スプラトゥーン3 return to the beginning   作:キール・フェストリー

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Break down

「────いいバイトが見つかったんだけどな、オレはこれから忙しくなるかもしれない」

兄さんがシェルターの中でそんなことを告げたのは、僕が12のときでした。

「いいバイト?」

「ああ、ちょっと怪しいところではあるんだけど、クマサン商会主催の『サーモンラン』ってバイトでさ。成果次第で1サイクル6万も稼げるバイトらしい」

6万!? それって凄い額だよね?」

「計算上は月4サイクルも回せば献金した上で貯金の余地もある。少し食事なんかが改善できるかもしれない」

「すごい! もしかしたらカレーとか食べられたりも……あ、でも忙しくなるんだっけ……?」

「ごめんな、もしかしたら帰れない日も出てくるくらいだ」

「そんな……!」

兄さんが帰ってこないかもしれない、それは僕にとって兄さんが父のように仕事やそれ以外のことに集中してしまって僕を捨てる。そんな大げさな解釈を取って襲いかかってきました。

それは言語化は難しい感覚ですが、例えば真っ暗闇で極寒、全くの無音で地に足がついている感覚がしないというのが近しいと思います。

「……そんな顔するだろうとは思ってたよ、それにできればオレもカトレアとは離れたくないんだ。だけど状況的にやるしかない、オレがやるしかないんだ」

「そう、だよね。うん、わかってる……」

理解はしていると暗示をかけるため言葉を反芻していると、兄さんが左腕の袖をまくりました。

袖の中から出てきたのは白い腕輪で、真ん中には七色の石が埋め込まれているそれには覚えがありました。

「……絆の腕輪? どうして兄さんが」

「あの小説公式のグッズでさ、たまたま見つけたんだよ」

兄さんはその腕輪に右手を添えて目をつむり、しばらくそれをしたあと目を開けて腕輪をはずして僕に渡しました。

「オレは今、この腕輪に祈りを込めた。オレは帰ってこない日が出てくるだろうけど、込めた祈りでオレ達は繋がってる。だから1人じゃない……だろ?」

「……そうだね。そうかもしれない。僕たちは1人じゃない!」

今思えば、それを兄弟愛と呼ぶにはあまりにも重すぎるものだったかもしれません。

だけどその当時、僕が世界で信用できる人物はブラスト兄さんしか居ませんでした。

そして、その兄さんが居ない夜はなによりも怖いものでした。

 

時が過ぎていきました。

時間を重ねれば重ねるほど、兄さんが家に帰る時間は少なくなって僕の不安が煽られることになりました。

そして時間が過ぎるごとに母の悪い虫はどんどん制御を失っていき、シェルターを本気で破壊しようと試みる頻度が増えていきました。

この2つにはしっかりとした因果がありました。

まず、サーモンランの収入が兄さんの想定を大きく下回るもので、実態を聞いてみると1サイクルは3~4千のゲソしか手に入らず、その割には重労働であったこと。

そしてそれにより、母の大きな資金源であった献金がなくなって癇癪を起こす頻度が大幅に増え、その過激さも増していったのです。母は高級嗜好品で精神を安定させていたので、それが買えないとなれば代替手段が暴力になるのは当然の帰結でした。

もちろん母が暴力を振るう頻度が増えれば、それだけ僕を庇う兄さんの傷も増えていく事になりました。

僕も少しは大きくなったのだから、指をくわえてそれを見ているわけにも行かないと兄さんを庇おうともしましたが、僕を庇う兄さんを庇おうというのはいろいろと無理がありました。

「お前がオレを、オレをかばうなよ……兄ちゃんはお前が傷つくのが……嫌なんだよぉ……オレをかばわないでくれ、自分から傷つきに行かないでくれ……!」

それに、庇おうとすると兄さんは泣き崩れてしまうほど悲しくなってしまって、それを見るのは僕もいやだったから諦めてしまいました。

 

思えばその時点で、兄さんの異常性に気付くべきだったんです。

あの精神状態はおかしいと、あまりにも不安定だったと……

 

言ってしまえば兄さんには、僕を含め味方と呼べるものがいなかったんだって思います。

親はあの通り、僕は守るべき人で支援を求める人じゃない、閉鎖的であったので僕たちは親戚を知らずに育ち、サーモンランで一緒になる仲間はその場限りだと聞いたので。

結果、兄さんはサーモンラン主催者の『クマサン』という、匿名で直接顔を見せず無線機ごしでしか会話しない、普通なら疑ってかかるような存在に縋るしか──縋るという言葉がこの場合正しいのかはわからないにしても──手立てが無かったんです。

「給料の条件があんまり良くないっていうけど、別の仕事に変えることはできないの?」

「確かに他の仕事にした方が給料は今よりも全然いいのかもしれないけど、それでも、クマサンはあそこにしかいないんだ」

「……クマサン?」

「ん、ああ。サーモンランの主催の人で……優しくて、失敗したとしても頑張りを認めてくれて、成功したなら労ってくれて……カトレアと同じくらい大切で、オレを支えてくれる人なんだ」

決してその表現は大げさでも何でも無く、その通りだったのでしょう。

その心理状態を14の僕が解ることはできませんでした。

 

「兄さん、顔の傷が!? もしかしてまた……」

アルバイト、キホンのキ、『習うより慣れよ』……大丈夫だ、心配するな。オレはまだ……」

 

「兄さん、最近元気がないよ、少し休んだほうが……」

アルバイト、キホンのホ、『海は全てにこたえる』……オレの頑張りがこの先を変えるんだ。だから、だから……」

 

だからこそ、兄さんが壊れていることにも、声色に諦めがあったことにも気付くことができずに『その日』は唐突に来てしまったのです。

 

「その日……?」

1号が俺の発言に対しおそるおそる質問する。

目は開ききり口は半開き、頬には冷や汗をかき浅い呼吸を繰り返すその顔は、見てはいけないものを目撃してしまったときの恐怖に染まっていた。

俺もあのとき、自覚はないがそんな顔をしていたような気もする。真実は定かでないし知りたくもないが。

『アイボー、その日って、その日ってまさか……』

周りは信じたくはないという視線と、実際を聞かなければならないという雰囲気で満たされる。

 

わかっている、誰だってそう思うはずだ、俺だってそう思った。

今だって信じられない、信じたくはない、希望があるのならそれに縋りたい。

でも他の誰でもないこの俺が、その目で、あの景色を見たんだ。

もう今更、否定しようがない。

否定できない『事実』なんだ。

 

首が絞まる感覚がする。

呼吸は浅く速くなり、言葉を発する前に酸素を求める。

あの言葉たちがこだましてそれは不協和音となり、思考を蝕む。

「はぁ、ふゅう、はぁ、はぁ……ッ!」

身体が焼けるように熱い、目には熱いものが溜まり喉元まで苦いものが迫っている。

「ワタシ、察しがついた、ついちゃった……その日は、カトレア君にとって……」

それでも、言わなければ、認めなければいけない。

1年前の、8月最後の日、その日に兄さんは、ブラスト兄さんは……!

 

「ブラスト兄さんは……1年前のあの日……海に、うみに……身を、投げたんだ……ッ!」

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