「本当にここまでで大丈夫?」
「はい、ここから先は一本道ですよね? 流石に大丈夫ですよ」
昼食を終えた後も、ヤエルさんとの街の散策は続いた。
この辺りは少し前までは小さな村で電気すら通っていなかった、などといったちょっとした一帯の歴史を、彼女はどこか懐かしそうに語ってくれた。
時折休憩を挟み、外部からの来訪者向けの商店を巡り、最後には遠目ではあったが最近出来たという列車まで見せてもらった。
俺が知ってる電車とは全く違う、昔の映画や歴史の教科書に登場するような列車だった。
日本だと鉄道の始まりは明治時代で、そこから急速に工業化が進んだはずだから、このイェラグという国も、たった今大きな発展を遂げようとしているのかもしれない。
……学校で学んだことのはずだけど、我ながらよく覚えてたな。
10年ほど前の知識だから今では全く身に覚えが無いけれど、不意に思い出すようなことがあるから、記憶って不思議だ。
「それより、この防寒具は本当に頂いていいんですか?」
「あら、返してくれるの?」
「えーと、今すぐというのは勘弁して下さい……」
「冗談よ。今はもう使われていないもののはずだから、遠慮なく貰ってちょうだい」
クスクスと楽し気に微笑むヤエルさん。
宿泊施設から連れ出される際に、流石に布の服だけでは外に出るのは危険だと判断したのか、彼女は防寒着や防寒靴などの装備一式を俺にくれた。
思い返すと、最初に見た時彼女がこれらを持っているようには見えなかったのだが、一体どこから取り出したのだろうか?
当時の俺は彼女から差し出された防寒具を見て「これは?」と聞いたのだが、彼女は「必要そうだから持って来たわ」としか言わなかった。
まあ俺が気付かなかっただけで何処か近くに置いていたのかもしれない。
用意が良い人だと思うが、もし俺が部屋から出て来なかったらどうするつもりだったんだろう? そのまま持ち帰ったのだろうか?
「──じゃあ名残惜しいけど、今日はここまでね。また遊びましょう」
「彼女にもよろしく伝えておいてね?」と言って、ヤエルさんは俺を見送ってくれた。
彼女、というのはきっとテレジアのことだろう。……言付けはしてくれていたはずだから、大丈夫のはず。
でも間違いなく怒られるよな……と思いつつ、晴れた空の下、真っ白な雪道を俺は歩き始める。
途中で一度振り返ってみたが、ヤエルさんの姿は消えていた。
彼女が仕える巫女が居る、カランド山に帰ったのだろう。
「……一日で帰れる距離じゃないよな?」
目を向けた先。その景色の奥の奥。ぼやけるようにしか見えないあの山が、カランド山だとヤエルさんは教えてくれた。
……待て。何だか、おかしくないか? 彼女はどうやって……?
強烈な違和感を覚えたが、正直これ以上疑問が増えるのは困る。
もう少し先に進もう。
考えるのはそれからだ。
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「……効いていない? いえ……正確には効き辛くなった? この短時間で?」
カランド山に建造された寺院、『曼珠院』。
その建物の窓から、とある方向を見下ろしていたヤエルは、興味深そうにその目を細めた。
「……やっぱり、面白いわ」
「何が面白いのですか、ヤエル?」
「あら、巫女様。夕飯はまだですよ?」
背後からの声に、ヤエルは振り向いた。
彼女が仕えるカランドの巫女──エンヤが、不満げに頬を膨らませている。
「他の者に聞きました。私が退屈な時間を過ごしている間、あなたは出掛けていたそうですね」
さて、まずはこの巫女様の機嫌を取らなくては。
そう考えながら、彼女はもう一度窓の外へと目を向ける。
ゆっくりとだが歩みを進めるオーナーの姿を確認し、彼女は再び微笑んだ。
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道中、剥き出しの岩を見付けた俺は、それに座り込んだ。
疲れた訳ではない。ただ、ようやく訪れた一人の時間で、頭の中の事をいろいろと整理したかった。
今日は、いろんなことが有り過ぎた。
目覚めたら、ゲームの世界? 目の前には、ゲームのキャラ?
これは夢だ、と自身に言い聞かせても、一向に覚める気配は無い。
昼食の味は本物だったし、外の寒さも確かで、歩いてちゃんと疲れもした。
今日感じた全てが、見聞きした全てが、これを夢だと認めてくれない。
……じゃあもし、これが現実だったとして。
何かの創作物のように、ゲームの世界に入り込んでしまったとして。
俺は何をしたらいい?
何をしたら、元の世界に戻れるんだ?
ゲームの通りなら、この世界はかなり危険だ。
どこで何が起きて死ぬことになるか、分からない。
仕事が好きだった訳じゃない。日々の生活に満足していた訳でもない。
でも、元の世界はここよりずっと安全で、便利で、不満はずっと少なくて。
──何より、家族が居るんだ。戻れるなら、戻りたい。
「……落ち着け。騒いだって何も解決しない」
拘束されていることに気付いた時。
目隠しを外されてテレジアを見た時。
ヤエルさんに連れられて部屋を出た時。
食事の時も、会話の時も、街を散策している間も。
頭の中でずっと鳴り響いている旋律に、俺は耳を傾けていた。
聞き覚えのあるその旋律は、どこか空虚で、でも穏やかで、不思議と俺の心を落ち着かせてくれた。
音が小さくなるにつれて、自身が落ち着きを取り戻していくのが分かる。
「……何だよ、慰めてくれてるのか?」
雪から顔を出していた周りの植物達から、暖かな視線を感じた。
……こんな状況だ。
遂に頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
口に出して、思わず笑ってしまったけど、何だか気分は悪く無かった。
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宿泊施設の外に、テレジアは居た。
俺の姿を見付けて、彼女は急いで駆け寄ってくる。
「……無事で良かった」
そのまま抱き締められて、俺は驚いた。
彼女には怒りなど微塵も無かった。あるのは、俺に対する心配だけ。
「──勝手なことをして、すみませんでした」
「いいのよ、謝る必要なんて無いわ」
その言葉が本心であると、俺は何故だかそう確信して。
酷い罪悪感だけが、心に残った。
空虚で穏やかな旋律が、また響き出した。