「ノア様、オーナー様、申し訳ございません……」
『ノア』から離れた場所、雪原に設置された小屋の中。
中心にベッドが置かれているだけで他には何も存在しない簡素な部屋だが、外の空気はしっかりと遮断されており、中の気温は暖かく保たれている。
『 アヤマルヒツヨウハ アリマセン 』
「ですが私は、何も返せていないまま……」
『ノア』には鉱石病感染者の住民が数多く居る。
予防薬が使用されているため、新しい感染者こそ増えていないが、元から感染者だった者達は、いつか末期を迎えて同じ結末を辿ることが決まっている。
ベッドに横たわる住民は、『ノア』にとってその一人目となった者だ。
悔しさに涙を滲ませる彼の人生は、ある日を迎えるまで幸福とは言えないものであった。
彼は、移動都市から追い出された、感染者の両親の下に生まれた。
村には感染者の者も多く、裕福な暮らしは出来なかったが、強い迫害や差別を受けずに過ごすことが出来た。
しかし、彼が大人になる前に父が亡くなり、そして後を追うように母も亡くなった。
その最期は、村を自主的に出て行き、鉱石病によってひっそりと死ぬという、悲しいものだった。
両親の死という悲しみを乗り越えて大人になった頃、鉱石病の症状が初めて現れた時、彼は思った。
父や母と同じように一人で死ぬのだ、と。
あの日から十数年、纏わりつく死の気配に苛まれながら生きてきた。
『ノア』に出会い、その住民となるまでは。
「何も出来ない私を受け入れて下さったこと、本当に感謝しています……」
日々を憂い、明日に諦めを抱く毎日。
身体は日に日に衰えて症状は悪化し、精神は磨り潰されるように削られて戻ることが無い。
そんな毎日が、変わった。
温かい食事と、与えられる真っ当な仕事。
周りの人を支え、そして周りの人に支えられながら生きる日々。
明日を楽しみに眠ることが、どれだけ幸福なことか。
感謝してもしきれない。相応しい言葉さえ思い付かない。
『 モジノヨミカキ ジョウシキヤレキシ コドモタチニオシエタ 』
『 ヒビノハタラキ キンベンデセイカク 』
『 アナタハ ツクシテクレマシタ 』
『 コチラコソ カンシャ 』
「──身に余る、光栄、です……!」
そんな彼に、それでも『ノア』は感謝の言葉をくれるのだ。
段々と呼吸が早く、浅くなり始めた男は、幸せを噛み締める。
文字の読み書き、地域毎の歴史や常識は、両親が教えてくれた。
いつか移動都市に移り住むことが出来た時に、困らないようにと。
感染者である自分は、真面目に、間違いの無いように働いた。
たった一つの失敗で、居場所が揺らいでしまうことが怖かったから。
その知識や経験を、生き方を、全て認めてくれた。
無駄では無かったと、教えてくれた。
「みんな、ありがとう……」
それが彼の、最期の言葉。
『あなたという人物が居たことを皆が覚えています』
『この先もずっと、あなたは独りではありません』
『お休みなさい、────』
自身の名前が呼ばれるのを聴きながら、彼はゆっくりとその生涯を閉じる。
それは彼にとって疑うことなく、幸福な最期だった。
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『みんな、ありがとう……』
祠から響いたその声に、住民達は作業の手を止めた。
死にゆく彼と無線機を通して思い出を語り合っていた仲間達は、『ノア』と二人きりの対話が始まった頃から、邪魔をする訳にはいかないと思い、その電源を切っている。
だとすればこの声は、『ノア』が住民の皆に届けるべきだと判断したことなのだろう。
続く『オーナー』の声を聞き終えて、何名かの住民が涙を流す。
「……『あなたたちは独りではない』」
そしてその住民と『オーナー』の言葉は、話し合いのために偶然『ノア』の方に来ていたタルラの耳にも届いた。
その内容に、彼女の口からかつての言葉が溢れ出る。
それはタルラ自身が考えた、感染者達に向けたメッセージだ。
メッセージに込めた想いも、自身の信念も変わってはいない。
だが実際に、どれだけ行動に移すことが出来ただろうか?
どれだけの人々に理解してもらうことが出来ただろうか?
「オーナー、あなたは理解してくれるのか……?」
その声音に込められた想いは何なのか、タルラ自身にも分からない。
……そうだ、理解し、理解されろ。
取り入り、取り込め。望むままに。
黒い蛇のようなナニカだけが、楽しそうに嗤っていた。