陰の立役者と呼ばれて 作:一般構成員
私がシャドウガーデンに加入して数週間が経った。弟は今のシャドウガーデンの状況では誰一人子育てなど出来ないから、話し合いの結果、最終的にジョーカーの実家であるヤーク伯爵家に預けた。
それがこの数週間であった出来事で一番目立ったものだ。
その時にジョーカーがご両親に私の事をリリム名義で友人として紹介していた、預けた弟とは血縁関係は無いって言っていたけど、そういう事を言うからむしろ完全にバレていた。
その必死に何とかしようとしているジョーカーは何だか可愛かった。
後で訪れた時にご両親に息子を頼むとか色々言われた。余り弟に近づくと危険が迫る可能性があるというのもあるけど、一番会いにくい理由は純粋に恥ずかしいからだったりする。
こういう事や一緒に釣りに行ったり目的も無く歩いたりして、ジョーカーとは直ぐに打ち解けれたと思う。何よりジョーカーの方から私を誘ってくることが多いというのが大きいと思う。
そう、ジョーカーとは打ち解けれたのだ。
しかし私はいまいちシャドウガーデンの他のメンバーと馴染めないでいた。
私だけ境遇が違いすぎた。両親は私を助けようと動いてくれたし、弟だけだけど家族も生き残っている。そして何より私だけシャドウでは無くジョーカーに助けてもらっている。
主に助けられた存在がシャドウかジョーカーかという違いが、他のメンバーと話を合わせにくい原因になっている。
私は一人で行動するのは苦にならないから別によかったんだけど……。
「今度は沖の方に行って釣りをしないか?」
こんな感じで明らかに私の事を気にして何処かへ連れて行こうとする。
恐らく出会った日の事で気にしてくれているのだと思う。他にも理由は思い当たるけど。
「また行くの?」
「えっ、嫌だったか?」
「そんな事は無いけど」
そう、そんな事は無いのだ。むしろ一緒に居れる時間が増えて嬉しいと思ってる。
でも私ばかりに構っていて大丈夫なのかなとは思う。他のメンバーとの訓練とかもあるし、時々アルファ、いやアルファ様か、彼女に怒られてる姿を見かける事もあるし。
本人の前では様付けをしてるけど基本私は付けていない事の方が多い。正直そこまで上下関係を気にする必要は無いと思ってるし。
「それで? 今度は何を釣りに行くの? サンマ? イワシ? アジ?」
「自分の好物ばっかり並べるな。今回は沖の方に少し出てカツオを釣る」
「カツオ? 沖に出てまで釣る必要性ある?」
「ある」
「あるんだ」
何だか今回は妙にやる気に満ちている。今までの短い付き合いで分かったけど、
私は既に心配になった。そしてその心配は正しかった。
「……ねえ、何かいう事はある?」
「……そうだな、まさか沖で遭難するとはな」
「あんな事をしてたらこうなるよ」
私たちは陸が見えない程の沖で筏に乗った状態で遭難していた。
初めは普通に釣りを楽しんでいたけど、サメ型の魔獣が寄って来た時からおかしな方向に状況が傾いていった。
初めは普通に処理をしていたけど、途中で飽きてきて銛打ちの要領で戦い始めたのが悪かった。調子に乗ってスライムで作った紐付きの銛を最後の一体に突きさした後、とーいんぐちゅーぶ? とか言うのをジョーカーがやり始めたのがダメだった。
気が付いた時には私たちは見知らぬ沖まで来ていたのだ。周りには海水と力尽きた魔獣の死骸しかなかった。
「予備の食料は?」
「……ない」
「水分は?」
「最悪水分は何とか出来る」
「そう」
もうすぐ日が沈みそうだ。本格的に何処に居るのか分からなくなってきた。
「どうするの? 帰れないけど」
「どうしようか、星の場所で今の位置が分かったらよかったけど知らないからな」
そんな事を言っていた時一羽の鳥が筏に止まった。海鳥が今日の寝床としてここを選んでしまったのだろうか。
「食料が来たな」
そう言いながらジョーカーは素手で鳥を捕まえる。
「食べれそうな所全然無いけど」
「……」
するとジョーカーは捕まえた鳥をまじまじと観察するように見ていた。
「どうしたの? 何か思いついた?」
「ずっと気になってたんだけど、シャドウってどうやって空を飛んでるんだろうな」
「さぁ? 主の事はよく知らないから分からない」
そしてジョーカーは鳥の翼を持ち広げたりしている。捕まっている鳥は必死に藻掻いていた。ちょっと可哀想だった。
「俺も飛んでみたくて、どうやって飛んでるのか聞いたけど答えてくれなかったんだよ」
「そうなんだ」
私は段々と嫌な予感がしてきた。空を飛びたい、鳥の翼を観察している、この二点が揃ったらもう言いたいことは余程のバカじゃなかったら分かるはず。
「スライムで翼を作ったらいけるんじゃね?」
「止めといたら?」
私は直ぐに止めるように言った。流石にこれ以上迷子にはなりたくなかった。
「いや、ゼータ。諦めるのはまだ早い」
そう言ったジョーカーはスライムで翼を作り始める。それもめちゃくちゃ精巧な翼をだ。いつも思うけど凝り性だなって思う。
そして作り終えた翼を羽ばたかせ、少しずつ上昇していく。すごい飛べるんだ。
「どうだゼータ。人は飛べるんだぞ――ってこれ凄い疲れるわ」
そう言いながらジョーカーは五秒もしないうちに落ちてきた。カッコつかないなぁ。
しかも既に息切れ状態、何をしたらそんなに疲れるんだろう。
「ダメだ。これはキツい。ずっとスライムの形を変え続けるのは頭がパンクしそうだ」
「今のってずっと形を変え続けて羽ばたいていたの?」
「中の筋肉の構造とか知らないから、形だけを真似て後はそれが崩れない様に動かしてた」
それはしんどい作業だろう。形を保つより形を変え続ける方が大変だ。しかも凝って作った翼が変に形が変わらない様にしていたらしい。何て無駄な努力なんだ。
「行けると思ったんだけどなぁ」
「いや、普通に考えたら無理じゃないかな」
私たちは筏の上で並んで寝ころんでいた。
「なぁゼータ」
「何ジョーカー?」
「今楽しいか?」
ジョーカーから難しい質問が来た。今この遭難している状況は楽しいかというと別に何とも思っていない。でもこうやって二人で何か一緒の事をするのは楽しいと思っている。
今回の釣りも、前にただ何もせずに広い草原を話ながら歩いていた時も、初めて海まで行って釣りをした時も、釣った魚を私が知らない料理方法で食べさせてくれたりなど、一緒に居るだけで楽しいし嬉しい。
でもたまにそんな感情が吹っ飛びそうな行動をするのだけは止めて欲しいと思っている。
今回の遭難の原因もそうだし、わざわざ翼を作って飛ぼうとする事もそうだし、私には分からない何か理由でもあるのかと思ったけど、大抵失敗していたりする所を見るに何も考えてい無さそうだけど実際のところは分からない。
ただ最終的な結論としては私は今の状況は楽しいと思っている。
「楽しいよ」
「そうか、よかった」
そのまま海の上で寝て明日また改めて帰る手段を考えよう、そう思い、寝る為にジョーカーの方に寄っていたら。
「……あっ。これなら行けるかもしれない」
突然ジョーカーがそう言いながら立ち上がった。
せっかく自然な流れで隣で寝れると思ったのに、全くこの朴念仁は……。
「ん? どうしたんだよゼータ。そんな睨んできて」
そりゃ睨みたくもなるよ! 私は心の中でそう思ったが口には出さなかった。口に出すのは普通に恥ずかしいからだ。
「……別に何でも無い」
だから私はこう答えるしかない。
「そうか、じゃあ見ててくれ俺が考えた飛行手段を」
そう言いながらジョーカーはまた精巧な翼を作り出した。一体何をするつもり何だろうか。
作り終えたジョーカーはその翼を広げた後、そのまま羽ばたかずに浮かびだした。何で?
「驚いたかゼータ」
「うん」
凄いさっきと違って何だか余裕がありそうだ。
「今回は翼をエンジンにしてそこから魔力で羽と羽の間から推進力を作る事により飛ぶといった感じだ。言っても分からないだろうけどジェット機と同じだな」
ジェット機とやらが何かさっぱり分からないけど、取り合えずいつも通り無駄に凝った原理で飛んでいるという事だけは分かった。
「私でも出来るかな?」
「数分はいけるんじゃないかな?」
「数分?」
「さっきは頭での処理が追いつかなくなったから落ちたけど、これは純粋に膨大な魔力を消費するからゼータでも持って数分が限界じゃないかな」
「そ、そうなんだ」
やっぱり外見だけ完璧で中身が微妙な性能だった。いつかこういう事を研究したがる仲間が来たらジョーカーの行動の意味が私にも分かるようになったり、もっと効率的な手段が見つかったりするのかな。
「俺は結構長い間飛べるから問題ないけどな」
「え、ちょっと!?」
そう言いながらジョーカーは私の手を掴んできた。心の準備が出来てないんだけど!?
その後私はそのままジョーカーに抱きしめられる形で上空に運ばれた、そして一緒に夜空に浮かんでいた。
水面が遥か下にある。波の音も聞こえない、本当に二人だけの空間だった。
「どうだ? 上空からのこの景色」
ジョーカーは年相応の無邪気な雰囲気でそう聞いてくる。
「うん、綺麗」
ペトスから逃げて初めて海を見た時と違って、上下に広がる満点の星空は美しかった。似た様な光景だけど感じ方が全く違う。それにあの時はこんな事を考えている余裕は無かったけど、今は違う。
世界中の誰よりも信頼して全てを預けられる存在である、ジョーカーの腕の中に居るから。だから今この光景を本当に美しいと感じる事が出来る。
「ありがとう」
だから今の言葉は自然と出てきた。何も考えていなかったけど、ただ、今言いたくなった。
「突然どうした?」
「何でもない」
私はそう言って身体の態勢を勝手に変えた、私の身体は柔らかいのだ。抱えられている状態でも抜け出して好きな格好に勝手に変えるのは朝飯前だ。
先ほどまで互いに向かい合う形で抱かれていた私はジョーカーに対して横向きになり、両腕で抱き上げる形に変えさせた。この間聞いた所謂お姫様抱っこと言うやつだ。
先ほどまでの密着した状態だと心臓の鼓動がジョーカーに聞こえてしまいそうで恥ずかしかった。
「そう言えばジョーカーは夢とか無いの?」
「夢?」
「この間私に夢を持って生きた方がいいって言ってたし、そう言う本人はどうなのかなって」
「夢か……」
ジョーカーはかなり悩んだ表情をしている。
「ゼータにはああ言ったけど実は俺には夢は無い」
「無いんだ」
「ああ、そう言った事を捨てて生きてきたからな。それよりもやらないといけない事があって、いつの間にかそういう夢とか捨てて、言われた事をやらないといけない事するをだけの人生を送っていた」
不思議な表情だ。まるでここでは無い何処か遠くの場所を見ている様な、そんな表情だった。
ジョーカーの両親から聞いた今までの彼の過去とは違う、別の何かを感じた。
「大人になるにつれてやらなきゃいけない事が増えていった。本当はどうしてもやりたい事とかあった気がするけどそれも忘れてしまうような勢いで増えていった。だからやりたかった事とか全部諦めて捨てていった」
私は黙って聞いていた。何かずっと見えない、認識できていなかった仮面の奥に隠されていたジョーカーのシュウ・ヤークの本当の姿が見える気がしたから。
「だからシドにいやシャドウに付いて行くって決めたんだ。俺は諦めて捨ててしまったけど、どうしてもやりたい事をずっと続けているアイツに」
勿論助けられたから恩返しというのもあるけどなとジョーカーは続けていた。
「俺はアイツに夢を見ている。いつか訪れる幕切れが怖いけど」
ジョーカーはそう言って少し笑っていた。
私は少しジョーカーが着けていた見えない仮面が少し剥がれかけている様に感じた。彼の本当に誰にも見せない様にしているであろう部分の一端が見えた気がした。
情けないとか弱いだとかそんな事は一切感じなかった。ただそこまで私に心を開いてくれているのだと感じて嬉しかった。
「このまま平和が続くといいのに」
「そうだな、いつか戦いが日常じゃない世の中になるといいな」
だけど私たちの道は前も後ろも血に濡れている。今まで犠牲になってきた悪魔憑きの人々や、これから殺さなきゃならない敵の血で。
だから私も強くならないといけない。こんな呪われた道をジョーカーや皆だけに歩いて欲しくは無い。いつまでも甘えていられない。
「ねえジョーカー」
「どうした」
「帰ったら私にも戦い方を教えて欲しい」
私はジョーカーの顔を見上げてそう言った。もう覚悟は決まった。
それに本当は分かっていた。私をこうやって連れ出しているのは戦いに参加させたくないという事ぐらいは。
「そうか、本当にいいんだな」
この時のジョーカーの表情は悲しそうだった。恐らく自分でも気が付いていないかもしれない。
本当にジョーカーは何の為にどうして戦っているのだろう。気にはなったけど、聞けなかった。
その後ジョーカーが一回上空から周りを見渡して方向を探り何とか陸に辿り着き、そこから数日かけて拠点に帰った。案の定凄い怒ってるアルファが居た。私たちは揃って正座をさせられて怒られた。
それから私と同じくジョーカーに助けられたイータが新たに加わり、シャドウガーデンがシャドウとジョーカーに私たち七陰の計九人になり数年が経った頃。主のお姉さんであるクレアさんが連れ去られた。
皆で奪還作戦を実行し多くの事を知った、その後私たちはジョーカーから受け入れがたい願いを言われる。私たちだけに普通の生活を送って欲しいという。気持ちは分かる。大切な人を失いたくないという事も分かる。
だけどそれはこっちも同じだ。だから自分達だけサヨナラして後は頑張って下さいとか出来ない。
本当にアルファの言う通りだ。私たちを何だと思ってるんだ。それに一生ものの怪我? 自分がそれを負ってるじゃないか、そうなった原因は私だけど。
だから私の目付きが鋭くなったのは仕方ない事だ。知っているアルファも同じ理由で同じ思いで彼をビンタしたのだろう。いいビンタだった。
そして私たちがジョーカーにいつまでも助けられるだけの存在じゃなくて、自分達でも出来るという事を証明する為にジョーカーに七陰全員で一斉に挑んだ。
まず始めに直ぐに突っ込んだデルタが二回目の突撃であっけなく捕まった。私以外知らなかったのか、彼の半径二メートルは必殺の領域だ。何故ならその範囲内ならジョーカーに物に流れる魔力の制御権を奪われるからだ。下手な魔力制御技術では抵抗すら出来ない。
だからデルタはスライムスーツを利用され直ぐに簀巻きにされた。あのワンちゃんはもう戦力にならないだろう。
それに気を取られていたベータは一気に距離を詰められて簀巻きにされていた。
十秒ほどで既に三人も削られた。一人はちょっと理由が違うけど。
ガンマが果敢にも攻撃を仕掛けるが簀巻きにされたワンちゃんを盾にされたことで、攻撃を躊躇してしまいその間にガンマも簀巻きにされてしまった。
大量のスライムの手による物量で押し切ろうとしたイータだったが、その手を経由して離れた所に居たのに簀巻きにされていた。
あっという間に私とアルファになってしまった。
私はこれを警戒して初めからスライムスーツを起動していなかった。
アルファはこの光景を見てから解除していた。
「ゼータ、貴女この事知っていたの?」
「皆知ってると思ってた」
「これじゃあ啖呵を切った私がバカみたいじゃない」
「ごめんなさい」
その後私たち二人で連携して攻撃をしていたが、結局かすり傷程度しか与えられなかった。
私たちはジョーカーから伸ばされたスライムによって皆と同じように簀巻きにされていた。
「俺の勝ちだな、残念だけどそうそう負けられないからな」
そう言ってジョーカーは皆を簀巻きから解放する。
私たちはその後揃ってジョーカーを囲んでタコ殴りにした。余りにも卑怯だし卑劣な戦い方だ。
本当の殺し合いの場ではこういうのは通じないのは分かるけど、腹が立ったので皆でボコボコにした。
そしてその後七陰同士でちょっとした喧嘩に発展して結局皆ボロボロになってしまった。
特に私とイプシロンが狙われた。まあこうなる。
それから暫くしてクラウン財団の乗っ取りの手伝いのご褒美として一緒に出かけた。
「よかったよ普通に出かけるだけで、他に何か要求されるんじゃないかって心配にだったからな」
「ジョーカーは私を何だと思ってるの」
「さぁな」
私たちは決して本心を口に出して言わない。一番重要な事はお互いに言わないのだ。
それ以外の日頃の感謝とかは言うけれど、自分たちの奥底の本当の気持ちは滅多に表に出さない。
でもそれでいい。そうじゃないといざという時に覚悟が鈍る。ジョーカーはどう考えて言わないのか知らないけど、私はそう考えて言わないでいる。
「じゃあ行こう」
「予定はあるのか?」
「無いよ、いつもみたいに目についた所に行こ」
ジョーカーは少し微笑みながら黙って付いてきてくれる。誰にも邪魔されない私たちだけの時間。
一緒に歩いて、何かを買ってもらったり、いい匂いがした飲食店に入って一緒に食べたりした。
私はまた任務で遠くの場所に行かないといけない。だから今この時間を満喫したかった。
楽しい時間という物はあっという間に過ぎ去っていく。名残惜しいけど明日の朝にはもう任務に戻らないといけない。
だから最後に二人で王都の夜景を一望できる場所に行った。
私はジョーカーと二人で見る夜景が好きだ。互いの心の距離が縮まっていく気がするから。
私はジョーカーと一緒に居られる時間が好きだ。無条件で安心する事が出来るから。
私はジョーカーが好きだ。目付きは悪いし、たまによく分からない事をしたり、色んな人に優しく接したり欠点を挙げていくとドンドン出てくるけど。
そんな事はどうでもいいぐらい誰かの為に必死になれる姿はカッコいい。あの時私を命を救ってくれた、あの後色々な所へ連れて行って私の心も救ってくれた。
でもこの気持ちは口には出せない。言ったら最後、今の状況が崩れてしまいそうで怖いからだ。
「綺麗だね」
「そうだな、でも俺は自然の中で見る夜空の方が好きだな」
「ふーん、私はジョーカーと見れるならどっちでもいいかな」
だから私は出来る限り隣に立つ事しかしない。ジョーカーの心の隙にならない為に。
それが私の選んだ道だ。
丁度王都に着いた時に、あの時に王都でデートした所まで振り返っていた。時間が経つのは早い。
これから久しぶりにジョーカーに会うのだ、私は自分の尻尾を制御出来ないでいた。
ジョーカーが学生に擬態してる際に使っている寮の部屋の前まで来た。ジョーカーの気配は無い。というか誰の気配も無いみたいだ。
スライムを操作して鍵を作りドアを開けて部屋に入る。相変わらず変わったものを置いていない綺麗な部屋だった。イプシロンなら面白みが無いって言いそうだけど。
何となく匂いを嗅いでいると、嗅ぎなれた薬品っぽい匂いが混ざっていた。……イータの匂いだ。
研究室から出ないと思っていたのにこの部屋に来ていたのか? 私でさえ今日初めて来たのに。
先を越されていたか、仕方ないここは私の帰る場所だとマーキングをしておこう。
そんな事をしていたら、この部屋の主の気配が近づいてくるのが分かった。私は堂々と待つ事にした。
「ジョーカー、久しぶり」
「久しぶりだなゼータ」
少し疲れた様子のジョーカーが帰って来た。そのまま彼はベットの方に腰を下ろした。
少し気になる事があるからそれについて聞いておこう、任務に行く前に他の有象無象への牽制として広げた噂の効果を確かめる為に。そう思いながらジョーカーに近づく。
「何でこっちに帰って来てるんだ? 結構遠くの任務に行ってたんじゃなかったっけ?」
「ベータが報告してくれたから、他のメンバーに全部任せて一回帰って来た」
「仕事は自分でする主義じゃなかったのか?」
「今回は特別」
私はそう言いながらジョーカーの隣に座る。そしてそのまま聞きたい事を聞く。
「そう言えば学園に入学してからどう? 何か変わった事はあった?」
「初めは何処から出てきたか分からない二股の最低野郎の噂でちょっと大変だったけど、今は問題ない」
「え? 二股?」
「そう。二股」
何で二股になっているんだ。もしかしてイータも同じ事を考えて同じ事をしたのか?
うーん、ありえそうだ。イータも何だかんだ言って私と同じくらいジョーカーの事が好きだ。
普段は雑に扱ったりしているけれど、あれはイータの照れ隠しだろう。常人とは心の感覚が違うイータだからあんな感じの態度を取ってしまっているだけだ。
つまり私たちは同じタイミングで同じ様にジョーカーには既に恋人が居ると噂を流したのだろう。しかもそれぞれ自分にたどり着かない様に工夫して、相手の輪郭がぼやける様に言ったと。すると気が付いたら二人に手を出している男になってしまったのだろう。
うん。今の状況とそこまで違ってはいないと思うけど。
心当たりがあった私は一人で納得した。
「ふーん、まぁ考える事は同じか」
「何のことだよ」
「気にしなくていいよ。それよりもその後は?」
今は問題ないという事は既に噂の効果は切れていると考えていいだろう。だったら確認しておかないといけない。
「その後? 噂の効果が無くなった影響か普通に接されるか、ちょっかいを掛けられる事が増えたぐらいで、特に変わった事は無いぞ」
「ちょっかいの部分をもう少し詳しく教えてくれない?」
「……え」
何だか誤魔化そうとしているジョーカーを見て私は確信した。絶対に何かあったなと。
そう思った私は少し恥ずかしいけど、ジョーカーに顔を寄せる。互いの息遣いが分かる距離だ。下手したら体温も伝わるかもしれない、そんな距離まで詰め寄った。
「えっと、あの、その、ね?」
「何も分からないけど」
「男から女子を賭けて決闘を申し込まれたり、女子から告白を受けたりなど」
「……はぁ」
まあ、分かっていた事だ、こうなる事ぐらい。でもよかった、部屋に連れ込んだり訪ねられたりまではしていないようだった。
「ま、こうなるか」
「何が?」
「別にジョーカーは気にしなくて大丈夫だよ」
私はそう言いながらジョーカーにマーキングしていく。ジョーカーにはマーキングの事を話していない。バカ犬も言って無いだろうから知らないはずだ。
ジョーカーはよく分かっていない表情でなされるがままだ。
「じゃあ、私はこれで。次に会う時は決行の日かな?」
「ああ、そう。じゃあ」
マーキングが終わった後私はジョーカーにそう言って部屋から出ていった。
さて直接会って話したし、ちゃんと仕事をしますか。このままだと本当にサボっただけになってしまう。
必要そうな情報は何かな、今からアルファかベータに聞きに行こう。
私はそう考えながら街の中に溶け込んだ。
今回もここまで読んで下さりありがとうございます。
そして申し訳ございませんでした。後編が二日に間に合いませんでした。ごめんなさい。
こういった感じの文章どころかこの作品自体初めて書いた小説なので、ちゃんとしたものになっているのか不安ですが、楽しんで頂けたらと思っています。
そしていつも誤字報告ありがとうございます。自分でも確認しているのですがどうしても気づかない所があったりします。読んでいる時に気が付きましたら遠慮なく報告して下さると非常に助かります。
次回からは本編に戻り、本格的に学園襲撃編を進めていきます。
それでは次回も楽しみにして下さると幸いです。