『一度人を殺したら。「殺す」って選択肢が、俺の生活に入り込むと思うんだ。命の価値が曖昧になって、大切な人の価値まで分からなくなるのが、俺は怖い』
そういう意味では。
愚母の胎の中で飢え片割れを喰らった俺は、初めから
時は平安、呪術全盛の時代。
呪いは公然の存在であり、その影響で呪術師・呪霊の質は共に高かった。
そんな世界で、異形の俺は忌避され排斥された。この体は呪霊を想起させたのだろう。人は皆恐れていたのだ。己と姿形が違うモノを。
尤も、それは彼等だけではなく俺自身もだったが。
人を殺し喰らう異形、人に恐れられる存在――そんな呪霊共を見て、その姿に己を重ね、俺は悟ったのだ。
ああ俺は――「呪い」なのだ、と。
ならば、俺もあれらと同じように。
思うままに他者を蹂躙しよう。
理由なく殺し、喰い、弄ぼう。
何故なら俺は「呪い」なのだから。
そういう風に産まれ堕ちたのだから。
血こそが快楽。
力こそが愉悦。
殺意と憎悪だけが己と他者とを繋ぐ縁であり。
連綿と廻る戦いの連鎖のみが、この世界で唯一興じるべきものである。
「
殺戮だけが心を満たす。強者の実感が心を埋める。
「宿儺。君は愛を知らないだけだ」
踏み躙り、喰い散らし、嘲り嗤うことこそ我が本懐。
「分かってねえなあ
愛など下らん。それでは俺の腹は満たされない。
「もう一度俺の中に戻るなら殺さないでやる」
俺は「呪い」だ。
そう決めた、とっくの昔に生き方は決めたのだ――。
そう決めたのだから、それを貫く。
死後も呪物となって時を渡る。
生き様で後悔はしたくない……今更後悔など、してたまるものか。
互いに忌み子としてこの世に産み堕とされた。
俺は呪いの王として。オマエはその器として。
生存を懸けた戦いの中で己の役割を見出し、そのように自らを呪うことで己の
俺は「呪い」として人間を
まるで鏡。だからこそ俺達は言葉で分かり合うことは出来ず、ただ呪い合うしかなかったハズだ。
それなのに、何故分からない。何故呪うのを止めた。
俺とオマエ、何が違った。
時代か?
才能か?
縁、か?
黒い世界。
いつの間にかそこに立っていたのは……虎杖、悠仁。
「俺には爺ちゃんが居た。優しくしてくれる先輩も、助けてくれる先生も、背を預けれる仲間もできた。俺はオマエより恵まれてたんだ……でもな、宿儺。オマエにだって居たハズだ。失いたくない、大切な人が」
彼だけではない。
「分からなくもないんだよなぁ、これが。一度上手くいってしまった方法を改めるのは難しいし。人は壁にぶち当たった時、初めて自分を省みて思い上がりに気付くんだ。おまえは
そして、
「奪って、奪われて、失って、怖くなって……でも、何もかもが消える訳じゃなかった。それでも道は残ってた……残してくれてたんだ。たとえ無様でも、醜くても、それを無碍にすることはしたくない」
……それが何を意味するのかを、俺はようやく理解した。
理解して、抗おうとして……受け入れて。
虎杖悠仁と向き合い、認める。
「――俺はオマエを否定したかった。オマエの理想を打ち砕きたかった。
俺の生き方が間違いだったかもしれないと、別の道があったのかもしれないなどと……認める訳にはいかなかった」
きっかけは二度あった。
あの時差し出された手を取っていれば、この飢えは収まったのだろうか。
小僧のように、「人」として――。
そして、三度目の今。
「今は違う……だが、結論は変わらん。俺は『呪い』だ。オマエの手など取らない」
「……そっか」
呪いとして生き、そうあれと呪われたのだから、せめて最期まで。
踵を返し、無間の闇へ歩を進める。
「じゃあな、虎杖悠仁。忌まわしき正しさ、」
――魂の寄る辺よ。
『81倍』と『魂の境界を断つ斬撃』、そして『魂を捉える打撃』と『黒閃』の効果が相乗し――。
九々等の領域が崩壊すると同時――張り詰めた風船が弾けるように。
100万の魂が、同化の呪いから解放される。
つまり、異形の怪物の頭から尾までが衝撃により弾け。
中から気を失った無数の人間が現れたのだ。
『魂の境界』を切り離されたことによる同化の解除。
だが。
「ちょ、これ――」
慌てたのは九々等。
何故ならここは、かつて怪物の頭があった場所――地上数十メートルの上空。こんな状況を予想していなかった九々等の領域は座標をずらしたりなどしておらず、このままでは同化から解放された100万人がもれなく落下死してしまう――。
だが。
この状況を
「皆、出番だよー!」
五条が叫ぶ……見れば、地上には既に救出班が待機していた。
有用な術式を持っていない他の術師たちは1人ずつ落下中の人間を助ける。
それでも救助の手は足りない……が、それを埋めるのはこの男。
五条悟が掌印を組み、全力で術式に呪力を回す。
「生徒が頑張ったんだ――僕も先生として良い所見せないとね!」
無下限呪術――範囲最大!!
ビタッ!! と、五条の視界内のほぼすべての人間が空中で静止した。
余りにも規格外の術式規模に九々等は思わず感嘆する。
「やっぱ桁外れだなこの人……お?」
だが、ここで九々等は気付いた。
なんだか自分の視界に映る光景が下から上に流れ出したことに。
「お、落ちてるぅ――!?」
その変化は虎杖・
九々等が先程まで自分たちを浮かせていた五条を見れば、彼はてへぺろで言い放つ。
「ごっめーん、流石にそっちまで手が回んない! 自分で頑張ってー!」
「ちょ、えええええええ!!?」
五条悟は術式対象を『自身から前方の一定以上の呪力を持たない生物』に限定する即席の『縛り』で術式範囲を拡大。そのあおりを受けて九々等・虎杖・乙骨は、そして彼は落下することになった。
そう、無限による救済の範囲から外れたのは3人の他にもう1人。
「――伏黒!」
同化から解放された伏黒恵。術師である彼は、今の制限された五条の術式範囲から外れている。
落下する彼を目端で捉え、咄嗟に虎杖が赤血操術で血を縄のように操り確保する。
そんな光景を見ていた九々等は。
「ちょ、頼む虎杖、オレも――」
九々等の術式は現在焼き切れており使用困難である。更に彼は呪力もからっけつ、呪力強化もままならない。つまりこのまま落下すれば、大怪我どころか普通に死ぬ。
そんな彼は慌てて虎杖に手を伸ばし……その手をがしりと掴んだのは。
「九々等さん!」
「乙骨くん……! た、助かった……」
『リカ』は自立飛行が可能な式神。つまり乙骨は唯一、3人の中で空中に留まる術を持っている術師である。
九々等が『リカ』の掌の上によじ登り……虎杖ももう片腕から出した血の縄を『リカ』の腕に巻き付け、ぶら下がることで伏黒共々落下の脅威から逃れる。
ふう、と難を逃れた一行は一息つき。
どさり。
九々等が『リカ』の掌の上で力なく倒れ込む。
「……あー」
「ちょ、九々等さん?」
乙骨の呼びかけに、しかし九々等は立ち上がれなかった。
その理由は。
「(五条先生との共闘で領域2回、領域融合2回……んで羂索と戦って、戻って来て領域3回……)」
鉛のように体を支配する重い疲労感。
緊張状態から解放されたからか。アドレナリンが切れたからだろうか。
元全国レベルのスポーツエリートであり、常人より何倍も体力のある九々等だが、これは……。
「さすがに、げん、かい……だ……」
指一本動かせず、そのまま力なく瞼が閉じる。落ちるように入眠する。
そんな彼の脳裏に過ぎるのは疑問。
――オレたちは勝てたのか?
宿儺は倒した。
虎杖も乙骨くんも五条先生も生きてる。
……まあ色々瑕疵はあるけれど、これは、うん。
「(オレたちの勝ち、ってことで良いよな。羂索、宿儺)」
ふん、とどこかから鼻を鳴らす音が聴こえた気がして……あるいはちえ、と舌打ちをする音が聴こえた気がして、思わず笑い。
――ぷつり、と。
九々等八壱の意識は途切れた。
報告――12月24日、18時09分。
渋谷事変及び死滅回游首謀者・
人外魔境新宿決戦、決着。
「――」
意識が覚醒する。
ピ、ピ、と規則的に続く機械音。
見知らぬ天井、消毒液の匂い。
そして。
「お、起きた?」
こちらを覗き込む、金の瞳――。
「……九々等」
「良かったぜ、お互い生きててさ……
高専内の病室にて。
昏睡状態から目覚めた
記憶を遡り、身を起こした日車は幻影の痛みに襲われ左の胸を抑える。
「俺は……確か心臓を……」
「家入先生の話では、壊れた心臓に治癒の形跡があったって。それで治療が間に合ったんだってさ」
九々等の言葉に、日車は思い出す。
憶えている限り最後の記憶、あの時……。
「……宿儺に心臓を貫かれた時。オマエの言葉を思い出して……簡単に楽になる訳にはいかないと、とにかく無我夢中で藻掻いていた……そのせいだろうな」
宿儺に匹敵する程の術式運用技術を持つ日車は、反転術式の出力もまた宿儺のそれに比肩しうる
そんな日車をギリギリで繋ぎ止めたのは、彼の言う通り九々等の言葉。
『法律が、神様が、虎杖が出来ねえってんならオレが呪ってやる。「人を助けろ」日車寛見!!』
『人を殺したのが、それでも法に裁かれないのがあんたの「罪」だってんなら。あんたは血塗れの手で人を助けて……人の骨と臓物の色を、死に際の苦悶を知った目で、人の笑顔を見続けろ。目を閉じることも逸らすことも許さねえ。その苦しみが、あんたの「罰」だ』
だが、自分の言葉を思い出した九々等は……日車に向かって頭を下げた。
「……ごめんな、日車さん。あんたの気持ちも知らず酷いこと言った」
「……」
「オレも、人を殺したよ。言葉を尽くしても分かり合えなくて……皆を助ける為だと自分に言い聞かせて。それでも感触は消えないんだな」
九々等は己の手に視線を落とす。
その様子に、日車もまた取り返しのつかない罪を犯したときの感触を思い出す。
「……最悪の気分だっただろう」
「……うん」
九々等が死を望む日車を叱咤できたのは、まだ罪の重みを知らなかったから。
それを知ってしまった今の九々等は、もう日車を呪うことなどできない。
だから。
「だからさ。オレは人を助けるよ。あの死を無かったことにしない為に……羂索を殺したオレの『正義』を、死ぬまで貫き通す為に」
ぎゅ、と罪で濡れた手を握る。
罪を背負い歩く覚悟……それを決めた九々等の姿に、日車は思わず目を細めた。
そんな彼の様子に気付かず、九々等は立ち上がりながら告げる。
「宿儺が逝って同化というゴールも消えた……死滅回游もじき平定される。司法が力を取り戻す日もそう遠くない……日車さんも、何に裁かれるか自分で決めた方がいいよ、きっと」
その言葉を最後に病室を後にする九々等。
彼が去った後の静寂の中で、日車は力なく項垂れる。
「(オマエは強いな、九々等。俺は……)」
九々等の与えてくれた罰――『人を助けろ』という呪いに殉じるつもりだった。だが呪いは解かれ、日車は再び振り出しに戻った。
かつてのように法に裁きを求めるのか。それとも解かれた呪いで再び自分を縛るのか。
何が正しいのか、すぐに答えは出そうにない……そんな己を恥じ。
それでも、日車寛見は。
今度こそは目を閉じないと、そう心に誓い顔を上げた。
ばったり、と。
「げ」
「……何してんの五条先生」
病室を出てすぐ、九々等八壱は五条悟と鉢合わせた。
1人で廊下を歩いていた五条……その様子に違和感を覚え、九々等は問う。
「今1人? 恵くんも目を覚ましたって聞いたけど、会いに行った?」
「それは……まあほら、今は同級生どうしで再会を喜ぶ時間でしょ。若人から青春を取り上げるなんて許されてないからね」
「
「……やっぱり八壱もそう思う?」
どうしたもんかなー、とぼやくも、しかし伏黒恵の元に顔を出すため動き出そうとはしない五条悟。
そんな彼の様子に、九々等はここ数日で深めた疑念を確固たるものとした。
……薄々思っていたのだが。
「五条先生……宿儺戦以来、なんか恵くんと……てか生徒と会うの避けてない?」
「ギクッ」
どうやら図星だったらしい。
冷や汗を流しながらぴゅーぴゅーと口笛を吹く五条……初めて見るレベルの動揺っぷりを見て、九々等はかねてより思っていたことを口に出した。
「これはオレの予想だけど……先生、『最強』じゃない自分見せるのなんか恥ずかしがってね?」
そんな予想を口にした九々等の視界の先。
「……だって
「でもちゃんと持ってんだね」
「苦渋の選択だよ、コケる方がダサいからね……あと持ってないと
「『最強』どころか威厳すらねえよもう……」
どうやら九々等の予想通り……五条悟は生徒に弱った所を見られるのが嫌らしい。
五条悟は新宿の決戦において、宿儺に胴を両断された。九々等の献身と『反転術式の使用禁止』という『縛り』によって反転術式の出力を強化することで一命は取り留めたものの、その後遺症で右脚に軽い麻痺が残ったらしい。
担当医師・
ただひとつ確実なことは、今後暫く五条悟が杖を突きながらの生活を強いられるという事だ。
落ち込み項垂れた五条、その背を小突きながら九々等は彼を慰める。
「生徒の前では『完全無欠のカッコいい先生』で居たいのかもしれないけどさ……別に先生は先生ってだけで良いんだぜ?」
「……」
「今までも散々おどけてたじゃん」
「……」
「とりあえず一回会ってみれば気も変わるって」
「……」
「はぁ……」
しかし頑として譲らない五条の態度に九々等は頭を掻き……仕方ない、と呟き。
「……話は変わるけど。これから宿儺戦の検討会なんだけどさ。オレ、1コ指令を預かってるんだよな」
「?」
がしり、と。
九々等は五条の腕を掴み、言う。
「『勝つさ』みたいな顔しといて逃げ帰って来たどっかの最強が、気まずくなって逃げないように、しっかり連れて来いってさ!」
そのまま五条をグイグイと引っ張り出した九々等。
半ば引きずられる形になった五条は、拘束から脱する為一計を案じる。
「――八壱、見て」
「ん?」
珍しい真面目な声に振り向けば、そこには――。
きゅるるん、と。
全力でかわいこぶることで許してもらおうとする五条悟(29歳男性)の姿が。
九々等はキレた。
「問答無用! てかそれ成人男性がやってもキモいだけだからな!」
「そんなぁ~……」
そのままズルズルと五条を引きずりながら廊下を進む九々等……そんな彼等の元に、中庭から現れた3人組が合流する。
「お、九々等、先生――何やってんの?」
「聞いてよ悠仁~、八壱が僕の事いじめる~!」
「マジで何やってんですかアンタ……」
「久しぶりに見る担任の姿がアレはキツイわね……」
「恵、野薔薇、助けて~!」
「……で、実際のとこどうなの九々等?」
「あ、お構いなく」
「ならいっか」「ほっときましょ」「そうだな」
「え、僕の信用低すぎ……!?」
本当に放置して先に行く虎杖悠仁、伏黒恵、
「ほら、別になんともないだろ?」
「……そうだね。そっか」
「ああ。最強じゃなくたって変わらない、先生は先生のままなんだぜ」
教え子と生徒。呪術の知識を授ける者と、人としての正覚を促す者。
少し不思議な関係は、決戦を終えても健在で。
そんなこんなで、九々等たち高専術師は検討会へ。
決戦を終えた者たちが日常に戻る為の、最後の清算が始まろうとしていた――。