影牢の呪縛   作:鼠日十二

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 例の事件は、私たちの生活をぐちゃぐちゃにした。山中で児童三人が不審死というセンセーショナルな話題は瞬く間に町中を駆け巡り、「唯一の生存者」である私のもとには連日連夜のように警察とマスコミが押し寄せた。不躾な視線と余計な気遣いに疲れ果てた母は、疲れ切った表情でPCを睨む。どうやら引っ越しを考えているらしいが、果たしてそれは解決策になるだろうか。どこへ行っても奇異の目からは逃れられないのではないか、と思う。

 

 姉の右手は火葬する運びとなった。小さすぎる骨壺を抱いて母は泣いていた。彼女の故郷では、死人は土葬するのが伝統的だった──死後の復活を信じるその宗教において、火葬は不可逆の死をいっそう決定づけるものだからだ。けれど右手しか残らなかった以上、母が縋る余地は存在しなかった。

 

 墓は建てなかった。母は、いずれ骨粉を海風に乗せて飛ばすのだといった。翼と名付けた娘への、精いっぱいの最後の祝福だった。

 

 私は、私のすぐ隣に姉が浮かんでいることを、どうやったら母親に伝えられるかを考えている。

 

 

 シャドール、という存在がいる。正確には私の前世におけるTCGの1カテゴリとして、その存在を語られるもの。

 

 曰く、正常な転生を果たせなかった魂がバグとして世界に認識され、肉体だけが世界に投影された存在。自我を持たず、正しい輪廻を辿ることだけを本能的に求める人形。姉が死んだあの日、黒い板から出現した『ヘッジホッグ』と『リザード』も、シャドールの一体として数えられている。

 

 そして──私のそばに浮かぶ姉もまた、シャドールの一体に酷似していた。『ウィンディ』という名のそれは、記憶が正しければシャドールを呼び出す効果を持っている。荒唐無稽ではあるが、仮にシャドールたちが前世におけるテキストに近い効果を持っていると考えると、あの日の出来事にはある程度説明がついた。

 

 ヘッジホッグが現れたのは、あの時点ですでにウィンディの効果発動条件――即ち『墓地へ送られた場合』が満たされていたから。そしてヘッジホッグも同様、墓地に送られた場合に新たなシャドールを手札に加える効果を持つ。私は直感的にルールに従い、加えたリザードのセットを宣言した。それは黒い板の形状で現れ、攻撃されることでリバース(起動)、効果を発動し化け物を破壊した……。

 

「お姉ちゃん、こういうことで合ってる?」

 

 姉は仄かな笑みを浮かべてこちらを見ている。まるで人形のように、彼女には感情の起伏がない。話すことも表情を変えることもなく、ただ微笑んでいる。

 

 私以外に姉の姿が見える人はいなかった。だから私は、姉を含むシャドールたちが、いつも通学路にいたような化け物と近しい存在であると見当をつけた。つまり、幽霊に近しい存在である、と。

 

 では、これまでも他人に見えなかった化け物たちを、どうやったら見せることができるようになるのか?

 姉の姿をもう一度、母に見せることは可能なのか?

 

 精神的な療養のために与えられた休学期間をフルに生かして、私はそのことばかり考えていた。そしてようやく思い出したのだ。

 

 死の間際、姉も化け物に気づいて振り返ったことに。

 

 

 

 

「ねえ、本当に大丈夫なの?」

「……ぜったい帰るよ。それに、学校に行かないわけにもいかないし」

「家庭教師だって良かったのよ?」

「お母さんが辛いでしょ、この家に他人が入るの」

 

 返事の代わりに強く抱きしめられる。心労をかけてしまうことに心が痛んだが、それはいつか乗り越えなければならない痛みでもあった。姉が死んでも、私たちの生活は続いてしまうから。母に手を振って、見慣れたはずの通学路を歩きだす。自分のペースで歩を進めることが新鮮で、けれどどこか寂しかった。

 

 やがて、いつもの曲がり角に着く。今日もあの日と同じように目玉は電柱にしがみついて、行き交う人々をキロキロと眺めていた。私はその醜悪なフォルムを睨んで、毎朝姉が私に言っていたように――

 

「起きて、お姉ちゃん」

 

 と呟いた。化け物と私を覆うように、半透明でグレーのフィールド(領域)が展開される。目玉が顕現したお姉ちゃんの姿に気づいて、こちらに視線をよこした。私は

 

「セット」

 

 直後、首筋にぞわっとした感覚が現れ、視界の端に揺らめく霞のようなものが滲んだ。目玉による攻撃を受けている、そう理解した。

 

「起動!」

 

 私の声を聞き届け、黒い板が反転する。そしてそこから、紫の円盾を一列につないだような形状のトカゲが、四肢の紫糸に操られた姿を見せる。『シャドール・リザード』の効果は、起動時に相手モンスターを破壊する。

 

 目玉にヒビが入ったかと思えば、悍ましい色の液体をぶち撒けながら爆散した。しばらく待ってみたが、復活する様子はない。お姉ちゃんがフィールドを解除し、私は日差しの中で安堵の息を吐いた。

 

「……取り敢えず、その辺の化け物には勝てるみたいだね」

 

 姉はいつも通りほのかな笑みと共に浮かんでいた。私は細かい粒子となって輪郭を揺らがせる目玉の残骸に近づき、その白い肉片を踏み潰す。ぐちゃり、明確な感触があった。常人には見えないものの、実体はあるらしい。ますますわからないことだらけだ。

 

 とにかく、わかっていることを基盤として私はひとつ仮説を立ててみた。大多数の人間は化け物が見えないが、特定の状況下においてのみ、感覚器が変調することで化け物を視認することができるようになるのではないか。さながら可視光線の範囲が広がったように。より単純に言えば、夜眼になるようなものか。

 

 そんなことを考えていると、私の近くに寄ってきたお姉ちゃんが、指先から紫の糸を伸ばした。

 

「何してるの?」

「……」

 

 お姉ちゃんは目玉の死骸を糸でぐるぐるに縛り上げ、締めるように勢いよく引いた。糸の隙間から紫の鈍い光がぱあっと散って、その後にはひらひらと小さなカードが舞い落ちる。拾い上げてみると、灰色のそれには『シャドール・トークン』という名前が記されていた。闇属性、攻守はともに0とある。私はやはり姉を見上げて、何も言わない彼女に頭を抱えた。

 

「……ああ、もう。思考材料が増えた」

 

 シャドールの裁定に頭を悩ませつつ歩いていくと、学校に近づくにつれて周囲からの視線を感じるようになった。目を向けると皆一様に目を逸らすのだから面白い。心配を装った好奇の視線にもすっかり慣れたものである。

 

 当然と言えば当然なのだが、あの山での事件についての情報は一切開示されていない。そして事情聴取した警官、取材のため集まった記者陣、医者、セラピスト、母……その誰一人として姉が見える人間はいなかったから、私は「覚えていない」の一点張りで化け物について一切語らなかったのである。唯一の生存者である私が口を噤んだ以上、有効な情報が得られる伝手は存在しないはずだった。

 

 だから、あの山で何が起きたか分かるのは私だけ。皆それを知りたくて、私に興味を抱いている。本当は何か知っているんじゃないかと、そんなことを心の裡で考えている。皆に心の中で中指を立てて、私は校門をくぐった。頭上では、ごく小さな羽根つきの化け物がギリギリ歯を鳴らしていた。

 

 

 

 退屈極まりない授業の後、人気のない3階の女子トイレに行くと、他のクラスの子が後を追ってきた。素知らぬ顔で手を洗う私の横におずおずと立った彼女は、そういえば腸蝶結びのカナコの友人ではなかっただろうか。私が視線をやると、彼女は肩を跳ねさせながら、ちょっぴり震える声で切り出した。

 

「あの、私。カナコと家が隣だったの」

「うん」

「カナコのお母さん、ずっと泣いてて……その、身体が、見つからなかったって」

 

 それも聞いていた。正確には、原形をとどめないくらい千々になっていたので判別ができなかった、という話だ。

 

「だから、私……空ちゃんなら、何か知ってるんじゃないかって、訊いてみるって、言っちゃったの」

「へえ」

 

 鏡に映った私の顔から、表情が抜け落ちた。自分でも驚くくらい、精神が冷酷なほうに寄ったのを感じた。もちろんそれは、小学生に向けるべき感情ではないのかもしれない。小学生に期待する道徳ではないのかもしれない。親切心から出たであろう彼女の行動を、一概に悪とみなすのは大人げない振る舞いだろう。

 

 しかしどうにも、関係ない人間が軽々に踏み入ってくるな、という怒りを抑えられなかった。姉が死んでから、私は身内と部外者の線引きを明確にするようになっていた。

 

「それで、何が聞きたいの? カナコの死に方? それとも、誰が、どうやって殺したか?」

「え?」

 

 彼女は私の言葉を理解しきれなかったようで、一歩、二歩と後ずさった。私は3歩分を一息に詰め、彼女の目と鼻の先に顔を近づけた。

 

「教えてあげようか」

「教えて、くれるの?」

「いいよ。でも、誰にも、お母さんにも警察にも先生にも言ってない、秘密の話だよ。もし本当に聞きたいなら……そうだなぁ」

 

 私はにこっと笑った、はずだ。しかし姉のように上手くはいかないもので、彼女の表情には恐怖がありありと浮かんでいた。

 

「これから一か月間、何でも命令に従うって約束できる? そうしたら、その後に教えてあげてもいいよ」

 

 怯えた様子の彼女は、震えながらもコクコクと頷いた。場の空気に委縮したのか、それとも度胸があったのかはわからないが……受諾の意を示したことには変わりない。私が笑顔のまま一歩下がると、傍に浮いていたお姉ちゃんが紫の糸を私の小指に結び付けた。

 

「お姉ちゃん?」

 

 そうしてその糸のもう一端を、女子の小指に結び付ける。紫の糸は徐々に薄れ、消えた。姉は満足げに私の隣に戻ってきた。どういう意味かは分からないが、もしかしたら約束を明確な形で結んだ、ということなのだろうか。

 

「じゃあ、一か月よろしくね。えーっと、名前は?」

「し、白雪(しらゆき)……」

「わあ……なんていうか、キラキラした名前だね! じゃあ白雪ちゃん、漏らせる? 今ここで」

「へあっ!?」

 

 無論、口約束に拘束力なんかないはずだ。だからこれはほんの意地悪、腹いせに少しからかってやるつもりだったのだ。けれど白雪ちゃんが奇妙な声で鳴いたかと思えば、間もなくはしたない音とアンモニア臭がした。

 

「ちょっ、嘘、そんな躊躇なく!?」

「う、うう~……」

「ああもう、悪かったって……!」

 

 慌ててべそをかく白雪ちゃんの下半身をぬぐっている間、姉はいつもよりちょっぴり得意げな笑みを浮かべている気がした。

 それから白雪ちゃんを保健室へ連れて行き、放課後に校門で落ち合う旨を言いつけて私は授業に戻った。私のせい……かどうかはともかく、人心地ついたような気分である。

 

 さて。一か月というのはなかなかいい期間設定じゃなかろうか。命令の塩梅次第では、彼女の心が折れることもないだろう。その間にいろいろと試しておきたいことがある。目下最優先でやりたいのは化け物を視認するための実験かな。如何な条件によって人は第三の目を開眼せしめるのか、その委細を知りたい。いろいろと実験手法について思いを巡らせていると、放課後はすぐにやってきた。

 

 帰りの会を終えて校門に赴くと、ブラウンのランドセルを背負った白雪ちゃんがこちらを認めて体を硬くした。しっかり怖がられているようだ。私は彼女の顔を覗き込んだ。

 

「そんなに怖がらなくてもいいのに」

「だ、だって……」

「また漏らしそう?」

「ちがうっ! あれは私のせいじゃないの!」

 

 白雪ちゃんがぷるぷる震えだしたので、私は彼女の背を押してひとまず帰路途中にある公園に向かった。道すがら、彼女の粗相について詳しく聞いてみる。

 

「怖くて漏らしたんじゃないの?」

「あの、あんまり漏らした漏らしたって言わないでほしい……」

「あ、うん。何でもいいから早く言って」

 

 白雪ちゃんはまた体をびくりと震わせ、ひきつった口で話し始めた。

 

「そ、空ちゃん、めーれーしたでしょ。今もそう。私、なんでか、言うことを聞かなくちゃひどいことになる気がするの」

「へえ……三回回ってワンって言ってみて」

「ワン!」

 

 三回ターンした白雪ちゃんは、流れるように地面に手をついて「おわった……」と絶望したような声を上げた。にしても、彼女の言う『ひどいことになる気がする』という感覚は、おそらく姉の糸が原因のように思う。何らかの方法で、約束を固く縛ったのかもしれない。となると、私も一か月後には洗いざらい説明しなければならないのだろうな。それまでには何かつかめると良いが……。

 

 私はしゃがんで、励ますように白雪ちゃんの肩をぽんとたたく。

 

「大丈夫だよ、そんなひどい命令しないから」

「ほんと?」

「うん。せいぜい一人で肝試しに行ってもらうくらいじゃない? わかんないけど」

 

 白雪ちゃんはぴいと鳴いた。

 

 




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