まあ、関係はないのですが。
――
脳が変異した事によって扱えるようになった力だと、ギーは言った。
僕はどうなのだろう?
神と言う、すべての埒外にいる存在によって送られた僕は。
もしかしたら、何も変わらないで現象数式を扱えているのかもしれない。
つまりは、神によって与えられた力。
そう考えると、暗澹たる気分になる。
――僕を生まれ変わらせた神。
――僕を殺した神。
本質はどちらなのだろう? もしかしたらどちらもそうであるかもしれないし、そうでないかもしれない。
三度目の人生を送る僕ではあるけれど。
神に二度も出会った僕ではあるけれど。
やはり、ただの人間程度である僕では、到底理解できないということなのだろうか。
――ため息が、こぼれた。
●●●
僕が診療所を作ってから二週間ほどが経った。作ったと言っても、空いていた長屋を里の人たちに貸してもらい、掃除もしていなかったそこを掃除して。
何とか部屋として使えるように整えただけの、酷く簡素なものだけれど。
医療用の道具と言うのは殆どない。薬もそうだ。僕の治療では必要がないから。
一応、ちょっとした風邪薬などなら置かれている。
そんな僕の診療所の評判はそこそこ、と言ったところだろうか。
始めた当初は、僕の現象数式に驚くと思っていたけれど、しかし、すんなりと慣れられてしまった。
ここは、そういう場所なのだと、患者の一人に言われてぽかんとしてしまったのを覚えている。
幻想郷と呼ばれるここは、僕の予想以上に不思議な世界なのかもしれない。
流石に、『異形都市』と呼ばれたインガノックほどではないけれど。
と――。
そんなことを考えていると、長屋の戸がガンガンと叩かれた。大分乱暴だ。音がしたのは低い場所だった。
子供たちが遊んでいて怪我でもしたのだろうと考えて戸を開けると。やはりそこには膝を擦りむいて涙目になっている男の子と、それに付き添いで来た活発そうな男の子と女の子がいた。一度微笑んで、努めて優しい声音で話しかけた。
「遊んでいて転んでしまったのかい? とりあえず、中に入ってくれるかな」
「う、うん……」
今にも涙がこぼれてしまいそうな男の子は、残りの二人に支えられて部屋に上がって来た。
歩くのも辛そうなので、手近な椅子に座らせる。
二人には部屋の奥にある椅子に座ってもらい、治療を開始する。
普段なら触診から始めるところだけれど、これだけあからさまなら問題はない。
十中八九、擦過傷だ。患部に付着していただろう土や砂などは、もう水で流してきたようだった。
――右目で見る。
――右目が、正確に容態を伝える。
やはり、擦過傷。それほど重いものではない。
これなら、放っておいてもすぐに治る。
しかし、この子たちが僕を頼って来たということは、すぐに治してほしいということだろう。
ならば。現象数式を使うべきだ。クラックを。
目を閉ざす。
クラッキング光を瞼越しに感じる。
「わあ……」
男の子が声を上げた。驚きと、僅かな喜びを感じる声。この光を見るのは初めてらしい。
ここでは僕しか使えないのだから、当然なことではあるけれど。
すぐに終わるからね。そう言って、僕は起動させた数式に脳を集中させる。
もし、神が与えたものならば、こうする必要はないのかもしれない。
でも、これはギーたちとの思い出でもあるから。
――脳が機能する。
ただ、僕がそう思っているだけなのかもしれない。でも、それでも。この力が神に与えられたものだとは思いたくなかった。
少しの筋肉繊維を表皮へと置換して。
これで、治療は完了。
再び右目で見てみるけれど。もう傷は確認できなかった。
「終わったよ。動いても、痛くないと思うのだけれど、どうかな?」
男の子は小さく頷いて、椅子から立ち上がった。すぐに表情に変化が現れた。
立った時は恐る恐る、いつ痛みが来るのかと強張った顔。
痛みが来ないのが分かると、歩いてみて。
最後には、笑顔で走り回っていた。
「ありがと、先生!」
「すげー、すげーんだな、先生って! ありがとな!」
奥で治療を見ていた男の子は、走り回っている今まで怪我をしていた子を見て、興奮気味にそう言った。僕は自然と笑顔になる。こういう反応は、素直に嬉しいのだ。
「あ、でも、私たちお金持ってない……」
気付いたように、女の子が俯いた。
――そんなこと、気にしないでいいのに。
「それなら気にしないで大丈夫だよ。元々お金をもらってやっているわけではないからね」
これは本当だ。
お金を貰わずとも、ここでは生活していけている。
僕が治療した人たちが、お礼にと食材を分けてくれたり、表で店を構えている人は、無料で食べさせてくれたり。
優しい人たちばかりだから。
「い、いいの? ……本当に?」
女の子は信じられないと言った風に僕を見る。
様子から察して、親から、何かしてもらったらお礼をしなさい、と言われているのかもしれない。
僕はそんな彼女を安心させるように、出来るだけ優しく、穏やかな表情で声をかける。
「うん、大丈夫。元気な姿を見るだけでも、僕にとっては嬉しいものだから」
――僕が治して、元気になった人。
彼ら、彼女らを見るのが、僕がこの世界に来て一番好きなことだ。
――怪我が治って外ではしゃぐ子供。
――苦しめられていた病気から解放された男性。
――肌荒れに悩んでいた女性。
人によって違いはあるけれど。
皆一様に元気になってここを出ていくのを見るのは、たまらなく嬉しい。
「あ、ありがとう、先生!」
女の子から、礼を言われた。目を見て、微笑んで。男の子も、怪我をしていた子も。
みんなが笑顔だ。屈託なく笑う子供たち。
今この瞬間を。
僕は幸せだと感じている。
――だから。
――ただ、今は。
――それだけで、いい気がした。
●●●
明日は、初めて私が一人で妖怪退治をする。
これが出来れば、私は正式に博麗の巫女となるのだ、と母は言った。
――大丈夫、出来る。
里の人たちから依頼された、人里に害を与える妖怪の退治。
もう母に付き添って何回も行っていた。
そのときは、私は見ていたくらいで。
そのほとんどは、母がやっていたけれど。
でも、私だって、今まで何もやってきてないわけじゃない。
――大丈夫。
私は自分に言い聞かせるように、内心で呟く。今からこの調子じゃ、明日はどうなっているのだろう。
いつも通りの私だったらいいな。緊張しすぎてガチガチになってたら、絶対に出来るわけないから。
気分転換にと思って人里まで下りてみたけれど、あまり効果はなかった。
当てもなくぶらぶらと歩く。
一人で来た人里は、母と来た時よりも広く感じた。
と、目の前を三人の子供たちが通り過ぎる。元気に走り去っていった。
どこから来たのだろう。
そう思って三人が来た方を向くと、笑顔でこっちを見ている彼がいた。
――ロスと名乗った彼。
――確か、診療所を始めたと聞いた。
あの長屋が、そうなのだろうか。ところどころが薄汚れている、あそこが。
不意に、視線が合った。彼が、私に向かって手を振る。
私は、やはり、咄嗟に視線をそらしてしまって。足早に、そこを離れた。
――何だろう、この感覚は。
――初めてだ。
――顔が熱い。
一体、私はどうしてしまったのだろう。
分からない。分からない。分からない――。
人里を出るまで、私は明日のことなんて考えられなくて。
気分転換には、なったのかもしれなかった。