移動都市『ヴィセハイム』を治めるゲルトルーデ・ストロッロ伯爵。
彼女の家名であるストロッロ家は、代々この都市を治めていた訳では無い。
元々はリターニアにおける複数の移動都市を治める大貴族であったストロッロ家は、ある日を境にその力を急速に失うこととなった。
当時の当主であった彼女の父が与していた巫王派──そのトップである巫王が、双子の女帝に敗れたために。
それによって地位を追われ、権力を失いながらも、彼女の父は『巫王派の残党』を支援し、再起を図る。
かつての栄光を諦めることが出来なかった彼のその行動は、最悪な形で実を結ぶこととなった。
双子の女帝の密偵に支援の事実を掴まれ、最早これまでと全てを自供しようとし、『巫王派の残党』に口止めとして殺されるという結末。
その後に兄が当主となり、その兄が亡くなって、ゲルトルーデは今の立場と地位に収まることとなった。
彼女は、彼女の一族は、『巫王』の影から逃れることは出来ない。
その証拠に、およそ十年もの間、彼女は秘密裏に『巫王派の残党』への支援を続けている。
好き好んで支援をしている訳ではなく、『巫王派の残党』から脅され、全ては自身の命のために。
父の死のように、何時か理不尽が襲い掛かってくるかもしれないという恐怖に耐えながら、今日まで彼女は生き延びてきた。
彼女を動かすのは『復讐』の二文字。
一族と自身を虐げ続け、今でさえ無茶な要求を強いてくる『巫王派の残党』への、復讐。
ゲルトルーデ伯爵は、そのための糸口を既に掴んでいる。
『巫王派の残党』の興味も惹くその糸口──『塵界の音』の研究は、上手く利用すれば彼女の願いを叶えることも出来るだろう。
しかしリターニアでは、巫王や彼の遺した物に関する研究は固く禁じられている。
発覚すれば、『巫王派の残党』が手を下すよりも先に、彼女が命を落とす可能性もある。
だからこそゆっくりと、しかし着実に、研究を重ね、計画を練る。
その計画が近日中に崩壊することを、彼女は知る由も無い。
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「………………長いっ!」
ゲーム内の時間は夕方。
ゲルトルーデ伯爵からの呼び出しに応え、紆余曲折があってそれなりの時間を拘束されたせいで午前が丸々と潰れてしまった。
それから飲食店で遅めの昼食を済ませた後、ツェルニーから紹介された服屋へと向かったのだが、女性陣が服を選び始めてからもうそろそろ三時間が経過しようとしている。
もちろんゲーム内の時間での話だが、実際の時間も三十分くらいは経っているので、思わず声が出てしまった。
「伯爵とのイベントより長くないか?」
伯爵からの呼び出しの理由はシンプルなもので、薬によって体調が良くなったことに対する感謝と、今後のためにもう何個か都合出来ないか、というお願いだった。
どうやら不眠症は治らなかったようなのだが、それによって蓄積されていたであろう疲労や不調が改善されたらしい。
『これほど清々しい気分になるのは数年ぶりですわ』とは彼女の談だ。
治らなかったのは残念だが、良く効く栄養ドリンクみたいな効果はあったようで、送った側としても喜ばしい限りだ。
渡した錠剤型の救急キットは『中級』なので資源の消費もそこまで大きくないのだが、イベント画面では資源残量の確認が出来なかったので、大事を取って後ほどお渡しする旨を伝えておいた。
そこまでは良かった。時間にして数分くらいだったし。
問題はその際にゲルトルーデ伯爵が発した『そういえば昨日、アフターグロー区で騒ぎが起きたという報告が来ています。こうやってお願いをしている立場上強くは言えませんが、騒音等は控えて頂けると助かりますわ』という言葉に、黙って控えていたツェルニーが『あの音楽は騒音などではありません!』と返したことだ。
後から教えて貰ったのだが、音楽が盛んなリターニアでは地域特有の言い回しとして、騒ぎやトラブルなどの出来事を『騒音』と表現することが多いらしい。
だが今回は相手が音楽家として誇りを持っているツェルニーであることが悪かったみたいで、伯爵の悪気の無い冗談が通じず、何度か言い合いを続けた後、怒ったツェルニーは俺達に音楽を流すことを促した。
何でそうなるの? と思ったが、『一度聴けばこの素晴らしさを理解するでしょう』とツェルニーは言っていた。
正直音楽を流すのは良いとして、時間がかかるのが凄く嫌だったのだが、そこには嬉しい誤算もあった。
何と一度流した音楽はスキップが可能なようで、クリック一つで一瞬で演奏が完了したのだ。
「その後の長い音楽談義も誤算と言えば誤算だったけど……」
再生が終わった後の二人の台詞が面白かったこともあって、調子に乗って連続でクリックしたのが間違いだった。
ツェルニーが聞いていない『ノア』で流した曲を演奏したせいで、再び根掘り葉掘り聞かれることになったのだから。
でもまあその音楽と薬のおかげで、とある要求もすんなり受け入れて貰えたのだから、差し引きプラスとしておこう。
『……オーナー、これはどうだ?』
ゲーム画面ではドレスで着飾ったフロストリーフが、椅子に置かれた無線機に向かって似合っているかどうかを聞いてくる。
それに対して俺は感想を入力するのだが、既にその回数は十回を超えていた。
感想を聞いたフロストリーフは嬉しそうに淡く微笑み、『フロストリーフ、次はこちらを試してみましょう!』と、楽しそうなレミュアンに連れて行かれる。
このやり取り、あと何回続けるんだろう?
既に服を選び終えて、無線機の両隣に座るビガロとリーヴァに問い掛けると、二人は困ったように申し訳無さそうな表情を浮かべた。
『オーナー、すみません。でももう少しフロストリーフさんに付き合ってあげて頂けませんか?』
『ツェルニーさんの紹介のおかげで、自由に服が試着出来るんです。私からもお願いします』
どういうことなのか気になって深く理由を聞いて、ちょっと後悔した。
感染者の人達って、本来は試着も許されない方が多いのだとか。感染者が一度着た服なんて商品にならない、って感じで。
このアフターグロー区の店が比較的マシなだけで、店によっては入店すら断られることもあるとのこと。
というか断られるくらいならまだ良い方で、酷い暴力で追い返されることも少なくないんだって。
そうか、そうなのか……。
「……まだ昼前だし、思う存分付き合ってあげるか!」
大丈夫、ゲームする時間はまだまだあるんだから。