星の光だけが大地を淡く照らす夜、夥しい数の源石クラスターが拡がった荒野。
その隙間を縫うように歩みを進めていた二つの影が、少し開けた場所へと辿り着いて動きを止める。
影の一つがゆっくりと動き出し、身を屈めて足元に咲いていた白い花へと手を伸ばす。
もう一つの影もそこに近付き、肩口辺りからその手元を覗き込んだ。
「オーナー、これが私の……いえ、私達の研究成果よ。道中で説明した通り、これは源石を転化させたものなの」
「これが……」
テレジアの隣にしゃがみ込んだオーナーの手が、彼女の手が添えられた純白の花へと触れる。
決して作り物などではない触感が伝わり、そしてもう一つの事実を以ってオーナーは困惑した。
「ちゃんと声が聞こえます。本当に元は源石なのでしょうか?」
「ええ、そうよ。昔はもっと、一面に花が咲いていたのだけれど……」
イェラグ、シエスタ、そして現在のノアに向かう道中。
このテラの大地の常識や知識を、テレジアを筆頭とした様々な人物から学んで来たオーナーは、目の前の現実がとんでもないものだということを辛うじて理解出来ている。
そして、だからこそこんな辺境に、という部分にも考えが至った。
かつては花畑と評せるほどであったこの場所も、年月と度重なる天災の影響により荒廃の一途を辿っており、僅かばかりの白色が地に残されているだけである。
二人がこの白い花──ナツユキソウを目にすることが出来たのは、幸運の一言に尽きるものだった。
おそらく次に訪れる頃には、源石クラスターで埋め尽くされ花は跡形も無く消え去っていることだろう。
「私はこの花が、鉱石病や天災に苦しむ人々のひとひらの希望になってくれると信じていた。……でも、この成果によって引き起こされた結果を考慮すれば、この花は私の過ちの証とも呼べるわね」
「……そんなことは」
「いいのよ、オーナー。私に気を遣う必要なんて無いわ。私は私に出来る事を精一杯やったつもりだったけれど、その殆どが失敗に終わった……。それは純然たる事実だもの」
テレジアはそこで言葉を切り、立ち上がった。
少しの間夜空を見上げ、続いて立ち上がっていたオーナーへとその顔を向ける。
僅かな表情しか読み取れない暗闇の中、オーナーはテレジアの瞳に煌々と燃え上がる強い意志を見た。
「────それでも私は、もう一度理想を追いかけるわ」
それは過去。
命を賭して支えてくれた仲間達の覚悟に報いるために。
それは現在。
奇跡を信じこの大地で耐え忍んでいる者達の希望となるために。
それは未来。
何時か何処かで芽吹くであろう尊い生命が穏やかな営みを送れるように。
誰に頼まれた訳でも無く、他ならぬテレジア自身が『そうすべきだ』と『そうあって欲しい』と、願う心に従って。
多くの者がこの彼女の在り方に強く惹かれ、その道を共にしようと決意した。
そしてそれはオーナーも例外では無い。
ただ、オーナーとこの大地に住まう者達とでは大きく事情が異なるのも事実だった。
現代社会という情報の大海の中で過ごしていたオーナーには、自身よりも高尚で、高潔で、高徳な者──『異質な存在』を目にする機会が多くあったため、多少の耐性が有る。
だからオーナーは、テレジアという存在に盲目的な信仰を向けたりはしない。
その言葉の全てを肯定し鵜吞みにして、献身という破滅の道に進んだりしない。
「……私はまだ、この世界の事も、様々な事情も詳しく知っていません」
「テレジアさんも知っての通り貧弱ですし、ノアに行くことで何かが出来るようになると決まっている訳でもありません」
「────それでも、頑張っている人は報われて欲しいと、そう思って生きています」
「テレジアさん、私に何か手伝えることはありますか?」
その身の丈は超えず、差し出されたそれは彼女が過去に受け取って来たものに比べて遥かに小さい。
だが彼女は、絶えず前を征き何時の時も背に感じていたものとは違う、まるで隣に立って共に歩んでくれるかのような錯覚を覚えた。
そしてそれが、それこそが。
テレジアにとって嬉しくて堪らないものであった。
「オーナー。たとえ貴方に膂力が無いとしても、特別な力が使えないとしても、その言葉とその気持ちだけで十分過ぎるくらいよ。だから、全ては無事にノアに着いてからにしましょう」
命を救って貰った。
それが意図していたことでは無いとしても、その結果は変わらない。
これ以上は罰が当たってしまうと、テレジアは嬉しさを吞み込んで代わりに柔らかな微笑みをオーナーへと向けた。
様々なものを諦めないと彼女は誓ったが、それは多くを望むことと同義では無い。
心に生まれた微かな痛みは、彼女が今まで真に理解することの無かった『 』の味。
冷たさと温かさ。
相反する感覚をその身で感じ取りながら、テレジアはそれを噛み締める。
そうしてそっと、心の奥に『 』をしまい込んだ。
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────────
それなのに、貴方は私の『 』を見付けてしまう。
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「────だから、テレジアさんのことを手伝わせて下さい」
ノア内部の建造物にて行われるテレジアの授業。
上に立つ者としての振る舞い方や作法、そしてアーツに関する知識をオーナーに教える、彼女にとって心が休まる時間。
そんな時間も終わりの時が差し迫り、名残惜しさと共に教材や教本の類を片付けていた彼女の手は、オーナーの声によって止まった。
普段の穏やかで温かい表情とは少し違う、確かな意志を宿したそれに、テレジアは襟を正してオーナーの言葉に耳を傾けた。
オーナーの口から語られたのは、今後のノアの行動指針について。
そして、彼個人としての思いの丈────テレジアの力になりたいというもの。
オーナーはその結論に至るまでの詳細を説明し、自身の想いを言葉にしていたが、テレジアはそれどころでは無かった。
確かに耳に届いているはずの内容が、彼女の思考と内から溢れ出る想いによって流されていく。
「……あの、テレジアさん?」
テレジアの様子がおかしいことに気付いたオーナーは彼女の名前を呼び、心配の言葉を掛ける前に彼女によって強く抱き締められた。
「────っ!?」
そして未だかつて味わったことの無い規模の感情の激流をその身に受けて、オーナーは意識を手放しかける。
膝から崩れ落ちそうになったオーナーの身体を、テレジアは抱き締めながら支えた。
「……今だけは、どうか許してちょうだい」
駄目だ、と。いけない、と。
引いても退いても、意志かそれとも運命か、オーナーはテレジアの手の届く範囲へと戻って来る。
──離れることが出来ないのなら、その度に心が惑わされてしまうのなら、いっそのこと血が滲むほどに掴んでしまえばいい──
今まさに自身から溢れ出る感情によってオーナーを苦しめているという事実を理解しつつ、彼女は全てを制御することが出来なかった。
「──、────、──────…………」
テレジアの口から零れ落ちるように繰り返される謝罪の言葉。
熱い吐息と混じってしまっているかのようにか細くか弱い声。
──それが、止まる。
「テレ、ジアさん……、大丈夫、です……」
「……オーナー?」
「あなたを、許します」
既にオーナーの意識は殆ど無かった。
『許して』と謝罪の言葉の数々。そして『共感』によって伝わるテレジアの想い。
それらを以って半ば反射的に導き出されたその言葉は、彼女の心を優しく包み込んだ。
それはかつて、テレジアがとある者へと贈った言葉の一つ。
腕の力を緩め、倒れてしまわないよう背中を手で支えつつ、テレジアは眼前のオーナーの表情を見た。
額に汗を滲ませ、息も絶え絶えで、瞳は焦点が定まっていない。
辛そうで、苦しそうで、だと言うのに柔らかな微笑みを崩さない。
『 』が、溢れた。
白い紙にインクが滲んでいくように。
じわじわと染まっていき、二度と元に戻ることは無い。
「好きよ、オーナー。貴方の事が、好き」
『共感』によって意識を失う直前の出来事を、オーナーは憶えていないことが多い。
この告白ももしかしたら届いていないかもしれないが、それでも構わないとテレジアは思った。
(その時はもう一度、この想いを伝えましょう)
(受け止めきれないのであれば、受け止められるようにしていけばいい)
(……私だけというのが理想だけれども、必要であれば『そうなること』も厭わないわ)
『 』に従って、テレジアはオーナーに口づけを落とした。
完全に意識を手放していたオーナーと共に、冷たい床へと崩れ込む。
そして初めて知るその柔らかな感触を、彼女は何度も何度も確かめるのだった。
アフターストーリー
『レユニオンとの交流 道中編』が解放されました。
『交流:テレジア』が解放されました。