東方診療録   作:破戒僧Z

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やっぱり、『Right hand from behind』はいい曲ですね。
聞いていて盛り上がるというか、場面が浮かんできて思い出せるというか。


第二話 彼女と彼

 翌日。

 つまりは、僕があの子たちの笑顔を見た次の日。

 起きてすぐに、違和感を覚えた。何かがない、または何かがあるような違和感。

 今までに何度か感じたことがあるものだった。

 例えば。

 

 ――友人が事故に遭ったとき。

 

 ――妹が重い病気になったとき。

 

 ――両親が、死んだとき。

 

 ――僕が死ぬことになったあの日の朝も。

 

 何か嫌なことが起きる。それだけは分かった。

 だから僕は、落ち着いてなんていられなくて。

 長屋の戸に、臨時休業をする旨を書いた紙を貼り、僕は当てもなく外に出た。

 何が起こるかなんてわからない。何か出来るかなんてわからない。

 でも、何もしないなんてことは出来ない。

 

 ――諦めるようなことは、絶対にしたくなかった。

 

 

 

                                    ●●● 

 

 

 

 ――来た。

 

 ――来てしまった。

 

 私が、一人で、妖怪を退治する。

 私一人、という不安はある。もしかしたら、という期待もある。怪我じゃすまないかもしれない、という恐怖もある。色々な感情が綯い交ぜになって、私の胸に暗い影を落としていた。

 意図せずため息が漏れる。

 今日は起きた時からこの調子だ。母にも心配されてしまった。

 だからと言って、今日は無理だなんて言う気はない。

 私は今まで、博麗の巫女となるための修行を積んできた。途中で嫌になって投げ出すことも少なくなかったけれど、何とかここまで来たのだ。

 今更、やめる気はない。やって来たことを無駄にするなんて、したくはない。

 

 ――そのために。

 

 まだお昼になる前の、朝早い時間に、私は人里近くの森に来ている。

 妖怪からの被害報告の多くは、ここから来ていたからだ。

 そこは太陽が昇った今でも、光を遮るほどに木々が茂っていた。息も、なんだかしづらかった。それに、人間である私の視界は、少し遮られてしまう。

 

 ――でも、これくらいなら、問題ない。

 

 足を動かす。すると、雑草が足に絡まった。まるで、この先に進むなと言うように。

 心臓がドクドクとうるさい。前方から嫌な気配がする。何度も感じたことのある気配。

 母と一緒にいた時に感じた、あの。でも、今は私一人。気は抜けない。息を吸って、吐く。

 数回繰り返すうちに、ちょっと落ち着いた。

 

 ――出来る。

 

 対妖怪用のお札だって、何枚も作って来た。体術だって、母にみっちりと教えてもらった。

 それに何より、私には能力がある。

 

 ――空を飛ぶ程度の能力。

 

 危なくなったら、一度退いて、また行けばいい。

 そう、だから、落ち着いて。大丈夫。

 また一歩踏み出す。そしてもう一歩。気配は少しずつ大きくなっていく。

 それに比例して、木々も多くなっているように感じた。

 この森の中心部に近づいているのだろうか。

 次第に暗くなっていく。周囲が。全てが。

 

 ――ガサッ。

 

 瞬間。

 耳に届く音。

 草陰が揺れた音。

 

 ――何かが見えた。

 

 ――今、そこに。

 

 暗闇の中に浮かぶ、八つの赫色の単眼。木と木の間から、それが私を見ていた。

 咄嗟に、私は後方に跳んだ。それと同時に、その妖怪は姿を現した。

 

 ――蜘蛛だ。

 

 ――大きな、大きな、化け蜘蛛だ。

 

 長い八本の足。八つの目。全長は三メートルほど。それを見て、私は一瞬止まってしまった。

 そこを、目の前の妖怪が見逃してくれるわけはない。

 巨体に見合わぬ俊敏な動作で、その蜘蛛は近づいてくる。

 

『GRRR……』

 

「ふッ!」

 

 辛うじて、お札を牽制に使い相手を近寄らせない。四枚ほど投げたうちの二枚は当たったけれど、効果は薄いようだった。普通の妖怪なら、痛みで動きを止めてもいいくらいのものなのに。つい、手に力が入る。

 冷や汗をかきながら、一旦、距離を置いた。

 十メートル以上開けておけば、そう簡単に攻め込まれることはないだろう。

 私は睨んだまま動けない。前に行けばやられる。とは言え、後退すれば追撃されるかもしれない。恐らくはないと思うけれど、念には念を入れる必要がある。母にも、そう言われている。

 じりじりと距離を詰めて来る奴は、笑っているようにも見えて。

 このままでは、私はやられる。

 

 ――でも。

 

 ――私は。

 

 ――飛べる。

 

 奴が息を吐く瞬間を見極め、そして。

 

 ――今!

 

 私は空へと昇る。大きな木々の間を裂くように。普段よりも速く。

 暗い森を抜けた先は、眩しいくらいに青かった。雲一つない、青天。

 今の戦いが嘘のようだ。それくらい、爽やかな日で。

 下を向けば、あの森が見える。化け蜘蛛の姿はここからは見えなかった。

 でも、気配は感じられる。さすがに、空までは追ってこられないようだ。

 なら、ここから、奴を仕留めればいい。

 

「はあっ!」

 

 空中からの強襲。

 私は持っていた残りの札にありったけの霊力を込め、目下の森に投げつける。

 気配の感じる中心へと。

 それと同時に、木々が倒れ砂煙が立ち上がる。逃げているのだろう。

 少しして。砂煙は消え、木々が倒れたことで陽の光が差し込むようになった地面が見えた。

 でも、奴の姿は見えない。

 追尾性を伴って放たれた札は、あの妖怪に当たったはずだ。

 感じる気配は極僅か。虫の息と言ったところ。

 これは果たして。

 瀕死の状態なのか、それとも息を潜めているだけなのか。

 

 ――考えてもどうしようもないか。

 

 結局、奴が退治されたことを確認しなければ、巫女になることなんてできないのだから。

 慎重に高度を落とし、地面に降り立つ。

 気配の感じる方に視線を向ければ、弱々しく体を揺らす奴がいた。

 八本の足は、そのほとんどが折れ、立っていることなんてできないようだ。

 八つの目は、妖しく光っていた赫色の目は、今では光などなく、自分が死ぬのだということを理解しているようにも見えた。

 明らかに、瀕死だった。もう動くことなんてできないだろうし、持って数分の命だろう。

 私は変わり果てた化け蜘蛛から視線を外し、踵を返した。

 

 ――後は母さんに報告して、ここまで来てもらって、それで終わりよね。

 

「――!」

 

「?」

 

 横から、彼の声が聞こえた気がした。いるわけがないのに。

 次いで私は突き飛ばされた。

 痛い。基本的に地面が凸凹しているから、転んだら痛い。

 

 ――一体何なのよ。

 

 そう思って、私を突き飛ばしたのは誰なのか、と若干顔を顰めた。

 即座に立ち上がって振り向くと、真っ赤に染まった、彼がいた。

 

「……え……?」

 

 

 

                                   ●●●

 

 

 

 走り回ったロスは、勘に従って人里を出た。だが、これからどこに向かえばいいのか分からない。

 焦燥が募る。

 そんな時、近くの森から砂煙が上がる。木々の倒れる音も響いてきた。

 ロスは走った。何事かと考えるよりも前に、足が出ていた。

 森に視線を向けた一瞬で、彼は見たのだ。

 空を飛ぶ、博麗霊夢の姿を。

 里の中を走り回っているときに聞いた、妖怪退治の件。それも、霊夢一人で。

 ロスの中で、何か確信めいたものが生まれた。

 森の中を走るロス。

 視界は悪く、足場も危ない。転びそうになるのを根性で止まり、一目散に霊夢の元まで走った。

 

 ――そして。

 

 ――霊夢の背後から足を伸ばす、化け蜘蛛の姿を見た。

 

「霊夢!」

 

 ロスは叫ぶ。しかし、霊夢には届かない。化け蜘蛛に背を向けたまま、彼女は歩いていた。

 ロスは更に霊夢との距離を詰め、再度叫ぶ。

 

「霊夢!」

 

 そして、ロスはそのまま霊夢を突き飛ばした。怪我をさせてしまうかも、と申し訳ない顔をして。

 

「がっ――!」

 

 ロスの体を、化け蜘蛛の足が、刀のように鋭い足が、袈裟斬りのように裂く。

 化け蜘蛛は、それが死力を尽くした攻撃だったようで、ずうん、と思い音を響かせて倒れ、動くことはなかった。

 後に残ったのは、血だらけになり、地面へと叩きつけられたロス。

 霊夢はすぐに駆け寄った。

 

「ロス!」

 

 叫ぶように呼ぶ。今まで一度も呼んだことがなかった、彼の名前を。

 普通の人間なら、息絶えているだろう。

 

 ――だが。

 

 ――彼には現象数式がある。

 

 肉体の自動高速再生。

 斬られた瞬間から、それは始まっている。

 修復のために用いられる筋肉繊維が、みるみる内に削り取られていく。

 霊夢が駆け寄ったときには、既に出血は止まっていた。

 修復に用いた筋肉繊維が多すぎて、立ち上がることはできないが。

 

「ロス!」

 

 霊夢はもう一度呼びかけた。ロスは、徐に口を開く。

 

「怪我は……ないかな?」

 

「ないわよ! 貴方のほうが大変そうじゃない!」

 

「僕は大丈夫だよ。そう簡単には死なないから」

 

 ロスは微笑みながら言う。それが、霊夢には分からなくて。

 いつの間にか、涙がこぼれていた。

 

「……泣いているのかい?」

 

「べ、別にそんなのじゃ……」

 

 霊夢は訳も分からず顔を赤くして、乱暴に涙を拭った。

 ロスはその様子を、微笑ましげに見ていた。気を抜けば、今にでも意識が飛びそうな中。疲労と充足感が満たす中。

 彼はポツリと。霊夢にも聞こえないくらいに小さな声で。

 

 ――ああ。

 

 ――よかった。

 

 ――僕は、助けることが出来たのだ。

 

 

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