聞いていて盛り上がるというか、場面が浮かんできて思い出せるというか。
翌日。
つまりは、僕があの子たちの笑顔を見た次の日。
起きてすぐに、違和感を覚えた。何かがない、または何かがあるような違和感。
今までに何度か感じたことがあるものだった。
例えば。
――友人が事故に遭ったとき。
――妹が重い病気になったとき。
――両親が、死んだとき。
――僕が死ぬことになったあの日の朝も。
何か嫌なことが起きる。それだけは分かった。
だから僕は、落ち着いてなんていられなくて。
長屋の戸に、臨時休業をする旨を書いた紙を貼り、僕は当てもなく外に出た。
何が起こるかなんてわからない。何か出来るかなんてわからない。
でも、何もしないなんてことは出来ない。
――諦めるようなことは、絶対にしたくなかった。
●●●
――来た。
――来てしまった。
私が、一人で、妖怪を退治する。
私一人、という不安はある。もしかしたら、という期待もある。怪我じゃすまないかもしれない、という恐怖もある。色々な感情が綯い交ぜになって、私の胸に暗い影を落としていた。
意図せずため息が漏れる。
今日は起きた時からこの調子だ。母にも心配されてしまった。
だからと言って、今日は無理だなんて言う気はない。
私は今まで、博麗の巫女となるための修行を積んできた。途中で嫌になって投げ出すことも少なくなかったけれど、何とかここまで来たのだ。
今更、やめる気はない。やって来たことを無駄にするなんて、したくはない。
――そのために。
まだお昼になる前の、朝早い時間に、私は人里近くの森に来ている。
妖怪からの被害報告の多くは、ここから来ていたからだ。
そこは太陽が昇った今でも、光を遮るほどに木々が茂っていた。息も、なんだかしづらかった。それに、人間である私の視界は、少し遮られてしまう。
――でも、これくらいなら、問題ない。
足を動かす。すると、雑草が足に絡まった。まるで、この先に進むなと言うように。
心臓がドクドクとうるさい。前方から嫌な気配がする。何度も感じたことのある気配。
母と一緒にいた時に感じた、あの。でも、今は私一人。気は抜けない。息を吸って、吐く。
数回繰り返すうちに、ちょっと落ち着いた。
――出来る。
対妖怪用のお札だって、何枚も作って来た。体術だって、母にみっちりと教えてもらった。
それに何より、私には能力がある。
――空を飛ぶ程度の能力。
危なくなったら、一度退いて、また行けばいい。
そう、だから、落ち着いて。大丈夫。
また一歩踏み出す。そしてもう一歩。気配は少しずつ大きくなっていく。
それに比例して、木々も多くなっているように感じた。
この森の中心部に近づいているのだろうか。
次第に暗くなっていく。周囲が。全てが。
――ガサッ。
瞬間。
耳に届く音。
草陰が揺れた音。
――何かが見えた。
――今、そこに。
暗闇の中に浮かぶ、八つの赫色の単眼。木と木の間から、それが私を見ていた。
咄嗟に、私は後方に跳んだ。それと同時に、その妖怪は姿を現した。
――蜘蛛だ。
――大きな、大きな、化け蜘蛛だ。
長い八本の足。八つの目。全長は三メートルほど。それを見て、私は一瞬止まってしまった。
そこを、目の前の妖怪が見逃してくれるわけはない。
巨体に見合わぬ俊敏な動作で、その蜘蛛は近づいてくる。
『GRRR……』
「ふッ!」
辛うじて、お札を牽制に使い相手を近寄らせない。四枚ほど投げたうちの二枚は当たったけれど、効果は薄いようだった。普通の妖怪なら、痛みで動きを止めてもいいくらいのものなのに。つい、手に力が入る。
冷や汗をかきながら、一旦、距離を置いた。
十メートル以上開けておけば、そう簡単に攻め込まれることはないだろう。
私は睨んだまま動けない。前に行けばやられる。とは言え、後退すれば追撃されるかもしれない。恐らくはないと思うけれど、念には念を入れる必要がある。母にも、そう言われている。
じりじりと距離を詰めて来る奴は、笑っているようにも見えて。
このままでは、私はやられる。
――でも。
――私は。
――飛べる。
奴が息を吐く瞬間を見極め、そして。
――今!
私は空へと昇る。大きな木々の間を裂くように。普段よりも速く。
暗い森を抜けた先は、眩しいくらいに青かった。雲一つない、青天。
今の戦いが嘘のようだ。それくらい、爽やかな日で。
下を向けば、あの森が見える。化け蜘蛛の姿はここからは見えなかった。
でも、気配は感じられる。さすがに、空までは追ってこられないようだ。
なら、ここから、奴を仕留めればいい。
「はあっ!」
空中からの強襲。
私は持っていた残りの札にありったけの霊力を込め、目下の森に投げつける。
気配の感じる中心へと。
それと同時に、木々が倒れ砂煙が立ち上がる。逃げているのだろう。
少しして。砂煙は消え、木々が倒れたことで陽の光が差し込むようになった地面が見えた。
でも、奴の姿は見えない。
追尾性を伴って放たれた札は、あの妖怪に当たったはずだ。
感じる気配は極僅か。虫の息と言ったところ。
これは果たして。
瀕死の状態なのか、それとも息を潜めているだけなのか。
――考えてもどうしようもないか。
結局、奴が退治されたことを確認しなければ、巫女になることなんてできないのだから。
慎重に高度を落とし、地面に降り立つ。
気配の感じる方に視線を向ければ、弱々しく体を揺らす奴がいた。
八本の足は、そのほとんどが折れ、立っていることなんてできないようだ。
八つの目は、妖しく光っていた赫色の目は、今では光などなく、自分が死ぬのだということを理解しているようにも見えた。
明らかに、瀕死だった。もう動くことなんてできないだろうし、持って数分の命だろう。
私は変わり果てた化け蜘蛛から視線を外し、踵を返した。
――後は母さんに報告して、ここまで来てもらって、それで終わりよね。
「――!」
「?」
横から、彼の声が聞こえた気がした。いるわけがないのに。
次いで私は突き飛ばされた。
痛い。基本的に地面が凸凹しているから、転んだら痛い。
――一体何なのよ。
そう思って、私を突き飛ばしたのは誰なのか、と若干顔を顰めた。
即座に立ち上がって振り向くと、真っ赤に染まった、彼がいた。
「……え……?」
●●●
走り回ったロスは、勘に従って人里を出た。だが、これからどこに向かえばいいのか分からない。
焦燥が募る。
そんな時、近くの森から砂煙が上がる。木々の倒れる音も響いてきた。
ロスは走った。何事かと考えるよりも前に、足が出ていた。
森に視線を向けた一瞬で、彼は見たのだ。
空を飛ぶ、博麗霊夢の姿を。
里の中を走り回っているときに聞いた、妖怪退治の件。それも、霊夢一人で。
ロスの中で、何か確信めいたものが生まれた。
森の中を走るロス。
視界は悪く、足場も危ない。転びそうになるのを根性で止まり、一目散に霊夢の元まで走った。
――そして。
――霊夢の背後から足を伸ばす、化け蜘蛛の姿を見た。
「霊夢!」
ロスは叫ぶ。しかし、霊夢には届かない。化け蜘蛛に背を向けたまま、彼女は歩いていた。
ロスは更に霊夢との距離を詰め、再度叫ぶ。
「霊夢!」
そして、ロスはそのまま霊夢を突き飛ばした。怪我をさせてしまうかも、と申し訳ない顔をして。
「がっ――!」
ロスの体を、化け蜘蛛の足が、刀のように鋭い足が、袈裟斬りのように裂く。
化け蜘蛛は、それが死力を尽くした攻撃だったようで、ずうん、と思い音を響かせて倒れ、動くことはなかった。
後に残ったのは、血だらけになり、地面へと叩きつけられたロス。
霊夢はすぐに駆け寄った。
「ロス!」
叫ぶように呼ぶ。今まで一度も呼んだことがなかった、彼の名前を。
普通の人間なら、息絶えているだろう。
――だが。
――彼には現象数式がある。
肉体の自動高速再生。
斬られた瞬間から、それは始まっている。
修復のために用いられる筋肉繊維が、みるみる内に削り取られていく。
霊夢が駆け寄ったときには、既に出血は止まっていた。
修復に用いた筋肉繊維が多すぎて、立ち上がることはできないが。
「ロス!」
霊夢はもう一度呼びかけた。ロスは、徐に口を開く。
「怪我は……ないかな?」
「ないわよ! 貴方のほうが大変そうじゃない!」
「僕は大丈夫だよ。そう簡単には死なないから」
ロスは微笑みながら言う。それが、霊夢には分からなくて。
いつの間にか、涙がこぼれていた。
「……泣いているのかい?」
「べ、別にそんなのじゃ……」
霊夢は訳も分からず顔を赤くして、乱暴に涙を拭った。
ロスはその様子を、微笑ましげに見ていた。気を抜けば、今にでも意識が飛びそうな中。疲労と充足感が満たす中。
彼はポツリと。霊夢にも聞こえないくらいに小さな声で。
――ああ。
――よかった。
――僕は、助けることが出来たのだ。