした顔で笑った。
「全然問題なし。死者・重傷者が出てないなら過程なんかどーでもいいっしょ。術師ってのは皆を守るために居るんだから」
あっけらかんと言い放たれた言葉は、夏油に九々等の本性を理解させるのには充分だった。
裏表ナシ、外見や言動は少し粗暴だが、術師には珍しい根明で善人。少なくとも策謀を巡らせ仲間を誅殺する悪人ではない。
彼を疑った己を恥じる夏油の内心を知らず、九々等は五条に視線をやる。
「てか、謝るならオマエだろ五条悟ゥ。ちょっとは先輩を見直して生意気な態度を改める気になったかー?」
「はぁ? あんなのトドメを横取りしただけだろ。あんたの助太刀なんか無くてもあと1秒あれば俺がアイツを祓ってたし」
「つまりオレのが1秒凄いってことだな。ウンウン、その調子で尊敬してくれたまえ後輩」
「この――
「悟、軽傷とはいえ暴れない方が……」
突っかかろうとして慣れない傷の痛みに呻く五条に、夏油が心配して声をかける。
が。
「お、肩貸してやろうか? 後輩。今後一生、オレの前ではその無駄に高い上背を屈めて過ごすって条件付きだがな」
「要らねーよ平均身長。借りるとしても傑に頼むわ。あんたに肩貸りたら地面に膝突きながら歩かないとダメそうだしー」
「ちょっと悟、先輩。仲良く――」
「……あ? なんだ? やるか白髪ノッポ」
「上等……!」
「あの」
「ムズカシー任務で怪我しちゃってるもんなァ、ハンデは要るか『自称・最強』の後輩クンよォ? 頭下げたら考えてやるぜ?」
「要らねーよ。アンタこそ、これで負けたら言い訳できねーぞ?」
どんどんヒートアップしていく九々等と五条。
一触即発、いつ破裂するか分からないほどに膨らんだ風船を思わせる両者の喧嘩腰は。
「――悟、九々等先輩。仲良く」
ゾッとするほど冷たい夏油の声に鎮火させられた。
「……わーったよ」
「……すまん夏油クン。熱くなり過ぎたわ」
五条も九々等も矛を収める。
だってニコニコしてこっちを見てる夏油は、目が笑ってなかったから。全然全く恐ろしい程に笑ってなかったから。
そんなこんなで3人は、呪符でくるんだ宿儺の指を手に、一件落着と祠のあった山を後にした。
――九々等八壱、五条悟、夏油傑、『宿儺の指回収任務』完了。死者0名、軽傷1名。
事件の背後に居た縫い目の人物は、最後までその影すら見せなかった。
任務後。
五条が家入に治療を受けている間、初対面のときと同じ自販機置き場のベンチで並んで座った九々等と夏油は会話をしていた。
「何、呪術規定違反の話ィ?」
「はい。どうしても気になってしまって」
差し支えなければ聞かせて下さい、という夏油の言葉に、九々等はゴクゴクと勢いよく缶ジュースを飲み干し、壁にふんぞり返ってからやっと口を開いた。
「……ちぇ。謹慎とか諸々ハズいから黙ってたってのに……まあ良いか」
そうして、彼は空になった缶を玩びながら、世間話のような声音で話し始めた。
「――姓から分かる通り、オレの生まれは非術師の家系だ。でも死んだ爺ちゃんが菅原家……術師の家系の出だったらしくてな。爺ちゃん自体は術式持って無くて家を出奔したんだと。で、孫のオレに術式があるって分かった菅原家がガキのオレを攫ったんだよね。隔世遺伝ってヤツ?」
季節は春。窓を抜ける陽光は柔らかで、未だ蝉の鳴き声は聴こえない。
予想外の身の上話に言葉を詰まらせた夏油の横で、九々等はなんでもないように話を続けた。
「まーそんなもんだから、あの家にあんまり良い思い出は無いわな。物心ついてからは良く
そーれ、と軽い調子で九々等が缶をスローイング。投げられた缶はピッチャーを思わせる剛速球で離れたゴミ箱の穴にホールインワンした。ガランガラン、と缶がゴミ箱の中で暴れ回る音が屋内に響く。
その音の残響が止むのを待ち、九々等は語りを再開する。
「そんなこんなで立派な高専生になったオレは東京校での寮生活を始めたんだが、半年前に事件は起こった訳よ」
ここでようやく話は核心に辿り着く。
九々等はそれまでとは違い、少し怒気を孕んだ口調で。
「あの家のクズ共――あろうことかオレに『五条悟を殺せ』なんてぬかしやがった。何の正当性もなく、ただ五条家失墜の為だけに、任務に同行し事故に見せかけてナンタラカンタラと。
――だからムカついちゃってさ、家ごとぶっ潰しちまった」
二度。夏油は二度絶句した。だがことさら二度目の衝撃は大きく、
「――は?」
という声がその口からぽろりと零れた。
「それは、どういう」
「どういうって……戦闘員を全員もれなくボコって、当主を五条家の門前に連れてって土下座させた。結果菅原家は取り壊し、オレは謹慎。この辺は事後処理とかがゴタついてるからまだ公開されてねえっぽいけど……あ、これ人に言うなよ? 結構ハズいと思ってんだから。オレより強くて、ずっと扱いがきつかったのに我慢しきった人を知ってっからなァ……オレってやっぱバカなんだなーって痛感したわ」
ふはー、と再びふんぞり返って溜息を上に吐く彼に対し、夏油は言葉を見つけられなかった。それは「重大な呪術規定違反」の正体、前代未聞の内部からの呪術家壊滅だけでなく、その実力に対してもだ。衰退したとはいえ術師の家系ひとつを単騎で壊滅させるというのは、どれほど難しいことなのだろうか。
そんな彼の様子をどう判断したのか、九々等は
「引いたか? まあオマエにはその資格がありそうだ。軽蔑するのも自由だぜ」
そんな九々等に対し、夏油は。
「……いいえ。確かに呪術規定違反かもしれませんが、私は先輩が間違っていたとは思えません。同じ状況に立たされたら、私も先輩のようにするかもしれない。そんな私にあなたを責める権利はありませんよ」
ゆっくりと、そう告げた。偽りの無い本心からの言葉だった。
「それに、個人的には嬉しくもあります。先輩は育った家や権力よりも悟を取ってくれた訳ですし」
「オイ、気持ち悪ィこと言うなよなオメー。言っとくが、あの家のクズ共と何の罪もない人間ひとりなら術師どうこう関係なく絶対後者を取るぜオレは。てか折角大犯罪するなら野郎より可愛い女の子を助けたかったわ。それならまだカッコついたのになー」
冗談めかしていう九々等だが、言葉の節々から反省の色らしきものは感じられた。それと同時に、しかし後悔はしていないのだろうということも。
菅原家。呪術界の癌、権利を求めて他者を害そうとした家系。
「(きっと家の内情に詳しいからこそ許せなかったのだろう。それは先輩が菅原姓を名乗っていないことが証明している)」
そう、最初から答えは示されていた。
幼少より菅原家に取り込まれた彼が、それでも守り続けたその姓が、何よりも彼の立場を証明している。一時でも誤解したのを恥じる程に。
九々等八壱。ひとつの術師一族を壊滅させた、破天荒であり規格外の1級術師。
そんな彼はしかし「先輩」として、尊敬できる人なのかもしれない――。
「謹慎の理由は良く分かりました。すみません、辛い話をさせてしまって」
「辛い? いやそれはねーよ。謹慎っつっても勝手に呪霊退治してたしな。んで、それがバレてめったくそに怒られて、『勝手に動かれるくらいなら』って感じで高専に戻って来たってワケ。夜蛾センには頭上がらんぜー、マジで」
「……そうですか」
うん、やっぱり尊敬は出来なさそうだ。悟と同じタイプだな。
そう夏油が結論付けると同時、廊下の先から長身の青年が歩いて来た。治療を受け終わった五条悟だ。彼は夏油の姿を見つけて手を上げて呼びかけ、その横に九々等の姿があると見るや途端に嫌な顔をする。
「傑ー……げ、センパイ」
「なんだ五条。また家入ちゃんとこ行きてえか?」
「はッ、やれるもんなら。てか俺、センパイの術式分かっちゃったわ~」
「吠えるじゃねえか後輩。ツラ貸せ、模擬戦やるぞ。オマエには一度上下関係を叩き込んどかねえとダメと見た」
「良いの? かすり傷じゃ済まないかもよ?」
「安心しろ、オレが家入ちゃんとこ行く可能性はゼロだから」
いつの間にか九々等はベンチから立ち上がっていた。喧嘩しながら歩き出す2人に、夏油は慌てて缶ジュースをゴミ箱に捨てながら駆け寄る。
「ちょっと悟、九々等先輩」
「お。もしかして傑、お前も参加する? 模擬戦」
「なんだ五条、1人じゃ不安か? 勿論オレは2体1でも良いぜ」
「冗談。じゃんけん勝った方が先な」
夏油の腹の中で「規則」だの「安全」だの「説教」だの沢山の言葉が暴れ回り……しかしその口から出て来たのは溜息だった。
「……仕方ない。ただ、治療が必要なレベルの怪我をしそうになったら止めるからね。こんな時間に仕事が増えたら硝子が可哀想だ」
「決まりだな。よっしゃ、じゃーんけーん!」
季節は春。青春の声は高らかに。
突如降って湧いた「先輩」九々等八壱の存在で、彼らの青はより濃く澄み始めたようだった。