殆ど関係ないですけれど。
――神。
――世界の創造主。
それは本当にいたようで。死んだ後の僕は、その神と邂逅した。別にキリスト教でもなく、神についての興味もないので、あの人が、いや、あの神がどういう存在かなど分かりはしないが、感じた威圧は人では出せないものだったと思う。
――なぜ。
なぜ、僕は神と話すことができたのか。なったのか。そんなことは分からなかった。神の気まぐれ、というやつかもしれない。
そして僕は生き返った。正確に言えば、記憶はそのままに肉体と生まれた世界が変わった。その世界で、僕は神から与えられたその世界についての基礎知識と力で、何とか生き抜くことができた。それでもやっとの思いで。優しさと諦めない強さを持った彼と出会わなければ、もしかしたら死んでいただろう。
――でも、いつかは死ぬのが人間で。
――死ぬときはあっさりしているもので。
何が起きたかも分からずに、僕の意識は沈んでいった。
確かその時は、彼のアパルトメントの中で。
薄れゆく視界には、驚いた顔をしている彼の姿と、慌てて寄ってくる小さい彼女の姿。黒猫の彼女の声が聞こえた気もする。
こう振り返ってみると、僕は友人に恵まれていたみたいだ。倒れた僕の表情は、笑顔だったと思う。
――そうして、目を覚ますと。
また神に出会った。そして他の世界に連れていくと言った。嗜虐的な笑みを浮かべて。愉快そうに。
途端に僕は理解した。
神は僕のことを、ひいては人そのものを、退屈を紛らわせる道具程度にしか思っていないのだと。
確かにそうなのだろう。僕たちの創造主たる神。人間の言う神々しさを纏うその姿は、僕らを殺すことにすら何も感じないのだ。
だから、僕は何も言わなかった。
――何も、言えなかった。
神は行き先だけを告げて。それだけで僕の意識は揺らぎ始めた。
彼なら、こういうときどうしたのだろう。諦めることのない彼は。
そう考えて、すぐに結論は出た。
――右手を伸ばす。
ただそれだけ。それだけで、彼は絶対にあきらめることはなかった。絶望ばかりのあの都市で。すべてが歪んだあの都市で。
だから僕は、薄れゆく視界の中で、神に向かって右手を伸ばす。
次こそは、あなたを――。
私が博麗の巫女として育てられるようになってから時は流れて。
彼は突然幻想郷に現れた。
真っ白な外套を着た、物腰の柔らかな青年。
――あのはた迷惑なことをやる八雲紫が、また何かやったのだろう。
初めはそれくらいしか思っていなかった。当代の博麗の巫女、私の母が大丈夫だと言っていたから。
それから一週間が過ぎて。
彼は大分、里の人たちと打ち解けたようだった。母について行った人里では、彼を中心にして人だかりができていたほどだ。その時に見た彼の顔は、落ち着いたものだった。
――どうして。
今の状況に不安はないのだろうか。知らない人ばかりの今。生活の環境がすべて変わってしまっただろう、今。
そう思っていた時、ふと、彼と目があった。でも、咄嗟に目を逸らしてしまった。
怖かったから。
彼が分からなくて、怖かったから。
それからまた、一週間。
神社を八雲紫が訪ねてきた。母に用があるらしい。母屋の居間にいた母に伝え、私は外に出ていようと思ったが、話が気になった。居間で話す二人に気が付かれないように、そっと襖に耳を近づけた。話し声が聞こえてくる。
「あの青年は、私が連れてきたわけではないのよ」
――え?
思い掛けない言葉に、声が漏れそうになった。慌てて口を押さえる。
では、八雲紫の言葉が真実なら、彼は自分からここにやってきたということだ。
自分から、何もわからない場所へと。
私ならどうだろう。同じようにできるだろうか。すぐに答えは出た。
そこで、また声が聞こえてきた。
「だが、結界には何の反応もなかったぞ?」
――そう。確かにそうだ。幻想郷の内と外とを分ける結界。博麗大結界がある限り、そう簡単にはここには来られないはずだ。ましてや、彼のように突然、ふらりとやって来ることは。
少しして、襖の奥から声が聞こえてきた。
「……結局、彼ついては謎のまま、と言うことかしら」
「ああ。手持ちの情報がなにもないからな。だが、少なくとも悪い人間ではないのだろう。里の人たちからは温かく迎えられている。今では診療所を作ったらしい。そこも好評らしいぞ」
「なるほど。私の方はもう少し監視の方を続けてみますわ。私の愛する幻想郷を、壊されたくありませんもの」
立ち上がる音が聞こえた。
私はすぐさまそこから立ち去り、箒をもって境内に行った。今までずっと掃除していたという風に。
盗み聞きしていたのがばれるのは、ちょっと嫌だ。多分、怒られるから。
だから、何事もなかったように箒でさっさっと掃いていると。
コツ、コツ、コツ――。
石段を登る音。小さい音が少しずつ大きくなる。
――今日はお客さんの多い日ね。
石段の方へ近づいていく。私に用がある人なんていないだろうから、母に話があるのだろう。
少し待ってもらって、それから母に伝えようか。
そう思って、上って来る誰かに声をかけようとして。
止まった。
上って来たのは、彼だった。
「やあ、こんにちは。博麗の巫女さんはいるかな。少し、話がしたいと思ってきたのだけれど」
笑顔を浮かべて話しかけて来る彼。
「急なことで本当に申し訳ない。君は……娘さんで、合っているかい?」
私は曖昧にうなずいた。
――さっきまで考えていた、彼のことを。
――怖いと思っていた彼。
――会って話してみれば、思っていたよりも普通の人で。
何だか、逆に落ち着かなくなってしまう。
「母、は……今、人が来ていまして。その、相手を」
緊張して、途切れ途切れに出て来る言葉。それが恥ずかしくて、私は俯いた。多分、今顔を見たら真っ赤だろう。
「間が悪かったかな。君にも、悪かったね。緊張させてしまったみたいで」
頭上から、声がかかる。困ったように笑った声。
「そうだ。名前を聞かせてもらえないかい? いつまでも君と呼び続けるのは、ね。僕はロス。よろしく」
俯いていた私の視線に、彼の手が入って来た。
緊張がさらに高まる。
からからの喉。つかえる言葉を無理やり押し出して。
私の名前は――。
――右手を伸ばして。
僕は違う世界に来た。まず見えたのが、どこまでも広がる青空。
あの都市では、絶対に見ることができなかったもの。
僕は、ここで診療所を開くことにした。
あの世界で得た、医療に特化した現象数式を用いて。人を助けるために。
彼――ギーのように。