ノアの日常:オーナーのやらかし記録
ノアに到着後約一ヶ月もの間意識を失い、そこから様々な問題に着手しながら、千差万別な人々と交流を深めること早半年。
日々の生活がようやく落ち着いて来た頃、数少ない一人の時間を過ごすことが出来る昼休憩の間に、タブレット型の端末に届いたメッセージを見た俺は思わずため息を吐いた。
「うーん……やっぱり『予防薬』と『救急キット』しか要望が来ないなぁ……」
ノア内部に作られた、元の世界の自分の部屋を参考にした俺専用の空間で、その言葉を聞く者は居ない。
椅子から降りて手を部屋の床──『ノア』に触れさせて強く念じると、目の前に要望通りの個数の『予防薬』と『救急キット』が、音も無く現れた。
「……後で上部の住民の誰かに届けておかないと」
半年の間で、俺はやるべきことをこなし、いろいろなことを学びながら、ゲームとの差異のようなものも把握していった。
まず、こなしたやるべきこと。
ロドスにて今までで経験の無いレベルでの精密検査。
──検査は今でも定期的に行われている。
面会希望者との面会と、場合によっては別日での交流。
──バベルの人達には概ね感謝され、ノアのネームド達には沈痛の面持ちで強く抱き締められた。
各国移動都市から届いた書状への返信。
──各国情勢に詳しいケルシー先生に協力を仰ぎ、何とか返信は完了したのだが、その後のやりとりによって一部訪問が決定してしまっている。
ノアの住民との顔合わせ。
──俺の今後の安全性を鑑みて、立場的に上の者達としか会っていない。だが初日の気絶の際にほぼ全ての住民に俺の顔は割れた模様。会う人全員が俺に跪いてきたからとても困惑した。
ロドスへの借金返済。
──正直あまり芳しくない。『予防薬』と『救急キット』を提供することで返済しているのだが、協定を結んでいる国との関係も有って、より効果が高いもの──返済額換算でより高価なもの──は数を絞っているからだ。現状、適正な値段が付けられないものは、取引の物品としては難しいらしい。
次に、学んでいること。
俺の存在をなるべく秘匿する関係で、知り合いの割合がかなり多い。
所謂帝王学のような上に立つものとしての振る舞い方や、アーツに関係することについてはテレジア。
学習深度が俺より上で、理解力が等しいため参考にしやすいという理由から文字や言葉はフロストリーフ。
鉱石病感染者との対話や、薬やキットの使用が増えるであろうことを考慮し、源石や医療に関することはシャイニング。
焼け石に水の可能性が有ると言われているが、万が一の事態に備えての自衛手段として、身体能力向上のトレーニングや戦闘訓練はサガ。
各国情勢や歴史、組織の運営方法や外交における振る舞い方などについては、アーミヤさんとケルシー先生とドクターの三名が暇を見て教えてくれている。
おかげさまでこの半年、代わり映えしない毎日を送ってばっかりだ。
食事、座学、アーツ訓練、トレーニング、座学、住民の視察、ケオベとお昼寝、座学、ノアの運用、治験協力、採血、座学、住民と密かに交流、無線機による面会対応、急な呼び出し、座学、ノアとの対話、ノアの可能性の模索……。
特に座学については、学生時代ですら霞むくらい知識を詰め込まれた気がする。ちゃんと活躍の場があることを祈るばかりだ。
もちろん休息日もあるのだが、二週間に一日有るか無いかである。ドクターには羨ましい、と言われた。
……次の休息日はまだかな。アスベストスさんやモスティマ、ミヅキさんとまた遊びたいな。
そして最後に、ゲームとの差異。
これに関しては、バージョン変わった? というレベルの変更だ。
要約するのならば、『利便性が悪くなり、自由度が上がった』というところだろう。
まず薬やキットなどの生成は、ゲームの時のような画面が無いため、ノアに直接言うか、ノアに触れた状態で念じる必要がある。
ゲームの時のように離れた場所に生成することが不可能になったようで、生成物は基本的にノアに出現し、例外は俺の身体上──手の平の上などである。
一応ノア自体とはノア謹製のタブレット端末によって通信することも出来るため、遠隔でも生成は可能なのだが、その場合距離によってはノア上にしか出現しなくなることも実証済み。
建築物や施設や設備の生成に関しては、ノアと接する形でしか不可能になっており、ゲームの時のように離れた場所で必要な場合は、側面か上部から出現させて誰かが運ぶ必要がある。
移動用の車両や修理車両、資源採取ロボなどは自走させることが出来るのでそんなに問題では無いのだが、不便になったことは確かだ。
かと言って変わったことによって齎されたのは、悪い事ばかりではない。
ゲームの時は画面に表示されているものしか生成出来なかったのだが、今はノアに触れてさえいれば、イメージ通りのものを作ることが出来るようになった。しかも細部に関してはノア自身が意図を汲み取ってくれているのか、手直しをしてくれるサービス付きである。
住民達が集めてくれた資源を消費するので多用するのは難しいが、いろいろと出来る事がありそうだし、実際にやってみて楽しかった。
……ただ、何というか。
俺が本来知らないはずの物品さえも生成出来るし、それに関する知識が頭に浮かんでくるのは、どういう原理なんだろう? 考えても仕方無いので、ノアが上手いことやってくれているのだと思うことにした。うーん、謎である。
とにかく、この自由度の高さを活かすことが、ノアの発展に繋がるだろうと俺は睨んでいるのだ。
上手く出来れば『予防薬』や『医療キット』以外の、取引用物品が生まれるかもしれない。
「そろそろ時間か。えーと、今日の午後は……」
時計を確認し、俺は先程生成した『予防薬』と『救急キット』を抱えた。
ノアの上部で生成すれば運ぶ手間が無くて助かるのだが、生成の瞬間を住民に見られると、奇跡を目にしたかのような感動をぶつけられてしまうので、気を付けるようにしている。
……とりあえず、今日と明日を無事に乗り切ろう。
そうすれば明後日、ロドス本艦に居るクロージャさんに、新しく生成してみる需要のありそうなものを聞いて貰える。
ロドス本艦の訓練室にあったトレーニング用品は、汎用品だった。
──種族毎に調整したトレーニング用品は需要があるんじゃないだろうか?
この世界にも娯楽として、映画があるらしい。
──元の世界の映画はこちらでも通用すると思う。文化の違いなどは、念じればノアが手直ししてくれるのを確認済みだ。
俺はあまり飲まないが、どの世界でもお酒は人気の一品である。
──レシピも分かるし、設備も作成可能。時間と材料だけはかかるが、それ以外はクリアしている。
芸術作品はこの世界でも高価だが、安く買えるなら欲しい人も居るのでは無いだろうか。
──絵画は低コストで生産が可能だと判明している。元の世界の絵なら、この世界の人達にはあまり迷惑が掛からないと信じたい。とりあえずは水墨画なんてどうだろう?
後はまあ……作れることが分かってから、あまり意味が無いと気付いたものが一つ。
源石に汚染された土壌でも栽培が可能な、小麦の種である。
そもそもノアでは『栽培ボックス』が生成出来るので、わざわざ汚染された土壌に植える必要が無い。
一応これもクロージャさんに聞いてみるが、需要は見込めないだろう。
さて、どんな結果になるのか。
明後日が楽しみだ。
俺の話を聞いたクロージャさんは、途中から冷や汗をかいているように見えた。
――後日、不思議な気配を纏った人達が急にノアを訪ねてくることを、俺はまだ知らない。