p.m.5:37,12/24, ロドス内部 商店街通り
冬の冷気が私の息を白く染め、袋を下げていない方の手を外套のポッケに突っ込みます。店の外は暗く、街灯が薄暗い街にぼんやりと光を灯していました。往来を行く人たちは皆、迫る年の瀬を念頭に入れているのかどこか楽しそう。腕を絡ませて歩くヴァルポのつがいに、路上で戯れるザラックの子供たち。大人の背丈に匹敵するようなプレゼントを抱えた年配のフォルテの紳士。
雪でも降り出しそうな寒さに私は肩を竦めながら、一人大通りを歩きます。
(私も、誰かお誘いしようかしら。)
ふっと浮かんだだけの、何をするのかさえ考えが及んでいない。益体もない思い付きですけれど。そんな考えが浮かんだこと自体、少し驚きがありました。〝毒物〟の私が、誰かと一緒に過ごそうだなんて。
(人恋しくなる季節ですわね。)
真冬の身に染みる寒さは、記憶の底にある、人肌の温もりへの渇望を呼び起こします。ロドスに来る前の私は、誰かと仕事以外のつきあいをしようだなんて思いもしませんでしたけれど。こちらに来てからというもの、私の周囲は変わりました。私に声を掛けてくださる方がいますし。…私に触れることを、厭わないでくれる方がいます。
街灯向こうの曇り空を見上げます。
ドクター。今、どうなさっているのかしら。
日中はドクターの秘書として、私はドクターの業務のお手伝いをしておりました。夕刻に今日はここまでとドクターに言われたので私は買い出しに出ていますが、ドクターはまだ仕事場に残っている可能性はあります。次の作戦に向けて頭を抱えていらっしゃるかしら。それとも、溜まった事務仕事を片付けているかしら。
私の溜息が、白く染まって寒空の下に消えていきます。
(もしよろしければ、皆様の前で。私の手に、触れてくださるかしら?)
以前そう尋ねた時は、はぐらかされてしまいましたけれど。私は、ドクターとの関係を…。別に、周囲の人に誤解されても構いませんのよ。
毒物としての私の存在を受け容れてくださって。傍にいてくださって。私にとってドクターは、かけがえの無い方ですから。
ざわつく胸と熱を持った頭が、冬の冷気で冷えていきます。少しは冷静さを取り戻します。
…私の想いに。答えを出してはなりませんわ。急いではなりません。ドクターとの今の関係を、壊したくありませんもの。私の身勝手な想いだけで、関係に亀裂を入れるようなことは断じてなりませんわ。ドクターは、どなたのものでもありませんもの…。
年の瀬を誰かと過ごしたいという、そもそもの思いつきに私は戻ることにします。
お誘いをするのに、どういう口実が必要かしら。自分から人を誘うのはとても勇気の要ることですわ。私が毒物であることを気にしないでくださる方に声を掛けるとしても、やはり私からお声掛けをするのは気が引けます。
〝毒物〟らしくないことはやめるべきでは。そんな考えが頭によぎる一方で。これも自身の運命を変える一歩ですもの。たとえ失敗があったとしても、胸を張って挑戦するべきですわ。そんな声が胸の内で上がります。
期待と不安の入り混じったそわそわした気分。慣れない気分を抱えながら、誘いたい方を思い浮かべながら大通りを歩いていますと。
念じれば何とやら。噂をすれば何とやら…。
私はふいに足を止めました。なぜなら通りに面した店のショーウィンドウ前に、腕組みをしたまま硬い表情をしたドクターがいらっしゃったのですわ。何かを買おうと考えているのか、頬杖をしたり左右にうろついたり落ち着きがないご様子。
「ごきげんよう、ドクター。」
私の呼びかけに驚いたような反応のドクターですが、すぐに雰囲気を和らげてやあと挨拶してくださいます。
「どうなさいましたの?見たところ、ずっと店頭にいらっしゃるようですが。何かお探しですの?」
ドクターは少し躊躇った後、人に渡す物を探している、と仰いました。
「まあ。ドクターが贈り物をなさいますの?」
ドクターはこくりと頷きます。日頃世話になっている人に、たまには贈り物をしたい。ただ、どれを選べばいいか分からないで困っている、とのことでした。
ドクターが立っているのは鞄の専門店の前でした。きっと、この店でお目当ての品を探していたのでしょう。
「…お相手は、どんな方ですの?」
女性だ、とだけ答えました。
「そうですの」
私は黙りました。〝そのお相手は、私ですか?〟なんて聞ける筈もありません。きっと、違う方への贈り物ですわ。
ロドスの実働部隊で信望厚いドクターは、様々なオペレーターから人気です。私以外にも、沢山の方がドクターの周りにいますの。きっと、その内の誰かへ向けた贈り物でしょう。一番濃い線は、リーダーのアーミヤさんに向けた物でしょうか。
でも、誰に向けて贈る物か、と尋ねるのは無粋ですわ。興味本位で人のプライベートを探ろうとするなんて美しくありません。それでも、ドクターが私以外の誰に贈り物をするのか。…それを考えるだけで、私の胸は焼かれたような痛みを覚えます。
「それは大変ですわね。」
私の言葉に、棘が混じるのを止められません。
(ドクターは、贈り物をするのに慣れていませんでしょうから。せいぜい頑張ってくださいまし。)
ドクターを突き放そうと言いかけた言葉を、私は思い止まります。
私の一時の感情で、ドクターを苦しめるのは間違っていますわ。ドクターは善いことをされようとしていますの。それに、女の嫉妬は醜いですわ…。
自身にまとわりつく自己嫌悪を振り払って、私はドクターに向き直ります。
「もし、ドクターがよろしければ。私がお手伝いしましょうか?贈り物を選ぶのを。」
ドクターはまた驚いた、といような反応を見せました。
「ドクターのお役に立ちたいんですの。私、服やファッションのコーディネートには自信がありましてよ。それにドクター。女性への贈り物として鞄を贈るのは良い選択と思いますが、トレンドや相手の特徴を踏まえた上でのベストな鞄選びは難しいものですわ。
お相手のコーデを考える上で、その方の特徴や好みをお聞きする必要は出てきますが。ドクターがそれでも良ければ、お手伝いしますわ。」
もしこの手伝いでプレゼントのお相手が誰か分かってしまったとしても、私は追及しないつもりでいました。嫉妬に駆られてお相手と対立するのは愚か者のすることですし、それに何より、私はこの場を去ってドクターの傍にいられなくなるのが嫌でした。ドクターのお役に立つことで、そのお相手よりもドクターとの距離を縮めたいと思ったのですわ…。
ドクターは少し思案げにした後、なぜか納得したような、満足げな表情で首肯しました。
私とドクターは鞄の専門店に入店し、私はドクターから予算を聞きます。
「さて、ドクター。お相手のことを教えて頂けますか?具体的には、お相手の種族や普段身に着けている物とか、ですわ」
ドクターは〝その必要はない〟と言いました。
「はい?」私は呆気にとられます。そして、ドクターは続けます。
〝アズリウスの好きな物を選んでくれていい〟
ドクターは上機嫌そうに腕組みをしています。私の凝視に、少し照れて頭を掻きます。
「そういうことですの?」
ドクターは頷きます。全てを悟った私は、恥ずかしさのあまり顔から火が出そうになっていました。
「いえ、あの、その」
私は俯いてしまいます。そんな、どうして、私が。
「頂く物を選ぶつもりで、手伝うと言った訳ではありませんのに…」
ドクターは贈る相手について黙っていたことを私に詫びました。ただ、やはり自分にはアズリウスの喜びそうな品物は選べない。アズリウスに選んでほしい、と言うのでした。
嬉しさと喜びと恥ずかしさが体中を駆け巡っていて、私は平静を装うことが出来ませんでした。お顔をドクターに見られたくなくてうずくまりたい気持ちすらありますが、店内の人目もあります。ドクターから顔を逸らしたまま、鞄選びを再開することにします。
「…これ。これに、しますわ。」
ドクターと目を合わさずに、選んだハンドバッグだけ見せます。ドクターは私から満足そうにバッグを受け取り、レジへと向かっていきます。
会計を終えて戻ってきたドクターは、私にバッグを手渡してくださいました。
「ありがとう、ございます。」
人が買ってくださったというだけで、どうしてこんなにくすぐったい気持ちになるのでしょう。頂いたバッグが、私に向けて親しげに微笑んでいるかのような錯覚すら覚えます。
他に何か言わなくては。ありきたりなお礼の定型句だけでは、足りない気がして。
「大切に、しますわ。」
私はバッグをそっと抱き締めます。ドクターは満足そうににこにこしていらっしゃいました。
私とドクターが店を出たところに、「あれ」と声を上げる方がいました。
「アズリウスさん。それにドクター。こんばんは。」
「あら、グラウ。」
グラウコスはロドスの同僚で、私の毒を恐れないで接してくださる、稀有な友人ですわ。
ドクターと共に店を出てきたことや、私が手にしている新品のハンドバッグについて何か言われるかと思いましたが、当人はそのことについて気にしている素振りは見せませんでした。
「グラウと外で会うのは珍しいですわね。どうかなさいましたの?」
「食料が尽きてしまったんです。寒いしあまり外に出たくないんですが、こればかりは仕方ないので。」
お腹に手を当てているご様子から、既に空腹なのでしょう。
グラウは何か言いたげに私とドクターの正面に立ち尽くしていました。どこかもどかしそうにした後、それでは。と一礼してその場を辞そうとしました。
「グラウ。」
彼女の背中を私は呼び止めます。
「もし、宜しければですが。この後、一緒に食事でもいかが?」
私は思い切って、彼女を誘うことにしました。
グラウは少しぼんやりとした後、
「いいんですか?」
と驚いた表情を見せて、目を輝かせます。私はほっとします。
「ええ、勿論。グラウは、私の大事なお友達ですのよ。」
思わぬ流れになりましたが、これで一人。誘いたかった友人をご飯に誘うことが出来ました。
そして、この機を逃してはならないと思い、私はドクターにも目を遣ります。
「ドクターもいかが?まだ、何を食べるかも決まっていませんが。」
喜んで、とドクターは意気込みを見せました。ドクターは食事のこととなると急に活き活きとし始めます。そして、「食べる物が決まっていないのなら、鍋はどうだ」と提案してくださいました。
「良いですわね。この季節ならではの料理ですし、私は歓迎ですわ。」
それに、誰かの家で鍋を囲むという光景に。私、憧れがありましたの。
「ドクター、鍋に変な物は入れませんよね。」
グラウの言葉にドクターは焦って首を横に振ります。その焦り具合、何かをお入れになるおつもりだったのでしょうか…。
ともかく、私達はドクターの部屋に集まって鍋をすることになりました。
「もう一人、お誘いしたい方がいるのですが。お誘いしてもよろしいですか。」
私はアリアに電話を掛け、四人での鍋パーティーが決まりました。
p.m.7:14,12/24, ドクターの私室
インディゴ(私は本名のアリアで名を呼んでいます)と合流した後、私達は皆で買い出しを済ませました。
四人で鍋を囲み、買ってきた具材を鍋に入れます。ぐつぐつと煮えた鍋からは白い湯気が上がり、鍋を囲む私達のお顔を温めます。
「ようやく一息つけますわね。」
私はほっとしました。振り返ってみると、ロドスのオペレーター三人とドクターの買い物は、なかなか滑稽なものでしたわ。まず私達オペレーター三人は、揃って鍋の経験が貧弱でしたの。スーパーの売り場で、「これは具材にしてもいいのかしら」なんて顔を突き合わせて悩んでいたのですわ。そこで、ドクターが教えてくださることと端末で調べた情報を元に、私達は分担して具材を調達しました。白菜、おネギ、春菊、レタス、お肉etc...
お肉をやたら入れたがるドクターを制止して、バランス良く具材を選んだ後。私達は購入した具材を袋に詰め、ドクターの私室にお邪魔したのですわ。
「温かいですね。そして、明るい。」
アリアが端正なお顔を綻ばせて、蒸気を上げる鍋を眺めながら感慨深そうに言います。
「人を導き、照らす光とは違いますけれど。この光を人が求めるというのも、分かる気がします。」
「鍋の光…と言うと、大層な物言いですわね。」
私はちょっと冷ややかに言いました。
「共に食べる相手がいる人の、逸楽に過ぎませんわ。」
今は一人で鍋をする人もいるから、必ずしも集団で食べる物ではないが。そうドクターが注釈をつけた後、それに、と続けます。
アズリウスも今。皆で鍋をしてるじゃないか。そう言ってドクターが笑います。
「そう、ですわね。」
私は目を伏せます。
「きっと、慣れていないんですの。自分が、こうして皆さんと顔を突き合わせながら、鍋を囲んでいるということに。ここに、自分がいるという実感が湧かないのですわ。」
グラウに思い切ってお誘いをしたあの一言があって、目の前の光景が広がっています。アリアにグラウ、そしてドクターが、私と一緒に鍋を囲んでいるという光景。もしあの誘いをしていなければ、この光景は存在しておらず、私はいつも通り一人で食事をしていたことでしょう。寒さを紛らわせながら、独りで。
「アズリウスさん。私もです。」
そう言って身を乗り出して来たのはグラウですわ。そんな彼女の熱心な様子は見たことがなかったもので、少し気圧されてしまいます。
「ロドスに来てからというもの、私にとって輝く大切な記憶ばかりですが。今日のことも、きっと大切な思い出になると思います。とにかく、ありがとうございます。」
彼女はたどたどしくも、熱心に想いを伝えてくれようとしています。
「誘ってくれて。ありがとうございます。」
「こちらこそですわ。グラウ。」
私は微笑みました。
きっとグラウも私と同じで、周囲からの不寛容と拒絶に苦しんできた人なのでしょう。グラウを誘って良かった。そう思えます。
そろそろ煮えた頃だろう。ドクターが菜箸で具をつつきながら言います。食い意地の張ったドクターですわ、我先にと鍋の具をお椀によそっていきます。
そして、よそったお椀を、私に向けてくださいました。
きょとんとしている私に、ドクターはほら、と催促します。
主催から。この集まりを言い出した私から、食べる権利があると。そう言ってくださってるようでした。
「…ありがとうございます。」
私は温かい、湯気の立ち上るお椀を受け取りました。
p.m.9:15,12/24, ロドス内部 大通り
ドクターの部屋で温かい鍋に舌鼓を打ち、皆でお腹いっぱい食べた後。ドクターの部屋を後にしました。
外は依然として気温は低いままですが、鍋の温かさがまだ体に残っていて、寒さもそれほど気になりませんでした。
四人での集まりは解散となり、アリアとグラウはそれぞれ帰路に着きました。私は少しやることがありますからと伝えて、二人を見送った後。私はドクターと路地を歩いていました。
楽しかったな。傍らのドクターが語り掛けます。ええ。とっても。ぽつりぽつりと言葉を零します。
私の手には、ドクターから頂いたハンドバッグが握られています。
「ドクター。」
隣を歩きながら、どうしたと声をかけてくださいます。
「いつも、ありがとうございます。」
ドクターは怪訝そうな顔をしています。
「ドクターには本当にお世話になっていますの。ドクターのお話は私の知見を広げてくださいますし、ドクターやアーミヤさんがロドスの中心となって皆さんを繋げてくださるお陰で。毒ゆえに忌み嫌われやすい私も、比較的心穏やかに過ごせているのですわ。感謝の念に絶えません。」
ドクターは肩を竦めました。大したことはしていないという様子でしょうか。
「私はドクターとお会い出来たことを、この上なく感謝しています。だから、知りたいんですの。」
どうして、私に。贈り物をくださったんですの?
そう問い掛けて、私は隣のドクターに目を合わせます。
私がオペレーターとして活躍しているからとか、私がドクターの秘書を務めているからとか。
仕事上の功績という理由だけでは、私、この贈り物に納得出来ないんですの。
いえ、納得出来ないのではなくて、…期待しているのですわ。ドクターが特別に、私に贈り物をくださった理由を。
〝アズリウスの好きな物を選んでくれていい〟
毒物としての私への憐憫でもなく、哀れみでもない。ドクターの忌憚の無い気持ちが、私は知りたい。
私の言葉に込められた真摯さを受け取ったのか、ドクターは顎に手を当ててうーんと考えているようでしたが、暫しの黙考の後に口を開きました。
アズリウスの喜ぶ顔が見たかったから。そうドクターは答えました。
【自分も、どの種族にも属さないことに孤独を感じることがある。ロドスという集団の中でも、自分の異質さから感じる皆との隔たりに苦しむことがある。孤独に苛まれた時、アズリウスのことを思う。】
アヌーラの私。集団に馴染むことの出来ない、〝毒物〟としての宿命を背負った私。
【自分自身に一番傷ついている君に。アズリウスには、幸せになってほしい。】
ドクターはそう言って微笑みました。
大通りは道行く人で賑わっていて、年の瀬の賑やかな雰囲気で満ちています。私はドクターの隣で、俯きがちに歩きます。
(ドクター。私の幸せが何か。ご存知かしら。)
胸の内で問い掛けます。
(それは、…あなたの傍に、いられることですわ。)
この世には私以外にも、運命に翻弄されて苦しい思いをしている人はいくらでもいます。
(それでもドクターが、私を選んでくださるのなら…。)
私はドクターの方を向きます。
「ドクター。お願いがありますの。」
ドクターもこちらを向きます。
「ここは大通りで、人目につきやすい場所ですわ。私に触れても何も起きないことを、人に知ってもらう機会になると思いますの。
だから…。私と。手を、繋いでくださらないかしら…」
言葉が終わると同時に、私は羞恥に耐え切れなくなって目を伏せてしまいます。
ドクターはどぎまぎした様子を見せた後、覚悟を決めたのか私の手を取ってくださいました。
二人手を繋いで大通りを歩きます。
繋いだ手からドクターの温もりを感じて、私の胸はいっぱいになります。ドクターの手は大きくて、包まれているととても穏やかな気分になります。
(いつか、私の想いを伝えられる日が来ることを夢見て。今は、これで満足ですわ。)
通り沿いの建物の窓から明かりが漏れていて、賑やかな笑い声が響いてきます。その幸せな雰囲気に、ふと自分も先ほどまでそんな暖かい空間にいたことを思い出します。
(今日は、本当に幸せなことばかりでしたわ。)
ドクターの私室での団欒を思い出します。グラウがいて、アリアがいて、ドクターがいて。皆湯気の向こうで笑顔でした。
(私の今日経験したような奇跡が、街の明かり窓一つ一つの向こうでも、起きているのかもしれませんわね。)
団欒は既に遠くなれど、その思い出が私の胸の中で温かく、いつまでも煌めいているのですわ。