■エピローグ
困ってるって聞いたから、見たことも無いサッカー部のマネージャーになった。
うちの高校はマネージャーも集まらないくらい弱小だから、楽だからって頼まれて。
でも。
「っしゃあ――!」
「
「勝った、勝ったんだな俺達~」
「やっと全国かァ……長かった、な――!?」
「おらキャプテン、おまえの指示のお陰なんだ、今日くらいもっと喜べ!」
私と同学年の男子に凄い人が居た。
八壱くんのお陰もあって、サッカー部は遂に全国大会にまで出場して。
「篠田も、いつもありがとな!」
八壱くんに屈託のない笑顔でそう言われた時。嬉しくなる前に、ふと、思った。
その自由さにただ憧れていた私は……本当に、何かの役に立っていたのだろうか。
関東某所、とあるチェーンのファミレスにて。
私、
「(やっぱり来ないよね……)」
漆門寺高校サッカー部・39期生の同窓会。
マネージャーである私以外の男子たち、「黄金世代」と呼ばれた学年のメンバーは全員が集まっていた――ただ1人、中心人物だった八壱くんを除いて。
八壱くんが私の前に現れた呪霊を倒しどこかに消えたあの日から。
彼とは連絡が取れないでいた。私だけじゃなくて、サッカー部の皆もそうらしい。彼の実家は避難区域の中で、ご両親が何処に居るのかも分からない。
そして遂に、疎開先の学校を借りて行った卒業式にも八壱くんが姿を現すことは無かった。
八壱くんが忽然と姿を消してからもう半年になるだろうか。
同窓会の誘いを受け、「もしかしたら」と一縷の望みを持って参加したけれど……やはり、そこに彼の姿はなかった。
別に、この場に来たことに後悔があるわけじゃない。この同窓会に女子は私ひとりだけど、サッカー部の皆とだって仲は良いから。沢山の思い出を共有した皆と久しぶりに会えて嬉しい気持ちは確かにある。
それでも……八壱くんが居ない同窓会には、なんだか自分の居場所まで無いような気さえして……。
「(会いたかったなぁ……)」
そんな風に会話に混ざる気力もなく、テーブルの木目を数えながら1人力なくジュースを啜っていた時だった。
カラン、と店内に響く何度目かの入店音。
最初は私含め皆振り向いていたが、次第に期待も底をついたのか誰かが入り口の方を振り向くことは無かった。
つかつかと足音が近付いて来る。
私たちの席は店の真ん中にあって、真横が通路になっているから別におかしなことじゃない。
ぴた、と足音が私たちの席の前で止まる。
あれ。俯いた視界の上で揺れたのは、見覚えのある金色の髪――。
全員が来訪者の方を振り向いて。
私達の視線を集めた彼は、けれどなんでもないように片手を上げて。
「よーっす」
その声は。
男の子に珍しい長髪を、特徴的な髪留めでひとつ括りにした髪型は。
忘れもしない、その顔は。
――
がたん、と勢いよく立ち上がった……のは私じゃ無くて。
「九々等! オマエ生きてたのか! ずっと音信不通だから死んだかと!」
「ひでー言われようだなオイ。忙しかったんだよ」
「……ま、テメェはそういう奴だよなァ、九々等ァ」
「よっ
「そういうテメェは鬱陶しい髪が短くなったかァ?」
皆と軽口を叩き合う姿も変わらない、記憶の中の八壱くんそのもので。
「や、八壱、くん」
「よ、篠田。久しぶり……あんとき以来だな。あの後なんか変わったことなかった?」
「う、うん」
なんだか呆気に取られてしまって、まともに舌も回せない。
だから……感情を言葉にする前に、横から割り込まれてしまった。
「あんとき~? なになに、何の話~?」
「え!? えっと、その……」
「なんでもねーよ。茶化すなら相手選べバカ」
「い、いででで~! わ、悪かったって~、ごめんね篠田ちゃん~!」
「ヨシ」
「ぶはぁ~……なんつ~か、全然変わってねえなオマエ~。なんか懐かし~」
「ハハッ、なんだそりゃ」
笑った顔も以前のまま。現実感が無くなって、二の句を継げないままの私を置いて八壱くんは皆の中へ。
「八壱~、オマエ今何してんの~?」
「あー……簡単に言うと災害復興系の仕事」
「はッ、忙しいワケだ。我らが母校の地が
「そゆこと。言っとくけどおまえらも、遊び半分でも東京に近付くなよ。マジで危ないんだからな」
「
「てかそんな危ないとこで働いてんのかよ……なんか九々等っぽいけどさー。そういえば前、真っ黒なスーツの人がオマエの事聞きに来たんだけど、アレひょっとして仕事関係? 喋って良いやつだった?」
「あー、報告書作ったって言ってたし
「うお~、なんか社会人っぺ~。俺等大学進学組だから新鮮だわ~」
「オレは逆に、懐かしいバカたちとバカ会話が出来そうで安心したぜ」
「オイ。そこの阿保はともかく、俺を莫迦側に入れてねェだろうな九々等テメェ」
「
……会話に入る隙間がない。
違う、弾む会話に割り込めるほどの自信と度胸が私にないだけだ。
それに……
「――な、篠田もそう思わない?」
「え? あ……えっと、そうだね」
そんな風にうじうじしていたら、まともな受け答えさえできず。
何度もタイミングを見送っているうち、気付けば解散の流れになっていた。
カラン。
店の外に出てから、涼しい夜風と共にやっと実感と後悔が追い付いて来る。
「(折角会えたのに、全然話せなかったな……)」
そう肩を落としていると。
「あ、送ってくよ。駅こっち?」
「え!? う、うん!」
八壱くんに声をかけられて、反射的に承諾して。
そういうことに、なった。
「てか篠田、さっきは詳しく聞けなかったけどさ、ホントにあの後大丈夫だった? 別の呪霊に襲われたりとかしてない?」
「あ、え、うん」
「なら良いけどさ。次ああいうことあったらすぐ連絡して。オレじゃなくて高専の窓口でもいいから……確か今は警察を介しても高専に繋がるハズだし」
「う、うん。そう、します」
さらりと車道側を歩く八壱くんが色々話しかけてくれるけれど、全然頭に入って来ない。自分が何を言ってるか分からない程に、心臓がうるさく暴れ回っている。夜風でも冷やしきれないほど頬が紅潮しているのは気付かれていないだろうか。
降って湧いた夢のような展開に全身が浮かれに浮かれて……ふとそんな自分が嫌になって、冷や水をかけられたように体から熱が引いた。
「(ああ……私、何も変わってないな)」
そのお陰か、少しだけ頭に冷静さが戻り、自分の外にも意識が向くようになった。
黒い歩道をぽつぽつと街灯が照らしている。
夜の街には夜色のささやかな喧騒が残響していたけれど、私たちの周りには誰もいない。誰も私たちを気に留めていないし、私たちも周囲に気を払わない。
薄絹に包まれているような、2人だけの、時間。
だから……今日ずっと言おうか迷っていた事を、言うことにした。
「……呪術師」
「!」
「その……凄い人、なんだよね八壱くん。私その、あの日から霊感が強くなって、お世話になった補助監督の人と相談して……『窓』っていうのになったんだ」
「――そっか」
そう。『窓』を通して大まかな呪術界の情報にはある程度触れていたから、八壱くんが生きていた事は知っていた。だから八壱くんが同窓会に現れた時、私だけが素直に喜べず、呆気にとられてしまったのかもしれない。
九々等八壱――日本に2人しか居ない特級術師の1人。私の知らない八壱くん。やっぱり凄い人の、八壱くん。
そんな凄い人に対して、私は。
「でもその、別に何かするって訳じゃなくて……ただ呪霊が見えたら高専の人に報告するだけっていうか。昔から霊感はあったからそういうの見えてたし、何か凄い役に立てるって訳じゃなくて……」
言いながら、自分が情けなくなってくる。
――八壱くんは凄い人。
強くて、優しくて……ちょっと怖いと言う人もいるけれど、私にはその自由さも羨ましくて。
見ていたら勇気を貰えるような気がして、いつだって目で追っていた。
でもいつしか気付いた……そんなのはただの錯覚だって。
私は眩しいくらいかっこいい八壱くんを見て、自分のかっこ悪さから目を逸らしていただけ。
気の弱い自分。断れない自分。全然変えられない嫌いな自分を、八壱くんを見ている時だけは忘れられた。
なんて自分勝手。恋と呼ぶには醜くて、好きと言うのもおこがましい。
なのに。それでも、八壱くんは。
「……変わんねえなあ篠田は」
「へ?」
「自分にできる事を取りこぼさないっていうか。ホラ、高校の時もさ」
私の歩幅に合わせながら。
八壱くんは夜空に思い出を映しながら語り出す。
「毎日一番早く来て練習道具準備してたり。ベンチに戻って来たらすぐドリンク渡してくれたり。部室の掃除とかもずっとやってくれてただろ」
「それは……私、そのくらいしか皆の役に立てないから……」
「『そのくらい』って……正直篠田が居なかったら全国にだって行けなかったとオレは思ってるぜ」
「え……」
「そりゃ派手さはないかもしれないけどさ。3年間、篠田は毎日頑張ってオレたち部員を支えてくれたのをオレは知ってる。今だって自分に出来る事を放り出さずに向き合ってる。だから、」
そして八壱くんは、誰もが認める凄い人は……はにかみながら私に言う。
「『凄いヤツだな』って思ったんだ。オレは自分勝手だから余計にさ」
「――」
気付けば駅は目の前で。自然と足は止まっていた。
――ああ、そうだ。
八壱くんは勇気をくれる人じゃない。そうじゃなくて、八壱くんは……私が持っていた勇気の欠片を見つけて、「ここにあるよ」って気付かせてくれる人。
私が嫌いな私のことさえ宝石みたいに扱ってしまう、そんな人。
「じゃ、オレはここで――」
「あ、あの!」
だから。八壱くんはそんな人だから。
こんなにも醜い恋だけど、おこがましくても好きのまま。
意気地なしの私でも、八壱くんを目指して半歩だけ踏み出せる。
「その……また、会いたい、です」
「――奇遇! オレも丁度そう思ってた!」
「ぇ――」
「今日はオレも途中参加だったしさ、なるはやでもっかい集まりたいと思ってたんだよね。仕事もいったん落ち着いたし……あ、折角なら同期組だけじゃなくて先輩後輩にも会いたいな~」
「あ、えっと……そういうことじゃなくて……」
「?」
「……うん。そう、だね……」
ああ、私の意気地なし。やっぱり踏み出せるのは半歩が限界。
安堵と後悔が同時に胸の中に湧いて来る。でも……踏み出せた半歩ぶん、後悔の勢いは緩んでくれたみたいで。
だから、笑顔でお別れを交わせる――ううん、これはお別れじゃなくて。
「またな篠田!」
「……うん、またね!」
それで2人の時間は終わりだったけど。
あの時言えなかった再会の約束を結べたからか。
やけに星が眩しく見えて、私はぎゅっと胸を抑えた。
これからも、私に出来ることを少しずつ。
今はダメでも、きっといつか……この半歩が、1歩になるその時まで。
■エピローグ
高専内、学棟内廊下にて。
2年生に進級した
「なあなあ、今日映画見に行かね?」
「何見るかによるわねー。今流行りと言えば……『天使の子』?」
「いや、『ミミズ人間5』!」
「げ、私パース」
「B級映画ばっかでよく飽きないな……」
そんな風にいつものやり取りをしていると。
ふと前から誰かが走って来た。息は荒く、何かを警戒するように周囲をキョロキョロと見回している。
長い金髪にファー付きフードの高専制服という特徴的な格好のその人物の名は。
「あれ、九々等?」
「うお!? ……ってなんだ虎杖たちか」
脅かしやがって、と額の汗を拭う新4年生・
「何してんの?」
「ハッ、そうだった!」
問われて思い出したのか、彼は再び周囲を見回す。そして何事かと呆けている3人に叫ぶ。
「とにかく、早く逃げろおまえら! 『奴』が来るぞ――」
だが、全ては遅かった。
ぬっと九々等の背後に現れた長身の影が、その肩をがしりと掴み、言う。
「――残念でした。捕まえたよ八壱」
「げえ、五条先生!」
現れたのは杖を突いた『元最強』の教師、
そんな五条に肩を掴まれたまま、九々等は廊下を引きずられていく。
「はい、改めて抜き打ちテストの時間だよ~! 赤点なら補修だからね~」
「待って、1日だけ! 1日だけ準備時間頂戴!」
「それじゃ抜き打ちにならないじゃん。と言う訳で却下ね」
「うわあああ、助けてくれー!」
最後に3人組に助けを求めたのも虚しく。
ばたん、と九々等が連れ込まれた教室の扉が閉じた。
廊下を何とも言えない空気が包む。
と、今度は背中側から4人組(3人+1匹)が彼等の横を通り過ぎていく。
「おかか……」
「仕方ないよ、今回のテストいつもより難しかったし」
「
「てか最近あのバカ教育熱心になってねえか?」
横を通った新3年生たちの話題。
そして先程の九々等の醜態。
――猛烈に嫌な予感。
虎杖と釘崎はできるだけ物音を立てずにその場から離れようとして。
「あれ。どこ行くの? 悠仁、野薔薇」
「「ギクッ」」
いつの間にか戻って来ていた五条悟の声に肩を跳ねさせる。
ギギギ、と錆び付いた機械のように背後の五条を振り向き、虎杖と釘崎は一縷の望みに縋るように問う。
「もしかして……俺達も、抜き打ちテスト?」
「赤点だったら放課後補習……?」
「正解。よく分かったね」
「「Noooooooo……!!」」
絶望に崩れ落ちる2人、対して伏黒は微塵の動揺も見せず。
「テストなんかちゃんと授業聞いときゃ解けるだろ」
「ハイ伏黒、今全国の学生敵に回したー!」
「そもそも呪術師に学力とか必要ないでしょ!」
「いやー、流石に一般常識くらいは身につけて貰わないとね」
「異議あり! 連立方程式とか将来1回も使わないと思います!」
「登場人物の心情とか理解できたからって何なのよ!」
「いや、知識なんかあるに越したことはねえだろ」
「恵の言う通り。悠仁も野薔薇も、そういう生意気は出来るようになってから言おうね☆」
結局さっきの九々等と同じ運命を辿る事になった虎杖&釘崎。
そんな彼等を『無限』で引きずりながら、教育に目覚めた教師は言う。
「賢くなってよ僕に負けないくらい。期待してるよ~」
「「五条先生の鬼~!!」」
高専に悲鳴がこだまする。
先は、長い。
■エピローグ
判決 懲役15年
2人殺害という罪状に対して異例の軽罰。自首と反省の念、凶器の確認が出来ず自白と証言のみが罪の裏付けとなったこと、そして弁護士側から提出された被告人の実績・人柄が主な減刑の理由。
尤も「呪術」という前例のない要素と、「不当な判決・司法能力に対する憤り」という犯行動機が裁判官の心理に影響した可能性は高いだろうが。
ともかく判決は下った。
後はただ、粛々と罰を受け入れるだけ――。
面会室。
一枚の硝子を隔て、来訪者は笑う。
「久しぶり、日車さん」
「……九々等」
一回り以上年の離れた、一言では言い表せない関係性の彼等は、透明な板越しに言葉を交わす。
「遅くなってゴメン。色々忙しくてさ」
「気にするな。そもそも
「それこそ気にしないでよ。約束したじゃん」
「……」
確かにそんなこともあったか。否、例えなくとも彼は来ただろう……九々等八壱とはそういう、眩い善性を持つ人間だから。
そんな彼は手提げ袋から何かを取り出し、机に置く。
「はいこれ、虎杖からの手紙。でオレからの差し入れなんだけど……オレ本とか全然読まなくてさー。何が良いとか分かんなかったから、とりあえずジャンプ買って来た」
「……そうか」
「日車さんって漫画読む? なんか希望あったら次はそれ持って来るよ」
透明な壁の向こうにでんと鎮座した少年ジャンプを見て何とも言えない感情を抱く日車。彼は小さく溜息を吐き……遠慮も駆け引きもなく、言う。
「何か用があるんだろう」
「えっ、なんで分かっ――あ」
「その様子だと本当らしいな」
本来、面会を許されるのは親族や弁護士で、友人などの関係性が曖昧な人間はその限りではない。刑務所長の許可があれば話は別だが……客観的に見て、九々等に許可が下りる可能性は低いだろう。だがある種の超法規的権力を持つ『呪術高専』からの圧力があれば話は別だ。
そして九々等は高専の制服を着ている。
ここまで来れば日車にとって推測は容易だった……即ち、高専が何らかの目的を持って、自らの元へメッセンジャーとして九々等を送り込んだという推測が。
果たして……九々等は観念し、一枚の紙を取り出しながら自白する。その紙は日車宛ての高専からの指令書だった。
「……確かに、オレは日車さんに協力を依頼しに来た、ってことになってる。死滅回游の
九々等の口から語られたのは、九々等や日車に呪いの力を与えたデスゲーム・死滅回游の現状だ。黒幕である羂索が死亡し、宿儺という最大の脅威が去って尚、永続を謳う死滅回游は今も日本を蝕んでいる。
特に、過去の術師の受肉体は目下最大の問題と言えた。現代の倫理観が通じない猛者たち。そのほとんどは未だ
「(……だが、それだけならわざわざ俺にお鉢を回したりしないだろう。最大の理由は、やはり俺の術式の特性か)」
受肉
その点、日車の『処刑人の剣』は魂に作用する為、受肉体を傷付けずに呪物の魂だけを消し去ることが可能。つまり高専にとって日車寛見とは、虎杖悠仁・天使と並ぶ貴重な人材なのだ。高専の権力で司法機関に介入する程に。
「(呪物から宿主を解放し、その術師が出す筈だった被害を防ぐ……『人を助けろ』、と言う訳か)」
日車は卓越した頭脳でそこまでを素早く推察し。
だが。
九々等八壱は透明な板を隔てた先で、ぐしゃりと指令書を握り潰した。
「でも実際、こんなのはオレの特級権限でどうにでもできる。
予想外……いや。何となく、彼ならそう言う気もしていた。
何故なら、その表情は。
「……不思議だな。オマエは俺に断って欲しそうに見える」
「……ま、実際そうだよ」
言って、九々等は自らの拳を見つめる。人を殺した感触の未だ残る拳を。
「いくら大義名分があったって、相手がどうしようもない悪人だったって……それでも、人殺しは人殺しだ。本来は死人で、他人の体を乗っ取って生きてるって言っても、オレは彼等だって全力で生きてるってことを知ってる」
受肉
ぎゅ、と拳を握り、九々等八壱は吐き捨てるように。
「あんな気分を人に押し付けるのなんて御免なんだ。それに日車さんは、もう十分苦しんだだろ」
思わず。日車寛見は目を細める。
とても直視できなかった。その善良さも。どこまでも強く輝く弱さも。
誰かが苦しむくらいなら、自分が――その先に待つものが何なのかを、弱者に寄り添い続けた日車は知っている。自己犠牲の果てには裏切りと失意しかない。それを伝えても、きっと九々等八壱は止まらない。
だから。
「……俺がオマエと同じ考えだとは思わなかったのか? 苦しんだのはオマエも同じだろう、九々等。それに俺の手はもう汚れきっている。秩序の為とはいえ、剣を振るうのはそういう奴の方が良い」
「それは、でも――」
「勘違いするな。俺が手を下すのは、オマエの『説得』が失敗して、尚且つ『死刑』が取れた場合だけだ」
「……なんで、そこまで?」
「司法に裁かれると決めたのは俺だ。刑期満了まで高専の命令に従う……それが司法の決めた罰だというなら異論などない。それに、」
そうして、日車寛見は。
九々等八壱と真正面から目を合わせて、言う。
「オマエのように、俺も好きな人殺しと嫌いな人殺しくらい分けるさ。今ここで見て見ぬふりをして、これ以上自分を嫌いになりたくはないんだ」
「……!」
虎杖悠仁。九々等八壱。未だ眩き善なる弱さ。
彼等を見ていると益々自分を嫌いになりそうで、一度は視界から遠ざけた。
目を逸らして、塞いで、楽になろうとした。
でもそれでは駄目なのだと思い直した。
向き合う――彼等に、罪に、弱さに。
例え眩い光に己の穢れを照らされるとしても。闇の中では見えなくなってしまう暗き罪に、もう二度と目を瞑ってしまわないように。
そんな日車の視線を受けて。
目を合わせ、視線を介してその意志を感じ取った九々等は。
こつん、と。ガラス板に拳を押し付ける。
「そっか。なら、オレたち『共犯』ってことで。後悔、しないでよ」
「……フッ、今更だな」
塀の内と外を隔てるガラスを挟んだまま、2人は静かに拳を合わせた。
それは覚悟と決意とを互いに誓う、言葉も文字も必要としない、対等な男同士の約定であった。
かくして制服を羽織り/ネクタイを締め。
並んで彼等は歩き出す。
道の先に待つものは、果たして償いか上塗りか。
どちらだろうと……次こそは後悔の無いように、2人で。
季節は夏。大輪の向日葵が、眩い太陽目指して高く高く咲いていた。
■エピローグ
記録――2029年6月
旧都東京 新宿跡地
「――もう10年か。長かったような短かったような」
街を往くのは白と金。
白髪に蒼眼、壮年にさしかかって尚曇らない美貌を持つ長身の男と。
鬣のような金髪に琥珀の眼を持つ、どこか獅子のような雰囲気の青年。
そんな金髪の青年は、前を歩く白髪の男に問う。
「……その件だけど。
「ああ。あの子の術式は本物だよ。
「学長が言うんならマジなんだろうけど……オレにはまだ信じられないんだよなぁ。この『呪いの坩堝』をどうにかできる奴が居るなんて、さ」
学長――
彼等を取り巻くのはかつての新宿の地など面影もない、異界。空気には呪毒が混ざり、風は不気味な囁き声を運び、生物の代わりに無数の呪霊が飛び回り這い回る。空は見えず物理法則を無視した無数の建物が地の代わりを果たす、濃密な呪いの満ちる異世界さながらの光景がそこにはあった。
――人間の負の感情が漏出し、それが向けられた先に吹き溜まる『呪い』。その呪力が澱のように積み重なると形を成し『呪霊』となる。唯一呪霊が出現する場所として公表されたここ東京には全国からの『呪力』が集中し、結果呪いの坩堝と化していた。
地方の呪霊とは二回り以上レベルが違う呪霊たちが所狭しと作り出す不完全な生得領域が異界を形成。そこへ知能を有する強力な呪霊が呪力と安全を求めて隠れ潜むため、調査の為に東京へ侵入した術師にも相当の被害が出ている。
正しく此処は人外魔境、現世に呼び出された地獄そのもの。
「相変わらずひどい有様だぜ全く。この光景を見て『ここが10年前日本最大の大都会だった』と思う奴は居ないだろうなぁ」
「だから元通りにしようよって話。次の世代の若者に夢を示すのが僕たち大人の役目だ。ほら、報告があった場所はもうすぐだよ」
そんな地を、彼等は歩く。
1人は杖を突きながら悠々と。
1人は手をポケットに入れたまま恬然と。
景色の歪んだ生得領域の中、無数に潜む呪霊たちは、しかし無防備に見える2人の人間を遠巻きに眺めるだけで一匹たりとも襲い掛かってこようとはしなかった。あるいは――彼等には2人の姿が、龍や獅子にでも見えていたのか。
倒れたビルの坂を上り。浮遊する建物の中の階段を下りる。
パイプで出来た渡り廊下を渡っている時だった。
「!」
九々等は上空に顔を向ける。その視線の先に居たのは――空飛ぶ鯨を思わせる醜悪な怪物、呪霊。人間など容易く丸呑みできるだろうその怪物は、牙を剥き出しながらこちらに向かって急降下してくる。
「ここはオレが――」
「いや、待って」
迎え撃とうと臨戦態勢に入った九々等を五条が制止する。
そしてこちらに急降下してきた呪霊は……近くの建物に頭から突っ込み、派手に瓦礫を撒き散らしながら不時着した。
こちらを襲ってきたわけではなく、ただ落下してきただけ。その理由を九々等もすぐ知る事になる。
「これは……傷?」
落下してきた呪霊の腹には、深い裂傷が刻まれていた。その傷が原因で飛行状態を維持できなくなった呪霊は、そのまま消滅反応を残して絶命した。
「(呪霊だって他生物と同じように殺し合いをしない訳じゃない……でもここは報告があった場所の目と鼻の先。これは、まさか)」
「どうやら今日が『その日』かな? ほら、行くよ八壱」
そして、彼等は辿り着いた。
呪いに歪んだ景色の中。比較的原型を残す、壁に穴の開いた廃ビル。目の前でぽっかりと開いた暗闇には、染み付いた禍々しい残穢のせいか、どこか肉食獣の塒のような雰囲気がある。
何かあるな、と2人は中を調査しようとして。
――斬!!
九々等と五条の足元に斬撃が奔り一線を引く。その線を超えるな、と雄弁に語る攻撃。
「おでましかな」
五条が呟き、九々等共々上を見上げる。
廃ビルに開いた穴の縁から覗いた赤い人影が、殺気立った様子でこちらを睨んでいた。
それは一見して、古い書物に描かれた餓鬼のようだった。全身は赤黒く、痩せた体躯は大人と比べると一回り小さい。その目にぎらぎらと滾る殺意もまた怪物じみている。だがよくよく見れば、それは全身が血で真っ赤に染まった、瘦せこけた幼い少年だった。
「(呪霊……じゃないな。血塗れの子供か……でもどうしてこんな所に居る?
少年はそんな九々等の内心の疑問に答えるように。その矮躯に見合わぬ強大な呪力を猛らせ此方を睨む。
「……とまれ。それいじょう近づくな」
「(マジか! この呪力量、もしかしたらオレより――) 成程、こりゃ『予言』は当たりかもな」
「! くるな!」
九々等の独り言に反応し、少年が咄嗟に腕を振るう――その軌跡から特大の斬撃が飛び。
バチン!! とノーガードの2人に弾かれる。
五条には届く前に斬撃が消え、九々等には命中こそしたもののダメージが無い。
「……!」
「学長。この術式」
「ああ。それに僕はこの眼で
「(にしたって随分警戒されてるな……ん? この呪力は……)」
九々等の呪力感知に感あり。少年の呪力が巨大過ぎて分かりにくかったが、彼の背後には確かに――。
「!」
瞬間、九々等の姿が掻き消える。
彼の体は少年の横をすり抜けて背後、穴の開いた廃ビルの中へ。
少年の背後に居た――否、倒れていたのはもう1人の子供。こちらは白髪で華奢、少年程ではないが血に濡れており、横たわったまま起き上がろうとする気配がない。何らかの病に罹っているのか呼吸も荒く顔色も悪い。少なくとも自由に身動きが取れる状態には見えなかった。
「成程、この子を庇ってたのか」
「――!?」
いつの間にか背後に回られていた――その事実に少年は驚愕しながらも、瞬間沸騰した敵意が反射でその肉体を動かす。
「ッ、そいつから、はなれろ!!」
ぐあ、と少年が力任せに腕を振り、先程のものよりも遥かに強力な斬撃が地平を薙ぐ。
が、斬撃が通り過ぎた場所には虚空しかなく。九々等の姿はいつの間にか元の場所に戻っていた。
「落ち着いてくれ。別に取って食おうってんじゃないんだ」
九々等が説得を試みる……も、トップにまで上がってしまった少年の警戒は解ける様子がない。臨戦態勢の彼に対し、九々等は何とか矛を収めて貰おうと言葉を重ねる。
「それに後ろの子はかなり衰弱してるぞ、早く治療しないと危ないかもしれない。……しかし捨て子がこの東京でどうやって生き延びたんだ? この辺は呪霊の生得領域に切れ目がない、食うものなんて見つからなかっただろうによく生きて――」
「ッ、だまれ!」
再び斬撃が飛ぶ。それを腕で苦も無く防御しながら九々等は説得を続ける。
「オイオイ、だから落ち着けって。オレたちはキミらを保護しにだな……」
「……ほご? つまり『たすける』ってことか?」
「そうそう――」
分かってくれたか、と九々等が笑顔を見せ……ぶあ、と吹き上がった禍々しい呪力がその勘違いを悟らせる。
少年の血で染まった表情にあるのは深い拒絶と絶望だけ。彼は呪霊よりも呪いじみた表情で全てを拒む。
「しんじられるか。おれたちをすてたのは
ずあ――!! と少年の全身から、留まることなく凄まじい量の呪力が立ち昇る。肌を刺す呪力が痛いくらいに伝えて来る、敵意、殺意。
「あーあ、八壱のせいだねこれは」
「言ってる場合かよ! しっかしこれが子供の力か? この呪力量に
――呪いの王。
周囲の呪霊が軒並み悲鳴を上げながら逃げていく。
暴走する呪力の嵐を真っ向から受けながら、九々等と五条は――笑った。獲物を前にした獅子のように、涼し気な春の空のように。
「これを1人で鎮めるのは中々大変そうだし……久しぶりに見せて貰おうかな。学長の元『最強』の力」
「勿論。八壱と共闘なんて何年ぶりかな……年甲斐もなく胸が躍るね」
その日から約1ヶ月間、新宿跡地からは呪霊が姿を消すこととなる。
それ程の爪痕を残す規格外の戦闘が、始まった。
東京高専内・秘匿拘束忌庫。
そこには呪符を貼り付けられた太い縄で後ろ手に拘束された、件の少年の姿があった。
全身にこびりついていた血を洗い流され、未だ十歳にも満たないだろう幼い顔を晒した少年に、彼を気絶させ捕まえた術師のひとり――金髪の男、九々等八壱は宣告する。
「――少年、キミの秘匿死刑が決定した」
その言葉に、少年は表情を険しくし拘束された腕に呪力を込める。そんな彼の様子を見ながら、正面にあった椅子に腰を下ろしながら九々等は続ける。
「まあ最後まで聞いてくれ。キミの選択次第では、死刑はオレと学長の権限で撤回させられる。ただ、今キミに好き勝手暴れられるとそれも難しくなる……できれば問題を起こさないで貰えると嬉しい」
「……」
「ありがとう。じゃ、順を追って話そう」
九々等の言った言葉の内容と彼の敵意の無さを理解し大人しくなった少年……その態度に九々等は微笑み、語り出す。何故少年が捕縛され、死刑になるに至ったのかを。
「――ウチの新入りに『予言』の術式持ちが居てな。まあ何かと要領を得ない予言ばっかなんだが、ソイツが言うには、『凶星の生まれ変わりが呪いを滅ぼす』らしい。今高専はその解釈で真っ二つに割れてるんだ。『呪いを滅ぼす』ってのは、『呪いの坩堝である魔都・東京が呪いから解放される』って意味か、それとも『呪術師ごと全部滅ぼされる』って意味かって具合にな」
び、と少年の額に指を突き付け。金髪の術師は悪戯っぽく笑いながら告げる。
「だからまあ、キミは爆弾ってわけだ――世界を救うのかあるいは滅ぼすのか、まだ誰にも分からない爆弾。自分の立場は理解できたかな? 『凶星の生まれ変わり』くん」
突き付けられたのは、生まれながらに背負った『呪い』。
故郷がどこにあったのかは知らない。知っているのは罵声と怒号、拒絶と暴力……そして周囲が気味悪がった、自分と
自分にとって、この力を振るうことが「生きる」ということだった。
だが、今は――。
「……おれはどうすればいい」
「ここ高専で呪術と倫理を学んで貰う。
「……あいつは。おれが死刑になったら、
「あいつ? あー、あの白髪の子ね。妹? まあオレたち五条派は保護するつもりだけど、保守派にとっちゃ生かしとく理由もないし。生きるか死ぬかは五分五分じゃない?」
「……!」
少年の表情が変わる……と同時、彼を後ろ手に拘束していた縄が解けた。
少年が何か抵抗したのではない。信頼と誠意を示す為、拘束した側の九々等が自ら解いたのだ。
「安心してくれ、別に鎖で縛り付けようってワケじゃない。オレたちが与えるのは力を制御する術と背を預けられる仲間、そしてあの子含めたキミたちの安全だ。学長風に言えば『青春』ってヤツかな。保守派が出張ってきたら五条派総出で守ってみせる。後悔はさせない――それは保証するよ」
「……なら。もし力をつけたおれがうらぎったら」
「そん時はオレが拳骨喰らわせてやるさ。なにせオレは『最強』だからな」
にっ、と歯を剥き出して笑い。
九々等八壱は少年に手を差し伸べる。
「さあ、どうする?」
この手を取るか、それとも。
差し出された二択に、特大の呪いを背負って生まれた少年は――。
呪いは廻る。
邪悪が消えても、巨悪が倒れても、人が人として生きる限り戦いの連鎖は止まらない。
人は負の感情を抑える事などできない。きっと誰もが、己が死を招く呪いを無自覚に振りまいているということを理解しないしやめられない。
呪いは廻る。廻り続ける。
嗚呼、けれど――廻る呪いがある限り、それに抗う者もまた。
季節は春。
桜舞う高専の境内で、青年と幼子が並んで歩く。
「ホラ、ちゃんとボタン止めな。これからキミを鍛えてくれる先生に会うんだから」
「……なに? オマエが『じゅじゅつ』をおしえてくれるんじゃないのか」
「オレは『最強』だから忙しいの。でもぴったりの凄腕先生が居るから安心していいぜ」
噂をすれば影が差すとでも言うべきか。
視線の先。
その教師は春風の中、こちらに背を向けて立っていた。
「虎杖ー! 連れて来たぞ!」
「――」
九々等に呼ばれ、彼は振り向く。
そして、10年越しに/初めて目が合い。
高専教師――
「――よろしくな、
廻る呪いの戦いは続く。廻るたび
あとがき
ここまで読んで頂き本当にありがとうございます。
最初はただの思い付きだったものが、読者の皆様の存在でここまで続き、広がりました。呪術廻戦という作品への愛をこんなにも存分に表現できたのは、ひとえに読んでくれた皆様のお陰です。正直自分は書いたものを読んで下さるだけで充分嬉しいのですが、評価・お気に入り・感想等は明確にモチベになったと言わざるを得ません。作品の評価や認知にはどうしても運が関わる以上、自分は望外の幸せ者だと自覚しています。(にもかかわらず感想への返信が安定して出来なかったのは本当に申し訳ございません。自分はどうしてもメンタルが安定しないタイプでして……感想には全部目を通しておりますし、あなたの感想は確かに自分に力を与えてくれました)
さて、本SSはここで今度こそ最終回となりますが、本当の意味でお別れが来ないのが物語の良い所だと思います。いつか読者の皆様が呪術廻戦という名作を思い出したとき、「そういえば好きが高じてこんなSSを読んだな」とぼんやりとでも思い出して頂ければ……あるいは九々等の信念や行動が皆様の心に少しでも爪痕を残せたなら、それだけでこの作品と読者の皆様との絆は消えないのかな、と夢を見て。
とはいえ自分はまだまだ創作を続けるつもりなので、趣味とタイミングが合えばまた新たに出会うこともあるかもしれませんが……。
ともかく、最後は「呪術廻戦のSS」らしく。
いつか またどこかで!
【挿絵表示】
モジュロ編やるなら
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同枠(「9×9=」≡編)で再開
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別枠(SS「9×9≡」)で開始