ノア上部に建てられた診療所。
本日の仕事を終え、道具類の片付けや明日以降の予定の確認を行っていたシャイニングは、ふと部屋の窓へと目を向ける。
付近の住居から漏れた灯りが闇夜を僅かに照らし出しているが、それでもなお窓の向こうは暗闇に満ちていた。
シャイニングは、窓に映った自身の顔を見る。
半年ほど前であればそこに映るのは生気を失った表情しか無かったが、今は違う。
オーナーがこの場所に帰って来て、オーナーが無事に目を覚まして、オーナーと過ごす時間が増えて、シャイニングの表情には温かく穏やかな色が戻った。
だが、戻るだけでなく増えてしまったものも有る。
シャイニングは、窓に映る自身を──その双眸をジッと見た。
窓のガラスによる反射は、鏡と違って色を映し出すことに長けていない。彼女の黒い瞳は、まるで暗闇と混じってしまっているかのようだった。
「…………オーナー」
シャイニングは、二つのことに気付いていない。
無意識に、その名を呼んでいたことに。
無意識に、右手で左腕のとある部分をなぞっていることに。
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「シャイニングさん、何か悩み事があったりしますか? もしそうでしたら、私に何かお手伝い出来ることはありますか?」
診療室にてオーナーの身体に関する定期検査を行っていたシャイニングは、オーナーからの突然の言葉に目を丸くした。
続いて彼が何故そのようなことを急に言い出したのか、その理由に思い当たり、申し訳無さから僅かに目を伏せる。
「ご負担をかけてしまったようですね、すみません……」
「いえっ、負担とかそんなことは全然無いんですっ。ただ、その……最近のシャイニングさんが、私に対して罪悪感を持っていることが気になりまして……」
シャイニングはオーナーと接する際、平静を保ち感情を乱さぬよう強く心掛けていた。
それは『共感』によってオーナーに負担が掛かってしまわないようにするためであり、明かすべきではないと判断した己が本心を隠すためでもある。
だが、会う度に少しずつ積み重なっていくその罪悪感は、何時しか彼女の制御下を飛び出してしまっていた。
事ここに至っては、オーナーの心配を増大させるだけだろう。
そう判断したシャイニングは、その目線をオーナーの腕の方へと向けた。
視線に気付いたオーナーが服の袖を捲ると、そこにはいくつかの注射痕が残っている。
「……痛みはありますか、オーナー?」
「大丈夫です。……皆さん上手なので」
有識者による様々な検査と意見を交えた結果、オーナーの種族は『エルフ』と『シーボーン』が混じったものという結論が出た。
源石に対する耐性が全くと言っていいほどに無いエルフと、生存や存続のために適応や進化を繰り返すシーボーン。その二つが合わさった結果、オーナーの身体は常に変化し続けている。
広義的に見ればオーナーは感染者であるが、その体内に存在する源石は他者のソレと違い、体表に現れる事も無く、人体に対する攻撃性も拡散性も有していない。
それどころかオーナーから採取された未知の成分には、微弱ながら源石の活動を抑制する効果すらあることが、ドクターやケルシーの手によって発見されている。
治る暇も無く増えていく注射痕は、その成分の採取や研究及び実験のために頻繁に行われる、採血によるものだ。
ロドス本艦で、あるいはこの診療所で、その行為は度々行われている。もちろんシャイニングも、採血を行う側の人物の一人である。
「立派な医療行為であることは分かっています。それでも頻度や目的を考慮すると、オーナーを傷付けてしまっているのではないか、と私は思うのです」
「……そんな風に感じたことは無いですよ。体調や健康も慮ってもらっていますし、何かの役に立てるのはとても嬉しいです。……それに、傷付けると言うのなら────」
そこで、シャイニングは気付いた。
オーナーの表情に申し訳無さが浮かんでいることに。その視線が自身の左腕へと注がれていることに。
オーナーと同じようにシャイニングも服の袖を捲り、陶磁器のように滑らかな肌が現れる。オーナーの表情が更に強張った。
その肌には、腕をぐるりと一周するように、薄い線が見えた。
かつてレユニオンを訪れた時に、シャイニングが腕を斬り落とした際の名残が、そこにあった。
「……ごめんなさい」
「謝る必要はありません。これは私が望んで行ったことです」
産まれた場所も育った環境も違うオーナーとシャイニングの両者では、価値観も認識も多くの相違が有る。
シャイニングは、この大地で生きていく上で怪我や傷を負うことは珍しくも何とも無いと思っているため気にしていないが、オーナーは、自身の不用意な行動によって彼女の身体に傷痕を残させてしまったと後悔している。
他者とどこかズレた感覚。
オーナーのそれが何だか懐かしくて、シャイニングは淡く微笑んだ。
「オーナー、手を出して頂けますか?」
伸ばされた手、その手首を右手でそっと引き寄せたシャイニングは、自身の左腕──傷痕の部分へと添えた。
驚きと緊張で身を強張らせるオーナーを他所に、シャイニングは彼の人差し指をそっと掴む。
そうしてゆっくりと、自身の傷跡をオーナーの指でなぞった。
指は何かに邪魔されることなくするりと滑り、シャイニングの肌の柔らかさと熱しか、オーナーに伝えない。
「目には見えても触れればこのように……痕は何も残っていません。ですからオーナー、あなたが気に病むこともありません。…………オーナー?」
シャイニングが顔を上げると、そこにはほんのりと頬を赤らめたオーナーの顔があった。
その表情を目にした彼女の心に、昏くてじんわりと熱を持った何かが走る。
気付けば、シャイニングは言葉を紡いでいた。
「──オーナー、恥ずかしがる必要はありませんよ」
「どうぞもっと触れてみて下さい。そちらの手も……はい、両手でしっかりと確かめるべきです」
「あなたの、私に対する罪悪感が消えるまで、私は大丈夫だと理解出来るまで、続けましょう……」
昏い熱はしばらくの間、彼女の心に残り続けた。
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シャイニングは、自身の指で傷痕をなぞる。
きっとあの日の行いで、オーナーが抱えていた罪悪感は消えたと見ていいだろう。
そうだとしても、傷痕は彼女に刻まれて未だに残っている。
その痕に触れる度、シャイニングはオーナーのことを思い浮かべた。
(いけません、こんな考えは……)
オーナーの採血は、シャイニングも行うことがある。
もしかしたらその痕に触れる度、オーナーも同じように思い浮かべてくれているかもしれない。
それはシャイニングとして、医療従事者として、抱いてはいけない考え方だ。
(──ですが、これは私とオーナーの唯一の繋がり……)
大袈裟に表現するのならば、双方の認識においてオーナーとシャイニングは、互いに傷付け合っている。
それは間違いなくこの二人の間にしか無い繋がりで、彼女はそれに縋りかけていた。
「…………何て酷い顔」
シャイニングは再び、窓の外へと目を向けた。
先程よりも心なしか暗闇が濃くなったかのような錯覚を、彼女は覚える。
窓の向こうに、辛そうに微笑む悪魔を──シャイニングは見た。