開けた道は山がゆえに坂道といえど随分と歩きやすいものだった。遙か遠くのように見えた城はすぐそこに迫り城門が迎え入れるように開き始めていた。巨大な門とは裏腹にそこに立っていたのはたった一つの人影だった。近づいていくと次第に影は薄まりその細部が見えてきた。その人物を認めて俺は思わず足を止めた。
「あんたは……」
「お待ちしておりました。我が王」
そいつはいつか俺を執拗にストーカーしてきた奴らのリーダー的存在であり、人生初の首トンを捧げた相手であった。これらは残念ながら全て事実だ、しかし並べてみるとそれほど続いた縁でもないし、なんでこの女は俺の事を「王」などと呼んでいるのかもわからない。もはや何もかも意味不明である。しかし一つだけ、こんな規模だけがやたらでかい変な空間を作り出したのがあの時のストーカー集団だということは突拍子も無いが妙な納得感があった。
「何度来ても剣はあげられないぞ、いいか? この剣が俺について回ってるんだからな」
「分かっておりますとも、王の剣は貴方を選んだ」
「……なんか違う気がする」
直感が言っていた。話の通じない相手に会話をするのは時間の無駄であると。
「それで、待ってたってなんで?」
「そう言われましても……王の帰りを待つことは臣下にとってそう珍しいことでは無いのではないでしょうか」
おっとこれも会話だったか、反省しよう。しかしこのままこの女に付き合っていても自体は進みそうもない。そこで一つ妙案を思いついた。
「お前俺の臣下なんだな?」
「ええ、心身ともに全てを捧げましょう」
「じゃあ王命だ。この城、この空間の全てを赤裸々に説明しろ。まさか王に嘘をつくわけはないよな」
「御身の御心のままに」
どうやら上手くいったようだ。彼女は「ご案内します」と言って城の中へと歩き始めた。
▼
「城、遠くね?」
虎杖と七海の合流後、時間にして30分は歩いていた。いくら歩いても見上げると城は変わらず遠くに見える。その後七海の判断の元呪力による強化を入れて走ること数分、しかしまったく距離は変わらなかった。
「確かにこれほど景色も何も変わらないのは異常ですね」
振り返ると結界の黒は相変わらずあるが、遠くになることはなく少し離れたところに付かず離れずのような距離のままだった。それを確認した七海の脳内に「撤退」の2文字が浮かび上がる。それは虎杖の身の安全を確保するために結界の外に出ることである。しかし同時に浅野を置き去りにすることを意味することであり、自分は責任を背負う大人であると自負している七海には軽はずみに選ぶことの出来ない選択であった。そしてさらに結界を出た際に行った虎杖との通話を思い出す。
『そっかナナミン ーーーーーーーーーー ちゃったんじゃね』
まったく聞こえなかったその部分、七海は伊地知から事前に聞いていた結界から帰還した術師の状態と現状の自身の状況を照らし合わせておそらく「結界から出たから記憶が無くなった」のようなことを言っているのだと判断した。これによって通話による情報の伝達さえも防いでいるのだと考えたが、結論としては結界の核心に迫ると思われる部分は外に出ることはなくあくまで推定事実の域を出ない。撤退したところで浅野を万全の状態で助けに行くことなどできるわけも無かった。
「手詰まりですね」
七海がそう呟いた時、木陰から人が現れる。突然かさかさと揺れる枝葉に虎杖たちは瞬時に警戒していた。しかし、現れた人間に思わず警戒を緩めてしまったのは七海であった。
「やあ七海、久しぶり」
虎杖からしてみれば袈裟を着た変な前髪の不審な男。その男は級友に会うが如くにこやかに手を振っている。七海はその姿に歯を食いしばり拳を握りしめるが、何をするでもなく深く長いため息をひとつ吐いた。
「……趣味が悪い。あなた、一体誰ですか?」
「私だよ。分からないのかい?」
「質問を質問で返さないでください。あの人はちゃらんぽらんのろくでなしですが、その手の冗談は言いません。夏油さんは去年死にました」
七海の言葉を聞いて袈裟の男は不満げに口を曲げる。つまらなそうに短く息を吐き出してあさっての方向を見ながら両の手の平を上にこちらに差し出すように向けて軽く広げて肩を下げる。いわゆる「やれやれ」のポーズなのだろう。七海の対応にナンセンスを押し付けるようなその態度に構わず虎杖らは瞬時に臨戦態勢をとる。
「まあいいだろう。正解だ。そして成功だ。これは五条悟にも効くだろうね。うん通行止めを食らっていて良かったかもしれない」
「五条悟に効く」とはいったいなんのことか。虎杖は思わず首を傾げてしまうような言葉だった。それこそ火山頭の特級呪霊に対して赤子でも相手にするが如く圧勝した五条に効く「何か」など思い浮かばなかったからだ。
「目的は、なんですか」
「随分と素直に聞くんだね。まあ有り体に言えば、五条悟を封印する、その下準備さ」
「先生を封印? そんなことできるのかよ」
虎杖の純粋な疑問には答えずにっこりと笑うだけだった。
「おい、俺だけ無視かよ」
「私たちから五条さんに伝わる可能性を考慮していないのですか」
「ん? いいよ別に。私の前で悠長に通話してられるならね」
これみよがしに背後からはい出てくる低級ながら相当な量の呪霊たち。これらをひとりで捌くのは至難の業だ。
「そう睨むなよ。今回ばかりは敵じゃないさ別件だよ。知ってるかい? 『聖王教会』海外の呪詛師、過去の下僕どもの集まりのこと」
「あなたが浅野くんにけしかけたのでしょう」
「意外と鋭いね。五条悟の入れ知恵かな」
「さてどうだったでしょうか。しかし用済みになれば始末に動くとは意外と心配性なんですね」
「そうとも、私は心配性でね。不確定要素は削っていかなければ安心できないんだ。もちろん五条悟もね」
ニコニコと表情を崩すことの無い袈裟の男を睨む七海、虎杖はずっと袈裟の男に違和感を感じて観察するように黙っていた。
「それより、いいのかい。そろそろあっちも終わる頃合いだよ」
「まさか」
袈裟の男が指を指す方向、城の方へ跳ねるように視線が集まる。そこにはまるでずっと近くにあったかのように開かれた城門が存在していた。あれほど遠くにあったものが目と鼻の先にある異常事態、そして目の前の怪しい袈裟の男も本来であれば放っておくことなど出来ない。しかしそれら全てを捨ておいて虎杖たちには優先すべきことがあった。
「虎杖くん!」
「おうよ!」
そろって大地がえぐれるほどの踏み込み跡を残して城の中へと吸い込まれていった。袈裟の男はそれを見届けるとゆっくりと後を追う形で歩き出した。
「聖王が復活ともすれば私の前に国ごとひっくり返しかねない狂人共だからね。さて、真人はどうかな」
▼
城門から入口までを繋ぐ道には緑豊かな庭が広がり荘厳な城を明るく彩っている。威厳を損ねることなく、しかし清涼剤のような爽やかな気分にしてくれる。城の中もその外見に劣らない内装を持っていた。純白と呼ぶにふさわしい清潔さ、華美な装飾は最低限に保たれながらも城主の品位を示している。
開け放たれる扉の重厚感、まるで雲の上に乗るかような柔らかさのベッド、開放感溢れる露天風呂にボディケアマッサージ、終いには山の幸による豪奢なご飯……。
「日が暮れるわ」
「お気に召しませんでしたか?」
「めちゃくちゃお気に召したわ、危うく永住しかけたんだけど」
何故か畳の上でご飯を頂戴している俺。この女の素晴らしい給仕能力によって極楽を過ごしていた。恐ろしいほど自然に高級旅館かってくらい(行ったことないけど)のサービスが始まったので止める暇もなかった。腹も充分に膨れてやっと我に返った俺はまったく本題が進んでないことに気づいた。
「ここには文句は無……いや、なんで西洋風の城で露天風呂とか畳とか普通に和食出てくるのかはちょっとツッコミたいけど」
「我が王、何をおかしなことを。ここは日本ですよ?」
「……そうだけどね」
まったくその通りである。しかし納得がいかない。そんな思いを込めて女のことをじとりと見つめるがまったく堪えていないどころか照れるように頬を染めるだけだった。
「あんた名前なんて言うんだ」
「私の名ですか……いえ、名乗るほどでは」
「なんだ、今更隠し事か?」
少しだけ困ったような顔をしていたから、もう追求はやめようと思ったそのとき彼女は諦めたように口を開いた。
「私はベディヴィエール、聖王教会より賜ったあなたにお仕えするための名前です。隻腕ではありませんし男でもないですが、あなたにお仕えする騎士でございます」