「──一時間程で戻るわ。それまで良い子にして待っていてね?」
長い問答の後、生活に必要なものを街で揃えてくると言ったテレジアは、俺にそう告げて部屋を出て行った。
それから十数分、部屋に備え付けられた薪ストーブのようなものの火にあたりながら、俺は体育座りでジッと黙っていた。
「……夢。そう、やっぱり夢だって」
気付いたら目隠しをされていて視界が真っ暗で、動こうとしたら手足を縛られており動けず、そこでようやく布のようなもので口も塞がれていることに気付いた。
訳が分からずパニックになりそうだったが、「おい、大人しくしろ。手荒なことは面倒だからよ」という、柄の悪そうな女性の声が聞こえたことで、踏みとどまることが出来た気がする。
少しして扉が開く音と共に誰かの足音が遠ざかっていったので、声の主がどこかに行ったのだろうと考え、改めて状況整理をしてみたが何も好転することは無かった。
まず確かめたのは状況。
動くことも出来ず、声を出すことも出来ない。身じろぎは出来るが周りに何があるかすら不明なので、大人しくするしかない。
身体に伝わる感触から、地面ではなく何かの床に転がされていることが分かり、屋外ではなく室内であることが推測出来る。
馴染みのない安物の布のような感触が肌に伝わってくるので、着替えさせられた可能性もある。
そして、身震いするような寒さがあった。
そして自身の記憶。
朝起きた時は自分の部屋だったことは覚えている。
昨晩に消し忘れたのかパソコンの電源は点いたままで、『生息演算』のゲーム起動のためのタイトル画面が表示されたままだった。
レンジで朝食を温め、食事をしながらゲームを開始し、ネームドとの会話イベントを消化しながら『300日目』を超えた記憶がある。
そうだ。ゲーム画面の遠くにラテラーノの都市を見て、先に食べた後のゴミを片付けようとしたんだ。
そこからの記憶が曖昧だ。何か喋った気もするし、何か聞こえた気もする。
そして思い出そうと必死になっているところに誰かがやって来て、明けた視界に飛び込んできたのが『生息演算』のゲームキャラ──テレジアだった。
今思い返せばその時のテレジアは、俺と同じくらいかそれ以上に驚いていた気がする。
目の前にゲームのキャラが居るなんてやっぱり夢かもしれないと混乱が加速してしまい、初めの方のテレジアの質問には上の空で答えてしまった。
オーナーかどうかの問いにも思わず肯定してしまったし、何処から、そして何故此処に、といった質問にも、馬鹿正直に分からないと返してしまった。
深く追及されなかったのが不思議だが、彼女は何度か考えるような仕草を取り、次に口を開いた時には新しい質問が飛び出していた。
いろいろなことを聞かれ、途中からは俺の方も、ここが何処なのかなど気になっていることを聞き返す。
そしてその結果として、しばらく彼女のお世話になることも確定した。
問答の中で彼女は、今の自分は逃亡の身だと述べていて、何の肩書も無いから気軽に接して欲しいとは言っていたが、そうだとしてもやはり組織のトップだった人物は凄い。
そこまで迷惑を掛ける訳にはいかない、対価を払う術も無い、と言って断る俺に対し、諭すような口調で淡々と事実と状況を告げられ、気が付いた時には話は決まってしまっていた。
声のトーン、あるいは話し方やその間だろうか? スルスルとこちらの頭に入ってきて、感じていた不安さえも軽減されたように思う。
「……夢にしてはリアルだ」
自分で言っているのに、まるで言い聞かせているみたいだった。
テレジアが部屋を出た後、俺は隅の壁に掛かっていた鏡を見た。
そこに映ったのは、見たことの無い顔。柔和な雰囲気を携えた、黒目黒髪の青年。
身長は自身より少し低く、辛い社会人生活で濁ったそれとは違って瞳には確かな輝きを残しており、二十歳未満を思わせるような幼い見た目だった。
俺は他人事のように、何だか庇護欲を唆るような容姿だな、と感じた。
そして明らかに人間のそれでは無い、尖った耳。
テレジアは「身長から考えてもドゥリンでは無さそうだけど……」と言っていた。
その時は意味が分からなかったが、鏡で確認した今、あの視線はこの耳に注がれていたのだと分かる。
「──早く覚めてくれ」
考え過ぎて頭が痛くなってきた。
痛い、と感じるのは夢ではないからでは? という疑問も、とにかく無視する。
そして俺は膝に顔を埋めて小さく身を縮め──
──コンコン、というノックの音に、身体を大きく跳ねさせた。
……何もしない、が正解だ。
テレジアかもう一人の女性──テレジアからアスベストスという名前だと聞いた──なら、ノックをする必要が薄い。
ここは彼女達の部屋なのだから、鍵を開けて入ってくればいい。
息を潜めて、扉の方を注視する。
コンコン。
コンコン。
コンコン。
間を置いて、ノックは続く。
「──脅すつもりは無いのだけれど、不法入国は困るわ」
扉越しの声は、想像よりもずっと優しいものだった。
含まれている感情も、攻撃的なものは無いように思える。
「二人に迷惑は掛けたくないでしょう? 私と少し、お話をしましょう」
その言葉で、俺は力無く立ち上がった。
状況も事情も何もかもちゃんと把握出来ていない現状ではあるけれど、彼女達に迷惑を掛けるのは違う気がする。
恐る恐る鍵を開け、ゆっくりと扉を開く。
そこには、黒髪の女性が居た。
その背後には、尻尾のようなものがゆらゆらと揺れている。
「初めまして、私の名前はヤエル」
「貴方の名前は?」
微笑みを携えて、彼女はそう名乗った。