ウルサス帝国。
その中心にそびえ立つ壮大な建物。
その建物の一室で、椅子に腰かけた男──皇帝フョードルは大きく息を吐く。
その息に失望などの暗い色は無く、むしろ安堵の色が見て取れた。
「レユニオンとの交渉も一段落と言ったところか……」
「はい、当面の間はこれで問題無いかと思われます」
読み終わり、机へと置かれた報告書を目で追いながら、向かいに立つ皇帝の側近──ヴィッテはそう答える。
『ノア』がウルサスを脱してから月日もそう経たない内に、レユニオンとウルサス帝国皇帝、両者の秘密裏の交渉は異例の速さで行われることとなった。
そして今、その交渉の結果が机の上の資料に纏められている。
通常は相当の時間を要するはずのものだったが、今回はいくつかの要因が重なった。
その最たるものが二つ。
レユニオンが使用していた無線機の性能が良く、中継点に人員を配置することで長距離間の通信が可能だったこと。
レユニオン側が提示してきた要求内容が、事前に想定していたものと異なり、様々な面で帝国側に有利だったこと。
前者についてはもちろん『ノア』がレユニオンに提供していたものであり、その性能の高さから帝国での研究が始まっている。
研究員達は追加の実機を要求しているが、レユニオンが渋っている状況のため、あまり芳しくはない。
そして後者については、帝国側が大いに驚くものであった。
資料に書かれていることを要約すると、以下の通りとなる。
『レユニオンは西北凍原を主な活動地とし、感染者の保護を行う』
『ウルサス主要都市における感染者について、レユニオンに向かうよう誘導する』
『レユニオンの存在について、現時点では一切公表しない』
細々としたものを除いても、大きく分けるとこの三つにしかならない。
帝国側が想定していた物資に関する要求は無く、また公表することで感染者を集めるといった意図も無い。
帝国側で行うべきものが『感染者の誘導』のみで、労力がかからない有利な内容。
物資を要求されれば、その動きで帝国貴族に繋がりが露見する可能性がある。
感染者の居場所があることを公表すれば、一部地域の格差による統治に乱れが生じる。
その辺りを考慮する必要が無くなったのは、彼等にとっては嬉しい誤算だった。
「報告によればそれなりの戦力が整っているようですが、貴族達に対する抑止力としてはまだまだ足りないことは明白でございます」
「うむ。いずれ時が経てば、より強力な手札に変わってくれるだろう」
「ここに『ノア』とやらも加わっていれば盤石であったが……」と続けた皇帝に対し、ヴィッテは残念そうに目を伏せた。
「ええ、ですが今は得体の知れない存在を抱え込めるほどの余裕が無いのも事実です。次の接触の機会を待つべきかと」
「……他国に先んじられたら?」
「報告が全て真実であるならば、他国もそう易々と跳びつきません。国家にとって劇薬が過ぎます」
その言葉に、皇帝は一応の納得を見せた。
その思考には、今更何を言っても仕方が無い、という諦めも多分に含まれている。
皇帝は大きな溜息を吐いた。
「……誘導に適した人物を探さねばなるまい。ヴィッテよ、何か良い案は有るか?」
「こちらで調査したところ、まずはチェルノボーグに一名おりました。『ヘラグ』という者です」
ウルサスの未来が変わる会議は、続く。
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『リターニア王国』。
かつては『巫王』と呼ばれる人物が、その圧倒的なアーツの力を以って支配していた国。
クーデターによって『双子の女帝』に打倒され、統治者が変わっても、国としての特色や本質は殆ど変わっていない。
主要な都市では貴族が蔓延り、平民が彼等の行いに振り回されることも多い。
アーツ技術の水準が高く、教育を受けた者は他国の専門術師に匹敵すると言われている。
そんな『リターニア王国』でも、僻地とされる『ヴィセハイム』という移動都市。
更にその中の『アフターグロー区』と呼ばれる場所の外に建てられた家。
その家の一室で、領主である『ゲルトルーデ・ストロッロ伯爵』は目を覚ました。
「……仕事の途中でしたわね」
重度の不眠症である彼女に、決まった就寝時間は存在しない。
椅子に座ったまま何時の間にか眠りに落ちていた彼女は、眼前の机に広がる書類の数々を見て、小さな溜息を吐いた。
その一番上の書類が目に留まる。
「短期滞在と横断の許可書……もうそろそろかしら?」
『テラ』における多くの国、移動都市に言えることだが、重大な物事や特殊な場合を除き、都市の運営は責任者に一任されていることが多い。
移動によって主要都市との密な連絡が取り辛く、迅速な対応が不可能であるためだ。
彼女が手に取った許可書の写し──数日前に作成し、ラテラーノに戻る途中だと言っていた者達に発行したもの──も、彼女の判断によって作成されている。
(一体何の用事があったのかは存じ上げませんが……)
横断しようとするのは理解出来るとして、そもそも何故リターニアの北側、ウルサスとの国境付近に居るのか。
ただでさえ面倒事を抱えている身。これ以上増やす必要も無い。
そう考えて、浮かんだ疑問を彼女は無視した。
席を立ち、新しい紅茶を淹れる。
それを一口含んだ彼女は、再び書類の山と向き合うのだった。
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「……あれ? 住民の健康値が微妙に下がってる?」
「ステータスに異常も無い。最近何かあったっけ……?」
「うーん……?」
『ノア様、オーナー様。おはようございます』
「お、最近うちに来たクライデ君じゃん」
「毎日朝の挨拶に来るなんて、良い子だなー」