愚王日誌~我は勇者を追放する~   作:I'mあいむ

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全てを忘れ、知らずに世界は進んでいく。その歩みは止まらない。理想を選べぬ敗者達が、それを望んだのだから。

これは、魔王討伐の物語だ



Episode.魔王

 

「………何の用だ?」

 

赤い、紅い朱い空。血のような色がどこまでも広がっている。黒い、あの暗雲が光を遮っている。ここはいつも薄暗い。数十年前に求めていた、その果て。最高の景色だ。

 

「……頼みがあります」

 

何故、今更お前と会わねばならないのか。きっと厄介事なのだろう。それぐらい、俺にも分かる。

 

「内容は?」

 

「…─────」

 

嗚呼、成る程。結局そうなるのか。あの時の選択はやはり正解だったんだな。

 

「…それしか無いのか?」

 

「……はい」

 

そうだよな。お前がここに来たってことはそういうことだ。

 

「…………分かった」

 

「よろしいのですか?」

 

よろしく無かったらどうなったと言うんだ。やらねばならないことならやるしかないだろうに。

 

「分かってただろ。だから、あの誓いにしたんだ」

 

こうなる予感があった。お前が失敗する気はしてたんだ。だから俺を使うなとは、一言も言わなかったんだ。

 

「……何故、そこまでしてくださるのですか?」

 

そんなの決まってるだろう。たった一つだ。

 

「……気に食わない奴を殴るのに、理由がいるのか?」

 

◆◆◆

 

魔王、という存在を知っているだろうか?

 

魔族の王、という意味合いを持つ言葉だ。魔族を統べ、魔界を操る。魔族全ての頂点。それが魔王。要するに、全ての魔族をどのような形でも良いから黙らせて、トップに立った奴らの総称だ。

 

「それで、また失敗したと?」

 

「……はい」

 

「あー……すまねえ」

 

側近からこの報告を聞くのも何度目だ?

 

俺達は失敗している。失敗し続けている。それは今までの結果が示していた。

 

「いえ、魔王様は何も悪くないのです。我々が」

 

そんなことはない。お前らがどれだけ苦労をしているか俺は知っている。今まで最良の選択をしてきた筈だ。未だに過去の選択が間違いだと思えない程に。それ以上の策が思い付かなかった程にだ。

 

最早何故勝てないのか俺には分からない。魔王になった時のような全能感はとうに消え失せてしまった。

 

「そう自分を責めるな。いや、それにしても相変わらずだな、あの国は」

 

「…そうですね」

 

勇者王国、フォーティスディア。現存する記録の中で最古の勇者、初代勇者と言われる人間が建てた国。

 

我が魔王軍はそこと戦争をしているのだ。

我が国とフォーティスディアには明らかな戦力差がある筈なのだ。埋められない程に強大な差が。圧倒的優位に立っている筈の我が国。しかし、勝つことが出来ない。

 

「何なんだろうな。どうしても攻めきれない。この戦争が始まって十年程か?」

 

「ええ、丁度今日が」

 

「……気味が悪い国だ。当初の予定なら2ヶ月で落とせる筈だったんだが」

 

今から十年前、俺達はあの国に戦争を仕掛けた。

敵国の調査を怠らず、人間の価値観や考えを理解し、知略の限りを尽くして攻撃を仕掛けた。数も質も我が軍に軍配が上がる中、国情までガタガタの国。

そんな国に我々は全力で挑んだのだ。歴代魔王の失敗を見れば、人間に対して油断をすれば負けることなど、容易に想像がつく。

それ故の全面戦争。勝ちを確信していた。俺達が何もしなくても滅びるのは時間の問題、の筈だった。

しかしこの10年間、大勝どころかまともな勝利を得られたことすらない。奴らの防衛ラインは突破出来ず、我が軍の数が少しずつ減らされていく。あちらはもう限界の筈だというのに、まるで不死身かと言うように何処からか兵が沸いてくる。

 

あちらに負けたことはないが、勝ちきることも出来ない。まるで見えない何かに操られているかのように、この戦争はいつまでも終わらない。今や血で血を洗う戦争は地獄の様相を呈している。

 

あの国に何があるというんだ?……本当に、気味が悪い。

 

「まあ良い。俺達が負ける可能性は依然として無いのなら、やり続けるしかない」

 

「はっ、明日は幹部を召集し会議を開く予定になっておりますが、よろしいでしょうか?」

 

「ああ、久しぶりにあいつらと会えるのか。楽しみだな」

 

現在各地に散らばりそれぞれの任務を遂行している六体の魔王軍幹部。俺が魔王に登り詰める過程で手にした最高の仲間だ。しかし……

 

「それでは、私はこれで」

 

「側近」

 

「どうされました?」

 

「………油断するなよ。今は無くても、いつか負ける可能性が出てくるかもしれないからな」

 

誰もがそうして足を掬われ、動かぬ死体となり彼の国の大地に沈んでいった。この戦争は混沌だ。どうなるのか分からない、結末の行方が知れない魔境。どう傾いても何ら不思議ではない。

 

「それは……」

 

「疑い続けろ。敵だけでなく味方も。いいか?」

 

「はっ、肝に銘じておきます」

 

俺達は今、何と戦っているのだろうか。不穏な結末が頭をよぎった。

 

◆◆◆

 

俺の生まれは平凡だった。魔族として平凡。親からの愛を受け取り、スクスクと育った俺は唐突に魔族の現状を目の当たりにすることになった。

 

幼子が少年となり、成体となるその少し前。

 

痩せこけた土地が広がり、海も川も枯れている、魔界という大陸。

死んだ大地の空気を吸い込み吐けば、途端に喉が潤いを求めて悲鳴を上げる。腐臭と喉に突き刺さるような空気があふれている場所。何も出来ず、何も知らず死に絶えていく者達がどれだけ多いことか。数少ない食料を取り合う為に命を削り続ける民に、俺は自分がどれだけ恵まれていたのか、酷く痛感した。

 

それでも魔界がまだ魔界であった理由は上の者達の統治が何処までも適切だったからだ。恵まれない代わりにこの大陸には豊富な、過剰な程の魔力で溢れていた。そのお陰で水を出すことも土壌を改善することも出来ていた。しかしどうしても人手が足りない。それらの生活的な魔法を覚えられる者達がどれ程居るのか。それに、どんなに魔力が豊富な土地でも体が吸収するのには時間がかかる。

 

魔界はあまりにも不遇な大地だった。だからこそ、人間界への侵攻を、我らをこんな土地に追いやった人間の支配を企んだ。

 

幸いにも魔族は強さを持つ者にこそ価値がある。勝利こそが価値となる生物だ。それ故に俺は成り上がった。この拳を信じて、知略を駆使して、数百年間の戦いに身を投じた。敗北する度に辛酸を舐め、地獄のような思いで覇道を進んだ。

 

全て終わり、仲間と共にこの魔界を統一した。全ての魔族を跪かせ、その代わりに人類の支配という希望を与えた。絶対に果たしてみせると、準備を怠らず、民の思いを一つにし、その為の統治を怠らなかった。しかし魔族は魔族。人間ほど知に精通する者はそう多くなかった。

 

それでも勝てると確信し、この戦争は始まったのだ。

 

 

 

しかし、この時から既に間違えていたのだ。そうなる運命でしかなかったとしても、そうするべきではなかった。運命の糸はもっともっと前から手繰り寄せられ、道は一つ、また一つと閉ざされていたのだから。

 

 

 

 

 

「それは本当か!?」

 

「はい、遂に」

 

「そうか……俺達はやっとフォーティスディアを……」

 

彼の国が遂に滅んだ。あの国がだ。

 

切迫した状況に勇者の台頭。次々と倒されていく幹部達は皆一様に大切な仲間だった。決死の覚悟で起こした突撃戦は、今までただの一度も突破出来なかった防衛ラインを破り、奴らの首都を陥落させるに至った。

 

今でも信じられない。難攻不落とも思われたあの首都が落ちるなぞ夢にも思わなかった。

 

「………ここからだ」

 

「ええ」

 

「10年越しのスタートラインだ、側近!」

 

もう俺達には時間がない。勇者が向かってくるのなら、その前に全てを終わらせてやる。

 

人類との戦争は、ここからだ。

 

「ここに」

 

「全軍を集結させろ。今から、世界征服を行う!!」

 

「はっ!!」

 

 

 

この時……そう、あの時にどうして感じとれなかったのか。違和感を、不穏な予感を覚えていればどれだけ良かっただろう。

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……勇者、貴様ァ!」

 

俺は間違えた。この状況になって初めて、その失敗を自覚した。

 

幹部も、側近も、全てが倒れていった。勇者の前に屍と化した。

 

この災厄とも言うべきナニカは、本当に一介の生物なんだろうか。

 

分からない。もう全てが分からない。

何故俺は今膝をついている?どうして奴を下から見上げている?俺は魔王ではないのか?この世全ての魔族の夢を、期待を背負っている存在ではないのか?ならばこの醜態は何だ?奴は人間ではないのか?

 

だとしたら、今ここに居る俺は何者なのだ?

 

「これで終わりだ、魔王……!」

 

「あ……ァア……」

 

これで終わりなのか?俺の夢は、魔族の夢は、また敗れるのか?

 

ああ……視界が揺らぐ。どうして?何故こんなにも寒いのだ?

 

そうか、これは……嗚呼、俺の夢が潰えていく……あいつらの全てが消えていく。駄目だ、駄目なんだ

 

「俺は……まだ……ァ……」

 

◆◆◆

 

意識が沈む。記憶が、走馬灯が、深層心理への空気抵抗のように流れてくる。

 

『これはね、先祖代々私達に受け継がれてきた物なの。昔は重要な物だったらしいけど、今では古びた首飾りね』

 

母様との記憶か。俺の母はもう死んでいる。父も同様に。俺が魔王となる前に死んだのだ。どうしようもない不治の病。こんな枯れた土地では、死が余りにも近すぎる。

 

『あなたがしたいように生きなさい。魔族のことなんてどうでも良いの。魔族も人間も関係ない。人間にも良き人は居るし、魔族にも悪どい魔物がいるわ』

 

………そうか。確かに母様はそんなことを言っていたな。だがどうあったところでこの大地で魔族が生きるのは苦しい。歴代の魔王もその犠牲に目を瞑って戦争を仕掛けたのだから、現実問題やるしかないだろう。

 

 

『君が魔王になるというのなら、託すとしよう……決して、後ろを向くな。過去を振り返るな。歴史から何を学んだとしても、我々の失敗を知ろうとするな。君は進め』

 

先代魔王派閥のリーダー、俺が魔王になる前、最後の戦いがこいつとの争いだった。こいつらが何故人類への侵攻を諦めたのか、今でもそれは定かじゃない。だがそれは知らなくて良いことだったんだろう。この言葉はそういう意味だった。

 

 

『魔族の夢?そんなもんねえよ……ああ、そんなもんはねえんだ。それを作るのはお前だよ。………そう、お前だ。お前、魔王になるんだろ?なら、お前が作ってやれ。魔族がしたいことを、するべきことを、お前が決めて、期待させて、そうやって作るんだ。それが王ってもんだろ』

 

こんなことを言われたのはいつだったか。まだ俺もこいつも魔王や幹部なんかじゃなくて、只の魔族だった頃に話した気がする。俺の一番信頼できる相棒。幹部になってからお前と会う機会は減っても、考えが通じあっていた仲間。

俺はお前の言葉で、王になったんだ。魔王が作る未来、夢、希望。馬鹿なお前が、実は誰よりも賢くて、ずっと隣で先を見通していたお前が、唯一俺に教えてくれたこと。今にして思えば、仲間が増えていくと共にお前は身を引いていった。俺はそんなことにも気付いていなかったんだな。

 

 

『魔王様、これが、魔王の景色です。貴方には家族が居ます。愛する魔族が居ます。同じ戦場を隣で戦い抜いた友と仲間が居ます。しかし、貴方はそれ以上に魔王なのです。今、そうなってしまったのです。何よりも、誰よりも、臣民にその覇道を見せなければならないのです。いついかなる時も魔王なのです。それこそが魔王という重さです。それを、肝に命じて下さい。貴方様の見る景色が、我々の世界なのですから』

 

……側近。俺が魔王になった時、お前に言われた言葉だ。魔王になるということが、先代達の重みが、この時になって初めてのし掛かってきた。民を思うということを、王として考えるということを気付かされた。革命を起こす民とは根本的に違う、王という世界の進み方を、お前は示してくれた。感謝している。

 

魔王は民のためにあるのだ。この魔力だけの土地をどうにかする為にある役の一つだ。魔族を、どれだけ過ごしても日に日に息絶えていく彼らを救う為の装置だ。

 

 

………だというのに、俺は今何をしている?戦争に負け、勇者に負け、こんなところでのうのうと死に近づいているだけではないか。民の思いも、仲間の言葉も、自分自身への誓いも、何もかも無に帰すようなこの状況で、うずくまって身動き取れずに諦めているだけ………………クソ…………クソッタレッ!!

 

こんなことが許されてなるものか!俺は魔王だぞ!この武力一つで魔族を統一した、世界最強の筈である魔王だ!

それがあんな意味の分からない奴に潰されるなぞ、決してあってはならない!俺がここで負けるわけにはいかない!

 

俺が背負った民の思いは軽くない。あんな何も背負っていないような奴に、ただ力に酔いしれているだけの小僧に何が分かる?俺達の苦しみが、無念と飢餓に苦しんだ我らの悲願を、何故あいつに潰されねばならんのだ!

何よりも、あいつらが俺に託した夢を、この程度で終わらせる訳にはいかない………!俺が魅せた夢を!俺が叶えなければ誰が果たすというんだ!俺には魔族を救う義務がある!何よりも背負うべき世界がある!まだ、まだ俺は終われんのだ!!何度負けたとしても、運命が敵だとしても、例えその先が無かろうとも!それでも、例えそうであろうとも!

 

それでもっ!!

 

グガァァアァアアアア!!!

 

「なっ!?」

 

「首を飛ばした筈……!?何故!?」

 

「くそっ!まだ終わりじゃ無かったのか……!」

 

……何だ?見える?ああ、奴らが見えるぞ!!

 

「ハハハハハッッ!!!」

 

暗闇に囚われていた視界が晴れている。首を落とされた筈だが、理由なぞ今はどうでも良い。奴らに勝てるのならば、人類に勝てるのならば、俺はまだ!

 

「まだ、終わっておらぬと」「そりゃあ駄目だろ

 

瞬間、肩に手が置かれた。掠れたような声が響いた。周囲の音で掻き消えそうなほど弱々しい声が。しかし異常な程にその声は良く通った。誰も無視できぬ程の存在感。得体の知れない不気味さを孕んで、誰も予期することの出来なかった乱入者は運命の死角から手を伸ばしてきた。

 

「なっ!?こ、これは……!」

 

う、動かない。何故だ!?どうして!?もうあとほんの少しなのだ!ここまできてどうしてこの身体が動かぬと

 

「よお、魔王」

 

 

───誰だ?

 

 

人間だった。青く透けている体に貧相な顔立ち。ただそれだけの人間。

分からないが、嫌な予感がする。ガンガンとした警鐘が頭の中で鳴り止まない。もう何かが手遅れになってしまったような喪失感に襲われている。

 

こんな奴が居たか?まだ俺の知らない何かが……くそっ!だとしても!この程度の奴が俺を止めているというのか!

 

「なあ、分かってるだろ?これ以上はいけない。お前は、ここで終わりなんだ」

 

何を言っている?ここからだろう?まだ俺の戦いは終わっていない!

 

そう思っている筈なのに、思考の裏側には恐怖と諦めの感情がちらついている。あの眼だ。あの眼が、哀れむようなあの眼が余計に腹立たしい。だというのに

 

「ぐっ……貴様のような者が、俺の前に立ちはだかるなあ!!」

 

「……無理だ。所詮数百年生きた程度の小僧が、魂の強度で俺に勝てるだなんて、おこがましいことこの上無い」

 

体が動かない。いや、魂だ。実体なき身体が、鎖に繋がれたように動かないのだ。

 

「ガッ………!?や、やめろっ!!」

 

くそっ!景色が閉ざされていく!?ま、またあの空間に戻るのか!?い、嫌だ!!俺にはまだやらねばならんことが!!

 

「ギアァァアアァアア!!!」

 

「悪いが、世界はお前のものじゃない。運命に選ばれたのは俺達じゃない。お前はもう、こっち側だ。お前の敗けだよ、魔王」

 

違う!違う違う違う違う!俺にはまだ!あいつらとまだ!

 

前に出そうとする手が上がらない。体は虚しく消えていくばかりで、何も役に立ちはしなかった。

 

「だ、誰だ!?貴様は何者だァッ!!!」

 

 

 

「お前の敵だよ」

 

 

 

敵、貴様が俺の…まさか

 

「ぐ……アァアアアアァアアァアアアア!!!……アア……ァ……」

 

クソ、が…………

 

◆◆◆

 

「魔王が、消えた………?」

 

「何が起こって…………」

 

「……あれは」

 

 

「………」

 

まさかまたこの景色を見ることになるとはな。もう現世に戻ることはないと思っていたが……世の中分からないものだ。

 

晴れた景色の先には、四人の英雄が居た。

聖剣に龍の盾を携えた、遥か彼方の何処かから来たであろう黒髪黒目の男。

今は亡き国の紋章を刻む甲冑を着こんだ、オレンジ色の髪に鋭い目付きの剣士。

金色の刺繍が入ったローブに身を包んだ、白銀の髪を持つ魔法使い。

そして、透き通るようなブロンドの髪の下に深緑の瞳を宿したエルフ。

 

一人の男と三人の女が、俺の視界には映っていた。

 

「魔王はこちらが責任を持って地獄に連れていく。奴が復活することは二度と無いだろう…………」

 

やはり、美しいな。目が焼き切れる程に、この世は眩しく、美しい。地獄にはない空気、青く晴れ渡る空が、何よりもこの世界を照らしている。生身でないから感覚が乏しいのが残念でならない。

この景色も、本当に久しい。彼らにとっては数ヶ月、多くても数年程しか経っていないだろう。だが俺にとっては実に数十年振りの現世だ。懐かしさが溢れてくる。

 

錆び付いた歯車が動き出すように、壊れた古時計が最後にもう一度針を回すように、数十年前に置いてきた感情が俺にあの頃を思い出させる。

 

だが長居する訳にもいかない。この景色は記憶に焼き付けた。これが最後になるかもしれないが、この世に未練もない。俺が現世に存在することは許されないことだからな。

 

「それでは」

 

「ま、待てっ!お前は何者だ!」

 

何者、か。

 

「………死後に、女神にでも聞くと良い」

 

もう何者でもない俺には、答えることが出来ない。自分でも分からないのだから。俺が、紛れもない俺自身が成し遂げたことなど何一つ無いのだから。

人として足掻いた男は死に、才無き転生者は愚王となって死んだ。その手で何かを切り開いたことなど只の一度も無い俺は、識別出来ない有象無象な死者の一人だ。それに、女神との関係を話すわけにもいかないだろう。

いつかこの言葉を覚えていたなら、あのクソ女神が答えをくれる。我が儘を言えば、そんなことは忘れて平穏を過ごして欲しいけどな。

 

しかし勇者パーティーか。成る程、様になっているものだな。今になって勇者の顔を見ると、どうにも複雑な心境になる。俺と彼の縁は数奇なもので、だが何も伝えてはいけない、決して交わらない、そんな関係だった。

しかしあれから数十年。感情も錆び付いて、砂と灰にまみれて変容してしまう。

 

 

若いな。ああ、若すぎる。まだ年端も行かぬ青年じゃないか。そんな子供に全てを背負わせて、他人の手に世界の行く末を乗せたのは…………他でもない俺だったな………。もっと良い未来が何処かに存在したかもしれないのに、俺達は諦めたんだよな。

 

そんなことを考えて、生きていたんだ、確か。

 

愚かで、それ以上に度しがたいな。地獄に居るには十分過ぎる。

 

「君はっ……いや、何でもない」

 

やはり貴方は気付くのか。それなら俺の託したものも受け継いでくれただろう。安心して欲しい。貴方に頼まれたことはもう果たしてあったから。

あの日の貴方の言葉には驚かされたものだ。魔王討伐後の勇者の安全とは、本当に人間の醜さを分かっておられる。魔王を討伐出来るような人間など核兵器と変わらない。人類最強は国に属しているが勇者は身元不明の異世界転生者。

 

各国は、勇者を殺そうとするだろう。俺がどんなに行動したところで死後に世界をどうこうすることもできない。

生前に幾つもの予防線を張った。考え得る限りの策で、各国を鎖に繋いだ。しかし足りないだろう。人の欲は留まるところを知らないものだからな。

 

だからこそ、女神の野郎に約束を取り付けた。俺が奴の計画に乗った夜、あの全てを知らされた夢の時にはもう、魔王討伐後の世界について話していたのだ。勇者の余生は俺が保証するさ。

 

勇者、世界を救う責務を果たしてくれたお前には、きっと幸せな未来が待っている。だって、そうでなくてはならないだろう?救いも何もなくこのようなことに巻き込まれては堪ったものじゃない。報酬を、望むもの全てを用意するべきだ。世界を救った英雄なんだから。

俺達からの贈り物を君は気に入ってくれるだろうか。

 

 

「……おめでとう」

 

晴れて運命から解き放たれたお前に、このハッピーエンドに祝福を送ろう。結局地獄から送ることにはならなかったな。

 

「え?」

 

嗚呼、もう時間だ。体の感覚が抜けていく。戻らなくてはならないらしい。

 

「最後に、勇者一行よ。此度の魔王討伐、誠に大儀であった」

 

本当にすまなかった。どれだけ謝っても足りないだろう。犠牲を強いた愚か者の謝罪に何も意味は無いから、この言葉を吐くことは許されない。

 

しかし代わりに、あの国を、訪れなかった未来を代表して伝えたいことがあるのだ。

 

我々は果てしない絶望をお前に押し付けた。本物の勇者、勇ましき者、魔王を討つ者、目の前の少女から世界まで救う者、そんなお前が羨ましくもあった。偽物や紛い物にすらなれない俺と、運命から選ばれたお前。人生とは斯くも無情だったが、それはお前も十分に知ってる筈だ。

俺はお前にはなれないのだ。偽物が本物を越えることはあるだろう。偽物でも本物でもそれ以上のことを成せば関係ないのだから。

だが、それが何者でも無いのなら、そのステージに上がることを許されないのなら、その誰かは勇者になれない。そして俺以外の誰もが、あの愚王にもなれない。

 

だからこそこれで良かった。この記憶が灰になって燃え尽きる程に遥か未来、その時まで後悔を感じる生が、間違いにはならなかったのだから。

こんなことを考えなければ、笑顔すら浮かべられないなんて、情けないものだ。しかし、笑って伝えねばならないのだ。輝かしい偉業に相応しいように。お前が何の心配もなく足を踏み出して行けるように。

 

この魔王討伐を、女神も、世界も、誰もがお前の功績を讃えるだろう。

 

俺もまた、その一人であるように。

 

「ありがとう」

 

さようなら、勇者。

 

◆◆◆

 

「こ、これは……」

 

見たこともない景色が広がっていた。生者が想像だにしないような、苦痛、悔恨、怨嗟、醜悪と悪夢の汚泥で作り上げたような世界が目の前にあった。

 

生気が無いとは、こういうことを言うのだろう。あの魔界でさえこんなことは無かった。死の大地等ではない、死そのもの。阿鼻叫喚という文字が、初めて分かった気がした。

 

「やっと起きたか」

 

「?……ッッ!?貴様は?!」

 

あの人間だ。俺を殺した人間。最後の戦いを終わらせた、俺の敵を名乗る人間。貧弱な容姿。皺が深く、体の線も細い。しかしその弱々しい身体とは裏腹に、目には意志が溢れていた。見透かされるような、しかし俺を見ていないような、そんな瞳。

 

「まあ、先ずは行ってこい。ちょっとお前は反省してろ」

 

「えっ」

 

「それじゃあ数百年後にまた」

 

「ちょまっ、ギィャアアァアア!!!?」

 

これが、俺とあいつの出会いだった。

 

そうして、熱く滾る血の池地獄で数百年、俺は感じたことのない苦しみを味わい、自我の崩壊と再生を繰り返した。五臓六腑全てが破裂する感覚は今でも覚えている。

 

「おー、苦しそうだなおい」

 

「!?貴様ァ!」

 

「こりゃまだまだ反省が足らねえな。それじゃまた百年後」

 

「ころっ、グアァァアッ!!」

 

神経が絡まり結ばれ徐々に削られていくような苦痛と、途方もない恐怖に襲われた。それは爪が剥がれるよりも脳を弄くられるよりも眼をナイフで掻き回されるよりも苦痛で

 

「んー、分からんけど後百年追加で!」

 

「フザケルナアッッ!!ギッ!?」

 

「反省の色無し、三百年追加で~」

 

「ギァアアアア!!!」

 

しかしそれも、数百年もすれば慣れてしまった。慣れることが出来てしまったのだ。

不快感はあるものの痛みや苦しみにはならない。苦痛に対する耐性には際限が無いのだろうか。いつしか何も考えずに血の池で浮かんでいたところ、あいつはまた現れた。

 

「よお、元気?」

 

奴は地獄の中を平気そうに動き回る。毎度血の池を泳いで俺のところまで来るのだ。どれ程長い時間苦痛を受ければそんな平然と居られるのだろうか。

 

「お前は……今度は何の用だ」

 

相変わらずの態度。変わらない顔。しかしもう、それらがどうでも良くなり始めていた。認めたくはないし、気に入らないが、そんなことがどうでもよくなるくらいには、この地獄という場所は苦しかった。

 

「あ~何だ、お前まだ世界征服したいか?」

 

「───」

 

この時の言葉は忘れられない。余りにも唐突な一言に唖然とし、言語というものを忘れてしまった。痛みも苦しみも、何も感じられなかった。

 

何を考えているんだ?ここに追いやった貴様がそれを言うのか?今更そんなことを聞いて何があるんだ?

 

「で、どうなんだ?」

 

「……今更だ。もう、意味もない」

 

俺が背負うべき魔王というものは何も意味をなさない。民も仲間も居ないなら俺は魔王じゃない。世界征服なぞもっての他だろう。

 

「俺にはもう、何も無い」

 

この、膨大な時間の流れが嫌でも理解させた。もう、何も残っていないのだと。

 

「………そうか。そんなことまで聞きたかった訳じゃねえんだが、まあ良い」

 

「どういう……」

 

何を言っているんだ。そもそも何故こんなところまで来たんだ。お前は何者なんだ。俺はお前を何も知らないのに、お前は俺の全てを知っているような目をしている。それは相変わらずイラつく瞳で、俺はまた、考えるのを放棄したくなった。

 

「着いてこい。少し話がある」

 

話?お前が俺に?

 

「心配するな。許可は取ってある。今ならお前も、他の地獄に行ける」

 

「だから何を…」

 

「ありふれた、クソったれな世界の話だよ」

 

「はぁ……?」

 

これが、何も意味をなさない、どうしようもない真実の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───そうして世界の平和は保たれましたとさ」

 

「………」

 

随分と、随分と長く歩いてきた。血の池が地平線の先に見える程遠くまで、幾つもの地獄が見える何処かで物語は終わりを告げた。

 

勇者が魔王を倒すだけの、ありふれた話だった。何処にでもある話だった。ただこの男が、ここに辿り着くまでの、それだけの話だった。

 

「ここが、長い長い俺達の終着点だ」

 

風が吹いている。気持ちの悪い、乾いた地獄の風。剥き出しの魂で受けるのは、それだけで針に刺されているようだった。

 

「………その魔王が」

 

「そう、お前だ」

 

「なら馬鹿な王ってのは」

 

「………」

 

「お前………」

 

沈黙は肯定だった。フィニス・フォーティスディア。あの国の無能な王。人類史でも類を見ない程の罪を犯した、今後数百年語り継がれるだろう愚かな王。

 

「あの日から、もう長い年月が流れた。俺達を覚えているような奴は数少ないだろう。それでも俺は、この魂が消えるその時まで、お前も、その罪を洗い流されるまで、この地獄で自問自答をし続けなければならない。あの計画に加担した者として、お前に話すのが最後の責務だったからな」

 

どこから話せば良いのか、皆目見当が付かない。壮大で、下らない話を聞いた。

 

最初は何の話かと思った。作り話や童話の類いかと思っていた。しかしこれは、ただ魔王を討伐するだけの、ありきたりな歴史の話だった。この世界のどうしようもない真実だったのだ。

 

「お前のたった一つの敗因はあの小さな首飾りだ」

 

あの、母上からの形見が、青い宝石のついた首飾りが、それだったと?

 

「それが無ければ、女神はこの世界に手を出すことも無かった。俺も、勇者も、現れることは無かった。お前は世界征服をして、人類が滅びようと、それで終わりだったんだ」

 

「ふざけるな……その程度のせいで俺達は……」

 

あいつらも、俺も、魔族という存在が負けたと?

 

「本来なら、神が現世に手を出すことは禁じられている。歴代の勇者達が勝ってきたのはただの運だしな。その前には魔王が世界を統べていた時代もあった。この計画に関してなら、お前は何も悪くなかった」

 

「黙れっ……!よくもそんなことをその口で言えたな!俺が負けたのも、全てお前達が居なければっ!!」

 

あいつらとまだ………こんなところになど来ることも無かった……

 

「言うさ。お前はそれだけのことをした。別に、世界征服が悪いって言ってるんじゃない。お前は魂を弄った。神でさえやらないことを、この世で唯一の禁忌を、お前は犯したんだ。生者にそれが出来ること自体おかしいがな」

 

魂、人間兵の魔改造のことだろう。確かにその手法を俺達は取った。魂を変容させ新たな人形を生み出した。だがそれの何が悪い?あれは戦争だ……こいつに、他でもない計画に乗ったこいつ自身に!そんな生温いことを今更……!

 

「だから何だ!?俺達は勝たなければ生き残れない!貴様らとは違うっ!肥沃な土地も、安定した文明も、全て貴様ら人間が壊したんだろうがァ!それを、それを貴様に言われて堪るか!?」

 

「………」

 

おい、何だその目は?貴様はまだ、そんな目をするのか?諦めるような、目を細めた、口を噤んだ表情を。お前にとってはその程度なのか……?

 

「貴様が………貴様がぁ……!!」

 

何故か、感情を吐露していくのとは反対に、その瞳から、その顔から目が離せない。激情している筈なのに、頭でもそう考えている筈なのに、こいつの一挙一投足が気になった。

 

八つ当たりのように、自分の過ちを気付きたくない子供のように、俺は涙を流していた。

 

だがそんなことをして得られるのは、またもどうしようもない真実だった。

 

「ならば何故、そんな大地が存在すると思う?」

 

「話を逸らすなっ!あの土地が何であろうと貴様がしたことは変わらない!」

 

また昔話をする気か?そんなことで俺達の無念が何か変わる訳が

 

「……あの穢れた大地を、生態系も魔力の循環も、全てぶち壊したクソ野郎が、お前ら魔族だとしてもか?」

 

「お……何だと?」

 

何と、言った?こいつは今何を

 

「魔大陸を作ったのは、他でもない魔族だろうが。人間は、お前ら魔族に責任を取らせただけだ。取り返しの付かない罪への代償としてな」

 

魔大陸が、あの大地を作ったのが俺達?

 

「そんなこと知」

 

「知らないで済むと思っているのか?お前らの先祖はそれを伝えなかったのかもしれないが、俺は知っているぞ。お前らが仕掛けた戦争で、お前らがあの大地を変容させた。もう遠い昔の出来事だが、それでもお前らの罪だ。お前が王なら、過去の罪さえ背負わなきゃならない。どうにかしたかったなら、戦争じゃなく話し合いをするべきだった」

 

それが、真相だったと、するならば、あまりに辻褄が合いすぎる。もうそれ以上が考え付かないような、二度と解けないパズルのピースがハマってしまったような、それに理解が及んでしまう。頭が冷えていく。今までの謎が、解けてしまう。

 

魔王になった時から、大地の改善、人類侵攻が本当に必要なのか、そんなことは何度も検討していた。魔族の叡智を結集し辿り着いた結果は、あの大地が何者かによる被害によって性質を根本から変容させられたという事実。

 

「魔族にも人間にも罪はあるが、その罪を押し付けるというのなら、お前は王じゃない。この恨み合いは罪を認めなければ終わらない。自分を信じたお前に、同族を過信したお前にそれは無理だったろう。善悪には人も魔も関係無い。俺もお前も、誰もが欲のある生者。誰も彼もが、外道に成り得ることを、お前は見つめるべきだった」

 

きっと、遥か昔の先代魔王達の時代から生きてきた奴らは、この事を知っていた。真相解明にまで漕ぎ着けた筈だ。そして魔族の未来を思うなら、現状を打破する為には知るべきでは無かったことに、手遅れになってから彼らは気付いたのだろう。先祖達の過ちが自分達を苦しめていると知って、全てを人類に押し付けることなど出来ない。恐らく、躊躇いが生まれたのだ。躊躇った者達はいつも負ける。疑念は争いにおいて大きなうねりとなるから。

俺もこんなことを知ってしまえば、人類を本当に憎むことが出来たのかなど分からない。

 

「なら………そうだとするならば、その話し合いに意味があったのか?」

 

求めるべきではない答えだ。分かっていて、問うてしまった。

 

俺が出すべき答えで、お前に聞くべきなどではないのに。

けど、その答えを下したくない。

俺達の罪を、人類と話して、解決などしたのだろうか?俺達が、手を取り合うという未来を手繰り寄せられただろうか。

その後の結末を、辿り着く末路を想像したく無かった。

 

分かりたくないから、責めるように匙を投げた。

 

「…無いだろうな」

 

「…クソッ、…………………クソォッ!!」

 

初めて、理解出来た気がする。どうしようもない、運命とかいう、因果という、何をしようとも変わらない現実が、今になって見えてしまった。

 

 

「俺とお前の末路は同じだ。地獄行きというこの判決だけは変わらない。だが他の何もかもが違う。お前には、才能があった。努力も出来た。環境に恵まれ、縁さえもお前に味方していた………それでも、道は最初から、二つに一つだった。お前はただ、最後の運が悪いだけ。それだけだったんだよ……」

 

諦めと、やるせなさの混ざり合った感情が、あの時に気付くべき壁が、俺の前に立ちはだかっていた。

 

そしてそれと共に、こいつがした選択の内面が、透けて感じ取れる感覚がした。

 

「ッ…………なら貴様はッ!………貴様は、それで良かったのか?」

 

口をついて出た、無意識から発せられた言葉。八つ当たりみたいに吐き出した、自分の為の救いと、一欠片の同情を含んだ言葉。しかし相手が悪かった。

 

 

「ああ、これで良かったんだよ」

 

 

「……」

 

今更だった。恐らくその言葉は、何千年も前に誰かが掛けるべきだったのだ。

 

只ひたすら苦行を積むだけの、その果てしない時間の何処かに、こいつはそんな下らない文字の並びを置いてきたのだ。

 

その姿が、その目が、瞳が、酷く印象的だった。尽きることの無い信念や執念を奥底で宿し、しかしそれを覆い尽くしてしまう程に、深く暗い、何かがあった。絶望や諦めに近い何かが、既存の言葉では形容出来ない感情が、貫くように俺を見ていた。

 

「これは」

 

決定的に欠けていた。壊れてしまった、欠陥品の感情。忘れてしまったのか、最初から知らなかったのかは定かじゃない。ただこいつは愛というものを、希望を失ってしまった欠陥品だ。

 

「最高のハッピーエンドだろ?」

 

それ以上、俺には何も言えぬ程に、それは満面の笑みだった。

 

「クソッ…………そうかもな」

 

世界に必要なのは犠牲だ。壊れた笑顔が、最良の結末を迎えた証なのだろう。

 

地獄にあったのは、埋もれた者達の笑顔だった。

 

◆◆◆

 

「なあ、忘れる前に聞かせてくれよ。お前、何故あそこまでしようと思ったんだ?」

 

地獄に来てから、数えるのも億劫になる程の歳月が経った頃、ふと気になってこんなことを聞いてみた。

 

この時にはもう、こいつは記憶が磨耗していた。現世のことが徐々に思い出せなくなり、前世についても曖昧になりつつあった。

 

「……別に、しょうもない理由だよ」

 

記憶が薄れるにつれて、こいつの王としての部分は無くなっていった。それはおぞましい程の執念や悲しみも同様で、まるであるべきものが元に戻っていくかの様だった。

 

「いつだったか……たしか、お前が居た世界に転生して七年程だったな」

 

少し、一抹の寂しさを覚えた。あの世界で、俺とこいつが迎えた結末は破滅だった。王としてのこいつは、俺の苦しみを理解していた。魔族と人間は変わらないと、そう言っていた。俺も理解は出来たから、こいつが全てを忘れてしまうことが悲しかった。

しかしその気持ちとは裏腹に、それで良いとも思ってしまった。こいつが辿った末路は、後悔と自責によってこいつを蝕んでいた。

栄光の影に埋もれた業を、全て背負ってここまで来たこいつが、その何もかもを忘れられたなら。

 

それは何よりも悲しい末路かもしれない。しかし救いでもあるだろう。

 

「あの頃の俺は焦っていたんだ。何の才能も無い自分に、まだ諦めが付かなかった。人並み、凡才なんてもんじゃない。それ未満、人間として最低限程度しかこなせなかった。そんな頃、あの国の民を、崩壊への一途を辿る国の人間を見る機会があってな」

 

俺は、覚えていたかった。いつか俺も消えるだろう。こいつと同様に、全てを忘れて、この魂の罪を浄化して、輪廻を回るのだ。

 

「一目見て愕然としたよ。全員が全員、俺みたいな顔をしていたんだから。この世を何も知らぬ子供も、その日を生きるのが精一杯な大人も、毎日残飯を漁る俺みたいな顔をしていた。それが当たり前で、幸せってものを根本から知らなくて、明日屍になるのを何とも思わない目をしていた。他国の奴隷なんて呼ばれてる奴らよりもよっぽど酷い生活を、平民全員がしているんだ。明日どころか今日の食事にもありつけず、野垂れ死ぬのを待つだけ」

 

俺の罪も無限ではないから、こいつが消えるよりも先にこの地獄から居なくなる。だがそれでも、こいつが全てを忘れてしまうその時までは、俺はここで罰を受け続けているだろう。こいつが成したことを誰も覚えていないなら、その犠牲を誰も知らぬのなら、それ程報われないことも無い。

俺という魔族が消えるその時まで、覚えておきたいのだ。俺がこいつに出来ることは、それしかないのだから。

 

「無責任にも、可哀想だと思ってしまった。何の罪もない筈なのに、貴族や王族から全てを奪われて、それが当たり前だと思ってるのが、全ての民がそう思ってる国なんて、存在するべきではないと思ったんだよ」

 

現実というものの救いの無さを知っているからこそ、その夢物語の妄言が重さを増す。こいつには最初から、それが叶わないことを分かっていた筈なのに。

 

「国ってのは、民の為にあるんだ。国民の大多数が、愛も、夢も、希望も、幸せという概念すら知らないなんて、そんな国はあっちゃいけない。それはもう、家畜以下だ」

 

だかあの国を建て直すことなど不可能だった。俺が、俺達がそうしたんだから。

 

「あの頃はまだ、自分が王になるなんて夢にも思わなかった。ラディル兄さんがどうにかすると思っていた。それなのに、俺は王になった。なるしかなかった。それならせめて、彼らが奪われないようにしたかった」

 

あの国は腐っていた。希望とも言うべき男、あの国の光は、唐突に消えた。当時その知らせは世界中を駆け回った。我らにとっては好機となったあの事件。それは更にフォーティスディアを壊し、しかし世界を救う手立てでもあった。

こいつが王になったのはそのせいで、皮肉にもそれが、こいつの言う民の幸福が奪われない唯一の方法だった。

 

「例え一部の犠牲に目を瞑ったとしても、彼らに人生というものを教えたかった。俺のような奴の役割を全員がするなんて、そんな馬鹿なことはない。大多数の犠牲による至福よりも、少数の犠牲による生存。それが俺の目指したものだった。ただ、民が背負うべきではない不幸を無くしたかった……魔王、お前も同じだろ?」

 

「………ああ、そうかもな」

 

ただ、民を救いたいだなんて馬鹿げた夢を、俺は持っていた。それは、目の前の罪の無い奴らの不幸を無くしたいという、こいつと同じだ。そのような不幸を、大多数の民が背負う必要は無いと分かっていたから。持ち合わせた地位も才能も全く異なる俺達は、始まりだけが重なっていた。

 

「だがこの世に公平なんてものはないし、まして平等なんてのは、今の神も、そのまた昔の神とやらも、それを作り出すことはしなかった」

 

今、遥か高き天上でこの世全てを統べた者達。そして、その前の旧き支配者であり、今は亡き者達。全知全能とも呼べる奴らのことを神と呼ぶが、決してそんなことは無い。証拠に、完全でないから俺達はここに居る。

 

「なら、俺達はどうすれば良かったんだ?王は、それを作り上げるものだと、俺は思ってた。俺はそれを目指してた。俺達が世界を征服すれば、そうすれば、そう、思ってた」

 

分かっている、分かっていはいるんだ。それでも、誰かは、未来の自身が、そうなれるのではないかと、そう思ってしまうのは間違いだったのだろうか。

 

 

「……幸福ってのは、犠牲無くして成り立たない。それだけだ」

 

 

「それは……」

 

返答は、酷く痛々しいものだった。口をつぐんで何も返せぬに、重い、重すぎる言葉。その一言に、一つの世界が乗っているのだ。一つの宇宙を、その命運を懸けた存在が、その瞳で観てきた現実なのだ。それは当たり前だが、それを骨身に沁みて認識することは、決して簡単なことではない。

 

「知ってるか?今の閻魔様は、あの女神に作られたんだ」

 

一拍を置いて、気まずい雰囲気を変えるようにこいつは話し始める。

 

「……どういうことだ?」

 

……今度は何の話だ?

 

こいつの話は唐突で、話を変えたように見えて関係あることを話す。

 

閻魔とこいつの言う女神の関係は、計画に荷担し、数少ない計画の協力者であったということだけの筈だ。俺と閻魔の関係もそこまで深いものではない。罪のある魂が閻魔と話すこと自体有り得ないことだと考えれば、俺は良い方とも言えるが。

 

「そのままだ。閻魔様……あの閻魔はあいつが作り出した存在。つまり、本来の閻魔じゃないんだ。あいつが誰にも気付かれないように、任期の変わり目に取り替えた、被創造物」

 

女神の被創造物?閻魔が?馬鹿も休み休み言え。こいつ俺が何でも信じると思ったら大間違いだぞ?

 

「嘘だろ?公明正大の地獄の閻魔だぞ?最高神でさえ容易に手出し出来ない筈だ」

 

「……だからだよ」

 

「…はあ?」

 

「考えてもみろ。そいつを味方に付ければ、魂を地獄に落とすなんて幾らでも出来る。他の神を複数味方に付けるよりよっぽどリスクが少ない。地獄の1魂が注目されることなんて、有り得ないからな」

 

地獄の閻魔大王が女神に作られた。到底信じられる話じゃない。あれは確実に自我を持っている。自我や感情といった類いの概念は魂に由来するものではないのか?少なくともこいつの言う女神とやらに魂を創造する力はない。魂の管理を行うのは別の神の権能だ。

いやもし、百歩譲ってそれが真実だとするなら、この地獄なんてどんな茶番劇だ?生前の罪を観測し篩に掛け、善悪を裁くその存在が偽物だったなら、あの審判には何の意味も無い。最初からその女神とやらの思うままだ。

…………しかし、それはきっとこいつもよく分かっていて、別にそれでも良いと、そういうことなのだろう。例えどんなに下らない真実でも世界は滅ばないのだから。

 

「なら、あの閻魔は……」

 

「その為だけに作られ、興味の無い閻魔という役割を延々と続けている、哀れな操り人形だ。感情を持ち、それだけの権限を持っても、女神と同等以上の知識を有していても、彼女は何も変えられない」

 

「……………奴隷だな。それは、首輪を繋げられた奴隷と変わらない」

 

ここは、本当に掃き溜めのような場所らしい。女神の協力者は、操り人形で。加担者は、ただ一介の魂。世を陥れんとした敵対者は、本来の勝者。俺達に、何の罪があったのだろうか。そも、奴が関わることが無ければ、このような末路を選ぶことも無かったのだ。

 

何よりも利用されていたのは、こいつでは無かったのかもしれない。優劣では無いのだろうが、感情を持たされた操り人形とは、どれ程苦痛を伴うのだろうか。

 

選択をしてきた俺とこいつには、それを深く理解することは出来ない。それがこいつにとっての、この揺らがぬ執念の要因なのかもしれない。払った犠牲へ報いることを、引き下がれない想いを作ったのだろうか。

 

「………そうだな。まあ、これで分かったろ。公明正大だとか、平等だとか、そんなのハナからこの世に存在しないんだ。どんなに高次元の存在になったところでな」

 

「そうか……、俺達が目指したものは……神にも叶えられぬ理想か。……なら、仕方ないよなぁ……」

 

理想は叶えられない。分かっていた筈だったのにな。全てが打ち砕かれたような、そんな感覚がする。時が経って、こんな、どうしようもないことで、俺はまだ執着があったらしい。

 

「理想と夢は違う。お前は理想を、考え得る中で最も完全なものを目指してしまった。だが、この世に在るのは現実だ。理想を落とし込むことが出来ないから、現実なんだ」

 

「……俺が何年生きたと思ってる。そのぐらい、分かってる。そのぐらい分かっていなきゃ、魔王になんて成れねえよ………」

 

俺は、現実を見据えてきた。不確定要素を潰し、あらゆる可能性と不運を考え、現実を直視してきた。だが、その根本が、現実では無かった。実現不可能な理想、淡い夢物語だった。それを気付きたくなくて、俺は進み続けたんだ。

 

「……それもそうだな。お前が魔王に成ったのは、その現実が気に食わなかったからだったか。ただ、お前には無理だったよ。お前が勝ったとしても、その先にあるのは破滅だ。世界を壊し、自分自身をも消してしまう末路。そんな現実だけがお前の未来だった。その理想は、王が持つものじゃない…………捨てるべき、………………綺麗事だ」

 

「……あぁ」

 

終わった気がした。魔王という存在が、その生が、遂に終幕を迎えた気がしたのだ。否定され、やっと、決着が着いたのだと思う。諦めても、何処かで燻っていた灯火が、燃え尽きたような、灰が散り散りになって舞うような感覚。

 

こいつはきっと、とっくにそうなっていたんだ。そして今俺にも同様に、その終わりを与えた。

俺の理想を綺麗事と言うのならば、こいつの理想もまた、綺麗事だ。分かっている筈だ。罪の無い者達が奪われない世界など、存在しないだろう。過去の自分を否定してまで王であろうとし、世界を救おうとも、その理想は叶わなかった。

 

見えぬ終わり、理想を捨て王となり、希望もなく只耐えるだけの日々に訪れた女神との邂逅。そしてやっと、愚王を選んだのだ。

 

俺が成るべきでも無ければ、成りたいとも思わない。

 

ただ、王であるのなら、目指すべき形を間違えないように。それだけは変わらないから。そう伝えたいんだろ?ああ、今なら少し分かる。お前が抱えて背負ったものが。

 

「……魔王、お前は良くやったよ」

 

「なんだいきなり?」

 

励ますのではなく、独り言のように出た言葉が俺の耳に届く。

 

「俺は本来、王になるような、なれるような人間じゃない。ただそこに、無情でどうしようもない選択があったから選んだだけでな。必要無いのならきっと、民のことなどどうでも良いと切り捨てたんだ。王になったから、やらねばならないことをしたんだ」

 

「………」

 

こぼしこぼし吐くように、こいつらしくもない話を紡ぐ。誰も気付かなかった、こいつが隠してきたもの。自信も夢も何も無い、執念だけの空洞であるこいつの思考。

本音、と言ってしまえば単純だ。だが別に、他の言葉が嘘であった訳ではない。勿論虚言や見栄はいくらでも張ってきたのだろうが。

 

「俺は最初から王の息子で、他の王子が崩れて、お膳立てされた椅子に座っただけだ。王としての器が、俺には欠片も無かった。そう思うと、お前を少し、いや、大分羨ましかった。どんな才能も持っていて、運もまあ、大体は持ち合わせて、カリスマも天性のものがあって……努力とか、頑張りだとか、そんなものじゃ辿り着けないような………そして、地位や血統も無しに、魔王を目指した、そんなお前」

 

「………」

 

勝者の言葉とは到底思えないそれを、俺はどう受け止めれば良いのか。何かを言いたくても、何を言って良いのか分からなかった。

魔族の中で最も優れていた俺と、人の中で誰よりも落ちこぼれていたあいつ。なのに勝ったのは人で、負けたのは魔族。酷い皮肉だ。

 

「お前さ、王の器だよ。今まで俺はお前に高説垂れてきたけどな、必要なものを全部お前は持ってたんだ。ただあと一歩のところで間違いがあっちゃいけないから、無駄になるとしても伝えたかった」

 

「………」

 

きっとこれは苦しみだ。こいつが背負った責任も、思いも、何もかもを悩んで、後悔して、それでもしがみついて、泥に溺れて、錆び付きながら続けてきた、こいつの苦しみ。

 

「ガキの頃、地獄に来るよりもっと前、お前らみたいになれたらなんて、思っててさ。でも、物語に"俺"なんて何処にも居なくて、居るのはムカつくぐらいに愚かな王様だ」

 

誰よりも世界の醜さを瞳に収めて、嫉妬も羨望も憎しみも擦り切れて、報われず救われず懺悔も出来ず。その最後に残ったものを眺めて、これでいいと、それでも良かったんだと口にして、もう涙すら忘れて流せないこいつに、俺の掛けられる言葉なんて分からなかった。

 

「まあ、それで良いんだけどな」

 

それで良いとは、そうでなくてはならないということだろう。以前こいつが言っていたことが脳裏によぎった。後悔があると、しかしこの後悔こそが間違えなかった証明だと。もし俺が苦しんでいないのなら、それは王になど成らなかった誰かなのだと。

 

「そうだな。きっとこれで良かった。まあ、だとしてもお前らに負けたのは気に食わないが」

 

「はっ、歴代魔王の中でも下から数えた方が速いくせに何言ってんだ。悔しかったら一度くらい俺に勝ってみろ、小僧」

 

確かに地獄に来てから俺がこいつに勝てたことはないが

 

「んだとこの、現世じゃあ俺の足下にも及ばなかった雑魚が、よくもそんなこと言えたもんだな?」

 

現世の体では俺の方が圧倒的だったのだ。こいつに言われる筋合いはないだろう。

 

「……」

 

「……」

 

「「ハハハッ!!」」

 

地獄には阿鼻叫喚の悲鳴が溢れている。しかしその中に、ほんの少し、悲鳴に混ざって掻き消えてしまう程に小さい笑い声がある。魔王、魔神、邪神、そんな奴らが地獄には居る。その中には俺のような奴も居れば、こいつのような者も居る。地獄とは、神々の都合により生まれた監獄。

 

しかしそれでも、何かを成した者達は笑う、笑っている。偉大な者も、大罪を犯した者も、皆外道で罪人なのだから。可笑しくて、悲しくて、嬉しくて、笑ってしまう。

 

「今更だけどな、こうなるなよ?どんな存在であれ、こうなってしまったら駄目なんだ。なるべきじゃない。俺とあの閻魔はもう手遅れだが、お前には次がある」

 

見れば見る程に思う。本当に、何処にもでも居る、何の変哲も無い只の人間。運が悪いだけの、ありきたりで普通の人生を歩む筈だった男。そうなりたくて、しかしそうなれなくて、自身の不運も、誰かの幸運も分かっていた男の忠告。

 

「ああ、そうなるといいな」

 

転生というものは、記憶を忘れ新たな生を受けること。閻魔もこいつも、その魂や存在が灰に帰るまで地獄に囚われ続ける。しかし俺は違う。俺だけはいつか、この犠牲から抜け出すことになるのだ。

 

そうなれば、新たな俺ではない誰かは、どんな道を歩むのだろうか。また王を目指すのだろうか?今度は俺も、何の才能も無い落ちこぼれにでもなるのかもしれない。

 

もしこいつが普通の生を受けていたら、何をしていたんだろうか。何の変哲も無い二人として出会えたら俺達は……有り得ない、存在しない未来だ。

 

魔王と、愚王だ。もう、この事実は覆らない。世界を破滅に導く筈だった俺は新たな生を歩み、世界を救った筈のこいつは地獄に囚われ続ける。ただ全て忘れるという未来だけは変わらないが。

 

これが現実。功罪など意味を為さない、誰も知らぬ、御伽話にも寓話にもならぬ現実だ。

 

「さ、話は終わりだ。もう、お前が俺に聞くことも無いだろ?」

 

「……?おいそれどういう」

 

「言伝ては幾らでも頼まれてるんだ。速く行かないとな。モタモタしてる間に浄化されちまったら目も当てられない」

 

何かおかしい。妙に引っ掛かるような、何かを仕舞いにするような言い方。今までとは違うと、そう言っている気がした。

 

「いや、そんな簡単に浄化されるようならこの痛みに慣れるなんて…」

 

「……」

 

悲しげに、諦めるように、こいつは何処かを、何かを見ていた。それは俺を、魔王を見ていた。大切だった誰かを見ていた。救いたかった誰かを見ていた。因縁だった誰かを、助けてくれた誰かを、謝りたかった誰かを、そんな、今までの全てを、見ていたのかもしれない。

 

目に焼き付けるように、これが最後だと言うように、ほんの少し細めた瞳で、見つめていた。瞳にちらつく景色と想いを、俺はそう受け取った。

 

「行くのか?」

 

「……ああ」

 

目を閉じ、はにかむように、またこいつは笑みを浮かべた。虚勢か、諦観か、こんな時に、こいつはいつも笑う。誰と居ても、罪など無かったように、笑みを浮かべ、笑い飛ばして、笑顔で別れを告げる。

 

そして今も、こいつは

 

「………きっと、お前は記憶を転生と共に失くすだろう。この言葉も、お前という存在も、来世に受け継ぐことは出来ない。それでも、決して忘れるな。犠牲者を、歴史に埋もれた者達の墓標を」

 

「分かってる、ああ、分かってるさ……」

 

全部全部忘れたら、きっと、その魂だけが残るのだろう。まるで忘れ形見のように、脱け殻のような魂が。

何れはそうなると、分かっていたことだった。とてもとても長い年月の中で来たる、どうしようもない終わりの一つ。

 

「なら、頑張れよ。次はもう、間違えないように」

 

ここで別れだと伝えるかのように、背中を向けて去っていく。苦痛の嵐を突き進むのではなく、ありきたりな、また会える友のような足取りで。

 

世界を背負うとはどれだけの重みなのか。しかし自身が間違えなければ世界の破滅を免れるなら、きっと何度繰り返しても、あいつは同じ選択をする。

 

間違いの無い生が幸福かと問えば、あいつは違うと言うのだろう。だが、それが王だと、間違えぬことも王であると、きっと言うのだ。

 

「なあ、魔王!」

 

離れて縮んでいく背中が止まって、思い残しの無いよう、別れの言葉を飛ばしてくる。

 

「なんだ!」

 

「…閻魔様に!宜しくなぁっ!」

 

笑顔だった。何もかも、気にしないような、自分が消えるというのに、それでも豪快に笑っていた。

 

「……ああっ!!」

 

だから俺も、笑みで返す。笑い合うように、何者でもない、二つの魂であるように。

 

これが、俺達の最後だった。

 

 

 

◆◆◆

 

「……いつの間にか、慣れちまったな……」

 

この血の池地獄に落とされてどれ程経ったんだろう。少なくとも数百年、千年以上かもしれない。俺が何故こんなところで、何を犯したんだったか。苦しみの中でしょうもない罪の記憶は、泡のように消えて散った。その苦しみにも慣れてしまうとは、この焼けるように熱い血の池も今では大したものに感じねえな。

 

「おー、お前正気を取り戻したのか」

 

「!?」

 

だ、誰だ?

 

まるで何処にでも居そうな魔族だが、この苦痛に完全に耐えられているということは相当な……

 

「っ……」

 

「…くっ、はははははっ!!!」

 

「へ?」

 

「そんな緊張すんな!取って食りゃしねえよ!そもそもここで罪人同士が争うなんて許されねえんだしな!」

 

な、なんなんだこいつ?いきなり笑いだして、地獄はもしかしてこんな奴ばかりなのか?罪がある奴って言っても変人ばかりな訳じゃないとは思いたいんだが……

 

「まあ落ち着けよ。ここで俺と出会えた幸運に感謝した方が良いぜ?その様子だとまだ正気を取り戻したばかりだろ?」

 

「お、おぉ、まあそうだが、逆にあんたはもう?」

 

「俺?まあな。ぺーぺーの新人獄卒なんかよりは俺の方が色々と詳しいくらいにはな」

 

あの屈強な獄卒共をそんな風に言えるなんて……こいつは本当に罪人なのか?

 

「へー、なるほど。なんだ?つまりその色々を教えてくれるのか?」

 

「勿論だ。血の池地獄は広いが、お前みたいなのは少ない。比較的軽い罪の奴が多いからな。慣れるまでに浄化されちまうんだ。俺も暇潰しが出来て丁度良いし、少しこの世界について話してやるよ」

 

いやこれで罪が軽いって……じゃあ他の奴らはどんだけ……

 

「まず、ここが地獄ってのは知っての通り」

 

「あぁ」

 

それは流石にな。朧気だがここに来た時に閻魔大王とやらの裁判を受けてここに来たわけだし。

 

「なら地獄ってのはなんだ?」

 

「……生前の罪を浄化する場所?」

 

「そうだ。じゃあ浄化されたらどうなると思う?」

 

「いやそれは………どうなるんだ?」

 

確かに、罪が浄化された奴らが消えていくのは見たことがあるが、実際その後はどうなる?

 

あの光景は、どう言えば良いんだろうか。最も近いのは砂煙や灰が舞うような、風に乗って空気と混ざるような現象。消えて散り散りなっているだけ、と言われればそれまでなのだが。

 

しかし本当に消えてお仕舞いなのか?それとも地獄の獄卒のような住民にでもなるのか?それは

 

「転生だ。輪廻を周り転生する。つまり記憶をさっぱり消して新しく現世を生きるっつー話」

 

「転生?成る程そうなって…」

 

生前、何処かの国にはそんな概念があるのを聞いたことがある。生まれ変わってまた生きて死ぬのを繰り返すんだったか。そうか、強ちああいうのは間違いでも無いらしい。

 

「天国の方も一緒だな。結局地獄で罪を受けるか、天国で只待つだけかの二択になる。まあ、天国行きなら転生を断ることも出来るが」

 

「へえ」

 

天国か……生前に罪を犯さない奴なんてこの世に存在するとは思えないが、世界は広いもんだな。しかしここは地獄。俺とは縁遠い話だ。

 

「反応悪いなあお前。ま、関係無い話はいいか。じゃあ次だが、地獄と一口に言ってもそれは大きな括りに過ぎない。地獄にも数多の種類が、罪の重さや部類に対応して存在する。俺達が居る血の池地獄以外にも色々あるってことだ」

 

「あの氷山とか?」

 

遥か遠くに見える異様な程に場違いな白い何か。地獄ってのは両立する筈のない現象が不可思議にも並び立っている。何故かそれらは互いに干渉せず影響し合わないのだ。

 

氷山らしきものの隣には、ここからでも見える程に燃え盛り火柱を立て続けている業火が見える。相反する性質が重なることなく存在すること自体明らかに可笑しい。この世界はどうにも常識が通用しないようだ。

 

「おっ、そうそうそういうことよ。他にも灼熱地獄やら針山やらな。まあ俺もお前も他の地獄に渡ることは出来ないから、あまり気にしなくても良いかもな」

 

「行けないのか?」

 

何だ。地獄を見て周ろうと思っていたがそうもいかないのか。

 

「そうだな。基本的に罪人ってのは地獄で罰に苦しむ存在だ。俺達みたいに正気を取り戻すのは無限地獄の魂か、もしくはそれだけ苦痛に強い精神を持っているかだ」

 

「じゃあ俺は…」

 

「後者だろうな。まあ、それもたかが知れてる。そもそも血の池に落とされる奴らなんてのは罪が軽い。お前も後百年程度で浄化される筈だ」

 

それは良いのか悪いのか……結局は痛みに慣れるのが速いかどうかってことだろ?しかも百年経てば転生って……いや百年は長いか。スケールの大きい話が続いて勘違いしそうになるが百年あれば充分だな。逆に百年を程度なんて言うこいつは後どれくらいあるんだ?

 

「なら、あんたは?」

 

「……俺は、少し特別でな。それなりに長いから、後どれくらいかは分からねえんだ。ここに居るのもあいつが……まあ、それは良い。それで何の話だったか」

 

特別ねえ。そこまで引っ張っておいて言わんのかいって話だが、聞くのもそれはそれで図々しいな。

 

「他の地獄に行けないってやつだろ」

 

「ああ、そうそれ。まあ苦しむ目的でここに居るんだから観光なんてもっての他。他の地獄に渡れるなんてあるわけねえのよ」

 

あぁ、まあ、そりゃそうなのか?確かに罪人が楽しむってのも可笑しいことではある。それを考えれば渡れないってのは妥当かもしれないが、

 

「だが基本的に、じゃないのか?」

 

「鋭いな。そう、例外がいる。んじゃここからは地獄で注意事項についてだ」

 

「おおー…」

 

これは結構役に立ちそうだな。どうせ百年ぐらいは居なきゃいけねえんだ。揉め事を起こすよりも上手くやった方が良い。

 

「まず一つ目、獄卒や閻魔等々、地獄の運営側の存在や地獄の外の存在には逆らうな」

 

「ああー……成る程。まああんなヤバそうな奴らに逆らいたくは無いが、外の存在ってのは?」

 

「俺も見たことは数度しか無いが、天使や女神の連中がここに来ることがある。つまりはお偉方だ。滅多なことがない限り来ないから大丈夫だろうがな」

 

滅多なことは無い限りって、そもそも何でそんな奴らが来るんだよ。こんな辺鄙な所に来るほどそいつらは暇なのか?全く、現世なら神が居るかどうかさえ怪しかったってのに、こっちじゃこれが当たり前か。俺は未だに見たことないから半信半疑なんだがなあ。

 

「ああ、そういう奴らか。しかし本当にあるのか?今まで一度も見たことが無いが」

 

「そりゃそうだろ。地獄はお前が考えるより遥かに広いんだ。ここに来る可能性も低いし、数億年に一度ぐらいだからな。そうもなる」

 

「数億年?それならあんたどんだけ……」

 

おいおい、いきなりキナ臭くなってきたぞ。そんな長いなんて流石にあり得ない、よな?こんな所じゃ一概に無いとも言えないか。

 

「言ったろ?少し特別なんだよ俺は。ま、そんなに気にすんな。大したことじゃあない。んで、次の注意事項は…あれだ、案内人とは仲良くしておけってことだ」

 

「案内人?地獄にそんなのが居るのか?」

 

聞いたこともない話……地獄で話をするのはこいつが初めてか。いや、獄卒共の話が耳に入ってくることもあったからな。何も知らない訳でもないか。

 

「……まあ、案内人ってのはあくまで名称だ。獄卒相手に案内も時々するが、基本は違う」

 

「???」

 

名称?時々?話が見えてこないんだが………

 

「案内人の特筆すべきところは、罪人の癖にどの地獄へも渡れるところだ」

 

「は?なら例外ってのは……」

 

「あいつのことだ。そもそも神々にも渡れない地獄なんてのが複数あるんだ。最高神でさえ地獄の閻魔の許可が無ければ無限地獄へはいけない。だが案内人は渡れる。奴はこの世で数える程しかいない、どの地獄へも渡れる存在だからな」

 

………マジ?え?そいつ罪人なんだよな?いやいやいや、何でそんなヤバい奴が罪人なんてやってんだよ。何かの間違いじゃないのか?

 

「どうなってんだよそれ……そいつだけが特別なのか?」

 

「ああ。それ故かあいつは地獄について詳しい。恐らく閻魔よりも。地獄でも特に重要な存在だ。もしかしたら、地獄の事情を一番知っているのはあいつかもな」

 

「はえ~、だから案内人か」

 

成る程、只の罪人とは違うって訳だ。そりゃそれなりの扱いにもなるかもな。まあ、何でそんなことが可能なのかってことに関しては未だに分からないが。

 

「そうだ。時には獄卒の案内もするし、一番重要なのは他の地獄に行って俺達罪人同士の仲介役をするところだ」

 

「仲介役?罪人なのにか?」

 

そういうのを罪人が行うのはグレーゾーンだろ。地獄ってのは罪を受けるのが目的って話じゃなかったか?渡る能力が有っても罪人に有利なことを行うって、それはそれでどうなんだ?

 

「ああ、罪人だからな。簡単に言えば言伝てを頼まれてくれる訳だ。生前、もしくは地獄に堕ちる前、何かしらの因縁や関係を持っていた奴らの言伝てとかな。それが許されるのもあいつだけだしな」

 

「ああそういう……ん?でも浄化されてたら」

 

「無理だな。それも含めて伝えるのが仕事なんだよ」

 

「ほー………」

 

成る程、案外嫌な仕事でもあるんだな。外道にも情はあるし、それを伝えるのは面倒な上に精神的にもつらい。わざわざそんなことやるなんて変人の類いだな。

 

「お前には居ないのか?伝えたい奴は」

 

「居ないな。ああ、俺にそこまでの奴は居ない」

 

実際今更誰かに伝えたいことなどない。生前の知り合いもそこまで居なかった筈。現世に後悔はあれど未練など無いからな。

 

「そうか。それなら、いい。じゃあ次で最後だ」

 

「おっ、待ってました!」

 

よしよし、今まで余り役に立つようなことは聞けなかったからな。最後くらい使える情報を持ってくるだろ。

 

「最後は、怪しい奴には近づくな!だ」

 

………

 

「えぇ……最後それかよ……」

 

「おいおい、意外と重要な話だぞ?」

 

「本当かよ……」

 

そんなガキじゃねえんだから……というか地獄に居る奴なんてどいつもこいつも怪しいだろ。

 

「まあ、なら話半分に聞いておけ。地獄ってのは罪のある奴が罰を受ける場所な訳だが、その罪はそれぞれ。お前には想像もつかないような罪を犯した奴らも居る」

 

「ふーん……」

 

想像もつかないって、まあ、世界は広いしそのぐらいのことをしでかした奴も居るよな。俺のようなしょうもない野郎でも千年程度は罰を受ける必要があるんだし、そんな奴らはそれこそ無限地獄行きだろうな。

 

「だから、そういう奴らがもし、地獄を脱走したら気を付けろってことだ」

 

「脱走……?そんなこと出来るのか?」

 

待て待て、有り得るのか?地獄を脱走って、どうやるんだよ。

 

「俺が今言ったのは邪神や魔神、魔王なんて呼ばれるようなヤバい奴らだからな。出来ても可笑しくはない」

 

「じゃ、邪神?」

 

か、神の類いが地獄に居るのか?う、嘘だろ?

 

「そういう奴らも中には居るんだよ。過去に今の神々と敵対した旧い神なんかがな。まあ、そういう奴らは大体無間地獄に居るから大丈夫だとは思うが……」

 

魔王なんて歴史上の伝説でしか聞いたこと無いってのに、神話に出てくるような奴らまでここに………脱走出来なくもないか、そりゃそうだよな。というか……

 

「いや、あんた何でそんなに知ってるんだよ」

 

「あぁ、案内人から聞いたんだよ」

 

「確かに、その案内人って奴ぐらいしかそういうことは教えてくれないか」

 

獄卒相手に何か話す訳にはいかないだろうしな。こいつの歴が幾ら長いからって、そんな簡単に話せる訳でもない筈。

 

「いや?別にそんなこともないぞ」

 

なんだ、違うのか?

 

「じゃあ逆に誰が…」

 

「閻魔大王が居るだろ」

 

……………へ?

 

「へ?」

 

「ま、俺みたいなのは少ないがな」

 

ほ、本気で言ってるのか?マジなのか?あの閻魔大王と?

あの女と会話出来るなんて……こいつイカれてるのか?

 

「……いや、あんた、いったい何者なんだ?というかここには何の罪で……」

 

「……………そうだなあ、世界征服とか?」

 

「……テキトーすぎだろ……」

 

「ハハハッ、そんなに言われても答えられるものじゃねえんだ。まあそうだな、答えられる部分だけ言うなら、俺の犯した罪とその罰は、本来なら無間地獄の奴らとそう大差無い。無間では無い分マシだけどな」

 

胡散臭い筈なんだけどなあ、信じる気になっちまうのはどんなカラクリだ?

閻魔との関係を考えればこいつも相当な奴なんだろう。それなりに地獄において重要な存在だと考えられるが、それ以上は分からん。情報が足りなさ過ぎる。

 

「なら案内人ってのはいつ来るんだ?」

 

そいつと関係を作ればまだ分からない部分も見えてくるだろう。別に頼むこともないが閻魔大王に聞くよりは数倍マシだ。

 

「分からん。そもそも各地獄は時間の流れが歪んでいるからな。俺達の一年が他の地獄にとっては一億年なんてのもあるぐらいに。あいつが何処を通るかで変わる訳だ」

 

「……案内人ってのは化け物か何かなのか?」

 

「あ?」

 

「そりゃ、時間の歪みにも境目があるだろうに。それを何度も通るなんて頭が可笑しいだろ。何処かしらの感覚が狂うんじゃ」

 

よく分からないが歪みを何度も通るなんてのは絶対に普通の魂には出来ねえ。それは分かる。

地獄に来てから分かったのは魂ってのは有り得ない程に頑丈だ。何もしなければ不滅に近い。だがこいつは恐らく、精神と強い結び付きがある。感覚を狂わす、精神に異常が出るような行為をすればその魂は……

 

「……まあ、そうだな。化け物と言っても良いだろう。あれは魂の強さが異常なんだよ」

 

「魂の強さ?」

 

魂の強さって……今度は何を言う気だ?

 

「魔力みたいなもんでな。魂にもあるんだよ。そいつ自身の才能にもよるが、その魂が存在してきた時間が長い程強くなるんだ」

 

「……初耳なんだが」

 

こっちにもそんなのがあるのか?その魂の強さが上がれば魔法に近い代物も使えるかもしれねえな。しかし現世じゃあそんなものを感じたことも無い。現状はまだ眉唾物だ。

 

「そりゃな。現世じゃあ身体に身を包んでいる状態だから魂の力なんて知覚出来ないだろう。そもそも魂自体あるのかどうかさえ感じ取れないのが普通だ」

 

「なんじゃそりゃ……」

 

イマイチ分からないが、得体の知れない力があるってのはそうなんだろう。この百年の暇潰しが出来たと思えば良いしな。これからはその魂の強さとか力ってのを鍛えていくか。

 

「まあ、そういうのがあるんだよ。だから、案内人に何かしようとすれば返り討ちに合うだけだ」

 

「そうみたいだな……分かった、ありがとな。あんたのお陰で色々知れた」

 

こいつの話を何処まで信じて良いかは分からないが、これから地獄でやることは決まったしな。

 

「気にするな。これから暫くは話し相手になるんだから、これぐらいはな」

 

「なら、もう一つだけ良いか?」

 

「ああ、言ってみな」

 

「俺達の罰はこの血の池なんだろ?」

 

赤々とした、血の池地獄。その果ては何処まで続くのだろう。罪人達の悲鳴は絶えずこだまし、藻掻き溺れその自我を崩壊させてゆく。

俺達はそんな場所に居る。二本の角を生やした何の変哲も無い魔族と、しょうもない罪でこんなところに居る、只の人間の俺。

それが血の池地獄。

 

「そうだ。俺達は魂の浄化が終わるまで、この煮えたぎった血の池で過ごす必要がある」

 

「なら、案内人の罰ってのは何なんだ?」

 

たった一つの好奇心。それだけの存在がどうして地獄に居るのか。人か、魔族か、もしくは神か、しかし常識とはかけ離れた何かを持っているというのは確か。だからこそ気になってつい、口にしてしまった。

だが帰ってきた言葉は予想外のものだった。

 

「………さあな。それは分からん」

 

一瞬の沈黙。逡巡し、どこかを見て魔族は応えた。そこにどんな意図があるのか、この魔族が何を思ったのか、それを知ることは永遠に無いんだろう。

寂しげで思い馳せるその姿に、何故か、ほんの少しだけ恐怖してしまったから。計り知れない、知るべきではない何かを感じたから。

 

「あんたも知らないのか?」

 

「ああ、あいつ自身もな」

 

あいつ自身も?

 

「そりゃどういう……」

 

「……忘れちまったんだと。全部な」

 

「それは………そうか……」

 

記憶は時間と共に擦り切れ、散ってしまう。

俺もこの千年程で思い出せなくなった記憶が幾つもある。親の顔も、大切だった何かも、いつの間にか忘れてしまった。

無限に近い時が過ぎればいつしか、そうなってしまうだろうことは分かる。だが自身の罪と罰さえ、全て忘れてしまえば、自分というものも失くしてしまうだろう。全く違う誰か、本来の、現実に変化することのなかった誰かに。

 

全てを忘れた者にとって地獄とは何なんだろうな。いつか聞いてみたいもんだ。

 

「……あんた名前は?」

 

「ああ、そういえば言ってなかったか」

 

「俺はマオウ。今はそう呼ばれてるよ」

 

 

◆◆◆

 

あれから、どれだけ経っただろうか。俺は墓の前に居た。俺と閻魔が建てた、あいつを遺した証。それももう、遠い昔の話だ。

 

もう長らく会っていないが、閻魔の奴は今、何をしているんだろうな。

…俺もやっと、次へ行けるらしい。あいつに言われた通り、間違えないと良いよな………そんなの、分からないし、どうしようもないんだが。

 

地獄を見れば、空は赤く、空虚に、只何の意味も無く、現実だけが広がっている。あの語り継がれぬ真実が夢だったかのようで、しかしその犠牲が守り抜いた未来だ。

 

思い返せば、魔王という過去が、その道が後ろにある。

 

目指した理想は虚構だった。世界に語り継がれる英雄譚は虚像であり、俺は破滅に向かう道化師だったのだ。

 

世界の裏で錯綜していた真実と、それを告げた者は消え、誰もが知らず忘れていく。

 

何も変えることなど出来ず、ただ時だけが過ぎる。

 

俺もまた、ここに全てを置いていく。奴とその全てを忘れてしまう。地獄に残るのは忘れ形見と、哀れな操り人形だけだ。

しかし答えは得た。この答えも置いていくことになろうとも、それは仕方のない話だ。

 

誰もがその存在を忘れ去ること。掠れて欠落した記録だけが残る遥か彼方で、愚王という偶像を空想にし、その名さえ残らないような未来。

彼は、あいつは、それを望んだのだから。

 

「じゃあな、フィニス」

 

建てた墓標の前で、俺という存在が消えていく。

 

神々の愚かさ故に起こった業は、果ての結末に地獄を選んだ。

 

「俺は、ここに……」

 

その末路も遂に、終わりを迎える。愚かな王は消え去り、魔族の王は輪廻を廻る。

 

地獄行きという末路にもまた、終幕があるから。

 

「おいて……………」

 

 

 

地獄には今日も、むせ返るぐらい悲鳴を含んだ風が吹く。砂塵の中で陽炎が揺れるように、魂の残滓が、記憶の欠片が舞い散った。

 

 

 

 

─◆─

 

 

魔王討伐、それはありふれた英雄譚。異界から呼ばれし者の決意が、悪虐非道の根元を討ち滅ぼす、世界を守り歴史に名を刻む物語。

 

しかしそれは、遥かに桁違いな戦いの一側面である。

 

 

魔王討伐、それは、数え切れぬ犠牲と屍で彩られた、この世全てを救うための戦い。膨大な陰謀と策略を交錯させた途方もない計画。たった一人の絶望の上にある、理想を選べぬ敗者達の物語。

 

何も持たぬ"人間"が、愚かな王を選んだ物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お久しぶりです。ということで今回は魔王視点で書いた話になります。結構長くなりましたし蛇足感がハンパ無いですが、外伝となると難しいですね。

聞かれる前にお答えしておくと、途中で出てきた一般魂君は何のストーリーも掘り下げも無い一般魂君です。彼らにとってはもう魔王と勇者なんて伝説の存在、そんな未来の一般人と魔王の会話になります。

次を書くかどうか迷いますが、恐らくここまでの文字数にはならないと思うので安心してください。
次を見る機会があった場合は是非解釈不一致に気を付けて。

それでは感想評価リクエスト等々ありがとうございました!


番外編は必要ですか?

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  • どちらかといえば必要
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