けたたましい目覚ましの音で、俺は跳び起きた。
慌ててその音を止め、表示された時刻を見れば、あと数分で家を出なければ遅刻が確定することが分かった。
シャワーを浴びる暇も飯を食う余裕も無い。
クローゼットからスーツを取り出して素早く着替え、『俺の家には無いはずの大きな姿見』の前に立つ。
(…………あれ?)
姿見に、俺の姿は映っていなかった。
代わりにそこに居たのは、柔和な雰囲気を携えた黒目黒髪の青年。
その青年の髪と瞳の色が変わっていく。
『こっちだよ。こっち』
状況を飲み込めないまま固まる俺は、姿見から伸びてきた腕に反応出来ず、強い力で引っ張られた。
転んでしまわないように踏み出した足が、家の床では無く真っ白な雪を踏む。
(さ、寒いっ……?)
身が凍るような寒さが襲いかかり、一瞬の内に掻き消えた。
よく見れば足元に雪なんて無い。広がっているのは少し汚れた木の床だけだ。
『飯、出来たぞ。早く座れ』
聞き慣れたぶっきらぼうな声に従って、近くにあったテーブルへと向かう。
椅子に座って正面を向けば、誰も居なかったはずのそこに、誰かが居た。
龍のような尾をゆらゆらと動かしながら、その人物は俺の方をジッと見据え、どこか楽しそうに微笑んでいる。
『あら、どうかしたかしら?』
身体の内側まで探られているかのようなその視線に、俺は思わずテーブルの上へと視線を外す。
テーブルの上には、様々な駒があった。
生物のような駒もあれば、それ以外の駒も有る。
犬。狐。猫。熊。鹿。兎。鳥。龍。蜥蜴。海月。山羊。天使。悪魔。
どういう訳か、雪山のような駒や樹木のような駒まであった。
そして、中央には一際大きな駒が鎮座している。
蜘蛛のような多脚を携えた、大きな立方体。
俺は、この駒の名前を知っている。
(……『ノア』)
駒から伸びた白い糸のような何かが、俺の胸元へと繋がっていた。
ここに至って、俺はようやく気付く。
俺は今、夢を見ているのだと。
(明晰夢、だっけ?)
夢の中でこれは夢だと自覚して見る夢を、明晰夢と言うらしい。
一説では明晰夢だと気付くことで、夢の内容をコントロールすることも可能だと言われているが、俺のコレはその予兆さえ見えやしない。
(どうせ見るなら────)
────家族の夢が見たかった。
声も顔も、まだちゃんと覚えているが、これから先も忘れないという保証が何処にも無い。
『良い相手はまだ居ないのか?』と急かして来る両親の声も、会う度にお小遣いをねだってくる妹の声も、今では懐かしさを感じてしまう。
今のところ、夢が覚める気配は全くしない。
……こうなったら駄目で元元だ。
家族の事を強く想って、俺の夢に出演してもらおうじゃないか。
そうして、強く願う。
夢の中だというのに目を閉じて、家族の顔を鮮明に思い浮かべる。
これでもか、というくらいの祈りを込めた後、目を開いたそこには。
「…………テレジア?」
思い詰めたような表情を浮かべたテレジアが、そこに居た。
俺の声に驚いたのか目を丸くし、微笑みを浮かべてから煙のように消えていく。
どうやらコントロールに失敗したようだ。
よし、次こそは……!
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灯りも点いていない部屋。
一つだけ設置されたベッド、その上で規則正しい寝息を立てるオーナー。
その横に設置された椅子に座っていたテレジアは、確かにオーナーのその声を聞いた。
「────テレ、ジア……」
お互いの状況や情報を交換し、『ロドスに戻り自身が為すべきことを為す』と決意を新たにした彼女は、AceとScoutを連れて戻ったホテルで、驚愕することとなる。
オーナーが倒れたことを知ったテレジアは、誰が見てもはっきりと分かるくらいに狼狽えた。
それは彼女のそんな姿を目にしたことの無いAceやScoutが、驚く暇も無く落ち着かせにかかるほどで、別室で待機している今も、彼等はその事実を上手く飲み込めないでいる。
自ら離れようとしたのに、テレジアはまた戻ってきてしまった。
そして今、オーナーの声を聞いてしまっている。
彼女の中で、何かが解けていく。
「オーナー、あなたも私を求めてくれるの……?」
テレジアは両手を伸ばし、オーナーの手を優しく包み込む。
その暖かさに、彼女は淡く微笑んだ。
そして彼女の思考は、彼女に似つかわしくない言い訳で染まっていく。
自身の身勝手な想いだけならば、テレジアは諦められた。
だがオーナーがそれを望むのならば、話は変わる。
「ねえ、オーナー? それなら私……諦めないわ」