………アツコが、連れて行かれる
俺たちのエデン条約調印式襲撃は、端的に言えば失敗した。皆生きてる。けど、ユスティナ信徒も消え、風紀委員長達も復活。何よりも先生の帰還。勝ち目は完全に潰え、俺たちは逃げ帰るしかなかった
秤アツコ。ロイヤルブラッド。アリウススクワッドの役目はその護衛だ。いつまでやればいいのか、そんな事をずっと思っていたけれど……期限は今日までだったらしい
目に光のない、全てに絶望したようなアツコの顔が心に刺さる。これから──なんてものは彼女には無い。彼女が連れてかれた後の事なんて何一つ知らないけれど、なんとなくそれだけはわかった
人生は辛く、苦しい。ヒヨリの口癖が頭によぎる
「アツコっ………」
喉の奥から、絞り出したような声が、俺の口から自然と出た。名前だけを呼んで、何が言いたいのか自分でもわからない。頭の中を、彼女が爆発を受けた時と同じ感覚が通り抜けた
「………ばいばい」
普段通りを装った、悲痛な声。それでも、アツコなりの精一杯の強がりなんだろう。彼女が去ると、俺も限界だった。震えて足が動かない。ただ泣き喚いて叫びたかったけど……全部無駄に思えてしまった
「──────」
……生まれてからずっと育ててきた、危険への敏感さ。それが、次の瞬間向けられるであろう銃口を鋭敏に察知した
「───うあああぁあああっ!」
大声と共に、足元に投げたスタングレネード。いつものように、一目散に危険から背を向けて逃げ出していた
走る。走る。走る。声が聞こえなくなるまで、足音が聞こえなくなるまで、誰も居なくなるまで、どこまでも、どこまでも
「はぁっ……!はぁっ……!」
息も絶え絶えになりながらも、ようやく足を止める。声も、銃声も、足音も何も聞こえない
逃げ切った。逃げ切ったんだ
「……もう自治区にはいられないな」
リスキーだけど、どうにかアリウス自治区から出るしかない。外に出ても追われるだろうけど、何とか逃げて、逃げて────
「………それで、どうなるの?」
そんな未来を思い、つい呟いた。外に出ても、アリウススクワッドである俺は追われる身だ。安息なんて永遠に訪れない。身分を変えても、顔を変えても、過去はずっと付き纏う。バレる度に逃げて、逃げて、逃げて
「……逃げる事に意味なんて無いんだ」
追われるのが一瞬だけなら、逃走に意味はある。でも、俺は一生追われ続けるんだ。死ぬまで
「ぐすっ……ううぅっ……!」
ずっとずっと逃げ続けて、結局は捕まり死ぬ。俺に残された未来はそれだけ。これからなんて無い。俺もアツコも、同じ───
────同じ?
「………アツコ」
花が好きな彼女。悪戯好きな彼女。子供の頃からずっと一緒だった彼女。思い出が、浮かんでは消えていく
生まれてこの方、逃げる事しかしてこなかった。敵から逃げ、困難から逃げ、自分自身から逃げ─── 今、俺がするべき事は何か。今までの全てが頭の中を駆け巡る
「………やるべき事は、逃げる事。でも…」
─────一人で、じゃない
──────────────────
連れて行かれたバシリカで、私は磔にされていた。側にはマダム。何をするのかなんて知らないけど、このままだと、私のヘイローは砕ける。それだけはなんとなく理解が出来た
………助けは、多分来ない
「……テラ」
「……何と言いました?」
ぽつり、と誰にも聞こえないような小声で呟いた言葉が聞こえたらしい。目の前のマダムが驚いてこちらを見ている
「どうせ死ぬなら───もう一度、一度だけでいいからテラに逢いたい」
言葉を零す度に心が軽くなっていく気がした。いつからか我慢していた望みを言ってしまったからか。ずっと怖かったものがなくなって行くような。そんな心地よさに包まれていた
「………戯言を。許す訳がないでしょう。あの臆病者が助けに来る筈もない」
「……うん。わかってる」
わかりきってる事だ。テラが、わざわざ危険を冒して私を助けるなんて事、するわけが無い。別にそれでいい。私はダメでも、どこかでテラが生きてるならそれでいい
………なら、何でこんな事言ったんだろ。テラが私に会いに来るって事は、テラを危険に晒すって言ってるようなもの。分かってる、筈なのに……
「テラ」
助けになんて来なくていいから───最期に、もうちょっとだけ話がしたかった
……もう、意識を保つのがしんどくなってきた。このまま眠って、知らない間に死ぬのかな
「……テラ」
最後にもう一回、名前を呼んでみた。当然返事はない───
─────カラン
何かが、転がるような音。次の瞬間、周囲は煙で満たされた
「煙…!?これは……まさか!」
マダムの、心の底からの驚愕が耳朶を打つ。同時に──煙で視界が塞がれたからか、足音がやけに響いて聞こえた
「っ…!子供風情が!」
でも、それはマダムも同じ事。煙でよく見えなかったけれど、彼女の爪がより長く、鋭く変化していくのが見え────
「っ………!」
鮮血が舞うのが、今度ははっきり見えた
「──────かかった」
───瞬間、真下から聞こえた爆発音と共に、視界がぐらりと傾いた
恐らく、足音を出したのはわざと。テラは逃げるのが得意だ。隠れるのも、同様に得意だ。そんなテラが、あの状況で足音を立てるなんてヘマをする訳がない
最初から、狙いは私が磔にされているこの十字架。手榴弾を投げる音を隠す為に、わざと足音を立てたのだ
「なっ───!?」
早い。余りにも、速い
壊れた十字架の下を持って、ハンマーのようにマダムに叩きつける。聞いたこともないような打撃音と共に、何かが壁に激突したような音が聞こえた
「やっべぇ…!急げ急げ……!」
力任せに私を十字架から引き剥がすと、そのまま背負い、窓を割って外へ。私を背負っている分いつものような速さは無かったけど、それでもかなりのスピードだった
「すぐに追手が来るからな!早いとこ自治区の外まで────」
「………何で、来たの?」
思わず、疑問が口から零れた。私の言葉にテラは──嘆くような、悲しいような、必死なような、何とも言えない雰囲気で口を開いた
「……お前がぬいぐるみの爆弾で死にかけた時、すっげー嫌な気分になった。人を殺す事に、躊躇いは無かったと思う。子供の頃からそう教えられてきたし、それが正しい事だって思ってた」
「でも……さ、俺が…お前が死にかけて嫌な気分になったみたいに、外の奴らも俺たちが撃ったミサイルで、嫌な気分になった奴たくさんいるんじゃないかって、もしかしたら俺たち、とんでもない事したんじゃないかって、そんな風に思ってさ」
「……多分、悪い事したんだと思う。だから、追われるのは当たり前だ。アリウスにも、アリウスの外にも、俺たちの居場所はもう無い」
……事実、だった。アリウス自治区の中でも、私達アリウススクワッドは追われる身だ。調印式の襲撃事件がある以上、外に出てもそれは同じだ
「……お前が連れてかれる時、嫌な感じがしたんだよ。お前が死にかけた時と同じだ。勝手かもしれない、苦しみを増やすだけかもしれない。でも、でもさ」
「俺、お前に死んでほしくないよ」
………背負われているから、震えているのがよく分かる。臆病なテラのことだ、さっきも、直前まで震えてたんだろう。自分の事じゃない、私の為だけに、恐怖を押し殺して助けに来てくれたのだ
「……来ないと思ってた」
「……何度も思ったよ。出来るわけないって」
「でも、来てくれた」
「……あぁ」
「……ありがとう」
テラの背中は、思ったよりも大きかった
「……っ!」
突然。テラの足取りが鈍り、その場でたたらを踏んだ
「……どうしたの?」
「いっ……や、大丈夫…」
「まさか……」
背中から手を回し、テラの腹全体を触る。べちゃり、という音と共に感じる、液体の生温かさ。思わず手を引っ込めそうになるけれど、ぐっと我慢した
マダムから受けた傷。それはテラの腹を貫くほど深いものだった
「血…!無理しないで!私も歩けるから!」
「……嘘、吐くなよ。どういう原理か知らないけど、磔にされてたのが結構効いてるだろ」
………事実だ。今の私は、何かを支えにしなければ歩けないだろう。結局、この状況での最適解はこのまま背負われている事だ
「……ごめんな、もっと早く見つけてやれば良かった」
「……違う。私が抵抗しなかったから」
痛いのは嫌だ。テラの口癖。昔から、大したことのない擦り傷で大袈裟に騒ぐのを何度も見てきた。腹の傷は、テラの人生の中で一番大きな傷の筈──なのに、テラはまだ、弱音を吐いてない
「……そうだ、他の皆は?」
「わからない。自分が逃げるのに手一杯だったから。多分、しぶとく生きてると思うけど。……探そうか。多分、そっちの方がいいと思う」
ここを出るまでのこと、ここを出てからのこと。考えるべき事は沢山あるけれど、今はただ
「……テラ」
「何だ?」
背負われながら、テラの体をもう一度ぎゅっと抱きしめて。彼の耳元で、小さく囁いた
「一緒に逃げよう。私達が……皆一緒なら何でも出来るよ」
テラが、私を見た。驚いたような、少し照れくさそうな横顔が目に入り────
「──────アツコ!」
テラが、私を投げ捨てた。何が起きたのかわからないまま、私は地面に落下した
「いっ……た……」
受身を取れずに倒れる体。何かが起きたのは間違いない。問題は何が起きたのか、だ。テラの安否が気になる。痛む体に鞭打って、周囲を見渡し────
「────え」
マダムに刺された腹を抑えながら膝をつくテラ───その奥に、アリウスの生徒達とユスティナ信徒が大勢見えた
「テラ!」
「…………悪ぃ、撃たれた。傷口にピンポイントだ」
覇気のない声に、傷口から溢れ出す血液が───すぐそこまで迫っている、濃密な死の気配を告げる
早くテラを助けないと。そう思うのに体は言うことを聞いてくれない。逃げろと警告を発する本能を黙らせながら、なんとか体を動かそうと───
「っ……あぁっ!」
テラのスナイパーライフルから放たれた銃弾が、一体のユスティナ信徒の頭を弾いた。予想だにしなかった反撃に、追手の動きが一瞬止まる
「………アツコ、走れるか?無理なら頑張って走れ」
「っ……!?何言って───」
「時間を稼ぐ。心配しなくても後で追いつくから」
………二階堂テラは、自他共に認める臆病者だ。痛いのは嫌だ。死ぬのはもっと嫌だ。だからこそ、彼が敵を前にした時の行動は一つ、逃走。そのはず、なのに
「時間がない。早く行け!」
震えている。怖い筈だ、痛い筈だ、逃げ出したい筈なのだ。なのに───
「……っ!」
私は、走り出した。テラの覚悟を無駄にしない為に
──────────────────
「………行ったか」
背後から聞こえる足音に、ひとまず安心の溜息を零す。腹の痛みは一旦無視することにして、俺のやるべき事は一秒でも長い時間をここで稼ぐ事
「……臆病者め、震えているぞ?」
「うるっさいな、わかってるよそんな事」
体が震える。痛いのは嫌だ。死ぬのはもっと嫌だ。人の為に自分の命を使うなんて、考えたこともなかった
生まれてこの方、逃げる事しかしてこなかった。だからこそ────
「……今は、立ち向かう時だ」