シルバーアッシュ領、エンシオディス邸。
当主専用の執務室にて、デーゲンブレヒャーからの報告を一通り聞き終えた当主──エンシオディスは、彼女が部屋から退出したのを確認して、椅子に腰かけたまま深いため息を吐いた。
そしてそのまま机の引き出しへと手を伸ばし、その中に仕舞っていた一束の資料を取り出す。
資料に記載されているのは、報告書のような文章と、数枚の写真。
その写真には、テレジアの姿が写っていた。
「……さて、どう対処すべきか」
シルバーアッシュ家当主としての立場、カランド貿易代表としての交流、そしてかつて隣国のヴィクトリアに留学をしていたという経緯から、エンシオディス個人はヴィクトリアの内情にそれなりに通じている。
それ故に彼は、他家の者達がオーナーに目を付けるずっと前からテレジアに目を付けて監視を続け、部下からの報告を受けていた。
カズデルで起こった内戦で勝利した者達が、ヴィクトリアに入国し貴族達と何かを企んでいること。
その中に有りつつも、その陣営がとある人物──テレジアという名の者を、周辺国で捜索していること。
エンシオディスがその情報を知ってから数ヶ月以上の時が経ち、周辺国での捜索が打ち切られ始め、代わりにヴィクトリア内部での動きが活発になり始めた頃、テレジアがイェラグに来たことを彼は知った。
初期の段階であれば利用する手も考えられたが、下火となっている現状、匿って情報を隠していたと疑われるリスク、そして自身の個人的な事情を考慮した結果、彼は積極的には関わらず静観することを決めた。
それは自国の内情や他国との関係、水面下で進めている計画を踏まえた判断でもあったのだが、その判断を見直す事情が新たに発生した。
「サルカズの女王の関係者ともなれば、その者もまた尋常では無いということなのだろうな……」
この約一ヶ月で、オーナーの存在は彼を悩ませる種となった。
監視をしていたおかげで、存在自体は直ぐに彼の知るところとなったが、部下から挙がってくるのは只人のそれでは無い情報ばかり。
非感染者に見えるが、アーツのようなものを使用出来る。
あらゆる言語に精通し、それを特異なこととすら思っていない。
巫女の侍従長と接点があり、頻繁に街で会っている。
おそらくはテラの大地における希少種族──エルフである。
最近になってよく情報が出回っている『ノア』の関係者かもしれない。
それが部下と、偶然によってエンシオディスの手から逃れたノーシスと、先程デーゲンブレヒャーから伝えられた内容を整理した結果。
細かいものを省いても、何かの火種になりかねないものが、オーナーには多過ぎた。
自国で抱えるには重く、他国に流すには惜しい。
テレジアと違って出自が明白でないことが、利用する方向への後押しの一手でもあったのだが、『ノア』の関係者かもしれないと分かってしまったために、それもまた難しくなった。
ノーシスが既に接触し、これからあの手この手を講じてくる可能性が高まってしまっている以上、最早静観を決め込むことも出来ない。
理想はオーナー側から取引を持ち掛けられたり、協力等を要請されたりすることだが、何事も無くイェラグを出てくれるのならば、それでも上々と言えるだろう。
「…………フッ」
楽観的な考えを抱いたことに、彼は少しだけ笑った。
良い予感と悪い予感。
それもどちらもかなり大きなものを、エンシオディスは感じていた。
「ノーシスが先走る前に挨拶に伺うとしよう」
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「──大体、こんなところかしら? 後はオーナーへの説明と協力のお願いさえ何とかなれば……」
ヤエルから齎された情報を聞いたテレジアは、それに対する質問をいくつかヤエルへと投げ掛けた後、対処方法のいくつかをその場で考え出した。
情報を持って来た本人であるヤエルは、テレジアが話すその対処方法の中に、自身が提案しようと考えていたものがあったことに少々驚く。
彼女がイェラグを訪れて、まだ二ヶ月にも満たない。だと言うのに、彼女はよく『イェラグ』というものを理解していたからだ。
紅茶を一口飲んでから、ヤエルはテレジアへの称賛を贈る。
「見た目に違わず凄いのね。巫女様の教育係とかに興味は?」
「……面白い提案ね」
「あら? 私は本気よ? オーナーと一緒にイェラグに定住する気は無い? もちろんもう一人のご友人も歓迎しましょう」
その言葉に、テレジアは少しだけ口を噤んだ。
そうなった場合を想像し、嫌な事実が脳裏に浮かぶ。
いくつか考えられる可能性の中で、オーナーにとっては、イェラグに住むことは間違いなく良い部類に入るだろう。
──だがそれは、他に犠牲となるモノが多過ぎる選択でもある。
「それは、オーナーが決めることよ。私が決めることでは無いわ」
結局テレジアの口から出たのは、明言しないものだけだった。
それを聞いたヤエルは、不思議そうに彼女の顔を見つめる。
「貴女みたいな人も世の中には居るのね」
「年月、あるいは経験……」
「人としての欲望を抑えて役割に務めるのは、苦しくないの?」
決して嫌味などではなく、純粋な疑問をぶつけられて、テレジアは驚いた。
テレジアはヤエルを、最初に見た時から只者では無いと踏んでいたが、一介の侍従長とは思えないその気配に、警戒の色を強める。
だがその警戒とは裏腹に、彼女は素直な気持ちを口に出してしまっていた。
「……慣れるようなものではないわね」
「でもきっと、そうしてしまったら──」
「取り零したモノを考えて、私は後悔する」
「そっちの方が、辛いと思うから……」
そう言って、彼女は気付く。
自身の考えで彼女は行動を起こしているが、その考え方や行動を、あるいはその在り方を、オーナーにも強いている可能性があるということに。
──その裏で、自分はもしかしたら同じ想いを共有してくれる者を欲しているかもしれないという可能性に。
現れたテレジアの表情に言及しない優しさが、ヤエルには有った。
残っていた紅茶を飲み干し、彼女はテレジアへ背を向ける。
「――ごめんなさい。貴女を混乱させる意図は無かったの」
「最初に話した通り、こちらにも非があるから出来る限りの協力はするわ」
「……明日はよろしくね?」
そう言って、ヤエルが部屋を去る。
テレジアはしばらく無言を貫いた後、ベッドへと座り込んだ。
そして膝の上で、その両手をギュッと握りしめる。
「………………私は──」
その先は、言葉になっていなかった。