「──フロストリーフさん。この文章、ちょっと意味を教えて欲しいのですが……」
「見せてくれ。……ああ、これか」
ノア内部。
オーナーの住居に併設して建てられた、授業用の建物の中。
机や椅子、ホワイトボードやモニターなど、オーナーの授業に使用される物以外は省かれた簡素な部屋の中で、フロストリーフとオーナーは二人並んで他言語の習得に励んでいた。
自分用にメモを取っていた手が止まり、この場においては先生であるフロストリーフへと、オーナーは質問を投げ掛ける。
聞かれたフロストリーフは、ずいと身を乗り出してオーナーが指差している本の一文を読んだ。
「この単語に引っかかっているんだろう?」
「はい。教えて貰った意味だと内容が通らないんです。……フロストリーフさん? 何だか嬉しそうですね?」
「実は私も同じ部分で引っかかったことがあるんだ。……オーナーと一緒だな」
本人は未だにその原理や理由を完全に理解してはいないが、オーナーはその身に備わった翻訳能力により会話で困ることは無い。
だが送られてくる各国の書状や、ノアの住民などからの報告書となると、話は別である。
側近に近い立場となっている者達──ビガロやリーヴァに頼めば嬉々として読み上げてくれるが、報告書類はともかく書状関係は機密情報の可能性も考慮すると、言語の習得はオーナーにとって必須だった。
イェラグにおいてテレジアに教えて貰った内容だけでは到底足りなかったため、このように他の者達から指導を受ける日々を送っている。
その中でもフロストリーフは、ノア内部にも足を運ぶことを許された数少ない人物の一人であった。
ロドス本艦で授業が行われない場合、ノアの周囲は安全性に問題が有り、ノア上部では住民の感情によってオーナーの気が乱されるというのが、ノア内部で授業が行われることとなった経緯なのだが、フロストリーフにとってはそんな理由などどうでも良かった。
「──前後の文脈で意味が変わる単語だ。私が読んだ本だと、ヴィクトリアの貴族が好んで使う表現だと書いてあった。覚えておいて損は無いだろう」
オーナーと二人きりで、オーナーの役に立てて、オーナーを独占出来る。
その事実だけをフロストリーフは認識し、微かな優越感を覚えると同時に、そんな邪な感情を抱いた自分を嫌悪した。
その気持ちは両方とも日々を追う毎に大きくなり、ふとした拍子に彼女の心を苛むが、その機会を彼女が手放そうとしたことは無い。
むしろフロストリーフは、自身を仄かに満たす温かなソレに両の爪を立てて抱え込み、逃すまいとしていた。
「なるほど!」と言ってメモを走らせるオーナーの横顔を見ながら、フロストリーフは微笑む。
(…………良かった)
事ある毎に、フロストリーフはそう思うことが増えた。
オーナーを守れるように、強さを求めて訓練をした。
──フロストリーフは決して弱くない。だが上には上が居て、ノアによればオーナーは『守れる強さを持つ者の傍に現れた』とのこと。フロストリーフは、選ばれなかった。
オーナーを見つけ出せるように、他国を回るための知識を付けた。
──言語を学び、衝突を避けるため他種族の文化や歴史への理解を深めた。だが生まれてから今まで、戦闘に関することだけを身に着けてきた者が、一朝一夕で乗り越えられるほど知識の壁は低くない。フロストリーフは、間に合わなかった。
オーナーが帰って来る場所が少しでも良くなっているように、ロドスで多くの任務をこなした。
──知識が不完全とあれば、彼女に出来る事はやはり戦闘関係のものしかない。戦って傷付き、休む間は何かを学び、それらが自分にとって糧になることを強く望んだ。だがその過密な予定によって、彼女はオーナーと会うことが出来なかった。フロストリーフは、その機会を逃した。
無論、フロストリーフはそれらを止めた訳では無い。
オーナーと再会を果たし、こうして教鞭をとった後も、訓練は続け、勉学に励み、任務をこなしている。
身に着けた戦闘能力は、オーナーと共に居る上で一定の護衛能力を満たしていると認められた。
学んで手にした知識は、言語の授業をする上で、その習得方法も含めて丁度良いと認められた。
ロドスでこなした多くの任務によって、その性格と実績は評価され、信用に足ると認められた。
フロストリーフの人生は、彼女の選択は、確かにその実を結んだ。
今はまだ小さくとも、彼女は確かに報われたのだ。
「──オーナー、そろそろ休憩にしよう。最近は何かあったか? ぜひ聞かせてくれ」
努力が形になることを、フロストリーフは身を以って知った。
だから彼女はこれからも、努力を続ける。
オーナーの傍に居続けるために。
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本日の目標までの勉強を終えた二人は、それでもなおその部屋に留まりノートを開いていた。
先程までと形は同じだが、その役割は異なっており、今度はオーナーの方が先生となっている。
教えているのは、この世界で使用することが無いオーナーの母語──純粋な日本語だ。
ひらがな、カタカナ、漢字。
三種類の使い分けに、フロストリーフは今日も頭を悩ませる。
「……毎回思うんだが、同じ意味なのに何で表記が三種類もあるんだ? 一種類で十分だろう」
「あはは……何ででしょうね? でもヴィクトリア語とかにも、同じ意味の単語が何個もありますし、それと似たようなものですよ、きっと」
「それでも文字自体は一種類だ。くそ、難し過ぎる……!」
日々のお礼に何かしたい、と提案したオーナーに、フロストリーフはオーナーの主言語を教えて欲しいと願った。
言葉は自動で翻訳されてしまうため上手く教えることが出来ず、結局はこのように書き文字を教えることとなったのだが、その難度によって今のところ成果はよろしくない。
「サガに教えて貰った極東語に一番近いが、それが逆に厄介だな。頭の中で混ざってややこしい」
もちろんオーナーは出身をぼかしてフロストリーフに伝えている。
もしかしたらオーナーの故郷がどの国か分かるかもしれないとフロストリーフは淡い期待を抱いていたが、それは叶わず、しかし深く追及することは無かった。
恐らく今後、使用することは無いであろう言語を、フロストリーフは学んでいる。
傍から見れば無駄な行為だが、フロストリーフの胸中は違う。
オーナーが視線を外している間に、彼女はノートの端に書いた、そして書かれた単語を見詰めた。
(……フフッ)
言語を教えて貰う際、一番最初に聞いたもの。
オーナーが書いた綺麗な文字と、それを真似て書いたフロストリーフの文字で、二種類ずつ。
オーナーの母語で書かれた、オーナーの本名とフロストリーフの名前が、そこに記されていた。
本名を教えたのが自分以外にも何名か居ると聞いた時、彼女は落胆を隠せなかったが、文字やその意味まで教えたのは現状フロストリーフしか居ないと聞き、彼女は密かに歓喜した。
そしてこの『日本語』という繋がりも、オーナーとフロストリーフの間にしか存在しない。
(これは、私とオーナーの二人だけのもの……)
いつの日か、他の者が知ることは有るかもしれない。そしてそれを止める権利は、フロストリーフには無い。
だが今この瞬間だけは、フロストリーフがオーナーの一部を確かに独占している。
その事実に彼女は、ただただ昏い喜びを感じた。
アフターストーリー
『レユニオンとの交流 前提編』が解放されました。
『心理相談:ミヅキ』が解放されました。
『心理相談:アスベストス』が解放されました。
回想秘録
サガの『寝食』が解放されました。