雨風を防ぐ屋根と壁。
飢えと渇きを満たす食料と水。
安寧を脅かす危険が発生しない環境。
ぐっすり眠れる寝床と、大好きなはちみつクッキー。
足りないものが、あとひとつ。
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「オーナー! おいらの巣へようこそー!」
ノア上部に建設された住宅の一つ。
意気揚々としたケオベによって開かれた玄関の扉をくぐったオーナーは、意外な光景に驚きの表情を浮かべた。
ノア上部のスペースには一軒家を複数建てられるほどの余裕は無いため、集合住宅のような形で住民達は密集している。
内部も集合住宅の例に漏れず簡素な造りで、違いがあるとすれば住人毎のセンスや趣味が表れる内装くらいだろう。
ケオベの案内で一通り部屋の中や設備を確認した後、オーナーはケオベに声を掛けた。
「正直、意外でした。ケオベさん、ちゃんと掃除しているんですね」
「フロストリーフとかサガがたまに来てやってくれる!」
「……自分でもちゃんとやらないと駄目ですよ?」
「分かった!」
予想通り、といった感想を抱きながらオーナーはケオベに注意を促したが、普段よりテンションが高めのケオベには、きっと正しく届いていない事だろう。
ため息を吐くオーナーを他所に、ケオベは忙しなく動き続ける。オーナーが少し目を離している間に、寝間着へと装いも新たにしていた。
本日、オーナーがケオベの部屋で一晩を過ごすこととなったのは、様々な要因が重なった結果である。
まず第一に、最近はとても忙しく、お昼寝のお誘いを断り続けていたことで、ケオベの不満が溜まっていたこと。
第二に、オーナーが今後各国の移動都市を訪れた時のために、現地で宿泊をする際の護衛や警備について確認が必要だったこと。
最後に、住民達から度々『オーナー様のお役に立ちたい』という声が挙がっており、何かしらの形で彼等に与える仕事を生み出さなければならなかったこと。
その他の細々とした要因もあったが、概ねそういった理由によって、この状況が発生する運びとなった。
『それなら今日はおいらの巣で!』と、何度断られても粘り続けたケオベに、最終的にオーナーは折れたのだ。
オーナーは『付き合ってもいない男女が一つ屋根の下はマズイ』と抗議を続けたが、今後の護衛や警備で誰かと同室になる可能性が当然に有り得ると説明され、承諾せざるを得なかった。
周囲の警備として交代制の不寝番は、可能な住民にということで募集されたが、応募率が住民の120%を超えた──正規の住民で無い者も含まれていた──ため、腕の立つ護衛者からの推薦に切り替えられる。
ケオベの部屋を訪れる前に護衛や警備の者達へオーナーは挨拶に伺ったのだが、その中のノアの住民は全員跪いて応対したために、オーナーはその様相に顔を引きつらせることしか出来なかった。
(『もう一生寝ません!』を本気で言われるとは思わなかったな……)
気持ち的には、憧れの人と握手して『もうこの手は洗いません!』と言うのと、同じなのかもしれない。
だがオーナーは『共感』によって本気で言っているかどうかが分かるため、若干の恐怖を味わうこととなった。
「オーナー、もうお休みするの?」
「そうですね……。ケオベさんは、もう眠たいですか?」
「んー、おいらはもうちょっとオーナーとお話したい」
「では眠くなるまでそうしましょうか」
「やった! じゃあはちみつクッキー持ってくるね。一緒に食べよ!」
「もう歯は磨いた後なのですが……」
食事は済ませ後はもう就寝するのみ、といった状態で二人は此処に来たのだが、ケオベの様子と感情を読み取ったオーナーは、もう少しだけ夜更かしをすることに決めた。
ケオベが持って来た彼女お気に入りのクッキーを口にしながら、二人は談笑の時間を過ごす。
そうしてしばらく経った後、オーナーはケオベがうつらうつらと船を漕ぎ始めていることに気付いた。
「……ケオベさん、そろそろ寝ましょう」
「うん……」
「立てますか? 私は床で寝るのでケオベさんはベッドに────」
ケオベの部屋とはいえ、ここがノアの上であることは間違いない。
それならばノアの生成能力で自分の分の布団などを出すことも出来るはず。
そこまで考えて、オーナーは何時の間にかケオベを見上げていることに気付いた。
一瞬の疑問と身体に伝わる柔らかな衝撃から、ベッドへと放り投げられたことにも気付く。
一体誰に? ──目の前で眠そうに、そして嬉しそうに笑みを浮かべるケオベしかいないだろう。
「オーナー、お休み……」
「ケ、ケオベさんっ!?」
起き上がってベッドから降りるよりも早く、オーナーはケオベに抱き込まれるような形でベッドへと沈んだ。
ケオベの両腕はオーナーの後頭部へと回され、オーナーの頭部は彼女の胸元へと収められてしまっている。
藻掻けば藻掻くほどにその拘束は強まり、ケオベの脚に膝裏から絡め取られたところで、オーナーの抵抗は終わった。
「ケオベさーん……?」
「…………えへへ」
「ほら、灯りも点いたままですし、消すために一度離してくれたりは……」
肉体的交渉が膂力の差で不可能なのであれば、言葉の力に頼るしか無い。
オーナーは必死にケオベへと呼び掛けたが、既に夢見心地に陥っている彼女には届かなかった。
時折聞こえる規則正しい呼吸音で、オーナーは彼女が眠りについたことを悟った。
「誰か……!」と声を出したが、この状況を他者に見られるとそれはそれでマズイということに気が付いたのか、その声量はとても小さい。
そしてオーナーの脳内に『かしこまりました』というノアの声が響き、消灯が完了する。そうだけどそうじゃない、とオーナーは心の中で毒づいた。
(──こうなったらもう大人しくするしかない。何も考えるな、さっさと眠るんだ……!)
これだけ密着すれば、否が応でもケオベの存在がオーナーにはハッキリと分かる。
体温はもちろん、鼻腔をくすぐる甘い──蜂蜜のような香り。
ケオベの心音さえ聞こえてしまいそうだ、とオーナーは必死で感覚の遮断へと努めた。
オーナーはケオベから逃げ出すかのように、思考を一辺へと傾ける。
外で警備や護衛を務める者達から届く感情も併さって、オーナーは気付くことが出来ない。
その瞳に慈愛を宿し、オーナーが眠る瞬間を待つ────ケオベに。
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────オーナー、もう寝た?
もぞもぞと身体を動かし、ケオベは暗闇の中でオーナーの顔を見た。
安らかな寝顔とすぅすぅとたてられる寝息に、満足したかのような表情を浮かべる。
────夢の中でも、守ってあげるからね。
ケオベが今まで大事にしてきた『モノ』は、彼女が手放さない限りその下を離れることは無かった。
だがオーナーは違う。
ケオベがどんなに大事にしようとも、その意志でもって動き回る。
目を閉じて、そしてまた開いた時には、オーナーは居なくなってしまうのでは無いか?
そう考えると、ケオベは先に眠ることなんて出来なかった。
────オーナー……。
ケオベはジッと、オーナーを見詰める。
一日中傍に居ることが不可能だということを、彼女はもう嫌というほど知っている。
だからこそ、一緒に居られる時は目を離さないようにしよう、と心に決めた。
そしてそんな時間が増えるように、いろいろなことを学び、覚えることを心がける。
────ちゃんと、覚えたよ。
────オーナーは、はちみつクッキーの味。
新しい発見を胸に、ケオベはようやくその瞳を閉じる。
そして再びオーナーを抱き寄せて、幸せな眠りへとついた。
アフターストーリー
『ノアの日常:オーナーのやらかし記録 改』が解放されました。
『交流:住民』が解放されました。
『交流:ロドス』が解放されました。
回想秘録
フロストリーフの『名前』が解放されました。